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2015
6  8

◎“芒種(ぼうしゅ)”とは、二十四節気の一つで今年は6月6日でした。稲や麦など芒(のぎ)のある作物の種を撒く時節といいます。もっとも、現在の田植えは早まっていて田の稲はすでに青々と茂り始めていますが、昔の田植え時期はこの頃だったのでしょう。

『環境フェスタで紙芝居公演』
◎i市の環境イベントで恒例になっている「環境フェスタ」が6月6日にありました。駅から数分の位置にある大手スーパーのK広場で午前10時から行われました。参加は13団体と役所の環境課、県生物多様センターでした。それぞれのテントでパネル展示やワークショップ、クイズ、ミニ実験などバラエティーに富んだ催し物が行われました。印西ウエットランドガイドは例年のように「環境紙芝居とまんが紙芝居」の公演を行いました。
   

   

・公演は午前2回、午後2回の全4回で、1回の公演は3作品。構成は、環境紙芝居、アンパンマンシリーズ、昔話か名作ものとなっています。このほか各回の最初に環境省作成の絵図(生物多様性、温暖化防止等)を見てもらい少し説明しました。
 1回の公演は約30分ですが、小さな子どもたちも最後まで熱心に見てくれました。紙芝居を見に来るのは圧倒的に3歳位から小学2年生位までの子どもとそのお母さん、お父さんです。また少数でしたが年配の方も懐かしそうに見て楽しんでいました。普段家庭ではTVやゲームなどの映像が溢れていると思いますが、たまにはこの紙芝居のようなアナログ媒体もいいのでしょうか、20代30代位のお母さんやお父さんたちも子どもと一緒に食い入るように画面を見ていました。その姿に“紙芝居の持つ文化”を再認識した次第です。


・本イベントは、生物多様性・地球温暖化防止・里山保全・ゴミのリサイクルなどを主なテーマにして行政(県、市)やごみリサイクル業者、クリーンセンター、福祉作業所、東京ガス、そして環境保全市民団体が一堂に会するものです。市民が環境に関する意識を様々な視点や角度から高めるよい機会になりますし、団体同士の交流を深める場にもなります。紙芝居の公演がこのような活動に少しでも役立てばいいなと思っています。

   

   

・参考に今回公演した紙芝居の内容を挙げてみます。
①環境:こめつぶマン、さかなたちとのおやくそく
     すてないで、さわがにのかこちゃん
②アンパンマン:アンパンマンとみえないマン、
     アンパンマンまじょのくに、
     アンパンマンとポットちゃん、
     アンパンマンとつみきのしろ
③昔話(名作):ももたろう、かにむかし、
     こぶとりじいさん、おやゆびひめ


環境の日…昭和47年6月5日に国連人間環境会議が開催されたのを機に、国連は6月5日を「世界環境デー」として制定しました。
 日本でも平成5年11月に制定された「環境基本法」において、6月5日を「環境の日」とし、その趣旨を踏まえ、国・地方公共団体等は各種催し物を実施することとしました。
 千葉県でも毎年6月を「千葉県環境月間」と設定しました。


2015
6  21

◎「金魚酒」とは、金魚が泳げるほど水っぽい酒のこと。戦中、物資が統制され酒も配給制になった時に闇で流れた安酒は水で薄められていたものが多かったそうです。戦後の混乱期に出回った工業用アルコール(メチルアルコール)を混ぜた安酒は、失明などの被害が多く出たそうですが、その工業用アルコールを混ぜた密造酒を呑んでインドの都市ムンバイで死者が90人に達したとニュースでやっていました。嗜好品の酒で亡くなるなんて残酷過ぎます。

『あの白スズメが子どもを連れて帰ってきた!』
◎3月にF市在住のSさんから、“自宅の庭に作った小さなエサ台に普通のスズメに混じって全身真っ白なスズメがやってきました。
 小さな可愛らしい珍客に生活の楽しみが増します”というメールが届きました。(2015年3月23日の谷津田だよりで紹介)

