連載小説
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#39.Lady Blader III -Reckless battle-(序章)
 マナ=アストライアーは、愛機ヴィエルジュのメインコンソールを、憂いを帯びた表情で睨んでいた。
 機体そのものについては今の所、全く問題はない。サイラス以下整備士達に半ばデスマーチを強いる事となってしまったが、その甲斐あってショットガンCWG-GS-56と小型ミサイルCWM-S40-1は最大携行弾数いっぱいに詰め込まれ、連日の依頼で生じていた損傷箇所も全て完全に塞がっている。
 それでもなお、彼女の憂いはどこからともなく現れる。そして、如何なる相手にも引かぬ勇猛さと、試合の上でも無表情で殺しをやってのける冷酷非情さを併せ持つとアリーナファンから認識され、多くの同業者達が恐れ戦いて来た筈のアストライアーを、病魔の如くじわじわと蝕んでいくのだ。これはレイヴンとしてのプライドでも、また父親の戦闘スタイルをなぞってBBに復習する事を旨としていたレディ・ブレーダーのプライドでも、抑えられる性質のものではなかった。
 その原因は明らかだった。
 恐らくは今、恐らくは自宅で独り大人しくしていられる筈は無いであろうエレノアだ。
 自分はエレノアの保護者という立場の癖に、まるで彼女を放置して自殺しに行ったも同然の立場だったのだ。母を失った悲しみを知っているだけに、これが子供を抱える身としては最低の部類に属するであろう行為である事を、アストライアーが分からないはずは無かった。
 しかし今は、その自覚を抱いても尚、この場に臨むべき理由があった。
 自分にこれまで何度も――記憶にあるうちでも最低4回は敗北の辛酸を舐めさせたイレギュラーレイヴン・直美の存在だ。彼女と取り巻き無しの決闘に臨む事で、その強さと、謎に満ちた人間性の一端が垣間見えるかも知れないというレイヴンとしての好奇心と、これまでの連敗の礼をしてやらねば気が済まぬと訴える腹に押し切られ、感じなかったわけではない恐怖を圧して彼女との決戦に臨んだのである。
 これがアリーナ運営局を通して大々的に知れると、イレギュラー認定されている相手なのだから当然と言うべきなのだが、アストライアーにはレイヴンであるかないかに関わらず、戦う前から負けているも同然の扱いをされていた。
「無謀過ぎる」
「無茶だ」
「死にに行くつもりか?」
「全くバカな事をするよなあ」
「試合開始前からアストライアー終了のお知らせ」
「まともな神経のレイヴンだったらこんな事は考えない」
「試合だから強い奴に喧嘩売るのは仕方ないけど、自分からイレギュラーに喧嘩売るのは普通じゃない」
 これらは全て、ネットのコミュニティや掲示板であればどこでも見られるファンからの意見である。この時ばかりは、アンチからさえもほぼ同様の反応が返って来ている。つまりは立場に関係なく、そういう程度の認識しか抱かれていないのであった。
 今のアストライアーが考えても、あのイレギュラーとの戦いは九割九部結果の見えている事であった。それにもかかわらずイレギュラーと決闘しに行く様な自分が、果たして決闘を生き延びられたとしても、今後エレノアの保護者として相応しいのかと言われると、「然り」とは言えなかった。
 本来自分がいつ死ぬか分からぬ状態なのだから、エレノアに対して遺産は兎も角、今後を担える後見人ぐらいは準備しておくべきだったが、アストライアーはそれを怠っている。レイヴン業界の暗くダーティな側面を見過ぎ、時として身を以って思い知らされた事で、人間関係において重大な問題が生じていた事が原因であると、彼女は認識していた。
 何せいざと言う時にエレノアを頼める相手が戦友ブルーネージュぐらいしかいないうえ、疑心暗鬼と人間不信が過ぎて近隣住人達との付き合いも皆無に等しかったのである。そうして、身を守る為に他人とのコミュニケーションを拒絶し続けたのだ。
 それは醜い裏切り合いや化かし合い、利用し合いが常のレイヴン業界を生きる上では確かに一定の効果をもたらしてはいたが、それは少数のカタギと多数の社会不適応者で占められるであろうレイヴン達とその世界が余りにも異質異常極まりないからそうあれるだけの話。他者とのコミュニケーションが絶対必須の表社会を生きる上では何のプラスにもならない。
