-ページ〔46〕- | 谷津田だよりのトップに戻る | |||
2009 12. 14 |
◎今日12月14日は「四十七士討ち入りの日」。 1702(元禄15)年、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りした日です。時刻は寅の上刻ごろ、ということは午前3時です。当時は日の出の時間に日付が変わったので14日寅の刻でしたが、現在の暦法では、15日午前3時ということになります。 『ヒシクイがいた』 ◎先日外房に出かけました。川にそった道を進むと左手に水が溜まった田が広がっていました。タゲリのいそうなポイントでしたので双眼鏡を覗くと、すぐに見つかりました。私たちを警戒しているのか頭を高く持ち上げ、こちらをうかがうように静止している姿が見られました。全部で14、5羽。一緒にタヒバリやハクセキレイ、セグロセキレイもいました。 ・さっと田の脇に広がる葦原を横切る猛禽がありました。一瞬でしたのではっきりしませんでしたが、チュウヒのような感じがしました。 タゲリは一斉に飛び立ちましたが、しばらくすると少し離れた田に戻ってきました。 ・川に沿ってさらに進むと開けた河口に出ました。河口には無数のブイが浮いていました。漁に使っているのもでしょうか。双眼鏡を覗くとブイとブイの合間に沢山のカモやオオバンの姿が見られました。 ・ふと岸辺近くの水面に目を向けると、2羽の大型の水鳥の姿が目に入りました。一羽はハクチョウでした。くちばしの基部に黒い大きなこぶがあり、一目でコブハクチョウと分かりました。もう一羽は、その半分くらいの大きさ、体はうすい褐色で首から腹にかけて白っぽく、くちばしの先のオレンジ色が目立ちました。 冬鳥としてシベリアから渡ってくるヒシクイでした。 ・2羽はとても仲良しで、水面で休む時も移動する時も一緒でした。きっと同じ仲間だと思っているのでしょうか。 ・途中モズが鳴いたり、大型ツグミ類が現れたりと、今の時期野鳥が面白いです。寒さ対策をして出かけてみませんか。 |
ヒシクイコブハクチョウと一緒に行動していました ヒシクイ ◆ヒシクイ…カモ目カモ科全長85センチ。 マガンに似るが大きく、全体に黒褐色味が強い。 クチバシは大部分が黒いが先端近くに橙色がある。 日本には亜種ヒシクイと亜種オオヒシクイが渡来する。写真の種はどちらか分かりません。ヒシクイの名はヒシの実を好んで食べることに由来するといいます。 |
||
2009 12. 21 |
◎印西市に隣接する場所で、猪の被害が出ているといいます。推定50頭くらいいるとi氏からの情報がありました。 生物多様性が叫ばれる中ですが、人と動物の共存には難しいことがいっぱいあります。 『やっときました!』 ◎11月5日に飛来したのが、お母さん白鳥のミルさん。 その後、池にかかる橋の上では「まだ一羽ですね」「ほかのは、どうしたんでしょう」と話しながら池水面を覗きこむ人が絶えません。 12月19日、池の対岸近くの水面に3羽浮かんでいるのを見つけました。 対岸までは橋から700メートル位離れているので望遠鏡でやっとわかる程度ですが確かにオオハクチョウ3羽の姿が見られました。 ・昨冬はミルさんがつがいの相手ギザさんと子供2羽を連れてやってきました。しかし、今冬はなぜか1羽での飛来でした。 つがいの相手や子供たちが心配でしたが、ギザさんがもう1羽(子供かどうかは不明)と一緒にやってきました。 ・今日12月21日の午後行ってみましたら、餌を食べるのも移動するのも羽の手入れをするのも皆一緒でした。 ギザさんが連れてきたのはきっとミルとギザの子供なのでしょうか。すでに数日過ごしていますので、このまま越冬するのではと推測されます。 ただ昨冬は6羽でやってきましたので、今後まだ増える可能性があります。 ◆戸神調整池の白鳥…この池への初飛来は06年11月。その後は少し数が増え08年は6羽飛来。06年にやってきたメスの個体がミルさん。08年にミルさんとつがいでやってきた雄の個体がギザさん。ミルとギザには昨年2羽の子がいた。なお個体識別は写真をもとに嘴の黄色の斑の形でしたが、標識等をつけたりしていないので、あくまでも推測であることをご承知ください。 ☆戸神池白鳥情報…成鳥3羽(12/19 2羽飛来) |
