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2010
11. 4

◎サンリオのキャラクター「キャシー」がオランダ生まれのウサギのキャラクター「ミッフィー」(ブルーナー絵本のウサギ)に似ているという問題が取りざたされています。
 見ようによっては似ているとも似ていないともいえますね。皆さんはどう思いましたか。

 『ミヤマアカネ』
◎久し振りに信州の里山を歩いてきました。千曲川の支流に沿った田園は、稲の自然乾燥をする風景がまだ見られ牧歌的な風情を感じられました。所々、稲刈りのしていない水田が見られましたが、そこには立て札が立てられ「米粉用米生産農圃場」と書かれておりました。転作対象水田だったのです。単に収量を目指す農業ではなくなっているのですね。牧歌的な風情と農業の現実にちょっと違和感を感じました。

・川に沿って歩いていましたら、赤とんぼの群れに出会いました。盛んに連結して飛び回っていました。中心はアキアカネのようでしたが、少し大型のノシメトンボも見られました。
 ふと水田脇の水路に目を向けると、連結姿勢で水面に体を打ちつけるように産卵しているトンボがいました。さっそく双眼鏡で覗いてみましたらアキアカネやナツアカネとは翅の斑紋の位置が違っていました。これらの2種の斑紋は翅の先端部についているのに対し、この個体は先端を外れた内側に斑紋が見られました。ミヤマアカネでした。
 このトンボは、他の赤とんぼ類が止水域を好むのに対し、小川や用水路などの水深が浅く緩やかな流水域を好むのです。
 さっそくカメラを向けて撮影しましたが、小さくてちょこまかと動きピントがあいません。それでも何とか1、2枚ピントがあったようでした。


 可愛らしく模様の素敵な赤とんぼの姿は、信州の田園の風景にマッチし愛おしい感じがしました。

・この他にもキタテハやベニシジミなどの蝶や、バッタなどが沢山見られました。
 これらの昆虫を初めとして多種多様な生き物たちがずっと生息し続けられる環境を守ることが私たちの責任なのだと実感した時でもありました。国際生き物会議は終了しましたが、これからが私たち(人間の)の姿勢が問われる本番なのですね。

   

ミヤマアカネ…アカネ属のトンボの一種。日本全土に分布している。成虫は体長32~39ミリ。翅の縁紋内側にある褐色の太い帯と、翅脈まで色づくのが特徴で、他種との判別は容易。比較的緩やかな流水域を好む傾向がある。

2010
11. 7

◎寒いなあと思っていましたら今日はもう「立冬」です。風邪をひいている人も多いようです。皆さまお体ご自愛ください。

 『青い卵』
◎先月末の散策会は合併で広くなった旧i村地区を歩きました。
 50人近い参加者は聖武天皇の第3皇女の伝説の残る地をめぐり、700年代にタイムスリップしたような時間を過ごしました。
 この地には樹齢600年といわれるスダジイの木を初め巨樹・巨木が沢山あり、”トトロの森”のような癒やしの空間がそこかしこにあり、ゆったりとした時間が流れている感じがしました。

 ・午後は、近くにある福祉法人「i舎」を訪れました。
 ここは身体障害と知的障害をもった方々が米作りと野菜作り、そして養鶏を中心とした仕事をし、自立に向け頑張っている場所です。
 何度か訪れているので、私たちを覚えてくれていたメンバーの大きな声の挨拶に迎えられ、施設長の話を聞いたり、機織りをしているメンバーの作業場を見せていただいたりと有益な時間を過ごすことができました。
 また、メンバーが努力して作った野菜やジャム、そして機織りの作品などをお土産に購入し舎を辞してきました。
 帰る際にもメンバーの明るい笑顔のお見送りがありました。また次年度の散策会にぜひ計画したいなあと考えています。


   
※写真上は、i舎で生産している鶏卵の種類の一つで、生産数が少なく予約しないと購入できないという「青い卵」の写真。
 ちなみにこの時も「青い卵」は見せてもらうだけで購入はできませんでした


