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2011
8. 2

◎スーパーの果物売り場には、桃の隣に梨が並べられていました。早生の梨「幸水」でした。
 幸水が出始めるとそろそろお盆(旧)です。暑さはこれからいよいよ本番となりそうです。電力不足も心配、そして熱中症も心配です。

 『自然の造形美』
◎先日時間が空いたので急遽、船橋街並みウオッチングの下見に行ってきました。 おおよそのコースが終了し、まだ時間がありましたので船橋の魚市場に足をのばしてみました。市場の店舗は午後1時までで、どこもシャッターが下りていました。
 海に向かって歩いていましたら漁船がたくさん泊まっている船溜まりに出ました。漁の時間ではないので、港は閑散と静まり返っていました。
 時折、ハゼをつる男性たちの姿を見るくらいです。漁港に沿って歩いていくと小学生の男子3人組に会いました。網とバケツを下げていました。笑顔で見せてくれたバケツの中には、10センチほどのハゼが7、8匹入っていました。
 ふと気が付くと一人の男の子の髪の毛から滴がぽとぽと垂れていました。聞いてみると誤って海に落ちてしまったとのことです。
 それでもあっけらかんとしておりました。漁港の近くの小学校の子供のようでした。
 結構まだ、たくましい子がいるのですね。

・船着き場には、漁船が係留されていました。
 また熊手のお化けのようなものが置かれていました。これは鋤簾(じょれん)と言って船の上でアサリなどの2枚貝を採る道具です。
 鋤簾のほかに大きな赤いブイが5台ほど寝かせてありました。
近づいてみましたら、赤く塗ってあるブイの表面に白いレースのような模様がいくつもついていました。どれも丸く、一つずつがみなそれぞれ微妙に異なる柄でした。
 造形作品のステンシル(型押し)を連想しました。自然の為せる造形美です。その正体はブイの表面にくっついていたので、すぐに分かりました。
 その正体はある生物でした。さて、なんでしょう?


   
    フジツボの模様の写真

   
    残っていたフジツボとムール貝(黒い貝)

◆その謎の生物は、・・・です。
 少しもったいぶりすぎでした。甲殻類の仲間であるフジツボがその正体です。ブイにフジツボが付いたまま引き上げられ、乾いて取れた跡がきれいに模様になったのかと推測しましたが、本当の所は分かりません。
 船橋の海にも何種類かのフジツボが見られますが、当フジツボの種類までは分かりませんでした。どなたはお分かりの方教えてください。

2011
8. 8

◎毎年、北上中といわれているクマゼミの初鳴きを記録しています。昨年は7月28日、今年は31日でした。
 数年前は大体広島の平和式典の前後位ですから少し早いのでしょうか。
 ただ、他のセミの話となると別で、今年はずいぶん遅い感じがしています。特に先週あたりは涼しい日が続いていたせいかセミの声もまばらだったように感じました。

・今日、夕方からセミの羽化観察会をしました。
 子供6人、大人11人、全部で17人で観察会をしました。前半は公園まわりの歩道を歩き、立木を探せず歩道や車道に迷い出てしまったセミの幼虫の救出です。

 後半は、もっぱらセミの羽化をじっと観察しました。
 羽化する時の神秘さ、色彩の美しさは、子供だけでなく大人たちも目が釘付けされてしまうほどでした。
 幼虫の背が割れやっと抜け出し始めたもの、すでに抜け出して羽を開き始めたものなど、いろいろな羽化の段階が見られ、皆夢中でした。
 約1時間ほど救出と観察を行い、子供たちに感想などを聞いて終了しました。今日は蚊もほとんどおらずいい観察会となったようです。
 皆さんもお近くの公園や空き地に行ってみませんか。きっとセミたちの羽化が見られます。懐中電灯必須です。
 また、注意点として必ず複数でお出かけください。もちろん子供は大人と一緒に行ってください。

