連載小説
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#35.アンダーグラウンドワークス(後編)
 生物兵器出現の知らせをストリートエネミーから受けても、ブルーネージュとその作業員達は比較的落ち着きを保っていた。全く恐怖がないと言えば嘘になるが、しかしながら救出された生存者の様なパニックを起こさず、ある程度組織だった行動を行えたと言う点においては、間違いなかった。
 事実、プレーアデスの周辺ではパワードスーツの作業員が管制パネルを操作してシャッターを開き、作業用MTとクレーンが付近の排水口に詰まったクモの死体や粗大ゴミ、ヘドロを取り除いていた。
 彼等の周辺では、既に10匹近いクモが死んでいた。だが、ヘドロや汚物に塗れた様子がなく、緑色の体液を滴らせ、挙句一部の足が痙攣までさせている個体の有様は、この怪物がつい先程まで生きて活動していた事を物語っていた。
「ロックを解除した!」
 パワードスーツの作業員の返答と同時に、モーターが唸りと共に回転し、重々しいシャッターを通路上へと引き込んだ。同時に、ブルーネージュの足を浸していた汚水が、急激にシャッターの向こう側へと引き込まれていく。排水口から撤去されたクモの死体を道連れにして。
 ブルーネージュはすぐさま、目視射撃でその死体を粉砕した。原形を保ったまま流れては、また排水口に詰まると見なして。
 もう一方のパワードスーツの作業員は、上流側の制御パネルに取り付いて作業していたものの、こちらはすぐにはゲートを開かなかった。
「排水溝の詰まりが取れるまで開けるなよ。俺達まで流されかねん」
 クレーンでゴミを取り除いていく作業員に、分かっているとパワードスーツの作業員は返した。
 クモの怪物を排除しながら下水溝のトラブル解決に当る中、ブルーネージュ一行は下水プールに辿り着き、此処のクモの死体が水位上昇の原因だろうと見て、早速その解消に乗り出した。
 まずアストライアー達が正常に戻した下水による作業遅延を恐れ、一度上流側のシャッターを封鎖。同じに、閉鎖されていた下流側のパネルを制御し開放すると共に、排水口を詰めていた大量の化け物の死体の撤去を行う事としたのである。
 プレーアデスは、安全な作業の為、現れたクモの撃破に専念していた。
「こいつらがパネルを操作したのか?」
「まさか。徘徊している最中、偶然触れてしまったと言う所だろう」
 ブルーネージュは、クモみたいな外見の怪物に、機械を制御できるほどの知性があるわけがないと断言した上で、本来閉鎖されているはずのない下流側シャッターが閉じられていた原因がクモ達にあると見なしていた。
「だとしたら、何故制御室からのコントロールを受け付けなかったのかが気になるが……」
 疑問は出し抜けに現れたクモによって途切れさせられた。すぐさまプレーアデスは投擲銃を発砲、クモを一撃の下に木っ端微塵にしてのけた。
「ああ、多分コレだ」
 下流側ゲートのパネルに陣取ったパワードスーツの作業員が、ライトでパネル上の壁を照らしていた。恐らくクモの足の爪に引っ掛かったか何かしたのだろう、ケーブルが寸断されている。彼はこれのおかげで、管制室からの制御が出来なくなったのだろうと推測した。
「修理出来るのか?」
 ブルーネージュの問いに、作業員は頭を振った。
「駄目だ。手持ちがない」
「事が済み次第、図面と機材を持って修理担当を送るよ」
 ただし、それには下水道内に徘徊している化け物を駆除しなければならないと言う前提があると、主任は加えて伝えた。
「よし、排水溝の詰まりは取り除いた! これで行ける筈だ」
 あとはシャッターを開いて、ダブルトリガーが待機している地点まで正常に流れるようなら問題ない。作業用MTとクレーンは水道から護岸に急いで移動し、上流側パネルのパワードスーツに伝えた。
「シャッターを開放しろ!」
 作業員は手際よくパネルを操作し、シャッターを開放した。すぐに下水は音を立てて排水溝へと流れ込み、細かいゴミやヘドロ共々流れ下って行く。
「これで下流域までちゃんと流れてくれるかどうか……」
 新たに2体のクモを撃破し、ブルーネージュは轟音を立てて流れていく下水を見やって呟いた。自分より上流の区画では、アストライアー達が下水溝の詰まりを取り除き、下流域のストリートエネミーは止水シャッターを開放している。
「ストリートエネミー、そっちはどうなっている?」
 返答はすぐに帰って来た。
「そうだな……見た所、特に大差はねぇみたいだが――」
 言動が三度に渡る銃声で途切れた。5秒ほどおいて、銃声がもう一度。
「――気のせいか? さっきより水位がちっとばかり下がってる感じがするんだけどよ」
 上流域に当るこちら側が、作業の為にシャッターを下ろしたことが原因だろうと作業員は説明した。ただ、下水の大きな流れがなくても、下流域に当る市民が垂れ流した下水は依然として運ばれ、スタティック・マンの脇を流れている。
「こちら側でも流れを止めていた原因を取り除いている。そちらにも流れが行く筈だから、注意して見ていてくれ」
「了解……おおっと、また来やがった!」
 再び銃声で通信が途切れたあたりを考えると、また化け物が現れたらしい。
「こちらダブルトリガー、下水溝上流域より化け物が出現」
「何ぃ!? そっちもかよ!?」
「今、4匹目を撃破した」
 襲われる危険があるため、こちら側の作業員は全員撤収させたとトラファルガーは付け加えた。
「各作業員へ、たった今撤収命令が出された。途中で切り上げても構わないので、直ちに撤収してくれ」
 怪物の目撃が相次いだ為、上層部と地区主任はこれ以上の危険だと判断――オリバーはそう伝えた。そして、彼はもう一つ、レイヴン達への言伝を命じられていた。
「レイヴン各員は、あの怪物を掃討してくれ」
「撃破した分の報酬は上乗せしてくれるよな?」
 ストリートエネミーの一声にオリバーは眉をひそめたが、すぐに返した。
「要望が通るよう、計らっておこう」
 どうもと返すと、ストリートエネミーは這い出してきたクモ目掛け、今度はロケットを繰り出した。頭胸部を吹っ飛ばされた勢いで、クモは増水した下水に落下して流されて行った。
「ん? 水かさ増してんな?」
 ブルーネージュの言った事は正しかったようだと、ストリートエネミーもようやく気が付いた。
「こちらダブルトリガー。たった今下水溝が増水した」
「よし、正常に流れるようになったようだ」
 相変わらず制御室からコントロール出来ないが、当初の目的は果たせたと主任は頷いた。
「作業員はすぐに戻ってくれ」
 レイヴン達に随伴していた面々は安堵の息を漏らした。さっさと化け物のうろつく所で残業などしたくない、そもそも此処から一刻も早く脱出したいと、誰もが思っていたからである。
「レイヴン各員へ。上層部から、化け物を撃破した分の報酬は上乗せするとの達しが出た。引き続き、化け物の掃討に当ってくれ。下水道作業員達の脱出支援も頼む」
 その場にいないアストライアー以外の全レイヴン達は了解し、内容の変わった仕事へと向かって行った。


 一方、カリンを連れたアストライアー一行は殆どクモの襲撃を受けることなく、下水溝からの脱出地点に集結していた。先程、ヴィエルジュが突入して来た縦穴である。
 穴からはクレーンが吊るされ、レディ・ブレーダーに随伴していた作業用MTを釣り上げていた。既に重機はクレーンで引き上げられ、パワードスーツは自力で縦穴を上昇。数分後には無事に脱出出来た旨が伝えられた。「恩に着る」と言う、アストライアーへの感謝も付け加えて。
 オリバーから下水道が無事機能を取り戻した事と、怪物排除命令が発されたのは、その直後であった。
「やれやれ、結局害虫駆除をやらされる羽目になったか……」
 予想はしていた事であるが、やはりなと言うのが正直な所であった。
 だがアストライアーに恐怖はない。実際に公開された、巨大クモに遭遇し生還したACのカメラ映像からは、そのクモの運動性が旧式MT程度しかなく、またレーザーブレードCLB-LS-2551の一振りで簡単に始末出来る程度の耐久性しか持ち得ない事が察して取れる。よって、ヴィエルジュが相手取る分には全く問題ないと言えた。
