連載小説
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#33.外来者
 レイヤード第一層、セクション720――相次ぐ戦乱で荒れつつあったレイヤードの中でも、このアヴァロンヒルほど殺風景な場所は無いだろう。
 濃灰色の厚い雲に覆われた空の下には、草木の一本も生えていない、乾ききった茶色の大地が延々と続いている。それだけでも荒れ具合は十分なほどだったが、そんな荒涼とした大地は、更に殺伐とした印象を抱かせるアクセサリーに彩られていた。
 これまでの戦いにおいて生じた出し殻である、無数の残骸だ。
 量産型のMTの残骸もあれば、AC、戦闘機、軍事用車両、果ては管理者が操る巨大な機動兵器の残骸もある。それらには、何時こうなったのか判らないほど錆び付いたものもあれば、つい最近破壊されたものもある。損傷の程度は千差万別だ。殆ど傷付いていないものもあれば、高熱に曝されて、溶けた蝋燭のような凄まじい姿を曝しているものもある。中には白骨化した搭乗者をその内に閉じ込めているものもある。
 そんな、砂と鉄屑で彩られた死と破壊の博覧会場に、先日、新たな陳列物が加わった。レイヤード第3アリーナに暴帝として君臨していた偉大なボス・BBと、彼が駆る逆間接ACタイラントである。
 此処にこうして転がっている以上、このままの姿で、静寂に包まれた悠久の時を過ごす所であったが、突如として、その無残な鉄塊が、蒼白いACによって荒々しく踏み潰された。
 中量級2脚にしては繊細な印象を持つ、蒼白い脚部に接続された上半身は、これまた蒼白く繊細なイメージを持つが、しかしその印象には一見そぐわない、バズーカと大型のレーザーブレードを携えている。
 他でもない、その暴君を冥府に追い落とした剣豪―――ヴィエルジュである。
 ヴィエルジュの上空では、先程まで彼女を輸送していたヘリが飛行していた。アストライアーは愛機を投下させる際、わざわざタイラントの残骸の上を指定したのである。BBが死んだ今となってもまだ、彼女の中の憎しみは消えていなかったのだ。
 いや、家族を殺され、人生を滅茶苦茶にされたのだから、未だに憎しみが消えぬのも、感情論的にいえば必然である。
「また、此処にやって来ようとは――これも宿命と言うべきだろうか……」
 タイラントの残骸を愛機の足で踏み砕き、女剣士は呟いた。
「オペレーター、救難信号は?」
 感情も何も無く、ただ目的を遂行する機械兵の様に、アストライアーは通信モニターの男性に問いかける。そのネームプレートには、やはり「オリバー=ヴィステージ」の文字が見て取れる。最早彼女にとっては慣れっことなった、ミラージュの通信士。つまりオリバーの存在は、今の女剣士がミラージュの依頼を受けて出撃している事を裏付けていた。
『反応はあるが、砂嵐が酷過ぎて分からん。君のACのレーダーでも分からないだろう』
「チッ、所詮安物か」
 いつしかヴィエルジュの周囲一帯には砂嵐が発生し、荒野の大気をも錆色に染めた。だが舞い上げられた砂がレーダーに干渉、ノイズが発生し、反応が明滅する。
 そんな中、アストライアーは自らの後方に目をやった。視線の先では、ミラージュの社章を持った同型のAC輸送ヘリがホバリングし、ぶら下げられたACを次々に投下している。その中心には、ミラージュ重装型のフレームを持つACが降り立っていた。
 アストライアーには分かっていたが、そのAC部隊は、ラルフ=グローサ率いるミラージュ第5AC部隊に所属する4機のACである。以前はこの倍近い数を擁していたのだが、ここ数日の戦乱(大抵は実働部隊と、それに伴う暴動鎮圧が主だったが)により負傷者・戦死者が相次ぎ、作戦機がかなり減少していたのだ。
 しかしながら、レイヴンを雇うだけならまだしも、自社戦力を繰り出してまで捜索に当たるだけに、要救助者の存在が窺えた。ただブリーフィングでは、その回収目標は「要救助者」や「VIP」等と呼ばれ、明確な名称、即ち名前で呼ばれる事は一度も無かったのである。
 最も、アストライアーはVIPが誰なのかを聞く気にはなれなかった。聞いた結果として自分に火の粉が降りかかる可能性が十分にあったからだ。
 そうなる事は是が非でも避けたかった。以前此処に訪れた時は、復讐の為だけに戦う、生ける戦闘機械も同然の冷徹なレイヴン、例え火の粉が降りかかろうと、復讐を成し遂げればそれで良いと言う思念に満たされていた。だが今の彼女は違う。己の帰りを待つ天涯孤独の幼女――エレノア=フェルスの元に帰らねばならぬ宿命を背負っているのだ。