 そうして、自分が社会不適応者達と同じ穴の狢である事を思い知らされて、保護者として重大過ぎる問題がある事をアストライアーは認識させられる。そんな自分と一緒に居る事が、果たしてエレノアにとってよい事なのか、誰かにエレノアの将来を任せた方が良いのかと本気で考えたくもなった。
 そしてアストライアーは自覚していなかったが、このエレノアに対する気負いこそが、皮肉にもアストライアーが有する数少ない人間性と言うべきコンプレックスの根源であった。
 更に言うならば、この状態は少なくとも決闘を前に陥るべき状態ではないとは分かっているつもりだった。迷いが戦いにおいて一瞬の遅延をもたらし、時にそれが敗北は勿論己の死に直結する。くどいほどにそれを叩き込まれてはいるが、それでもエレノアの事を考えると、何とも憂鬱になってしまう。
「愚か者がッ……」
 溜息をつき、アストライアーは自分を罵るように呟いた。
 幸い、ブルーネージュからは先程メールが届き、交替の人間に事後処理を任せて急行しているとの連絡が入った。他にも何か書かれていたが、今はただでさえ顧みられるような精神的余裕など無い上、アナウンスが入ってしまった事でいよいよそんな状態でもいられなくなった。
『Ladies and Gentlemen!! 大変長らくお待たせいたしました。これより、本日のイレギュラーカード、「アストライアー」選手と、第1アリーナより特別(ゲスト)参戦の「水崎直美」選手の試合を開始します!』
 アナウンスに続いて轟く雄叫び、どよめく観客。BBが消えて以来、連日ただならぬ盛り上がりを見せていたアリーナは今日もまた異様な盛り上がりの坩堝に有った。
 硬化したランキングの急激な変動や、新たなる有力レイヴン出現と躍進と言った劇的な展開と人間模様、あるいは派手な試合を目の当たりにする事で、日頃のストレスや、管理者の暴走によって生じた絶望感を忘れさせてくれると言う背景も一押ししてか、ここ数年続いていた観客動員数の伸び悩みが嘘のように、近頃のアリーナは盛り上がっていた。
 そして観客の熱い空気に当てられて、絶望的な世界情勢下にある己やそれ以外の誰かを奮い立たせる為に、あるいはそれぞれの目標の為に、各人個々の思いを秘めたランカー達は今日も戦いに挑んでいるのである。アストライアーも例外ではなかった。
 そして今日の試合もまた、そんなアリーナの悲喜交々と人間模様に塗れた空気をより増幅させてくれるに違いなかった。
 平日の正午だと言うのに、アリーナの賑わいたるや半端ではない。普通、大物の試合となると視聴率稼ぎのために休日に行うのが常で、平日に行うとすれば仕事を終えた人達も見易い午後8時ぐらいに行われるのが普通であったのだが、何故か平日の正午に試合をする事となってしまっていた。直美がこの対戦をあまり重要視していないのではないかと言う考えも有ったのだが、詳しい事は不明であった。
 しかし、ここは働き詰めの庶民が暮らす日本ではなくレイヤードである。平日でも休める人は休める欧米風の社会制度が元となっている為、平日でもアリーナに来ている事を問うのは野暮だ。
 そんな所まで来てしまった以上は仕方ない。自分が死ぬまでにエレノアの所に戦友が辿り着けている事を祈りながら、アストライアーは愛機をゲートへと進ませた。


『アストライアー選手は、もはや当アリーナのファンには語る必要も無いでしょう、「レディ・ブレーダー」の異名通りに、これまで多くのレイヴンをブレードで仕留めてきた凄腕です。アリーナに腐敗した金権政治を敷いた暴君・BBを殺したのも彼女ではと目され、それ故議論を呼んだ事は皆さんの記憶に新しいと思われ……』
 アストライアーにアナウンスは全く届いていない。彼女は内心混沌状態で自分の胸にムカ付きを覚えながら、静々とヴィエルジュを進ませる。
 闘技場に姿を現したヴィエルジュを最初に出迎えたのはダブルトリガーだった。投擲銃にショットガンと言う構成も、トラファルガーの落ち着いた姿勢も相変わらずだった。
 彼が此処に居る理由について、アストライアーが疑問を呈する事は無かった。何せ本人から事前にメールの形で「お前と直美の決闘を邪魔されないように頼まれた」と自己申告が届いていたのである。
「気をつけろ、とは言わんぞ。お前自身分かっているだろうからな」