“その「白スズメ」が子どもを連れて帰ってきた。”というメールが6月8日に届いたので下記に張り付けさせて頂きます。
・・・Sさんからのメールコピー・・・
「“白スズメ”が子供を連れて帰ってきました。子スズメはアルビノではなく普通のスズメです。口移しにエサを食べさせています。
 いくらか背中側が茶色くなりましたが、スズメに交じって白いのですぐ目につきました。3月の半ばに数度見ただけで諦めていました。よくぞ無事でいてくれたと嬉しくてお知らせします。」

・昨日、webのニュースを見ていたら、この“白スズメ”と思われる鳥に関する記事(千葉日報6月18日配信)が見つかりました。
 タイトルは「全身真っ白のスズメ 男児が散歩中に発見」となっていました。記事は、今年5月F市の田んぼで見つけ、男児の父親が撮影し、千葉日報新聞社に写真を持ち込んだ。A市の博物館に問い合わせた所、眼球の色が赤色ではなく黒色だったことなどから「メラニン色素が抜けるアルビノではなく、突然変異で羽が白くなった『白色個体』と見られる」とのコメントがあったということでした。
・この記事に出ている個体とSさんの庭にやってきた“白スズメ”を比べてみるとほぼ全体が真っ白で、背の右側の一部分にほんの少し本来の茶色が残っていること、同じF市で距離的にも近いことなどから、まず間違いなく同じ個体だと思われます。



 この“白スズメ”は、ニュースに出た時点よりもずっと前にSさんの庭(通称ミニベニシア庭)にやってきていたんですね。そして子どもを見せにまたやって来たのです。母スズメはSさん宅を安心して子育てできる場と感じているのでしょうね。
   

   
    Sさんから3月20日に届いた白スズメの写真

◆アルビノ個体と白変個体について…Sさんから頂いた写真のスズメの目は黒っぽく見えるので突然変異の白変個体なのかもしれませんが、濃赤色の目は黒っぽく見えることがあるようなので送付頂いた写真からだけでは、私には断定はできませんでした。
 いずれにしても白色個体は周囲の景色にとけ込まないため、天敵の被害に遭いやすいといわれます。この“白スズメ”がこれからもSさんの庭にやってくることを願っています。
★6月22日・7月7日はキャンドルナイト(ろうそくの灯りを見ながら電気について考えましょう)
スローガン「ライトダウンする夜は、みんなが地球を想う夜」
 夏至の日と七夕の午後8時から10時の間、キャンドルで過ごしてみませんか


2015
6  30

◎「白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く」昔の都都逸(どどいつ)だそうで、先日の新聞に載っていました。争いの絶えない世ですが世界中の人にこの都都逸を読んでもらいたものです。

『三角穴のスイカ』
◎先日、家内と家内の友人が共同でやっている菜園に久しぶりに顔を出してきました。私の仕事は、畑南側に茂っているセイタカアワダチソウを幅50センチほど刈り取ること、それから隣の畑との境の細い通路の草刈りです。
 アワダチソウの刈取りは、新規購入した造林鎌の威力で30分ほどで完了しました。少し休み、今度は通路の草刈りです。これは長柄の草かきで20分ほどで終了しました。

・折りたたみ椅子に腰かけていると、周囲からヒヨドリの声やヒバリの声が聞こえてきます。遠くから小さいですがホトトギスの独特な鳴き声“トッキョキョカキョク”も聞こえます。
 刈り取ったセイタカアワダチソウを積み上げた辺りからは、“カタカタカタ”か“カチカチカチ”のような耳慣れない虫の声がしきりに聞こえてきました。
何なのか確かめようと近寄ってみると大きなバッタでした。あちらでもこちらでも鳴いています。どうも飛ぶ時に鳴いているようです。それは、なんとトノサマバッタでした。
   