【今日撮影した写真】 3羽で泳ぐ ギザさん。ミルさんの連れ合い(雄) ・ここでは、人が餌をやることはしていません。池に生えている水草を食べていますので食事時にあたれば、橋の下の近くで草を食べている姿が見られると思います。ただし休んでいるときは対岸に移動していることが多く、肉眼では無理と思われます。もし見に行かれる時には防寒対策と双眼鏡が必携でしょう。 |
||
2009 12. 28 |
◎新聞紙面には、小沢幹事長の資金管理団体の収支報告書の件で”i議員”の顔。今季不振で苦しんでいたが、巻き返して五輪出場が決まったフィギュア―スケートの真央ちゃんの顔。京葉版には合併問題で対立する本埜村の村長さんの顔などが大きく出ていました。 慌ただしい年末となっていますが、皆さんいかがお過ごしですか。 『これが化け物?』 ◎鳥の妖怪というと、まず第一に挙げられるのはヌエですね。 「平家物語」「源平盛衰記」などに見られる源頼政が退治した怪物は、このヌエ(鵺)です。 天皇を悩ましていたという怪物・鵺(ぬえ)は、頭が猿、手足が虎で尻尾が蛇、そして鳴き声が低山帯に生息するツグミ科のトラツグミのようだったといいます。 夜に「ヒー、ヒョ―」と不気味な声でさえずるトラツグミの生態から作られたのが怪物・鵺の正体のようです。 ◆トラツグミ…大型ツグミ類ヒタキ科ツグミ亜科の全長29.5センチの野鳥。日本で見られるツグミ類の中では最大の種。夜に口笛のような声でさえずる。林や林縁の地上でミミズをとる。鵺の異称あり。 |
トラツグミ 鳴き声から怪物・鵺に ・先日、里山の斜面林を切り開いてできた坂道沿いの斜面で餌を探すトラツグミの姿を見つけました。私たちの気配を感じ林の中に逃げ込んでしまいましたが、木の枝の合間にその姿が辛うじて見ることができました。怪物の正体と思えぬほど、胸や背の黄褐色と黒の三日月斑が美しく、また黒く大きめの目が愛らしい姿の鳥が枝に止まっていました。 ・バードウォッチャーの中でも憧れの鳥になっているトラツグミの姿をじっくり見ることができ充実した気持ちになりました。 |
||
2010 1. 2 |
◎師走の半ば、京都の清水寺貫主によるその年(2009年)の世相を表す漢字一文字が大きな和紙に巨大筆により表わされました。 そのひと文字は「新」でした。 鳩山「新」政権、オバマ「新」大統領それに「新」型インフルエンザなどからの発想といいます。 ★2010年の新年を迎え、今年こそ「新」の一文字の持つ新たな気持ちで事にあたりたいと思います。 『明けましておめでとうございます』 ◎史上初めてという元旦の月食からスタートしました本年が、平和で皆様方にとってホットできる年でありますことを願っております。 今年の「初日の出」も寒い中ですが、頑張ってふなばし三番瀬海浜公園前の干潟で迎えました。 気温はマイナス1度、200人ぐらい人が集まっていました。 これで三番瀬での初日の出は4度目となりますが、”日の出”の瞬間の緊張感と美しさはまさに畏敬の範疇に入ります。 「新たな」気持ちで今年も頑張りましょう。本年もよろしくお願いいたします。 ウエットランドガイドの活動も頑張りたいと思いますので、ご支援お願いいたします。 元旦 ◆ウエットランドガイドとは…文字の意味は湿地案内人となります。 しかし私たちは、湿地(水田や池、川、干潟など)を含む里山や里海をも広い意味でウエットランドと考えています。 里山や里海の案内を通して自然の良さや不思議さ、それと不法投棄や里山の荒れなどにも目をむけ、自然に関心を持ってもらえたらと思っております。ですから、印西ウエットランドガイドとは、印西を中心とした里山および里海自然案内人と考えております。 |
