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 2008
 10.20

◎先日「葉っぱのフレディーいのちの旅―」レオ・バスカーリア作、みらい なな訳(童話屋発行)の絵本を購入しました。
★葉っぱのフレディが枝に生まれ、夏を越し秋になり紅葉し、ついに落葉してしまうまでを描いています。落ちてしまった枯れ葉のフレディは知らなかったようですが、春になるとまた木になる力となるのです。大自然の設計図は寸分の狂いもなく”いのち”を変化させ続けているのです。という結びで物語は終わっています。

この絵本を読まれた方はたくさんいると思います。最近この絵本がまた注目されています。それは、今月10月22日以降この絵本の売り上げから1冊につき200円を南米アマゾンの森の再生(苗木5本)に寄付するとのことです。ちょっといい話ですね。

 『カブト虫受難』
◎西白井から神崎川の上流を歩き、梨ワイン工場に立ち寄り、帰りは河原子街道を南下し白井駅に向かいました。
 街道から少し横道を歩いていたら、梨畑の防鳥ネットになにか黒い小さなものが引っ掛かっているのが目につきました。近づいて目を凝らしてみましたら、カブトムシでした。それも1匹だけでなくあちこちに何匹もかかっていました。(写真右上)

夜間に飛び回って防鳥ネットにひっかっかたのでしょう。すでにどれもミイラ状態になっているようでした。まるで天然の昆虫標本みたいでした。

防鳥ネット…梨やブドウなどをはじめ、ヒヨドリやムクドリ、カラスなどの被害から守るために畑全体をネットで覆ったもの。


   
     ◆ ネットにかっかったカブト達

   
    ◆ 里芋似の植物が畑の隅に1株あり。
      肥後ずいきで知られる
"ハスイモ"

 2008
 10.27

◎秦の始皇帝は、生涯不老不死の薬を求めていたという。今朝の新聞に「不老不死クラゲ」が載っていました。長崎ペンギン水族館に飼育されているベニクラゲは、死んでも口や胃、生殖器官が残り、復活するそうです。まさに蘇りです。このクラゲの研究で不老不死の妙薬ができるといいですね。いつもの便りです。

 『オシドリ飛来』
◎戸神調整池(北総線千葉ニュータウン中央駅南側)にオシドリ飛来とS氏から情報が入りました。午後に時間を見つけて行ってきました。
・橋の上からは逆光となってしまい水面が光って見づらくオシドリは見つかりませんでした。観察デッキに移り、双眼鏡を覗くとオシドリの小集団が見られました。
 まだやってきたばかりのオシドリはオス8羽、メス5羽合計13羽の集団でした。オスの内、2羽はエクリプス(まだ冬羽になっておらず、メスに似ている)でした。

・今年は夏前からずっと池の護岸工事をやっており、大型重機や大勢の人が水辺に入っていたのでオシドリはもう来ないのかと心配していました。でも例年通りやってきました。
 ただ、これからもっと南に移動してしまう可能性は高いです。いつまで見られるのでしょうか。オシドリを見ましたら、分かる範囲でよいですので数を教えて下さい。


   
   やってきたオシドリの小集団(戸神調整池)

オシドリ…カモ科の留鳥または漂鳥。主に山間部の渓流や湖沼にすむ。冬は市街地の公園の池などにも来る。
 オスの色彩は美しく、銀杏羽は美しい。「鴛鴦(えんおう)の契り」とは仲の良い夫婦を例えに用いるが、実際には繁殖後、卵やひなの世話はメスだけがおこなう。

 2008
 11. 3

◎「フランク永井は低音の魅力、漫談の牧伸二は低能の魅力」‥こんなコントが流行ったことを思い出しました。ムード歌謡で知られるフランク永井さんが亡くなったというニュースが放映させていました。「おまえに」とか「有楽町であいましょう」など好きな歌でした。また大物歌手が一人逝ってしまったのですね。いつもの便りです。

 『太古のロマン』
◎A氏と一緒に6、7万年前の化石(貝)の露頭地に行ってきました。印旛沼周辺から手賀沼にかけての台地と谷津の境目の崖地に、木下貝層が見られる場所があります。有名な場所としては、千葉県立印旛高校入口脇の国天然記念物指定地「木下貝層」があります。
 このほかにも何カ所か化石の露頭している場所はあります。この貝層からは、二枚貝76種、巻貝45種、その他の化石21種計142種類の化石が採集されているそうです。

