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 2006
 9. 19

 「糸瓜(へちま)咲て 痰のつまりし 佛かな」 この句は、正岡子規の辞世の句です。
この句を最後に逝ったことから子規の忌日は、「糸瓜(へちま)忌」と呼ばれています。今日9月19日は糸瓜忌です。(明治35年没)

ちょきちょき、ちょっきり
◎公園や通りのドングリの木にそろそろ実ができ始めています。あの大型のマテバシイも色づいてきています。
 ドングリ拾いの時期ももうすぐです。

・ところで、公園などに多く、ポピュラーなドングリの木であるコナラの下を通ると、台風の後でもないのに若いドングリが枝ごと落ちているのを見たことありませんか。
・ドングリ1つに葉が数枚ついた枝が木の下に幾つも落ちています。・実は、風の仕業ではありません。昆虫の仕業でした。それもドングリよりもずっと小さな体の昆虫の仕事です。
・それは、オトシブミ科の昆虫・ハイイロチョッキリの仕業です。ハイイロチョッキリは、ドングリの殻斗(キャップ)のちょっと上くらいに長いくちばし(口吻)で、器用に穴を開け卵を一つ産んでから、その枝を切り落とすのです。切り落とすのもくちばし(口吻)でします。ドングリに穴を開けている姿は、愛らしくユーモラスでもあります。【写真右下】

・なお、これからの時期はゾウムシ科のコナラシギゾウムシが同じようにドングリに産卵します。ただし、この種は枝を切り落としません。


ハイイロチョッキリ…オトシブミ科の甲虫。成熟前のやわらかいドングリに穴を開け卵を産み、産卵後その枝を器用に切り落とす。体長7〜9ミリ。


 コナラの木の下には、このようなドングリが、いっぱい
   

   ハイイロチョッキリが、ドングリに産卵用の穴を
   開けています。 
   
    【撮影 印西市小倉台大塚前公園


 2006
 9. 22

 川遊びや林の中での昆虫採集などはとても無理で、体調の良い時には縁側から下りて庭で遊ぶ。後は室内で絵を画くか枕元にいつも置いてあった「十姉妹」の姿を眺めている。‥‥私の小学生頃までの様子です。
 アウトドア派となった今が、自分でも不思議です。
病弱であった私の楽しみは、「ロビンソンクルーソーの漂流記」の世界に浸ることでした。
 申し訳ないとは思いながらも「恥ずかしながら・・・」と 72年に日本に帰還した横井庄一さんの記事を読んだ時、漂流記の世界を頭にめぐらしたことを記憶しております。きっと大人になっても冒険への憧れがあったのでしょうね。
今日、9月22日は敗戦を知らずにグァム島の密林から帰還した横井庄一さんの命日です。合掌 1997・9・22没 

 『セミといっても、セミでなし
◎先日、コナラの木にいるオトシブミ科のハイイロチョッキリを探しに網を持ち、家の脇の公園に出かけました。
・あいにく一匹も見つからず戻ろうとした時、幹の皮の剥けかけたところに濃い褐色の小さな昆虫を見つけました。
・頭の上に突起が2つあり、小さなバッタのようにも見える昆虫でした。・さっそく、捕虫ビンに入れ持ち帰りました。
 夜、調べてみるとツノゼミの仲間ということが分かりました。後で詳しい種の同定をしようと思い、そのまま入れ物に入れたままテーブルの上に置いておきました。


・ところが次の日急用が入って一日家を空けてしまい、次の日にふたを開けてみると虫の息(駄洒落ではありません)でした。急ぎ同定をしてから元の場所に戻しましたがどうなったのでしょうか。可愛そうなことをしました。

   

・同定の結果は、下記でした。
トビイロツノゼミ…カメムシ目ヨコバイ亜目ツノゼミ科の昆虫。体長5〜6ミリ。北海道から九州まで全国に分布。茶褐色で胸部背面に1対の突起がある。マメ科植物などの汁を吸う。

 2006
 9. 22

 「一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて 橋を架け 橋の欄干 手を腰に・・・」は、お手玉の数え歌です。 子どもの頃に歌ったことのある方いらっしゃるのではないでしょうか。
歌の後半には、「西郷隆盛 娘です 明治十年 戦いに・・・」とあるように、西南戦争で亡くなった西郷隆盛を読み込んだ数え歌です。今日、9月24日は西郷隆盛の忌日・南州忌です。 ちなみに、西郷隆盛の軍は明治6年千葉県大和田原で行なわれた天皇観覧の陸軍大演習に参加しています。その際、西郷軍の篠原国幹の見事な指揮に天皇が、「篠原に習え」という意味から、この地を習志野としたというように伝えられています。
 ※歌の歌詞は、地方により少しずつ異なるといいます。

