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2013
1 21

◎雪国では考えられないと思いますが、わずか5センチか10センチの積雪で都市の交通はあちこちで止まってしまいました。通勤の方は大変だったことと思います。また、降りそうな予報ですが…。

 『雪の中で、たくましく』
◎雪の降った数日後、近くの谷津を歩いてきました。車道の雪はほとんど消えていましたが、カーブや歩道にはまだまだ雪が固まっていました。また、融解した雪でアイスバーンになっている場所があり、歩くのに注意を要しました。
 谷津に下りる前に印西の名所の一つになっている宝珠院観音堂(通称光堂)を訪れました。ここは、「雪の光堂」の名で印西の観光名所になっています。車道から人一人が通れる位の曲がりくねった細道を抜けると境内に出ました。寄棟造りの茅葺屋根に雪が積り、一幅の絵のように感じました。脇に建つ建物(庫裏)には、6、7人の年配の女性たちが翌日に行われる初観音の準備で集まっていました。少し話をしてから観音堂を後にし、谷津に下りて行きました。

・谷津は、まだ一面の雪景色でした。それでも、陽の当たっている水田の雪は解け、枯れ葦や枯草のまわりで餌を求め群れ飛ぶ小鳥たちの姿が見られました。また、上空にはスズメやカワラヒワが群れ飛ぶ姿が見られました。谷津の中心を通る川べりでは、直線的に飛ぶ青色の鳥の姿が見られました。川に近づき双眼鏡で探すとかれた葦に止まるカワセミでした。 このほか川辺には、アオジやハクセキレイ、セグロセキレイ、タヒバリ、ビンズイなどの姿も見られました。鳥達は、雪解けで顔を出した草地や川辺で草の実を啄んだり、そっと隠れている昆虫たちを探し出しているようでした。ふと、少し先の水田脇で盛んに何か啄んでいる黒い鳥がいました。「ごんべが種まきゃ、カラスがほじくる」で知られるカラス科のハシボソガラスでした。遠くてよく見えませんでしたが、夢中で何か探して食べているようでした。鳥達にとって冬を越すことは決して甘いものではないのです。これらの鳥に比べ寒い寒いと家に引っ込んでいる自分が、すこしだらしなく感じました。



※写真下は、雪の光堂とこの時のハシボソガラス
   

   

ハシボソガラス…カラス科の留鳥。平地から低山の村落辺の農耕地などにすむ。
 大きくて細いクチバシ。貝を空の上から落として割ったり、クルミを車にひかせて割り、中身を食べる行動が観察されている。全長50センチ。

2013
1 28

◎日本でトップシェアを続けているタバコ「マイルドセブン」が、35年目で新しいブランド名に変わるそうです。EUの表示規制で「マイルド」とか「ライト」の表示が禁止されたからだそうです。そういえば、私は25年位前に煙草をやめましたが、私のまわりにいる愛煙家は本当に少なくなりました。その少ない愛煙家の一人Hさんは、昨年位からパイプに変えていました。
 パイプをくわえる姿は非喫煙となった私から見てもいい姿で、その香りがまたいいものでした。まあ、それはそうとしても愛煙家の皆さんが表示禁止の趣旨である喫煙のリスクをきちんと認識することは大切なことです。

 『ホシゴイ(星五位)』
◎先日鎌ヶ谷市環境課主催の自然観察会に誘われ出かけてきました。駅から7,8分、マンションと戸建住宅に囲まれた一角が集合地点の湧水ポイント「囃子水公園」です。
 住宅地から一段低くなった場所に湿地と池があり、湧水が実際に見られる場所です。市職員を含め総勢25人程で、樹木の枝や地上で採餌をする野鳥の姿を追ったりハンノキの雄花を観察したりとゆったりとした時間を過ごしました。その後場所を移動し野鳥の姿を探しました。
 普段は入れないN川の中流域にある調整池エリアでは、上空を帆翔するオオタカの成鳥を眺めたり、春をじっと待つ野の花を探したりしました。それからN神社に寄ったりし、市民の森で解散しました。
 今日は18種の野鳥が確認されました。