 だからこそ、依頼では与えられた任務を達成し、それ以上の余計な危険は避けるべきだった。いずれ来るであろう、意趣返しにやってくる連中と戦うのは仕方ないとしても。
「アス君、聞こえるか?」
 落ち着いた物腰の男性が、通信回線の向こうから話し掛けてきた。縮れた赤毛に顎鬚、グレーの瞳を有する顔が、彼が女剣士に同行するAC部隊を率いる男・ラルフ=グローサーである事を物語っていた。
「この砂嵐の中では探索が難しい。一度待機し、砂嵐が過ぎるのを待ってくれ」
「ヴィエルジュ了解、待機します」
 今回のヴィエルジュの頭部は兜を思わせるミラージュ製の戦闘型頭部MHD-RE/005ではなく、それなりのレーダー性能とマップ機能を有していたクレスト製の廉価頭部CHD-02-TIEで、これと肩に装備された、支給されたACに装備されていた軽量レーダーCRU-A10とがある程度。だが、アリーナ主体であればヴィエルジュの索敵性能に問題はなかった。
 勿論廉価パーツだけに、性能的に劣る面があるのは否めず、特に今の様な激しい砂嵐を前にしては殆ど機能しなくなってしまう。ましてや救難信号にも影響が出るほどだ、そうした中でVIPを探す事は、ラルフをして「澄み切った川に沈んだガラス片を探す様なものだ」と言わしめるほど、困難を極める。
 それを理解してか、あるいはしていないのか、ヴィエルジュの周囲にいるラルフの部下達は、砂嵐を貫こうと各々のACの頭部センサーを調整したり、レーダー画面に目を凝らしていた。


「隊長、砂嵐が弱まってます!」
 砂嵐の中で待機する事数分。ようやくレーダーコンソールからはノイズが消え、再び救難信号が探知出来る様になった。ただし反応が弱く、具体的な位置までは分からない。
「全機へ、救難信号の反応が微弱だ。散開して捜索に当たれ。範囲2000メートル四方、妨害者への接客は各自の裁量に任せる。散開!」
 ラルフが指示を発すると、彼の部下が駆るACは弾かれる様に四方へと飛び出した。程なく、ヴィエルジュも飛び出すが、彼女はラルフのACを一目すると、起動準備段階だったOBを急停止させた。
「私は貴方の護衛に回ります」
「いや、私の事は良い、君もVIPの捜索を」
「何を言うのです!? 撃破され、その後に救出する事となると面倒な事になりますが」
 ラルフは少々勿体を付けたが、結局はこの成長著しい女剣士の助言を聞き入れることとした。戦場の事については自身の豊富な経験に基づいた対処で切り抜けられる自信がある。しかし戦場では備え有れば充分、等と言う事はない。想定外の事態など、幾らでも生じる。
「分かった。援護を頼む」
 細身の中量2脚と、どっしりと構えた重量2脚が並んで進み出した。
「隊長、墜落したVIP機の残骸を確認!」
 ラルフの部下の一人から通信が入ったのは、その直後のことだった。音声通信から少々送れ、墜落したVIP機の無残な姿も通達された。銀色に近い白と、群青色のラインで彩られた機は左の主翼と機尾が折れ、満身創痍の様相を呈していた。爆発した形跡は無いが、それでも損壊した機内には、数々の乗員が遺体となって転がっている。
 すぐさま回収部隊を出すように要請が回され、同時に部下のAC2機が集まる。
「足跡は分かるか?」
「駄目です、足跡が見受けられません」
 先ほどの砂嵐か、あるいはその前後にでも起きた砂嵐か何かが足跡を消し去ったのだろうか。オリバーがそんな事を考えていた時、コンソールの反応が目に付いた。その反応に最も近いのは、女剣士とAC部隊長の両者である。しかも両者が進むにつれ、反応は強まっていた。
「隊長、救難信号の反応が若干ながら強まってます。前方に要救助者の可能性があります」
「となると、あの残骸の所まで移動した可能性があるな」
 ラルフがさらに言葉を続けようとしたその時、アストライアーの眼にパラシュートが飛び込んできた。残骸に引っかかって破れかけているが、これは生存者が居ると言うことの裏返しでもあった。それが女レイヴンの視界の中で風に、揺れている。
 ヴィエルジュは弾かれる様に飛び出し、そして跪いた。直後には、オリバーに向け、凛とした声を飛ばすのであった。
「――VIPを発見した! 座標を各機に通達しろ!」
 ヴィエルジュの頭部の先には、破壊された管理者所有の巨大機動兵器の残骸が、酸性雨に曝された石像のような無残な姿を曝していた。VIPは、その残骸と地面の間に生じていた、僅かな隙間に身を潜めていた。生き残っていた機の搭乗員達もその周囲で、身を守るようにして寄り添っている。
 アストライアーはすぐにVIP達に身元を聞き出した。彼等は自分達の存在を知っている事で身を強張らせたが、彼女がミラージュに雇われて此処に来た事、そして彼等の捜索を目的にしている事を告げると、安堵の表情を浮かべた。