・先日玄関ドアを開けたら変わったバッタがいました。
 窓下の通路の角にちょこんととまっていた個体は、大きさが3センチ弱、色がまだらで褐色と赤と黄緑でした。
 写真を撮って調べてみると形などの特徴はヒナバッタのようでした。とするとヒナバッタの変わり種でしょうか。
 どうもはっきり分かりません。
      どなたかお分かりの方ご連絡ください。



   
   セミの羽化

   
   変わったバッタの写真

ヒナバッタ…バッタ科雄19~23ミリ、雌25~30ミリ。前胸背のくの字状の細線は、よりはっきりしている。日当たりのよい草原に生息。

2011
8. 14

◎私の住むi市内で熱中症で男性死亡という恐ろしいニュースが先日流れていました。このところの散策会の目標は、熱中症にならずに無事終了できることとなってしまいました。
 ほんとに暑いですね。今日の話題は少しでも涼しさを得る方法を挙げてみます。お体ご自愛ください。

 『遮光、目隠し、エコ、その上食べられる』
◎猛暑日とは日最高気温が35度C以上の日。気象庁が天気予報や気象情報などで使うようになった予報用語のひとつだそうです。連日この猛暑日が続いています。家を出ても中にいても暑さでくたくた、そんな方は私以外にもたくさんいらっしゃるのではありませんか。
 また、そのような折でも節電の対応からエアコンの温度を上げたり、照明を切ったりと色々と工夫していると思います。私の家ではエアコンはもう何年もスイッチを入れておりませんので、もっぱら扇風機と屋外からの自然の風が頼りです。

・今夏、はやり言葉にもなりました「緑のカーテン」とは、植物を建築物の外側に生育させ、建築物の温度上昇抑制を図る省エネルギー手法の一つといわれています。我が家でも家内がいつも行っているベランダ野菜作りの他に今年は緑のカーテンとしてゴーヤを栽培しました。苗を植えた時期が遅れてしまったため今頃やっと紙巻タバコほどの実が一つ二つ見られるくらいで、また葉も隙間だらけでカーテンとまではいきません。それでも部屋の中から見ると緑の葉越しに景色が見え、涼しげな感じはします。遮光断熱、目隠し、それから気化熱による温度の抑制が狙えるとのことです。実際の効果は調べておりませんが、見た目の清涼感には確かな効果がありそうです。家ではネットの下部にミニトマト、中段から上部にゴーヤを絡ませておりますが、アサガオでもキュウリでもヘチマでもなんでもよいのです。

・また、i市では毎日曜日の正午に市防災無線で「打ち水作戦」の協力を流しています。打ち水は冷房のない江戸時代の庶民の知恵だそうです。先日TVでその効果を報道していましたが一斉に行うとかなりの効果を認めたということでした。私のところは団地ですのでドア前の通路に少しだけ家内が水撒きをしていました。節電で猛暑の夏をなんらかの工夫で乗り切らなければなりません。いい知恵がありましたら連絡をください。



   

緑のカーテン…歴史的には、遮光・目隠しの効果を有するものが古くから用いられてきた。
 夏の風物詩でもあるすだれやよしず、店舗や家庭で使われる暖簾といったものがあります。

 最近はつる性の植物をネットなどに這わせるいわゆる緑のカーテンが人気です。日を遮ってくれるだけでなく実を食べることのできるものが良いようでゴーヤなどが主流となっています。
 なお、緑のカーテン栽培の注意事項もありますので栽培する場合には、インターネット等で調べてから行うといいと思います。i市ではグリーンカーテンコンテストも行われます。
2011
8. 22

◎この数日寒いくらいの日が続いています。週末二日間、地域の夏祭りで手がいっぱいでしたが天候もなんとかもって無事に終了しました。

 『どっちが本物かなあ』
◎8月の散策会「船橋街並みウォッチング」で太宰治の居住していた場所を訪れました。そこには当時の建物も手植えしたキョウチクトウも今はありません。
 太宰は昭和10年7月から1年3か月の間、船橋市の宮本町に住んでいました。この船橋時代に太宰の初本となった小説「晩年」が出版されました。太宰はその「晩年」の中に石の狛犬の前に立つ自分の写真を入れようと熱心だったと壇一雄の小説に出ていました。しかし、どうもこれは狛犬ではなく石のキツネだったようです。