初日の出: 手前にはハマシギの乱舞が見られました 元旦の未明の月食。 |
||
☆戸神調整池白鳥情報…年末も変わらず3羽で過ごしていましたので、このまま越冬すると思われます。 Uさん情報によりますと、NT大橋より北側で採餌していることが多くなっているそうです。 橋の南側(広い方)に見られないときは、北側も覗いてください。 |
||||
2010 1. 5 |
◎お天気のよいお正月ですが、皆様いかがお過ごしですか。もっとも昨日から仕事始めの方も多いと思われます。お風邪など召されませぬようご活躍ください。 『戦場に架かる橋』 ◎この映画は、アカデミー賞受賞の日本軍と英国軍捕虜の物語です。きっと皆さんも見たことがあるのではありませんか。 中国および英米仏軍と戦闘状態が続いていた日本軍は、マレー半島からミャンマー(ビルマ)の前線まで兵士と物資を補給するための陸の輸送路としてタイ国内を横断する鉄道を作っていました。この鉄道は全長約415キロメートルで、泰緬(たいめん)鉄道と呼ばれていました。 ・鉄道建設に従事した人員は、日本軍約12000人。連合軍の捕虜が約6万人。東南アジア各地からの労働者は、10万人とも20万人ともいわれています。このうちの日本軍は、陸軍鉄道連隊の第5連隊と第9連隊だったそうです。鉄道連隊は第1連隊が千葉市、第2連隊が津田沼にでき、その後20もの連隊が生まれたのです。 ・現在の新京成電鉄(津田沼~松戸間)の路線は、第2連隊の演習線を払い下げたものです。ただ、一部路線が変わっている場所があります。 その一番大きく変わっている場所が、二和向台駅と初富駅間です。 ここはカーブがきつい線を直線にした軌間で、もとの線路は道路(二和道)になっています。カーブの先端部で低地になっている場所(鎌ヶ谷市東鎌ヶ谷)に旧陸橋の橋脚部分(コンクリート製)がまだ残されており、少し離れた場所に小さなコンクリート製の杭が立っていました。 その杭に「陸軍」の2文字が刻まれていて歴史を感じさせられました。 泰緬鉄道建設に従事した兵士も千葉あたりの人々で編成された部隊であったといわれます。戦後65年になる今日、どんどん戦争意識は薄れていきますが日常のそこかしこに戦跡はあるのですね。 ・JR千葉駅の北にある千葉公園内にもこれと同じ橋脚が残っております。こちらは第1連隊のものです。 |
東鎌ヶ谷に残っている陸軍鉄道第2連隊の橋脚 陸軍の文字のあるコンクリート杭 ◆鉄道連隊…戦地における鉄道の建設と修理、運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。日清戦争後にできた鉄道大隊が元。 第2連隊の橋脚跡には、3月26日の散策会「木下街道コース」の際に訪問します。 ☆戸神池白鳥情報…特に変化なし |
||
2010 1. 10 |
◎近くのスーパーの魚売り場に”体面貝”という表示の貝が売っていました。別表示では「本びのす貝」となっておりました。 東京湾にいつの間にかやってきた外来種の貝・ホンビノズガイでした。大きな赤貝ほどもあり、焼いて食べるのがお奨めとのことでした。 ホンビノズガイ 話の種に1パック(2ケ)購入して夕飯のおかずにしてみました。味はまあまあ(?)というところでした。 『慶長14年御宿の海岸にスペイン船が漂着』 ◎先日、千葉県南房総御宿に行ってきました。 1609年(慶長14年)9月30日御宿町岩和田海岸(現・田尻海岸)にスペイン領フィリッピン総督ドン・ロドリゴの一行が乗った帆船が任務を終えメキシコに向かう途中、台風で遭難・難破したのでした。 317人という岩和田の村民を上回る遭難者が助けられました。 村の人々の生活は貧しかったのですが、大切な着物や乏しい食べ物を分け与え、漂流で体温の下がった船員たちを海女たちの素肌で温めたというエピソードが残されております。 この事件が、日本とメキシコとの交流のきっかけになったといわれております。 |
