人質(1)

 

市街地を疾風の如く走り抜けるGP-7

赤と白に塗り分けられたGP-7の車体は汚れも傷も一切無く、

正義のマシンとしての威厳をたたえ輝いて見えた。

滑らかな車体に映る町並みが猛スピードで流れるように表れては消えていく。

 

だが、軽快に走る優雅な曲線を描く流線型のGP-7の姿とは異なり、

ハンドルを握るスパイダーマンの心には、焦りと苛立ちが重くのしかかっていた。

(もうしばらくの辛抱だ。今、助けに行くぞ!)

スパイダーマンはGP7を駆りながら、人質となっている3人に思いを馳せていた。

鉄十字団に、山城新子、拓次、佐久間ひとみがさらわれてしまったのだ。

拉致現場には、『20分以内に郊外の山中にある廃工場に来ないと人質の命は無い』

という鉄十字団のメッセージが残されていた。

 

(急がなければ!)

人質の救出期限が刻々と迫り、焦燥感に駆り立てられるスパイダーマン。

指定の時刻に間に合わせるには、GP-7を全速力で走らせなくてはならなかった。

目的地である廃工場に到着したGP-7は、バリケードをミサイルランチャーで破壊し、

工場の敷地内で停止する。

 

指定の時刻まであと5分。

(よしっ どうにか間に合った!)

「俺は来た! どこに居る、アマゾネス!」

期限内の自分の到着を知らせるため、

GP-7から身を乗り出し、辺りを見回しながら声を張り上げるスパイダーマン。

真冬の寒々とした廃墟と化した工場の敷地は、ただ吹きすさぶ風の音が聞こえていた。

 

廃工場に設置された古いスピーカーからアマゾネスの声が響いた。

「工場の建物の中にGP-7ごと入りなさい!」

窓の無い堅牢な建物の正面の巨大なシャッターが、

低い音を軋ませながら上がって行くのが見える。

 

言われた通りにGP-7を操り、工場内に進ませるスパイダーマン。

所々破れた通気口から薄日が差し込み、煙るように霞む薄暗い建物の内部を

僅かに照らし、剥き出しの鉄骨の柱と梁だけが暗がりに陰のように浮かび上がっていた。

GP-7が建物の中に入ると、すぐに分厚いシャッターが降り、外界と遮断された。

 

「人質を助けたければ、GP-7をこちらに渡してもらおうか!」

アマゾネスの声が廃工場内に木霊する。

「印の所にGP-7を停車させなさい!」

床には、停車位置を示す目印らしきマークがあり、

その周りには、車体を固定する為の大掛かりな機械が見える。

 

「何だと?! GP-7を渡すわけにはいかないっ!」

そう答えるスパイダーマンだったが、その声には明らかに躊躇の色が滲んでいた。

工場の壁に取り付けられた巨大なスクリーンに、

ベッドに縛り付けられた山城拓次が映し出された。

全身を揺らし、必死で束縛から逃れようとしながら泣き叫ぶ拓次。

回転ノコギリがすぐ隣に迫っているのだ。

スクリーンに映るタイマーはあと200秒を示していた。

 

「人質がどうなってもいいのかしら? GP-7を渡したら人質の居場所を教えるわ!」

 

焦燥と苦悩が渦巻くスパイダーマンの心の中では、葛藤が繰り広げられていた。

(くそっ もしGP-7を渡したら、重要な武器を失うことになってしまう・・・)

怒りと焦り、迷いと躇いに両手の拳をきつく握りしめる。

正義の使命と人質の命との間で迷い、苦悩するスパイダーマン。

だがその間も、血に飢えたノコギリが、

徐々にだが確実に、血を分けた山城拓次に迫っていた。

 

もう迷っている時間はなかった。

(奴らに渡しても、すぐに奪い返せばよいだけだ。

 GP-7はスパイダー星人の血を引く俺にしか操縦することは出来ないはず。

 鉄十字団に渡したところで、奴らには何も出来ない!

 それよりも、今は人質を助けることが先決だ)

暫しの沈黙の後、最後にはそう結論した。

 

「分かった、GP-7を渡そう!」

苦渋の選択を迫られ、自らを犠牲にすることを選択したスパイダーマンは、

そう答えると、GP-7を指示されたとおり停車位置に停めた。

停車するとすぐに周りの機械が起動し、

滑らかで美しい車体に、取り囲む機械から伸びる鎖が絡みつき、

どす黒く巨大な機械の腕が、車輪を、車体をがっちりと固定し、

赤と白に輝くGP-7全体がみるみる醜悪な機械に覆われていく。

 

パートナーであるGP-7が囚われる様子を、為す術もなく見つめるスパイダーマン。

だが、急がなければ時間がない。

「さあ渡したぞ! 人質の居場所は何処だ!」

そう叫ぶスパイダーマンの言葉には、明確な焦りの表情が感じられた。

それもそのはず、スクリーンに映った泣き叫ぶ拓次の横のタイマーは

あと90秒を切っていた。

僅かでも時間を無駄にすれば、人質の命は失われてしまうのだ。

 