 唯一の懸念材料と言えば、現在の索敵状態にあった。
 下水道内での任務と言う事で、今回ヴィエルジュの頭部はマップ機能搭載のCHD-02-TIEに換装されているのだが、これには生体センサーが搭載されていないのであった。さらに、プレーアデス以外の3機も生体センサーは未装備であった。
 だが、強化人間は自らの脳とACを接続、五感とシンクロさせる事でロックオンなしでも生体兵器への正確な射撃が可能である。
「あまりやりたくはなかったが、止むを得んか……」
 ACに接続した状態で撃破されたり機体トラブルが生じたり場合、そのダメージは確実に操縦者の脳にまで及ぶ。故にアストライアーは通常のパイロットと同方法での操縦に拘っていたのだが、生体センサー無しで戦うのは不都合であると認めざるを得なかった。しぶしぶヴィエルジュのケーブルを延髄に当てられたプラグに繋ぎ、意識をヴィエルジュへと傾ける。
 アストライアーとヴィエルジュがシンクロするのに、時間は殆ど要さなかった。
「良かったら私の武器も使って下さい」
「そうしたいがな、水で銃弾が湿ってしまっては使えんぞ」
 それ位想像出来なかったのかとアストライアーは思った。
 クレーンも降りてきた事だしさっさと帰れ――そう口にしようとしたアストライアーだったが、レーダーコンソール上の味方を示す反応が多数、ゾロゾロと近寄って来た事で、視線はそちらに向く。程なくして、先発隊のパワードスーツと、遅れてストリートエネミー一行が姿を現した。
「助かった!」
「早く脱出だ!」
 先発隊のパワードスーツ2機は下ろされたアームとすれ違う形で、急いで縦穴を上昇した。アームはハウスキーパーを掴むと、そのまま上昇して行った。
「ストリートエネミー、そいつ等は任すぞ」
「お、おい!」
 ストリートエネミーが戸惑ったのは僅かな間だったが、その隙にアストライアーは先程来た道を急ピッチで戻り始めた。CBT-FLEETの蒼白い噴射炎をなびかせ、行く先に現れた小さなクモ――それでも全長2メートルを悠に超える体躯であったが――を構わず体当たりで倒し、武装解除したショットガンの事を思い出して、先程の排水口まで戻る。
 無事に機能を取り戻した排水口はその水位を大きく下げ、一時は護岸に放置していたショットガンまで浸しかねないほどだったが、床のシミはそれが結局レディ・ブレーダーの愛銃までは達さなかった事を物語っている。その近くでは集められた雨水が排水されて来ている。
 ヘドロよりはマシかと、アストライアーは愛機の右腕を雨水の中に突っ込んでヘドロを落としてからショットガンを拾い直す。おかげで背後に現れていた2匹のクモに対し、隙が出来てしまった。
 ビームで後部を焼かれたヴィエルジュはすぐに向き直り、ムーンライトを一閃。迫っていたクモを一刀両断にした。
 もう1匹は再びビームを発してヴィエルジュの頭部を焼いたが、CHD-02-TIEは防御や耐久性に難があるとは言え、クモのビームを1発食らった程度で壊れるほどヤワではない。当然ながらこのクモはアストライアーの反撃に遭い、頭胸部と腹を縦方向に真っ二つにされた。
 だが、更に天井から2匹、足元のマンホールを押し上げて人間サイズのクモが1匹這い出た。だが、マンホールから這い出した個体はすぐにヴィエルジュに踏み潰され、天井近くの個体もショットガンを向けられる。
 だが、ファイアーボタンを押し込んでも散弾は吐き出されない。
 同時に、武器コンソールが警報を発し、ショットガンに関する異常を知らせた。
「接続エラーだと……!?」
 コンソールには、ショットガンCWG-GS-56との接続自体は完了したと出ているが、同時に「正常な動作の保障なし」ともある。
 やはり精密機械であるACの腕をヘドロに突っ込んだのが原因か――ビームがヴィエルジュを掠める中、アストライアーは苦い顔で舌打ちしながらも、ヴィエルジュを通路に避難させた。そして小型ミサイルを順に見舞い、1匹ずつクモを撃破。倒された怪物は下水溝から掻き出されたゴミの山へと加わった。
 その中で、アストライアーは考えた。元々、沼地等人間にとっては劣悪な環境に放り込まれる事も多いACであるため、武器との接続端末も兼ねているマニピュレーターは多少の汚れや損傷でも武器がコンピュータに認識されるよう設計・製作されている。そのような劣悪な状態でも機能するのだから、よく考えれば下水で汚れたぐらいで動作に支障はないはずだ。それにも関わらずエラーが出たと言う事は、些か短絡的では有るが、整備の不手際か何かが原因で不具合が出たと考えられる。
 だがいずれにせよ、クモの相手をする分であればさほどマイナスではない。アストライアーは新たに現れた3匹のクモをレーザーブレードで一刀両断し、来た道を戻る。ストリートエネミーに随伴していた作業員達が無事に脱出出来ていると良いのだが、そうでなければ脱出支援の必要があると判断して。
 唐突に、急ぐヴィエルジュの前でマンホールの蓋が押し上げられた。
 咄嗟にブレーキをかけたヴィエルジュの前に、象牙色をした、粘液塗れでのたうつ肉の柱が這い出してきた。ACを察知したのか、頭部先端の外皮を捲り上げ、おぞましく蠢く細かな牙を剥き出しにして迫る。
「チッ……クモだけじゃなくウジまで繁殖しているのか!?」
 アストライアーの脳裏に、BB抹殺前に通った下水道の事が思い起こされていた。その時、クモの死体や側溝、壁に至るまで卵が産み付けられ、それが彼女の目の前で孵化している。その化け物が成長した姿がこれである事について、女剣豪に疑う余地はなかった。
「これは……!?」
 クモだけかと思いきやウジまで出現したのは、オリバーには想定外だった。
 オペレーターが驚いている間に、ウジはヴィエルジュに迫りながら、ゴボゴボと湿った音をあげて黄色い粘液を口から吐き出した。
 ブレーダーACは咄嗟に飛び退いて粘液を回避し、逆に反撃の光波を叩き込んだ。蒼白い閃光が迸り、蛆の半身は一撃の下に吹き飛ばされる。
「何処の誰かは知らんが、くだらんゲテモノを作りおって!」
 ACにとってはさしたる脅威ではないが、巨大な蛆やクモが徘徊していると抵抗する術を持たない作業員達が気掛かりであった。
「ストリートエネミー! 作業員達はどうなった!?」
「安心しな、無事に全員脱出して行ったぜ。あのメイドランカーも無事引っ張り上げられていった」
 どうやらもう護衛目標の心配はしなくて良いらしい。
「此方プレーアデス、全作業員撤収完了。未確認生物の掃討に移る」
「よし、害虫駆除と洒落込もうぜ」
「油断するな、虫だと思って甘く見ていると足元をすくわれるぞ。大体お前、頭部生体センサーがないだろう」
 軽口を飛ばすストリートエネミーを、百戦錬磨のトラファルガーが嗜める。
「トラファルガーだって生体センサーねぇだろ」
「確かにな。だが狭い下水溝なら、こいつの拡散武器で補える」
 その通りだった。
 ダブルトリガーは当るが幸いとばかりにクモを片っ端から射殺しているが、生体センサー未搭載のMHD-MM/003を使用していながら、拡散武器とロケットのおかげでクモを仕留めるには支障はなかった。しかも、下水道内は狭い為に回避されたり、背後や側面に回られる事も殆どない。
 その為ロックオン不可のハンデは背負っていたトラファルガーであったが、幾多の戦場を潜り抜けて来た経験に基づく冷静な判断力と、研ぎ澄まされた射撃スキルは、この依頼での戦果を確実なものとしていた。
「だが気をつけてくれ、アストライアーが先程ウジを見た」
 そのウジが、恐らくは消化液か何かだろう、黄色い粘液を吐いて攻撃してきた事をオリバーは付け加えた。事実、黄色い粘液が掛かった巨大クモの残骸は、通り過ぎて行ったヴィエルジュの背後で、湯気とくすぶる様な音を上げて崩れていた。
「プレーアデス了解。発見次第排除する」
 巨大な蛆の存在は、ブルーネージュにいささかの動揺ももたらすに至らない。
「ったく、此処はC級・D級映画の世界か何かか!?」
 ストリートエネミーは嫌悪感を示したが、駆除しないと報酬が出ない事は明らかだったので、見つけ次第潰す旨を返した。
 トラファルガーは何も言わなかったが、機動性に劣る所のある愛機だけに、見かけたら消化液を吐かれる前に抹殺せねばと肝に銘じた。