・ふた昔前は、化石の露頭している場所でかなり自由に掘ることができたようですが、現在では工事中であったり、立ち入り禁止であったりと、ほとんど掘る場所はなくなってしまったそうです。水田脇に続く農道を20分ほど歩き、露頭している現場に着きました。
 崖地手前の広場の地主さんの好意もありナミガイ、ヤツシロガイ、イタヤガイなど多くの種類の化石貝を間近に観察することができました。
・なお、この辺りはイノシシが出現する危険な場所でもありますことを付け足しておきます。


   化石(貝)の露頭地
   

木下貝層…今から10万年から30万年ほど昔、この付近は海の底であり、北東方向に口を開いた内湾(古東京湾)が秩父の方まで奥深く入っていた時期に、その湾の海底に積ったのが木下貝層です。

 なお、上記の貝層の露頭地の場所についてのご質問には、一切お答えできませんことを了解ください。
 2008
 11. 10

◎戸神の調整池の白鳥が、午前中に6羽すべてが飛び立ったとハクチョウを見守っているU氏からメールが入りました。
 午後、出かけてみましたら6羽すべてがのんびり食事(マコモの茎を引っ張り出して食べていた)中でした。この分だとここで越冬する可能性が高そうです。
 ただ、池の護岸の工事が行われていますので、越冬するかどうかまだ不安は多いです。望遠鏡で見る限りでは、6羽のうち2羽は、昨年の個体に類似しています。
もう少し観察して個体識別してみようと思っています。


 2008
 11. 17

◎大相撲九州場所が行われています。今場所も一人横綱で盛り上がりが今一ですね。スポーツ欄でも大相撲は、オグシオ(バトミントン)の記事の下欄でした。
 さて、以前何度か書きました里山(大相撲力士)ですが、TVや新聞から消えてずいぶん経ちました。調べてみると西幕下9番目で、今場所5日目から9日目まで休場、今日から復帰のようです。ちなみに船橋市出身の若荒雄(旧四股名・八木が谷)は、十両で頑張っています。今場所は好調(6勝2敗)です。いつもの便りです。

  『みなさんお馴染みの戸神池の白鳥に名前を付けました』
◎印西戸神調整池の白鳥6羽は池周辺の工事にも負けず、どうやらここで越冬のようです。飛来11日目になり、橋の上から見学する人も増えています。
・昨年までの写真と比べて今季やってきている白鳥の個体を自分なりに識別してみました(専門家の同定ではありませんことを了解ください)。
その結果(推定)、成鳥Aは、2005年11月に飛来した個体と同じ(3回目の飛来)
 成鳥Bは、成鳥Aの番い(つがい)の相手(初飛来)成鳥Cは、AとBの番いと一緒に飛来した個体(ヘルパー的存在・初飛来)
 幼鳥3羽は、AとBの子供(体全体がグレー・初飛来)・なお、個体識別はクチバシの黄斑の拡大写真比較と行動様式による推定であり、専門的見地によるものではありません。
・オスメスの識別(推定)は、行動や体の大きさから、成鳥Aをお母さん、成鳥Bをお父さんとしました。成鳥Cの性別は不明。

・名前の発表
 成鳥A お母さん「ミル」、成鳥B お父さん「ギザ」、成鳥C ヘルパー「ヘル」、幼鳥の名前はありません。
・名前の由来 ミル…05年に飛来した折、全身が灰色で「みにくいあひるの子」と呼ばれたことから「みにくい」の「み」と「あひる」の「る」をとって「ミル」としました。ギザ…クチバシの黄斑の先が少しぎざぎざになっているので「ギザ」としました。ヘル…おそらく子育てのヘルパー的な存在かと考え「ヘル」と付けました。

◆ハクチョウやガン類の雌雄の見わけ…見分けは外見からはできません。見分けるためには、総排泄腔の内側の生殖器を確かめる必要があるといいます。
 ただ、家族単位で行動しているためその行動や体の大小など(一般に♀は体が小さめ、クチバシや首が短めで顔が優しいという)である程度見分けられます。


   
   お母さん「ミル」

   
   お父さん「ギザ」

   
   ヘルパー「ヘル」

 2008
 11. 25

◎昨日11月24日は鰹節の日でした。1(い)1(い)2(ふ)4(し)いい節のごろ合わせです。昔鰹節といえば、削るのは子供の仕事で毎晩のように削ったものです。削りながら一つまみ口に頬張ると口いっぱいに濃い味が広がったのを覚えています。あの頃はどの家も食べるのが精一杯でした。いつもの便りです。

