連載小説
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#8.Lady Blader I
 エレノアがアストライアーの所に来て10日が過ぎた。窓の外は黒雲に覆われた空が広がり、一日中雨が続いている。
 この雨もそうだが、レイヤードの気候は基本的に地上におけるそれを再現している。そして、この雨は既に一週間前から降り続いており、今の時期にしては異常な気象とされている。しかし、正常な気象とされる地上世界の気象を知る者は殆どいないだろう。地底に閉ざされたこの巨大な檻を管理している「ただひとつのもの」であれば話は別だろうが。
「いよいよ明日か……」
 あまり飾り付けられていない部屋の窓から、雨が振り続いている薄暗い空を見上げ、アストライアーは呟いた。
「ん、なんのこと?」
 女戦鴉の考えを遮った少女の声。その主は、ひょんな事からアストライアーが養う事となってしまったエレノア=フェルスである。
「いや……明日アリーナで試合をする予定があるのでな」
「アスおねーさんが?」
「ああ。相手は私と同じく女性レイヴンだが……かなりの腕利きだからな」
「そのれいぶんってだれ?」
「ワルキューレ。私が在籍しているレイヤード第3アリーナのBランカーだ」
「へぇー、アスさんって3つもアリーナでしあいしてるんだ」
「ちょっと待て、私が在籍しているアリーナは一つだけだぞ?」
 アストライアーが3つのアリーナを渡り歩いているとエレノアは解釈してしまった様である。だがアストライアーは、あくまで第3アリーナに在籍しているランカーであり、複数のアリーナを渡り歩いての試合はしていない。
 それ以前に彼女は、他のアリーナでの試合は経験した事が無い。時折観客に紛れて試合観戦をしているが、それは娯楽目的ではなく、他のレイヴンの情報収集の一環として行っているだけの話である。勿論、依頼で出向いた先で敵として出くわす可能性があるからである。
 それに彼女の狙いは、あくまでアリーナの暴君・BBの首。彼の息がかかったレイヴンを潰すのならまだしも、必要と思える以上の試合に関わる気も無かった。
「まあ、アリーナは何箇所もあるが、私が戦う場所は一箇所だけだ。そこを間違えないでくれ」
「そうなんだ、わかったよ。あ、でもアリーナっていくつあるの?」
「今のところ7つ」
 アストライアーはエレノアと話をしつつ、父・アルタイルが生前行っていたワルキューレとの戦いを思い浮かべていた。
 あの時、彼は機動性を極限まで高めた軽量2脚ACにハンドガンとブレードを装備。回避に徹し、機を見て一撃を加えると言うスタイルで戦っていた。
 だが当時から既に、ワルキューレは射撃の名手として名を馳せていたランカーだった。アルタイルは回避に徹するも、スナイパーライフルによる正確無比な狙撃を完全に回避する事は出来ず、同時に脆弱な防御の軽量2脚で戦いを挑んだと言う事もあり、少々の被弾でも、装甲はおろか内部機構までもがダメージを負わされる有様であった。
 そんな試合展開もあってか、結局彼女とは「銃弾一発の差」と呼ばれるほどの僅差で勝利する事となった。
「でもれんしゅうしないでいいの?」
「それをどうするかを、これから考えるんだ。それと、練習なら今日も既にやって来た」
 無論、アストライアーも何もしていなかった訳ではない。情報屋メタルスフィアからワルキューレ絡みの情報を仕入れ、ストリートエネミー、ミルキーウェイらを相手に模擬戦闘もして来た。
 愛機ヴィエルジュも、試合に備えて既に整備してある。
 一応準備は整えたつもりだが、自分の父親を敗北寸前にまで追い込んだ女性レイヴンにどう挑むか、彼女は決めかねていた。
「さあ、もう眠れ。明日は私の試合を見に行くのだろう」
「あ、そうだったね」
 テーブルの上にはアリーナの入場チケットが一枚ある。アストライアーが、エレノアに自分の戦いぶりを見てもらう為、彼女自身が調達したものである。因みにチケットは子供料金だが、これも大分長い事値下げも値上げもされていない。別にアリーナファンが気にするべき点でもないだろう。
 ダフ屋から分捕って来た可能性は無いだろうが、しかし彼女ならやりかねない。しかしながら、それは深く考えない方が良いだろうか。
「それじゃ、おやすみなさい」
「お休み、エレノア」
 寝室に向かうエレノアを見送り、アストライアーはワルキューレとの戦いをいかに乗り切るか、詮索し始めた。
 ゆえにアストライアーは忘れていた。幼女一人をアリーナに行かせるという危険極まりない状況に曝し、保護責任を問われかねない失態を犯している事に。


