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 2010
 6. 8

◎慌ただしく政権のトップの交代劇が行われています。久々の世襲でない首相ですので、ぜひ庶民の目線を忘れずに頑張って欲しいと思います。

 『双子の欅(ケヤキ)』
◎谷津の斜面林に沿って歩いてきました。真夏のような日差しでしたが、日陰に入るとひんやりとした涼風が気持ち良かったです。

・谷津の中心を流れる河川の工事、斜面林脇の細い水路の工事が行われておりましたが、それでも谷津の生態系のトップに位置するタカの姿を辛うじて見ることができました。ただ、いつも川辺で盛んに縄張り宣言の大きな声を張り上げるオオヨシキリの声はとても少なかったです。これは河川工事で川辺の葦を刈ってしまったからでしょうか。また、田んぼにはカラスが多く見られましたが、サギ類は1羽も姿を現しませんでした。工事の影響か、餌が少ないのか分かりませんがさびしい限りです。ただ、ホトトギスの大きな声は、谷津を歩いている間、ずっと聞こえておりました。
 ・谷津から台地に上がってしばらく歩くと古刹があり、威風堂々とした堂を取り巻く樹木群が立派でした。
・中でも境内から車道に龍が首を伸ばしたように見えるスダジイは、樹齢何百年の様相で幹内部のほとんどは空洞になっていました。その洞の中には、人がすっぽりと入れるようでした。
 それから、ことさら目を引いたのは2本のケヤキが合体した双子欅(ケヤキ)でした。地面から1メートル位のところで2本が一体になっているのです。この双子欅を眺めていると心が落ち着きほっとしたような気になってきます。これも一度見る価値はあります。

・暑い日差しを樹木群が遮ぎり、遠くで鳴くホトトギスの声が耳に優しく響き、木々の緑が目の疲れを癒やし、歩いてきた疲れも軽減されました。まるでセラピースポットですね。なお、ここは、6月24日の里山散策会のコースに入っております。関心のある方はご一緒しましょう。


   
 双子欅(ケヤキ)
  いつだかこの合体部分に幼子を抱いた若い
  お父さんが腰かけていました。
  そういうのがぴったりと似合う木です。

ケヤキ…漢字では欅と書く。ニレ科の落葉高木。
 枝ぶりが美しく、端正な樹形が好まれて庭木や公園樹、街路樹などとして植えられている。
 花は小さく目立たない。新緑、黄葉ともに美しい。
 落ち葉は堆肥に最適。

2010
 6. 14

◎『満身創痍』、約60億キロの旅を終えて7年ぶりに地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」がまさにそうだといえます。03年5月に打ち上げられ、05年に小惑星イトカワに到達、その後は多種の故障が続出し、行方不明になったりエンジン設計の寿命を超えたりとトラブル続きでした。その「はやぶさ」が昨日13日午後11時20分(日本時間午後10時50分)ごろ、地球に戻ってきました。といっても探査機の本体は燃え尽き、回収カプセルのみの帰還です。このカプセルにイトカワの砂粒が一粒でも入っていれば地球の誕生の解明の大きな一歩となるといいます。

 『キノコか、虫こぶ?それとも、何だろう』
◎鬱蒼とした斜面林を抜けると谷津田が開けていました。林に沿って少し進むと、低木の小枝に真っ白い輪ゴムの様なそうめんのような何とも表現が難しいものが目に止まりました。
 白い尺取り虫が枝にへばりついているようにも見えますし、細長いキノコが枝から生えているようにも見えました。
・本物を見ていない人に解説するには、写真を見ていただかないと説明が難しいこの物質(?)を調べるために何枚か角度を変えて写真を撮って自宅で図鑑をめくりました。しかし、虫なのか、キノコなのか、それともカビの一種なのか分からないのでどの図鑑を見れば良いのかも分かりませんでした。
 実物の採取はしていませんので、写真を部分拡大したりして、どうやら虫の一種だというところまで調べましたが、それ以上の同定ができませんでした。

ヒモワタカイガラムシ…カタカイガラムシ科ヒモワタカイガラムシ。
 白いリボン状の部分が大きく伸びて、輪のようになって木の枝にぶら下がる。木にぶら下がっているのは、すべてメスで長さは3~7ミリ(ひも状の部分は除く)。オスは約1.2ミリと小さく翅を持つ。


そこで、お互いに昆虫調べをしている仲間にメールで問い合わせしましたところ、すぐに返事が来ました。やはり、昆虫でした。その昆虫は、カイガラムシの一種でヒモワタカイガラムシだろうということでした。

