連載小説
[TOP][目次]
#5.血路
 アリーナと言うのは、観客の歓声やら罵声やらに彩られる娯楽場であるだけはない。
 此処で戦うランカー達もまた、一部に例外――いわゆる強化人間と呼ばれる者や、あるいは自分で戦わずに自作の無人ACに戦わせる者こそあれど、基本的には血の通った人間。この狭い世界で戦いを続けていれば、様々な感情が生まれる事は必然と言って良い。
 一例を挙げるとするならば、このアリーナのCランクランカーである「ミダス」と「バーチェッタ」の両人を挙げるとしよう。
 この2人、嘗ては恋人同士であり、共にアリーナに参戦した過去があったのだが、ミダスがランカーとして成長を遂げて行く中、バーチェッタは彼女との順位の差に壁を感じ始め、現在はすっかり疎遠となってしまった。
 さらに、同じ事が此処の下位ランカーであった「ツインヘッド姉弟」にも言えた。此方は弟のツインヘッドWがアリーナの戦いの楽しさに開眼し、何時しか姉のツインヘッドBは弟との順位の差にコンプレックスを抱き、焦燥感を抱いている。弟もそれに気が付いているのか、姉との間に壁を感じていると言う。
 こうした事例は兎も角として、此処は在籍するランカー達の人間模様がひしめき、ぶつかり合う場所でも有るのだ。
 そしてこの日行われる試合にも、様々な思いが交錯している。観客は勿論、当のアリーナランカーにも。
 レディ・ブレーダー(女剣士)の異名を持つ、あのレイヴンとてその例外ではない。


「続きまして、B-5「ノクターン」選手とB-6「アストライアー」選手の試合を…」
 この日もアリーナドームに、次の試合を開始するアナウンスが流れている。
 そんな中で、アリーナの入場ゲートの前に佇むヴィエルジュのコックピット内で、醒めた表情のマナ=アストライアーは呟いていた。
 マナ=アストライアーはこの年20歳。普通の人間ならば、青春や恋愛を謳歌し、将来への希望や可能性を胸に抱き、活気に満ち溢れた表情をしていても不思議はない年齢だ。
 しかし彼女は、年齢に似合わない、冷え固まった鉄のような心を持っていた。それを反映したかのように、表情はひどく醒めており、変化に乏しい。
 濃紺の切れ長の瞳も、見た者をそのまま斬れそうな、鋭くも冷たい眼光を放っている。それは最早、血に飢えた獣の瞳ですらない。相手を殺す事に何の疑問も躊躇もない、まるで肉食昆虫の単眼か、あるいは戦闘機械のカメラアイのような印象を抱かせた。
 そして実際、この女は相手を攻撃する事に躊躇などなく、過度なまでの自己防衛意識により、時として味方のレイヴンすら斬り殺す事も辞さなかった。
 しかもその身体は、短く切り揃えられた頭髪も相まって、一見すると華奢な男性に間違えられるほどのものであり、女性特有の膨らんだ胸など、その原形すらも無かった。
 それはまさに、戦う為だけに生きているような無機質な女性だった。いや、むしろ殺す為だけに生きていると言っても過言ではない。
「ノクターン選手は、オーバードブーストを効果的に使用した奇襲戦を得意としており、ブレードでの接近戦に絶大な実力を発揮します。対するアストライアー選手は、かつてトップランカー候補と謳われたアルタイル選手の娘さんで、こちらも父アルタイル選手と同じくブレードを主体とする接近戦を得意とする……」
 アリーナでは、観客向けに選手を紹介するアナウンスが流れている。その中、アストライアーは目を瞑る。
 彼女の脳裏には、かつての自分の姿が浮かんできた。


 普通、20歳と言えば勉学やアルバイトなどをこなしつつ、彼氏や友達を作り色々と楽しみたい年頃であろう。マナ=アストライアーも、本来であればそうなるはずの少女の一人だった。
 レイヴンとなる前のアストライアーは、彼氏もいて、喫茶店でアルバイトをしていたごく普通の少女だった。「明るくカワイイ」「スタイルがいい」と言われた事はあったが。
 ただし彼女の父親は、一般市民からは忌み嫌われて然りの存在、グローバルコーテックスに登録されたレイヴンであった。
 レイヴン名は、アルタイル。
 しかしアルタイルは「たとえ敵と言えど安易に命を奪いたくはない」と常に語り、それゆえ人を殺す事は極力避けていた。依頼においても「目標以外は狙わない」と言うそのスタイルを保ち、敵ACと出くわした時には、機動性を持って翻弄し、相手の背後からブースターや脚部を斬って大人しくさせる、極力相手を殺さずに無力化する事が主流だった。
 しかし、相手が抹殺対象であったなら状況は一変。高い機動性を武器に攻撃を避けまくり、敵機のコックピットを確実に捉え、確実に仕留めている。
 その過程で鍛えられた能力故か、彼は困難なミッションを幾度も成功させたと言われており、娘もそう聞いていた。故に高額の報酬を獲得し、父が依頼をこなすだけで、彼女の家族はそれなりに裕福な生活を送ることが出来た。
 忘れもしない、あの忌まわしき日までは。