◆幸福の青い卵…青い卵を産む鶏は、南米チリの北部アラウカ地方が原種の鶏「アローカナ」だそうです。このアローカナと烏骨鶏を交配した鶏がi舎で飼育しているものです。青い卵の青い色は、胆汁と同じ色素オオシアンだそうです。なお、青いのは殻だけで中は黄色だそうで、黄身はとても濃くのある味だそうです。
いつか食べてみたいです。

2010
11. 15

◎1989年の流行語大賞になった「濡れ落ち葉」とは、定年退職後の夫のこと。することもなく妻にくっついて離れぬ様を濡れ落ち葉に例えたのだといいます。今の時期、落ち葉真っ盛りです。団地の清掃をされているおばさんは朝から連日落ち葉と格闘していますし、駐車場では車の屋根に落ちる落ち葉に困っている人もいるようです。
なにはともあれ、昔の落ち葉焚きが懐かしいですね。

 『旧鉄道連隊の軌道の跡地』
◎先日旧陸軍の鉄道第二連隊の軌道の跡を歩きました。1918年に第一と第二の2隊が誕生し、戦争が激しくなった時には全国で20もの連隊ができたそうです。鉄道連隊は戦地における鉄道の建設、修理、運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊でした。アカデミー賞受賞映画「戦場に架かる橋」は、鉄道連隊のクワイ河鉄道建設を巡る日本軍(鉄道連隊)と英軍捕虜の物語できっと皆さんも見たことがあることと思います。

・戦後第二連隊の軌道が民間に払い下げられ、現在の新京成電鉄(津田沼~松戸)になったのです。ただ、連隊当時の軌道は無理にカーブを作った個所がいくつかあって、何箇所か現在の軌道とは違っている場所があります。今回歩いた場所はその大きく軌道を変更した所なのです。大きくUの字にカーブした軌道をほぼ真っ直ぐにし、カーブ部分の軌道跡は道路になっていました。この道路に沿って歩くと当時の鉄道にまつわるものが見られました。

・その一つは、民家のブロック塀に立てかけてある(基部は埋まっている)枕木(注1)です。2本あり、そのうち1本の犬釘は木製でした。
ゴミの集積場になっており、枕木はゴミネットの柱に利用されているようでした。もう一つは電柱の脇や民家のブロック塀の所などそこかしこに埋まっている石柱でした。御影石でできている一辺が約15センチの角柱で長さは埋まっている部分を含めると7、80センチほどもありました。頭部分はきれいに仕上げられていて正面に「陸軍」の文字、柱頭には十字印が刻んでありました。軌道の境界を示す標識だったのでしょうか。カーブ部分を歩き14か所発見しました。中には石柱をブロック塀の柱として利用しているもの、民家の玄関に続く石畳として利用しているものもありました。

戦場にかける橋…1957年、英、監督デビッド・リーン 第二次大戦下、タイ・ビルマ国境の日本軍捕虜収容所を舞台に日英両軍の兵士を描いた一篇。映画の中で演奏させている音楽「クワイ河マーチ」(ボギー大佐)は、世界各国で幅広く演奏されている。


・1時間ほどカーブ部分を歩き65年も前の世界にタイムスリップして当時の思いにふけておりました。

   
    ★ 枕木:右側のものが木製犬釘使用(表側からは見えません)
※注1枕木…場所と枕木の木製の犬釘の2点から鉄道連隊の遺物の可能性が濃厚と推定されます。なお、この枕木についての情報は鎌ヶ谷市のミニコミ誌「トマソン」を参照させていただきました。また、この枕木について情報をご存じの方いらっしゃいましたら教えて下さい。

   
   
★石柱: 陸軍の文字が見える


2010
11. 15

◎ 『白鳥飛来6年目』
◎いつもの調整池にオオハクチョウが2羽飛来しました。
 11月15日の午前中、調整池の傍にお住まいのUさんから飛来の一報が届きました。さっそく出かけて確認をしました。
まだ、ほとんどエサ(マコモの茎や根)を採っていませんでしたが、しばらく経って落ち着いたら採餌を始めると思われます。
 数日いれば(メスのミルさんは)この池で6回目の越冬になると思われます。しばらく気を付けて見守りましょう。