・さっそくネットで調べてみましたら、3~7ミリの楕円形の前体部を木の枝にくっつけ、体の後半部がまっ白い紐状にどんどん伸び前体部の近くの枝にくっつくといいます。ちょうど輪ゴムのような形になります。この紐状のものは、蝋状の物質に包まれた大量の卵だそうです。その形は、横から見るとドーナツにも見えます。

・昆虫の生態には本当に驚くものが多いですが、このカイガラムシもその一つでしょう。

   

 ヒモワタカイガラムシ
  見ようによっては、輪ゴムにも、そうめんにも
  ドーナツにも見えました。
2010
 6. 19

◎二酸化炭素削減、ライトダウンキャンペーンに賛同して、電気の消灯をしませんか。今年も地球温暖化防止のため電気の消灯キャンペーンが行われます。
 一回目は、6月21日(月)ブラックイルミネーション2010、2回目は、7月7日(水)七夕ライトダウンです。どちらも午後8時~10時です。※印西市の取り組みを例示しました。

 『白い花に映える蝶』
◎先日、千葉NT地区北側に広がる谷津を散策してきました。ウツギの白花(卯の花)はほとんど終わっていましたが、その代わり(といっては樹木に失礼とは思いますが)小ぶりの白花が枝先に集まって咲くイボタノキの花が満開でした。
 ・刈りこみにも強く生垣に植えられることも多いこの種は新緑の中に控えめではありますが、清楚な美しさを主張しているようでした。カメラを取り出し白花を撮影していると、黒い翅に白い一本の帯紋の蝶が白花に止まりました。吸蜜のためにやってきたタテハチョウの仲間のイチモンジチョウでした。
・ウラバネが赤茶に白い斑模様と翅表の黒に白帯模様、そしてイボタノキの花の白と葉の緑が調和してまさに天然の絵画を目にした気がしました。
 30秒ほどでチョウは去ってしまいましたが、その姿は調和のとれた一服の絵のように心に残りました。

・今の里山ではこのような出会いがいっぱいあります。梅雨の合間を見つけて里山に出かけてみませんか。



イチモンジチョウ…タテハチョウ科のチョウ。谷川沿いや林のふちなどに多く、木の間や草の上をすばやく飛ぶ。白い花によくくる。食草はスイカズラやタニウツギ。

   

蝶は、イボタの花から逆さまにぶら下がっています

2010
 6. 27

◎PCのキーボードの上に米粒の半分くらいで赤茶色、小判型の甲虫が止まりました。我が家では一番困る虫でした。
 この虫は、はく製などを好んで食べるのです。
 はく製に被害がないように警戒が必要となります。

  『干潟の危険な生き物』
◎このところ、東京湾最奥部に広がる三番瀬干潟の観察会が続いています。(印西ウエットランドガイドでも8月と9月に行います)
 ・砂浜には、砂ガニの一種コメツキガニの可愛らしい姿がいっぱい。突堤の護岸の下では、エビが跳ねています。さっさと歩くヤドカリたち、潮だまりで泳ぎまわるボラやハゼの稚魚たち。干潟は生き物たちのパラダイスでした。

・中には怖い生き物もいました。潮だまりに取り残されたアカエイがゆったりと泳いでいました。
 アカエイは尾の途中に鋭い刺(毒針)を持っており、刺されると大変だそうです。このほか、クラゲの仲間で傘部分に赤い模様がきれいなアカクラゲやハサミの鋭いイシガニも危険です。

・でも、これらの生き物に注意していれば、他には危ないことはほとんどありません。澄んできれいな海水の中に、可愛らしく不思議な生き物たちがいっぱいです。一度出かけてみませんか。

アカエイ…アカエイ科の魚。体長60センチ(尾は除く)。
 体の腹面が白く、縁辺は橙色。尾は鞭状で、先端の少し手前に毒刺がある。浅瀬にいるので、海水浴や潮干狩りでも刺されることがある。食用、かまぼこ等に使用される。


   
  アカエイ 潮だまりに取り残されていました。

   
 毒刺 刺の先端には返しがついています。(×20)
    矢じりのようです。

2010
 7. 4

◎7月7日はライトダウンキャンペーン2回目の七夕ライトダウンの日です。また昭和20年のこの日は千葉市の主な市街地が壊滅した七夕空襲の日でもあります。1200人余りの犠牲者への慰霊を込めてキャンドルをつけようと思います。

 『桔梗の間は、狭い!』
◎6月19日、船橋市の公民館前で太宰治の桜桃忌が行われたと聞いております。今年は太宰生誕101年となります。

・病気の転地療法で船橋にやってきた太宰は小山初代と宮本(海老川のすぐそば)に小さな家を借り、1年3カ月余りを過ごしたのでした。この短い間にも積極的に小説を書いていました。