 そして日付は変化し、試合当日を迎えた。
 既にアリーナの入場ゲートへと繋がる通路では、万全のコンディションに調整されたヴィエルジュが静かに佇み、そのコックピット内の女剣豪は、発せられる指示を今か今かと待ち続けていた。数日前の光景を思い浮かべていた彼女は、己の内の闘志が静かに、しかし熱くたぎり始めているのを感じていた。
 しかしその顔は、何も感じていないかのように、或いは、何も知らなかったように、何の表情も浮かべてはいなかった。
『Ladies and Gentlemen! 大変長らくお待たせしました。只今よりB-4「ワルキューレ」選手とB-5「アストライアー」選手の試合を開始します!』
 やっと来た。観客に次の対戦カード、つまり自分の試合を知らせるアナウンスが告げられたのだ。続いて、アリーナ運営局から、女剣士へと通信が入る。
「アストライアー選手、入場をお願いします」
 通信が聞こえると、アストライアーは無言のままヴィエルジュを歩ませた。鉄筋コンクリートの壁に囲まれた通路を抜け、多くの観客の前にその青白い機体を披露するべく。
 ミラージュ社製外装パーツの特徴とも言える、曲線的で女性的なフォルム。青白く塗装された清涼感漂うカラーリング。それとは不釣合いとも言える、装飾性皆無の無骨なバズーカとブレードを携えたヴィエルジュが入場すると、観客からは歓声が上がる。
 同時に、彼女の存在を快く思わない観客からは嵐の如き大ブーイングが生じる。暴君すらも怯むような非難の嵐の中では、中指を立て、下に向けた親指を突き出す者も少なくない。中には酒瓶や紙コップ等を投げ付ける観客もいるほどだ。そのほぼ全てが、ワルキューレのファンである事は論を待つまい。
 しかし2人の女性レイヴンは、罵声や閑静など全く意に介さないかのように、静かに対峙していた。
「よく此処まで勝ち上がってきたわね」
「……」
「でも、それも此処までかしら? 果たしてあなたのその剣で私に勝てるか……」
「勝ってやる」
 少々アストライアーを見下したようなワルキューレの声。だが、それもこの挑戦者の毅然とした態度を崩すまでには至らない。
「口は一流のようね。でも、私と戦った後にその台詞を吐けるのかしら?」
「その科白、そっくり返してやる」
 試合が終わってまで生きていればの話だがなと、アストライアーは付け加えた。
 根の温和な女性であるワルキューレの優しい口調とは正反対な、冷徹さを多分に含んだアストライアーの口調。戦闘スタイルも全くの正反対である2人の女性レイヴンの対決は、予てから観客の間でも話題となっていた。だが、二人にその自覚はない。
「ご立派ね。伊達に人間を捨てたわけじゃないようで」
「貴様が言うか」
 冷たい言葉の節々に漂う、どす黒い思念に満ちた闘争心。実際、アストライアーは本気でワルキューレを殺すつもりでいた。そうでなければ意味がないと、女剣士は信じて疑わない。
 第一、今回の試合にはあの娘が見に来るはずなのだから。彼女が見ている前で、敗北はしたくなかった。