・解散後N川に沿って歩き午後行われる「金原亭馬治のミニとっこみ寄席」の会場であるH自治会館に向かいました。途中小さな調整池にカモたちが群れていました。カモの他にもコサギやゴイサギが葦原にじっとしていました。ゴイサギは、成鳥と幼鳥の両方の個体が見られました。

・寄席は、金原亭馬治のほか金原亭馬吉の二人、3演目でした。3演目終了後、お楽しみの抽選会がありました。餃子2パック券や生ビール1杯ただ券など近くの商店からのプレゼント券がほとんどでした。その抽選に私も当選しました。景品は商店街にあるカラオケ店の300円割引券でした。いただいた券を今回の寄席の案内を頂きましたEさんにプレゼントして帰路に向かいました。


   ゴイサギの幼鳥と成鳥の写真
   

   

◆ゴイサギ…コウノトリ目サギ科の野鳥、全長57.5センチ。漢字では五位鷺と書く。留鳥として昼間は竹林やよく茂った林などで休み、夜間になると池や沼、河川などで採餌する。魚やカエルなどを食べる。幼鳥は、黒褐色の体に黄白色の斑点があり、ホシゴイと呼ばれる。

☆戸神川防災調整池白鳥情報…1月23日情報 オオハクチョウ11羽飛翔しているのを確認。
 戻ってきた数は、8羽(Uさんの奥様情報)
そろそろ飛び立つ練習か。

2013
2 4

◎今日は立春、暦の上では春となりました。そういえば、今日の散策コース栄福寺谷津のあぜ道は、オオイヌノフグリやホトケノザの花がいっぱい咲いていました。しかし、週間天気予報では明後日は雪。また寒くなるのでしょうか。皆さん風邪には十分お気をつけ下さい。

 『ミツバチって越冬するの?』
◎北総線印旛日本医大駅の南西に広がる里山を歩いてきました。駅から数百メートルも離れると懐かしい農村風景が目に飛び込んできました。左に医大の敷地を見ながら斜面林下の農道に入るとさっそくイノシシの足跡が見られました。夜に冬枯れの田で泥を体に塗っていると思われる場所がいくつもありました。
・ここでは薮の中や枯れ葦、梢などに小鳥たちの姿が垣間見れますし、田の畔に遊ぶツグミの姿もたくさん見られます。正に生き物たちの息吹があちらこちらに感じられる空間でした。
 さらに進むと南北に流れる川にぶつかりました。印旛沼に流れ込む師戸川です。師戸川は、鋼矢板を打ち込んだ垂直護岸の河川です。
ここでは、やはり水辺を好むセキレイ科の鳥の数が増えました(ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、タヒバリ)。
・その後、左岸を進み斜面林内の道に入るとじきに目的地天台宗の古刹栄福寺に到着しました。栄福寺では国重要文化財の薬師堂やカヤノキの巨木、びんずる大師像などをゆっくりと見ました。午後は、道端に見られる石造群、道標、チャンチンの大木、旧本埜村・印旛村の境界杭などを見ながら駅に向かいました。

・途中、道路脇の電柱にあいている穴付近に小さな昆虫が群れているのに気がつきました。近づいてみるとミツバチが出たり入ったりしていました。帰宅してから図鑑で調べてみるとミツバチは群れで越冬すると書かれていました。


 春から秋にかけて蓄えておいた花粉や蜜を食べ、巣の中心部にかたまって互いに暖めあって過ごすということです。
 昼間の暖かさに誘われ一寸外に出てきたのでしょうか。しかし、寒さはまだまだ厳しく春までまだしばらくあります。これらのハチたちが無事春を迎えられるといいですね。

   


◆ニホンミツバチ…ミツバチ科の在来のミツバチ。野外でくらす。性質はおとなしいが、飼育はやや難しい。成虫で越冬する(群れ)。
天敵のスズメバチに襲われると、多数の働きバチが1匹のスズメバチを団子状になって包み込み、それぞれの体温を上げて蒸し殺してしまう。

☆戸神川防災調整池白鳥情報…1月末で11羽確認 内2羽幼鳥。しきりに羽ばたく個体も見られ、そろそろ北帰行の準備か。
2013
2 11

◎ネット空間の犯罪が、猫や防犯カメラという現実空間で足がついたという。しかし、同空間でしっかりと対策を立てないと今後も犯罪が続くことになるのでは?