 短編「ダス・ゲマイネ」「十五年間」「めくら草子」に、船橋時代の生活が綴られています。太宰は、文を書くときに船橋にある老舗割烹旅館「玉川」にこもって書いたといいます。

・昨日、親戚の法事のあとの会食でこの割烹「玉川」に行ってきました。早速女将に頼み、太宰が逗留して執筆した部屋を見せてもらいました。

「桔梗の間」といい、人が一人しか通れないような狭い廊下を奥へ奥へと進み、一番奥まった部屋がそれでした。窓も何もない4畳半と3畳の二間続きの狭い部屋でした。女将の話では、奥まっていて静かで集中できたいう話が伝えられているとのことでした。5分ほどでしたが一人で小さな部屋の真ん中に座していると、昭和初期へとタイムスリップした気がしました。

太宰治…本名津島修治。青森県津軽郡金木村(現五所川原市)の大地主の家に明治42(1909)年生まれる。東京大学仏文科中退後、同人雑誌を刊行。その後心中未遂などを繰り返すも、走れメロス、斜陽、人間失格などの作品を書く。昭和23(1948)年玉川上水に入水し、6月19日に遺体が発見された。奇しくもこの日は太宰の誕生日でもあった。
 太田治子(小説家)は愛人との間の子。元衆議院議員津島雄二は長女園子の夫。
 朝ドラ「純情きらり」の原本は次女里子(佑子)の作。


   

   

   

2010
 7.19

◎今日は海の日。ほとんどの小中学校は明後日から夏休みです。梅雨も明け、アブラゼミの声も聞こえ出しました。いよいよ夏本番です。

 『身近な昆虫展』
●成田スカイアクセスの開通記念イベントの一環として昆虫フェア(世界と日本の昆虫展)が、ビッグホップ(印西牧の原駅前)で行われました。
 ワンフロアーの三分の二が、成田星稜高校の地域生物研究クラブの世界の昆虫展。残りのスペースが、私たちの身近な昆虫展です。

・高校の展示は世界の蝶やクワガタなどの標本、それにヘラクレスオオカブトなど大型の生きた昆虫などもいました。
 それらのダイナミックな展示を見た後にやってきた(順路の関係で)子どもたちは、身近な昆虫のスペースで世界の昆虫展とはまた異なる展示に目を輝かせてくれました。
‥というのは、私たちのスペースには特別に珍しい昆虫はなにもいません。テントウムシ・ダンゴムシ・アリジゴク・アゲハの幼虫、シデムシ・尺取り虫・クワガタ・カブトなどで、どれも地元で見られる種類ばかりです。展示の仕方もアリ地獄は砂にすりばち型の巣を作り、姿は見えません。
 テントウムシは、オオマツヨイグサの葉陰でアブラムシを捕食中で良く見えません。
 尺取り虫は、コナラの枝になりきって見つかりません。
 このような展示なのですが、子どもたちの目はさすがです。 水槽内の枯れ草の下にじっとしているダンゴムシを見つけ、「いたよ。いたいた」という声にお母さんやお父さんが教わっているようでした。
 世界の珍しい昆虫展示に興味を持って見ていた子どもたちは、こちらの展示スペースにも夢中になっており、何か親しみを感じているようでした。

・2日間で8回の「虫の話」と「虫の紙芝居」も好評でした。 また、高校生と一緒にイベントができたことも色々な意味で意義深かったです。
 -来訪者数約2400人。-

《追記》
 当日展示していましたクロアゲハの蛹が1日置いた今日の早朝に羽化しました。とても美しく私たちへのご褒美の様な気がしました。今から、展示した昆虫を放しに行く予定です。


   

   

   


クロアゲハ…アゲハチョウ科で50~73ミリ。
 赤い花を好み、開けた場所のツツジやヒガンバナによく来る。食草はミカンやカラタチ。
 写真は虫のケース内で撮影したもの。

2010
 7.25

◎大相撲名古屋場所が終了しました。今場所は暴力団とのしがらみ、賭博による謹慎力士問題で開催すら揺れた場所でした。便りにも何度か話題に出させていただきました船橋市出身の若荒雄も謹慎休場でがっかりの場所でした。
 この際協会は諸々の膿を出して再出発して欲しいものですが、どうもトカゲのしっぽ切りで終わりのようですね。

 『蝶、諸々』
◎とにかく暑いですね。団地内で会う人会う人、皆挨拶は同じ言葉です。勿論、「暑いですね」。
 昨日の散策会でも熱中症が心配でした。ところどころで、休憩をとり水分補給をしながらの散策でした。

