〜 第5話 〜

 

------  8月22日 10:00  ----------------------------

 

僕が学校から逃げ出して公園で思いを巡らせていた頃

学校の会議室では校長の千田と3年の担任が激論をかわしていた。

 

 坂本「納得できませんよ。長野は2学期からは学校に行けると思って

    一生懸命リハビリに励んできたんです。

    それが何で登校してはいけないんですか?!」

 

 千田「それはさっきから何度も言ってるでしょう。またこの前のような事故が起きた時

    学校としては困った事になるからですよ。幸い一緒にいた井ノ原と坂本は軽傷で

    済みました。しかし今度同じような事があった時も軽傷で済むとは

    限らんでしょうが」

 

 坂本「事故が起きる可能性があるなら起こさないように注意すれば良いんです。

    私が責任を持ちます!」

 

 千田「良いですか。本校は養護学校ではないんです。障害を持つ生徒には

    その為に養護学校の高等部とか高等養護学校があるじゃないですか。

    県立高校の方では彼の入学を受け入れなかったんでしょ。

    我々は善意で彼を受け入れたんです。

    その時に何らかの事故が起きたら退学するという念書も書いてもらいました。

    それでも私は彼に退学しろと言ってるんじゃない。

    あと半年で卒業だから自宅学習という事で単位を認めて

    卒業させようと言っているんです。

    それがそんなに問題なんですか?」

 

 坂本「そうやって隔離するのが教育のあるべき姿とは思えません。

    人間というのは人と人の間で生きていくものなんです。

    彼も他の生徒と同じ人なんですよ。3年B組の生徒の一人なんです。

    彼を3年B組の中で卒業させてやりたいし

    そうさせるべきなんです」

 

  北「実際のところね。坂本先生のお気持ちも分かりますよ。

    でもね。どこか理想論なんだなぁ」

 

 坂本「教育が理想を失ってどうするんですか。かのヘレン・ケラー女史は言っています。

    『障害は不便ではあるが不幸ではない。社会が障害者を不幸にするのだ』と」

 

  北「その言葉を自分の言葉のように書いて本を出した障害者もいましたな」

 

 千田「そうそう。読者も批判してしまいそうな後半の部分はカットされていた」

 

 坂本「いや私が言いたいのはですねぇ。社会が障害者に門戸を閉ざしては

    いかんという事ですよ。その為にはまず教育の場である学校から

    いや本校からまず積極的に障害者を受け入れるべきだという事です」

 

  北「そりゃね。障害を持つ生徒も一般の生徒と机を並べて勉強できるのに

    越した事はないですよ。ノーマライゼーションとか言うそうですね。

    しかし障害を持つ生徒にはそれなりの設備や人の助けが必要になるわけでしょ。

    ウチの学校にはそういう設備はないしねぇ」

 

 坂本「設備がないなら人が助けてやれば良いんです。長野と一緒に過ごした事で

    3年B組の生徒は確実に障害者に対する理解を深めることができたと

    思っています」

 

  乾「だったら逆に長野の健常者に対する理解は深まったんですか?」

 

 坂本「健常者に対する理解?」

 

  乾「社会に対する理解と言っても構いません。我々は子供の頃に

    親から何と言って育てられました?。

    『自分の事は自分でしなさい』と言われませんでしたか。

    社会は『自分の事は自分でする』という事を前提に成り立っているんです。

    無論それを障害者に求めても無理でしょう。だから養護学校があるんです。

    長野は中学までは養護学校でしたよね。

    養護学校は『自分でできる事は自分でする』でOKの世界です。

    彼が養護学校の高等部ではなく一般の高校を受験する時

    果たして自分の事は自分でできるという意志を持っていたのかという事です」

 

 坂本「しかし我々だって何から何まで自分でできるというわけじゃない」

 

  乾「そう。人に助けてもらう事もある。しかしね。坂本先生。

    我々は“この程度の事なら人に頼んでも良いな”とか

    “これ以上は人に頼めないな”という限度を知っているでしょ。

    そして人に頼めない事は諦めているんですよ」

 

 坂本「また事故が起きるかも知れないというのは

    諦めなければならない理由になるんですか」

 

  乾「そりゃそうでしょう。当たり前じゃないですか。

    入試を控えた大事な時期に人に怪我をさせたというのは重大な事ですよ。

    さっき校長が言われたように井ノ原と坂本のケガが軽く済んだのは

    不幸中の幸いです。これが入院でもして大学入試を棒に振って

    浪人でもしたらどうなります?。入院費用や予備校の学費だけじゃない。

    一生の中で就労年数が1年少なくなる。つまり一年分・数百万円の減収です。

    坂本先生はさっき責任は持つとおっしゃいましたが

    そういう事も含めて責任が取れるんですか」

 

 坂本「・・・」

 

  乾「北先生は理想論と言われたが私に言わせれば坂本先生の考えはきれい事です。

    長野は養護学校という温室で育ってきました。

    たぶん温室の中から外を見て“自分も太陽の下で育ちたい”   

    “自然の風を受けてみたい”と思ったでしょう。

    しかし温室の外じゃ雨も降れば嵐も吹くんです。

    彼が温室の外に出るという事は誰かが彼の替わりに雨風に打たれなければ

    ならなくなるんですよ。坂本先生が教育の理想とおっしゃるなら

    そういう雨の冷たさ・風の強さを教えてやる事こそが

    本当の教育なんじゃないんですか」

 

ずっと後になって知った事だが坂本はその日

長野に自宅学習の措置が決まった事を伝えた。

僕の思惑は外れたわけだ。