漂着地の海岸の高台に、このことを祈念して建てられたメキシコ塔がそびえていました。青空に映える巨大な水晶のような高さ17メートルの塔は、往時の村人たちの偉業をたたえ、これからの日本とメキシコの交流の指針を表現しているかのように思えました。 メキシコ塔 また近くの御宿海岸には有名な「月の沙漠像」と月の沙漠記念館がありました。 穏やかなお正月の一日、時代を超えたロマンに心がほっとした気がしました。 ◆メキシコ交流…1609(慶長14)年ドン・ロドリゴを乗せたサン・フランシスコ号御宿沖で座礁。 大多喜城主がロドリゴ一行を城に招待。 1610(慶長15)年帰還。 1978(昭和3年)年メキシコ塔完成。 1978(昭和53)年御宿町とメキシコ・アカプルコ市姉妹都市。 メキシコ・ホセ・ロぺス大統領御宿訪問。 2009(平成21)年日本メキシコ交流400周年行事 |
||
2010 1. 17 |
◎1995(平成7)年の6月神戸電鉄線長田駅に降り立った私は駅前に広がる情景に息をのみました。 震災から5カ月経っていたのですが、道路わきの電柱はほぼ全部が傾いたまま、建物も崩れたままのものも多く、掘立小屋風の店がいくつかありました。 なんと駅自体がなくなってしまい、仮設の駅でした。ちょっと歩くとTVで何度も見た傾いた高速道路、アーケードが崩れ落ちた菅原市場などが続いていました。 特別に視察を受け入れてくれた神戸市立のO中学校の校舎も少し傾げていました。 校舎1階にある玄関に入るのに建物との間にできた地割れ部分(幅2メートル、深さも2メートルほど)に渡してある板の上を恐る恐る歩いたことが昨日のように思い出されます。 あれから15年が経ちました。日本では、この阪神淡路大震災の教訓から災害ボランティアが始まったともいえます。 今日1月17日は「防災とボランティアの日」です。また、ハイチのニュースが報道されるにつけ災害の恐ろしさが実感されます。 『イソヒヨドリ』 ◎近くにお住まいのSさんから野鳥の写真がメール添付で送られてきました。種名が分からないとのことでしたので早速、図鑑を元に同定(種類調べ)してみますと、ヒタキ科のイソヒヨドリの雌のようでした。 この鳥は「磯ヒヨドリ」の名前の通り、海岸の磯場などによく見られる種です。印西など内陸の地では年に何度か移動中の個体を見るくらいで、普段に見られる鳥ではありません。 ・そういえば昨年暮れにもやはり近くにお住まいのI さんからもイソヒヨドリの雌の写真が送られてきました。 撮影場所が同じなのでおそらく同一個体と思われます。 きっと何かの理由でしばらく居座っているのでしょう。I さんが最初に目撃したのは、11月の末だったといいますので早くも1ヵ月半は経っています。 ◆イソヒヨドリ…ヒタキ科ムクドリ大の鳥。 雄は背面と喉から胸部まで濃い青色。 雌は暗褐色でうろこ状の斑が目立つ。 海岸や荒磯などによく見られる。時々住宅街の公園などにもいることがある。さえずりは明るく大きな声で鳴く。印西など内陸地では珍しい。 |