「すぐに回収部隊が来る。もう少しの辛抱だ」
 自分は此処で敵を食い止める旨を伝え、アストライアーは愛機の背をVIP達に向けた。
(皮肉なものだ。嘗て私を殺しかけた敵に護衛目標を助けられるとは)
 アストライアーの脳裏に、アストライアーとBBが、此処で刃を交える前の出来事が蘇っていた。オヴィラプトルによる騙まし討ちの際、自分を思わぬ形で襲撃し、今は残骸となって動きを止めている巨大兵器を思い出したのである。
 その周囲では、破壊され、錆び付いたその姿が再び動き出す事が……そしてこの巨大な兵器がまた現れなければ良いと誰もが思っていた。
 同時に、アストライアーは謎の通信をキャッチした。
「早く代表を見つけ出せ!」
 代表――要救助者の命を狙う存在か!? VIPの護衛及び回収をラルフ達ミラージュAC部隊に頼むと、アストライアーは危険を承知でヴィエルジュを進ませる。謎の通信はオリバーも知る所だったらしく、部隊の座標が割り出され、ヴィエルジュのレーダーコンソール上にも表示されている。
 そして程なく、ヴィエルジュは目標座標に到達した。其処で彼女を出迎えたのは、ミラージュの社章が貼られた6機のMTだった。外見もミラージュのMTらしく曲線的なフォルムを有しており、首のない胴体と重量級ACの様な無骨な外見が目を引いた。その左腕にはライフルを装備している。
 だが、アストライアーの記憶にある限りでは、このMTを相手に戦った事はない。新型MTだろうか。
「貴様等……何が目的だ!?」
 アストライアーが目的を強く尋ねると、MTはヴィエルジュを敵と認識、ライフルを発砲しかかった。いくらかは被弾したが、ブーストダッシュで射撃から逃れる。
「オリバー、どう言う事だ? こいつ等は反乱分子と認識して排除しても構わないのか?」
 突然の攻撃にも、アストライアーは動じない。ミラージュ側に立って戦う事の多かった彼女は、恐らく彼等が現れる背景となるであろうミラージュの内情を知り、察する事が出来た。
 ミラージュは管理者の支配を脱し、今以上の権力拡大を望んでいるが、一方では管理者の存在はそれでも必要とみなしていた。そしてAIであるがゆえ、アクセスプログラムを介して自分達が制御出来るのではないかと考えていたのだった。ただ、管理者の力を恐れ、表立った行動が出来ないで居ただけで。
 だが、管理者の暴走によってクレストが大打撃を受けると、今後の方針を巡って幹部・役員会議は紛糾。やがて議論は、管理者を破壊・最低でも機能停止させてでも存続を図るか、今回の騒乱に乗じ、管理者を制御出来るようにし、自分達が管理すべきと言う、二つのグループに分かれた。
 その中で、今回の救助目標であるVIP――つまりミラージュの代表者は、どちらに傾くか、最後まで結論を決めかねていた。
 その事を、ミラージュのオペレーターであるオリバーが知らない筈はなく、即座にアストライアーに通信を返した――そのMTを排除せよと。
 交戦許可が出るや否や、ヴィエルジュは目前に突出していたMTに向けてショットガンを発砲した。だがMTはブーストダッシュで散弾の直撃コースから逃れ、逆にヴィエルジュにライフルを連射しかかる。ACが用いるライフルのそれと比べて熱量が高いらしく、機体温度が急激に高まっていた。
 だがアストライアーは躊躇いなくOBの起動スイッチを押し込んだ。爆発的な加速を以って肉薄したヴィエルジュがレーザーブレードを振るう。今まで幾多の相手を切り裂いた剣戟だが、MTはまたしてもブーストダッシュで後退、ライフルでヴィエルジュの装甲を穿つ。
 初めて戦う相手ではあるが、MTでありながらブーストを装備するあたり、アストライアーはこのMTが、ACに匹敵するかも知れない性能を持っている事を感じていた。撃破出来ない相手と言うわけではなく、ショットガン連打から逃げ遅れた1機の足を砕いて戦闘不能の状態に持って行く事は出来たが、ヴィエルジュに出来たのはそれまでだった。剣戟を繰り出しても、MTは持ち前の機動性で刃から逃れ、逆にライフルでヴィエルジュの装甲を確実に削りに掛かる。
 そうか、所詮ACも少しばかり高性能な兵器である事に変わりは無いんだな――目の前で、剣戟からまたしても逃れたMTの姿を目の当たりにし、アストライアーは嘗て見た、白兵戦型MTのギボンに屠られる味方機ACの姿を思い浮かべた。
 残るMTは5機。だがMTはヴィエルジュの右手側をすり抜けるように通過すると、ブーストダッシュで残骸に向けて進軍した。やはり、要救助者の始末か、或いは確保を目的とした面々と見える。
