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 2010
 2.18

◎明日2月19日は、二十四節気の一つ「雨水(うすい)」です。空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころといいます。この時節から寒さも峠を越え、衰退し始める頃だそうです。このところ寒い日が続きますが、きっと春も間もないのでしょうね。

 『しし狩り資料を見て』
◎しし狩りとは、獅子狩りではなく鹿狩りと書きます。江戸時代に小金原(小金牧と同義、将軍が見学していた御立場は、現在の松飛台付近)で将軍が行ったしし狩の際、鹿や猪、犬などの獣を追い込むための大勢の百姓勢子を使ったとということです。
・江戸期に4回行われていますが、享保10年、11年(1725、1726年)に将軍吉宗が行ったしし狩りは規模も壮大で、歩兵や勢子(せこ)の数も相当な数に及んだそうです。獲物数は、2回合わせて鹿1296頭、猪22頭、狼2頭となっております。

・先日、白井市の池と川を巡る散策会の折、K家に伝わるこのしし狩りの資料を見学しました。
 K家の長屋門をくぐると樹齢数百年と思われる梅や紅葉の木が立ち並び、その奥に立派な母屋がありました。木箱から取り出した資料を縁側に広げて見せていただきました。資料は、勢子(せこ)世話役に幕府から拝領された「色羽織」と「村小旗」でした。 色羽織の背には「セ」、村小旗には「人足九人 下総国印幡郡中木戸新田」の文字が染め抜かれていました。この文字からしし狩りの際に中木戸新田に9人の人足が割り当てられたのが分かります。

戸神白鳥情報…3羽変わらず。が、U氏によると先日5羽になったとの情報あり。そろそろ動きが見られるので要注意。


 植物染料で黄土色に染められた布地は、幾つか虫食い穴が見られましたが、江戸期のものとは思えないほど綺麗にみえました。
 この資料が何回目のしし狩りのものかは分かりませんでしたが、一時の間タイムスリップし当時の様子を思いめぐらすことができ、とても充実した時間を持てました。

   
  K家に伝わるしし狩り資料:
   村小旗(左)と色羽織(右)

 帰りは、谷津の真中を流れる川に沿って歩き散策を終了いたしました。

しし狩り…多人数で山に入って、猪や鹿などの獣を狩り取ることをいう。
 たかがり(鷹狩り)は、飼いならした鷹を放って野禽や小獣を捕らえさせる狩猟で、しし狩りとは全く異なる。
(広辞苑より)

2010
 2.22

◎つい大きな漬物石を連想してしまうのがカーリング競技です。バンクーバー五輪も後半戦に入っていますが、このカーリングが今人気です。「針の穴」の一投と評された英国戦での目黒萌絵の好ショットなどルールを知らない私でもTV画面に見入ってしまいました。

 『ぎりぎりセーフ! オオヒシクイの飛来地訪問』
◎ヒシ(菱)の実を食べることから名がついたガン類のオオヒシクイが例年越冬にやってくる霞が浦の南岸の地、江戸崎(稲波干拓地)に行ってきました。土浦からバスで1時間乗り、川に沿って3キロほど歩き飛来地の水田に着きました。
・土手の上から、およそ100メートルほどの水田の枯れ草の陰にその姿が見られました。しばらく観察していましたら、枯れ草のない場所に出てきてくれました。数は全部で19羽。二番穂をついばんだり、田の土をほじっていたりと忙しそうにしていましたが、しばらくすると首を羽の中に埋めて休み始めました。

・昨日(2/21)の朝35羽が北へ飛びち、今朝(2・22)も十数羽が飛び立ったそうで、残っていたのは19羽でした。おそらく残りの群れの北帰行も数日以内かと思われます。ぎりぎりセーフということですね。なお、今年の飛来数は67羽で過去最高だったそうです。
(私が3年前12月末に訪れた時は64羽でした)


 なお、ここはオオヒシクイだけでなく猛禽やタゲリ、ホオジロ、そのほかの小鳥類、そして脇を流れる川面にはカモたちの姿が見られ、野鳥のメッカです。
 今日は曇っていましたが風もなくまあまあの観察日和でした。
   

