人質(4)

 

砂丘の巨大蟻地獄の罠を破り、

時限爆弾による爆発直前に海に飛び込んだスパイダーマンと山城新子。

灯台は爆発により吹き飛び、跡形もなくなってしまった。

 

数分後、意識の無くなった新子を抱きかかえ、スパイダーマンは海から上がってきた。

片手を新子の膝の下に、もう一方の手を肩の後ろに回し、

力強く盛り上がった大胸筋が浮かぶ胸の前で抱き上げ、波打ち際を歩くスパイダーマン。

体力を消耗した体が怠く感じられ、その足取りもまた重かった。

全身から吹き出した汗と海水とが混ざり合い、

大きく隆起する筋肉と筋肉の間のスジを伝って滴り落ちた。

 

新子を砂浜に優しく下ろすと、スパイダーブレスレットを開き、

インターポールの間宮に連絡を取る。

「二人目の人質を救出しました。ここは岬の灯台付近の浜辺です」

人質の救出と現在位置を伝えた直後、

ブレスレットのモニターの画像が乱れ、スピーカーは雑音に淀んだ。

映像が再び回復すると、そこにはモンスター教授が映っていた。

スパイダーブレスレットが電波ジャックされたのだ。

 

「2人目の無事救出、おめでとう!

 マーベラーは確かに頂いた」

モンスター教授が、さも楽しそうに邪悪な笑顔で話しかける。

モニターには、鉄十字団の基地に収容されたマーベラーが映っていた。

マスクの下、キッと目を見開き、モンスター教授を睨みつけるスパイダーマン。

(マーベラー・・・ 直ぐに取り返してやる!)

「もう一人の人質はどこだ!?

 卑怯だぞ! モンスター教授」

「沖を見ろ。そこから島が見えるだろう?

 最後の人質はここに居る」

遠く霞む島影に目をやるスパイダーマン。

 

GP-7かマーベラーさえあれば、あんな距離など・・・)

長距離移動用のマシンを奪われたスパイダーマンには、

自らの肉体を酷使する他に方法はなかった。

だが、逞しい体に漲っていた体力も、既にその大半を消費していた。

「すぐに助けに来なければ人質は死ぬことになる!

 躊躇している時間はないぞ。

 人質を生かすも殺すも君次第なのだよ。

 スパイダーマン!」

遠い海上に浮かぶ黒い影でしかない島を見つめるスパイダーマン。

その焦燥感に駆られる心中には、疲労感に追い打ちをかけるように、

気の遠くなるような感覚が広がっていく。

 

廃工場での1人目の救出、灯台での2人目の救出に際し、GP-7とマーベラーを奪われ、

その上、体力の大半を使い果たしてしまったスパイダーマン。

更に3人目の救出のため、荒れる海を数キロメートルも泳ぎ切らなくてはならない。

 

「どうした?早くしないと人質が溺れ死ぬことになるぞ?」

モニターには、透明な水槽の様な小部屋に閉じこめられた佐久間ひとみが映っていた。

水槽には、放水口から飛沫を上げながら大量の水が流入しており、

このままではひとみが水に飲み込まれるのは確実だった。

人質は、恐怖に駆られてパニック状態に陥り、

悲鳴を上げながら水槽を内側から狂ったように叩き続けていた。

 

GP-7、マーベラーという移動手段を奪われたスパイダーマンに残されたのは、

ネット、ストリングスのスパイダーパワーと、

赤と青のコスチュームに包まれた肉体だけだった。

 

スパイダーマンは海に入ると、黙々と泳ぎ始めた。

真冬の冷たい海水によって体温が奪われ、体力の消耗が加速する。

筋肉の盛り上がる腕を交互に転回し、クロールで進むスパイダーマン。

張りつめた筋肉が浮かぶ両脚で、力強く海水を蹴り進む。

暗い紺碧の海と、青と赤のコスチュームとの見事なコントラストが、

自らを待ち受ける危険な罠をも顧みずに

人質の救出に向かう勇敢なヒーローとしての決意を表しているかのようだった。

 

コスチュームは海水に濡れ、全身の筋肉に張り付いている。

濡れたコスチュームの色は濃く染まり、

逞しい逆三角形の背中を形成する広背筋をくっきりと浮かび上がらせ、

腕が水をかく度に、三角筋と上腕二頭筋が大きく盛り上がる。

堅く締まった大臀筋は見事な曲線を描いて隆起し、

両脚の動きに合わせて左右が交互に上下する。

 

全身にぴったりと張り付いたコスチュームはまた筋肉の動きを制限し、

思うように身体を動かすことができない。

荒く息をする拓也の顔を覆ったマスクも濡れて口元に張り付き、

しばしば呼吸の妨げとなった。

呼吸を乱されたことで規則的に海水をかく泳ぎのペースも狂わされ、

体力の消耗に一層拍車がかかった。

 