 その間にもアストライアーは天井に現れたクモにジャンプ斬りを見舞って下水へ叩き落し、壁面にいた別のクモにコア前面の装甲を焼かれたが、すれ違いざまに両断した。更に来た道を戻りつつ、新たに這い出して来た2匹のクモを、ムーンライト直撃と光波でそれぞれ叩き潰す。
 そして出入口となる竪穴の下まで戻って来たアストライアーは、まだ竪穴が開いていたのを見て、オリバーに通信を入れる。
「オリバー、竪穴のシャッター塞いでくれ」
「何か問題でも有るのか?」
「大問題だ。万一にでもあの化け物に出て行かれると大変厄介な事になるぞ」
 最低でもパニック由来の事故や騒動は確実に発生するだろうとアストライアーは思った。普通のクモでさえ、「アラクノフォビア(蜘蛛恐怖症)」と言う言葉を生んだ事からも分かるように、生理的嫌悪感を強く催す外見だ。
 下水道に蔓延る怪物どもは、もはやクモどころではないサイズにまで育っている上、下水道内の汚物塗れという事もあり、吐き気を催すほどの異臭を漂わせている。おまけにヴィエルジュが入ってきた竪穴の周辺では、車が行き交っている有様であった。
「私も賛成する。道路に這い出されて、パニックやそれ由来の交通事故、挙句通行止めにでもなったら笑えない」
 ブルーネージュもアストライアーと同じ事を考えていたようだ。
「おまけに上ではビルが密集していて、連中の隠れる場所には困らない」
 下水道とは言え、竪穴の上はトレーネシティ。這い出されて都市部に侵入した場合、建造物が入り組んでいる関係で、排除の目処を非常に付けづらくなる事をブルーネージュは警戒した。何しろ物陰に潜伏されたAC相手でも、攻撃を遮られ、死角から撃たれ、知らぬ間に逃げられ、誤射で市民の犠牲を出したりと枚挙に暇がない。
 2脚・逆関節脚部使用時では身長10メートル前後となるAC相手でさえこの様なのだから、それよりサイズの小さいクモ相手だと更に面倒な事になるのは、ブルーネージュの想像に難くない。
「下手したら下水道内の細菌が広まって感染症を起こす危険性さえある。衛生面では最悪な環境に居るわけだから」
 新たに出現したクモをマシンガンで射殺せしめてから、ブルーネージュはそう補足した。
「オリバー、貴方がそれを見過ごしたばかりに上で問題が起こってもいいのか?」
 この、アストライアーの一言が止めとなったようで、オリバーもすぐに動いた。
「分かった。シャッターを塞ぐ」
 駆逐を確認し次第、再び開放すると付け加え、オリバーは地区主任に竪穴シャッターを塞ぐよう頼んだ。主任は同意し、すぐに管制室のオペレーターに、開いている全ての竪穴を塞ぐよう通達した。
「きわめて賢明な判断と言うべきだな」
 トラファルガーは納得した。どうやら彼も最初から全て聞いていたらしい。
「うげぇ、なんだこりゃ!?」
 突如、ストリートエネミーが素っ頓狂な声を上げた。
「どうした!?」
「これを見ろよ……」
 全員が目を向ける中、アウトロー崩れの青年はすぐにカメラ映像を全員の通信モニターに繋いだ。
 スタティック・マンの照明に照らされた先には、へその様な穴を持つ白くて丸い物体が映し出されていた。アストライアーには、以前見た化け物の卵だとすぐに分かったが、近くにその中身が成長したと思しきウジが出現した為、そちらの対処に専念しなくてはならなかった。
 ゆえにアストライアーは、映像の細部まで確認できなかった。いや、細部まで確認できていたとしたら生理的嫌悪感に襲われていたのは確実であろうから、その方が良かったのだ。何しろ映像内の、臨月の腹部を思わせる卵は、彼女が以前目撃した際の規模をはるかに上回っており、床や壁面一帯をびっしりと覆いつくしていたのだから。足の踏み場もない、と言う表現がぴったりだ。
 しかも、その中の幾つかに至っては穴を大きく広げ、中から粘液塗れのウジを這いださせているものさえあった。
「全部潰せ!」
 ウジと格闘しながらアストライアーは叫んだ。
「つ、潰せ言われたって――」
「いいから潰せ! 踏ん付けてでも皆殺しにしろ! さっさとやれ!!」
 生理的嫌悪感に駆られた女剣豪が凄まじい剣幕でまくし立てる。
 結局は殺気立ったと言っても過言ではないアストライアーに気圧される形で、ストリートエネミーも渋々ながら了承、全部孵化する前にと踏み潰しに掛かった。踏むと言っても床に産み付けられた卵の上をブーストダッシュで通過するだけだが、接地した状態で上を通過すれば、必然的にひき潰して行ける。ブーストダッシュで通過すれば、普通に歩いた場合と違って足が浮かない為、潰し損ねも抑えられた。
 そうやって何往復もして、アストライアーの頼みどおりに床に産み付けられた卵は全て潰されてオートミールの様な有様となっていた。ストリートエネミーも卵とウジの、原形を留めぬ礫死体が一面に広がる光景を見て即座にそれを連想したが、1秒でそれをした自分を後悔した。彼の感覚が狂ってなかったら、当分の間ホワイトソースは見るのも聞くのも嫌になっているだろう。
 それを紛らわすように、スタティック・マンは壁面の卵目掛けてロケットを繰り出し、レーザーブレードを振るって焼き払い始めた。
「ったく、クモのみならずウジまで増やしやがって!」
 八つ当たり気味にストリートエネミーが叫んだ。
「全くな。同じ気分だ」
 アストライアーも壁に産み付けられたウジの卵塊を見つけると、ミサイルを繰り出して即座に粉砕した。
「しかし、そろそろ弾数が気にならないか?」
 トラファルガーが唐突に通信を入れる。
「此処に居る4人でかなりの数の化け物を排除したはずだが、連中は次々に湧いて出てくる。こうなると弾が気になる次第だ」
「そりゃそうだろうよ。お前のはショットガンと投擲銃、更に三連ロケットだろ? コレだけの数の化け物相手にして弾持つと思うか?」
「いや、まさか化け物を相手取るとは思っていなくてな……」
 流石に、今回こうなったのは俺の怠慢だ。不測の事態に備えていなかった自分を責め、トラファルガーは苦い顔となった。
「……ま、それ言っちゃあ俺も同類だけどな」
 まさか駆逐完了したはずのクモと、全く情報を聞いていなかったウジを相手取るとは思っていなかったと、ストリートエネミーは苦笑した。
「武器が使える分、お前等はまだいい」
 ショットガン使用不能のハンデを抱えている自分を思い出し、アストライアーは吐き捨てた。だが攻撃の手までは忘れたわけではない。出くわす端からクモを斬り捨て、ウジとその卵を踏み潰す。
「弱音を吐くわけではないが、ミルキーウェイが居れば多少は楽出来たかも知れないな」
「無理だな、あいつの性格上。この依頼を持ちかけたら3秒で同行拒否しやがったんだぞ」
 そもそも、アリーナのアイドルという自覚があるミルキーウェイが、自分の機体を下水や汚物で汚すと思えん――ストリートエネミーにそう否定され、ブルーネージュは溜息を漏らした。
「やれやれ、せめてもう1人ぐらい居れば多少は楽になったかも知れんな……1人あたり12000cの報酬じゃ安過ぎたか」
「口よりAC動かせ」
 愚痴を垂れるストリートエネミーにうんざりした様子を、アストライアーは口調に露呈させていた。そして側溝より姿を現したクモの集団を、八つ当たりするかのように光波と剣戟で排除する。
 それにしても、環境適応能力の高いクモならいざ知らず、蛆虫まで生物兵器に仕立ててしまうのはどういうことなのかとアストライアーは思った。何かしらの軟体生物を素体として遺伝子改良を施した結果として外見がウジになっただけで、ベースが蛆虫であると断言するのは尚早であろうが、何にしても生物兵器とするには能力面が不足している。少なくとも、溶解液を吐くとは言えヴィエルジュを相手取れる能力とは到底思えない。
 しかしサイズが人間大またはそれ以上である事から、非武装の一般市民にとって脅威となるのは明確である。そう考えれば、このウジは対人殺傷を目的としたものだろうかと、アストライアーは目前のウジを踏み潰しながら考えた。特に、下水道の一区画を埋め尽くさんばかりの産卵数であれば、敵地を壊滅させる事など容易いだろう。
 目下の問題は、アストライアー達が、それをどれ位相手取らねばならないのかと言う点に尽きた。産卵数から判断して、恐らくは相当数の卵は既に孵化している。