オオヒシクイ…ヒシクイはマガンより大きく全長85センチにもなるカモ科の冬鳥。日本にはヒシクイとオオヒシクイの2亜種が渡来し、江戸崎には体の大きいオオヒシクイが飛来する。霞ヶ浦には1985年に34羽が確認され、それ以来飛来数の確認をしているといいます。国指定天然記念物です。


 戸神白鳥情報…動きがありました。
 今日(2/22)2羽増え、5羽となりました。この2羽が昨年この池で一緒に過ごしていた個体かどうか
 分かりませんが、そろそろ北帰行の可能性がありそうです。
 見守っている方、気をつけて見ていて下さい。
 飛翔や姿が見えないなどの変化がありましたらご連絡ください。(情報提供 Uさん・Hさん)


2010
 2.26

◎啓蟄はまだ1週間ほど後ですが、春の暖かさに誘われ虫たちが出てきました。

 『ぽかぽか陽気に誘われて ―虫も私も―』
◎所属している自然サークルの会報印刷のため、船橋市のM公民館に出かけました。会報作業終了後、春の陽気に誘われて数人で船橋北部を流れる川土手を歩きました。
 途中カワセミやホオジロ、ツグミなどの野鳥を見ながら県民の森まで歩きました。平日でしたが、土手上の遊歩道も森の小道もそこそこの人数が見られました。

・散策途中、蝶の姿を何度か見ました。住宅地内の道路と畑脇の草地で見られたのは、越冬途中と思われる蝶キタテハでした。
 橙色地に黒い斑と翅の切れ込みが目立つ蝶で、低くひらひらと飛んでは止まり、また飛ぶことを繰り返していました。道路の上やギシギシの葉に止まっている姿を写真に撮りました。翅はずいぶん痛んでいるようでしたが飛び方はしっかりとしていました。きっと葉陰で越冬していた個体が、4月のような陽気に誘われて舞い出たのでしょう。春の陽気に誘われたのは私たちと同じですね。

・県民の森の広場でも、また蝶に会いました。やはり成虫で越冬する蝶、ルリタテハでした。
 翅表が青色を帯びた黒地に瑠璃色の帯が目立つ綺麗な蝶でした。広場に置かれていた木製テーブルの上に何度か止まったのですが、近づくと飛んでしまい小さくしか撮影できませんでした。
・明日からまた天候が悪くなるようですが、それでも確実に虫たちは動き始めることでしょう。なお、虫がはい出すという啓蟄は3月6日です。

戸神調整池白鳥情報…この数日6羽になっています。が、今日は朝から1羽も見られません。もしかしたら北帰行かもしれません。また、変化あればお知らせします。



キタテハ…タテハチョウ科22~34ミリ。秋型は橙色で切れ込みが大きい。成虫で冬を越す。冬でも暖かい日には飛ぶこともある。
   
   キタテハ…  畑の脇の道端で

ルリタテハ…タテハチョウ科25~44ミリ。翅表は青色を帯びた黒褐色に瑠璃色の帯がある。成虫で越冬する。
   
  ルリタテハ… 森の広場の木製テーブルの上

2010
 3. 1

◎県立中央博物館主催の考古学講座に参加してきました。
 江戸時代古いものに関心を持つ人々は好古家と呼ばれていたそうです。
 好古の世界も明治になると外国人研究者の影響を受け考古学・人類学という学問性を高めていったのです。
 講座は江戸期に利根川下流域佐原村の名主で好古家の伊能景利(伊能忠敬の義理の祖父)を取り上げた民衆文化についての話が中心でした。
 景利の収集資料の中には、富士焼砂(富士山の火山灰・宝永4年11月23日佐原村にて採集)などもあり、現在も貴重な資料となっているそうです。