・先日、そのキツネ像の前に立つ太宰の写真と構図もそっくりで着流し姿、ステッキを持つ太宰の写真がA新聞に出ていました。新聞によると写真のキツネは居住地近くの御蔵神社か稲荷神社の像ではないかと載っていました。御蔵神社のものは現在なくなっていますが稲荷神社のものは残っています。新聞の写真を見る限りどうもどちらも少し違っているようです。そこで、より似ている方の稲荷神社に行って角度を合わせて写真を撮り、比較してみましたところ、やはり違う気がしました。WGスタッフのSさんの話では太宰が足しげく通っていたというK薬局の裏庭にも小さな稲荷神社がありそこにもキツネ像があったということで、もしかしたら、こちらの像だったかもしれないという事でした。もっともこちらも現在なくなっていて、調べようがありません。
 たった一枚の写真でも話題になる太宰治とはどんな作家だったのでしょうか。興味がわいてきます。


・10月16日実施予定の散策会で、i市在住の中井浩之氏による一人語り芝居、太宰の「走れメロス」を船橋県民森内で鑑賞します。ぜひ太宰に関心のある方参加してみませんか。

   
   ※写真は、着流し姿の太宰の新聞記事と
     稲荷神社のキツネ像

太宰治…明治42年(1909)、青森県金木村生まれ。
 本名、津島修治。東大仏文科在学中に非合法運動に従事し、やがて本格的な執筆活動に入る。昭和10年、「逆行」で第1回芥川賞の次席になり、翌年には処女作品集『晩年』を刊行。以後「走れメロス」「斜陽」など多くの佳作を執筆。「人間失格」を発表した昭和23年、玉川上水に入水し、没。(角川文庫クラシックス 走れメロス 裏カバー参照)
2011
8. 30

◎「泥臭く汗をかいて… どじょうの政治」をうたい文句にした新首相が誕生した。千葉県出身初の首相です。が、泥臭さが土着型保守型の政治にならぬように望みたいと思っています…。

 『古刹徳願寺』
◎東西線妙典駅から江戸川河口へ出て、引き潮で現れていた泥干潟を散策しました。小さな泥団子を無数に作っていた小さなカニ・コメツキガニやチゴガニの姿、泥の上をぴょんぴょんはねているムツゴロウ似の魚トビハゼ、泥の中には無数のゴカイがいました。何か所か水面の上部に現れたカキ床には、タイドプール(潮溜まり)ができていて、小さなハゼの仲間の稚魚やイソガニ、巻貝の稚貝等が見られました。支流から流れ込む澪筋には15センチくらいのボラの稚魚が群れていました。このほかにもオキシジミやアサリ、ソトオリガイ、シオフキガイなども見られました。また変わったところでは、ウネナシトマヤガイ、ホトトギスガイ、カワアイガイなども見られました。ただ、三番瀬干潟と違って泥干潟のため足が潜って歩きづらく大変でした。脇にはハゼ釣りの太公望がずらっと並んでいましたが、小さなスコップを持ちながら下向きでこつこつやるのも楽しいものです。
 飛び入りした家族(お父さんとお母さんと小4の女の子)の皆さんは泥んこをものともせず、観察していました。終了後のお父さんの一言が印象的でした。それは「うちの子はデズニーランドよりも干潟などの方が楽しいといっています」の言葉でした。それを受け誰かが「それは、お金がかからなくていいですね」。これには皆大笑いでした。一度お出かけしませんか。