 『万葉の植物こも』
 ◎万葉の名のついた植物園は各地にありますが、印西市にも万葉公園と名の付く公園があります。小山になっている万葉公園の一部に国指定の史跡木下貝層があります。
 昨年、その南斜面に公園の名「万葉」に因み、万葉植物が数十種植えられました。まだどれも小さいものが多いですが、古名と現代名のついた札を見ながら歩くとそれなりに楽しいです。
・万葉植物といえば古名を「こも」と呼ばれる植物があります。現代名をマコモといい、池や川に普通に生えている背の高い草です。昔は秋に茎葉を刈り取って乾燥しムシロを織ったといい草です。
 この万葉植物「こも・現代名マコモ」は、印西市の戸神調整池にやってきている白鳥(6羽)の家族の主食なのです。皆さんも白鳥達が水の中に首を突っ込んで何か盛んに食べているのを見たことがあると思います。 それは、水辺に自生しているこのマコモの茎を引っ
張り出して食べている姿なのです。本来白鳥の餌は人からもらうパンやくず米などではなく、マコモの茎や根、時には水田の刈り穂から出ている二番穂の籾なのです。
 戸神調整池にきている白鳥は人からもらう餌を知らない自然給餌の白鳥ですので、マコモなど水辺の植物が命の糧となるのです。


・先日、某店舗に買い物に行った時に、珍しく「マコモダケ(マコモの茎の膨らんだ部分)」を売っていました。さっそく夕飯のおかずとしてシイタケと一緒に濃い目に味付けし混ぜご飯の具にしてみました。白鳥さんの餌にしては美味しかったです。
   

まこもだけ…田んぼや沼地に自生するイネ科の多年草マコモの肥大した新芽をいいます。たけのこのようなシャキシャキした歯ごたえに、ほんのりとした甘みがあり中華料理の高級食材としても知られています。
 なお、むしろ筵(むしろ)は、もとはマコモを原料としていたが今は藁を用いる。
 文中に出ている万葉公園には11/28(金)の利根川土手散策会の折に立ち寄ります。

 2008
 12.  1

◎若いころは朝起きるのが苦手で、ギリギリに起きて電車に飛び乗っていたものでした。その上、到着駅からまた職場まで走っていくこともありました。そんな折、子供たちから「教師が走ってる。師が走る、12月だ」というダジャレで迎えられたこともありました。今日からその師走ですね。もっとも最近は走ることもあまりなくなりました。いつもの便りです。

 『脱走様』
◎NHK大河ドラマ篤姫も江戸城明け渡しを目前として大奥の解体という大きな山を迎えています。
昨日、木下街道を歩いてきました。新京成鎌ヶ谷大仏駅から武蔵野線船橋法典駅までの約10キロです。
有名な鎌ヶ谷の大仏を見て途中、水天宮や藤原堂などいくつかの寺社や公民館などに寄りました。

・今回の目当ては、篤姫や勝海舟など江戸の街焼失を避けるための城明け渡し派を不満とする旧幕府軍通称「脱走様・撒兵隊」と官軍の戦争の痕跡を巡ることでした。


◆戊辰戦争…1868年(慶応4・明治元年)から翌年まで行われた新政府軍と旧幕軍との戦いの総称。この木下街道であった戦いは江戸近郊で起こった最大の戦いで、「市川・船橋戦争」と呼ばれている。上野の山で起こった彰義隊の戦いは、市川・船橋戦争のおよそ1ヶ月後に起こった。


・慶応4年(1868)閏4月3日未明に八幡で開戦し、直後馬込沢台でも戦闘が始まりました。鎌ヶ谷にいた佐土原藩(約200人)と船橋から繰り出した旧幕軍が衝突したのでした。この戦争の激戦の地、敗走の地を歩き140年前に思いを馳せてみました。途中官軍兵士の墓と脱走様(旧幕軍)兵士の墓を見てきました。とくに旧幕軍の兵士の墓は戦死した遺体を埋葬することすら許されなかった時代において大変珍しいもので貴重な幕末の史跡といえます。

      
   写真上左:官軍兵士(佐土原藩士)の墓石
   写真上右:旧幕軍兵士の墓石

 2008
 12.  8

◎1941(昭和16)年12月8日、午前3時19分(日本時間)旧日本軍がハワイ・オアフ島 真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6か月に及ぶ太平洋戦争が勃発した。今日12月8日は、太平洋戦争開戦記念日です。戦争の悲惨さをずっと後世に伝えることが大切です。いつもの便りです。