「私に背を向けるな!」
 アストライアーは一喝すると、ファイアーボタンを指先でパンチした。ショットガンが再び散弾を吐き出し、遅れていたMTの1機を背後から銃撃し、ズタズタに引き裂いた。
 だがこのMT、それまでアストライアーが戦って来たMTの何れと比較しても素早い。AC用ブースターの技術的ノウハウでも組み込まれているのか、OBを使用しなければヴィエルジュでも追いかけるのに苦労するほどのスピードだった。
 アストライアーが危惧したとおり、MTの編隊はVIPへと接近していた。だが彼等と回収部隊の周囲には既にラルフの部下達が集結しており、上空では輸送ヘリもホバリングしている。
 ラルフの部下が駆るACは既に、マシンガンやレーザーライフル等、各々が持つ武器での応戦を開始していたが、彼らの銃撃も悉くが回避されている。訓練を重ねて来たACパイロット達ですら手を焼いている様子が分かるが、そんな中でも輸送ヘリへの接近は辛うじて阻んでいるのは幸いといえた。
 ヴィエルジュはそんな中で輸送ヘリに向かっているMTの1機に目をつけた。即座にOBを起動し、要救助者を狙う不届き者を斬り捨てようと迫る。見る間に距離が縮まり、レーザーブレードの刀身の5倍ほどの間隙しかなくなった。
 すかさずブレードを振り下ろすヴィエルジュだが、MTは横飛びで剣戟を回避し、逆にヴィエルジュをライフルで銃撃し、離脱する。ショットガンで追撃するヴィエルジュだったが、またしても持ち前のスピードに振り切られ、散弾は1発も掠る事はなかった。
「作戦領域南西より敵機接近中。戦力はAC1機、以前実働部隊を指揮していたACと同一の外見だ」
「こんな所にか?」
 また奴等が来たのか。蹴散らしても蹴散らしても、連中は幾らでも湧いて出てくる。しかし、何があってこの殺風景な荒野まで出派って来たのだろうか。そう思いかけたアストライアーは、ミラージュAC部隊の面々が駆けつけたAC輸送ヘリへと急ぎ接続されている様子に思い当たった。
 実働部隊がミラージュの要人を狙って、此処まで来た事は大いに考えられる。
「隊長、VIPを連れて急ぎ撤退を! 実働部隊迎撃は私が受け持つ!!」
 ラルフからの返答を待たずして、アストライアーは危機を察し、ヴィエルジュのOBを起動して南西へと飛び出した。
「隊長! 急いで下さい!!」
 既に部下達のACは全てヘリにぶら下がっていた。アストライアーを呼び止めようとしたラルフだが、MTがなおもしつこく食い下がって銃撃を仕掛けてくるので、レッドアドミラルはMTにマシンガンを打ちかかりながら後退し、ヘリに接続する。それをさせまいと、MTはライフルとミサイルでヘリを狙い撃つが、ミサイルは部下のACの1機が射出したデコイに阻まれ、ライフル銃撃は輸送ヘリの護身目的による機銃掃射によって中断した。MT達もそれから逃れねばならないからだ。
 そしてVIPとミラージュ部隊を乗せたヘリが舞い上がり、同時に黒々としたフロートACがアストライアーの視界に入った。
「作戦は失敗だ、全機撤収せよ!」
 謎の通信と共に、MT達も全速力で離脱した。さながら軽量級ACの様なスピードでヴィエルジュを、ミラージュのAC部隊を翻弄したMT、しかもMTと言う事もあり、ACよりも数段安価で量産出来るのは明白、もしこれが量産されたとしたらどれほど厄介な相手になるのだろうか。
 だが、その考えは乱入して来たACがマシンガン銃撃を仕掛けてくるまでしか続かなかった。直ちにOBで距離を取り、回避行動を行うが、敵機は執拗に距離を詰め、マシンガンを連射して来る。
 既に恩師やVIPを乗せたヘリは離脱し、目的は達成されている。後は自分が作戦領域から離脱するだけなのだが、迎えのヘリが来るまでに果たして逃げ回れるかどうか――
 其処まで考え、アストライアーは悟った。逃げるなど絶対に無理だ、機動性の差ゆえ、こいつから逃れたとしても直ぐに追い付かれてしまう。
 嘗て見た時と同様、逸脱者排除分子――データ上でアフターペインと呼ばれているそれは、エクステンションのECMデバイスを起動し、ヴィエルジュがロックオン出来ない状態から、しかも上空を浮遊しながらマシンガンを撃ちかかる。ロックオン出来ない状況下で、しかもACが苦手とする空中からの攻撃、なるほど恐怖の対象となるわけだ。アストライアーはそんな事を考える。
 だがACは空中では回避性能が低下し、ヴィエルジュやアフターペインもまたその例外ではなかった。これ幸いとばかりに、ヴィエルジュは即座にOBで距離を離す。