 更に恐ろしい事に、ウジである以上は何れ変態して成体になる可能性さえあるのだ。
 アストライアーは昆虫に詳しい訳ではないので、変態後の姿が如何なる物なのかは全く想像出来ないが、変態する昆虫の殆どは翅を持っている点を顧みるに、飛行能力を発揮して襲い掛かって来る様子を想像するのは容易かった。
 いずれにせよ、見かけ次第駆除しなければ大きな問題となるだろう。
「……ゲートを開けてくれ」
 E259と書かれたシャッターに突き当たり、アストライアーはオペレーターへと呼びかけた。制御パネルは、ロックを示す赤い光を周辺に投げかけている。数秒で緑色に変わったが。
「ロックを解除した」
 オリバーの声に遅れること2秒、シャッターは駆動音を上げて天井へと引き込まれていく。開放と同時に身構えたヴィエルジュだったが、開かれた下水道の先に、怪物が蠢いている様子はない。水位も特に異変はないようだった。
 怪物達の襲来を警戒しながら、アストライアーはシャッターの先を進む。
「おい、アス」
 苛立ちを隠そうともしないストリートエネミーが呼びかけた。
「おら、潰したぞ。コレでいいだろ」
 ストリートエネミーは通信モニターを中継モードに切り替え、壁面にも産み付けられていた卵をすべて排除した事を証明して見せた。
 確かに、壁面に産み付けられた卵は一つ残らず叩き潰され、その内容物であろう白い粘液や焼け焦げた肉片に取って代わっている。銃創や抉れも数多く見られたが、床は足の踏み場もないほどウジと肉片と粘液、そしてそれらの混ざったペースト状の何かに埋め尽くされている。
 見せるなと思ったアストライアーだが、口には出さずに「それで良い」とだけ返した。
「ったくよ……今夜の飯は確実に不味くなっちまうわ」
 ストリートエネミーの愚痴は自分に向けられたのか、それともウジとその卵に向けられたのか、アストライアーには分からなかった。彼女が分かったのは、スタティック・マンとの通信がフッと途切れる中で、自分の胸がやけにムカついている事だった。
 蟲とは言え、肉片や臓物、その成れの果てや混ざり物を見るのはやはり気持ち良いものではない。しかし、吐き気を催すほどではなかったのは幸いである。吐瀉物でコックピット内の何かが故障とあっては笑えない。
 気を取り直し、アストライアーは更に道を進み、E210と書かれたシャッターの前でヴィエルジュを止める。
「アストライアー、そのシャッターは此方からでは開放出来ない」
 オリバーが異常を伝える。
「恐らくは配線寸断が原因だと思われる。そちら側ではシャッターが作動しているか分かるか?」
 アストライアーはパネルが赤い光を発している事を確認し、返答する。
「作動している。ロック状態だが」
「了解。君の手で直接パネルを操作・開放して先に進んでくれ」
 了解したアストライアーは、ヴィエルジュの左手をパネルの末端部に触れさせ、キーボードを引き出して接続状態を確認しつつキーコードを入力していった。これは下水道進入前、地域主任が万一の事態に備え、レイヴンたちに伝えていたものだ。当初アストライアーは、部外者の自分達がこれを聞いて良いものかと疑問を呈したが、然るべき仕事が終わった後にコードは変更すると主任から返されたのを覚えている。
 手際良くキーコードを入力し終えて数秒、待機の時が訪れた。
「ゲートロック解除可能」
 シャッターにヴィエルジュからのアクセス可能となった旨をCPUが伝えると、「ENABLE(実行)」のボタンが点灯した。すぐさまそれを人差し指で叩くと、シャッターが上へと引き込まれ始めた。
 キーボードを引っ込めると、アストライアーは即座にヴィエルジュを身構えさせた。
 だがその直後、こそぎ落とされた卵が音を立ててシャッターの向こう側に次々落下。コンクリートの床に叩きつけられて破裂し、そうでないものは下水に飲み込まれた。更に巻き込まれたのだろうか、湿った何かが潰れる音に遅れ、粘液がシャッターを伝って滴り落ちた。
 シャッターが糸を引きながらも上がりきると、閉ざされていたゲート周辺に卵が産み付けられていたことが分かった。通路の先までは卵が産み付けられていない。そして、その卵を2匹のクモが貪り、噛み潰していた。このクモは先ほど見た同類よりも小さく、足を含めても人間サイズ程度しかなかった。
 すぐにヴィエルジュは壁面の卵を引き剥がし、足元の卵をクモ諸共踏み潰す。側溝より這い出して来た新手のクモにはラインビームを撃たれてしまったが、足と上腕部の装甲を若干焼かれた程度で、大きなダメージには至らない。
 卵を全て潰すと、ヴィエルジュは三度繰り出されたビームを突っ切ってクモを一刀両断せしめ、壁を這って迫る新手を確認し、ジャンプからムーンライトを一閃。クモの頭胸部を叩き潰すように破壊し、8本の足を派手に飛散させた。
 2匹のクモを叩き潰したヴィエルジュは突き当りを左折し、300メートルほど進んだ後、E209と書かれたシャッターの前で停止した。
「オリバー、ゲートを開けてくれ。此方からではお手上げだ」
 今まで赤や緑の光でシャッターの状態を示していたパネルは、光を失っていた。いや、光ってはいたが、壊れて火花を散らしている。
「ロックを解除した」
 開放されたシャッターを潜り、ヴィエルジュは更に奥へ歩を進める。
「しっかし、誰も疑問に感じねぇのか?」
 ストリートエネミーが声を上げた。
「何で下水道にこんなにシャッターがあるんだってよ?」
 下水の流れを止めるような設備は必要ないんじゃないのかと、ストリートエネミーは疑問を呈す。
「いや、普段はシャッターを下ろしているんだ」
 答えたのは地区主任だった。
「普段はトレーネシティ内の浄水処理施設だけで事足りるのでシャッターを下ろしているが、何かしらの理由があって水位が上昇した場合はシャッターを開放して、他の地域の浄水施設に送水するようになっている。今回も水位の異常上昇を確認して、シャッターを随所で開放したのだが、一部シャッターがこちらからの操作に反応しなかったり、上げた筈なのに勝手に下がったりしている」
 これも管理者の異常に原因する事だろうかと、地区主任は苦い顔で頭を抱えた。
「それとは別に、未使用区画のシャッターを下ろしておけば、ホームレスが住み着くのを防ぐ効果もある」
「ああ、分かるぜそれ。雨風凌げるし、捨てられた生活物資がたまに流れ込んで来るってんで居付いちまう事があるんだよな」
 極貧時代の幼少期を思い出し、ストリートエネミーは頷いた。
「嘗て同類だったゆえ、流石に詳しいな」
「俺はホームレスじゃねぇ。確かに極貧だったけどよ、狭くてボロいながらも家はあったんだからな」
 ストリートエネミーはスラムの貧民街で幼少期を過ごした下級市民という出自であるが、ゴミを漁って暮らすような路上生活者の類ではない。だから家すらもないホームレスと同一視するなと、トラファルガーに返した。
「ともあれ、事が済んだらシャッターのメンテナンスも考えねばならないな」
 その方が利口だと、トラファルガーは地区主任に返した。
 しかしながら、管理者の動作異常が相次ぐ今となっては、シャッターを整備した所で正常な動作が可能になる保障はなかった。ユニオンが「狂って人類の生存を脅かすようになった」と主張しているとは言え、管理者はレイヤードの政治など、直接人が手を下す事以外は、例えそれが都市機能の類であったとしても、殆ど全てを統括可能な位置にある事に変わりはない。
 その気になれば、処理システムに介入し、下水道内の全シャッターを一気に下ろる事さえ有り得る話なのである。それをしないのは、下水道などよりも優先事項の高い事が存在する為であろう。その際たるものがイレギュラー・アキラ=カイドウと直美、そしてその仲間達である事は論を待つまい。
 それよりも幾分か優先順位が低いのは明確であるアストライアーは、しばしクモや蛆との遭遇がないまま進む事が出来ていた。
 今の所、怪物の存在を除けば、大問題となるであろう異変が起きているような様子は見られない。
「ここもか……」
 E195と書かれたシャッターの前で、アストライアーはまたもヴィエルジュを止めた。シャッター下部には卵が産み付けられており、しかも次々に孵化を始めている。