 『小人さんとカメムシ君』
◎日本には思ったより虫好きの人が多く、昆虫学の進歩発展もそのような愛好家の貢献によるところが大きいという。(国立科学博物館動物研究部上野俊一氏の言)
・しかし、虫好きの人ならどんな昆虫にでも興味を持つかというとそうでもないそうです。愛好家の数が一番多いのは蝶、次はカミキリムシやクワガタのような甲虫類で、トンボやセミやガの愛好家ははるかに少ないといいます。まして、ハチやハエ、そしてカメムシにいたっては、毛嫌いされ、好きという人は変人の部類に入りそうです。

・ところがカメムシの中にはアカスジキンカメムシやオウキンカメムシのように色鮮やかで美しい色彩をもつ種類もおおいです。また、エサキモンキツノカメムシは背に可愛らしいハートマークを持っており観賞用にも最適です。また最近温暖化とともに生息域が北上しているヨコヅナサキガメは、腹の周りを白黒の縞模様のひれ状の膜(腹部結合板)が美しく立派です。

・印西にある花の丘公園にある植物園館内は温度湿度がコンピューター管理されており暖かく快適でした。丸テーブルにはクリスマスフェア案内のイラスト入りのクロスが敷いてありました。ふと見ると真っ赤なとんがり帽子の小人さんの脇にカメムシ君(本物)が歩いていました。ついデジカメでパチリ。カメムシ君もイラストになってしまいました。


・昆虫は、人類の祖先が出現(300〜700万年前)するずっと前、4億年前に出現した地球の生物の大先輩です。カメムシは手で触ると臭いガスを出すため嫌われ者ですが、紙切れやへらなどに乗せて運べば臭
くありません。冬の間軒下やに脇の幹などで越冬している姿が見られるかもしれません。あまり嫌がらずにちょっとだけでも観察してみませんか。やっぱり変わり者かなあ!

カメムシ…カメムシ目カメムシ科の昆虫の総称。体は扁平で、多くは亀の甲形の六角形。触れると猛烈な悪臭を出すものが多い。植物の汁を吸い農作物の害虫になる種が多い。また、カメムシ目サシガメ科の昆虫は、つかむと刺されるものがあり気をつけたい。

   
   小人さんとツーショットのカメムシ君は
    「ホシハラビロヘリカメム(成虫)」

 2008
 12. 15

◎清水寺、森清範貫主が大書きした今年の世相を表す漢字一文字は「変」でした。「チェンジ」を連呼し当選した次期米大統領や激動の相場やガソリン価格変動等からの発想でしょう。良いほうに「変」わっていけばよいのですが、どうも「大変」な世に滑り落ちていきそうな感がします。 いつもの便りです。

 『市川市北西部・水と緑の回廊を歩く』
◎水と緑の回廊(08年9月に市川市が整備)をH氏と歩いてきました。北総線北国分駅をスタートし堀之内貝塚公園(歴史博物館と考古学博物館あり)、小塚山公園、じゅん采池を巡り、里見公園に着き、江戸川沿いに歩き国府台駅に至るコース(6キロ弱)です。

・堀之内貝塚は、遺跡発掘跡は窪地になっているだけで全く分かりませんでしたが、公園の大部分を占める雑木林は心を癒してくれるスペースでした。
 2つの博物館は小規模ではありますが展示内容も充実し訪れる価値はあります。途中、何カ所か車道や住宅地によって途切れていますが、回廊コースに設置された矢印看板を進むと、じゅん采池に到着しました。池面には大陸から渡ってきたカモたちがのんびりと浮かんでいました。池に沿って歩くとオナガガモや
ヒドリガモが近づいてきました。きっと餌付けをしている人がおり餌がもらえると思って近づいてくるのでしょう。池の中ほどの丸いコンクリートブロックの上には飛来数が少なくめったに見られないトモエガモのメスが1羽見られました。その後大きな車道を横切ってから里見公園に到着しました。

◆戸神ハクチョウ情報
 最初6羽で飛来しましたが、2羽(成鳥1・幼鳥1)がいなくなり、現在は4羽(成鳥2・幼鳥2)となっています。成鳥は、ミル(3年目の♀)とギザ(番の相手♂)と思われる。幼鳥2羽はこの番の子。なお、池の周りの工事の影響は多少あるようだが、このままこの池で越冬する模様。


・回廊のエリアは現在、千葉商科大学・和洋女子大学・国府台高校などを初めとする学園地帯になっていますが、明治18年陸軍教導団がこの地に移転しきてから第二次世界大戦終了まで、ほとんど全てのエリアが軍事施設という歴史があったのでした。

・ふと、里見公園の手前の道端に一本のコンクリート杭を発見しました。杭には「陸軍」の文字がはっきりと刻まれていました。一本の杭から軍都に関わる色々な思いが感じられるような気がしました。帰りは江戸川にそって歩き国府台の駅に着きました。皆さんも暖かい日をみつけて出かけてみませんか。北国分駅前にコースの看板があります。