 だが、アフターペインは機動性の面においてもヴィエルジュの追随を許さないほどである。直ちに地上に降り立つと、OBなしでも並外れた速力を発揮しうる現行機種最速のフロート脚部のスロットルを全開にし、ヴィエルジュを追撃。数秒もしないうちに、標的との距離は当初の3分の1以下にまで縮まっていた。
 ヴィエルジュはOBを停止していたが、僅かな間に抹殺者が再び距離を詰めに来ていたのを認識し、再びOBを起動して逃げる体勢に入る。だが既にアフターペインは攻撃可能範囲へと入っていた。いくらかの散弾に被弾しながらも、一瞬で距離を詰め、レーザーブレードを叩きつける。
 しかし、ヴィエルジュも易々と斬られるようなACではない。レーザーブレードが降られる寸前、アフターペインの右手側をOBで突っ切り、再び距離を離す。
 アフターペインとの距離を開けることに神経を傾けるアストライアーの耳に、耳慣れたローター音が響き始める。実際、左手側からはAC輸送ヘリが、ヴィエルジュを回収するべく接近していた。
 だが、今は逃げるにはあまりにもタイミングが悪すぎる。最低でも、アフターペインの火力か機動力を奪わなければ逃げる事は出来ない。しかもこのACの搭乗者にとっては、例え非武装のものであっても、遭遇する相手全てが敵。ヘリが攻撃に曝される危険もある。
 だがヘリはアフターペインに気が付かないのか、なおもヴィエルジュとの距離を縮めつつある。その間に、ヴィエルジュのレーダーコンソールから、赤い点が消失している事にアストライアーは気が付いた。アフターペインが、上腕部のECMデバイスでレーダーから姿を消しているのだと分かる。それにもし、ヘリの搭乗員が気付いていないとしたら……
「よせ! まだ来るな!」
 叫ぶアストライアーだが、アフターペインはヘリの存在を感知したに及び、アフターペインはヴィエルジュを猛スピードで追い越すと、そのヘリに向けて銃撃を仕掛ける。機銃座が次々に潰され、続いて起動したEOが、ローターに向けてエネルギーの奔流を叩き込む。
 ヴィエルジュもそうはさせんと牽制の小型ミサイルを放ち、ショットガンを発砲したが、アフターペインは全く動じなかった。ミサイルは回避され、ショットガン銃撃は距離を開けられた事で拡散し、くすぐったいシャワーに成り下がっていた。
 しかもアフターペインが離脱した時、生命線であるローターを破壊されたAC用送迎ヘリは高度を維持できなくなり、荒野のど真ん中に新たな粗大ゴミの山を作り上げる。
「ちっ……」
 回収用のヘリを破壊されるとは何と言う事か。帰還する手段を失ったアストライアーは憤った。自力でレイヤードの他セクションへと移動する事は出来るが、それまでに燃料が持つかどうかが不安でならない。しかも戦闘で消費の激しいブーストを吹かしている為、燃料も結構食っていた。第1都市区画まで帰り着けるだけの燃料があるかどうかが疑問でならない。
 だが考えるのは後でも出来る。今は、目前に現れた不気味なACを破壊しなければならなかった。
 アストライアーの眼前で、輸送ヘリを撃墜したアフターペインが再び地上へと降り立った。そして地上を滑る様に、猛烈なスピードでヴィエルジュ目掛けて突進し出した。ショットガンで迎え撃つが、マズルフラッシュの向こうで、アフターペインが左腕のブレードを構えていた事に、アストライアーは気が付いた。
 すかさずヴィエルジュを跳躍させると、アフターペインは目にも留まらぬ速さでヴィエルジュの足元を通過した。剣戟は空を斬り、蒼白い三日月形のエネルギーウェーブが荒野を過ぎる。
 致命的一撃になりかねない剣戟を回避したヴィエルジュだが、今度は実弾とEOから繰り出されるエネルギー弾、2種類の連射兵器が織り成す弾幕から逃れる事が急務となった。アフターペインは再び飛行に移り、ヴィエルジュの頭上を取ってのトップ・アタックに移行したのである。
 空中を飛行している事で莫大なエネルギーを消費してか、EOの連射は程なくして停止したが、頭上への攻撃を苦手とするACにとって、上空からの攻撃は回避しづらい厄介なものだった。
 直ぐにアストライアーはOBを起動し、愛機を弾幕から逃れさせるが、それでもアフターペインは執拗に追撃を仕掛けてくる。空中での戦いには向かないとされるフロートACだが、ECM装置でレーダーやロックオンを封じ、マシンガンを連射しつつ迫り来るその姿は、命ある者を弄び続けて天界から追われ、地獄から人間を狩るべく現れた残忍な堕天使を彷彿とさせた。それが、再び地上へと舞い降りると、猛烈なスピードでヴィエルジュへ突進を仕掛けた。即座にアストライアーは回避行動に転じるが、弾幕でたちまち装甲が削られて行く。
「アストライアー……さん?」
 冷たい女性の声がコックピットに響いたのは、そんな時だった。