 アストライアーの家が、突如として現れたACによって焼き払われ、家族を奪い去ったのは、彼女が16歳の誕生日を迎えて半年ほど経過した時だった。
 その時のACは、今も脳裏に焼き付いている。灰褐色の巨体、人間とは逆方向に曲がった脚部の関節、肉食昆虫のそれを思わせる目、両肩と右腕に装備された重火器。
 それを操っていた者が、このアリーナに在籍する「BB」と呼ばれるレイヴンだと言うことは、アルタイルから聞いた。アリーナで活躍していた彼に立場を危うくされたBBが、これ以上順位を上げれば家族を殺すと脅迫をかけてきたのだ。
 しかし、アルタイルはそれを無視し、結果として家族は失われた。
 だが、彼に罪など無いとアストライアーは信じて止まない。アストライアーがレイヴンになった時も「アリーナにルールやランカー同士の間にある不文律は要るが、秩序は要らない。秩序のあるアリーナなど面白くない」と言っていた。AC同士のバトルに限らず、戦闘競技は大方そんなものだろう。
 最も、レイヴンの世界で善悪などを口にすれば笑い者にされるのが常だが。
 アストライアーは、当時婚約を前提として付き合っていた彼の反対を押し切って、復讐の為にレイヴンになる事を決めた。そして父も、娘には平穏に生きて欲しいとの思いもあったのだろうが、「それがお前の選んだ道ならば止めはしない。お前はお前の道を行け」と、特に言及する事はなかった。
 それからは父の愛機のアセンブリを模したACであり、今の女剣士の愛機である「ヴィエルジュ」を与えられ、同時に父に鍛えられて技量を上げていった。
 レイヴン試験通過はもとより、あの男を殺せるだけの力量を身に付けたい一身で。その甲斐もあって、アストライアーはレイヴン試験を無事に通過した。
 しかし、その直後、庇護者たる父は殺された。BBによって、しかもアストライアーの眼前で亡き者にされたのだ。彼女は父によって身を隠されていた為に、奴と刃を交える事こそ無かったが、あの日の事は今でも覚えている。父を嘲うあの声を。嘗て家族を亡き者にした、禍々しいあの姿を。
 そして少女は、復讐したい一心で、そのままレイヴン稼業を続けていく事にした。


 だが、まだ二十歳にもなっていない、しかも実戦経験もほぼ皆無の娘がレイヴンとして振舞うのは生易しい事ではなかった。ミッションを成功させたとしても、血塗れで帰って来る事などは良くある事。ヴィエルジュを大破させられ、意識を取り戻した時は病院の中だったと言う事もある。
 挙句の果てには、半死半生の深手を負わされ、体の殆どを機械化するまでに至っている。ミッションに失敗続きだった挙句に借金を背負い、それを帳消しにする代わりにこのような事になったのだ。
 常人ならば心身を喪失するであろう過酷な現実の中でもなお、アストライアーを生き永らえさせたのは、「BBを殺す」と言う、怨念にも似たこの感情だった。
 その一心で、父の形見であるMLB-MOONLIGHTを愛機の左腕に携え、アリーナに参戦した。そして気付いた時には、周囲から「レディ・ブレーダー」の異名が付くほどの、自分でも驚く位の腕利きのランカーレイヴンに成長していた。
 いや、変貌したというべきか。かつての姿と比較して、今の彼女は戦うたびに人間性を失っていると言えるのだ。
 クライアントの命令一つで、共闘する味方を殺害したり、裏切って彼女を殺そうとした同業者を返り討ちにした事も一度や二度ではない。以前のミッションで撃破したファナティックやファウストも、そうした犠牲者の一人となってしまった。
 もしもアストライアーが真っ当な人間だったら、今の彼女を見てどう思うのだろうか。
 それ以前に、真っ当な人間の脳味噌で考えたならば、しようとも思わないだろう。そう考えると、それを涙一つ流さずにやってのける彼女は、正しく人間のクズ――否、すでに強化人間と化した身ゆえ、既に人の道を外れた、文字通りの「外道」だろう。
 しかし、こうなる事を選択したのは他ならぬ彼女自身であり、その根源にあるのは、決して果てる事のないBBへの憎悪であった。