・飛来の詳細情報 ≪今冬初飛来≫
日時 11月15日(月)早朝か前夜
種類 オオハクチョウ
飛来数 2羽
その他 ・1羽は今冬で6回目の飛来になるメス(通称
   ミルさん)、もう1羽は、今冬で3回目になる
   番(つがい)のオス(通称ギザ)と思われる。
特記・昨年は、この番(つがい)に2羽の子どもが一緒でした。きっと近くに来ている可能性が強いのでまたやってくる事も考えられます。(昨年の最大飛来数は6羽)
・この調整池に飛来する白鳥は、餌付けされていない自然採餌の白鳥です。餌は、主に水草のマコモの茎と根。
・個体の見分けについては、撮影した写真のクチバシ部分の黄色い斑紋の形の違いを元にしています。
 なお、専門家ではありませんので100パーセントのものではありません事をご了解ください。


   
 手前:ミル ♀ 今季で6回目飛来
  奥 :ギザ(ミルの番の相手)♂ 今季で3回目飛来

◆ミル…初飛来の際、近くにお住まいのHさんが幼鳥で灰色の羽だったことからアンデルセン童話「みにくいアヒルの子」みたいと言ったことから、その「み」と「ル」をとって通称「ミル」としました。
オオハクチョウ…カモ目オオハクチョウ。全長140センチ、体重10キロにも達する大きな水鳥。冬鳥として主に北日本や日本海側に渡来し、湖沼や内湾、広い河川や河口にいる。番(つがい)と若鳥の家族群で行動する。逆立ちの姿勢で水中に首をのばし、水草の茎や根を食べる。番(つがい)は片方が死ぬまで続くという。夏場はシベリアのタイガ(針葉樹林)地区で過ごす。

2010
11. 23

◎街路樹のモミジバフウが赤く色づいています。他にも色々な樹木が色づき始め街歩きの楽しみが増してきました。

『樹齢600年の椎の古木』
◎印西市(旧印旛村地区)松虫寺の周辺が今人気のスポットになっています。
 聖武天皇の第3皇女松虫姫(不破内親王)が、病気療養のために奈良の都からはるばる下総(現印西市)萩原の地にやってきたのは今から1300年も前の事でした。

 松虫姫伝説によりますと、萩原の地で薬師如来に願をかけ病気が治癒し、都に戻ることができたという事です。
 その後聖武天皇の命を受け行基はこの地に一寺を建立し、姫の名をとって松虫寺と名付けたとなっております。
・この地は江戸期も天領としてずっと守られて、今でも松虫姫にちなんだ史跡が色々とあります。

 先日、印旛日医大駅から歩いて松虫寺まで行きました。途中の曲がりくねった道は歩いているだけで心が癒やされる感じがいたしました。山栗やアケビ、ヤマブドウの一種のエビヅルの甘い実などたくさんありました。曲がりくねった道を抜けると松虫寺の山門前に出ました。
・山門前には、一目で何百年と分かる椎の古木が聳えておりました。
 まさに御神木の様相をして松虫姫の寺を守っている樹木のように思われました。

同行したiさんとこの椎の木の太さを測ってみました。測定の仕方は、下段の◆欄を参照下さい。
 およそ、8メートルでした。樹高は不明ですが、当寺院の住職さんによりますと樹齢は600年という事でした。
 松虫姫の時代からするとずっと後世の樹木でありますが、大切に守られ続けてきた樹木の何代目かになるのでしょう。

・この寺院の傍(およそ200m)には、姫にずっと付き添って来て、都の文化(養蚕や機織りなど)を伝えるためにこの地に残ったと言われる姥・杉自の塚もあります。この塚には椎の木とアカガシの木が根元で合体している面白い樹木も見られます。
 とっても癒やさせる地です。
最近ストレスが多いなと感じている方がございましたら一度お出かけしませんか。


   
       山門前の椎(スダジイ)