 暴れられる前にと、アストライアーは光波を卵塊の真ん中目掛けて飛ばし、吹き飛んだ塊をレーザーブレードの刀身で焼き払う。飛び散った卵は壁に叩きつけられて壊れたものもあったが、原形を留めたものはヴィエルジュが踏み潰した。
 卵を処理している間に、オリバーはゲートロックを解除してシャッターを上げた。ただし遮蔽が消えるや、すぐに2匹のクモが這い出してラインビームを発砲。即座にアストライアーは反撃に転じ、これを2つの残骸に加工して先に進んだ。
 シャッターの先から500メートルほどは、1匹クモが出てヴィエルジュに即座に斬られた以外、特に変哲はなかった。
 だが500メートルほど進んで、アストライアーはクモの隊列がアリよろしく行進しているのと出くわした。それぞれが大小さまざまなウジを引き摺っている。先ほど卵を貪っていた固体と併せて考えると、掃討を免れたクモは、こうしてウジを捕食して生き延びていたのだろうと、アストライアーは察した。あのウジが何の目的で生成されたかは定かではないにしても。
 だが数秒で推測は殺意へと置き換わり、生理的嫌悪感と依頼への責任感に突き動かされたアストライアーは愛機をダッシュさせ、隊列に襲い掛かった。
 戦利品を持っていた事が災いし、クモ達はヴィエルジュを察知するが、その端から次々に斬られ、叩き潰された。獲物を放棄して逃げようとしたクモもいたが、無駄な事であった。
 虐殺を終えて更に進むと、壁や床の様子が一変した。随所に弾痕が刻まれており、空の薬莢が護岸のところどころに散らばっている。
 更にクモの死体も見て取れ、何者かがここでクモと交戦した様子が窺い知れた。脚が千切れた死体となった怪物を跨ぎ越し、ヴィエルジュは更に進む。
 だが100メートルも進まないうちに、カーブの先の護岸で粗大ゴミを発見した。表面がこげてズタボロになっており、明らかに生活廃水と共に捨てられた類ではない。
 ましてや、そのゴミは逆方向に曲がった関節とガトリングガンを携えていたのである。
 そして何よりアストライアーの目に付いたのは、半分黒焦げになっていたミラージュのマークだった。
「オリバー、これが分かるか?」
 アストライアーは通信モニターを中継モードに切り替え、オリバーの元にカメラ映像を繋ぐと、暗闇から浮かび上がった残骸の様子を、余す所なく見せた。
「……行方不明になった調査隊のエピオルニスだ」
 映像を確認したオリバーは確信した。
 機体は損傷が激しく、内部に生命反応は認められない。捕食されたか爆発で死んだのかは定かではないにせよ、オリバーが懸念していた事は現実となっていた。
「他の調査隊は?」
「多分、これだろうな」
 ヴィエルジュが残骸の向こうにライトを向けると、破壊されたパワードスーツが護岸に転がっている惨状が中継された。
「そうか……懸念していた事ではあったが……」
 一呼吸の沈黙の後、オリバーは続けた。
「分かった。引き続き、怪生物の排除を頼む。もう生存してはいないだろうが……万が一にでも、調査隊を発見した場合は、必ず連絡してくれ」
 アストライアーは了解し、再び怪物の掃討に戻った。
「そっちに調査隊の成れの果てがあったか……」
 生きて発見できなかったとは言え、調査隊の末路が分かったので御の字だろうか。トラファルガーはそう、自分を納得させるよう頷いた。
「しかしアス、よく見つけられたな」
「いや……見つかって必然、と言うべきか……」
 その場から立ち去ろうとしたアストライアーだったが、しかし彼女はリアルタイムで更新されているマップを偶然目の当たりにして、一つの符合を知らされた。
 現在ヴィエルジュが佇んでいるエリアE195は、ハウスキーパーとその搭乗メイドが沈んでいた排水口が存在するE205区画の、上流域だったのである。それを知って、調査隊に加わっていたカリンや、クモの死体が下水溝に詰まっていた理由も、自ずと察する事が出来たのだった。
 恐らく調査隊を襲撃した幾らかのクモがこのE195区画で倒され、それ以前にどこかで死んだもの共々、排水口E205に流入し、詰めてしまったのだろう。そしてカリンは、化け物と対峙した経験も話を聞いた覚えも全くないまま、怖気付いて操縦ミスをやらかし、下水に沈む羽目になってしまったと。
 ただ、これはあくまでアストライアーの憶測に過ぎない。詳しい全容の解明は、カリンや生還したパワードスーツ2人の証言と、ミラージュからの発表を待つ事にして、彼女はヴィエルジュを深淵たる闇へと進ませた。


「大丈夫か?」
 大分長い事下水道を徘徊している中で、ヴィエルジュの通信モニターに、ブルーネージュの顔が現れた。攻撃手段に事欠いている友の身を案じての事だろう。
「大丈夫だ。まだ余裕がある」
 コンディション・コンソールを見ると、ヴィエルジュは随所をラインビームで焼かれた事で多少耐久性は落ちているものの、内部機構には全くダメージが及んでいない。
 右腕こそショットガン発砲不良の不具合が生じているが、剣戟主体のヴィエルジュが怪生物を相手取るに当っては、それほどマイナスではない。少なくとも、アストライアーの体感的にはそう断言しても良かった。
 小型ミサイルCWM-S40-1も、ほとんど使っていない。したがって、今回の依頼における弾薬費が軽いものとなるのは確実である。
「無理はしないでくれ。右腕から発砲出来ないとなると、4脚とタンク以外のACにとっては大きなハンディになるのだから」
「そういう貴方はどうなんだ?」
「マシンガンを半分使い果たしたが、機体はまだあまりダメージを受けていない。腕や頭が落ちたり、コアを深々と抉られたり、武器を失ったりもしていない」
 戦友が健在だと知り、アストライアーは安心した。
「何かあったら呼んでくれ。すぐそっちに向かう」
「分かった」
 通信を終えると、アストライアーは再びメインモニターに向かい合った。だが、視界内で動くものの姿はない。オリバーから言われている生き残りの調査隊も居ない。調査隊が操っていたMTの残骸が下水に沈んでいたり、無残に千切られたパワードスーツは、あの後にも発見されたのだが。
 その為、調査隊はカリンと、ストリートエネミーが発見・救出した2人を除いて全滅したものとオリバーは見ていた。
「おいトラファルガー、化け物を見たか? こっちはさっぱり見当たらないんだが」
「俺も、ここ3時間ほど見ていない」
 怪物の掃討が開始されて既に6時間が経過していたが、レイヴン達は誰一人として下水道から立ち去ろうとはしなかった。怪物たちを叩き潰し、その影が見られなくなっても尚、彼らはまだ巨大な蛆とクモがどこかに居ると見なし、担当区域内を入念に調べて回っていたのだった。
 既にダブルトリガーは全武器が弾切れしており、スタティック・マンは中型ミサイル以外打ち止めとなっていた。ミサイルはまだ最大携行弾数24発のままだが、生体センサーのないCHD-SKYEYEであるため、生物兵器をロックオン出来ないどころか、発射すらままならない有様だった。
 プレーアデスはマシンガンを撃ち尽くしているが、1発400cと弾単価が高い投擲銃は、簡単に倒せる蟲相手に使うのは惜しいと使用を自粛した結果、まだ43発を残している。MWM-S42/6の残弾は15発で、MWM-MM16/1と連動ミサイルMWEM-R/24に至ってはまだ1回も使用していない。生体センサー内蔵頭部のMHD-MM/004であれば発射可能な所だが、1発で1050cもの金が飛んでいく多弾頭ミサイルを安易に使うべきではないと判断したのだ。連動ミサイルも、クモや蛆相手に投入するまでもないと見ていた。
「だが、まだうろついているかも知れない……」
「異議なし。引き続き見て回るぜ」
 放置しておけばどうなるか分かったものでないと察した4人は、戻るとも言えず、クモや蛆が見当たらなくなってもなお、下水道内をうろついて異変の有無を確認していた。
「いや、その必要はないだろう」
 主任が突然口を開いた。
「君達の働きのおかげで、怪物たちは排除出来た。作業員を誰一人死なす事もなく、下水道も正常に機能を取り戻している。後は我が社の部隊で、下水道内の安全確認を行えば良いだろう」
 やっと仕事が終わったと察し、4人は胸を撫で下ろした。