 聞き覚えのある声だが、アストライアーから言わせれば、今は恐ろしいまでに厄介なアフターペインに対処するべく恐ろしいまでの集中力を傾けていた為、それに反論する余裕は微塵もなかった。
「そのACを破壊するつもりなら答えて。協力するから」
 援軍か? それとも――だがアストライアーが考える間に、アフターペインはブレードを振りかざして肉薄していた。誰かは存じぬが、最早交信する猶予もない。このままでは斬首刑か、コアに風穴を開けられて死にかねない。
 咄嗟に、ヴィエルジュはブレードを構えながら跳躍した。同時に、アフターペインも僅かばかり浮遊し、FCSによるブレード補正を頼りにヴィエルジュに刃を滑り込ませた。同時にヴィエルジュの刃が振り下ろされ、太刀筋が交差、2機のACはブレードを互いに打ちつけたままの姿勢で、相手を推力任せに押し込もうとブーストを吹かす。
「誰だか知らんが交信している暇は無い!」
 通信を冷たく一喝すると、アストライアーは敵の剣戟を受け流すべく愛機を動かす。まずヴィエルジュが相手の向かって右側へ身体を傾け、ブレードを振り下ろそうとしたまま動きを止めている左腕をそのまま固定しながら、ヴィエルジュを移動させる。敵機はブレードを振りぬくが、ヴィエルジュに抑えられた光剣が支点となり、前面へと押し出された。
 アフターペインも逃がしてなる者かと、即座にEOを起動し、剣戟を受け流して側面に逃れたヴィエルジュを狙うが直後、そのEOに火線が突き刺さった。一秒もたたずして、今度はコア後方に3つの銃創が新たに刻まれる。
 間髪居れず、白とグレーで着色された中量2脚ACが突進するように蒼白い火花を弾けさせ、アフターペインを突き飛ばした。続いて、チェインガンの猛連打でアフターペインの右腕を砕く青いACの姿も飛び込んで来た。
 コアを中心とした各所が少々破損しているものの、この蒼いACの姿は見覚えがあった。他でもない、嘗て自分を幾度も敗北に追い込んだACであったからだ。天使の白い翼と悪魔の黒い翼が、何か光るものを包んでいるようなエンブレムがその証明であった。
「……アキラ!?」
 そして、蒼いACルキファーである以上、白いACはヴァージニティーであることと、先程の声の主が直美であることを、アストライアーは即座に悟った。通信モニターに映し出された、これまでに何度も目にして来た翡翠色の髪の女の姿が、それを証明していた。ただ戦闘中と言う事もあるのか、その顔は冷たく、アストライアーや生前のファナティックの如き冷たさを漂わせていた。
 何故、此処に居る――それが率直な感想だった。
「ユニオンから、エグザイル――そいつを抹殺しろと言われている」
 アキラの一言で全ての説明が付いた。アキラと直美が此処に居る理由も、アストライアーに飛ばして来た通信の真意も。同時に逸脱者排除分子が、彼等からエグザイルと呼ばれていることも。
 その間にもアフターペインは敵機を葬らんと迫っていた。だが下半身のフロートユニットはヴァージニティーの剣戟で損傷し、左腕もルキファーのチェインガンで半壊させられており、EOも撃たれて機能停止している。マシンガンも弾切れしたのだろうか、その銃口からは一発の弾丸も飛び出さない。それでもアフターペインは戦う意志を捨てず、半壊状態のレーザーブレードを突き刺そうと腕を引く。しかし停止したフロートユニットを引き摺るように、緩慢に迫るその様子は明らかに悪足掻き、このACに対して抵抗出来る力は残っていなかった。
「さよなら」
 それだけ呟くと、直美はヴァージニティーを高々と跳躍させ、アフターペインをロックオン。同時に上腕部の連動ミサイルランチャーが開放される。次の瞬間には、肩と上腕部のミサイルポッドから合計5発のミサイルが飛び出した。ルキファーのチェインガン連射もそれに続く。
 回避運動もむなしく、機動性の源である下半身のフロートユニットを破壊されたアフターペインは回避する事もままならず、チェインガンとミサイルを浴びる。ヴィエルジュとの戦闘で弱っていたコアの装甲深くを穿たれ、コクピットまでも撃たれた事で戦闘不能になった。レイヤードを席巻した恐怖の存在が迎えた、それにしては随分あっさりとした最期だった。
「直美さん! アキラさん!!」
 マゼンタと緑褐色のツートンカラーをした中量2脚ACが駆け寄って来たのは、アフターペインが動きを止めて程なくしての事だった。帯を纏った林檎のエンブレムから、アップルボーイが操るエスペランザである事はすぐに分かった。以前共闘したシューメーカーのシルバーウルフも、所々傷付き煤けていたが付いて来ていた。更に、スネークウッド操るゲートウェイも姿を見せる。