 ※10月12日版(ページ50)で松虫寺の記事があります。参考にして下さい。

巨樹・巨木…地上130センチの高さで、幹周りが300センチ以上の木を対象としています。
 測り方は地上130センチの高さでメジャーを幹に当てて、くぼみや空洞も含めて測ります。ただ、株立ちの木や、斜面に立っている木の測り方は別です。また、300センチにならなくても樹木の種類によっては、巨樹・巨木とする場合もあります。
 当該の樹種の椎は300センチ以上が該当します。



☆戸神調整池白鳥情報
 11月15日オオハクチョウ2羽飛来後、3羽になったこともありますが、11月23日現在は2羽が留まっている模様です。変化に気がついた方は、すぐにご連絡下さい。今季越冬するかどうか今少し様子をみた方がよさそうです。

2010
11. 29

◎白鵬の連勝が止まった大相撲九州場所は、空席が目立った場所でした。先々場所、野球賭博問題で謹慎処分になっていた船橋市出身の阿武松部屋の若荒雄は今場所十両筆頭で10勝5敗の成績でした。
来場所は幕の内に復帰確実です。心を入れ替えて練習に精進して欲しいものです。(謹慎処分依頼しばらく若荒雄情報は控えておりました)

 『モグラは太陽に当たると死ぬってほんと?』
◎F市のY緑地の整備に行った際に、モグラが明るい場所で死んでいました。東日本を代表するモグラ、アズマモグラでした。ここは雑木林で自然が豊かでよくモグラ塚を見る場所です。体長は15センチくらいでまだ死んで間もない感じでした。

・ところで、皆さんはモグラは太陽に当たると死んでしまうという話を聞いた事はありませんか。私は子供の頃に何度か聞いたことがあります。
 でも、色々と調べてみますとどうもこの話は迷信のようです。モグラは土中のトンネル内を縄張りとしてミミズなどの小動物を餌にしているのですが、エネルギーの消耗が非常に激しく採餌活動と休憩を数時間ごとに繰り返しているのです。ということは、一日の全て時間が餌を探して食べているか寝ているかのどちらかなのです。
 トンネル内では小さい目の代わりに鼻先をはじめ、全身の感覚がたいへん優れており地中の昆虫やミミズを効率よく捕らえ食べているのです。しかし、いったん何かの理由で地上に出ると、視力が弱いモグラにとって餌を探す事は勿論、モグラの穴があっても穴の主のモグラに追い出されたりして入り込む事は至難の業となるようです。
・という事は、太陽(日の光)によって死んでしまうのではなく地上をさまよっていて餓死してしまうのがほんとのようです。


この時撮影したおそらく餓死したと思われるモグラの写真を貼ります。厭でなかったら見て下さい。
※クリックで写真に替わり、ダブルクリックで元に戻ります

   

アズマモグラ…食虫目モグラ科サイズ12~16センチ。体毛は暗褐色でビロード状。尾は短く、耳介がない。ミミズや昆虫など肉食。
 ミミズは前足でしごいて中の泥を出してから食べる。 前足は土を掘るため特別大きく爪も長い。

☆戸神白鳥情報
 11月28日現在 オオハクチョウ2羽確認 大橋の北側で採餌中
2010
12. 6

◎明日12月7日は21節季の一つ「大雪(たいせつ)」です。
この所大雨が降ったり、暖かかったり寒かったりと不安定ですが、体調を崩さないよう気を付けて下さい。

 『越冬つばめか?』
◎森昌子のヒット曲に「越冬つばめ」がありますが、今回は歌の話ではありません。
・先日S市に住むSさんから、ツバメを見ましたのメールをいただきました。詳しい場所を教えていただき、探しに行きました。住宅街と畑や林との境部分にそのツバメの姿を見つけました。しばらく上空を舞っていましたが、住宅の電気の引き込み線に止まったのを見つけ観察をしました。確かにツバメの雄でした。観察しているとさらにもう一羽が近くにやって来ました。残念ながら止まりませんでしたが、最初の個体から見ると尾羽が短く雌のようでした。よって、つがいで残っているのは確かです。