 『この小さな建物は何?』
◎夕方、時間が少しあったので途中下車し、10分ほど歩き目的の場所に行きました。樹木に覆われ、フェンスに囲まれた縦120、横100メートルほどの敷地は、時間に取り残された都市の中のミステリースポットのような所でした。
 実は、ここには旧日本軍(陸軍)の習志野学校の建物が建っていた場所だったのです。
 兵舎や実験棟、材料廠など広大な敷地に数十の建物が建っていたといいます。
 現在もその一部が未利用の土地となっており、立ち入り禁止の場所として残っていたのです。
・うす暗くなった敷地には、土台や階段などの瓦礫がそのままの状態で残っているのが見えました。
 それからフェンスに沿って一回りしてみましたら、石の門や歩哨が番をしていた小さな建物が見られました。


   
  旧日本軍(陸軍)の習志野学校跡地に残る歩哨所

 一回りし、数枚写真撮影をしてから駅に向かいました。
 駅に近付くと日曜日の夕方とあって、多くの人が雑踏の中忙しそうに移動していました。繁華街から歩いてほんの数分の所に戦争の遺跡がいまだ残っていることに違和感を持ちつつ帰路に着きました。

習志野学校跡地…1933年(昭和8)から1945年(昭和20)まで現千葉県習志野市にある旧日本軍(陸軍)の軍施設。なお、「坂の上の雲」の登場人物 秋山好古が旅団長をしていた陸軍習志野騎兵旅団の碑も跡地のすぐ近くにあります。


2010
 3. 7

◎「新i市」誕生の広報臨時版が朝刊に挟まっていました。今月23日に、i市と、m村、i村の1市2村の合併が行われます。市の面積は2倍、人口は1.4倍になります。「人 まち 自然 活気と希望のある 北総の中核都市」のスローガンを掲げスタートします。合併協議がばたばたと行われ心配されることも幾つかありましたが、新市として出発するのですから良い方に向かうことを願います。

 『年に一度の紙芝居屋さん』
◎一昨日とはうって変っての真冬日に戻ってしまった一日でしたが、駅前センター祭りに出かけ「紙芝居屋さん」をやってきました。

・私はi市環境推進会議の一環として、駅前センターで年に一度紙芝居をしています。引っ越し用の段ボールに風呂敷をかぶせ紙芝居用の舞台をくくりつけた移動自由な紙芝居です。祭りの初日の昨日、センターの中庭で実施予定でしたが、雨天のため今日に延期したのです。
 しかし今日も雨でしたのでセンターのホールの一部に舞台を組み立て行うことにしました。

・内容は環境紙芝居と漫画紙芝居を合わせた4作品を4回上演しました。客層は毎回上演した「アンパンマン」につられたのか4,5歳から小学校低学年の子どもたちが主流でした。雨のため客は少なめでしたが、それでも終わるたびに精いっぱいの拍手をもらいました。


途中、推進会議委員のSさんに読み手のお手伝いをしていただいたり、ウェットランドガイドのメンバーに支援していただき、年に一度の紙芝居屋さんを無事終了することができました。

   

アンパンマン…やなせたかし作の絵本「アンパンマン」の主人公。パン工場のジャムおじさんたちと暮らしている。町のパトロールをしながら、困っている人を助けたり、悪さをするバイキンマンを懲らしめたりする。小さな子たちのアイドル的存在。


2010
 3. 9

◎戸神白鳥情報です。

 『北帰行』
◎戸神防災調整池のオオハクチョウの姿が見えなくなりました。 3月5日(金)を今冬の北帰行とします。

以下、今冬の白鳥の飛来状況をまとめておきます。

・印西市 戸神防災調整池
      オオハクチョウ飛来状況
 2009/11/ 5  1羽飛来 早朝 初認
 2009/12/19  3羽になる。
 2010/ 2/22  5羽に増える。
 2010/ 2/26  6羽に増える。
 2010/ 3/ 1    2羽に減る。
 2010/ 3/ 4    2羽確認 午前中 終認
   ―その後、確認できず―
 2010/ 3/ 5  北帰行とします。