 シルバーウルフのアセンブリは以前と大差がなかったが、ゲートウェイのアセンブリからは、以前の貧弱さは微塵も見られなかった。逆間接型の脚部には、地上魚雷型武器腕ミサイルに、小型ミサイルとデュアルミサイルを満載していたのだ。
 以前、テラから聞いた話は嘘ではなかったようだ。
「こっちも片付きましたよ!」
 エスペランザ達が現れた方向へと、アストライアーはヴィエルジュの頭部を向ける。先程は気にする猶予も無かったために分からなかったが、散らばっていた残骸から黒煙が立ち上っている。その中には、おぞましいほどに見慣れた円柱形の頭部と無機質な六角形のエンブレムを持つACが、バラバラにされた状態で転がっていた。先程まで実働部隊ACと交戦していた様子が窺えた。
「……久しぶり、ですね」
 以前、共闘した事のあるACの姿を見つけ、シューメーカーが話し掛けて来た。アストライアーは無言で頷くのみだったが。この場に居合わせた面々はアキラや直美と共闘していたのかと、アストライアーは察する。オリバーも恐らくはこの事に気が付いていたかも知れない。それを伝えなかったのは、彼はこの場に展開し、実働部隊と戦っていたACが敵機ではないと判断し、告げるまでも無かったと判断したのだろうとアストライアーは推測したが、一方では彼等が居たならば、そう説明してくれれば良いとも感じた。
 いや、止めよう。幾ら考えを巡らせたところで、最早済んだ事だ。アストライアーは考えの一切を振り払った。
 その間にも直美とアキラの僚機が続々と集まっていた。中にはアストライアーがこれまで見た事もない様なアセンブリのACも混じっている。他のアリーナにも参戦していない、依頼しか受けないミッション・レイヴンの機体だろう。
 いずれにしても、この場に居合わせる面々は管理者戦力と戦っていた面子だろう。よって、これから行う余興には丁度良いか――アストライアーは動きを止めたアフターペインを一瞥し、次いでルキファーとヴァージニティー、その周囲に集まっていた他のAC達へと視線を投げる。
「さて……」
 残骸となったアフターペインに向け、アストライアーはヴィエルジュを進ませた。アキラと直美、そして僚機パイロット達は、その様子を静かに見詰めるだけ。誰もアフターペインに近寄ろうとはしない。
「後学の為に、こいつの面でも拝むとするか」
 最早動く事のないアフターペインの前面にヴィエルジュを移動させると、女剣士は蒼白い光の刃を突き刺し、コア前面の装甲を引き剥がした。勿論、コックピットブロックまで破壊しない程度に、レーザーブレードの出力は調整した。
 蒼白い刃の一発で、軽量級コアの装甲は大きく引き剥がされたが、まだコックピットブロックは露出していなかった。すかさずアストライアーは次の行動をヴィエルジュに命じる。蒼白い刃をコアの傷に再び突き立て、熱で装甲を融解させ始めた。
 基本的に搭乗者の防御の為、コックピットブロックの装甲は薄いながらも強靭な素材を用いている。ACの装甲に用いられる複合素材よりも、融点が高い事もそれを裏付けていた。
 程なくコックピットブロックは剥き出しとなり、ヴィエルジュはコックピットを保護する装甲を左手で掴むと、オレンジの皮を剥く様にして引き剥がした。
 その場に居合わせた一同は息を呑んだ。一切の情報が謎に包まれていた、逸脱者排除分子エグザイルの姿が、もうすぐ分かるのだ。果たしてどの様な容姿をしているのだろうか。歴戦の傭兵らしい武人か、はたまた美しい青年か。この場に居合わせたレイヴン達の何れもが、その正体を想像していた。
 だが、彼等の機体は思わぬ形となって裏切られた。何故ならアストライアーが、そして他のレイヴン達が、愛機のメインモニターを介してコクピットの内部を見てみると、リアシートが取り払われたコックピットの中では、半壊状態の機械が痙攣したように震え、鈍い音と煙、そして火花を発していた。
 さらにコンピューターらしき物を良く見ると、その上部に半球体上の何かが接続されている。アストライアーが見た形としては、それはケースに入った人間の脳髄そのものだった。脳髄を保護するケースはひび割れ、恐らくはリンゲル溶液だろうか――何かしらの液体がコックピットブロック内に漏れ出していた。
「……多分、かつては人間だったみたいね」
 直美の呟きを聞いていたかのように、壊れた機械は火を噴くと、それきり活動を停止した。


 幸いにも、直美の一存でヴィエルジュは輸送機内に搭載して貰う事が出来た為、アストライアーは愛機諸共、そのままトレーネシティ上空まで輸送してもらう事になった。
