連載小説
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#6.その笑みは天使の如く
 ノクターンとの戦い、ワルキューレとの邂逅、そして意趣返しと、一連の出来事が疾風の如く過ぎ去り、ようやくアストライアーが自宅のあるマンションまでたどり着いた時には、既に夜になっていた。
 入居者専用の、屋根付きの駐輪所にバイクを止め、マンションの正面入り口に回るが、その前に何かが転がっているのに、アストライアーは気が付いた。
 既に日は傾き、辺りは暗くなり始め、街灯が灯っていないと物の視認が難しい状態だが、それが人間だと気が付くには、それほど時間は掛からなかった。
「またどっかから流れ出てきた浮浪児か?」
 倒れていたのが人間だと知ってもアストライアーは、殆ど無関心であったが、眼前に倒れていたその人間は観察する。
 暗いため判り難いが、女剣士の目には小柄な女性、外見から察するにまだ未成年のように映った。外見年齢はせいぜい5〜6歳程度、頭髪は黒ないし茶色系のショートヘアで、見慣れない衣服を纏っている。未成年どころか、幼女と表現しても差し支えはあるまい。
 アストライアーはそんな彼女の手首を掴み、自分の指をあてがう。
(……脈はある。どうやら生きているらしい)
 続いて、肩を強く叩いて反応を確かめるが、まるで反応無し。ただ救いと言えたのは、この少女には特に外傷は無いらしく、また地面に出血も見られなかった点だった。
 どうやら救急車を呼ぶほどの事態でもない様だが、しかしアストライアーとしては、自分が保護しなくても別に良いだろうと考えていた。小娘一人の生き死になど、どうでもいい事だとの認識があったのだ。
 とは言っても、此処でこのまま倒れられていても厄介な事になる可能性はあった。特に今日は意趣返しとは言え男一人を殺めているし、今まで何人殺して来たか分からない。
 したがって警察沙汰になったら最後、良くて刑務所行き、最悪の場合は銃殺か絞首台、あるいは電気イス送りになるのは確実だ。
「……仕方ない」
 これ以上の厄介事に発展する事を懸念し、アストライアーは今だ意識の無い少女を背負い、自宅に担ぎこんだ。


「う〜ん……」
「気が付いたか?」
 40分ほど後、アストライアーの前で、ベッドに寝かせられていた幼女が目覚めた。まだ状況が理解出来ないのか、巣穴から出てきた小動物の様にきょろきょろと周囲を見渡す。
「ここ、どこ?」
「私の部屋だ。このマンションの前で倒れていたのだが、こうして部屋に担ぎ込ませてもらった」
 まだ状況を理解できていない様子の少女に、アストライアーは問う。
「まあそれは兎も角、家は何処なんだ? 外見から見ると未成年の様だ。親御さんに連絡しなければ」
「どうして?」
「貴女は子供だろう? 必要ならばそうするのが当たり前だ」
 そう言えば自分も未成年者だったか? いや20歳を迎えているのだから違うだろう、等とアストライアーは思い起こしていたが、今はそれを考えたところで何とやらである。
 しかし、女戦鴉の冷たい言葉を聞いた少女は、目から涙を流していた。だが、それは女戦鴉の言葉に傷付いたからではなかった。
「あたし、おうちがないの……おとーさんも、おかあさんも……」
 冷たく光る青い瞳は無言で「何故?」と彼女に問いかけていた。
「あたし……ちいさいころからこうえんにいたの……だからおうちも、おとーさんもおかあさんもいないの……」
 この娘は孤児だったのか。
 アストライアーは幼女の言葉を踏まえ、再びその容姿を見てみる。
 室内灯の下だから分かったのだが、幼女の肌は煤けた様に汚れ、来ている服もぼろきれ同然の粗末なもの。履いていた靴も、履き潰されてボロボロである。何処をどう見ても、所謂普通の生活を送っていた様には見えない。