・今年は蝶が少ないのかと思っておりましたが、この所暑くなったせいか、アゲハ類の蝶が目につくようになりました。今日もクロアゲハ、ナガサキアゲハ、ナミアゲハ、キアゲハが目につきました。ナミアゲハやキアゲハは吸蜜のために止まっている所を見ることが多いですが、クロアゲハやナガサキアゲハは飛んでいる所ばかりで、止まっているところを見ることが少ないです。
 ただ、これらの蝶も産卵場所である食草・食樹にやってくるとじっくり見ることができます。お近くにミカンやユズなどの柑橘類や山椒などがありましたら、アゲハチョウの仲間がやってくるでしょう。
 キアゲハは食草がセリ科ですので、パセリやニンジン、ミツバなどがあるとやってきます。

・アゲハではありませんが、雑木林で見られる蝶にゴマダラチョウという種類がいます。コナラやクヌギの樹液に集まる大型の黒褐色に白い模様が涼しげな美しい蝶です。ゴマダラチョウは、この辺りに見られますが、模様が白地に黒い斑模様の大きな蝶オオゴマダラは、南西諸島に行かないと見られない蝶です。


◆ 先日の昆虫フェアの成田星稜高校の地域生物研究会の展示の中に、このオオゴマダラの蛹がありました。

 金色で宝石のように輝く蛹は話には聞いていましたが見るのは初めてでした。本当に金色でびっくりしました。
 昆虫の世界には驚かされることが沢山ありますが、この金色蛹もその一つでした。

   
  昆虫フェアの折に展示されていました
   
”オオゴマダラ” の金色の蛹

オオゴマダラ…タテハチョウ科、南西諸島にに見られる。海岸沿いの明るい林の中を涼しげな浴衣をまとい、ふんわりゆったり飛んでいる大柄な蝶。
 姿は美しいが毒蝶。60~75ミリ。食草キョウチクトウ科ホウライカガミ


2010
 8. 2

◎朝ドラの「ゲゲゲの女房」を見ていて、ゲゲゲの鬼太郎のテーマソングの作詞者が水木茂と分かった。この漫画はほとんど見たことはなかったが、テーマソングは心地よい響きを感じていたのも確かだ。
今後のドラマの展開に興味を持つ昨今です。

 『今の時期、昆虫が面白い』
◎この所暑くなったせいか、急に蝶の姿が増えたように思います。
 黒いアゲハの姿も連日見られるようになりました。クロアゲハ、ナガサキアゲハが中心ですが、場所によってはゆったりのんびりと舞うジャコウアゲハの姿も見られます。
・i駅から30分歩き、文化館で休憩後田んぼの脇の道を散策しました。ふと見ると、弱い風になびく稲穂の上を蝶のようなトンボのような不思議な動きをする黒い群れが飛んでいました。双眼鏡でのぞき、それがチョウトンボであることが分かりました。
 ひらひらと舞う姿は優雅で美しく早速デジタルカメラを取り出し撮影しようとしましたが、ほとんど止まらず遠く小さな映像ばかりでした。10分ほど頑張りましたが諦めて先に進むことにしました。
 ・森へ入ると、通称「森のレストラン」に行ってみました。※クヌギやコナラの樹皮から樹液が出ていてカブトやクワガタが集まってくる木を森のレストランと呼んでいます。そこにはカブトムシやカナブン、カミキリムシなどがいました。近くの伐採枝を積み上げてある場所には大型のハチ、オオスズメバチもやってきていました。

・森の脇にある湧水地は、水枯れで小さな水たまりしかありませんでした。カエルたちはその小さな池に身を小さくして窮屈そうに住んでいました。それでも湿地にはあちこちに小さな水たまりが残っていて、トンボの天国でした。ノシメトンボ、ナツアカネ、シオカラトンボなどが群れていました。


 草の葉ではハムシ類、蛾の幼虫、カメムシ類が採餌中でした。アリたちはアリマキの世話に夢中ですし、クモはそれぞれのネットを補修し偶然やってくる獲物を狙っていました。今、虫たちが面白いです。
・夜は、セミの羽化の姿が見られます。住宅地内の公園や駐車場脇などの各所で生命の神秘が見られます。


 8月9日の夜7時半から千葉NT中央駅北側にある大塚前公園でセミの羽化観察会をします。よろしければご一緒にみませんか。

   
  