 通信モニターにトラファルガーの顔が現れる。
「……死ぬなよ」
 それだけ言って通信モニターは沈黙し、ダブルトリガーは後退した。アストライアーは相手の顔が消えたモニターに小さく頷いてから、決戦の地へと歩を進めた。即座にアストライアーへの野次とブーイングが降り注ぎ、観客席、特に男性の比率が高い区画は異様な熱気に包まれている事を否応にもアストライアーに実感させたが、彼女はそれ以上の感情は抱かなかった。
 アストライアーの視線は、待ち受けていたヴァージニティーに釘付けになっていた。
「……今日と言う日を待っていた」
「奇遇ね、わたしもよ」
 直美とアストライアーが、互いの愛機の通信モニター上に現れた。
 傍目から見れば普通の挨拶(?)のようにも見えるが、しかしある程度技量を備えた、あるいは戦いを生き延びたレイヴンが見れば、明らかに2人の発言に違和感を感じるだろう。何しろ2人とも、会話が棒読み状態だったのだ。
 感情を表に出してこそいないが、既にアストライアーは、これまでに4回撃破されて来た事もあって殺意を漲らせている。一方、そんなアストライアーから見える直美は冷たい表情を宿したまま。その口調には、一滴の血も流れていない機械のような印象すら伺えた。
「今度こそ……」
 直美に敗れたこれまでの記憶が呼び起こさせられる。あの敗北で整備士達と揉め、更にミラージュからの信頼や評価を落としたが、同時に父の戦闘スタイルを継承して戦っている手前、父親を貶められた気分にもさせられた。更に、強化人間と真人間の差と言う、訳の分からない問題さえも突きつけられ、未だにそれは未解決のまま、放り出されているも同然である。
 直美の強さについても、一帯何処から来ているのかが全く解せず、それがアストライアーに言い知れぬ不気味さや嫉妬、恐れや警戒心、そして好奇心を抱かせていた。
「……落ち着きなさいな」
 様々な感情をない交ぜにしていたアストライアーを宥めるように直美が発する。それがまるで、己の心を見透かされているように、アストライアーは感じられた。以前もそうだったが、この女は何故こうも自分の感情を察する事が出来るのかが分からない。
「最初から殺意なんか剥き出しにした所で、冷静さがなくなるだけよ」
 確かに、生前のノクターンがそうだった様に、冷静さを失った事で敗北したと言うケースもある。アストライアーも自分が冷静さを失いかけている事に気が付き、脳内の緊急冷却を図る。
「……そうだな。私も血が上り過ぎていた様だ」
 アストライアーの顔から殺意が消える。だがそれを感じたのか、直美は更に言う。
「馴れ合いは無しで頼むわよ。それこそ殺す心算で」
 あなたもその心算で来たのでしょうからと、直美は不適に微笑んだ。
 直美はあえて、エレノアに関する事柄を口にしなかった。アストライアーがエレノアに対して色々と思うところがあり、今回の戦いに際しても、恐らくは彼女がらみで苦渋の決断が有ったのだろうと察する事は難しくなかった。
 此処でエレノアの事を口にして、アストライアーを混乱、最低でも動揺させて僅かばかりでも付け入る隙を与えようとも直美は考えた。更には仲間内からもそれが提案されたが、直美は敢えて自分と仲間の考えを却下した。此処に来た以上は覚悟を決めているだろうから、そんな事をしてもアストライアーには無駄だろうと思ったし、直美自身はそうして口を武器にする事をあまり良しとはしていなかったのである。
 確かに、常に生きるか死ぬかの瀬戸際にある依頼では形振り構ってられないので話術による詐術も止むなしであるが、アリーナと言う一般大衆の目に晒される戦場でもそれを行うのは考え物であった。BB当りだったらアリーナでも勝利の為には辞さない所だろうが、奴がそれを躊躇わない人種である事を考慮に入れたとしても、同類扱いはされたくないところであった。
 それがなかったとしても、余計な詮索は無しですべきだと直美は思っている。この戦いは真剣勝負たるべきであり、細かいミスや相手の落ち度を突いての戦いで決着を付けても仕方がない。
「――もとより、その心算だ」
 アストライアーもそれには同意であった。鋭くなった彼女の視線に当てられ見て。直美の口の端に微かに笑みが浮かび、すぐさま表情が凍りつく。
 アストライアーの顔もまた、能面さながらの無表情になった。