 『オオタカ、それともノスリ?・・・ノスリでした』
◎利根川と江戸川を結ぶ利根運河が民間の力で完成したのは、明治23(1890)年のことでした。ただ、たくさんの大形和船や蒸気船が盛んに行きかった運河も明治29(1896)年の土浦線(現常磐線)の開通の影響や台風による洪水の被害のため精彩を欠いてしまいました。
 その後、昭和16年の大洪水による被害により運河としての役目を終え、現在は環境河川として市民の憩いの場となっております。

・朝から冷たい風の吹く日でしたが、総勢55名余で冬鳥を探しながらこの利根運河土手を歩いてきました。小鳥たちは強い風のため数は少なかったが、カモなどの水鳥はゆっくりと見ることができました。上空に猛禽の姿を見つけさっそく観察をしました。 最初は1羽、その後2羽となり青空の中を悠然と舞っていました。帆翔するタカの下面は真っ白に見えました。オオタカか、それともノスリか?形はノスリに近く見えるのですが、羽の下面の黒い斑紋が見えません。
少し考えてから「オオタカ」と参加者に伝えました。
 その後も、シメや、アオジ、ツグミ、ジョウビタキ、マヒワなどの鳥達が見られました。また倒木の下にじっと動かずにたたずむキジ、ちょこちょこと歩いては体を斜めにして立ち止まるツグミやコバルトブルーの背中を見せるカワセミなどを堪能し午前中の部を終了しました。

・午後は、運河の脇にある創業130余年の造酒屋・窪田酒造に伺い酒蔵を見せていただいたり、新酒の試飲をさせていただきました。
   

その後、運河水辺公園に戻りまとめをして解散しました。


 なお、午前中見たタカは、最終的にスタッフのMさん撮影の写真により判定した結果、ノスリと同定いたしました。
 ※ オオタカ(誤)⇒ノスリ(正)です。
参加なされた方、訂正をお願い致します。とにかく寒い一日でしたが、野鳥の姿を堪能し、試飲で体が少し温まったせいか参加者の皆さんの顔は満足そうでした。

   
          【シメ】
ノスリ…タカ科の猛禽で全長54センチ。トビより小さく、体は褐色で喉が黒褐色、飛翔中風切り羽の先端は黒く、翼角の黒色斑が良く目立つ。食性は動物食で、昆虫類、節足動物、陸棲の貝類、ミミズ、両生類、爬虫類、鳥類、小型哺乳類等を食べる。

   【撮影: i 氏】

☆戸神川防災調整池白鳥情報…北帰行の準備か、羽ばたいたり飛翔したりと動きが見られる頃。注視していきたい。
 何か変化ありましたらお知らせください。

2013
2 18

◎私の所属する会の定期総会と記念講演が行なわれました。講演の後は恒例のオークションです。会員提供の品物が次から次へとさばけていきました。
 私は蝋燭の“ふくろう”を二つ手に入れました。 一体は普通のフクロウ、もう一体は、真っ白なシロフクロウです。ふくろうは、“不苦労”に通じ、苦労の無いこと、つまり幸せに通じるそうです。2体並べるとちょっとひょうきんで可愛らしい置物です。
もっとも火をつければ普通の蝋燭として使用できます。帰宅すると近くの友人が来ており、これまた、素敵な小鳥のキャンドル立て(ガラス製)をプレゼントしてくれました。本日ふくろう2、小鳥1ゲットです。

   

 『鶸(ひわ)色の鳥』
◎マヒワは平安時代から“ひわ(ひは)”の名で知られてきたと鳥名の由来辞典に載っていました。鶸(ひわ)色(黄緑色)の羽色を持つことから名がついたといいます。また、ひわの語源は「小さくて弱々しい」だそうで、小さく鶸(ひわ)色の鳥ということなのでしょう。

☆戸神川防災調整池の白鳥情報…2月18日現在、オオハクチョウ11羽。昼間はどこかに飛び去るなど数は変動しているようですが、まだ11羽はいます。今年の北帰行はいつごろになるのでしょう。



