人質(2)

 

スパイダーマンは、GP-7と引き替えに、人質となって囚われていた山城拓次を

迫り来る回転ノコギリから間一髪で救出することに成功した。

 

助け出した拓次が身を横たえる姿に安堵の溜息をつくスパイダーマンの正面で、

モニターが点灯した。

「ふふふっ なんとか間に合った様ね?

 これが見えるかしら?」

アマゾネスの声の向こうで、磔にされた山城新子が映し出されていた。

新子の周りには時限装置付きの爆薬が仕掛けられ、

タイマーは残り30分を示していた。

「ここは、その廃工場から南にある海岸よ!

 急がないと人質は木っ端みじんになるわ!」

 

(ここから海岸までは数十キロ、俺の足では到底間に合わない)

「スパイダーマシンGP-7!」

ブレスレットを開いてそう叫んだが、やはり何の反応もなかった。

奪われたGP-7は、完全に鉄十字団の手中にあるのだった。

 

GP-7を奪われた今、廃工場から指示された海岸まで時間内に辿り着くには、

マーベラーを呼ぶしかない。

鉄十字団の次の狙いはマーベラーだったのだ。

(くそぉ・・ GP-7の次はマーベラーという訳か・・・)

敵の企みに気づいたスパイダーマンを言いようのない戦慄が襲った。

 

ブレスレットでインターポールの秘密捜査官、間宮に連絡を取るスパイダーマン。

「間宮さん、人質になっていた少年を救出しました。

 至急、郊外の廃工場に迎えをお願いします。

 私はこれから、人質になっている女性を助けに行かなくてはなりません」

「行ってはいかん! スパイダーマン、これは罠だ!」

インターポールのエージェントである間宮の警告が、

スパイダーマンの心に刺さるように響いた。

「わかっています。だが、私が行かなくては人質の命はありません!」

そう言って一方的に通話を切るスパイダーマンだった。

例え自らを陥れる罠が待ち受けようとも、

人質を助ける使命を優先する正義のヒーローだった。

 

自分を待ち受ける危険な罠など顧みず、スパイダーマンの心に浮かぶのは、

人質の山城新子と佐久間ひとみを助けることだけだった。

アマゾネスからの新たな指示では、人質を助けるためには、

30分以内に数十キロ離れた海岸までたどり着かなくてはならないのだ。

 

拓次を残し建物から外に出ると、左手に嵌めたスパイダーブレスレットを開く。

「マーベラー!!」

スパイダーマンがそう叫ぶと、

銀と黒の本体に特徴的な黄金の頭部を持った、

エジプトのスフィンクスを彷彿とさせる神秘的な姿をした巨大なマシンが飛来した。

通常であればGP-7を操縦して空中でマーベラーに乗り込むスパイダーマンだが、

拓次の命と引き換えにGP-7を奪われた今、

着地させたマーベラーに駆け寄り、乗り込まなくてはならなかった。

 

操縦席に乗り込むと、すぐにマーベラーを発進させ、南へと進路を取った。

(たのむ! 無事でいてくれ!)

GP-7を奪われ、次にマーベラーが狙われているにもかかわらず、

人質を案じるスパイダーマンの心に浮かぶのは、

未だ人質になっている山城新子と佐久間ひとみだけだった。

体力を消耗しつつあることなど考えも及ばないスパイダーマンだった。

 

モニターに映し出されたマーベラーを確認すると、アマゾネスが口を開いた。

「スパイダーマンはマーベラーでこちらへ向かっています。

 計画通りです!」

「マーベラーか、素晴らしいマシンだ!

 これを手に入れれば、日本の、いや、地球全土の制圧など容易いだろう」

妖しい光を目に浮かべながらモンスター教授が呟いた。

 

マーベラーを操縦し、南へと向かわせるスパイダーマン。

程なくして青く霞む海岸線が目の前に広がった。

その時だった、操縦席のスピーカーから、アマゾネスの新たな指示が聞こえてきた。

「マーベラーを渡してもらおう! 指定の場所に着陸させなさい」

アマゾネスの指示と同時に、モニターに地図が映った。

画面には、磔にされた山城新子と時限装置のタイマーも見える。

 

(くそっ・・ ここは言う通りにする他ない・・・)

アマゾネスに指定された場所は、

広大な砂丘が広がる海岸の、すり鉢状に凹んだ場所だった。

轟音を響かせながらマーベラーがすり鉢の底に着陸した。

荒涼とした砂丘が見渡す限り続いている。

 

(まだあと10分残っている)

「人質はどこだ! マーベラーを指定どおりに着陸させたぞ!」

外へ走り出たスパイダーマンが叫ぶ。

「人質は灯台の中よ!」

どこからともなく、アマゾネスの声が聞こえてきた。

指示された灯台は遙か遠く、砂丘のすり鉢の底からはわずかに先端だけが見えていた。

 