 トラファルガーはダブルトリガーを東側ゲートへと移動させていた。決闘中、この上で待機するよう命ぜられていたのである。
 ゲートの上からならば、内部に入られない限りはヴァージニティーとヴィエルジュの姿が確認出来、万一侵入者が現れた場合にも発見・対処は容易となる。東側が死角となってしまうのは仕方ないにしても、他の区画に目を配らせるのには困らないし、死角は他の奴に任せておけば良いだけの話だ。
 女性強豪レイヴン同士の決闘に立ち会えるグッドポジションであるが、最近ではアリーナランカー同士の派閥抗争の表面化、さらに管理者実働部隊や反グローバルコーテックスを掲げる武装勢力の襲来と言った事態が重なった為、アリーナで催される何かしらのイベントで警備に当るレイヴンも、試合中はゲートの上で待機している事が多くなっている。
 その、もはやアリーナ警備担当レイヴンにとってのポールポジション(定位置)と言っても過言ではないゲート上に、上昇していたダブルトリガーが降り立った。遠くで、整備士やアリーナ運営スタッフのMTが試合に向けての最終調整を行っている。
「アスの奴、何を考えているんだ……?」
 自己の感情はどうあれ、アストライアーのやる事に首を突っ込まないスタンスだったがために決闘の経緯を詳しく聞いておらず、ゆえにトラファルガーには、アストライアーが一体何を思ってこの挑戦状を受けたのかが不思議に思えてならなかった。
 彼は今まで、アストライアーがアリーナランカーの抗争が激化する中にあって何れの派閥にも属さず、自分に挑戦状を出して来た連中を、勝敗は兎も角として迎え撃っている。だが、彼女がしてきたのはそれまでであった。
 それでもBB存命時は、勝ち上がって復讐を狙っていた事もあり、上位のランカーに自ら挑戦する場合も多かったが、BB横死後は、アリーナを巡っての抗争には一切関わっていない。エース一派や運営局が進めたというアリーナの綱紀粛正の為に動いた様子も特にない。
 この事から見ると、元々アストライアーがそう言う性分だったのかは分からないまでも、他人のいざこざに首を突っ込む心算は無いらしいとトラファルガーは察している。
 しかし今回のアストライアーは、自分から挑戦状を出すよう直美に働きかけたと、トラファルガーはブルーネージュ経緯で聞いていた。この心情の変化は一体どう言った事情があっての事なのだろうかとトラファルガーは考えるが、過去何度も直美に負けたというアストライアーの事である。雪辱を晴らす心算だと推測するまでには数秒しか要さなかった。
 その当りの事情は今考えなくても良いかと割り切って、トラファルガーは徐に通信回線を開く。
「トラファルガーだ。所定の位置に付いた」
 ダブルトリガーの通信モニターには、白銀の長い髪と左右で異なる色の瞳を有した、中性的な容姿の青年が映し出されていた。アストライアーでなくても、彼がアキラ=カイドウである事は明確であった。
 トラファルガーには、アキラを恐れる様子は欠片もなかった。彼もまた、直美とアストライアーの決闘を邪魔されぬように出現したと知っているためである。
 彼が操るルキファーは、丁度トラファルガーの対角線上――西側ゲートの上に佇んでいた。その隣には、アップルボーイ駆るエスペランザが佇んでいる。
「了解した。くれぐれも巻き添えを食わぬよう、細心の注意を払ってくれ」
「ああ。もっともあの女に限って、味方を撃つなんて話にはならんだろうがな」
「そうであれば理想だが、直美もマシンではないのだ、正確無比とは行くまい。万が一と言う事もあろう」
「それもそうか」
 もっとも最近では、レイヤードの管理機構に万が一でも起きてはならぬ事が起きてしまっているらしいのだがと思っていたアキラとトラファルガーだったが、口には出さない。
「まったくよ……」
 今度はストリートエネミーが通信モニターに現れた。
「何の因果でこんなシケた奴等とつるまねばならんのだ?」
「直美さんのせいですよ、直美さんの」
 文句は自分達を呼んだ当事者の女性イレギュラーに言ってくれと、アップルボーイが通信モニターに現れた。流石に3人分も顔が表示されていると通信モニターも狭苦しいなとトラファルガーは苦笑する。
「大体何だ、ストリートエネミーは? ペンキ代無いのか?」
「うるさいだまれ」
 通信モニターには映っていないが、ゲドだと分かる声に指摘されてストリートエネミーは真っ赤になった。