『ワルキューレ選手はスナイパーライフルを主軸とした射撃戦を得意とし、一度狙った獲物は逃がさない射撃の名手です。対するアストライアー選手は女性レイヴンにしては珍しくブレードの扱いに長け、前回の試合でも、彼女と同じくブレードの扱いに長けたノクターン選手を打ち破った実力者です。銃と剣、果たしてどちらが勝つか…』
 ワルキューレ操る軽量級2脚AC「グナー」とアストライアー操るヴィエルジュが会場に入場し、観客向けの選手を紹介するアナウンスが告げられていた頃。
「すみませ〜ん、どいてくださ〜いぃ…」
 女性レイヴン同士の戦いを見ようと、集まった群衆を押しのけて進む幼女がいた。
「ああ……いそがないとアスおねーさんのしあいがはじまっちゃうよぉ……」
 人ごみを掻き分け、チケット片手にアリーナを彷徨うエレノア。果たして試合までに間に合うのか。
 周囲からは「こんな小さい子が……」と思われているだろうが、しかし彼女は気にしない。気にしたとしても、そこまで思考が回るほど頭脳が発達していない。エレノアはただ、放たれたミサイルの如く空席を目指すのみ。
 それ故に、彼女は気づいていなかった。周囲の視線の中に、彼女の後をついて行く長髪の青年の姿があったことを。
 人込みに揉まれながらも、空いた客席を探して回るエレノア。早くしないと試合が始まる、そうなったら試合が見れなくなるかも知れないと、焦燥感に駆られていた彼女だが、突如、誰かに手を掴まれた。
「だれぇ? いそいでるのに!」
「お嬢ちゃん、席を探してんのか?」
「だったら俺達が譲ってやるぜ?」
 エレノアの手を掴んだのは、彼女が全く知らない顔、それも相当ガラの悪そうな男だった。それが2人並んで座っている。
「ホント? ありがとう!」
 だがそれでもエレノアは席を譲ってくれる事が嬉しかったようだ。
「ただし、俺達にサービスしてくれたらなぁ〜」
「え? なんのこと?」
 しかし男の一人はエレノアが答えるよりも先に、エレノアの胸元に手を伸ばした。何か猥雑な考えをしていたらしい。
 だがエレノアへと伸びた男の腕は、別の手によって強引に引き剥がされた。
「あ゛!? てめー誰だ!?」
 2人の男とエレノアが、腕の伸びて来た方向へと同時に顔を向けた。
 3人の視線の先には、黒のロングヘアーに黒い瞳をした若い男――先日、エレノアとアストライアーが一緒に買い物をしていた様子を、遠目から見ていた男がいた。
「譲ってやれ」
 青年は名前を告げるより前に、男に立ち退きを命じた。
「あ゛!? ガキはクソして寝てろゴルァ!!」
「はァ!? 聞こえねぇなぁ!?」
 デリカシーの欠片も無い言葉を返す男達だったが、その一瞬の後には、2人は青年に首を掴まれ、片腕で宙に持ち上げられた。
 更に青年は、男を2人とも殺してしまいそうな力で首を絞める。見た所、標準的体格のこの青年の何処に、成人男子2人を持ち上げられる力があるのか。
 そして周囲の観客も、この異様な光景に気が付き、言葉を無くした。アリーナドームの一区画は、先程の賑わいが嘘の様に、不気味な静けさが漂っていた。
 苦しむ男達だったが、しかし冷たい言葉が容赦なく突き刺さる。
「素直に退くか死ぬか、どちらが良いか選べ」
 程なく、詰まった声が2人から放たれる。
「ど…き……ます……」
「死に…た…ない…」
 男の首を掴んでいた両腕が下ろされた瞬間、2人の男は肉食獣に追われるネズミの様に逃げ去った。男の姿が見えなくなった事を確認すると、青年はエレノアに向き直る。
 端正なその姿も、今見てみると不気味な威圧感がある。まだ背の小さいエレノアからすれば、見上げるほどの体躯だっただけに、尚更と言えた。
「座るといい」
 とりあえずエレノアは、先程男が居た空席に恐る恐る腰掛け、青年はその右隣の席に腰を下ろした。
「……お前、アルタイルの娘――いや、アストライアーの試合を見に来たのか?」
 エレノアが着席するや否や、青年が問いかけて来た。
「……うん」
「そうか……」
 少々警戒気味のエレノア。先程の一件を目の当たりにしたから当然と言うべきであろうが、次の青年の言葉で、エレノアはあっさりと警戒心を解いた。
「私も彼女の試合を見に来たのだ」
「へぇー、おにーちゃんもアスおねーさんのファンなんだ」
「相当のな」
 青年とエレノアが会話しているうちに、試合開始の前カウントダウンが始まっていた。観客の声もそれに加わる。上位ランカー同士の試合とあってか、観客も交えてのカウントダウンは、異様なまでの盛り上がりを感じさせていた。
「あ、もうすぐしあいだね。アスおねーさ〜ん、がんばってね〜!!」
 一方ヴィエルジュのメインモニターには、試合開始前を示す「READY」の文字が表示されていた。アストライアーは深く呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
 通信モニター越しに投げかけられる冷めた視線の先では、ワルキューレが戦意を高ぶらせていたが、戦意は冷たい表情に押さえ込まれ、見た目では分からない。アストライアーとてそれは同じであった。
「さあ、始めるわよ。待ちくたびれたわ」
「御託はいい」
 身構えたヴィエルジュの左腕から、蒼白い光の刃が伸びる。
「来い!!」
 直後、試合開始のサインは告げられた。
『READY――GO!!』
 試合開始と同時に、高く飛び上がったグナーはステルスを発動させ、間髪入れずにスナイパーライフルを発砲した。相手の射撃を封じ込め、自分に有利な状態から相手の耐久力を削る――幾多のランカーを相手に、これまで戦果を上げてきた戦い方である。
 一方ヴィエルジュは前進こそしたが、すぐに後退。バズーカの砲口をグナーに向けるものの、砲撃音はなかった。
「どうしたのかしら?」
 疑問には思ったが、それでもチャンスは逃すまいと、グナーはスナイパーライフルによる射撃を繰り出す。数ある実弾系射撃武器でも屈指の弾速を誇るそれは、搭乗者の高い射撃スキルと相まって、次々にヴィエルジュの装甲に突き刺さる。
 蒼白い機体は先程から自分の機体の影から逃げるように移動するだけ。攻撃して来る気配はない。
 勿論ワルキューレはこれを好機とみなし、次々にヴィエルジュにスナイパーライフルの銃弾を叩き込む。チャンスは逃さない、スナイパーの基本にして究極だ。
「何を考えているのかしら……?」
 アストライアーの不可解な行動を警戒しつつも、ワルキューレはグナーを飛行させつつ、得意の射撃で試合を有利に運んでいる。
 グナーのステルスが停止のは、その最中だった。
(……来る!)
 ヴィエルジュからの攻撃を警戒するワルキューレ。ステルスが停止したときに一撃を食らわせるつもりだろうと、彼女は読んでいたのである。
 だが、彼女の予想に反し、再びグナーのステルスが作動するまでの間、相手からは反撃の一つも無かった。砲弾も、牽制目的のミサイルも飛んでこない。
「どう言う事かしら? ステルスが切れた隙にさえ反撃して来ないなんて……恐怖でも抱いたのかしら?」
 それで勝ち上がって来た彼女は一体……ワルキューレは訝りながらも呟き、誰にも気付かれぬ嘲笑を発した。
 ランカーレイヴン、特にブレードを主力として使用するレイヴンの場合、時として一瞬の判断ミスや遅れがそのまま敗北に繋がる事も少なくない。アストライアーとてそれは解かっているだろうが、しかし彼女は逃げるのみ。
 無様に逃げ回るヴィエルジュに、哀れみと侮辱の混じった嘲笑を交えながら、ワルキューレは武器のセレクターをロケットに変更、天女の如き軽やかな舞踊から、眼下の女剣士を狙う。
「でも彼女の事だわ、果たして何をしでかすか分からない……」
 一応こう見えても、ワルキューレは前々からアストライアーの腕は評価していたつもりだった。故に、眼下で走り回っている女剣士が、何をしでかすか分からない不気味さを持っている事も察している。己の嘲笑に気が付いた戦乙女は嘲笑を振り払い、端正な顔に浮かべた表情を冷たいものへと戻す。嘲笑は、アストライアーに土を付けてからだ。
 無論、ブレードを主力としているのだからまずは斬りかかって来るであろう事を察して。
「おい、アストライアーはどうしたんだ!?」
「いつものアス姐らしくない! 何を手間取ってんだ!?」
「あいつは手も足も出ないぞ、そのまま撃ち抜け!!」
 当然ながら観客も、ワルキューレとアストライアー、双方のファン達によってヒートアップしている。エレノアがいる区画も、今はワルキューレとアストライアー、双方のファンの声援や罵声、その他の声が轟音となって飛び交い、先程の沈黙が嘘のような、本来あるべき騒々しさに戻っていた。
 勿論この状況を前にして、あの娘が黙っている訳が無かった。
「ああ〜、このままじゃアスおねーさんがまけちゃうよ!!」
 アストライアーが追い詰められている様に見えた事で、エレノアは半ば混乱状態になっていた。目前の女剣士はまだ考えでもあるのだろうが、しかしエレノアには、アストライアーが一方的に負けている様に見えていのだ。
「アスおねさーん!! まけちゃダメだよー!!」
 頭に血が上り、エキサイト状態のエレノアの横では、青年がアストライアーの動きを冷静に観察していた。強いて言うなら、その瞳は冷静な視点を持つファンと言うよりは、寧ろアストライアーと同業者、即ちレイヴンの視線に近いものがある。
(このままではヴィエルジュが先に炎上するだろうが……あの動きはグナーの影を追っている様だ……)
 考察の間にも、女剣士から戦乙女へと視線を変化させる。
(しかし、グナーも軽量級の強化人間機体とは言え、機体自体のエネルギー消費が高い上に、ジェネレーターが高出力型ではない。いずれは着地するだろうが……あの小娘……)
 考察を続ける青年だが、そこにエレノアの声が割って入った事で考察は中断される。
「ちょっとぉ〜、おにーちゃんもアスおねーさんをおうえんしてよ〜! おにーさんもアスおねーさんのファンなんでしょ? このまままけちゃったら……」
「いや、分からんぞ」
 青年はアストライアーの戦いを悟ったかのように、自信有りげな声でエレノアに言った。
「アルタイルの娘……必ず何かやるぞ」
「でもこのままじゃアスおねーさんがぁ〜」
 不安になり、今にも泣き出しそうなエレノアだが、青年はそれでも言う。
「大丈夫だ。アルタイルの娘ならきっと逆転勝ちをやってのけるだろう。あの娘の事だ、大体想像は付く」
 エレノアと青年が会話をしている間にも、天を舞う戦乙女が、蒼白いACをスナイパーライフルや肩の小型ロケットで狙い撃ちしている。ロケットは何発か外れはしたが、それでも狙撃銃による命中弾は確実に蒼白い体躯に突き刺さっていく。
「諦めたのかしら? アレだけ言っておいて……」
 戦乙女はコンソールに映るエネルギー残量を示すゲージに目をやると、予備のエネルギーを示す赤いゲージが減少を続けていた。
 まだ燃料は十二分に有るが、これ以上のブースト噴射はジェネレーターのエネルギーを浪費させるばかりか、移動面で大きな負担を及ぼすと判断、一度降下することとした。
(いえ、最後まで分からない……)
 ACのブースト移動には、コンデンサに蓄積されたエネルギーと燃料の双方を必要としている。燃料は兎も角、コンデンサ容量が尽きればブースト移動は勿論、エネルギーを使った行動の一切が出来なくなる。そうなると、充電時間中に斬られて試合終了どころか、命まで落としかねない。
 それを熟知しているワルキューレはブーストを停止、降下を始める。エネルギー残量は、ゲージ下部の赤い部分が殆ど無くなった状態で、コックピットのコンソールに表示されていた。
 一方、彼方此方を銃撃されたヴィエルジュの耐久力は徐々に限界に近づきつつあった。ヴィエルジュがグナーの影から逃げる様にして移動していたが、それは一体どうして――それの理由を察したのは、降下開始から程なくしてだった。
 もしそうだとしたら――ワルキューレの脳裏を嫌な予感が過ぎる。そしてアストライアーの声が、その悪寒を裏付けた。
「待ちわびたぞ!」
 間髪入れず、グナーのコックピット内のワルキューレを激しい衝撃が襲った。迎え撃つべくロケットランチャーを向け、レーザーブレードを構える。
 だがそれよりも早く、ヴィエルジュの左腕に装備されたムーンライトが叩き込まれ、グナーは床へと叩き付けられた。