 『本物の薪を背負わした・・・?』
◎何ヶ月か前の新聞に、千葉県内の小学校の校庭に建っていた二宮金次郎の像の背中の薪が崩れて落ちてしまった。苦肉の策として本物の薪を背負わしたと出ていました。
・100年を越す歴史のある印西市立E小学校の校庭の隅にもこの像が置かれていました。脇から見ますとこの像もやはり、背中の薪部分に大きなひび割れが見られました。・実はこの像はコンクリート造りなのです。戦前の像は銅製のものが多く、殆ど二次大戦中に金属供出により姿を消したのです。きっとE小学校の像も新たに造られたものではないでしょうか。どなたか、知っている方情報を連絡下さい。
・新聞に載っていた像も、このE小の像もどちらも銅製でなくコンクリート製だったのですね。
 E小の二宮像は、大きなひび割れの進行を防ぐためか、太い針金で縛られていました。(そういえば、葛飾区にある水元公園の近くに「縛られ地蔵」ってのがあります。これは関係ありませんでしたね)
◆戦時中、軍の「欲しがりません、勝つまでは」というような国民耐乏生活の象徴とされたこともあり、戦後は像が忘れ去られたようでした


二宮尊徳…1787年天明7年〜1856年安政3年。江戸後期に「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家。通称は金次郎。
 二宮の伝記「報徳記」に数々の逸話が出ている(略)。

   


※谷津田だより2006/1/29号には、
  成田山にある二宮尊徳の碑について書いてあります。

 2006
 9. 27

「美しい日本」という言葉が、連呼されています。究極の美しさとは、戦のない世界でしょう。いい方向に向かっていけばいいのですが。いつもの便りです。

 『これも死んだふり?
◎先日の散策会の時、印西の谷津を流れる浦部川に架かる橋の上で'03年に遡上した鮭の話をしていた時でした。ヘビ!の声。見つけたのは参加した小学生だったかな。・橋の端っこに雑草が繁っていました。皆、恐々近づき、覗いてみると草の間に赤や黄色の斑文がはっきりと見えました。(勇気のある)男性が、「死んでるよ。」皆その声に勇気付けられてか一歩前に出て、さらに覗き込みました。草の中に腹を見せてひっくり返っていた70〜80センチ位のヤマカガシを棒でそっと引っ張り出して観察しました。
・まだ死んだばかりなのか皮膚に艶があり、外傷もなくまるで生きているみたいでした。昔、無毒ヘビと思われていたこと、マムシと違ってかまれても簡単には毒が入らないこと、攻撃性は弱いなどと解説をして、その場を離れました。
・散策会が終了してから、ふと気になったことがありました。そうです。「死んだふり」というのが色いろな動物で確認されているので、気になって次の日、同じ場所に行ってみましたが死体は見つかりませんでした。

・ネットで調べてみましたら、ヤマカガシは「死んだふり」をよくすることがあるヘビと載っていました。無防備で敵に遭遇した時など死んだふりをするという。その理由は諸説あるが、天敵のサシバなど爬虫類を餌とする猛禽類やタヌキやイタチなどの小形哺乳類は、死んでいる動物に対して本能的に警戒する。


 病死したものを迂闊に食べると病原菌に感染する恐れがあるためらしい。生き抜くための知恵なのですね。
・はっきり分からないが、今思い出すと見た感じでは、どうも「死んだふり」みたい。きっと皆が移動した後、ほっとしてにょろにょろ・・・か。

ヤマカガシ…ナミヘビ科のヘビ。全長70〜150センチ。最も普通に見える種類。平地や水田や小川などに多く、カエル類を主に食べる。出血毒を持つが、軽く咬まれた程度では毒は入らないし、攻撃性は弱い。また、頸部の皮膚の下に毒液を飛散させる毒腺があるのでやたらに?んだりしない方が良い。外敵から身を守るため「死んだふり」をすることがある。
※下のイラストをクリックすると、「死んだふり(?)をした」ヘビの画像を見ることが出来ます。嫌でなければどうぞ。

   
    元のイラストに戻すには ここをクリック

 2006
 9. 30

10月1日は、「衣替え」。気候に合わせて衣服を冬服に替える日。平安時代から始まった習慣。これを「更衣」といったが、天皇の着替えの役目の女官の職名も「更衣」のため、民間では「衣替え」というようになった。
里山では、秋風が吹きトンボやチョウの姿もめっきり少なくなりました。

 『やっと、撮影に成功。南国の蝶・ナガサキアゲハ』
◎印西木刈在住のI氏からの蝶の写真がメール添付されてきました。結縁寺の寺院前に乱れ咲くヒガンバナで吸蜜しているナガサキアゲハの雌の写真でした。

   
    
ヒガンバナで吸蜜する雌のナガサキアゲハ I氏撮影(結縁寺)

