Wish 2



                      会場は紳士、淑女といった言葉にふさわしいような
                    正装した人たちで溢れていた。
                      月森はその中であっても、決して劣らず、むしろ人の視線を集めていた。
                      いつもなら不快そうに眉を顰めているはずだが、今日だけはそれに気づかずに
                    浮かない表情で一人壁に背を預けていた。

                    「心此処に在らずだな」

                      見覚えのある革靴が目に入り、俯いていた顔を上げれば、月森の祖父が穏やか
                    な表情で見つめていた。

                    「おじいさん・・・」
                    「そんなに香穂子さんが気になるか・・・・」

                     月森はその質問には無言で返した。
                     だが、真っ直ぐな瞳は何よりも正直に答えを返していた。
                     祖父はそっと口元に笑みを浮かべて溜息をついた。

                    「お前は変わったな・・・」
                    「以前のお前は他者に興味を抱かず、堅苦しい程に真面目だったのに」

                    「申し訳ありません」

                     祖父の言葉を叱りだと思った月森はすまなそうに目を伏せた。

                    「いや、私は怒っているわけではない」

                    「え・・?」

                    「彼女と出会ってお前は随分と歳相応になった」
                    「今のお前には今でしか学べない経験というものがある」
                    「それは必ずお前の糧となり、また、音を豊かにする・・・・」
                    「だが、以前のお前はそれを拒否して心を閉ざしているところがあった」
                    「お前はあの子に出会ったことでそのことに気づいたのだろう?」
                    「ならばそのことに気づかせてくれたあの子には感謝しなければならない」

                    「・・・・はい」

                    「わかっているのなら何をしている?早く彼女の所に行きなさい」
                    「え!?」

                     祖父の言葉に香穂子を思い描いて微笑んでいた月森は驚いて声を上げた。
                     賑やかなその場所でも月森の声は良く響き、「何かしら?」と振り向く人たちの
                    姿があった。
                     月森は慌てて自分の口を片手で塞いだ。
                     だが、祖父はそんなことはお構い無しに話を続ける。

                    「後にも先にも堅物で音楽バカなお前を本気で好きになってくれるのは
                    彼女だけだ」
                    「彼女のご機嫌を損ねたら一生結婚出来ないぞ」

                    「ですが・・・・」

                     ここは巨匠と名だたる音楽家のリサイタル会場。
                     いくら祖父の古くからの知り合いとはいえ、家族で招待されておきながら
                    挨拶もせずに帰るのはあまりにも失礼だろう。
                     そんな月森の考えが伝わったのか、祖父は「大丈夫だ」と微笑んだ。

                    「ヤツもあれで若い頃には色々あってな・・・」
                    「きっとお前の気持ちが痛いほどわかるだろうさ」
                    「怒るどころかむしろ焚き付けるかもしれんぞ?」

                     祖父の視線の先を辿り、後方を振り返れば、老齢の着物姿の女性が
                    同じ招待客であろう人たちに挨拶して廻る姿が見えた。

                    「だから早く行くと良い」
                    「私も孫嫁は可愛くて素直な子が良いからな」
                    
                    「あ・・ありがとうございます!!」

                     踵を返し、背を向けて歩き出した祖父に月森は頭を下げた。
                     祖父は振り返らず、一度だけひらりと手を振った。
  

                 

                   頭で考えていたより実際書いたら長くなってしまったので中編です。
                   これから後編に続きます。