「E04竪穴を開放する。そこから脱出し、シャッター周辺で展開している放水車にトリートメントしてもらうように。トリートメントが完了した機は、帰還して構わない」
 長期間の任務、ご苦労だったとレイヴン達を労って、オリバーは任務の成功を伝えた。
「……よし、帰ろうぜ」
 不潔な環境からの脱出を拒まぬストリートエネミーではなかった。トラファルガーも、最初はクモや蛆の出現を警戒していたが、やがて、これだけ叩き潰せば心配はないだろうと己を納得させ、脱出して行った。
「私はもう一回りしてくる」
 受けた依頼の責任からか、ブルーネージュは帰還する他のACにそう伝え、先に進んだ。
「アス、お前はどうする?」
「もう少し見て回る」
「そうか」
 精々気をつけてくれとだけ返し、トラファルガーは通信は終えた。アストライアーはすでに去った同業者を意に介さず、下水道内の巡回に回ろうと、E233と銘打たれたゲートの前にヴィエルジュを移動させる。
「ゲートを開けてくれ」
 ここだけ見たら撤収すると前置きし、アストライアーはゲート開放を要求した。
 職務規定上良いのだろうかと疑問を抱きつつも、オペレーターはコンソールを操作し、ゲートを開放する。
 すぐに隔壁は天井へと引き込まれたが、そこでアストライアーを待っていたのは怪物ではなく、真新しいポッドであった。
「……これは何だ? ミラージュが設置したものか?」
 すぐにポッドについて尋ねるアストライアー。これはオリバーの所管の内に無いので、答えるのは主任になる。
「確認してみたが、メンテナンスログにはポッドを設置したと言う記録は無い」
 主任によれば、E233区画は雨水の排水用に設けられた地下溝で、普段はポッドを持ち込むような事はしないのだと言う。仮にポッドがあったなら、それはどこかしらから流されて来た筈であり、それは雨水やヘドロ等で汚れているのが常である。
 しかし、アストライアーが見た限り、そのポッドには汚れは見当たらない。そうなれば、このポッドは誰かが何かしらの意図を以って持ち込んだ可能性が高い。
「調べてくれ」
 アストライアーは了解し、ヴィエルジュをポッドの傍らへと歩み寄らせ、注意深くライトで照らす。先ほどから照らしてはいたのだが、距離があったので文字がよくわからなかったのだ。
 しかし、近づいてもまだ文字が明瞭ではなかったので、メインモニターの映像を操作し、ポッドを拡大表示させる。
「これは……」
 アストライアーの前には、拡大された「右の髑髏と交差する骨」が描かれたマークと、「CAUTION!!」や「Chemical Weapons」と言った文字が表示されていた。
「毒ガスの類か!」
 アストライアーと主任で意見が一致するのに時間は要さなかった。
「すぐに化学部隊の派遣を要請する。アストライアー、他にも化学兵器のポッドが無いかどうか、確認してくれ」
「了解」
 とりあえずポッドの処理はミラージュ側に任せるとして、アストライアーは再び進行し始めた。あの後、主任は部隊の派遣要請とともにブルーネージュにも同様の命令を出すだろうと見て。
「ところで、この上はどこだ?」
「ちょうどトレーネ公園の真下だな、そこは」
 もしそこで化学兵器が使われたら、公園を憩いの場として訪れた者達がのた打ち回って苦しみながら死んでいく地獄絵図が展開されている事だろう。
 しかも、そうなれば犠牲者にエレノアが入る可能性が高い。何せエレノアは託児所のイベントでしばしばこの公園に行っていると言う話を聞いているからだ。
 偶然ではあるが、早期に災いの種を発見出来た事は幸いと言うほかない。
 しかし、今度は誰がこれを設置したのかと言う話になる。これについては現状では一切不明だが、もしかしたら調査で何か分かるかも知れない――そうなる事を祈りながら、アストライアーは下水溝を進み、手がかりになりそうなものを探す。
 当初警戒していた巨大な蛆虫や蜘蛛が現れる様子はなく、この区画はヴィエルジュの駆動音と水音がするだけである。とはいえ何が出てくるか分かったものではないため、警戒心は緩めるべきではなかった。
「……ポッドを発見した」
 ブルーネージュが通信モニター越しに呟いている。
「こっちも見つかった」
 アストライアーは愛機を止め、流れ込んで来ていた雨水の中で横倒しになっていたポッドを照らした。倒れてはいるが、ポッドの表記は先ほど見つけた物と全く同じだ。すぐに主任に連絡を入れる。
「ポッドを発見した」
 ブルーネージュから疑問が呈されたのはその直後であった。
「しかし、下水道に毒ガス入りのポッドを普通仕掛けるだろうか? 本来有毒ガスは空気よりも重いのが普通だ、つまり下水道に仕掛けても地上にまでは届かない」
 そもそも毒ガスは兵器として使われるものであるため、投入されるのは当然のごとく屋外がほとんどである。
 そんな中で空気より軽いガスは人を殺す前に早々に空へと昇ってしまう、つまり姿勢を低くすれば被害を最小限に抑えられると言う理由により、兵器としての殺傷力には欠く。
 反面、マスタードガスやサリンと言った無差別大量殺戮の実績がある化学兵器はすべて空気より重い性質がある。これは第1次世界大戦以来、化学兵器を研究する上での常識的な事柄として位置づけられていた。
 ブルーネージュがどこでそれを知ったのかは疑問だが、その知識を疑うアストライアーではなく、友の言葉を受け止め、己でも推測する。
「……何かに使う目的で、隠していたのかも知れんな」
 否定出来ないなとブルーネージュはうなづいたが、やはり誰が持ち込んだのか、疑問は拭えない。
「……とにかく調べてみよう」
 疑問もそこそこに、アストライアーはまた操縦に戻った。
 そうして数分進んだ先で、MTの一団がポッドを運んでいる光景に遭遇した。
「そこで何をしている!!」
 ポッドの外見が先ほど見た化学兵器入りのそれだとすぐに分かったので、アストライアーの声も自然に殺気を帯びる。しかも、そのポッドはトラック形MTの荷台に、まだ幾つも詰まれていた。
 MTはいずれも武装していなかったが、ヴィエルジュはレーザーブレードを抜刀、命令一つですぐに斬りかかる体勢をとった。
「くそっ、予想以上に早く来たぞ!!」
「畜生、ここまでか……!」
 MTパイロット達に動揺が走る。
「ま、待ってくれ! 殺さないでくれ!!」
「命乞いならクライアントに頼め。此方ヴィエルジュ、ポッドを運んでいた一団を発見。一団には降伏の意図あり。指示を請う」
 アストライアーは主任に事の次第を手早く連絡し、返答を待った。殺すかどうかは、主任の答えに掛かっている。
「……了解。部隊が来るまで逃がさないようにしてくれ」
「承知した」
 アストライアーは返答や否や、即座にMT部隊に襲い掛かってその両手両足を次々に斬り飛ばした。
「な、何をする!」
「降伏する! だからやめてくれ!」
「黙れ」
 恐怖に駆られたMT乗り達とは対照的に、女剣豪の声は冷たい。
「殺されなかっただけ有難いと思え」
 そう、アストライアーは攻撃こそしたが、あくまでも両手両足を斬り落として移動能力を奪ったに過ぎないのだ。
「貴様ら、此処で何をしようとしていた!?」
 レーザーブレードが振るわれ、光波がMTのすぐ脇を掠め飛ぶ。
「返答次第では殺すぞ」
「わ、わかったよ……」
 観念したMTパイロット達は、自分達の情報を自供し始めた。
 彼等は、反ミラージュを掲げるテロ組織「アルケミスツ」のメンバーで、この下水道をトレーネシティでのテロのための暫定拠点として用いていたと言う。だが、アストライアー達レイヴンが下水道調査のため、しかも彼等にとっては急に乗り込んできた事で、テロ用に調達した化学兵器共々脱出を図った所、アストライアーに遭遇したと言うのが事の次第である。
「レイヴン、ご苦労だった」
「後は我々に任せてくれ」
 テロ実行の予定日を半ばまで聞いた所でミラージュ部隊が到着、話は唐突に中断された。
 だが、アストライアーとしてはもう十分であった。化学兵器があった原因も判明し、テロも未然に防げたのだから。さらに、全く予定外だったながらも、テロ組織の事も断片的ながら知る事が出来たのは、ミラージュとしてもまず評価すべきことであろうとも思っていた。