 荒々しく地面へと叩き落されたグナーの中で、ワルキューレは見失いかけた我を強引に引き戻し、再び操縦桿とペダルに四肢を掛ける。
 飛行中はブレードで斬りつけられるものではなかったが、地上に下ろせば話は別――それこそが、アストライアーが熟考の末に出した結論。彼女はグナーが降りて来るまでに、繰り出される攻撃を耐え、逃げる道を選択したのである。
 そして、眼前には再び肉薄するヴィエルジュの姿が。
「くっ……!!」
 降り立ったグナーもすかさず、軽量型ブレードで反撃。だが、地上でブレードを振るった為に、まだ浮遊していた女剣士を斬り付けるには至らなかった。ブレードの刀身から放たれたオレンジ色の光波が、虚しく空を斬る。
 こうなればこっちのものと言わんばかりに、相手がブレードを地上で振るった際の僅かな硬直の間に、ヴィエルジュは再度ムーンライトを一閃、グナーに青白い刀身を叩きつけた。
「うぉぉぉぉ!! 斬ったぞぉぉぉ!!」
「コレで逆転だ!!」
「このままやられっぱなしで終わるな! 撃て、撃つんだ!」
「キューレお姉さま、あんな外道に負けないで!」
 より大きくなった轟音のような観客のどよめきの中、ヴィエルジュは三度ムーンライトを振りかざす。だがこれ以上斬られてなるものかと、グナーはジャンプからのブーストで再び高く舞い上がった。
 僅かな差で、蒼白い刀身と半月状の光波はグナーの居た場所を通り過ぎた。
「くそっ、逃がしたか……」
 上空に逃げたグナーを、女剣士は見送った。その中でワルキューレが歯噛みしている事など知らずに。
(彼女、最初からコレを狙っていたのね……降りた瞬間のグナーを斬り付けようと……)
 歯噛みするワルキューレだが、コンソールパネルを見て彼女は言葉を失った。コンデンサ破損、装甲ダメージ大、上腕部ステルスユニットが使用不能となった挙句、右腕が狙撃銃諸共斬り落とされていたのだ。
 ワルキューレは静かに憤った。平素が温和とはいえ、こんな事で大損害を被る事は、彼女のプライドが許さなかったのだ。
(装甲が薄い為とは言え、此処まで損害を負わせられるなんて……)
 出し抜けにグナーが震え、思考は中断された。同時に、損害状況が危険状態になった事を知らせるアラームがコックピット内に響き始めた。機体温度を示すメーターも急激に上昇する。
「なっ!? そんな!」
 グナーの下から、ヴィエルジュがバズーカで砲撃を続けていた。先程グナーを襲った衝撃も、このバズーカの砲弾が直撃し、コアに開いた切り口とは別の箇所を抉った為である。グナーは更に上昇して逃れようとするが、相手はブーストを吹かして上昇、グナーに肉迫せんとしていた。
「“彼”から聞いていたけど、ここまでやるなんて……」
 ワルキューレは屈辱こそ覚えたが、同時に驚愕と、それをも凌駕するほどの胸の高鳴りを感じていた。こんな大したレイヴン――しかも女性が、まだこの世にいたなんて! それは何よりも、彼女にとっては衝撃だった。
 グナーも肩のロケットを乱射して反撃。そのうちの一発がヴィエルジュの右上腕部に命中、鋼鉄の女剣士は反動でバランスを崩しながらも着地した。
 着地すると同時にOBが発動し、ヴィエルジュはグナーの脚の下を潜って行った。
「チッ、インサイドカーゴがやられたか……」
 ただし、ヴィエルジュのインサイドカーゴには何も装備されていない。相手によっては防御用のデコイを装備する事もあるが、そもそもミサイルを装備していないグナーが相手では意味の無い装備である。それだけに、潰されたとしてもこの試合の上では影響は無い。
 一方グナーはステルスが使用不可能、その上スナイパーライフルも無くなってる。主力武器は無くなったが、図らずもその分軽量化はされている。
 このまま逃げ続けながら戦う事も出来るだろうと、ワルキューレは見た。
 だが航空機とは違い、ACは空中では速度が落ちる為、いかに軽量級ACだとしても必然的に被弾率が上がってしまう。このまま上空にいると、恐らくヴィエルジュは小型ミサイルを放ってくる。攻撃力の低い小型ミサイルでも、ミサイルカウンターに乏しく、しかも既に耐久力が限界を迎えつつあるグナーに止めを刺すには十分なシロモノであった。
 仮に飛行しながらの回避に徹したとしても、いかんせん集中力の問題もある為、アッと思った時には被弾している事も考えられた。
 さらにこのまま上空に居れば、相手が逃げに徹された場合、損害状況の比較から判定で負ける事も十分考えられた。
 止む無く降下を始めるグナーだが、その落下地点に向け、ヴィエルジュはブーストダッシュで突進開始していた。
「兎に角抑えなければ……」
 先程から幾度か冷静さを失いかけたワルキューレだが、それでも己に忍耐を課し、冷静さを保つ。この点、アストライアーと共通する部分がある。
 近寄らせてなるものかとロケットを放つグナーだが、ヴィエルジュは止まる事無くOBで突撃してくる。右腕にロケットが着弾し、その装甲が弾け飛んでも止まらない。そして、その左腕は青白い燐光を発していた。
「……来る!!」
 ヴィエルジュがグナー目掛けて飛び上がった。恐らく、この一撃で勝負は決まる。
「終わりだ!!」
 観客は視線を凝らし、試合が決するであろう瞬間を、固唾を呑んで見詰めていた。瞬きしたら決着の瞬間は見えないとでも言わんばかりに。
「喰らえ――ッ!!」
 蒼白い刃が、怒号と共に振り下ろされる。
「させない!!」
 戦乙女もロケットを乱射。その瞬間、2機のACは爆炎と閃光に包まれた。