・お隣の畑にはスイカができていました。普通に見られる緑に黒縞模様のスイカだけでなく、玉全体が真っ黒なスイカもありました。どれも直径20~25センチ位でしょうか。


 ふと、そのうちの一つの表面に穴が開いているのを見つけました。
 穴は正三角形に近く一辺が4センチ位でした。穴から黄色い果肉が見えたのでクリームスイカです。
近くに寄って覗き込んでみると果肉は何かでえぐり取られていました。三角穴の下方に引っ掻いたような跡も沢山見られます。
   

 家に帰ってから写真をもとに食べた主を推測したところ、やはり何か動物の仕業に違いないと思いました。
 それが何かを見極めることは難しいですが、厚いスイカの皮を破って中の果肉をしっかり食べているのでカラスかタヌキかハクビシンでしょうか。アライグマの線も捨てきれません。

・家庭菜園では、限られた広さの土地に多種類の野菜を作って楽しんでいる人が多いと思います。せっかく育ったスイカを野生動物に食べられたら本当に残念です。しかし、動物の方に罪があるはずもありません。次の日に行くと、園主は目くじらを立てずに「スイカにネットをかけたんだよ」と話しておりました。

トノサマバッタ…バッタ科のごくふつうに見られる大形の種。大名バッタとも呼ばれる。よく飛び、50メートルくらいは軽く飛ぶ。
鳴くのはオスのみ。体の色は保護色になっており(緑色や褐色など)暮らす場所によって違う。オス35~40mm、メス45~65mm。
(参考:野山の昆虫 山と渓谷社)
2015
7  6

◎今から遡ること70年前(1945年)に千葉空襲があったことをご存知ですか。
 6月10日と7月7日の2回の大規模な空襲で市街地の大部分が焼けてしまったといいます。先日「千葉空襲写真パネル展」を友人と見てきました。(会場:キボール)
 今年は戦後70年という節目の年であり、写真も例年より多かったです。パネル展のガイドビデオを見ていたら、脇に来て一緒に見始めた男性が「実は私も空襲の被災者の一人なんですよ…」と話しかけてきました。千葉市内の星久喜に住む農家の方だそうで、5歳の時に空襲に遭い自宅を焼失してしまったことや防空壕から見た火の海になった自宅周りの光景が今でもトラウマになっていること、今日は千葉市空襲犠牲者の平和記念碑の除幕式に招かれて来たのだということなどを話してくれました。そこで私達も午後に行われる式典に参列させていただくことにしました。

・千葉市郷土資料館(千葉城)のすぐ下に白布に覆われた真新しい記念碑はありました。およそ100人ほどの参列者と多くのマスコミ関係者が集まっていました。K市長や来賓の数人によって除幕された碑は高さ2メートル幅1メートルほどで、上部に「忘れない千葉空襲 一人ひとりの いのちの記録」と記されていました。
   

 実行委員の話によるとこの2回の空襲で約900人が犠牲になり、その内まだ200人以上の名前などが不明だそうです。空襲の犠牲者の遺族が「この碑を通して悲惨な戦争を忘れず平和を守る活動を続けたいという思いが、多くの人の賛同を呼んで碑の完成に至った」と挨拶しました。
 きな臭いやり取りが国の議会で飛び交うこの頃です。こんな時だからこそ、皆で永久の平和を願いたいものです。

『ジャコウの乱舞近し』
◎一日中しとしと雨が降っていました。家近くの公園では早くもハギの花が咲き出しピンク色の小さな花をつけていました。よく見てみると花や葉の上にポツンポツンと水滴が溜まっており、花に溜まった水滴にはピンクの花びらが写り込んでいました。
   
 雨の日ならではの風情もあるのだなあとうれしくなりました。 その後、ツツジの植え込みを見に行きました。ここは今年も春にジャコウアゲハが幼虫の食草である「ウマノスズクサ」に産卵した貴重な場所です。


 6月17日頃に幼虫が次々に蛹になっていくのを確認していたのでそろそろ羽化のはず。とはいえ雨模様での羽化はないだろうと思いながら見ていると…。
 驚いたことに翅をいっぱいに広げた雄が1頭いました。
 黒い翅が瑞々しく輝いていました。
回り込んで裏翅を見ると黒の地に小さな赤い斑紋が並び、引き込まれるほどの美しさでした。
   