・しばらく観察していましたら、なんと囀りました。聞きなしでいう「土食って虫食って渋ーい」の声でした。12月を過ぎたこの時期にツバメの姿を見るのは珍しいですし、ましてさえずっているのにはびっくりしました。この時期、残っているのですから歌のタイトルのように越冬ツバメになるのかもしれません。これから寒くなるようですのでしばらく経ったら、再度確認に出かけていこうと思います。
なお、ツバメのいた畑との境部分には、自然が残っていて緑が豊かな場所でしたので、ここでしたら越冬できるかもしれません。そんな事を考えながら戻りました。





   写真下は、この時に撮影しましたツバメ
   

越冬ツバメ…日本で冬を越すツバメ。
 日本で繁殖するツバメの越冬地は、台湾・フィリッピン・ボルネオ島・マレー半島などだそうです。
 ただ、一部のツバメは関東を北限にして集団で民家の家内や軒下にねぐらをつくり越冬する事は知られています。
 ただ、これらのツバメが、日本で繁殖した個体がそのまま越冬しているのか、あるいは日本より北方で夏に繁殖したものが越冬しているのかは、まだ分かっていないそうです。
 
2010
12. 13

◎COP16(国連気候変動枠組み条約締約国会議・メキシコ、カンクンで開催)は、12月11日未明(日本時間同日夜)、新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択し閉幕しました。
 やはり、先進国にも途上国にも中途半端な結果に終わってしまいました。温暖化対策が後退しかねない感がして心配です。

  『幕末の農村改革者』
◎例年3月に行う木下街道散策会の折に立ち寄る旅籠「丸屋」に、江戸末期に宿泊したと伝えられる一人に農村指導者大原幽学がいました。
・大原幽学は江戸後期下総国香取郡の東総地域に住み儒教の考え方を基にした「性学(せいがく)」を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導したのでした。
 その指導の代表的なものが「先祖株組合」の結成で、お互いに助け合い、生活の改善をしていく村ぐるみの組織で世界初の協同組合だったのです。
 また、農地の交換分合、耕地整理などから農作業、施肥などの農事指導まで行い、長部村(現千葉県旭市)は領主から模範村として表彰されるまでになったのです。
 しかし、その後幽学の考えに反感をもった他村の者や役人が村に押し入るという事件が起こり、幽学は幕府評定所の取り調べを受けることになったのです。
 幕府の判決は百日押し込めの刑で、幽学は江戸にて謹慎、翌年刑期を終えて長部村に帰村しましたが、そののち自殺したのでした。東総地域を中心に農業の改革に多大なる功を与えた幽学は安政5年3月8日62歳の生涯をとじたのでした。嘉永3(1850)年に、門人の増加に伴い建設された教導所「改心楼」跡地は、国指定史跡になっています。

・余談になりますが私の家内の母の曽祖父が、一本足の高下駄を履いて改心楼に通っていたと聞いています。


なお、この大原幽学「その生涯と功績」の企画展が千葉県中央博物館において行われています。
 1月16日(日)まで 年末年始及び月曜休館

※写真下は、中央博物館企画展のポスターから幽学の肖像を複写したもの。
   

大原幽学…江戸後期の農村指導者。諸国を遍歴、神・儒・仏に通達、心学の影響をも受けて、下総香取郡長部村で性理の学を教授。
農村救済のため、組織した先祖株組合は農業協同組合の先駆。幕府の抑圧を受け自刃。(1797~1858)広辞苑より
2010
12. 18

◎明日は私の住む団地の大掃除があります。といっても各棟の各階ごとに時間差をつけて通路や壁、階段付近を水をまいて掃除するだけです。
「大掃除」というと年の瀬を感じますが、俳句では12月ではなく3月の季語(季題)になっています。代わりに12月の季語に「煤(すす)払い」が出ていますが、これがきっと同じような行事の意味なのでしょう。