 戦闘フィールドの中央に生じ、2機のACを飲み込むようにして広がった爆炎を、観客達は固唾を呑んで見守った。
 どうなってるんだとざわめく中、爆炎の中からはヴィエルジュだけが姿を表した。グナーの残骸は何処にもない。ブレードで木っ端微塵にされたかと誰もが思っていたが、ヴィエルジュの壊れかけた頭部が上へと向けられていたことで、観客も自然に同じ方向へと視線を向ける。そして、その光景にどよめいた。
 彼等の視線、そしてヴィエルジュの頭部バイザーの先では、グナーが何事も無かったかのように天を舞っていた。
 その表面は傷付いてはいたが、まだ戦闘行動を行えるであろう状態にある事が見て取れる。まだ、決着は付いていない。
 ヴィエルジュを視認すると、グナーは再びロケットでの砲撃を繰り出した。ヴィエルジュはOBでグナーの足の下を潜り、距離と攻撃までの僅かな時間を稼ぐ。
 その間に、アストライアーは愛機の右手にまだ握られていたバズーカに視線を落とす。そして、それがヴィエルジュの腕で動かせる事と、まだ作動する状態にある事を確かめた。バズーカは火力の代償に半端ではない重さと言うデメリットを宿命的に抱えており、今の射撃で内部機構が破損していたら、到底持ち運べるような代物ではないからだ。
 幸い、まだ右腕の内部機構はそれ程ダメージを受けておらず、またバズーカ自体も作動する事は分かった。それを知るや否や、アストライアーは次の手段に動き出す。
(出来る事なら斬って捨てたい所だったが……仕方ない)
 射撃のスペシャリストであるワルキューレ相手に、自分の射撃スキルがどこまで通じるかは分からない。だがアストライアーの意思に呼応するかのように、ヴィエルジュはバズーカの砲口を向け、発砲した。
 爆発に似た砲声とともに、砲弾が戦乙女に向け飛び出す。腕部装備型のAC用射撃兵器としては高火力火器に類するバズーカの発射に伴う反動は、既に装甲を砕かれた腕部に過負荷を与えかねないレベルだった。
 だが、それでもヴィエルジュの腕部は発砲に耐えた。続けて、二度、三度と砲弾を繰り出す。
「あのアマは何考えてんだ!」
「ブレーダーとして恥ずかしくないのか!!」
 剣戟による勝負を主体としたヴィエルジュがバズーカを発砲したことで、観客のブーイングが更に大きくなった。
 無理もない。レイヤードでACが戦うアリーナが登場して以来、ブレードを主力とするレイヴンは幾度も現れたが、その殆どは、銃器をブレードの補佐程度に留めているものだった。だがヴィエルジュはバズーカと言う、単一装備でもACを撃破し得るポテンシャルを持つ兵器を装備し、あまつさえそれを連射しだした。
 これは、剣に魅入られ、剣に全てを賭ける他のブレーダーが、全くと言って良いほど行わない、観客からすれば「過ぎた行為」であった。
 だがアストライアーは既に決しており、それゆえブーイングに動じる事はない。彼女は名誉と誇りよりも、勝利を優先した――それだけの話だ。
 雌雄を決すべく、女剣士は頭上で舞いを披露し続ける戦乙女に向け前進した。この際剣は捨てる。ただ目前の戦乙女に、砲弾を叩き込む事のみを考える。
(くっ……また来る!)
 ワルキューレの視線の先では、ブレードを盾代わりに構えてヴィエルジュが前進していた。勿論、バズーカを放ちながら。
 このままでは負ける――ワルキューレは瀕死のグナーに回避行動を命じる一方、ロケットランチャーを、さらにEOまでも動員してヴィエルジュを止めにかかる。ロケットとEOが相次いで火を噴き、砲弾と共に肉迫する女戦鴉を破壊の奔流で包み込む。遂には女剣士の左腕が肘関節から砕かれ、落下。同時にコアには砲弾とエネルギー弾が降り注ぎ、コア前面の装甲を穿つ。頭部はロケットランチャーで原形を留めぬほどに破壊され、レーダーもへし折られた。
 だが直後に響き渡ったのはアストライアーではなく、ワルキューレの短い断末魔だった。
 反撃を受けながらも、ヴィエルジュはグナーのコアへと砲弾を突き刺し、装甲を内部機構諸共に砕き、アリーナドームの床へと叩き落としたのだ。
 グナーが墜落した事を確認するように、一斉射撃で左腕を失ったヴィエルジュも、アリーナの床へと降り立った。ブースターで減速していなかった為、荒々しい着地となった。
『試合終了!! ワルキューレ選手、戦闘不能につき、アストライアー選手の勝利です!!』
「ワルキューレが……嘘だろ!?」
「キューレお姉さまぁ……」
「てめー、何でブレード使わねーんだよ!!」
「それでもお前はブレーダーか!? ふざけんじゃねえぞ!!」
 ワルキューレ側の観客からは、当然の事ながら大ブーイング。その一区画からは、ハイウェイで渋滞する車両のクラクションを何倍にもしたような罵声で満たされ、騒然となった。
「射撃戦でもやるもんなんだな」
 一方、ブレードを捨てながらも勝利したアストライアーの側となると、ブレードでの決着を期待していた一部のファンからも、彼女と戦い敗北した戦乙女のファン同様のブーイングが飛んでいたが、前半の劣勢が嘘のような戦いぶりから、高い評価を下すファンの方が多かった。
 彼等の罵声も、多くのファンの声援に掻き消され、女剣士には届かない。仮に届いていたとしても、見ているだけしか出来ない連中の抗議になど耳も貸さないだろうが。
「アスおねーさんが……かったの? やったぁ〜!!」
 全身で喜びを表すエレノアだが、しかし隣の青年は石膏を固めたような無表情で、満身創痍の女剣士を見詰めるばかり。
「あれ、どうしたのおにーちゃん? アスおねーさんのファンなんでしょ? アスおねーさんがかったのにうれしくないの?」
「いや、恐らくこうなるであろう、とは読んでいたからな。アルタイルの娘ならきっとやるだろうなと」
 怪訝そうな顔をするエレノアだが、青年は気にする事無く自分が感じたことを話す。
「それに、だ――」
 次の瞬間、青年の口は徐に「己の名」を放った。
「私にも“エース”と言う名がある」
 エース――彼はレイヤード第3アリーナで「暴君」と恐れられるBBを打ち破った男であるだけではない。アリーナデビュー以来、無敗のまま頂点を極めたレイヴンでもあった。上位ランカーであっても、ACのコンセプトから敗北する例も少ないこの時勢以前でも、無敗はそれだけで偉業であった。
 為に、弱肉強食が生きる常であるこのアリーナに在籍する全てのランカーの羨望の的にして、畏怖の対象ともなっていた。
 だが、その名はアストライアーとワルキューレ双方のインタビュー、そしてそれに続いて起こる観客の歓声にによって、たやすく掻き消された。そしてエレノアも、彼の姿を見て、ある事に気が付いている。
「え〜、うそでしょそれ? あたしもそのエースさんをテレビでみたけど、おにーちゃんとにてないよ?」
 エレノアがテレビで見たというエースの姿は、セミロングの銀髪に緑色の瞳をしていた。だがエレノアの眼前に映る姿は黒の長髪に黒い瞳。髪型も含め、外見的類似性は見受けられない。
「それには色々と事情がある。お前もその理由を、もしかしたら身をもって思い知る事となるかも知れない。最もそれが起こらなければ、それに越した事は無いが……」
 青年の横顔は憂いを帯びていた。エレノアもそれを感知してか、それ以上は口を開かなかった。
「まあ、似てないと思うなら似てないで構わないのだが。さて、そろそろ私は失礼する」
「え? かえっちゃうの?」
「ああ。用事があってな…」
「ちょっと待って」
 立ち去ろうとする青年を呼び止める幼女。
「アスおねーさん、このままどんどんかつといいよね?」
「そう願うといい。あの娘なら、恐らく……では行く。縁があったらまた会おう」
 不思議な笑みを浮かべながら、トップランカーの名を騙る青年は立ち去っていった。