 その理由も大体トラファルガーには分かっていた。この間の依頼をしくじり、命辛々生還して来たはいいがスタティック・マンの右腕をライフル諸共なくしてしまったのだ。そして急いで右腕を用意したはいいが、今度は塗装代金を削る結果になってしまったと言う所だろう。
 トラファルガーは少し前、ストリートエネミーと共にアリーナに参上したのでスタティック・マンの半端すぎる色合いを直に目の当たりにしている。普段は灰褐色の渋いトーンで統一されていた塗装であるが、急遽調達された右腕だけは地金むき出しの灰色オンリーという有様で、防腐阻止など最低限の処置を施したに過ぎない。それでも対ACライフルを用意出来たあたりからすると、あのライフルは譲れなかったらしい。
 もっとも、塗装代などたかが知れたレベルだし、その問題も今回の決闘妨害阻止で何とかなるレベルだろうとトラファルガーは思っていた。一応今回の件は、直美及びアキラからの依頼と言う形で、嘗て共闘した者達に限定して送られていたからである。
「文句あるの? いやなら依頼放棄してくれても構わない所よ?」
 今度は直美の声がスタティック・マンのコックピットに、そして通信を介してダブルトリガーにも届いた。
「今日は他に依頼は来てないんだ、贅沢は言えねえ。第一、楽して小遣い稼ぎになるんだからな、暇つぶしには持って来いだ」
 何とも単純な話だなとトラファルガーは溜息をついた。ついでにゲドが同じ考えをそのまま口にしているのが聞こえた。
「あらあら、万事金に汚いストリートエネミーさんにしてはお珍しい」
 直美の優しい声が聞こえる。トラファルガーから見ると、決闘前――しかもレディ・ブレーダーと殺し合う人間の声とはとても思えなかった。
「あんたは俺を裏切らないし、人間としても見ててくれてるからな。お陰で俺は、安心して小遣い稼ぎに臨める」
「報酬の額だけで依頼を決めてた奴の台詞には思えんな」
 ゲドの毒舌に、お前も俺と同じだろうがとストリートエネミーは笑って返した。
 会話を横に、成り上がりのドブネズミ扱いされている割りには、生意気にも人を見る目はあるんだなとトラファルガーは認識を新たにした。だが彼が考えればそれも当然の事で、粗暴な部類の単細胞であったならCランカーになれていないし、ミルキーウェイとも良好な関係になれていない筈である。
 もしかしたら、今通信モニター越しに見ているのが素のストリートエネミーっぽいんだろうなとトラファルガーはぼんやり考えた。
「……なあ、おかしいと思わないか?」
 今度はスパルタンの声が通信モニターから聞こえて来た。
「何で今日と言う日に限って何事も無い?」
「何事も無い訳は無いだろ? もうすぐ直美とアストライアーが殺し合うんだぜ?」
 ストリートエネミーが至極真っ当な事を言う。
「そりゃそうだがな……現在他のレイヴンが進行中の依頼は兎も角として、今日は新たに届いた依頼がゼロだった事を俺は言ってるんだ」
「そいつか……確かにな」
 他に依頼が来ていないというのにはトラファルガーは同意であった。彼が先にコーテックスの受付に訪ねたところ、何とも不思議な事に、今日はレイヴンが出撃する必要がある新たな依頼が届いていないと返されたのである。現時点では実働部隊がどこかを襲撃したと言う話もない。
 最近は混迷と戦乱が当たり前になってしまったレイヤードであったが、この日は今の所平穏だった。このままであってくれと願わないわけではないが、それ以上に此処まで何もないと逆に不気味である。直美とアストライアーの決闘と言う嵐が訪れる前の静けさ、と言うべきなのだろうか。或いは単なる戦乱の中休みなのか。トラファルガーには断言しかねた。
 実はブルーネージュが現在テロリストの制圧(実際は化け物の排除)の為に出撃しているのだが、誰もその事には触れていない。これも元々前から決まっていた話であったからだ。
「相変わらず諦観してて退屈しない奴等だな」
 アキラが呟く。集まったレイヴン達には、呆れているようにも、安心しているようにも、そしてこの状況を愉しんでいるようにも感じられた。
 直美とアストライアーの決闘に際して集まっていたのは、トラファルガー、アキラ、アップルボーイ、スパルタン、シューメーカー、ゲド、ストリートエネミーの計7名。ストリートエネミー以外は皆、アキラと直美の仲間と言ってもいい面々である。