・先日、千葉市にある青葉の森公園で、マヒワの群れを見ました。
雄は黒い頭に鮮やかな黄緑色の体、雌は地味な黄白色、胸に縦斑の模様でした。秋楡の枝に止まり、しきりと小さな種を啄んでいました。エサが少ない冬のせいか、カメラを向ける私たちを全く意識していないように見えました。その後5分ほど夢中で採餌していましたが、飛び去って行きました。
今年は、このマヒワや、ウソ、ヒガラ、そしてレンジャクなどの小鳥があちこちで見られていますので、皆さんの近くでも見られるかもしれません。近くの公園の樹木や街路樹などを気をつけて見てみましょう。
   

マヒワ…アトリ科マヒワ属、全長12.5センチ、カワラヒワより小さい小鳥。主に冬鳥として渡来する。
 ハンノキやヤシャブシ、ニレなどに好んでやって来る。雄の美しい黄色の姿はバードウォッチャーの人気の小鳥です。

2013
2 24

◎来週3月5日は啓蟄です。啓蟄とは大地が温まり冬眠している虫たちが、穴から出てくる頃だといいます。
今冬は冬鳥だけでなく、iさんやSさんの影響でススキの根元や落葉の下にそっと越冬する虫たちを見ましたが、それらの虫たちが動き出す時季です

『カワウ その1』
◎北総線千葉ニュータウン中央駅南徒歩5分にある戸神川防災調整池はオオハクチョウ飛来地として「たより」でお知らせしている場所です。この調整池が現在カワウの塒及び繁殖場所になっています。 私の記録によると、1999年12月23日に数は不明ですがカワウが記録されています。2000年はカワウの記録はありますが、数の記入はなく、2001年12月9日に29羽とあります。その後一気に数が増えたのが、2003年1月6日の250羽+です。2005年12月3日の記録にはカワウ1000羽+とありました。それが、その後増え続けているようです。その後の経緯についてはいずれ数字を本たよりでお知らせしたいと思います。

・今回は、現在各地漁業被害や生活被害で問題になっていますカワウについて人々とのかかわりにつて記すことにします。
 皆さん“グアノ”をご存知ですか。グアノとは、島のサンゴ礁に海鳥の死骸や糞などが数千年から数万年堆積してできた肥料資源です。これらは化学肥料として高価に輸出入されたといいます。 実は、カワウの糞についても、日本では江戸時代から貴重な肥料として取引がされておりました。
1971年にカワウのコロニーが消失した千葉市の大巌寺(鵜の森といわれていた)でも400年前からのコロニー(集団営巣地)を形成していたとの記録があるといいます。天然記念物に指定され、日本各地からカメラマンが訪れた大巌寺のコロニーも無くなりました。
昔、大巌寺地区の人々は、カワウの止まる木の下に藁を敷き詰め、糞を採取し、肥料として販売していたそうです。また、カワウが魚を沢山のど袋に入れて戻って来る折に手を叩いたりして脅かし、驚いて吐き出す魚を拾い集め夕食の具にしたといいます。また、糞で枯れた枝などを拾い集め薪としたそうです。また、愛知県知多半島の鵜の山では、カワウの糞を販売した収益で小学校を建設したという話題も有名です。
実際に被害を受けている鯉などの養殖にかかわる方のお気持ちやコロニー近くにお住まいの方の臭いや騒音などの生活被害のご苦労は分かります。


しかし、農業にとって、漁業にとって被害や生活被害があるから害獣害鳥だという論は、被害に遭われている方には申し訳ありませんが、絶対的なものではないのではありませんか。生物界のトップとして存在している人間としてこれらと共存する手はあるのではないでしょうか。

   
    カワウのヒナの写真

◆リサイクル者としてのカワウ…カワウなど水鳥は、生物による海洋生態系から陸生生態系への物質輸送を仲介する役割を持つ。リンは地球生命のすべてにとって不可欠な元素の一つ。
 リンは高地から低地に、そして川から海に流失する。これを再度陸に戻し、森の再生、動植物が利用できるようにする役目を持っているのがカワウなど水鳥です。