「アストライアー、ひとまずご苦労だった。トリートメントを終え次第撤収してくれ」
「了解」
 後の取調べと化学兵器の始末、下水道の安全確認をミラージュに任せ、アストライアーは帰還する事にした。


「おい、アストライアーじゃねぇのか?」
 妙に軽々しい声が通信モニターから発せられた直後、トリートメントを終えたばかりのヴィエルジュの前方に、アンテナ型の頭をした細身の2脚ACが姿を現した。既に辺りは暗くなり始めていたが、ライフルと投擲銃を携えたその機影と、毒蛾のエンブレムは確認出来た。
 喋り方と機体アセンブリの記憶の上では、以前レヒト研究所で散々おちょくってくれた毒舌ランカーレイヴン・ナハトファルターとその愛機クリザリッドに一致する。
「何の冗談だ!?」
 散々小馬鹿にされた記憶が呼び覚まされるに及び、アストライアーの態度は、戦闘的かつ敵対的になった。
「ああ待て待て、今回は敵じゃないぜ。寧ろあんたにゃ感謝したいぐらいなんだからよ」
 ナハトファルターが言うとおり、ヴィエルジュのIFFはクリザリッドを味方と認識し、レーダー上でも緑色の点としてクリザリッドが表示されている。
 味方ならば刃を向ける理由はないが、それにしても鼻に付く態度は相変わらずである。
「あんた、ついにBBぶっ殺したんだってな。仲間内じゃ話題になってるぜ」
「もう済んだ事だ」
 だから何時までもグダグダ言う心算はない。アストライアーはそう、過去の自分が成した復習劇を切り捨てていた。
 今はもう、復讐に囚われている場合ではない。エレノアがいて、管理者直属の実働部隊がいて、直美と言う巨大な敵がいる。先程も、どこで作られたか全く解せぬ巨大な蟲が牙を向けて来た。最早、復讐心と憎悪による戦いは意味を成さない情勢であると察しているがゆえ、もう過去に拘ってどうすると言う認識がアストライアーの中にあったのだ。
「何だ、意外とドライだなあんたは」
 それを知らないナハトファルターは、復讐の相手をぶっ殺したんだから、もっと自慢しても良いだろうにと思っていた。
「ま、ともあれあんたがBBぶっ殺したおかげさんで、アリーナが楽しい事になったわ。顔知らないランカーがゴロゴロ出て来てるからな」
 敗北を喫した試合こそあったが、ファレーナと一緒に笑いが止まらなかったと、ナハトファルターは耳障りな笑い声を上げた。
「まあ唯一の不満点っちゃあ、ワルキューレのお姉さまが行方不明になっちまった事ぐらいか」
「全くだ」
 アストライアーがオレの言う事に同意した? ナハトファルターは一瞬驚いたが、アストライアーは性格上、常に真剣に物事に当る事は人伝で分かっていたので、言うに任せた。
 そもそも、血生臭い話題に事欠かないレイヴンの中でも、レディ・ブレーダーは非常に攻撃的な部類に入り、同じ依頼を受けた仲間さえ殺したと言う話もある。
 事実、ファナティックとファウストは、同じ依頼を受けながらもアストライアーに斬り殺された。
 そんな彼女なので、軽口ではあるが頭の回るナハトファルターとしては、変に口を挟んで斬り捨てられるマネは避けたい所であった。
「惜しい奴を失ったものだ……」
 アストライアーの呟きに、ナハトファルターは頷いた。
 BB子飼いのランカー達が出場権抹消・追放される中で、ワルキューレもまたもBBとの関係が表沙汰にされたのだが、彼女はBBとの関わりをネタに、肉体関係絡みのゴシップ記事を書かれた挙句、BB子飼いレイヴンだからと言う理由ではなく「アリーナの風紀とイメージを著しく損なう」との理由により、アリーナ出場権を抹消されたのである。
 そもそも、アストライアーにBB一派の動向を知らせるメールを寄越して以来、いつそうなったのかは不明だが、ワルキューレは生死不明となっている。BBの残党に裏切り者扱いされて殺されたとも、実働部隊との戦いで戦死したとも、台頭して来た新たなランカー達に敗れて戦死したとも言われているが、いずれも噂の域を出ない。
「まあ、BBの犬に成り下がっていた以上は擁護出来んが」
「相変わらずシビアだな、あんたは」
 だがその方がアストライアーらしいと、ナハトファルターは見ている。あくまでも冷徹で、鉄筋が入っているかのごとくブレないその姿勢が。
「で、貴様は何をしに行くつもりだ?」
 思い出したように訊ねられ、ナハトファルターは神妙な面持ちになった。
「実はだな、オレ、これからキサラギのリーヴバイオ研究所に潜入するんだよ」
 アストライアーは耳を疑った。リーヴバイオ研究所は、表向きこそ遺伝子組み換え食品の研究製造の為、様々な作物の研究を行っているのだが、その裏では密かに生物兵器を開発しているのではないかと、黒い噂も耐えない。
 今日出現したクモ型の怪物もここで作られたという説があり、去年の11月――怪物が始めて下水溝で発見されてからまもなく、キサラギが当研究所をA級軍事施設認定して厳重なセキュリティを施し、更に自社の人間さえも立ち入らせない姿勢をとっていた事で、その噂を確信めいたものとしている。
 その施設に、何でまたナハトファルターが行こうとするのかが解せない。
「何故だ?」
「ミラージュからの依頼でクモの親玉――おっと、それ以上は規定で言えねぇ。アス姐が知る権利に任せて訊くってんなら、オレは黙秘権を行使するからな」
「いや、それ以上はいい」
 ミラージュが依頼主で、しかも“潜入”と言うのなら、あとは何を依頼したか大体察しが付く。内部の爆破か機密資料の奪取とか、大体そんな所である。
「ま、BBぶっ殺してくれた礼もあるし、事が終わったら差し支えない範囲で説明してやるぜ。じゃあな!」
 せいぜい期待して待ってろよと笑うや、ナハトファルターは通信を終え、愛機と共に去って行った。
「アストライアー……」
 入れ替わりで、オリバーが通信モニターに現れた。先程の会話を聞かれていたのかと察し、アストライアーの背筋は冷たくなる。
「我が社の機密に関わる事なので、留意して欲しい」
 それが他言無用という大前提を抱えた上で、「見なかった事にしてくれ」或いは「全てを忘れて欲しい」を意味しているのかはアストライアーも分かったので、それ以上は何も聞かないことにした。まさかミラージュから消されないだろうなとも思っていたが、今のミラージュ代表がよっぽどの無能者でない限り、恐らく大丈夫であろうとすぐに結論付けた。大体、戦力不足甚だしいミラージュが、こんな程度で貴重な戦力として貢献しているであろう自分を消すとは思えない。
 客観的に見て、アストライアーが戦力貢献しているのかどうかは疑問を抱かれるかも知れないが、少なくとも当人は、恩師の勤め先と言う事で支持し、その依頼を忠実に達成しているのは確かである。
「オリバー……まだ繋いでいるか?」
「ああ」
「私は……消されないだろうな? 貴方達が抱えている特殊部隊か何かによって」
 機密に触れかかったアストライアーが、自分が消されないかどうか懸念しているのだろうとオリバーは見たが、彼は無言だった。
「おい、何とか言え」
 返事はなかった。再度呼びかけるが、やはり応答なし。
 代わりに、携帯端末が唐突に着信音を発した。こんな中に誰がメールを送りつけたのだと訝ったが、端末を開いてメールボックスを開く。
 送信者は、ミラージュとなっている。礼状か何かかと思いながら、アストライアーはメールを開いた。
<見て見ぬ振りを決め込む事にしておく。そうすれば、君が我が社に抹殺されるような心配は、少なくともする必要はないだろう>
 たったそれだけの内容のメールには、オリバー=ヴィステージの署名と、「直接通信すると傍受されてしまう可能性があるため、グローバルコーテックス経由の個人的なメールで通達するに留めた」と言う、オリバーなりの配慮を窺わせる旨が記されていた。
「そう言う事だ」
 オリバーもそれ以上は言わなかったので、アストライアーも何も言わない事にした。
「……申し訳ない」
「いや、いいんだ」
 恐らく、アンチも多いが故に夥しい数のアンチメールに悩まされている事をオリバーも知っていたのだろうが、アストライアーは別段気にしてはいなかった。