 この幼女がホームレスの類であろう事は、アストライアーには容易に察しがついた。
 しかし、孤児だからと言ってアストライアーには彼女を助けてやろうと言う気は無かった。ガラの悪いレイヴンを見ていくうちに、彼女はすっかり他人への無関心が板についてしまったためだ。
 そうは言っても、これは元々彼女が望んでいた事ではない。しかし、自由が認められたレイヴンの中には、相手を抹消する為には如何なる手段をも辞さない者もいれば、機密性の高い依頼を受けるものもいる。そうした者に深く関わるとろくな事がない――レイヴンとして生きているうちに、彼女は自然にそう感じるようになったのだ。
 いつ何が起こるか分からない中、過度なまでの自己防衛意識が成した業である。
「あれ? ダメだよね、こんなところでないたりしちゃ……」
 少女は、何かを思い出したように微笑みを浮かべた。その笑みを例えて言うなら、この世の醜い争いごととは全く無縁のもの――簡潔に言えば、まるで天使のようだった。アストライアーの言葉で表現するならばの話だが。
 しかしながら、その笑みを見たアストライアーは、胸の中に痛みにも似た疼きと、自分の思考が狂おしいまでの感情――それはある種の物欲にも似ていた――が湧き上がってくるのを覚えた。この娘をもし再び、生きるために何でもする様な浮浪者の中にでも放り込んでしまえば、彼女は間違い無く命を落とすだろう。
 彼女は、胸のうちに芽生えた感情をあえて言葉にした。と言うよりは、言わなければ何か嫌な事になるだろう――そんな気がしたのである。
「だったら……私の所に居ろ。私はレイヴンと言うやくざな身分だが、少なくとも現状では食事と寝る場所には困らない。路上でのたれ死ぬよりは良いだろう……」
「え?」
 その言葉を聴いた少女はしばし驚いた様子だった。だがしばらくすると、少し煤けた様なその顔に、満面の笑みが浮かび上がった。
「ありがとう!! ホントにありがとう!!」
 そして少女は、感謝の言葉を口にすると、今度は無邪気な声でアストライアーに話しかけてきた。先程までの哀しげな表情と声が、まるで嘘の様に。
「ねえ、おしゃべりしない?」
「……まあ良い。今日はもう予定はないしな」
 アストライアーは幼女の頼みに応じる事にした。それまで別の方向を向けていた身体が、小さな体の方を向いた事からも、彼女の態度が窺える。


 ベッドの上に置かれた、アナログ表示式の目覚まし時計が示す時刻は7時半を指し示している。
 幼女と女戦鴉の会話は既に1時間近く続いていた。その間、話題はあれこれと飛びに飛んだが、幼い子供だけに、その内容は虫やら動物と言った身近な存在が大半だった。
 一方的に喋るのを聞いているだけでは、普通の人間が聞いても退屈でしかないところである。しかし、アストライアーにはそれが全く苦痛に感じていなかった。
「ねえ、おねえさんってごはんつくれるの?」
「一応出来るが、それよりもまずシャワーを浴びて来てくれ。私の家で寝るのと、地面に寝転がるのとは違うからな」
「はーい」
「あと、タオルと着替えは後で用意しておく。生憎貴女に合いそうなサイズの服が無いから、暫くは私の物で我慢してくれ」
「うん。ありがとう」
 バスルームに走っていく少女を見送ったアストライアーは、先程まで少女が寝ていたベッドに目をやる。煤けていた幼女を寝かせたためか、少々薄汚くなってしまっていた。早々と洗濯済みのシーツと交換する。
「……あの娘を見たときの感覚は何だったんだ? それに何故私はあんな台詞を言ったんだ?」
 アストライアーは、忘れていた何かを思い出したような感覚に襲われた。
 しかしそれはただの錯覚なのだろうか、暫くしてそれを思い返してみても、この時の彼女の脳裏には、それが何なのかは分からなかった。