 ロボットの様なアストライアーにも、注意散漫になる時がまれにある。
「アストライアー選手、ゲートは既に開いています。入場してください」
 その一言で、過去を振り返るあまりに周囲を忘れていたアストライアーが現実に引き戻された。そして急ぎ、愛機ヴィエルジュをゲートからアリーナへと進ませた。
 ゲートを潜り、闘技場へと入場したアストライアーを待っていたものは、ブレードを主力とするAC同士の対決を一目見ようと集まった観客の歓声、アンチからの痛烈な野次、そして彼女の対戦相手であるノクターン駆るAC「ザイン」だった。
 ザインは基本コンセプトはヴィエルジュと同じく近接戦闘用・高機動型の中量2脚で、装備もショットガンCWG-GS-56にMLB-MOONLIGHTと、これもヴィエルジュと似ている。大きな違いはと言えば、エクステンションが安価なミサイル迎撃装置CWEM-AS40である事、両肩に3連ロケット砲MWR-TM/60を装備している事ぐらいか。
「遅いな。何をやっていたかは知らんがさっさと始めようか」
 ノクターンの声に呼応するかのごとく、観客が一丸になって試合開始前のカウントダウンを始める。このアリーナの試合開始前の、半ば伝統的な光景だ。
「手加減するつもりは無い。俺は自分の試合をする」
「……御託は良い」
 相手の事など関係ないと割り切ったアストライアーとノクターンは、それぞれの眼前に相手を見据える。
「READY―――GO!!」
 試合開始のサインが、アリーナに響いた。
 サインと同時に3連ロケットが放たれたが、ヴィエルジュはジャンプ及び左右のブーストで隙間を潜り抜けて回避し、オーバードブーストを発動させて距離を詰める。
 ザインもOBを発動させて突進するが、一足先に肉迫していた青い女剣士が、接近してきたザインに斬りかかる。しかし間合いにはわずかに足りず、蒼白い刃は空を斬る。
「接近戦で俺とやり合おうとはな…」
 ザインもムーンライトを一閃、逆にヴィエルジュを斬りつけんとしたが、彼女も斬られてなるものかと急速後退、蒼白い刃はその切っ先が僅かにコアを掠める程度で終わる。しかしヴィエルジュの前部迎撃機銃は、ブレードと同時に飛び出した光波によって装甲の一部諸共吹き飛び、直後の3連ロケットの全弾直撃により、コアに更なる穴が穿たれた。
 再び斬りかかろうとするザインだが、ブレードを再び振り上げると読んだアストライアーもバズーカで反撃。赤い剣士はバズーカを受け、反動でブレードを振る動作が遅れる。その隙にヴィエルジュはOBを発動させて離脱を図る。逃がしてなるものかと、同じくザインもOBで肉迫する。
 やがてザインは途中でOBを停止させたヴィエルジュに追いつき、ムーンライトを再び一閃。光波と刀身を当時に叩きつけようとする。だが、斬撃のタイミングが僅かにずれ、光波はヴィエルジュの左腕側を空しく通り抜けただけだった。
 その間にヴィエルジュは上腕部の補助ブースターで急速旋回し、ムーンライトの青白い刀身を、がら空きとなったザインの半身目掛け振り下ろした。まずは左肩の3連ロケット砲を斬り落し、斬られたザインが上空に逃れようとすると、再びバズーカの砲弾を当てた。砲弾の直撃で潰されたような形状となった上腕部の迎撃装置が、赤い機体より脱落する。
 反動で動きの鈍ったザインを、ヴィエルジュは再び斬り付ける。ただバズーカを当てた地点で、ある程度ザインとの距離が離れていた為か、この時の斬撃はムーンライトの切っ先が当たる程度のものでしかなく、その切っ先は、コアを僅かに傷つけた程度の損害しか与えられなかった。
「蓄生、この女ァッ!!」
 だが、自分が2回も斬りつけられるとは思っていなかったノクターンは、このアストライアーの連続攻撃を受けて激昂した。ブレードの扱いに絶対の自信を持っているが故に、格下のレイヴンにブレード攻撃を受ける事は、彼のプライドが許さなかったのである。
「よっしゃー!! このまま一気にやってしまえアスさん!!」
「このまま負けるなノクターン!! 漢のプライドを見せてやれー!!」
「何してるんだノクターン! あんな奴さっさと斬っちまえ!」
 ヴィエルジュがムーンライトを一撃させたことで、観客はヒートアップした。
 だが熱狂的になっている観客とは裏腹に、アストライアーはこの時、自分が妙に冷静になっている事を感じていた。
 その理由に、ノクターンと戦う自分の姿が、かつて父・アルタイルに稽古をつけられていた自分に重なって見えていたと言うのが挙げられた。死した家族の中で唯一、自分がレイヴンになったばかりの当時の彼女が、頼れ、そして甘える事の出来る唯一の存在だった言っても良い父の記憶。
 父と同じ戦闘スタイルを習得する為に、血の滲む様な苦悩を重ねた事。その訓練で見せた厳しい顔。その一方、私生活ではレイヴンとなる以前に見せていた優しい顔。そして、今は亡き父へのそれらの想い。
 それらの記憶を思い出すように、アストライアーは戦っているのだ。
 一方のザインも、そんな生ぬるい感情がどうしたと言わんばかりに、ショットガンや3連ロケットを乱射しつつオーバードブーストを発動させて、突撃を敢行する。
 だが、ザインは空中に浮かんでいたヴィエルジュの下を通り過ぎたかと思うと、歩行しながらショットガンやロケットを撃つだけになった。
「チャージングだと!? 畜生、こんな時に!!」
 どうやらOBを使い過ぎた模様。とは言え、ザインにはまだ燃料は十分に残っている。しかし燃料が幾らあっても、コンデンサ内に蓄積されたエネルギーを使い切れば、ACは満足な戦闘行動が出来なくなる。
 十分残量が再びコンデンサ内に蓄積されれば、また従来通りに動くことが出来るが、敵がそこまで待ってくれるものか、あるいはまだ動けるだけのコンディションを維持出来ているのかとなると、それはまた別問題だ。
 しかしながら、OBの制御がおぼつかなくなるほどに激昂するあたりり、余程自身の近接戦闘力に自信があったのだろうとアストライアーは見た。
(……何をしている? 斬られて呆けたか?)
 激昂したノクターンだったが、対照的にアストライアーはさながら機械人形のように冷静だった。
「戦いの最中は自分を見失うものではない……父さんが言っていたな」
 アストライアーが冷たく自身に言い聞かせると同時に、ヴィエルジュはOBでショットガンの弾幕を強引に突っ切っり、三度ムーンライトの青白い刀身を叩き付けるべく接近。
「くたばれ、女ァ!!」
 僅かな充電状態だったが、それでもザインは十分なエネルギーをコンデンサ内に蓄積していた。今までの礼をしてやると、ムーンライトを振るい、光波と刀身を同時に叩き込もうとする。
 だがアストライアーは、ザインがムーンライトを振るう一瞬前に、愛機をザインの右手側に移動させていた。ザインが放った光波はまたも虚しく空を切る。
「畜生!!」
 先程から激昂が収まらないノクターンは、自機の右手側に移動したヴィエルジュに、今度はショットガンの直撃弾を浴びせようとする。しかし、ヴィエルジュは即座に射線から逃れてしまい、散弾は空しく空を引き裂くのみ。
「諦めろ」
 冗談じゃない、このまま終わらせてたまるか! 妄執にも似たプライドが、赤い剣士を激昂させ、焦燥させている。
「畜生! 何故当たらない!」
「負けを認めろ」
 ザインがショットガンを放つ寸前に、ヴィエルジュが光刃一閃。かねてからの銃撃や斬撃でダメージが蓄積していたザインは、この一撃で上半身と下半身が切り離されると共に、耐久力の限界を超えるダメージを受け炎上。
 刹那、OBが暴発し、赤い剣士は蒼白い女剣士の側面を、紅蓮の炎を獅子の鬣の如くなびかせながら通過、アリーナドームの壁に派手に激突し、その動きを停止した。
『試合終了! ノクターン選手戦闘不能により、アストライアー選手の勝利です!!』
 女性剣豪レイヴンの健闘を称える観客の声援と、アンチからのブーイングが、勝者を告げるアナウンスに続いて、より一層大きくなった。
「何故だ……何故俺が……」
 愛機も誇りもズタボロにされたノクターンは、戦闘不能に陥ったザインのコックピット内で力無く呟いていた。絶対的なブレードの腕を持っているとの自信があったが故に、成り上がりの女レイヴンにブレード対決で負ける事は、この上ない屈辱であった。