・終了後、せっかく行徳に来ているので、以前から訪問してみたかった古刹徳願寺に行ってきました。徳川家と由緒深いこの寺の本尊阿弥陀如来像は、今大河ドラマで有名になってる江姫(崇源院)逝去後に当寺院に本尊として安置されたとそうです。本寺の山門及び仁王像は、安永4年(1775)建立されたもので見ごたえがありました。
 また、境内には私が当寺を訪れたいと思ったきっかけになった宮本武蔵の供養塔がありました。本寺には、武蔵の落款のある書と八方にらみの達磨の絵が伝えられています。これらは11月16日に行われる十夜会(午後3時)の際に公開されるといいます。
・突然訪れた私たちを快く迎えてくれ、かつ丁寧に案内と解説をしていただきましたご住職の奥さんに感謝しつつ当寺を後にしました。
・その後、もう一つついでに江戸期の行徳のにぎやかさを彷彿させてくれる常夜灯(旧江戸川土手に立つ)を見てから、駅に向かいました。



   
    江戸川河口干潟で見られた貝


   
    徳願寺にある武蔵の供養塔(地蔵尊)

浄土宗海厳山徳願寺…もともとは普光院と呼ぶ草庵で、浄土宗勝願寺の末寺であった。
 慶長15年家康の帰依により、新たに堂宇が建立された。明治4年印旛県庁が置かれ、更に明治6年行徳小学校が、本寺を仮校舎として誕生した。
 武蔵の絵の他にも丸山応挙の幽霊の絵が蔵されているが、これもお十夜の日に一般公開される。


2011
9. 7
 

◎私の住む団地の前の公園では今日もショベルカーが動いています。1アールの正方形に仕切った中の表土除去作業のようでした。脇に棒に取り付けた線量計の数字を見ている作業員もいましたので、放射能除去の実証実験の一環のようでした。

 『巨樹・巨木・珍木』
◎「巨樹巨木は、間違いなく私たちよりずっと早く この世に生まれ、私たちよりずっと先の時代まで生き延びていくでしょう。(環境省生物多様性センタ― 巨樹巨木林の基本的計測マニュアルより1部抜粋)
・私の住む下総台地にも巨樹巨木は数多くあります。先日10月の散策会の下見に訪れた松虫寺の境内および近辺にも巨木がいくつもありました。その大きさと枝ぶりには、いつもびっくりするとともに畏敬の念すら感じました。特に次の3本の樹木は、訪れる人に自然の偉大さ、松虫地区の歴史と文化をも感じされる樹木と思います。

その1 松虫寺(創建は奈良時代)山門前のスダジイ…印西地区最大の巨木とされているその幹には人がくぐれるほどの洞があります。幹回り8.60m、樹高12m、樹齢およそ600年。

その2 松虫寺角のスダジイ…松虫寺から駅に向かって数分歩くと大きな長屋門があり、その先に大蛇のような太いフジヅルが絡んだスダジイがあります。根元には石の祠も見えます。幹回り6.56m、樹高11.4m。


その3 松虫寺境内にあるイチョウ…幹回りが3m未満のため、巨木の定義には満たないが、気になる樹木です。この銀杏は松虫姫の杖から芽吹いたとの伝説のある印西の珍木の一つ。幹回り2.80m。
 ※上記樹木の幹回りと樹高の数値は、印西市民アカデミー12期生「巨木グループ」の冊子を参考にさせていただきました。

・この3本の樹木の他にも杉自塚(松虫姫の乳母杉自の墓)に立つ巨木、民家の庭に聳える巨木と圧倒される雰囲気を持つ樹木がそこかしこに見られました。これも聖武天皇の第三皇女松虫姫所縁の寺社林のお蔭かと思います。
 ※松虫寺関連は、50ページ、51ページもご参照ください。

 木を切るのは一瞬ですが、育つのは気の遠くなる年月がかかります。
 そういえば、前に印西で自主上映をしたアニメ映画「木を植えた男」がまた見直されています。これも今年2011年が国連が決めた国際森林年だからでしょうか。いずれにしても樹木を大切にしたいものです。

国際森林年…2006年国連総会決議で定められたものです。森林年の目的は、森林を未来に残すために「森林の保護」や「森林資源の利用」「森林開発」など、人々にとって森林の関わり方について、世界の人人々に認識を高めてもらうということです。(森林林業学習館のHPより)