 『きらきら 天然の輝き』
◎朝、自転車で走っていましたら顔に当たる空気がひりひりと冷たく感じました。この数日の朝の冷え込みはかなり厳しいようです。

・市街地を抜け、坂を下っていくと道の両側が畑になっている場所に出ました。畑は、朝日が当たる土がきらきらと光っているように見えました。
 道路際に自転車を止めて観察してみました。道から50センチくらい高くなっている畑の土には、びっしりと霜柱が立っていました。
 長さ7、8センチほどもある霜柱は、まるで栽培種のエノキダケのように何十本もくっつきあい表面の土を傘のように持ち上げしっかりと立っていました。
 さらに目線を下げると霜柱は青空を背景にし、きらきらと光って見えました。
 その様はダイヤモンドか水晶の輝きのようでした。そこには上からの目線とは全く違った世界の美しさがありました。



   

・寒い中、バスで行こうか自転車にしようかと迷ったのですが、久し振りに立派な霜柱が見られ自転車にして良かったなあと思いました。
まさにレイチェル・カーソンのいうセンスオブワンダー(自然に対する感動、驚き、畏敬の心)を感じた一瞬でした。
これからも寒い日が続きそうです。巷ではインフルエンザやノロウイルスが流行しています。くれぐれもお体ご自愛ください。

◆霜柱…寒冬、土中の水分が地表にしみ出してきて凍結し、細い柱状群となって上方に成長するもの。この際、多くの表土を押し上げる。関東地方の赤土に顕著。(広辞苑より


 
2010
12. 29

◎年末年始は、全国的に大荒れという天気予報が気象庁から発表されました。強い冬型の気圧配置が続きこの冬一番の寒気が流れ込んでくるという事です。体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。

 『竹林から現れたのは○○!』
◎五井駅で小湊鉄道に乗り換え、14個目の月崎駅で下車しました。
月崎駅での乗降客は私たちの他には男性がたった一人でした。男性はローカルのたたずまいの駅舎をしきりにカメラに収めておりました。
・目的地の「市原市市民の森」へは、歩いて15分と駅前の案内図に載っていました。養老川の源流の一つとなっているのでわき水を見ることもできると思い楽しみが増してきました。
しばらく舗装道路を進み、田圃にそった道へと降りて行きました。

・竹林の方から何か物音が聴こえました。その音は鳥の声ではなく獣の声のような気がしました。それともカケスが何かの物まねでもしているのだろうか。気になる物音の主はすぐに判明しました。「キキ―ッ」という叫び声とともに数頭の猿が竹林から飛び出してき
ました。そしてすぐに私たちに気付いたのか藪の中に隠れてしまいました。そういえば水田脇や斜面林にそってネットがずっと張られていましたが猿の農作物被害の対策なのでしょう。
・市民の森からの帰り道、水田に生える二番穂を食べている10頭前後の猿をみました。場所から見て行きに見たのと同じ猿の集団なのでしょう。その中でも私たちの姿を見ても逃げない猿がいました。
時たまカメラを構える私の方をちらちら見ながら食べ続けていました。それでも舗装道路に続く農道をゆっくりと進んでいきましたら、突然ジャンプし2,3度こちらを振り返りながら斜面林につながる法(のり)面に移っていきました。さっきの1頭はもしかしたらボス猿だったのかもしれませんね。


・市民の森はなだらかで水辺に沿った散歩コースから健脚コースまで全部で10コースの遊歩道がありました。前半はきついコースを歩き、後半は水辺に沿ったゆったりコースにしました。野鳥の姿は思ったより少なかったですが、川まわし用に掘られたトンネルを流れる清流や木道脇の崖から苔の葉を滴り落ちてくる湧水の姿が印象的でした。
   
  
帰り道に遭遇した猿のうち最後まで逃げずにいた猿のジャンプ写真

ニホンザル…霊長目オナガザル科のサル。サルの仲間のなかでは、世界最北に分布する。日本の分布は本州から九州。日本固有種。数頭の雄と母子で20~150頭の群れをつくり行動する。雑食性。

☆戸神白鳥情報…ずっと2羽だったのですが、12月21日に3羽が飛来ししばらく5羽になりました。3羽の飛来のうち1羽は幼鳥でした。
12月26日に幼鳥の1羽がいなくなり、現在成鳥4羽となっています。
4羽は2羽、2羽に分かれて別行動をとっています。4羽で年越しになるのでしょうか。


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