「……誰からかしら?」
 大破したグナーをアリーナ内の修理用ガレージに引き渡した直後、ワルキューレの携帯が着信音を発した。
「はい?」
「ワルキューレ、何だあの結果は!? 小娘ごときに負けおって!」
 携帯端末は、いきなり高圧的な男の声を発した。
「BB……」
 声の主は、アストライアーにとっては憎んでも憎み切れない敵だった。
「もう貴様には期待はせん!」
 言うだけ言うと、暴君は一方的に通信を切った。自分にアストライアーと戦う様に言っておきながら、役に立たないと分かった途端に見捨てるとは。あまりと言えばあまりにも身勝手な仕打ちに、ワルキューレは愕然とする他無かった。
「ワルキューレ様、ACの整備の件でですが……」
 整備士が声を掛けるが、ワルキューレは人形のように無表情だった。
「どうされましたか?」
「いえ、別に何も……それより、何の用で?」
「グナーの修理の件ですが、修理までにはしばらく掛かりそうですが、宜しいでしょうか?」
「構わないわ」
 ワルキューレからの了承を得ると、整備士はグナーの修理に戻っていった。そして整備士が去ってからしばらく、ワルキューレはその場から動かずにうなだれていた。
 しばらくして、やり場の無い怒りがこみ上げてきたのか、女戦鴉は唇を噛み、ガレージの壁を思いきり殴りつけた。美しい顔は歪み、剥き出しになった白い歯が軋んでいる。拳は硬く握られ、特殊繊維のグローブも軋むような音を上げる。
 あそこまで歪んだ彼女の顔を見たのは初めてだったと、多くの整備士達は呟いた。だが、それは紙面のどこにも記載されなかったという。