      

 ふと目を奥に向けると今度はこれはまさに羽化直後なのか、まだ翅が開いていない個体がいました。
      
 さらに周りを探しました。信じられませんが他に3頭も見つかりました。
 小雨が降っている中で全部で5頭も羽化したことになります。
 しかし羽化するのに雨は問題ないのでしょうか。
かえって鳥などが雨で活動していない間隙を縫って羽化しているとも考えられますが、ジャコウアゲハは毒チョウですからあまり鳥の餌食になることはないと聞いていますがどうなのでしょう。

・これから数日はどうも雨模様。それでも優雅なジャコウアゲハの舞が見られるでしょうか。興味深々です。

 無事に飛び立つことを願ってその場を離れました。

ジャコウアゲハ…アゲハチョウ科大きさ42~60ミリ、日本にすむ黒いアゲハの中では、いちばんゆるやかに飛ぶ。捕まえると、麝香のような香気を出すことからこの名がついた。
(参考「チョウ・ガ」山と渓谷社)


2015
7  14

◎今日7月14日は、「検疫記念日」です。色々な記念日がありますが、この記念日もマイナーですね。
 1879年7月14日、日本初の伝染病予防の法令【海港虎列刺(コレラ)病伝染予防規則】ができた日だそうです。今回は伝染病に関わる話題を取り上げてみました。

『赤の民俗―利根川流域の疱瘡神―』
◎里山を巡っていると路傍や神社仏閣の境内に沢山の石造物があるのに気づきます。庚申塔や子安観音や十九夜塔、二十三夜塔、道祖神や道標、出羽三山詣での碑、それに明治以降の開墾や干拓の碑、はては日清日露の戦争で亡くなった兵隊さんの顕彰碑など様々です.
 それらの石造物の中には、石の祠もあります。祠はせいぜい50センチ位しかありませんので見逃してしまいがちな存在のものです。
 祠に祀ってある神も色々ありますが、どこにでも見られるものに「疱瘡神」と刻字された祠があります。
 この祠は刻字の通り疱瘡神(ほうそうがみ)を祀ったもので疱瘡除けの祠です。
 疱瘡除けの祠の造塔数は、他の祠に比べ群を抜いているようです。それは疱瘡が疫病として特に恐れられていた為であったようです。特に疱瘡は子どもの死亡率が高く子どもを思う親の気持ちが造塔数に現れていると考えられます。

・先日i市の図書館で「赤の民俗 利根川流域の疱瘡神」という本を見つけました。表紙には “かつて疱瘡(天然痘)は、利根川流域の無抵抗に近い人びとを、川を介して容赦なく襲った。人びとは疱瘡の神を石に刻みつけ、これを祀ることによってこの恐ろしい疱瘡から逃げようとした…。” と出ていました。
 現在、地球上から根絶されたこの伝染病が昔は大流行し、多数の死者を出していたことが路傍の石の祠が物語っています。

・本のタイトル“赤の民俗”については、疱瘡神と色の「赤」が何かつながりがあるのではないか。その辺りを著者が探り書いていましたが、つながりの根拠までは探れなかったようです。関連する内容を抜粋してみます。
【その1】 石の祠型の疱瘡神塔には、赤い幣束が納められているものが幾つも確認されている。また、神塔に刻まれた注連縄や幣束が赤く塗られているものがある。これらから疱瘡神と赤は深いかかわりがあり、重要な意味を持つことが分かる。

【その2」 i町やその周辺の地方に女人の行う民族行事に「ホウソウビマチ」というのがある。その祭りの時ゴシン(疱瘡神の御神体)を作って、それに供え物をするが、そのゴシンも藁の円座に赤い幣束を立てたものである。