     
 (その1)山門前のスダジイ         (その2)松虫寺角のスダジイ               (その3) 松虫寺境内のイチョウ
 
2011
9. 11

◎9月9日の午前中、自宅から真北にあたる建物の上空に楕円形の大きな雲が見られました。巨大なUHOのような形で、ちょっと昔見た映画「インディペンデンスデイ」を彷彿する感じがしました(少し大げさですね)。写真を撮って調べてみましたら、レンズ雲と呼
ばれる雲種の一つらしいです。富士山などの山頂にできる傘雲や、笠雲もこのレンズ雲も一つらしいです。
   

◎9月11日は東北大震災3.11からちょうど6か月、そして世界貿易センタービル崩壊の9・11から10年が経ちました。どんなに悲惨で悲しい出来事も時が経つと思いが薄れがちになるものです。しかし、忘れられない人たちは沢山たくさんいるのです。まして、3.11の被災者の皆さんにとって未来が見えてこない現実の中で本当につらい思いをなさっているのではないでしょうか。
 皆様方に協力していただいております被災地向けの支援ですが、今後も細く長く行いたい思っています。今現在は宮城県の被災地に野菜や果物を時々送る支援をしています。

・先日印西市和泉にある鳥見神社に行ってきました。暑い中、徒歩でやっと到着した神社でしたが、石の鳥居をみてびっくりしてしまいました。震災により鳥居が損傷していたのです。さらに脇にあるもう一つの鳥居も同じでした。どちらも支柱とロープ(消防のホースか?)で補強してあり、地震の怖さを改めて思い知らされました。この神社では、秋分の日に伝統芸能「いなざきの獅子舞」が行われる予定ですが、大丈夫なのかなあ。そんな感想をもって神社を後にしました。
 なお、「いなざきの獅子舞」は、9月23日の散策会の折に見学を予定しています。



  

        


いなざきの獅子舞…秋祭り(毎年9月23日)には、江戸時代より獅子舞が奉納されています。
 いなざきとは、稲の収穫を前にしてという意味があるそうで、秋の豊作を感謝する気持ちを表現しているものだそうです。

 ここの獅子舞の特徴は、道化(河童の姿)が登場することです。14時から16時くらいまで。詳細は印西市教育委員会に問い合わせするとよい。

2011
9. 20
 

◎3・11震災の影響で行徳自然保護区の干潟が消えてしまい、希少種のカニ等がいなくなったと新聞に出ていました。震災は人間のみでなく多くの生きものの生態系を壊しているのです。原発は勿論のことです。

 『盤洲干潟の生き物たち』
◎先日東京湾に残る唯一の自然干潟・盤洲(ばんづ)干潟に行ってきました。
 内房線巖根駅からタクシーに分乗し、人の背をはるかに超える葦原の中を数十分歩き砂浜に到着しました。
潮目があまり良い日ではなかったのですが、それでも見渡す限り潮が引いており、波の造形「波紋」の美しい景色が広がっておりました。

・砂浜のそこかしこに小さな穴がたくさん見られました。小さなカニ達の巣穴です。また、爪楊枝でつついたような穴はゴカイのすみか。アサリなどの二枚貝が作る穴も見られました。葦原付近には比較的大きなハサミが目立つカニが見られました。
葦原に暮らすアシハラガニでした。カメラを向けるとちょっと威嚇をするようなそぶりをした後、くるりと向きを変えて行ってしまいます。潮の引いた干潟には浅く海水が取り残された場所・潮溜まりがあちこちにあります。そのうちの一つを覗きこんでいましたら、体が真ん丸なカニが水中に潜んでおりました。


 しばらく見ていましたら、さっと動きました。なんとカニ独特の横歩きではなく前進しておりました。横にも前にも自在に歩くマメコブシガニでした。
・干潟の砂を小さなスコップでちょと掘ったり、潮溜まりを覗いたり2時間ほど散策をしました。ザリガニの甲羅を柔らかくして色抜きをしたような姿のスナモグリ、水中で触手のようなもの(蔓脚)を出しているフジツボ、数種の二枚貝などを観察しました。