 アリーナの警備に此処までACを駆り出す必要があるのかと思ったトラファルガーだが、考えてみれば直美もアストライアーも周辺から相当恨みを買っているであろう女性である。それが互いに傷つけ合い、撃ち合い、殺し合うような有様とあれば、どちらが残っていたとしても労せずして殺せる。怨恨を抱く相手にとってはまたとない襲撃のチャンスだ。
 直美クラスともなれば、恨みを抱いている者は相当数に登るはずである。彼等が徒党を組んで雪崩れ込んで来る可能性も有り得なくはない。
 疲弊しているとは言え、それでもなお抹殺を狙っている可能性が疑がわれるミラージュの戦力が大群で押し寄せてくる可能性など考えたくもない所であった。
 更にトラファルガー自身も、嘗て自分を裏切った相手に対し、そうやって復讐してやろうと考えた事もあった。同じ事を考える相手が確実に存在する点を考えると、これだけの人数を出撃させるに当って「やり過ぎじゃないか?」とは言えなかった。
 集まっている面々にしても、もしかしたら敵が来ない限りは居るだけで食い扶持稼ぎになるという事で、さほど問題視はしていないのかも知れなかった。
 トラファルガーがあれやこれやと考えを廻らせているうちに、ルキファーは西ゲートを開いて中に入って行った。後を頼むと小さい声が聞こえたあたりから察するに、その場をアップルボーイに任せて外に向かったのだろう。アリーナの内外と気を配らねばならぬあたりに、トラファルガーは責任者であろうアキラの苦労を窺った。もっとも、自らその役を買って出たか、直美にでも押し付けられたかどうかまでは分からない。トラファルガーは余計な詮索を抜きにして依頼を受けたからである。
「全員揃ったか?」
「いや、まだイエローボートだけが来ていない」
 スパルタンがそう応じた直後の事だった。
「みんな悪い、遅れた」
 イエローボートの声が通信モニターから発せられる。
「遅かったな」
「相変わらずだな、お前は」
「そんな装備をしているからじゃないのか?」
 アキラとゲド、スパルタンのシニカルな声から、アパシーはまだ中量級2脚にバズーカやレーザーキャノン、ムーンライトと重装備を施して積載オーバーしたままなのかとトラファルガーは察した。そうでなかったとしても、あれだけの重装備を重量級2脚やタンク型脚部以外に積み込むと、オーバードブーストの有無を加味しても機動性が絶望的に低下するのは明確だ。
「やっと、全員揃ったな。皆、様子はどうだ?」
「アパシー、怪しいものは特にない」
「こちらシルバーウルフ、敵反応なし。目の前の道路を、一般車両と人間が行き交ってるだけです」
「スパルタンだ。今の所異常なし」
「このまま何もなければいいんだがな」
 外で警戒に当っている面々から相次いで報告が届く。襲撃の様子が無いとは言え依頼は依頼、一同は引き続き周囲に目を配らせた。


 アキラが引き連れている仲間達の通信は、直美やアストライアーにも傍受されていた。人が生死を掛けている戦いになるって中でなんとも呑気な奴等だと思っていたが、それはすぐに霧散した。
「何もないで済まされないわよ?」
 アストライアーの思考や視線、そしてあまたの感覚と神経回路は、今、目の前に現れた敵ACと、その搭乗者にのみ向けられていたからだ。それでもいくらかは、今、アリーナで自分の戦いぶりを見るであろう小さな娘に傾いていたのも事実だったが、目の前の強敵がそれを圧している。
「だって考えても見なさいって、わたしとアストライアーさんが殺し合うのよ? 試合の後には必ず何かしらの理由で五月蝿くなるわ。どっちが生き残るにしてもね」
「止めて下さい。考えたくもない」
 アップルボーイは呻いた。
「あまり言いたくはないが……」
 どうやらシューメーカーも同じ考えのようだと直美は察した。
「……大丈夫。お姉さんは死なないわ」
「僕がいつ直美さんの弟になると言ったんですか!!」
「アナタの様な姉がいますか!!」
 アップルボーイとシューメーカーがそろって苦笑した。
「あなた達鍛えたのはわたしよ? それこそお姉さんみたいなものじゃない」
「まかり間違えば死んでたところですよ!」
 アップルボーイが戸惑うのを見て、直美はそれが見たかったとばかりに通信モニターで笑った。確かにその笑顔だけを見れば、直美が優しい姉で十分通用するのとはアップルボーイも思ってはいたのだが。