“疱瘡と赤の民俗は、元来医学的な根拠によったものではなく、呪術的、信仰的要素を主軸にして庶民の暮らしの中に生まれたものであろう。赤い寝具や衣服を用いることによって、皮膚化膿を軽減し、軽くすんだという赤の効果が理屈抜きで、いつとはなしに評価されて、疱瘡と赤の関係を密接不離のものにしていったのではなかろうか”
 と筆者は書いていました。
 皆さんも神社仏閣で赤色に塗られた建造物や石造物などを目にしたら少し調べてみませんか。そういえば、彼岸に欠かせない食べ物“ぼた餅(おはぎ)”の色も赤ですね。これも何か意味があるのでしょうか。

   
   
 i市の宗甫の神社内にある石祠の疱瘡神塔
     (赤と白の幣束の両方あり)の写真


   
   
 紹介した本の写真

疱瘡神(ほうそうがみ)…疱瘡の神。
 これを祈れば疱瘡(天然痘)を免れ、または軽くすむとした。(広辞苑より) 本文に出てくる著書
 「赤の民俗」 著者榎本正三  発行崙書房1989年


2015
7  20

◎先日、所用で千葉市に行った時のことです。モノレールの高架に沿って歩道を歩いていた時、車道の端に鮮やかなブルーの矢印と自転車のイラストが描かれているのに気づきました。
   

 これは6月に施行された改正道路交通法の目玉でもある自転車の安全対策(通行区分違反)の一つで、いわゆる逆走禁止マークでした。
初めて見たので写真に撮ってみました。エコで健康的で手軽に乗れる自転車は庶民の足として定着し、最近は自転車でツーリングを楽しむ人も随分増えているように感じます。
 そんな中一部にルール無視や歩行者を強引に追い抜いたりする輩もいます。しかし、自転車道路の整備も無く法制上だけでの対策ではかえって事故が増えたり混乱を増したりすることも考えられます。車も自転車も歩行者も皆が安心して利用できる道路対策が待たれます。

『乳なし仁王尊』
◎先日i市のU地区にある天台宗日照山観音寺に行ってきました。
 円仁上人によって平安時代に創建されたという寺は、どっしりと落ち着いた雰囲気を醸し出していました。境内の一角には湧水をたたえた池があり、池の中央に弁財天の石像が祀られていました。また左手奥の高台には立派な観音堂が見えました。
   


・池の横には山門がありました。仁王門です。仁王門の左右の部屋には高さ2メートルほどの仁王像が安置されていました。
   

 同行したSさんが以前この像の股くぐりをしたと教えてくれました。仁王像は多くの人々の信仰を集め、悪疫退散、身体壮健の御利益があるそうです。そのため像の開いた股を這ってくぐるのだということです。ここの仁王像は別名「乳なし仁王尊」と呼ばれています。
 「i町名所図会」によると、そのいわれはこうです。“作者は明らかではありませんが運慶系の作と言われています。(中略)運慶は同門の快慶ら一族30人ばかりと、現市川市の浄光寺に3か月ほど滞留しましたが、その間に妻を乳がんで亡くしました。その冥福を祈るとともに、妻への思いを込めて乳首の無い約90センチの祖型を作りました。観音寺の仁王尊はそれをもとにして作られたと言い伝えられています。
 ”門の軒下には立体的な乳房の絵馬が幾つも奉納されていましたが、この言い伝えと関連するものなのでしょうか。一度訪れてみるといいお勧めの寺です。
   

観音寺…天台宗の寺院。
 天長6年から承和4年(829年~837年)の間に円仁上人(のちの慈覚大師)によって手賀沼湖畔に創建された
 なお、観音堂には「弥陀一尊武蔵型板碑」、「鋳銅鰐口」などが所蔵され「乳なし仁王尊」とともに貴重な文化財となっている。