荒れる海を一心に泳ぎ進むスパイダーマンは黒々とした島の影に近付いていた。

うねりの中をひたすらに泳ぎ続けるスパイダーマンを映すモニターには、

スパイダーマンの残存体力の推定値も表示されていた。

思案顔のモンスター教授が指令を出す。

「スパイダーマンの体力は、まだ30%以上残っておる。

 攻撃の手を緩めてはならん。海中マシンベムを出せ!」

「しかし、ここでは岸に近すぎます。

 もし、地上戦に持ち込まれたら、マシンベムに勝ち目はありません」

「それでよいのだ。体力を消耗させればそれでよい」

モンスター教授はアマゾネスにそう答えると、再びモニターを覗き込んだ。

「スパイダーマン、もうすぐだ。

 もうすぐお前の全てを奪い取ってやる。

 だが、その前にもっと苦しむがいい!」

 

スパイダーマンはいよいよ島に近付き、水深は僅か数メートル、

すぐに海岸という所まで来ていた。

(よしっ すぐに岸だ!)

そう思った瞬間だった。

岸に手が届きそうなほど近付いた一瞬の気の緩みから生まれた隙を突かれた。

 

左右の足を力強く上下しながら進むスパイダーマンの脚に何かが触れた。

次の瞬間、その感触はつま先から踝を経て下腿部へと達した。

足に巻き付く何かは、大腿にまで這い上がってきた。

(なっ なにっ!)

絡みついた何かに片足を引っ張られる格好で、水中に引きづり込まれてしまった。

スパイダーマンの足に絡みつくもの、

それは、海底付近にユラユラと浮かぶクラゲ型の海中マシンベムの触手だった。

 

白く半透明な体に、所々毒々しい黄や赤の斑点のあるクラゲマシンベムは、

半透明のドーム状をした大きな頭部から何十本もの触手を水中で揺らしながら、

スパイダーマンの逞しい体に巻き付けようと狙っていた。

隆起する筋肉が浮かぶ脚に絡みついた触手は、

長距離を泳いだことで鬱血する脚をきつく締め付け、

何本もの触手が腕や胴に絡み、首に巻き付いた。

(うぐっっ!)

ギリギリと締め付けられ、どんどん海中へと引っ張られていく。

触手を掴み、左右に引き千切ろうとするが、

見かけの脆弱さと異なり伸縮性に富む触手は、

いくら力を込めても断ち切ることは出来なかった。

 

不慣れな水中で思うように動けない中、なんとかパンチやキックを繰り出すものの、

クラゲマシンベムのブヨブヨとしたゼリー状の体は衝撃を全て吸収し、

ほとんどダメージを与えられなかった。

それどころか、攻撃のためマシンベムに近付いたことで、

更に何本もの触手が巻き付けられ、筋肉にいっそうきつく絡み付き、

ますます体の自由を奪われることとなってしまった。

巻き付いた触手は、ジワジワとスパイダーマンの肉体を締め上げてゆく。

(ううっ・・ こ、このままでは・・)

 

パンチやキックの効果もなく、

水の中ではスパイダーネットもストリングスも使えず、

圧倒的に不利な闘いを強いられるスパイダーマン。

闘う程に、肺に溜めた酸素を消費し、状況は益々不利になっていく。

 

今や、クラゲマシンベムの巨大なドーム状の頭部から生える何十という触手が、

スパイダーマンの全身に絡みついているのだった。

肉体を拘束する触手の群れを引きちぎろうと、

全身の筋肉を隆起させるスパイダーマンだったが、

もがけばもがく程、触手は筋肉に食い込むように締め付けた。

 

触手は、手首、足首に絡んで四肢の自由を奪いながら、

両腕の上腕二頭筋と三角筋の括れに巻き付き、

両脚の大腿四頭筋、下腿三頭筋に絡みついて、一層強固に拘束する。

鎧のような腹直筋と外腹斜筋が覆う腹部にまで巻き付かれ、全身の自由が奪われていた。

(くはぁっ!! ぁああっ! だ、ダメだっ!!)

何十本もの触手で肉体のあちらこちらを締め付けられるあまりの苦痛に、

思わず呻いたその口から、ついに空気がゴボゴボと泡となって漏れてしまう。

空気を漏らすにつれて、四肢へ込めた力も次第に失われていく。

 

スパイダーマンに何十本という触手で絡み付き、

四肢の自由を奪い取り窒息させながら、

マシンベムは捕らえた獲物を、

半球状の頭部の下、鋼鉄製の牙が覗く口へと運ぼうとしていた。

 

(こ、このままではやられる!!)

尖った鈍く光る銀色の牙が幾重にもびっしりと生えた獲物を狙う巨大な口が、

いま正にスパイダーマンの肉体の目前に迫っていた。