 何故ならアストライアーは、メールアドレスを一般には公開していない上、送信者非通知設定のメールは一切受け付けない設定がなされている。オリバーのメールを受け付けたのは、ミラージュからのメールは業務連絡扱いとしてフィルタリングしないよう、アストライアーが設定した為である。これはアストライアーに限らず、メール処理を煩雑と感じるレイヴンの類ならば多くが同様であるが、アストライアーは特に徹底している。
「それにしても、ナハトファルターの奴……」
 今やエレノアぐらいしか機密を抱えていないアストライアーに対し、ナハトファルターは何を買われて、重大な機密に関わるような仕事を任せられたのか、彼女には想像出来なかった。戦うだけの剣豪でしかない彼女と、知恵と実力を兼ね備えるナハトファルターとではものが違う事は分かっているにしても、長くミラージュを支持しているであろう自分と、レヒト研究所の一件で一度敵対した相手との差が気にならないアストライアーではない。
 だが、そうだとしてもナハトファルターが向かうのは、仮にもキサラギのA級軍事施設である。彼が潜入任務をどこまでこなせるかは分からないが、クレストやミラージュによる制裁を受け、さらに管理者の暴走で手痛い打撃を負っているキサラギとは言え、それなりの警備戦力を有しているのは確実である。まだ世に出ていない何かに牙を向かれる可能性も否定出来ない。
 大げさだとは言え、相手はACパーツにおいても予想の付かなかったシロモノとイロモノを多数送り出し、生物兵器の開発さえ実しやかに囁かれるキサラギである。アストライアーの知る限りの情報を総合すると、何をしでかすか分かったものじゃないと言う懸念が尽きない。
 そして、もし自分がナハトファルターと同じ立場なら、向かうのは真っ平御免だとさえ思っている。
「事が終わったら説明してやると言っていたが……」
 恐らく、二度と生きては会えそうにないだろうとアストライアーは呟いた。
「しかし、普通なら殺してやりたいと思う相手の安否を気にするとはな……」
 ふと、ナハトファルターに一瞥ながらとは言え、気遣う姿勢を取っていたことにアストライアーは気付き、苦笑した。情など捨て、BB抹殺の為に形振り構わず行動してきたはずの自分が、相手に対していつから気にするほどの姿勢を取れるようになったのか。考えるたびに、アストライアーはそんな自分が馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。
「リーヴバイオ研究所か……クモがどうこう言っていたが……」
 まあ、やつがあのクモに関して何か探って来る事を精々祈ってやるか――そう呟きながら帰途に就いたアストライアーだったが、数秒後にはナハトファルターの発言を思い浮かべ、不意にヴィエルジュを止めた。
「待てよ……あいつ、親玉がどうこう言ってたような気がする……」
 以前、ミラージュやキサラギが掃討した際、あのクモ型生命体は「詳細不明」や「現在調査中」を理由に、報道部からは詳細な言及をされなかったことを、アストライアーは思い出した。ミラージュは製造元としての疑いがなかった上、当時は企業間抗争やテロリスト排除等で四面楚歌となっていたから仕方ないにしても、あれを生み出したと言われているキサラギから何の話も聞かれないと言うのは怪しい。
「まさか、あいつ等が出てきた理由は……その“親玉”とか言うのが、どこかで生き残っていたからか……!?」
 だが、アストライアーがあの生物について知っている事は少ない。クモの親玉と言う話は聞いているが、これは掃討に当ったレイヴンが己の武勇伝としてこしらえた、単なる噂の域でしかないとして、端から信用していなかった。ニュースなり何なりの映像などで流れていた可能性はあったかもしれないが、それさえも見ていないので、クモの存在は知っているにしても、親玉の存在に関しては知らないし、話こそ聞けど確証を持つまでに至らなかったのだ。
 しかし、彼女の中で単なる噂話に過ぎないクモの親玉は、今、やけに真実味を帯びている。まさかとは思っているが、しかしながらそれが嘘偽りの類であると割り切っている――いや、願っている自分が居るのも確かだった。
 だが、もしかしたらと懸念して、アストライアーは通信回線をプレーアデスに繋いだ。
「ブルーネージュ、アストライアーだ」
 どうしたと応答があり、馴染みの戦友がモニターに現れる。
「まだ下水道にいるか?」
「いや、今脱出したばかりだ」
「で、あれからクモは見つかったか?」
「彼方此方調べて回ったんだが、見当たらなかった。ミラージュももう大丈夫だろうと判断して、私に撤収して良いと言って来た」
 テロリスト達が暫定拠点にしていたと思しき隠し武器庫は見つかったが、それ以上は特に無かったとブルーネージュは付け加えた。つまり、親玉らしい奴は見つからなかったと言う事だろう。
 既に帰って行ったストリートエネミーやトラファルガーからも、親玉が見つかった、あるいは退治したと言う話は聞いていない。
「そうか……悪かったな、つまらん事を聞いた」
 通信を終え、アストライアーは再びヴィエルジュをガレージに向かわせながら、誰にも聞こえない呟きを発した。
「親玉がまだ生きているのか? もしそうだとするならば、一体どこに? ……いやそもそも、親玉なんて本当にいたのか?」
 謎は多いが、アストライアーには何ら回答や解決策がなかった。しかも、既にミラージュからは仕事を負えたと見なされているらしく、通信は繋がらなくなっていた。下水道のシャッターも封鎖されたであろう今となっては、確かめる術もない。
 もはや、現状では完全にお手上げである。
 こうなると、アストライアーとしては、クモを作り出したと専らの評判であるキサラギの研究所から、ナハトファルターが“戦果”を持ち帰って来る事を祈るより他なかった。
「事実を知った時には、何もかもが今よりも悪化しているだろうがな……」
 怪物がまだ生きていたなどと知らぬ市民がラッシュアワーの最盛期を迎える中、アストライアーは懸念を抱えたまま、単機で帰還していった。
14/01/06 12:03更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 前編が原作のミッションである下水道調査の拡張版(ただし親玉はなし)みたいな感じだったのに対し、後半は完全にゲテモノ退治になってしまいました。
 後編で徘徊しているウジとその卵は第19話の延長ですね。さすがに卵出したのに、それの中身や産んだ奴を出さないってのはいかんだろうと。

 ちなみに、ウジは原作に登場したクモよりは弱く設定しています。何せACが踏んづけただけで倒せてしまいますから(爆)
 で、その弱い奴を、より強い生物兵器である原作のクモが捕食する……と、食物連鎖まで形成してますが、考えてみるとビーム撃つとは言え生物なので、何かしらは食しているはずだと思い、その餌としてウジを出しました。
 そのおかげで文字数がまたどえらい事になってしまい、最初は1話だけで済ます筈が、結局前後編に分割することに(それでも4万字近くになったため、不必要な分はカットするなどして調整)。

 ちなみに原案では実際の4人のほか、アデュー、ハードエッジ、テラ、ヴァッサーリンゼ、ミルキーウェイ、サンドヴァルも下水道内に登場させる予定でしたが、「下水道の調査(結果としてゲテモノ退治にはなりましたが)程度にAC10機も出す必要はないんじゃ?」と思い、結局描写をカットしました。
 ミルキーウェイが今回の依頼を拒否した描写があるのは、その名残です。

■新たな伏線?
 今回生物兵器出したのですが、終盤でナハトファルターが潜入任務と称して出撃し、下水道ではゲテモノ。しかも原作にいた親玉の姿はおらず(ちなみに、原作を順当に進めてきたACパイロット諸兄と違い、アストライアーはクモに親玉がいる事を知らない設定。今回初めて対戦したわけだから当然ではあるけど)。
 と言うことで、下水道内のゲテモノどもが出現した理由や行方については追々明かして行きます。

 しかし、直美さんと決闘間近だってのにゲテモノ再出現フラグまで立ってアス姐大変ですな(アンタのせいだろ)。

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まろやか投稿小説 Ver1.50