 そのアストライアーとノクターンの試合を、暗い室内のテレビで見ていた者がいた。褐色の肌にがっしりとした体格、背の丈は2メートルぐらいはあろうかと言う禿頭の巨漢である。
 この男も此処でアストライアーの試合を見ていたが、しかしこの男はアストライアーが勝利した事には良い目をしていなかった事は、この部屋に誰かがいれば判るだろう。
 しかし、この部屋には巨漢以外の人間は誰一人としていない。
「小娘め……また勝ったか……」
 男が露骨に不愉快な顔を浮かべるとほぼ同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「……入れ」
 威圧感に満ちた声に続き、重々しい音と共にドアが開かれ、金髪碧眼の比較的若い、外見的には20代半ばと言った男性が入ってくる。
「ロイヤルミストか……何の用だ!?」
 ロイヤルミスト――アストライアーの敵たる暴君・BBと同じアリーナに在籍するAランクランカーレイヴンである。アリーナの頂点に立つ事を望み続け、それ故依頼を受ける事は殆ど無いとされるアリーナ専門のレイヴンである。
「BB、悪い知らせをしなくてはならない。ノクターンがあの小娘に…」
「分かっている」
 禿頭の巨漢――BBとロイヤルミストは、揃ってアリーナのAランクランカーレイヴンとして長らく君臨し続け、レイヴンは勿論、アリーナファンの中でその名を知らぬ者はいない程の有名なランカーである。
 だが、この2人は活躍の裏で、彼等に挑戦しようとする多くの有力ランカーに対する脅迫、恫喝、果ては暗殺行為を裏で行ったなど、黒い噂も絶えないレイヴンであり、アストライアーの父・アルタイルが謎の死を遂げたのも彼の仕業ではないかと囁かれていた。
 だが、真相を知っているのが、その娘たるアストライアーを除けば殆ど居ない状態と言う事もある為、結局それも噂の域を出ないのだが。
「最初からノクターン如きに期待などしていない。大体、試合中にチャージングを起こす様な痴れ者が勝てる様な奴ではなかろう」
「だが、あの小娘の次の対戦相手はワルキューレだ。精密射撃を得意とする彼女ならどうだろうか」
 ロイヤルミストが自信有りげに言う。「王家の霧」などと大そうなレイヴン名だが、しかしその行動に堂々たる風格はまるで見られない。
「所詮剣は剣。銃に敵う筈など無い……そう言う事か」
 傍らの格下ランカーレイヴンは肯き、さらに言葉を続ける。
「ワルキューレには既に対戦のオファーを出すように伝えた」
「うむ、手際が良くて助かるぞ。それとあの女が失敗した時の為だ、ファンファーレ当りにでも声をかけておけ」
「承知した」
 名前と行動が一致しない男が部屋から出て行くと、暴君は狂気に満ちた、邪悪な笑みを浮かべる。そしてテレビに向け、右手の中指を立てると、それを下に向けた上で呪詛の言葉を発した。
 その視線と手の先には、テレビに映る、インタビューを受けているアストライアーの姿があった。
「俺に刃向かえばどうなるか……思い知るがいい!!」