前頁(9/9付)にも、ナガサキアゲハの記述あります


・この2週間に都合3回、目撃した場所にカメラを持って出かけましたが、移動中の個体ばかりでなかなか思ったような写真が撮影できませんでした。
・I氏の撮影した場所に次の日出かけました。蝶は、なんどもやってくるのですが、距離が遠かったりカメラを向けると逃げてしまったりとどうも相性が良くないみたいでした。それでも、何枚は撮影することができました。
        
ムクゲで吸蜜する雄のナガサキアゲハ
   


ナガサキアゲハ…アゲハチョウ科の蝶。南国の蝶といわれるように本来は沖縄や南西諸島に多い。ハイビスカスやツツジなどで吸蜜する。雄は、ほとんど黒一色。雌は大きくて後ろ羽が白くとても派手。赤色の花が好きで、ヒガンバナにもよくやって来る。しっぽ(尾状突起)がないので他のアゲハと区別がつく。地球温暖化に伴い北上中といわれている。北総地域でこれだけ多く目撃されるのは今年が初めてである。これからの生息が気になる種である。☆見たら、情報を下さい。

 2006
 10. 5

★道路わきに車をとめて歩道際に生えていた尾花(すすき)を折り取っている人がいました。明日、10月6日は、十五夜ですね。いつもの便りです。

『歌壇誌・アララギの発祥の地は、千葉県山武市』
◎今朝の新聞折込で「ちば県民だより」が入っていた。ふと、最終ページを見ると「ふるさとの歴史を訪ねて」のタイトルで子規門下の蕨真一郎について載っていました。この千葉ゆかりの歌人について少し書いてみます。
・「今そたつ盛青年はたち競う 真杉と二つ生々しもよ  礎山生」と刻まれた石碑が千葉県山武町(現・山武市)町立睦岡小学校にあるという。
そばに大きなイチイの木が立っているそうです。
・同郷の歌人伊藤左千夫を支え、「山武杉」として名を馳せた杉の植林技術に情熱を傾けた歌人・蕨真一郎(号を蕨真・礎山)は、千葉県山武郡埴谷(はにや)に生まれました。今でも、蕨家を近隣の人は、お代官様と呼んでおります。佐倉藩時代の代官の家系だと思います。
 明治41年、蕨が中心になって歌壇誌「阿羅々木(あららぎ)」第1号が、この埴谷の蕨家自宅で発刊されたのでした。誌のタイトル「阿羅々木」は、自宅にあったアララギ(イチイ)の木からとったという。なお、4号からはタイトルも「アララギ」に改められ、伊藤左千夫や斉藤茂吉らが中心になって東京で発刊されるようになりました。
・郷土千葉県にもこのような素晴らしい活動をしていた文化人が大勢いました。ちなみに、大正時代印旛沼の開墾事業を率先して行ない、農民歌人と呼ばれた吉植庄亮は、印西の隣本埜村の出身であるし、鋳金家であり歌人でもある人間国宝・香取秀真(ほつま)は、印西船穂出身です。何か、これら多くの郷土の人達の業績を考えるとすごく得をした感じがしました。
・なお、余談ですが睦岡小は、私の母の母校です。母に蕨真のことを聞くと、子どもの頃に蕨家に行儀見習いに通っていたと言っていました。いつも大勢の人がしょっちゅう来ていたそうです。ただ、行儀見習いに行っていた数年前に蕨真は、亡くなっていましたのできっと、蕨の創立した埴岡農林学園関係の人がきていたのでしょうね。


 こんど、母の実家にひさびさに行くつもりですが、アララギの木を見てくるつもりです。
ただ、実家の山の山武杉はもうほとんどないとのことでした。残念!

◆蕨真一郎(わらびしんいちろう)…1876年(明治9年)8月20日〜1922年(大正11年)10月14日。歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山。上総国武射群埴谷村(現山武市)出身。

※成田線木下駅の南側にある「水辺の文学インフォメーション館」(佐藤純夫館長)には、これら吉植庄亮や蕨真や香取秀真を初めとした郷土に関わる文人の資料等が数多く展示されています。

 なお、この館には11月19日の「利根川土手散策会」で午後訪問予定です。
(館は、現在毎月第1と第3日曜日10時〜4時開館・無料)
おしゃべり好きの佐藤館長さんに会いに行ってみて下さい。


   

 2006
 10. 8

 十五夜は6日でしたが雨、昨日は見損ない、やっと今夜見ました。月齢15.6で、満月で綺麗でした。そういえば今年の十五夜は月齢13.6でしたので満月とはいえませんね。いつもの便りです。