・イソヒヨドリの雄は、頭から背中が濃い赤。腹が濃い赤褐色の美しい姿です。これに比べて雌は体が褐色で地味ですが、胸から腹にかけてのうろこ斑が美しくとても魅力的な姿です。よって雌の方を好むバードウォッチャーも多いようです。もしかしたら、皆さんのお近くの公園などにもイソヒヨドリなど珍しい鳥がいるのかもしれません。寒いですからあったかい恰好をして、鳥見を兼ねたウォーキングに出かけませんか。小さくてもよいですので双眼鏡があるといいですね。 イソヒヨドリ(雌) 撮影:小笠原諸島 イソヒヨドリ(雄) 撮影:小笠原諸島 ☆戸神白鳥情報…まだ3羽変わらず。 ただしUさん情報によると3羽そろって、早朝(あるいは前夜)からどこかに飛んでいき、午前中に戻ってくる姿がしばしば見られるとのこと。 |
||
2010 1. 24 |
◎先日、明治神宮の森でのバードウォッチングに出かけてきました。 ところが、御苑北門の受付前は人がいっぱい。ひっそりとした雑木林の細道にも長蛇の列ができていました。実は細道の行き止まりにある加藤清正にちなんだ「清正井(きよまさのいど)」が今超人気スポットになっていたのです。願いがかなうパワースポットとして、昨年末有名女性芸能人Mさんのブログに登場したのがきっかけとなり人気が出たといいます。湧水井戸の所に行くのには4から5時間待ちと聞き驚きました。この細道にはいつもルリビタキやジョウビタキが見られるところでしたが、これだけの人出では諦めざるを得ませんでした。芸能人のブログが恨めしかったです。まったく、もう! 清正井…人気が出る前の昨年11月撮影です。 いつもは訪れる人は誰もいません。 中央奥の円形の部分からこんこんと水が湧いていました。 『害獣?!多し』 ◎先日i市でこの2ヶ月間にアライグマ、ハクビシン、タヌキなど害獣9頭を捕獲したという情報を友から頂きました。 これらの獣は市民の情報により罠を仕掛け捕獲するそうです。そういえば数年前からアライグマやハクビシンなどが作物を荒らすという話を聞いておりました。 また2週間ほど前の新聞に、近隣のi村の駅前にイノシシが出没し、一人軽傷をおったと出ていました。イノシシは、千葉県ではずいぶん前に絶滅しており、おそらく狩猟目的で放したイノシシやイノブタが増え野生化したものだろうとの説もあります。 |
・これらの獣が増えた理由は、農地(畑や果樹林)の荒れから、野生生物と人との住み分けのバッファ(緩衝)地区がなくなったことや、ペットの放棄などの人為的な原因がほとんどですので作物の被害も大変と思いますが、受難は動物側にも言えるのでしょう。 柵の設置や緩衝地区の整備、そして何よりもペットの放棄など人の責任をきっちとしていくことが第一でしょう。 ・菜園で作ったトウモロコシが全滅した話しを聞いたり、里山に仕掛けられているアライグマの罠を見るにつけ、複雑な気持ちになってしまいます。 アライグマ Web クリップアートの写真を引用。 ◆アライグマ…アライグマ科の獣。 原産地は北アメリカ、体長40~60センチ。 ペットとして飼われていたものが、逃げ出したり、成長して凶暴になったために捨てられて野生化した。 繁殖力が強く、各地に定着。タヌキに似ているが尾は白黒で目立つ。 可愛いが気性が荒い。やたらに手を出すと危険。外来生物指定種 |
||
2010 2. 2 |
◎久しぶりの雪に早朝の通勤の皆さんは大変だったと思います。私も、防寒靴を引っ張り出して出かけました。帰りには通りから雪は消えていました。 『生唼(いけずき)と磨墨(するすみ)』 ◎宇治川の戦いとは、1184年の木曽義仲と源義経の攻防戦です。 この合戦で義経勢の佐々木高綱と梶原景李がそれぞれ頼朝から拝領した名馬生唼(いけずき)と磨墨(するすみ)に乗って先陣争いをしたことが伝えられています。 ・この先陣争いで栄誉を勝ち取ったのが、名馬生唼でした。 生唼は、下総国葛飾郡内の牧(小金牧の前身)で生まれ八幡神の使いと信じられるほどの名馬だったそうです。 この生唼は、時おり七次(現白井市七次)の辺りに立ち寄っており、当地の人々は神の使いと信じていたそうです。 白井市根(ね)にある大日神社の境内には、この名馬生唼を祭神とした天神八幡神社があります。 小さいですが、威厳のある神社です。場所は、清水口調整池の東側徒歩5分、長楽寺脇です。 この神社には、2月16日の散策会の折に立ち寄ります。 |