「やれやれ、使えぬ女め」
 一方、切られた回線の先では、威圧的な声の持ち主――即ちこのアリーナを牛耳る男が、用無しの紙屑を握りつぶすようにして携帯端末を折り畳んだ。
「どうやら、ファンファーレ当たりに動いてもらう事になりそうだな」
 暴君は、自らの左手側に従えた格下ランカーに視線を向け、告げた。
「ファンファーレを呼べ、此処にな」
 わざわざ呼び出さずとも、携帯端末で連絡を取る事は可能だ。しかし、BB本人はそれをしなかった。携帯端末で連絡した先が、当事者の偽者である可能性も否定できないからだ。従って、BBは当事者を呼び出し、直接連絡を付けるやり方を通していた。
「あいつの依頼の日程を見て、どう動くか決める」
「しかし、すぐには……」
 左手側に控える男――ロイヤルミストは難色を示した。彼が言うには、当のファンファーレは現在、依頼で出払っているのだと言う。
「第一、今は戦闘中かも知れん。使える駒を些細なミスで失うわけには……仮にも、戦闘中に携帯端末を手にする訳にもいかんだろう……」
 声を震えさせたロイヤルミストの顔を一見する暴君。Aランクと言う位置に君臨するロイヤルミストですら、眼光を前にして沈黙するほどの威圧感が、その顔から発っせられていた。
「まあ良い、時間を改めてと言う事にしてやろう。だが……」
 再び、暴君の態度が高圧的になる。
「例え脚本が変更されたとしても、あの小娘が辿る結末は変わらん。変わるのは出演者だけだ」
 BBと、その足元で尻尾を振るう犬達が織り成す脚本。それに綴られる結末は、女剣士の破滅か、それとも――この先は、現段階ではまだ見えない。


 その頃、BBの意向など知る由もないアストライアーは、アリーナ内のガレージにヴィエルジュを係留させていた。
 アリーナでは弾薬補給・機体修理をサービスとして受けられ、その為か弾薬費や修理費は基本的に請求されない。その為、ランカーの中には、弾単価の高いミサイルやグレネードを平気で使う者も居る。
 さらにアリーナで試合を行うACには万が一の為の処置として、強力なフィールドを発生させて搭乗者を保護するユニットが、コックピット付近に取り付けられる。その装置はコックピット付近に取り付けられる事で、コックピットとその周辺を包む様にしてシールドを発生させるのだ。
 それまでのアリーナランカーは、機体が破壊された際、過度な追い討ちをかけられずとも死に至る者も多かったが、この防御装置の登場で、ランカーの死亡率は劇的に低下した。だが、それでも絶対では無い。
 事実、ガラーポを初めとして、アストライアーが試合中に殺傷したランカーは数知れない。
 しかも、防御装置は試合終了後、アリーナのガレージにて取り外す事になっているのだ。
 因みに、アリーナの観客席も同等のシールドで守られている。派手な試合になって観客に被害が出ない様にする為の防御策だ。そうでもしなければ観客動員数などたかが知れている。当然だが、観客も危険を冒してまで試合を観戦しようとは思わないからだ。
 そうした防御装置の取り外しや修理などの作業が進んでいる中、一人の整備士とアストライアーが会話をしていた。
 アストライアーは、整備士が手渡したリストに目を落としている。
「その部分はパーツ交換する事になりますが、宜しいでしょうか?」
「ああ、頼む」
 何とかワルキューレに勝利したアストライアーだったが、しかし彼女は、愛機が凄まじい状態だった事は認めざるを得なかった。
 頭部と右腕が欠損し、コア表面も銃撃で蜂の巣のようになっている。左腕に至っては、グナーが落ちる間際に放ったロケットとEOによって、肘関節部分から無残に砕かれ、補助ブースターも使用不能にされている。幸い、彼女の愛剣は下腕もろとも回収されて、現在、修理されている。
 鉄屑も同然となったヴィエルジュだが、しかし修理で済む程度だから、アストライアーにとっては幸いだったと言える。
「で、バズーカは使用出来る状態だったのか?」
「はい、特に問題は無いようです」
「分かった」
 整備士の話を切り上げると、アストライアーは修理が進む己の愛機をしばし見つめつつ、パーツ交換が終わるのを待った。