ただ、文章で表現しますと素晴らしい自然が一面に広がっているように思われるでしょうが、生き物の個体数や種類が決して多くはなく干潟の生命力がいくらか弱っているように感じました。久しぶりに出かけて行った盤津でしたが、少し気になる思いが残ってしまいました。
帰りは、民宿Yで名物となっているアナゴの定食をいただきました。一人分なのになんとアナゴが2匹もついていました。食べきれない場合には透明パックを用意していただき持ち帰りができるのも嬉しい限りです。

◆ユビナガホンヤドカリ…ヤドカリはエビやカニに比べ体が柔らかいため、巻貝の殻の中に入って生活します。貝殻はウミニナ、イボキサゴ、アラムシロガイなどの巻貝の中に棲んでいて、魚の死骸などがあると、集まってきて食べます。

   

 
2011
9. 26

◎酷暑の夏が一気に過ぎ去り、肌寒い日が続く今日この頃ですが、お風邪などひいておりませんか。いつもの便りです。

 『花笠を被った子供たちが可愛かったです』
◎印西市には、農村に昔から伝わる獅子舞(3匹獅子)が残っています。以前は県内のあちこちで行われていたそうですが、現代まで伝承され毎年行われているものはほんの僅かになってしまったようです。
 以前私が勤めていた地区(F市)では、獅子舞いが残っていると聞き楽しみにしていましたが実際には正月に3匹の獅子頭を軽トラックに乗せ、氏子宅を順繰りに回り寄付を募るだけで、舞うことはありませんでした。舞の伝え手も舞手もすでになく地区の行事として形式だけが残っているものでした。獅子頭も普段は市の郷土資料館に預かってもらっているのことでした。

・印西市には、旧印西地区だけで3つ残っています。その一つである和泉の鳥見神社の「いなざきの獅子舞」が、9月23日の秋分の日に行われました。昨年は雨の中の実施となってしまいましたが、今年は気持ちのよい秋晴れの中での実施となり、見学の人数も例年より多かったようです。
 午前中、谷津の斜面林下の細道をめぐり自然を探しながら散策しました。ただ、先日の台風の強風により枯れ枝や竹、つるなどが倒れたり落ちたりしており、迂回したりして細道を歩く楽しみはほんのちょっとしか出来ませんでした。

・午後は獅子舞を堪能しました。市の無形民俗文化財になっておりますが、観光目的ではなく地元の人々の行事ですので、特に露店もなく派手な宣伝など何もありません。谷津田から坂道を上がっていくと道端に真っ赤な彼岸花が咲いていました。さらにしばらく歩くとお墓に出ました。彼岸の中日にあたり、お墓はきれいに清掃され花があちこちに活けてあるのが見られました。そして、こんもりした寺社林の手前の道端に幟が2本立っていました。和泉の鳥見神社に到着です。

・午後2時、道笛と道化の露払いに続き、3匹の獅子たちが境内に入ってきました。大きな拍手の中、道化の舞、四方固めの舞、花笠めぐりの舞が演じられました。五穀豊穣と子孫繁栄を主願とする舞がゆっくりとしたリズムで演じられました。花笠めぐりの舞には、きれいな飾りをつけた花笠を被った子供たち(小学校低学年)が4人参加していました。今回は男の子3人、女の子1人でしたが、どの子もとっても可愛かったです。


  時間の関係で最後の大獅子による綱くぐりの舞は見ることができませんでしたが、時代を超えた芸術にふれ、心もゆったりとしたいい感じになれた時間が持てました。皆さんも来年是非見学に行かれたら如何ですか。なお、9月11日づけの便りに載せました神社の鳥居はきれいに修繕されていました。
   