 試合から1時間も経たぬうちに、ノクターンとの試合とその後のインタビューを手早く終えたアストライアーは帰途に就いていた。
 勝利に繋がったのはメタルスフィアの提供した情報だったのか、それとも父から引き継がれたブレードの腕だったのか。そんな事を考えながらバイクを飛ばす。
 このバイクは、父アルタイルが生前乗っていたものである。幼き日に、彼女はこのバイクに乗せられ、自分が生まれ育ったこの都市を、父と共に駆けていた。それは別に仕事とかそう言った事を目的としない、言わば完全な趣味の領域であったが、レイヴンとなる以前から風化しつつあった幼き日の記憶の中で、父と共にこうして過ごした日々は、10数年と言う月日を経た今も、脳裏に焼き付けられている。
 とは言え、時が流れた現在、まさかそのバイクを自分が操縦しようとは、当時の誰が予想し得たであろうか。
 その、どこか年季を感じさせる黒い車体には、細かな傷が至る所に付いている。アストライアーの運転が荒かったのか、と言われると否定は出来ない。
 当のアストライアーを乗せたバイクは、メインストリートを抜け、車2台がようやく通れそうな細い路地に差し掛かっていた。自宅へ向かう為の抜け道として、彼女が長い事試用し続けていた道である。これもまた、アルタイルが生前に通っていた道だった。
 この路地を抜ければ、また別のメインストリートへと出る事が出来、そうなれば自宅は目と鼻の先だ。いや、厳密にはまだ数キロほどだろうか、兎に角距離はあるにはあったが、バイクの速度から見れば、その距離も軽い散歩をするにも等しかった。
 反対車線に車の影はおろか、歩行者の姿もない。通路はまさに女剣士の占有状態だった。
 そんな中で、前方から現れた純白の自動車がアストライアーとすれ違った。
 それは一見してただの自動車で、乗っている人間も、美しい青い瞳のブロンドに優しい顔立ちを持つ、一見すればただの女性に思えた。ただ、そのドライバーの顔は、アストライアーが知る人物――恐らくアリーナで、次に戦うであろう者だった。それを察していたのだろう、車の後方を塞ぐようにしてバイクは止まった。
「ワルキューレ……」
 一方の白い車の運転手――ワルキューレもアストライアーに気が付いていたのか、車を止めて降りて来た。女物のスーツに身を包み、ウェストまで届くほどの見事な金髪と、青い宝石の様な碧眼を持つ彼女は、握られた右手を突き出すと、親指を立て、人差し指をアストライアーへと向けて伸ばす。そして微笑と共に、銃を撃つかのような仕草を見せた。
 アストライアーには分かっていた。これは自分に対する挑発だと。
「上等だ……次は貴様の首を取る!」
 アストライアーもバイクに跨ったまま、ワルキューレに向け、首を掻っ切るような仕草を見せた後、下に向けた親指を突き出し、再びバイクを自宅に向け走らせた。
 それを見届けたワルキューレも、自信交じりの不敵な微笑を浮かべて車へと戻った。暫くすると彼女を乗せた車も、その場から走り去って行った。
 2人の女性レイヴンが去った後の道路は、不気味なほどに静まり返っていた。


 それからさらに数分が経過し、また別のメインストリートにバイクを進め、現在赤信号でバイクを停めたアストライアーだが、愛車の右手側のミラーに、違和感に程近い異変を感じていた。
 後方の様子を知るためのサイドミラーには、一台のバイクが映り込んでいた。それだけなら別に違和感は無いと言うものだろうが、しかしこの鏡は、数分前から同じバイクを映し続けていた。
 アストライアーは薄々察していた。理由はどうあれ、自分に対して良からぬ感情を持つ輩につけられている事を。
 考え過ぎだと言われるかも知れないが、しかしレイヴンは弱肉強食を旨とする傭兵、ACに乗り込んでいるうちは兎も角、ACに乗り込んでいない時に他者に狙われてもおかしくは無い。そしてその格好の例を、女剣士はその目で目撃していた。そう、BBが彼女の家族を抹殺した、あの光景である。
 何よりレイヴンは、ACを操ると言う点において異彩を放つが、基本は自由で危険なアウトロー、犯罪者と紙一重の連中も少なくないし、アストライアーに至ってはれっきとした殺人鬼である。
 そうした連中が集っているのだ、何をしでかしても不思議はなく、そうした彼等の動向は、疑っても疑い足りない。
 かくして、このままノコノコ帰宅でもすれば、それは自分の居場所を知らせるのと同義。そうなれば寝ている所を踏み込まれた挙句に襲われないとも限らない。すかさずハンドルを切り、大通りから脇道へ、裏街道へと抜けていく。
 送り狼は、一向に離れる気配を見せなかった。どうしても殺したいと見えるなと、アストライアーは胸中で呟いた。
「ふざけた真似を……」
 ならばとばかりに、アストライアーは後方をちらりと振り返り、相手にも見えるようにして右手の中指を「うざいんだよこのクソ野郎」といわんばかりに上へと向け、バイクのスピードを上げた。
 アストライアーは、これまで幾度も危ない橋を渡って来た。
 試合の最中に殺されそうになった等で生命の危険を感じた事も一度や二度ではないし、逆に試合中で抹殺した者を含めて、落命させたレイヴンなどは最早両手の指では数え切れない。最も1時間前、彼女に敗れたノクターンは死なずに済んでいるが。
 当然、相手側からは多くの恨みを、最早どれ位買ったのかさえ憶えていないほど買っている。しかし、問題はそのうちの誰、あるいはその関係者が来ているかだ。
 だが、それは後で考えれば済む話。今はバイクを飛ばしながら、背後の敵をどうにかする事のみを考えるまでだ。