 もう少し後になれば、その答えは自然と出て来るだろう。更に後になれば、それが重要な意味を持っている事に気付かされるだろう。
「まあ良い、今はあの娘の事を考えてやるか……」
 シーツを交換したアストライアーは、先程のシーツをバスルームの前にある洗面所に設置されたドラム式洗濯機の中に放り込むと、着替えとタオルを取りに戻って行った。
 着替えとタオルをバスルームまで持って行こうとした時、不意にリビングに置かれていたテレビを点け、ニュースに目をやる。「着替えは私の奴で良いか」などと言う疑問を忘れて。
『……次のニュースです。昨日未明、レイヤード第一層第一都市区の閉鎖区画のゲートが、何者かによって許可無く開かれました。
 情報によりますと、このゲートは地上からの移民時代のゲートですが、ゲート付近に銃創が多数発見され、またこの事態を鎮圧するべく出動した、ガードメカと思われる残骸も確認されており、調査に当たったクレスト社は、何者かがここで不法な戦闘行為を行ったものとの見解を…』
 クレストのやり方に不満を抱く連中が、また何か馬鹿なことをやらかしたのだろう。女戦鴉はそう感じていた。
 いずれクレストに雇われたレイヴンか、あるいはクレストの戦闘部隊が連中の始末に来るだろう。今後の展開が、そうなるだろう事は想像に難くない。
『なお、現地ではこの騒動の前後にユニオンが動いていたとの情報もあり、クレストでは、このユニオンが事件に関わっていると見て真相の究明を進めています…』
「何だと!?」
 先程までニュースに殆ど無関心だったアストライアーは、ユニオンという組織名を聞いて反射的に耳をとがらせた。
 ユニオンとは、管理者の絶対的支配に疑問を抱く一部の知識人を中核として設立された秘密結社で、反管理者を掲げるそのスタンスから、レイヤード最大勢力企業ミラージュの下部組織として行動していると言われている。当然ながら管理者による支配をよしとするクレストとの対立は絶えず、レイヤード第3勢力となっているキサラギが裏で資金源となっている等、何かと噂も絶えない。
「ユニオン、か……」
 アストライアーは着替えとタオルをソファーの上に置き、立ったまま腕組みをして詮索を始めた。
「地下世界に異変が続発しているのは管理者が狂っているからだと、彼等は主張しているが……しかし、このニュースの移民時代のゲートと言い、大分前のクレスト社データバンク侵攻と言い、彼等は一体何を考えている?」
 彼女にとって不可解だったのは、ユニオンが何故管理者に拘るのかと言う事だった。本当に管理者は狂っているのか、それとも、ユニオンは自分達が管理者に代わり地下世界を治める存在となるべく、管理者は狂っているという虚偽を言っているのか。
 以前カプセルを回収した際にユニオンと遭遇した際は、そんな事を考える状況ではなかった。だが今は、死の危険に瀕している状態でもなければ、一瞬のミスが命取りになる様な事態でもない。謎多き存在である彼等について考える時間は十分にある。
「そういえば2週間ほど前だったか、クレストの中央研究所が正体不明の戦闘兵器群に襲撃されたとか言っていたな……」
 コーテックスから送られて来たメールの文面には、あれが管理者直属の戦闘部隊――俗に言う「実働部隊」だと記述されていた。レイヤードの秩序を乱す存在は、彼等による容赦の無い粛清が実行され、その戦力は未知数だと言う。最も、彼等については分からない事があまりに多く、それ故、あらゆるメディアでの言及において、具体性を欠く表現が常であった。
 情報屋のメタルスフィアによれば、管理者を疎ましく思うミラージュが、表立って反管理者を掲げる事が出来ないのも、彼等の存在が理由らしい。
(しかし、だとしたらミラージュは兎も角、何故管理者を肯定する立場のクレストを叩く必要があったのだろうか?)