「直美さんが姉かぁ……うん、悪くないかも」
「お前は少し黙っててくれ」
 イエローボートが割って入ったのが予想外だったらしく、シューメーカーは呻くように発した。生粋の楽天家である彼女が話に入ってくると話がややこしくなってしまうのが目に見えていたからである。
「いっそ直美が死んでくれと一瞬思った俺は間違ってんだろうか……」
「大丈夫、レイヴンとしては正しいわ。わたしだってBBが生きてた頃には「この汚いゲス野郎さっさと死んでくれないかしら」って常々思ってたんだし」
 直美は再び笑った。ついでに毒気を抜かれたストリートエネミーはつられるように苦笑した。この場で死ねばライバルが一人減り、ついでにおっかないイレギュラーも減って商売敵的には万々歳だと思ってはいたのだが、この女の前ではそんな事を考えるのも馬鹿馬鹿しい気がして来た。
 やがて、全ての準備を終えた各種人員及びMTは離脱し、あとは試合が始まるのを待つのみとなった。
「何なんだ、貴様は……」
 決闘を前にして物凄い余裕を見せている直美に、アストライアーの声が震えていた。そもそも、殺し合う前だというのに冗談や毒舌が飛び交うこの空気は一体何なのだと思っていた。緊張している時にこんなのを聞かされていては気がおかしくなりそうだった。
 アストライアーには、とても決闘前の人間の会話とは思えなかったのだが、もしかしたらこれも自分を貶める為の策かも知れないと、彼女は要らぬ疑心暗鬼に陥った。
「決闘前の精神保養、って所かしらね」
 立場上仕方ないとは言え、張り詰め過ぎても良くはないと直美は言うのだが、絶賛疑心暗鬼中のアストライアーにはその考えが分からなかった。もし疑心暗鬼でなかったとしても、戦いの場にそぐわぬとして一蹴していたかも知れないが。
「でも、それもここまで」
 コックピットに試合開始前のサインが現れるや、直美の視線が再び鋭くなった。声色も冷たいものとなっており、先程の柔和さは微塵も見られない。
 既に観客も揃っての試合前カウントダウンが始まっているが、アストライアーの耳にそれは届いていない。彼女の意識は、殺気を帯びた直美の声にのみ向いていた。
「……ブチ殺してやるわ」
 最早、些細なことで悩んでいられる状態ではなくなったし、そもそも勿体付けて戦うべきではない相手である。全力で戦って負けたら後が無いと言うランカーも居るが、直美と戦ったならば恐らく全力か否かに関わらず、敗北イコール死に繋がる。ましてや、対戦相手の抹殺も辞さないアストライアー相手の決闘で直美が容赦してくれるとは到底思えなかった。
 そうなれば、いっそ殺す心算で居てくれた方がアストライアーにとっても願ったりである。自身の生存の為、そしてエレノアの為に遠慮なく冷徹になれるからだ。そうなると、考えを抱くべき事柄に余計な事象は絡まず、相手を倒して生き残るという一点にのみ集約され、実に簡単になる。そういう意味では、この場においては直美に感謝すべきだとアストライアーは思った。
「……そいつは有難い」
 アストライアーは冷たく呟いた。皮肉ではなく、そのままの意味で。
16/05/21 18:35更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 詳しい事は次回の後書きで述べますが、第39話は何度見返しても、作者としては「これで良いのか?」と疑問を抱かずには居られぬ話です。そのおかげで全体の調整し直しや書き直しなど何度もプロットが変わり、また7ヶ月も開くことに……(ちなみに2015年9月に投稿)。

 まずしょっぱなの時点でそもそも疑問符が。と言うのも直美さんたちの会話、決闘前にやる話じゃない気がしてならんという(滅)
 さらに言えば、平日の白昼に決闘やって、アリーナに観客押し寄せたりと言った背景的な疑問もあったりするのですが……それについては「舞台が日本じゃないから別にいいか」と言う事で押し通させてもらいました(爆)

 さて、長くなったのでいったん分割し、本格的な戦闘描写は次回になりますが……はて、あれで良いのかどうか……。

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まろやか投稿小説 Ver1.50