・≪仕組み≫
 川や海:窒素・リン等(移動のメカニズム)→植物プラントン→動物プランクトン→カタクチイワシなど→カツオドリやウ等の水鳥(ここまでは海洋生態系)→様々な海鳥やウ等の糞→植物(草本や樹木、作物)→人や動物(ここまで陸圏生態系)→川や海

★戸神川防災調整池白鳥情報…現在オオハクチョウ15羽(Uさん情報)、今季最高数。そろそろ、日中池周りを飛んでいる姿をよく見ますので、北帰行が、近いと思われます。
2013
2 28

◎”たより”の番外として戸神川防災調整池の白鳥の動静についてお知らせします。

 『白鳥の動向』
◎戸神川防災調整池の白鳥の数が増しています。14羽、15羽、ついに本日は19羽と連絡がありました。
そろそろ北へ帰る日が近く結集しているのではないか。と考えます。
 現地の近くの方、白鳥の動向に気をつけて下さい。

 いつも池の白鳥を見守っていただいているUさんの最新の写真を貼ります。

   


参考までに、戸神調整池のオオハクチョウ初飛来から現在までの飛来日と北帰行日を記しておきます。
初飛来(2005年度冬季) 
 飛来日 2005年11月23日  北帰行日 2006年2月26日
 (最大数オオハクチョウ1、コハクチョウ1)
・2年目(2006年度冬季) 
 飛来日 2006年11月25日  北帰行日 2007年3月 6日
 (最大数オオハクチョウ2)
・3年目(2007年度冬季)  
 飛来日 2007年12月13日  北帰行日 2008年2月26日
 (最大数オオハクチョウ2、コハクチョウ1)
・4年目(2008年度冬季)  
 飛来日 2008年11月16日  北帰行日 2009年3月 5日
(最大数オオハクチョウ6羽)
・5年目(2009年度冬季)  
 飛来日 2009年11月5日   北帰行日 2010年3月13日 
(最大数オオハクチョウ3羽)
・6年目(2010年度冬季) 
 飛来日 2010年11月15日  北帰行日 2011年3月 6日
(最大数オオハクチョウ6羽、コハクチョウ1羽)
・7年目(2011年度冬季) 
 飛来日 2011年11月23日  北帰行日 2012年3月 6日 
(最大数オオハクチョウ11羽)
・8年目(2012年度冬季) 
 飛来日 2012年10月22日  北帰行日
(2013年3月8日)
(2013年2月28日現在、オオハクチョウ19羽)


2013
3  4

◎3月5日は啓蟄です。「啓蟄や蚯蚓(みみず)の紅の透きとほる」(山口青邨)の句にも出ているように、土中で冬籠りしている虫や小動物たちが春の到来を感じ、地上へ這い出してくる時期だそうです。
 先日ウエットランドガイドスタッフが冬枯れのススキの根元から越冬中のカメムシを何種も見つけました。虫たちはこんな所で厳しい冬を過ごしていたんですね。そろそろ色々な虫たちが活動を始めるのではないかと思います。

 『赤報隊と草莽(そうもう)の志士渋谷総司』
◎以前から鎌ヶ谷市佐津間出身という赤報隊隊士渋谷総司の名前はしっておりましたが、詳細についてはほとんど知りませんでした。
 鎌ヶ谷市郷土資料館主催の赤報隊渋谷総司をテーマにした講演があると聞き出かけてきました。
明治維新新史学会会員の西澤朱実氏を講師に迎え、およそ100名ほどの参加者は皆メモをとったりし、熱心に講師の話に聞き入っておりました。
 1時間半余りの時間も瞬く間に過ぎ、講演が終了しました。

・維新で活躍した諸隊の中で最も悲劇的結末を迎えた赤報隊、そして同幹部として活躍した渋谷総司の歴史上に果たした役割についての話でした。
 詳細については省きますが、偽官軍とされ、斬首梟首となった渋谷総司など赤報隊の行動について洗い出し、偽官軍とされた事由などを探った講演でした。
 斬首後、隊長相楽総三及び渋谷総司の子孫により名誉回復運動が行なわれ、復権し従五位が贈られたのは、昭和3年11月のことでした。斬首されてから60年以上たってからのことでその間、渋谷家の方々の苦汁は想像を絶するものだったと推察します。