スピーカーがアマゾネスの声を伝えた。

「約束は守ろう。人質は、向かいの建物の最上階よ!」

それを聞くや否や、猛スピードで走り出すスパイダーマン。

渾身のキックで鋼鉄製のシャッターに亀裂を作ると、その端を掴む。

全身の筋肉に力を漲らせ、力強く隆起する上腕二頭筋と大胸筋は、

コスチュームを破らんばかりに隆起した。

「はあぁっっ!!!!」

隆起した筋肉を痙攣するように震わせるスパイダーマン。

ギシギシと音を立て、ゆっくりと亀裂が広がっていく。

持てる限りの力で、なんとか通り抜けられる大きさに裂目を広げた。

 

モニター越しに、そのスパイダーマンを見つめる2つの影があった。

重厚な鎧の上から黒いローブを羽織り、

左目に赤く光る機械の義眼を付けたモンスター教授と、

黒と白のレオタードに黒いマント姿のアマゾネスだった。

画面を見つめながら、モンスター教授が口を開く。

「そうだ、スパイダーマン、そうやって体力を使うのだ。

 そして使い果たすがいい!

 もうすぐお前の全てを奪い取ってやる。ワッハッハッ!」

「スパイダーマンは人質に気を取られ、自分の体力の消耗までは気が回りません。

 武器を奪いながら体力を消費させる作戦、お見事です!」

アマゾネスが感心に顔を上気させながらモンスター教授に応えた。

 

シャッターの裂け目を通り抜けるスパイダーマンの後ろで、

厳重に固定されたGP-7が、地下に運ばれて行こうとしていた。

スパイダーマンは囚われの愛機を一瞥すると、向かいの建物まで全速力で走った。

GP-7、待っていてくれ! 必ず奪い返してやるからな!)

 

廃墟となった工場の広大な敷地を、全速力で走るスパイダーマン。

両脚には大腿四頭筋、大腿二頭筋がコスチューム越しに交互に隆起し、

力強く大地を蹴っていた。

くの字に折り曲げた両腕には三角筋と上腕二頭筋が盛り上がり、

堅く握られた拳で左右の腕を前方に突き出す度に、

逞しい上半身を象徴する大きく隆起した大胸筋も、

黒い蜘蛛が浮かぶ赤いコスチュームの下で、交互に波打っていた。

 

目的の建物にたどり着いたスパイダーマンは、

盛り上がった三角筋が形成する逞しい両肩を上下させながら荒く息をしていたが、

呼吸を整える間もなく、建物の外壁に取り付きグングン登り、

最上階の窓を破って中へ突入した。

 

「今助けるぞ!」

そう叫びながら部屋に飛び込んだスパイダーマン。

拓次が縛り付けられたベッドの脇のタイマーは残り10秒を切ろうとしており、

高音を立てながら回転するノコギリの刃が、拘束された胴体のすぐ真横まで迫っていた。

金切り声を上げて泣き叫ぶ山城拓次。

素早くベッドに駆け寄ると、拓次の身体を拘束している金具を外してゆく。

しかし、強力に固定されているため、また、焦りに駆られて思う様に外せない。

(くそっ 間に合わない!)

焦燥感が募り、行動が空回りしていた。

そうしている間にも回転ノコギリはジワジワと近付いているのだった。

 

タイマーがいよいよ0になり、回転する刃が拓次の服を端から細切れにしてゆく。

拓次の絶叫が、ノコギリの回転音を掻き消すかの様に部屋に響いた。

(こうなったらイチかバチかだ!)

「たぁぁぁぁぁっ!!!!」

スパイダーマンは回転するノコギリを、真剣白羽取りの要領で、

刃の両側から両手で挟み、これ以上の進行を阻もうとする。

高速で回転する刃と、それを押さえようとする腕との間に凄まじい摩擦が発生する。

全力で押さえ込もうと、スパイダーマンの上半身の筋肉が戦慄いていた。

 

回転する刃からの振動がスパイダーマンの両腕の筋肉を麻痺させる。

上半身の主要な筋肉、盛り上がった大胸筋、上腕二頭筋・三頭筋、

三角筋、僧坊筋、広背筋などがピクピクと震えながら隆起し、

ノコギリの進行を抑えていたが、

限界に達した筋肉に、次第に痺れが広がってきた。

(ここで負けたら、拓次の命が!)

残る力を振り絞り、ノコギリの回転を止めることに集中した。

高速な回転に付加がかかり、バチバチと音をたてて回転部分から火花が上がる。

全身の筋肉が極限まで隆起し、スパイダーマンの体全体が震えていた。

次第にモーター音が低く軽くなり、ついにノコギリの刃の回転が止まった。

全身で荒く呼吸をするスパイダーマン。

深く息を吸い込む度に、逞しい上半身全体が拡張するようだった。

 

「もう大丈夫だ」

拓次を安心させ、自らに対する安堵の念を込めて話しかけた。

緊張の糸が切れ失神してしまった山城拓次を、優しく介抱するスパイダーマンだった。

 

その様子を、隠しカメラで監視するモンスター教授とアマゾネス。

モニターの前に立つ2人の隣には、運ばれてきたGP-7が置かれていた。

GP-7のつややかな車体を撫でながら、満足げに目を細めるモンスター教授。

「フッフッフ とうとう手に入れたぞ・・・ では、次の作戦に移るのだ!」

「はっ! 準備は完了しております」

モンスター教授とアマゾネス、2人の顔には妖しげに歪んだ笑みが浮かんでいた。