 30分間の疾走の末、アストライアーを乗せたバイクは閉鎖されてゴーストタウンとなった区画まで流れて来た。
 ここまで来る間、彼女は一度たりとも後ろを振り返ってはいなかった。挑発までされた追跡者が後ろにいない筈は無い、そう思ってバイクを飛ばし続けていた為だ。
 最も、一般道をかなりのスピードで疾走していた中で後ろを振り返ろうものなら、送り狼の襲撃ではなく、交通事故で命を落とす羽目にもなりかねない。そんな事は彼女の強靭な意志とプライド、そしてBBへの殺意と怨念が許さなかった。
 女剣士は誓う。この復讐劇に、己の死という幕引きはあってはならないと。
 そして今、アストライアーはバイクを止め、後ろを振り返る。彼女の後ろには、市街地へと続く一本道が、延々と連なるかと思えるほどに続いていた。その延長線上に、黒い影が一つ見受けられた。
 やはり来たか。そう呟きつつ、アストライアーは懐のホルスターから拳銃を抜き、安全装置を解除する。
 試合に負けた腹いせに襲撃されるのは何度も経験済みだ。だが、そうした連中はその悉くが殺傷されている。そうでなければ、アストライアーがこうして生き延びている筈はない。
 迎撃体制を整えた上で、アストライアーはバイクから離れ、道路の中央に敷かれた、掠れて消えかけの白線を跨ぐ様にして立つ。それに合わせ、バイクは左の走行車線から中央の白線の上に移動。そして今度は右手側の反対車線に移動すると、バイクも右車線へと移動した。
「……カミカゼ特攻でも食らわす気か?」
 彼我の距離は、見る間に縮まっていく。そして、もう数秒もすれば互いが正面衝突する距離にまで至る。
 すかさずアストライアーは、手にした拳銃の引き金を引いた。マズルフラッシュに続き、9mm銃弾が乾いた銃声と共に吐き出され、空気を裂いて飛ぶ。それが続けざまに、三度続く。
 バイクに跨る男が右肩を押さえて崩れ落ちたのは、それから一秒も経たずしての事だった。主を失ったバイクは横転し、火花と不協和音を発しながら女戦鴉の左手側を通過した。ついでに男が持っていたと思われる拳銃も吹っ飛んで来たが、アストライアーは一切動じる事なく、地面に転がる男へと歩み寄る。
 厚底のブーツがアスファルトの舗装面を叩く音に気が付いてか、男は女剣士に視線を向ける。その視線はどう見ても友好的なものには見えない。既に解っていた事だが。
「殺す前に聞こう。何者だ、貴様」
 男は立ち上がり、おもむろに口を開く。右肩を押さえ、口から血を流しつつではあったが。
「てめぇ……ガラーポを知ってるか!? 知ってんだろ?」
「ガラーポ? ……ああ、そんな奴が居たな」
 決して機能的に優れているとは言い難い女戦鴉の脳は、耳にした僅かばかりの情報から、嘗ての記憶を再生していた。


 ガラーポはアストライアーと同じアリーナに所属していた、一言で行ってしまえば極めて評判の悪いランカーレイヴンだった。何しろ、自ら「新参者を叩き潰す事が面白い」と、まるで自慢話をするかのように嬉々として語っていたからだった。
 そもそもアウトロー的存在たるレイヴンの中にあっても、新参者への苛烈な攻撃は忌み嫌われる行動であり、好んで行う者は少なかった。
 しかもこの男、試合中に自身が危うくなった際、仲間のACを乱入させて暴れた前歴まであり、それ故コーテックスのアリーナ運営局からも問題視されていた。勿論、自ら彼と望んで対戦に臨もうと言うランカーなど皆無であった。
 復讐の相手を求めてアリーナに参戦した、当初のアストライアーも例外ではなく、彼を相手にした試合に出る度、その都度派手に叩き潰されて来た。これが嘗て、毎回の様に続いていた。
 それが崩れたのは、突然の事だった。
 その日は、強化人間となってアリーナに舞い戻ってきたマナ=アストライアーの復帰試合と言う面目で行われていた。
 現在と同じく、氷原の空を写し取ったかのような色合いのヴィエルジュをいたぶるように、眼前で拡散レーザーを放ちながら、狂ったように踊る灰褐色の4脚ACがいた。ガラーポのAC「ダーティナイフ」である。
 武器腕型拡散レーザーMAW-DLS/FIN、オービットキャノンMWC-OC/15、グレネードランチャーCWC-GNS-15で武装されたそのACの行動は、アストライアーを嘲う様にしか見えなかった。
「ひゃーっはっはっは、その程度か? 結局小便臭い小娘!」
 ガラーポは気が付かなかった。冷たく凍り付いたその心の中には、復讐に全てを、魂すらも捧げた鬼が既に住み着いていた事を。最も、それを知らぬが故に、彼はこうして女剣士を甚振り、叩き潰さんと振舞う事が出来たのだが。
 もしこれを察する事が出来たなら、こんな真似などしなかったであろう。そして、この時の愚か者が取っていた行為は、己の最期を更に惨たらしいものにしたに過ぎなかった。
 やがてヴィエルジュは前進した。OBを発動し、バズーカから砲弾を放ちながら、オービットキャノンMWC-OC/15から射出された子機、さらにMCM-MX/002から分離したEOによって形成されたレーザーの弾幕を、強引に突っ切る。好機とばかりにダーティナイフは地に降り立ち、肩の携行型グレネードを放つ。今回も自分は勝つ。彼はそう、確信していた。
 だがヴィエルジュは、砲弾を横飛びに回避し、上腕部の補助ブースターを噴かして急速旋回しながら迫る。異様な行動にガラーポが気付いた瞬間、激しい衝撃が彼を襲い、一瞬の後には肩の携行型グレネードランチャーとオービットキャノンMWC-OC/15が相次いで斬り落とされ、EO2基が剣戟に巻き込まれて両方とも粉砕。さらに両腕の拡散レーザー砲がコアから引き千切られた。
 ガラーポが気付いた時には、4脚パーツMLF-MX/KNOTも全ての足を失っていた。バズーカの砲弾も灰褐色の体躯に連続して叩き付けられ、頭部としていたMHD-MX/RACHISを粉砕し、EOを弾き飛ばされたコアの装甲を大きく抉っている。
「畜生……野郎ども出て来い!!」
 ガラーポの声に呼応するかの様にして、2機のACがアリーナの外壁を突き破って姿を表した。間違いない、以前、他のランカーとの試合でも度々乱入して来た彼の仲間である。
 片方はバズーカCWG-BZ-50とブレードCLB-LS-2551、両肩に大型ロケットCWR-HECTOを装備した重量級2脚AC、もう片方は武器腕マシンガンCAW-DMG-0204とパルスキャノンMWC-XP/75で武装した4脚型ACである。
 まずは4脚ACが、ヴィエルジュを叩き潰さんとOBで距離を詰めにかかる。だがヴィエルジュは相手の接近を察知すると、こちらもOBで4脚ACの側面を一瞬にして通り抜ける。そして、眼前の重量2脚ACへと肉迫。
 重量級2脚ACは自慢の兵装を構えて迎え撃つ構えを見せたものの、結局それらの兵装はロクに使う事無く白旗を上げてしまった。側面に回り込んだヴィエルジュを追う間に、実弾防御に特化した中量級腕部と、放熱効率に優れる重量級脚部が両方とも斬られた。
 重量級ACは両手足がなくなってもなお、ロケットで反撃を試みたのだが、無駄な足掻きでしかなかった。中量級コアに連続した斬撃を叩き込まれると、EO2基とアンテナ型の頭部がそろって吹っ飛び、死んだ様に動かなくなった。
 もう一方の4脚ACは、重量2脚ACが叩きのめされる間にヴィエルジュの肩レーダーとミサイルポッドを落としたまでは良かったが、デッドウェイトが無くなって更に機動性を増した復讐者の接近を許し、武器腕マシンガンでの応戦虚しく、両腕とクレストの傑作頭部を斬り落とされた上、バズーカの砲弾を叩き込まれ、最軽量4脚パーツの足をすべて失った。その動きは、ガラーポが知るアストライアーとは全く違っていた。
 新たに現れたACを、何の苦もなく戦闘不能に追いやると、ヴィエルジュは自らを虐げたACへ、ゆっくりと歩み寄った。
「お、お前正気か!? 俺をどうする気だ!?」
 氷原の空を写し取ったかのような蒼白いACの前で、半壊状態のACが無様に震えている。
 そして、その中のガラーポは搭乗機以上に、既に恐怖で震え上がっていた。どう言う理由が有っての事かは兎も角、以前自分が虐げていた相手が、自分や仲間ですら太刀打ち出来ぬほどの力を身に付け、しかも自分を殺そうと迫っているのだから。
 彼も痺れた頭で、抗う事の出来ぬ力が自分に降りかかって来た事を察してはいたが、最早、こうしてコックピット内で震える以外、どうする事も出来なかった。
「殺す」
「よ、よせ!! 殺さないでくれ!」
「殺さないでくれだと? ……貴様に虐げられた奴が聞いたら何と言うか!?」
 ヴィエルジュが、蒼白い光剣をダーティナイフのコアに突き付けた。
「いや、あの時は俺も興奮しててよ……よく覚えちゃいねぇんだ……」
 しかしその弁明が苦し紛れなのは、誰の目からも明らかだった。そして、この時既にアストライアーは決していた。この男に弁明の時間など与えない事を。弁明の時間を与えたところで、吐き出される答えなど高が知れていた。
 青白い光、爆発、金属の切り裂かれる音、そして恐怖ゆえ発せられた己の断末魔。それが、ガラーポがこの世で最後に意識したものだった。レーザーブレードの青い刀身が何度も打ち付けられ、半壊状態にあったコアはズタズタの状態となり、やがて爆発・四散した。
 自分を虐げた男を叩き潰してもなお黒い衝動は収まらず、アストライアーは更なる犠牲を欲していた。その視線の先には、愚者が呼んだ仲間が操るACが映っていた。既にそのACは、手足を切断された上、頭までも切り落とされ、全ての武装が、まるで獣に食い千切られたかのように散乱していた。
「次は……貴様等だ!」
「ま、待て! 俺は関係ない!」
 最早アストライアーに、男の命乞いを聞く耳など存在しなかった。すぐさまムーンライトが一閃し、4脚ACのコアを激しく、そして無慈悲に何度も撃ち付ける。あまりにも残酷な光景に、観客は絶句するだけでどうする事も出来なかった。
 事実、この戦いは途中から試合ではなく、一方的な虐殺に変質していた。それはまるで、獣が人間を食い殺す様な、凄惨極まるものであった。