・講演終了後、会場近くにある渋谷家の生家と渋谷総司の碑のある宝泉院に寄ってきました。
 総司の墓誌には、戊辰年二月命廿三歳ニシテ戦死スと出ておりました。
 なお、渋谷家の墓石には、家紋「丸に桜」紋が彫られていました。
 桜の家紋は「花は桜木、人は武士」といわれております。


 桜の一陣の風に清く散る風情は、まさに草莽の志士であった総司の生き様、想いが出ている家紋のように感じたのは私だけだったのでしょうか。

   

   

赤報隊…幕末に結成された草莽隊で、王政復古により官軍になった長州藩、薩摩藩を中心とする新政府の東山道鎮撫総督指揮下の一部隊。戦後の極右組織の幾つかに幕末の赤報隊の名にあやかりこの名を名乗る団体が存在した。
 1981年1月24日に朝日新聞阪神支局を襲撃した団体もこの名を名乗ったが、全くの別物であるようだ。


2013
3  10

◎東日本大震災そして原発事故から2年が経ちますが、まだまだ復興の見通しがついていません。政権が最優先するものが何なのか疑問になるこの頃です。
3/9と3/10には、印西市中央駅前交流館で行われたセンター祭りで紙芝居を公演しました。2日間で8公演、紙芝居の数は延べ32作でした。見てくれた人数はおよそ240名でした。

 『千葉県長生郡で田舎暮らしを謳歌しているIさんからのメール』
◎いつもたよりを読んで頂いているIさんからメールをいただきました。Iさんにお断りをして張り付けますのでお読みください。
・Iさんのメール
 2/5長南町でヤマアカガエルの産卵を確認しました。
啓蟄よりずっと前に産卵してもう一度冬眠するカエルガいるなんて知りませんでした。道路にたくさん出てきて朝行ってみたら卵がどっさり有りました。
 家の田んぼにも5つぐらい塊が有ります。トウキョウサンショウウオの卵はクレソンの生えているところに2個だけ昨日発見。その場所はマークしていなかったのでいつ頃産んだのか分かりません。
・詳しく話せば、私はカエルが鳴いているとは思いませんでした。 ガン・カモ類と思いました。
 「雁(かり)が渡る、鳴いて渡る、なくは嘆きが喜びか。月のさやかな秋の夜に渡る雁おもしろや」という歌を小学校で習いました。
 竿になり、鍵になりという文句もあり、鳥目でも月夜にはガンが飛ぶ絵を思い浮かべていたのですが? でも、道路にカエルがたくさん出ていたので、ライトで見てみると目の後ろに黒いところがあるカエルでした。
 朝、写真を撮ろうと思って水田に行くとカエルはいなくて卵がいっぱいありました。車にひかれていたカエルは烏のエサになってしまったようで見当たりませんでした。
 さて、ヤマアカガエルかニホンアカガエルか迷いましたが、声がきこえる「カエル」図鑑でヤマアカガエルと判定できました。
 それから12月~2月の早い時期に産卵し、もう一度冬眠するアカガエルの生態を知り、なるほどと思ったことがありました。



・毎年、トウキョウサンショウウオが早々と卵を産むのです。雨水のたまり水などにも産卵するので、救出活動をしているのです。我が家の田んぼでは三日月型の卵が6個~8個ぐらい見つけられています。
 アカガエルより早い時季に産卵するのかと推測し、今年は2/6から田んぼを見回っていたのですが一つも見つけられませんでした。しかし、2/24思いがけなくクレソンが生えている溝で2個見つけたのです。
 田んぼは曇りガラスのような氷が張っていましたが、クレソンの溝は凍っていませんでした。ヤマアカガエルの卵もちょっと水の多い所でで大丈夫でした。
      ~ 以上のようなメールを頂きました。

   
  写真は、Iさんのメールに添付されていた
  トウキョウサンショウウオの卵塊

◆トウキョウサンショウウオ…サンショウウオ科、関東地方と福島県に棲む日本固有種。低い丘陵地帯にすみ、水田などに産卵する。単独で生活し、夜行性。大きさ8~13センチ