いなざきの獅子舞…和泉の鳥見神社に江戸時代より奉納されている獅子舞。「いなざき」とは、「稲の収穫を前にして」という意味があり、舞は秋の豊作を感謝しているもの。獅子は、大獅子、中獅子、女獅子がある。このほかにここの舞では道化(河童のような面)が舞う。毎年秋分の日に実施




パネル展お知らせ…「里山から里海へ」の自然写真パネル展を行っています。9月26日から10月10日まで。場所は県立北総花の丘公園展示室。パネル参加…印西ウエットランドガイド(阿部・杉田・左達・岩崎・佐々木駿)、ケビンショート、船橋自然に親しむ会(畑中)、鎌ヶ谷粟野の森の会(小出)、鎌ヶ谷囃子水の自然を育てる会(多紀)


   

2011
10. 4

◎久しぶりに宮本武蔵著の「五輪書」が話題になりました。琴奨菊の大関昇進の伝達式の口上でのこと、「万理一空(ばんりいっくう)の境地を求め精進する」でした。
 この万理一空は、武蔵の五輪書の言葉といいます(注:正しくは兵法35カ条の言葉、五輪書は万里一空となっている)。
 宮本武蔵好きの私としては、これから気になる力士の一人になるかもしれません。

 『怖いけれども地球の仲間』
◎今回は蜂の話題。20年ほど昔F市の学校に勤めていた時のことです。
 退勤時に正門前にあった文具屋さんの親父さんと店の前に置いてあるベンチに腰掛けよもやま話をしてから帰るのが楽しみになっていました。
 お茶をごちそうになりながら、子供たちのことや地域のこと、それに植物好きな親父さんの自慢の盆栽を眺めることなど話題は尽きません。
 確か9月の終わりころでしたか、店の軒に大きな蜂の巣がありました。
 今思うにキイロスズメバチか、コガタスズメバチだったと思います。軒といっても2階の屋根近くもある高さでしたので子供たちは気にもとめません。
 親父さんもたまにブーンと店の前にやってくる蜂を気にもしていませんでした。
 確かに子供たちも慣れていて、蜂だよ。とは言っていましたが、叩いたりする子はいませんでした。
 むやみに人を襲ってくることは無いようでした。
それから、しばらくの間、毎日ベンチから巣を見ていると少しずつ大きくなるのが分かりました。
 結局、寒くなり廃巣となるまで見ていたことを思い出しました。
 といっても、大勢が刺されてしまったとか、時にはアレルギー(アナフィラキシイ反応)でなくなったという悲惨なニュースが、毎年のように報道されております。私の知り合いでも刺されてしまった人もあります。何かの刺激で興奮している時などは大変危
険です。

 先日、団地の近くで、椿の実を探して植え込みを覗いておりましたら、突然大きな蜂の巣が目に飛び込んできました。
 蜂も何匹も巣に出入りしていました。キイロスズメバチの巣でした。
 地上1.5mほどで、歩道わきの生垣です。常緑の葉が付いていますので、大きな巣ではありますが、外側からはほとんど見えません。
 しかし、歩道には小学生が頻繁に通っており、万が一子供が巣を見つけ、傘などでつついてしまった時には大きな事故になってしまうかもしれません。


 そんなことを考え、巣の撤去の必要性を感じました。すぐに生垣のある団地の方に連絡し、翌日には市の担当者が撤去いたしました。
 しかし、怖い蜂ですが、直径約30センチにもなった巣を作るのは並大抵のことではありません。数百匹にもなる群れを殺してしまう事になりましたが、これもやむを得ないのでしょう。
 街中は樹木が少なく身近な生垣や街路樹に巣を作り、人と接触する機会が多くなっているのでしょうか。怖いけれども、蜂た
ちも地球の仲間です。

 写真は、この時の椿の木に作っていたキイロスズメバチの巣の写真と、翌日の撤去後、巣の下で死んでいた蜂の写真です。

   

   

キイロスズメバチ…黒色の地に黄色の斑紋が入っているハチ。生息地は平地から山地。特に繁殖期の9月から10月に多発する。スズメバチ類で最も刺傷事故の多い種だそうです。


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