スパイダーマンが斜面を登り始めるとすぐ、足下の砂地が振動を始めた。

振動によって崩れた砂が、斜面の上方から何本かの筋となって流れ落ちた。

微かな振動は次第に大きくなり、すぐに地面全体が大きく揺れだした。

崩れ落ちる砂は量を増し、最初の数本の筋からやがて木の幹程の太さになり、

今は斜面全体の砂が滝のように流れ始めていた。

揺れが一段と激しくなり、流れる砂の斜面を全力で登るスパイダーマンの背後では、

大きな音を立てながらマーベラーが砂に飲み込まれて行く。

砂丘は、直径百メートルにも及ぶ流砂が渦巻く巨大な蟻地獄と化したのだった。

 

「うあぁっ! な、なにっ!」

斜面を流れる砂に足を取られ、滑り落ちてしまうスパイダーマン。

 

マーベラーは、既にその巨大な機体の半分以上が砂に埋もれ、なお沈み続けていた。

輝いていた機体も、渦巻く流砂から巻き上がる砂塵で穢され、

まだ砂に飲み込まれずに残っている物言わぬ金色の頭部だけが悲しげに聳えていた。

 

蟻地獄の縁を駆け上るスパイダーマンは、斜面を登っても登っても、

流れ落ちる砂によって押し戻された。

今やマーベラーの機体をほとんど飲み込んでしまった砂は、

次はスパイダーマンを狙っているのだった。

しっかりとした足場のない砂の斜面に対しては、

垂直な壁に張り付くスパイダーマンの能力は全く役に立たなかった。

 

「スパイダーストリングス!」

叫び声と共に左手のスパイダーブレスレットから一筋の白いロープが発射されるが、

流砂に飲まれてしまい、用を成さなかった。

スパイダーストリングスを使っても、

絡みつく標的が一切存在しない砂丘ではどうすることもできないのだ。

 

これまでもこういったピンチに見舞われたことは度々あったが、

その度にGP-7やマーベラーを呼び脱出してきた。

しかし、今回は、その頼りのGP-7もマーベラーも、

人質の命と引き替えに鉄十字団に渡してしまったのだった。

自らが招いた危機に、どうすることも出来ないスパイダーマン。

(くそっ はやくここから脱出しなければ!)

蟻地獄の底から脱出できない焦燥感と、

刻々と迫る爆破時刻がスパイダーマンを苦しめていた。

鮮やかな赤と青に輝いていたコスチュームは、砂に塗れ、砂埃で煤け、

スパイダーマンの苦悩と焦りが現れていた。

 

上空に浮かぶ偵察用マシンからの映像を覗き込むモンスター教授とアマゾネス。

モニターには、斜面を何度も転げ落ちるスパイダーマンが映っていた。

「ワッハッハ さすがのスパイダーマンも、流砂の蟻地獄には歯が立たないようだ。

 もっと苦しめ! スパイダーマン。

 だが、分かっているな? アマゾネス」

「はっ、スパイダーマンを殺さずに体力を消耗させ、

 装備を奪い取る でございますね?」

「そのとおりだ。殺してはならん。

 スパイダーマンの全てを奪い取るのだ!」

 

脚を踏みしめる度に、流れる柔らかい砂に足を取られながら、

斜面を登っては滑り落ち、次第にスパイダーマンは体力を消費していった。

鬱血し重くなった大腿四頭筋はパンパンに盛り上がり、

コスチュームに窮屈に押し込められていた。

 

「ほほほほっ 何をしているの! スパイダーマン。

 あと6分で人質は木っ端みじんよ!」

アマゾネスの声が、上方から聞こえてきた。

 

(うぁっ! しっ しまった!)

蟻地獄から早く抜け出そうと焦るあまり、

斜面の途中でバランスを崩し思わず方膝を付いてしまったスパイダーマン。

その姿勢のまま、ズルズルと流砂に運ばれ、

すり鉢の底へと引き戻されながら両足とも膝まで砂に飲まれてしまう。

両足の自由を奪われたスパイダーマンは、

みるみる急流が渦巻く砂の渦の中心まで運ばれてしまった。

(くそっ・・・、いったいどうすればいいんだ・・・・)

 

腰まで砂に飲み込まれたスパイダーマンは、抜け出そうと全身を動かすが、

身体を砂の上に出すことはできない。

それどころか、脱出しようと身体を動かし、

もがけばもがくほど、砂に埋もれた体は増々深く沈み、

次第に自由を奪われていくのだった。

スパイダーマンは、蟻地獄の底で一人もがき苦しんでいた。

 

既に胸まで埋まり、砂の上に出ているのは両腕と肩から上だけになっていた。

(もう・・・ だめか・・・・)

ますます沈み、全身が渦巻く砂に締め付けられ、

思うように呼吸もできず、意識が遠のいて行った。