 以上が、今や断片的にしか覚えていない、自身初となる犠牲者との戦い――実際には戦いとすら言えないものだった、あの日の記憶である。
 結局あの一件でガラーポは死亡し、残る二人の仲間も、4脚ACのパイロットは病院に搬送された時は既に即死状態、重量2脚のパイロットは無残に破壊される搭乗機から辛うじて脱出出来たものの、この翌日にレイヴンを引退し、以後行方不明になったと当事者は聞いている。
 しかしながら、それと眼前にいる男の関係は何なのだろうかとアストライアーは考える。あの時殺されずに済んだ重量2脚のパイロットが意趣返しに来たのだろうか?
「あのクズと貴様に何の関係がある? 身内か? 仲間か?」
「うるせぇ、死ね!」
 尋問は出し抜けに中断された。女剣士の細い身体にナイフを突き刺すべく、男が突進したのだ。
 普通の人間から見れば、それは刹那の瞬間でしかなかった。銀色に光る刀身が、アストライアーに身構える隙も与えず、その細い体躯に深々と突き刺さる――筈だった。
 だが、男が突き出したナイフとアストライアーの身体の間に刃が割り込み、ナイフの刀身を受け止めていた。そして男の右側面をすり抜ける様にして、刺突を受け流した。
 アストライアーが手にしていた刃は刃渡り40cmほどで、概ね直線的形状をしていた。
 それは惑星規模の災厄で人類がレイヤードに移り住む以前、極東と呼ばれていた地域の、ある島国の民族が使う「カタナ」と呼ばれる剣に似ている。
 本来なら白銀に光り輝くはずの刀身は漆黒に染まり、材質のせいだろうか、人工の夕陽を浴びながらも、光を反射する事無く吸収していた。そしてその刀身には百合の細工が施され、男には理解出来なかったが、作られた場所の文字で、「黒百合」の銘が刻まれていた。
 復讐を意味する花言葉を持つ刃物に男が気付いた間に、アストライアーは濃紺のコートに、手ぶらだった左腕を掛けたかと思うと、それを引き千切るようにして脱ぎ捨てた。
 濃紺のコートの下から現れたのは、冥界の闇を写し取った様な、あるいは幾多の犠牲者の血を啜った末にどす黒く染まったかのような、漆黒のスーツだった。左手側には細長い管のようなものが装備され、その断面には細長い穴が穿たれていた。よく見るとそれは、漆黒の刀身の断面と同じ様な形をしている。黒百合を収める鞘だ。
 古代、暗殺や諜報・工作活動を目的に暗躍したという「ニンジャ」と、アニメに在りがちなデザインのパイロットスーツとを合成したような姿といえば、今の彼女の姿がそうなるのだろうか。
 そのアストライアーは黒百合を構えたかと思うと、アスファルトの地面を蹴り、強化人間化した身体から繰り出された恐るべき瞬発力で、一挙に間合いを詰めた。彼女の愛機たるAC・ヴィエルジュの戦いぶりに、その姿が重なる。
 男は再びナイフを手に身構えたが、そんなものでは、既に人ならざるものに変貌していたこの女戦鴉に太刀打ち出来る訳は無い。否、この時点で戦う時間など残されておらず、男に残っていたのは、一方的に斬られる為の時間だけだった。
 そして、幾度も振られた漆黒の刀身、飛び散る赤い血飛沫が網膜に焼き付けられたのを最後に、男は崩れ落ちた。全身をズタズタに切り裂かれ、喉笛から鮮血を噴水の如く飛び散らせて。
 無数の細胞の集合体を切り刻んだ感触が手に残る中、女剣士は黒百合を二度、三度と振るって血を払い、鞘に収めた。
 自身が見に纏う漆黒のスーツも返り血で汚れていたが、それは漆黒の繊維に吸い取られ、傍目には判らないほど目立たなくなっていた。ましてや今は黄昏時、明かりが無くてはモノの視認が難しい状態で、漆黒の繊維に吸い取られた返り血を判別するのはただでさえ困難なのに、時間が経過して夜の帳が訪れれば、それが更に困難になるだろう。
「邪魔さえしなければ死なずに済んだものを……」
 吐き棄てるような呟きの間にも、アストライアーは濃紺のスーツを纏い、他の多くの者達が知る姿へと戻っていた。そしてバイクに跨ると、何事も無かったかのように姿を消した。猛獣に襲われたかの如き男の斬殺体を残して。