 参考文献「i町名所図会」平成5年3月31日発行

2015
7  27

◎朝4時からセミの声が響いていました。ジージージー…はアブラゼミ、カナカナの声は誰でも知っているヒグラシ、ミーンミーンはミンミンゼミ、7時過ぎには、シャワシャワシャワのクマゼミです。
 いよいよ本格的な夏の到来をセミの鳴き声が告げています。今年は例年よりセミの初鳴きが早いように思います。急に暑くなったせいでしょうか。

『文化財は、まるでお墓のようで・・・』
◎i市にある東京電機大学に建つ風力発電施設の見学を散策会で実施しました。
 大学では一般への公開は現在していないので市民が見学できる機会は、この散策会が唯一になっているようです。
 本年で8回目となる見学を兼ねた散策会は人気で定員の倍もの参加数となりました。
 当日は暑い日でしたが、聳えたつ風車タワーの足元から見上げる青空はとても気持ちが良いものでした。

 ここは研究用に大学が設置した施設で、規模はTV等でよく見る本格的なものからすると小型です(出力40kw)。それでもすぐ近くに行くと風車タワーを見上げるのも大変な位で圧倒されました。研究にずっと携わってきた二人の先生に解説と案内をしていただきました。風車タワー内や発電コントロールルームの中にも入れてもらい、一緒に参加した小学生の子どもたちも興味深げに見学していました。
   
 本大学は平成30年3月で学部が全て千住校舎に移転し、ここは大学の研究施設になるとのことです。ですから、いつまで本見学会が出来るか心配です。発電施設の見学を終え、大学の食堂に移動し昼食としました。久しぶりの学食カレーや定食にみなさん満足げでした。


・午後は、武西集落へ続く道沿いにある市指定史跡の武西の百庚申を見学して駅に戻るコースです。百庚申とは「三尸(さんし)説」に由来する庚申塔を100基建てたものとのことです。たくさん建て、より多くの功徳を得ようとした昔の人々の気持ちの表れと言われています。旧道にそって建っている石造物群を見て江戸期の人々の思いにふれられたらと思い計画しました。ところがそこは、現在公園にするために造成中で、石造物のバックにあった旧道を覆っていた樹林が無くなっていました。造成された土地の中に少し高くなった土手が残っていて、そこに何かが置かれていました。それは、倒され重ねられた庚申塔にシートが被されたものでした。10基程度は倒さずに一基ずつシートを被せロープで固定してありました。
   

   
      現在の工事中の百庚申
 倒してある物は刻字塔(字だけ刻んだもの)で、倒してないものは刻像塔(青面金剛像を彫ったもの)だと思います。刻像塔は立体的なものなので倒して重ねることができないため、そのままにしたのだと思います。
 来年3月には新公園内にこの百庚申が復元されるようです。しかし、塔は復元できても魅力的な旧道の復活は無理と思います。
 昔の信仰は道と結びついていると私はいつも思っています。昔のままの道や樹林を含めた丸ごとの保全を望む私ですが…。無理なのでしょうか?
   
   以前の鬱蒼とした樹林に囲まれた百庚申

     ◆東京電機大学風力発電システム…SUBARU 15/40
   ブレード数 3 枚  ローター直径 15 m  ハブの高さ   21 m
   定格出力 40 kw  定格風速 11 m/sec
   カットイン風速 2 m/sec    カットアウト風速 25 m/sec ‥その他(略)。

 
2015
8 3

◎6月の中頃、知り合いから「家内が上空をコウノトリが飛んでいたと言っているのですがそんなことはありますか」と聞かれたことがありました。きっとアオサギの飛翔を見間違えたのではありませんかと答えておきました。
 しかし、現在同じような問い合わせがあれば、簡単には答えられません。
 それは、7月23日に野田市の江川地区のコウノトリ3羽が野に放されたからです。かなり広いエリアを飛んでいるようですので皆さんも時々上空を気にしておいて下さい。 