 『湧水スポットに感激!
◎街なかに残っていた緑のスポットは、篠笛の音が響き、子どもの声や踊りのお囃子が賑やかでした。・東武野田線鎌ケ谷駅から僅か500mほどの所に、その緑のスポットはありました。
・「囃子水(はやしみず)湧水祭り」に来ませんかと鎌ヶ谷市在住のI氏とE氏に誘われ、前に住んでいたこともあり訪れました。
・7回目になる祭りは、篠笛の演奏、笑福踊り、華炭作り、観察会、フリーマーケットと盛りだくさんでした。「育てる会」のメンバーが中心となって地味ですが、家庭的で温かい雰囲気のイベントを工夫していました。
 お誘いを頂いたI氏の行なった観察会に同行しましたが、ワークシートを作り子ども達が関心を持って回れるのが良かったですね。特に印象に残ったのは、湧水祭りの名の通り水路のあちこちで水が沸いていたのが見えたことです。子等も感動の声を上げていました。
・湧水は、台地にふった雨がしみ込み、谷津との落差で数ヶ月かかり、濾されて綺麗になって湧いてくる水をいいます。


 印西でもまだ、何箇所もありますが、やはり水量が減ったり、全く涸れてしまったりというのが現状です。
・湧き水を保全し、市民に自然に関心を持つ場として提供しているメンバーの方々に感謝し会場を後にしました。


囃子水遊水地…鎌ケ谷市道野辺囃子(清)水公園、囃子(清)水七面堂下の谷津。元は、谷津田だったそうですが、今は周りはマンションや住宅地に囲まれたいる。住宅地の雨水調整池になっている。囃子清水の由来は、お囃子をすると清水が湧いたという言い伝えから。

   
   ◆じっと見ると、湧いてるのが見えます

 2006
 10. 12

制裁余波でマツタケが高騰と聞く。今年もマツタケご飯は見送りか。

 『竹筒を叩く音、ポポッ・ポポッ・・・』
◎ツツドリは、鳴き声が竹筒を掌で叩いたように聞こえることから、ツツドリ(筒鳥)という名がついたという。

 ホトトギス科のツツドリの秋の渡りの最中です。

・昨日、水元公園では、一瞬上空を横切った姿を見ただけで、ホトトギス科独特の胸と腹の横斑は確認できませんでした。
 夏鳥として九州以北の山地に渡来し、この時期は南に帰る途中、平地のサクラの木で渡りの準備の栄養補給として毛虫などを探しているのが見られます。
・千葉ニュータウン地区では、小林牧場のサクラに春と秋、来ているのが見られます。ただ今年は、行っていませんので分かりませんが。


ツツドリ…ホトトギス科の野鳥。全長32.5センチ、カッコウに似ている鳥。ポポッ、ポポッと続けて鳴く。夏鳥として渡来する。ウグイス科のセンダイムシクイに託卵することで知られる。俳句季語は、夏。
 利根川図志(赤松宗旦著・版画葛飾北斎、他)に、ポンポンドリという記述があるが、この種か?どなたか分かる方いましたら教えてください。
   ※写真は、印西小林牧場で撮影したもの

   

 2006
 10. 18

先日、駄菓子屋を覗いたらフラフープが置いてあった。フラフープといっても若い方は分からないのでしょうか。
子どもの時に1本5円のアイスの棒(へら方)についていた当りマークを集め、送ったら黄色いフラフープが郵送されてきた。散々遊び、数年後にいくつかに切断しハンガーを作ったのを思い出した。
フラフープが発売されたのは、1958年の今日10月18日だという。

 『小さなアンモナイト貝そっくりの種が出てきた!』
◎畑の脇の立ち木につる性の植物が絡み、蔓が数本垂れ下がっていました。
・ふと見ると黒っぽいブドウの房状の実がついていました。「ヤマブドウ?」でも、葉の形がハート型でブドウとは違います。
・秋に藍黒色で白粉を被っている実をつけるツヅラフジ科のアオツヅラフジでした。
・ヤマブドウそっくりの実を一つぶ採り、薄い皮をむくと果肉の中から種が一つ出てきました。ティッシュで綺麗に拭き掌に乗せてルーペで観察してみました。直径3ミリ程、緑色。
・じっと見ていると、カタツムリの赤ちゃんにも見えてきました。貝のように渦を巻いているように見えるので、小さなアンモナイトと呼ばれる種は、とても愛らしい姿でした。
 谷津田の脇の斜面林や雑木林等で見られます。時には、生垣やブロック塀に這い上がっていることもあります。


アオツヅラフジ…ツヅラフジ科のつる性落葉木。
 花期は、夏。
小さな黄白色の花をつける。果期は、10月から12月。果実は初め青く、直径6から7ミリ。球形で熟すと藍黒色になり白粉をかぶる。別名カミエビ。漢字は、青葛藤。

漢方では腎臓病に利尿薬として使う。全株にアルカロイドを含み、誤って用いると呼吸中枢や心臓麻痺する危険があるという。美味しそうな木の実もはっきりしないものには手を出さないようにしましょう。

   


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