天神八幡神社 (白井市根) ◆生唼(生食・生月・池月)…どれもいけずきと読み、この名馬をいう。平安時代に八幡神の使いと信じられていた名馬。 宇治川の先陣争いで同じく名馬磨墨と争い勝利したとされている。 生食(および、生唼)は、生き物をも食らうほどの猛々しさ、池月は池に映る月に由来する。立場の違いによる異字と考えられる。 |
||
2010 2. 8 |
◎ハイチでの国連平和維持活動(PKO)に派遣される陸上自衛隊の先遣隊が2月6日夜、日本を出発しました。地震後ずっと、瓦礫の山の中で医療も食料も治安も不安定な人々の気持ちを察すると胸が痛みます。 なお、先日”船橋自然に親しむ会”の新年会と印西ウエットランドガイド主催の里山散策会の折に頂きました募金は緊急医療支援を行っている特定非営利活動法人AMDA多国籍医師団に送付いたしました。募金に協力していただいた皆様ありがとうございました。また2月16日の散策会の折にも募金活動を行いますのでよろしくお願いいたします。 『ミサゴの飛翔』 ◎役所で所用を済まし、まだ時間がありましたので利根川に行きました。川は穏やかな様相を見せており青空の元、土手下の陽だまりはポカポカと暖かかったです。でも、川面に向かって双眼鏡を使っていると、体にあたる風はやはり冷たかったです。 ・水面には、カンムリカイツブリやキンクロハジロ、カイツブリなどの水鳥が群れておりました。特にカンムリカイツブリの首が長く伸びた姿は素敵でした。それらの水鳥のずっと奥に白く大きな鳥の姿が見えました。しばらく待っていると少しこちらに近づいてきました。それは4羽のコブハクチョウでした。下手賀川で増えているコブハクチョウの仲間だと思われます。 ・土手の葦原には、小鳥たちが出たり入ったりしていました。アオジ、ホオジロ、タヒバリ、モズそして大きめの鳥は、ツグミのようでした。 ・その時上空に猛禽の姿が見えました。1、2、3、全部で4羽です。頭から胸にかけて白く、旋回したりホバリングをしながらじっと川面で何かを狙っているようでした。タカ科のミサゴでした。突然上空から水面めがけて急降下しました。僅かに水しぶきが上がったと思ったら、早くも上昇しておりました。その足爪にはしっかりと魚がつかまれていました。狩りの全容を見せてくれました。この後も、他の個体と思われるミサゴの狩りを見ましたが、残念ながらこちらは失敗でした。そのあと、土手をしばらく歩き散策を終了しました。 ◆ミサゴ…飛翔中は白っぽく見える下面と白い頭で見分けられる。 タカ科のトビと同じくらいの大きさ。断崖のある海岸で局地的に繁殖し、冬は全国の海岸、河口、大きな湖沼などで見られる。魚食性で、停空飛翔から水中に急降下して魚を捕らえる。 |
・商店街をぶらぶらした後、地元で「隠れせんべいやさん」と呼ばれている米菓店に寄り、壊れ(割れ)せんべいを購入しました。このせんべい屋さんは、明治初期から醤油せんべい・玄米せんべい・揚げせんべい等、昔ながらの手法で、一枚一枚丁寧に手作りしております。この時もご主人がお一人で小さな七輪一台で丁寧に焼いておりました。さっそく1枚ほおばると懐かしくやさしい味が口いっぱいに広がりました。塩加減も抑え気味の上品な味でした。隠れせんべい屋と呼ばれる理由は、のれんも出しておらず表から見ても普通の民家のように見えるからだと思います。 ※お煎餅屋さんのご主人に許可を得て 撮影させていただきました) ★戸神調整池の白鳥…3羽で仲良し。変化ありません。 |
||