『環境講演会「昆虫から診た地球診断」』
◎民放TV「ホンマでっか!」のレギュラー出演で人気の生物学者池田清彦さんの環境講演会に行ってきました。
 会場の成田スカイタウンホールはオープンして1か月ちょっとの出来立てほやほやの建物でした。
 7月29日には成田市御案内人になっている歌舞伎役者市川海老蔵さんによってオープン記念の杮(こけら)落としが行われたばかりだそうです。
 市長の挨拶の後、司会の言葉に応え、舞台の袖から出てきた池田さんは、左手をズボンのポケットに入れ右手でマイクをちょっと斜に構えておしゃべり風に話が始まりました。

・学者というよりコメディアンのような口ぶりで話は続きました。いくつか印象に残ったことを挙げてみます。

・子どもを里山に連れて行って虫取りをさせて下さい。虫取りは、自然にふれることができます。
 また特に大切なことはゲームは答えがあるのですが、虫取りには答えがありません。取れるか取れないかも全く分かりません。このように答えのないことを経験することが大変いいのです。それから虫はいくら捕っても決して減りませんし、環境の変化がよくわかります。
   
   カブトムシ

・石川県立大の上田哲行さんの調査によるとアキアカネがこの20年でおよそ100分の1に減ってしまっているそうです。その原因は田んぼが減ったこともありますが、最近のこのトンボの急減は農薬です。
 田植え前にプリンスという浸透性の農薬が入った液に育苗箱を漬けるだけで、その後農薬を撒かなくて済むそうです。田んぼの中にこの農薬が溶け出しヤゴが死んでしまうとのことでした。
 この農薬は1回だけ処理すればずっと効果が続くそうで減作業につながるのですが、やはり便利なものは危険です。
 ミツバチの帰巣本能を狂わせ世界を震撼させている農薬ネオニコチノイド系農薬をEUでは禁止し、日本では使用OKです。
 それどころか、本年の5月に厚労省はこれらの農薬の残留基準を甘くしました。ホウレンソウは以前の13倍まで認められたのです。
 人間に害が無いと言われていたのですが、環境脳神経科学情報センターの黒田洋一郎さんは、人間の脳の神経にも影響があると言っています。
 こういう農薬の残留性も環境にかなり影響を与えるのです。



・生物多様性について ①種の多様性 ②遺伝的多様性 ③生態系多様性について話されました。
 ①の話の中で今話題になっているブラックバスは、他の種を駆逐してしまうと超悪者として扱われています。
しかし、この種によって絶えた種は全くありません。琵琶湖で在来種が激減したのはアシなどが生えている湖の岸の緩やかな傾斜を垂直護岸に作り直したため、在来のモロコなどは産卵場所を無くし、ブラックバスなどの産卵場所を増やしてしまったことによるのだそうです。よって、単にブラックバスを駆除すれば他の種が復活するということではないということが印象に残りました。
   
             ミヤマカミキリ
 ③については、特に里山が問題になりました。それは、里山を構成している雑木林は、人が手を入れないとシイなどを中心とした常緑広葉樹が茂り鬱蒼とした暗い森になってしまいます。昔は里山の雑木を利用して生活していましたが、現在は必要性がなくなり里山が荒れてしまっています。絶滅危惧種といわれている多くの昆虫は里山に棲んでいます。ですから、里山を維持管理しなければ虫も減ってしまいます。
 しかし、ボランティアと税金だけで里山を良い状態に管理することには限界があります。例えば広葉樹などを一般市民に貸し出してカブトムシをとったり木を切ってキノコを栽培したり…などの利用(ワイズユース)を考えることも一考。
   
        ムネアカセンチコガネ

・講演の最後の方で都市公園の管理の話もありました。最近の公園は綺麗になりすぎている。必要以上に草を刈ったりすると虫にとっては居心地がよくない。個人の家なども1角を雑草だらけにしたり小さな池を用意したりすると良い。朽ち木は虫の宝庫で生態系の中では重要な役割があるので危険な場合は倒すのも良いが片づけずに置いておくだけで色々な生き物が増えるなど。ずっと、早口で隣の人に話しかけるような口調での講演でしたがふと気が付くと1時間半の講演時間がほぼ終わっていました。