死んでしまった個体。幅広の美しい色彩の翅が目立つ

チョウトンボ…トンボ科で蝶のようにひらひらと舞う美しいトンボ。紫黒色から黒っぽい金緑色の大きな羽をもつ。
 若い個体は高い場所で滑空飛行をするため、ヒコウキトンボとも呼ばれる。32ミリから41ミリ前後。

2010
 8. 9

◎台風4号の影響か朝から雨模様で、涼しい風が吹いています。が、暑さは今週の半ばからまたぶり返すようです。熱中症もアウトドアだけでなく室内でも起こっているそうですので体調には十分に気をつけて下さい。

  『千葉空襲写真展』
◎TVで広島の平和記念式典を見ました。今年もやはりTVからは、「シャワシャワシャワ」と大きなセミの鳴き声が聞こえてきました。
 大型のセミ、クマゼミです。TVからの鳴き声に共鳴するように我が家の窓下からも「シャワシャワシャワ」の声がしていました。
・我が家から聞こえるクマゼミの初鳴きは今年が7月26日、昨年が8月14日、一昨年が8月4日でした。今年はずいぶん早かったようです。
 今日は午前中1、2度しかクマゼミの声が聞こえませんでした。セミは気温が鳴き声の引き金になっているというのは本当のようですね。
 生息域が温暖化によって北上しているというクマゼミですが、北総地区では当たり前の種類になってしまいました。

・さて、今日は昆虫ではなくパネル展の話題です。先日千葉市にあるSデパートの地下ギャラリーでパネル展を見てきました。千葉市主催の「千葉空襲写真パネル展」です。

 千葉市は、太平洋戦争時の昭和20年6月10日と7月7日、2度にわたる大空襲を受けました。この空襲により中心市街地の約7割(約231ha)が焼け野原となり、死傷者は1595人を数え、被災者は、4万人以上に及んだそうです。
 写真には、生々しい惨劇の写真から復興途中の市街地の写真、それに往時の軍事施設や現存する戦跡などの写真など数多くが展示されておりました。なかでも気球連隊の写真や鉄道連隊関連の写真・地図など貴重なものが見られました。

・私は、父(故人)から千葉空襲の話を何度も聞いていましたのでこの写真を見て考えさせられることが多々ありました。空襲直後の瓦礫の中を自転車を引いて歩き、友や知り合いの安否を探したという父の姿が写真の映像に重なる思いがしました。
広島、長崎だけでなく各地で起こった悲惨な出来事がもう二度とないことを願うばかりです。そして現在世界各地で起こっている惨劇がなくなることを祈るばかりです。

千葉空襲と平和展…千葉市では平和啓発事業の一環として、「千葉空襲写真パネル展」「平和について語る会」「戦跡めぐりバスツアー」を開催しています。このうちのパネル展が8月16日(月)まで、そごう千葉店「地階ギャラリー」10:00~20:00(最終日は16:00まで)で行われています。語る会とツアーは、終了。


        B29
   

        ・焼夷弾
   

        気球連隊の気球
      


2010
 8.16

◎8月15日印西市で「印西平和の鐘」の撞鐘式(とうしょうしき)がありました。終戦記念日に実施しており本年で4回目となります。
 なお、この「平和の鐘」の製作者は香取秀真(印西市出身)の長男で人間国宝の故香取正彦氏の作品で、広島平和の鐘と同形の作です。谷津田だより28ページ参照

 『佐倉七牧…矢作牧の野馬土手…』
◎先日家内の実家(香取郡)に法事のため行きました。
 実家に行く途中、義母の生まれた家にちょっと寄ってきました。といっても、家の前を通っている道端に寄ってきたのです。

・そこの道路脇には土手が築かれており、その土手を見てきたのです。
 紀州から江戸、そして九十九里に移った義母の先祖は、明治になってからここ香取郡に移ってきたといいます。
 江戸期の幕府直轄の牧場佐倉牧のうちの矢作牧の野馬土手がこの土手です。
 土手のほとんどは崩され残っているのはほんの一部ですが、ここは、かなり多くの土手が残っている大変貴重な場所といいます。
 この土手は、「続野馬土手は泣いている」ろん書房にもはっきりと図に載っているものでした。


・特に義母の生家の入り口付近の土手は高さも高く珍しいものと本に載っていました。 
どこにでもあるような土手ですが、江戸期や明治初期の歴史を感じる気がし、ちょっと儲けた気がしました。何枚か撮影をしてから実家に向かいました。
   
   土手の長さは、200メートル余りある

野馬土手…江戸時代、村は水田近くの低地に、牧は下総台地に広がっていた。野馬が村へ侵入するのを防いだ野馬土手は今も残っている。
 (「野馬土手は泣いている」青木更吉著より)


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