☆戸神川防災調整池白鳥情報…北帰行日 3月8日(金)。 7日、昼過ぎ オオハクチョウ2羽(内幼鳥1羽)、8日以降 0羽。よって今期の北帰行日を3月8日(金)とします。見守っていただいたUさん、Sさんをはじめとする方々ありがとうございました。今季の白鳥情報を終了いたします。

2013
3  11

◎未曾有の災害・東日本大震災そして福島第一原発事故から早くも2年が過ぎました。
朝からTVのどのチャンネルも震災関連の番組を放映しています。私も災害当日のメモをもとに振り返ってみました。

  「印西谷津田だより 番外編」2013/3/11
 『震災の当日、空に真っ黒い異様な雲が…』
◎東日本大震災(2011年3月11日)の翌日の朝日新聞の「天声人語」に「テレビ画面を正視することができなかった。
 がれきと海水の混じりあった津波が、濁流のように家を、畑を、道路を呑みこんでいく」の書き出しで、災害の様子が書かれていました。
 ただ、紙面のトップに出ていた被害者数は死者60人、行方不明56人、負傷者241人となっていました。本日(2013年3月11日)の新聞には、死者1万5881人、行方不明2668人と載っていました。災害翌日の新聞ではまだ被害の全容を報道する資料が間に合わなかったのでしょう。
 復興という言葉は沢山あっても実際にはままならず、前政権も原発事故の収束を宣言し、現政権は再稼働を声高に言っている。震災当日の天声人語の中ほどに谷川俊太郎の詩が載せてあった。
 ≪そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないその後がある≫
 「絶望を生き抜く者への励ましが胸に迫る」と筆者の文が添えられていました。現在は勿論、これからもずっと続く被災者の悲しみに精一杯思いやっていくことこそ人としての責務だと思いました。

・2011年3月11日(手帳)のメモより抜粋(文の省略や付け足しなど一部あり)
 印西市の自宅でエコキャラクター「もったいないぞう」の目玉を描いている時であった。TV画面に緊急地震速報が出た。このところ速報が頻繁に出ているので、またかの感があった。急に激しい揺れがきて、一旦揺れが治まりかけほっとしたその時、今だ経験したことのない激しい揺れが襲った。コンクリート10階建てが軋む「ギー、ギ―」という音がしていた(この音は今でも耳に残っている)。室内からはガラスなどが激しく割れる音が聞こえてきた。
 とりあえず揺れが治まって玄関から室内に入ると台所とリビングの床は、食器の欠片でいっぱい。テレビが落ち、本棚の本も落下していた。玄関にあった大形の石膏像(カエサル)は落下し見事に砕け散っていた。  (途中略)


 団地の周辺で救急車のけたたましい音が鳴っていたので、片付けは後にし、余震の続く中であったが団地内を回ることにした。特に高層階の部屋の被害が多いようだ。回ってみるとピアノの転倒、大型の水槽の水漏れ、書棚の転倒など色々あったが、指を切ったというような小さな怪我はあったようだが、命に関わる大怪我や事故はなくほっとした。

 団地を回っている時、空が急に暗くなった。ふと空を見上げると真っ黒い不気味な雲が空一面を覆っていた。その時間は数分から数十分だったように思った(これは地震によるものなのでしょうか。よくわかりません)。その後、団地脇の小学校に設置された避難所との行き来で慌しい一日が終了した。  (後略)。

・皆さんもそれぞれの場所でそれぞれの立場でこの日を乗り切ったことと思います。
 ご存知の通りこの翌日から原発事故のニュースが連日24時間報道され、国民すべてが不安な日々を送るようになったのです。震災から2年を経過し、「絆」の文字も薄れがちになったこの頃ですが、誰もが心にきちんと留めておかなければならないことだと思います。震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り致します。合掌! 

  (写真下) 震災当日、近隣の小学校の子供たちが教師に引率され、集団で下校している様子
   

◆東日本大震災…2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模な地震災害である。
 (ウキペディアフリー百科事典)


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