・ずっと白鳥を観察し情報を送っていただいたU氏、そして変化あるたびに連絡していただいたH氏を初め色々な連絡をしていただいた皆さん方ありがとうございました。
来季にもぜひ飛来してくれることを願いながら、今季の白鳥情報を終了します。ただし、また戻ってきた場合には再度ご連絡します。





   
   2月23日撮影

オオハクチョウ…カモ科全長140センチ、体重10キロにも達する大きな水鳥。
 成鳥は全身まっ白、若鳥は灰褐色である。冬鳥として渡来する。
 水草の茎や根を主食とする。家族群で行動する。繁殖はシベリアのタイガ。


2010
 3. 11

◎「北帰行は、保留」
 白鳥がまた戻ってきました。
戸神防災調整池に白鳥が1羽戻ってきました。
 ちょっと見た感じでは、初めに飛来したミルではないように思います。
 しばらく様子を見てまたお知らせします。
よって北帰行については、いったん保留とします。

 『地上最強の生物』
◎今ちょっと関心を持っている生き物について書いてみます。
・地上最強とか小さな怪物とか巷で噂されている生き物とは、緩歩(かんぽ)動物門オニクマムシ科の微生物のクマムシのことです。
 100年以上も生きるとかマイマス270度の超低温や150度の高温にさらされたって、放射能を浴びたって電子レンジでチンされたって大丈夫、等々。
 実際のところはどうなのか分かりませんが、クマムシは、「クマムシの本?!(著者 鈴木忠)」によると、噂ほどではないにしても完全に乾燥すると樽状になり、かなりのことに耐えられるらしいです。

・先日マンション近くの公園の地面に生えている苔を一つまみ採り、水を張ったシャーレに入れて一晩おいて、20倍の顕微鏡でひたすら捜してみました。
 じっと見つめていると何かが動きますので微生物の存在はすぐに分かりました。
 しかし、どれがクマムシなのかは分かりませんでした。 でも目が慣れてくると見つかりました。
 名前の通りにクマ(熊)さんに似ていました。
 小さい目が目立ち、しきりに足(4対計8本)を動かしていました。

 しかし足をばたばたする割にはなかなか進みません。
 ちょっと見には小さなエビかオキアミに見えました。
 近くにいた伸びたり縮んだりしているワムシを狙っているのでしょうか、のろのろ歩きですが、ワムシの方に近付いているかのように見えました。


   
                  オニクマムシ(オニクマムシ科)
   ◎マウスポインタを画像の上にすると!
・1時間ほど観察してから、苔と一緒に昨日採取した元の場所に返してきました。しかし、きちんと観察をするのには、クマムシを吸い取り、プレパラードに移す必要があるのですが、小さすぎて私にはできませんでした。今度また挑戦しようかと思っています。
 ※写真上は、観察したクマムシの写真。(顕微鏡にデジカメのレンズをあて撮影したので映像がはっきりしていませんが)

クマムシ…緩歩動物門オニクマムシ科、0.1~0.8ミリ位の微小な生物。動物のクマにちょっと似ているのでその名がついたといいます。オニクマムシは、苔の中に棲んでいる。


2010
 3. 16

◎今放映されているNHKテレビ朝のドラマは土佐のアカウミガメの話ですが、前回放映の「だんだん」は松江・宍道湖のシジミに関わるドラマで、主人公の父がシジミ漁師でした。
 その時から宍道湖のシジミを食べてみたいと思っていました。その願いが突然昨日叶いました。知り合いから直送されてきたのです。味は言うまでもなく最高で、皆さんには話だけで申し訳ありません。今この宍道湖や津軽十三湖のシジミが美味しい時期です。

 『水田で優雅な舞が』
◎3月23日に印西市と印旛村、本埜村の1市2村が合併します。印西市を中心にした吸収合併ですので市名は「印西市」のままです。‥というわけで、散策会コースに合併で広くなったエリアも加えたいと思い、先日印旛村地区を訪れました。