   
   …ふと見ると道端に「陸軍」の文字が彫られた
   石柱が目に入った。

◆(文中の)陸軍教導団…陸軍の直轄であった下士官を養成する機関。1885(明治18)年に移転してきた。同時に教導団病院も着工された。
 この教導団病院は陸軍病院を経て現国府台病院となっている。
 2008
 12. 22

◎NT大橋の上で会ったS氏から戸神調整池付近の小字(こあざ)地図のコピーを送付して頂きました。
現在の地図と比べてみるといくつか発見がありました。
 いつも行く谷津田の辺りに「木戸脇」という字を見つけ、小金5牧の内の印西牧の南のはずれであることが小字名から分かりました。
 将軍家の馬の放牧地の木戸があったということです。やはり、小字や字などの地名は大切にしたいと思いました。

 『歴史を語り継ぐ戦争遺跡』
◎先日、茂原市の小学校に子供たちの野鳥観察支援に出かけました。午前中で終了しましたので、その足で茂原市に残る戦争遺跡を見てきました。

・米軍の日本本土の上陸作戦は、コロネット作戦といわれ、九十九里浜の片貝が第一作戦場所だったという。日本軍もやはり首都攻略の上陸地を九十九里と考えていて、茂原にあった海軍茂原航空基地は、本土の防衛拠点となったのでした。

・現在も県道茂原環状線東郷橋付近に、蒲鉾型をしたコンクリート製の構造物がいくつか点在しています。
 これは、海軍茂原航空隊の戦闘機を敵機から隠す格納庫・掩体濠(えんたいごう)です。印西市草深にも土を盛った壕はありますが、茂原の壕はコンクリート製で有蓋(ゆうがい)型の巨大なものでした。

 特に茂原市文化財指定の壕は、100坪もある大きなものでした。中から天井を見上げると、コンクリートを流す際に使用したとみられる筵(むしろ)が固まって張り付いているのが何か急場の施工を感じ怖い感じがしました。



・結局本土上陸作戦実施前に終戦を迎え、この辺りの地上戦は免れたのでしたが一歩間違っていればこの辺りから船橋市辺りまで壊滅していたのでしょう。

   
  第3号掩体濠 壕の前に立っている人と比べても
   巨大さが分かります。

◆コロネット作戦…コロネットとは、昔の婦人帽の羽根飾りをいう。羽根が周囲から中央に向かって垂れたような形をしている。
 米軍が湘南と九十九里から同時に上陸して東京に向かう形が、枝分かれし中心に倒れる羽根帽子に似ているのでついた作戦名。

 2008
 12. 28

◎今日(昨日)TVで6月東京ドームで行われた沢田研二ライブショーの模様を放映していました。88曲を7時間通しで行う熱唱の記録が画面いっぱいに広がっていました。
 後半の最初の曲は、「我が窮状」でした。この曲は歌手であっても作詞家ではない沢田自ら作詞した曲です。反戦、永久平和を願った「我が窮状」を熱唱する沢田の歌声は、3万の聴衆の心に平和の大切さ、平和憲法の重みを訴えているようでした。いつもの便りです。

 『冬でも元気です』
◎西白井駅近くの調整池で水鳥を観察した後、住宅地を縦走する緑道を進むと公園に出ました。風のない日で日だまりは暖かかったです。
・お弁当を広げふと近くの木を見ると何か幹に止まっているのを発見しました。バッタでした。12月も中旬を過ぎた日でしたので、もうバッタは見られないはずなのに何だろうと近づいてみてみると、ツチイナゴでした。
・このイナゴは、目から涙を流しているように見える独特の模様があり間違えることがありません。九州以北に分布するバッタでは、唯一の成虫で越冬する種類で、冬の日だまりやベランダの植木鉢の陰などに見られるイナゴの種類です。  涙を流したように見える顔の部分を見て下さい。
きっと冬の間にどこかで見られるかもしれません。
・写真を撮り、手帳にメモをしてゆっくりとお弁当を食べ午後の散策にそなえました。




   
 ★目の下に涙を流したような黒い模様があるのが、
  ツチイナゴの特徴

ツチイナゴ…バッタ類イナゴ科の昆虫。体長♂50〜55ミリ、♀50〜70ミリ。全体が褐色、複眼を通る太い黒縦線があり、涙を流したように見える。中秋以降成虫になり、そのまま冬を越す。
九州以北に分布するバッタでは、唯一の成虫で冬を越す種類。クズを好んで食べる。


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