◆池田清彦…1947年7月14日生まれ 生物学者。
早稲田大学教授、山梨大学名誉教授 高尾599ミュージアム名誉館長(8/11開館)。
 昆虫採集マニアでもあり昆虫についての著作も多い。著書:「がんばらない生き方」(中経の文庫)「虫捕る子だけが生き残る」(養老孟司・奥本大三郎との共著 小学館)

2015
8 10

◎先日、Yさんからこんなメールが届きました。
“広島の平和記念式典をTVで見ていたら、クマゼミのシャワシャワシャワというけたたましい鳴き声がずっと聞こえていました。”翌日には船橋市のiさんから“初めて自宅の庭でクマゼミの声を聞きました”と‥。
 因みに我が家(i市)の周りでは2009年8月が初認です。図鑑にはクマゼミの生息区域は東京以西となっていますが、やはり温暖化が進んでナガサキアゲハなどと同様にこの種も北上中のようです。

『セミの羽化観察会』
◎観察会の集合場所Fプラザに続く緑道は、まさに蝉しぐれでした。
 両サイドに立ち並ぶ樹木からジージー・・・、ミーンミーン・・・、ツクツクホウシー・・・とうるさいほどです。そろそろ夕暮れなのでヒグラシのカナカナカナの声も期待しましたが、今日は聞こえませんでした。
 i市自然探訪「夏休み自然教室」の“セミの羽化観察会”には、小学生の親子が30人ほど集まりました。多目的室に集合した子ども達はサンプルとして持ち込んだセミ(死んで落ちていたもの)やセミの一生を表わした図を見て目を輝かせていました。
 これから見られるセミの羽化という神秘の世界を想像しているのでしょう。簡単なセミの生態についての学習と観察時の諸注意をし、早速屋外での観察開始です。

・プラザの玄関を出ると、すでに辺りは真っ暗で月もなく街灯や住宅の窓からもれる灯りと懐中電灯が頼りでした。皆どんな所でセミが羽化するのか分からないようで電信柱や木の高い所など色々な所をきょろきょろ探していました。スタッフの一人が「ここにいるよ」と声をあげました。
   

 小さな懐中電灯の光が当たっているツツジの木の枝先には、アブラゼミの幼虫の羽化が始まったばかりの個体がとまっていました。皆の目が一斉にその幼虫に集中しました。5年も6年もずっと地中で過ごし、やっと地上に出てきて大人(成虫)になる瞬間なのです。羽化に失敗する個体もあるのでそれはまさにセミにとっての命がけの行為です。羽化は、まず背中が割れ、体が出て逆さになり、その後体を持ち上げ上向きに直り、翅が伸びてセミの形になります。この間90分位といわれています。
   


 ★ 観察の後半は、じっくり観察です。
 各自1匹の観察するセミを決めて30分間位じっと見入りました。
セミが精一杯力を入れて殻から出てくる時や逆立ちから体をぐっと持ち上げる瞬間など手に汗握るシーンもありました。
 エメラルドグリーンに輝く開き始めた翅は言葉では言い表せない美しさがありました。
 小さな子も大人もずっと生命の神秘の世界に引き込まれているようでした。

・こんな素晴らしい出来事が住宅地脇の緑道で見られたのです。
 子ども達は夜の公園に9時近くまでいられる解放感とセミたちの神秘の世界に触れられた感動でしょうか、観察前の少し不安そうだった目が心なしか落ち着いた優しい目になった気がしました。
 きっと満足してくれたのでしょうか。
 皆さんも公園などでセミの羽化を観察してみませんか。

 昼間鳴いている所を見つけておけばその辺りで夜セミが羽化するはずです。
   

 
  セミ羽化観察会(オリエンテ-ション)

  ※ 写真は、4枚とも i氏撮影

◆アブラゼミ…ふつうに見られるセミで街中に多い。
         出現 : 7~9月
         分布: 北海道、本州、四国、九州。
         翅は茶褐色不透明。
         卵で越冬。



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