 レディ・ブレーダーの異名で知られるマナ=アストライアーの戦いは、血生臭い話題には事欠かないレイヴン達の間でも、特に血の色が強い事でも知られている。
 アリーナランカーの中で、試合中に殺害された者・再起不能にさせられた者は、公式には7名とされている。しかし実の所は、依頼中に遭遇して倒されたり、彼女を強姦しようとして逆に殺されたレイヴンの数は、正確には判らないほどだったのである。
 そして、その中には同じ依頼を受けていた者も多数含まれていた。
 それらがレイヴン達の間に噂として上るにつれ、彼女には危険人物のレッテルが貼られ、共闘しようとする者は少なくなっていた。そしてこれら一切は、他のレイヴン達がそうだった様に闇に葬られ、一般には知られる事は無かった。
 そんな彼女のレイヴン名は、まだ人類が地上を闊歩していた時代に語られていた神話の上で、「天に上り星座になった」といわれる正義の女神の名に由来するとの説が、アリーナファンの間で囁かれている。だが当の彼女について一般人が知っている事は少なく、ただ「次期トップランカー候補として有力だったアルタイルの娘」「卓越した剣の腕の持ち主」として認識されている程度であろう。
 それは同業者やクライアントの間でも同じ事であり、危険人物として忌み嫌う者もいれば、その腕に注目する者も居た。しかし彼等の中でさえ、この女剣士について詳しく知っている者は殆ど居ない。
 だが、彼女が歩んで来た道は血と硝煙に彩られており、それが名の由来たる女神が掲げる正義とは、全く相容れないものであった事は、誰の目にも確かだった。
14/10/16 11:06更新 / ラインガイスト
前へ 次へ

■作者メッセージ
 色々と回想しています。そして今まで明らかではなかったアス姐の過去が語られ、以後長々と続く「全てを捨てて復讐に生きる道を選んだ女性」と言うキャラクターイメージがこの時点でほぼ完成しました。
 ですから今回の話は、ある意味レディ・ブレーダーの原点とも言えますね。

 しかしながら、ノクターンとの試合、ワルキューレとの邂逅、さらに陰謀めいた展開に意趣返し、しかもアス姐自身がブレード突撃と凄まじく物騒な展開続きなエピソードでもありました。
 当初、陰謀臭い展開とか意趣返しは別構成にしても良かった、とも思ってましたが、「これもアス姐の人となりや人間模様の描写をする上では欠かせない」事に加え、「あの破綻した人間性だから流血は避けられないだろう」と言う事で、結局現在も一緒にしたままです。
 タイトルの「血路」ですが、これは「困難な道を切り開いて進む」と言う本来の意味と、「女剣豪アストライアーの経歴」と言う、二重の意味を持たせています。
 苦難の道程を、相手の血と自らの剣で切り開いて進んで来たと言うイメージと共に、アス姐らしさを体現するタイトルではないかと思います。

TOP | 目次

まろやか投稿小説 Ver1.50