・印旛日医大駅から30分ほど歩くと僧行基の創設と伝えられるM寺に着きました。松虫姫伝説にふさわしい時代を感じる古刹です。椎の巨木・古木にびっくりし、しばし古の時代を思い起こす至極の時間が持てました。お寺を後にしばらく歩くと広々とした谷津田に出ました。
・今日の目的地である福祉法人i舎の建物が見えてきたその時、僅かに水の残っている田の畔から数羽の鳥が飛び立ったのが見えました。 白と黒のツートン模様の翼をカモメのように優雅に動かし、水田上空を舞っていました。サギでもカモメでもカモとも違いました。
 ゆったりとして力強くはばたくの先は黒、頭は灰褐色の姿、ケリでした。大形のチドリ科のケリ、なかなか見られる鳥ではありません。この地区が自然豊かな証拠です。
 しばらくケリの優雅な舞を堪能してからi舎に向かいました。
 ※この地区での散策会は10月の終わりに予定しています。



   
    【写真はケリ。コンパクトカメラで撮影】

 同種に近いタゲリ
     
(オオヒシクイ飛来地・江戸崎にて2/22撮影

ケリ…チドリ科の足の長い大形の鳥。全長35.5センチ。
  キキッ、キキッと鋭い声で鳴く。
 水田や河原で繁殖。なかなか見られない野鳥。


2010
 3. 18

  ~ 白鳥情報です ~

 『戸神防災調整池の白鳥北帰行』
◎3月9日付でお知らせしました白鳥北帰行ですが、1羽が戻ってきましたので北帰行を保留してありました。

 その後、その1羽もいなくなりましたので、改めて右記のようにします。



      記
・2009年度冬印西市戸神防災調整池の白鳥(オオハクチョウ)
【飛来日】
 2009年11月5日(木)
【北帰行】
 2010年3月13日(土)
【備考】
・滞在日数126日
・最大飛来数6羽
・飛来個体のうち、個体識別できた個体数2羽
・幼鳥は、確認できず。


2010
 3. 23

◎昨年は大分県で葦焼の際に死傷者がでましたが、この3月20日にも御殿場陸上自衛隊東富士演習場内の野焼き作業で事故が起こりました。
 一昨日3月21日に実施予定の渡良瀬遊水地の葦焼も強風のため延期したのではないでしょうか。

 『さくら、さくら・・・』
◎桜開花日は、日本気象協会とウェザーマップが気象庁の標本木で予想、ウェザーニューズは主要な名所の桜で予測しているようです。
 これらのデーターによりますと銚子で3月28日、茂原公園で3月26日となっています。
・開花予想は、花芽の生長が気温に依存する性質を利用して行っているそうです。
 桜(ソメイヨシノ)の開花から満開の日数は、九州から東海・関東地方では約7日、北陸・東北地方では約5日と言われております。

・この開花予報に使われる種類は、ご存じのソメイヨシノです。
 ソメイヨシノは、現代人に最も馴染みの深い桜の代表種で、北海道南部から九州に至る各地の気象台の開花観測の対象種になっております。
 ただ、寿命がエドヒガンなどと比べるととても短く5、60年と言われています。

・このソメイヨシノの古木(聞くところによりますと100年を超えているという)が印西市にあります。
 次号でこの古木についての話題を載せたいと思っていますが、実際にソメイヨシノであれば、県下でも有数の銘木だと思います
【今桜の見分けを勉強(?)中です】。

◆ソメイヨシノ(染井吉野)…最も広く栽培される現代のサクラの代表品種で、北海道南部から九州に至る各地に栽培されている。 江戸時代にエドヒガンとオオシマザクラが関与して誕生したと考えられている。
 明治初期に東京染井村(現豊島区駒込)で育成され売り出された。


★オオカンザクラ(大寒桜)
  見分けのポイントは、花弁は淡いピンクで円形、
  後ろの筒部分は赤く釣鐘形などだが、難しい。
   

   

 トピックス
 印西市と本埜村と印旛村の1市2村が、本日2010年3月23日合併をしました。
 合併後 人口8万6578人、世帯数3万648世帯、面積123.8㎢(平成22年3月末推定)、新市名:印西市


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