 考えたところで疑惑は尽きず、次々に新たな疑惑が浮かび上がってくる。
 だが唐突に聞こえて来た少女の声が、彼女を現実へと引き戻した。
「おねえさぁーん……」
「!?」
 そしてアストライアーは、自分がタオルと着替えを放置していた事に気が付いた。
「待ってろ、今行く!!」
 あての無い考えを中断した女レイヴンは、その辺に放置していたタオルと着替えを持ってバスルームへと急いだ。


「そういえば、貴女の名前をまだ聞いていなかったな。貴女、名は有るのか?」
 まだ幼女とも言ってよい少女が体にタオルを巻いたところで、アストライアーは思い出したように少女に尋ねた。
「あたし? あたしにもなまえはあるよ。あたしはエレノア・フェルスっていうの。そういえばおねえさん、おなまえは?」
 女剣士は己の名を口にする事を躊躇っていた。本名を知られでもしたら、個人情報を探られて暗殺されかねないからだ。だが今眼前にいる相手は無防備な子供、この程度ならば別に危険は無いと判断し、彼女は口を開く。
「……マナ=アストライアー、レイヴン名アストライアー。同業者はアスと呼んでいるが…」
 その名を聞いたエレノアは、再びアストライアーに尋ねた。どうやら、エレノアにとっては聞き覚えのある名前だったようである。
「マナ=アストライアー…もしかして、アリーナでブレードをつかうのがうまいっていうアストライアーおねーさんなの?」
「そうだが……何処で私の名を知った?」
「テレビでみたの。たしかでんきやさんだったかなぁ……」
「分かった、もう言わなくて良い」
 確かにアリーナの試合中継を見ていたのだから、アストライアーの名を知っている可能性はある。アリーナ運営局を通じてランカー同士の試合は中継され、血生臭いながらも庶民の娯楽として認識されているのだから、少しも無理がないところではあった。
 因みにアストライアーのファミリーネームと、名の由来となった「天に昇り星座となった正義の女神」は同音に聞こえる。異なるのはスペル表記した際の綴りで、女レイヴンの方は「Astrayer」、その由来となった正義の女神は「Astraea」となる。最も、レイヴンとして活動している間は後者の方で通じている為、別に支障は無い。
 本名をレイヴン名から勘繰られた事もあったが、しかしスペル表記が異なる事が幸いし、今日まで一応、個人情報の漏洩は押さえられている。
 だがそんな事など、今のアストライアーの脳内にはその一文も無かった。今はただ、眼前にいる無防備な娘の事を考えるのみであった。
「それじゃアスおねーさん、これからおねえさんのおせわになりますので、よろしくおねがいします」
「ああ……」
 無邪気な笑みとともに深々と礼をするエレノアに、アストライアーも微笑みながら歓迎の意を述べる。その時、自分に起きた些細な変調を、女剣士は見逃さなかった。
(私、今笑ったか? 随分久しぶりに笑ったような気がするが……)
 ともあれ、マナ=アストライアーは、突如現れたこの小さな同居人を受け入れた。それが後々、自分に重大な影響を与えるとは知らないままに。
14/10/16 11:19更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 この時点ではアス姐のアキレス腱であるエレノアたん登場。
 無邪気な子供をどうやって文体だけで表現したら良いものかとこれまた頭を捻った記憶があります。
 本BBSに再投稿するに伴い、文章の手直しを実施し、エレノアたんのセリフは語調に加え、漢字を使用しないと言う形で幼児性を出す事にしました。

 実は、今回のエピソードはAC3LBの中でも一番最初に形を成したエピソードでもあります。ここを起点に、ノクターン戦や情報屋のシーン等がカウントダウン式に書かれ、他のエピソードのプロット立て+文章起しと平行して進められ、第1話執筆完了の地点でBBS-NOVELに進出する事となりました。その後は最早語るまいな結果に……
 と言うか、連載開始当時は「スレッド7つ使用」「2005年12月投稿開始、しかし今だ未完結」と言う長期連載になるとは思っていなかった(爆)。
 そしてこれは、この文書を手直ししている2014年10月16日時点でもまだ続いています。まさかゲームのAC見捨て、にも拘らずこれ程までに手間と時間が掛けてしまうとは思いもよりませんでした。

■「アストライアー」から「アス姐」へ
 アストライアーを「アス姐」と呼び始めたのも丁度これを投下した辺りからです。書いているうちに、アス姐が自キャラながらもすっかり気に入ってしまいったのです(爆)。
 特に次のエピソードは日常シーンと言う事もあり、普段お目にかけないであろう意外な優しさを見せているのですが、その辺りが作者としても豪く気に入ってしまっていて、何時しかアストライアーよりは「アス姐」と敬意やら親しみやらを込めた呼び方に……。
 因みに「アス“姉”」としないのが作者流です。だって「姐さん」って書くと、なんとなく威厳があるじゃないですか(笑)。

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まろやか投稿小説 Ver1.50