 それから更に時間は進む。
 アストライアーは結局、修理がまだ終わらない愛機を整備士達に預け、一度自宅へと戻ってPCをチェックしていた。
 僅かに開いたカーテンの向こうは、未だに雨模様だった。ワルキューレとの戦闘中も同様。幸い、試合会場だったアリーナはドームの中だった事もあり、試合には何も影響は無かった。
 雨音が続く中、アストライアーはただ一人、メールボックスをクリックし、メールの送受信を確認していた。
 現在時刻は午後11時14分、子供が起きているにはあまりに遅い時間帯である。勿論、既にエレノアはアストライアーの近くにはおらず、寝室に敷かれた布団の中で、気持ち良さそうな顔をして夢の世界へと旅立っていた。
「……あの女からメールか?」
 新着メールの中には企業からのダイレクトメールや個人的に親しいレイヴンからのメールに混じり、差出人名に「ワルキューレ」と記された、宛名の無いメールが一通届いていた。
 ただ宛名の無いメールには大抵ウイルスやらスパイウェアに類するものや、そうでなくてもPCに悪影響を与えるファイルなどが添付されている可能性もあるため、直ちに各種チェックを行う。
 幸い、ウイルスやスパイウェアは発見されなかった。
「……腹いせに誹謗中傷でも送りつけたか?」
 送信者が観客にしても相手レイヴンだったにしても、ランカーのメールアドレスにはファンレターと同様に、誹謗中傷を含めた、大量の「アンチファンレター」が届く。とりわけアストライアーの様な攻撃的な戦いを行う者に対しては、試合の度に、メールとは名ばかりの汚い言葉が怒涛の如く送り込まれるのである。
 ただ、アストライアーはコーテックス経由のメールや、あるいは企業から送信されたメール以外は全て読まずに削除し、日常生活用のメールアドレスも公表していない。
 無論、ファンレターにも一切の返信をしていない。観客がどう思い、どんな内容のメールを送ろうと、アストライアーにはまったく関係のない事だった。
 他の中堅以上のランカーや、人気ランカー達も同様だろう。必須、と言うわけではないのだろうが、メールで依頼の受諾や他のレイヴン達とのやり取りを行う場合、それをスムーズに行う必要性を考えれば必然的にそうなってしまう。そもそも、送られてきたメールにいちいち目を通すあまり、重要な連絡を忘れたとあっては情けないと、アストライアーは思っている。
(誹謗中傷は慣れてるがな……)
 どうせロクな内容ではないと警戒しながらも、メールの内容を確認する。


 送信者:ワルキューレ
 件名:−(無名)

 楽しめたわ。
 あなたの様な強いレイヴンがいるなんて。
 でも、これで彼を怒らせてしまったわ。

 ここから、上のランカーは
 ほとんどが、彼の息のかかったものばかり。
 もう容赦はしないでしょうね。

 あなたがどこまで勝ち進めるのか、
 楽しみにしているわ。


 自分に対する激励のメールだと知ったアストライアーは「意外だな」とだけ呟いたが、そこまでだった。
 自身に感服している様に見せて置いて実際は見下しているのか、あるいは本当に自分を評価しているのか――ワルキューレがアストライアーをどう思うかは、あの簡潔な文面から見る限りでは幾らかの解釈が出来た。だが、彼女の関心を買うには至らなかった。
 BBを殺す上で役に立つかもな、とは考えているのだろうが。
(……とりあえず礼は言っておくか)
 アストライアーもメールを返す。既にエレノアは眠りに落ち、静まりかえった室内には僅かな空調の音と、キーボードの上で女剣士の指が軽やかに踊り、ステップを刻む音のみが響いた。
 ディスプレイに記されたその文面は、警告を含めてのメールに対する礼と、「どんな理由があろうともBBを殺す」と言う宣言のようなもので構成されていた。
 返信と言う形でそのメールを戦乙女名義のメールボックスへと送り込むと、彼女はPCをシャットダウンさせ、またいずれ来るであろう新たな戦いに備え、その身を休めた。
 窓ガラスを打つ雨粒だけが、その光景を静かに見続けていた。
14/10/16 11:39更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 第6話に入るはずだったワルキューレとアストライアーの試合がメインです。
 実際にワルキューレを小説に登場させてアストライアーと戦わせようと思ったものの、どうするかで凄まじく悩んだ記憶があります。
 一時なんぞワルキューレに一方的にやられる展開を予定していたり、逆にブレードで一撃必殺するのも良かろうかとも考えました。描いている方も味気ないと言う事で没にしたんですが(爆)。

 戦闘描写については、実際にワルキューレと戦いそれを元にしています。ただ実際にワルキューレと戦ってもらったのは弟だったりします(爆)
 私はブレードスキルが落ちて到底あのような戦いは無理――と言うより、マスターオブアリーナで散々斬り殺されて以来、ブレードが超絶的に苦手(ブレ使って勝った例がない、勝てるCPUにすら負ける)になったので(ぁ)。

 しかし、そのブレード大嫌い人間が女剣豪を主人公とするとは、今思えば皮肉としか言い様がないですね(苦笑)。

 ちなみに作品中におけるアリーナの数に関しては、本作独自に設定したものです。更に蛇足ですが、他のレイヤードのアリーナでも「ゲームのアリーナ、あるいは他の方々の小説と同じ様に試合が展開されている」と思って下さい。
 流石にそこまで描写しようとすると私の手に負えません(滅)

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まろやか投稿小説 Ver1.50