 輸送機としてはかなりオーバーサイズなこの機体は、ACをそのカーゴ内に6機収めて飛行していた。危険なほどの過積載状態だったが、この巨躯はその重さなど意に介さないかのように、またその積載能力の高さを暗黙の内に示すかのごとく、全く危な気なく飛行していた。
 その、空中戦艦の如き巨体の中で、アストライアーは一度ヴィエルジュから降り、他のレイヴン達と同様に人間が集まるスペースへと集まっていた。
 そこで、おそらくは実働部隊との戦いで負傷したアキラは、パイロットスーツの裾の部分を捲り上げ、傷口を直美と、以前BBのアジトで見た、蒼い髪をした正体の知れぬ幼い顔立ちの女性に見せていた。
 その、蒼い髪の女性は、携帯していた応急手当てキットだろうか、そこからピンセットを取り出してアキラの傷口を見ており、傷口に刺さった破片をピンセットで摘んで取り外していた。
 破片が取り去られ、傷口が露わになった際、アストライアーは見た。赤黒い体組織の下に、筋肉に相当するのだろう、相互に連動する機械部品が見えていた。機械部品は紅く染まっていたが、傷口からの出血は殆ど無かった。
 直美がパイロットスーツの上部コートを脱がすと、右腕の彼方此方が破片で切れ、一部は皮膚が剥れて内部機構が露わになっていたのが露になった。その内部機構にも、人工的に作られた筋肉の様な部分が見え隠れしていた。
 それはまるで、墓場から這い出してきたゾンビと電子機器を異種交配させたような印象だった。
 そのアキラは、苦痛や驚愕の色を露ほども浮かべず、全くの無表情を保っていた。自分には一滴の血も流れていないと顔に描かれているようである。勿論、その場に居合わせた誰もが、アキラには血が流れていない事を深く印象付けていた。実際傷口からは、人間の組織を除けば機械しか見えなかった。
 アキラ=カイドウは外見こそ中性的な美青年だったが、内部は機械仕掛けの戦う人形であった。
「この世界の人間とは思えないな」
 たまたま居合わせた輸送機のクルーが呟く。
 アキラの傷口から見える機械は、サイバネティクス工学の産物か、あるいは全く別の世界の技術かは知らないが、筋肉の腱をそのまま人工の部品に置き換えた様な印象がある。機械部品をはめ込んだ、と言うよりは、まるで体組織が人工物化したというような、そんな感じだ。
「実際、わたしもアキラさんもここの人間じゃないわ」
 直美の呟きに、クルーは即座に絶句した。
「まあ、あなたは仕方ないかも知れないけどね……アストライアーさんは知ってると思うけど」
 クルーの視線がアストライアーに向いた。知って居るのかと聞いているのだ。
 女剣士は何も言わなかったが、頷いた。
 それの根拠となるのは、今から3週間ほど前――BB落命後、ロイヤルミストがリンチで殺害される数日前に受けた依頼を終えての帰途での事だった。


 その時アストライアーは、ブルーネージュを伴ってレイヤード第2層・特殊実験区で戦っていた。ミラージュの研究所に現れた管理者所有の機動兵器を制圧せよとの依頼を受けていたからだ。
 標的となる機動兵器は、蜘蛛の様なフォルムをした8本足の機動兵器で、腹部がミサイルランチャーとプラズマキャノンが一体化した兵器チャンバーとなっているものだった。脚部に強化スプリングでも装備されているのか、まるでバッタの様に研究所内をトリッキーに飛び跳ね、満載された各種武器類による攻撃を得意としていた。しかもそれが4機一組となって現れたのである。
 しかし、アキラや直美は勿論、ロイヤルミストやアストライアー等の有力なレイヴン達が計8名借り出され、そのうちカイザーとヴィエルジュが4機の機動兵器の編隊を突破、続けて突撃を仕掛けたプレーアデス以下のACによって機動兵器の編隊は分断され、結局はレイヴン達に取り囲まれた末に各個撃破された。
 ヴィエルジュは突破の際に右腕と左足を失ったが、幸いにも回収されてそのままガレージまで送り届けられた。その途上、アストライアーはアキラと直美が隠していた素性を知る事となったのである。
「……俺から一言言いたい」
 その切っ掛けは、依頼先で負傷し、機械的な身体を露呈したアキラが手当てされている中でロイヤルミストが発したこの一言だった。
「……何故お前等にはベーシックIDが無い?」
「ベーシックID? 何だそれは?」
 レイヤードの住人ならば誰もが持っているベーシックについて、まるで他人事の様な態度をとるアキラと直美から、ロイヤルミストは自分を見下しているとも受け取られかねない、意図的な悪意を感じとり、それを瞬時に怒りへと変容させた。
「貴様……ふざけるなよ!!」
「落ち着け!」
 激昂するロイヤルミストを宥めようとするシューメーカーだが、彼の怒りは収まらない。
「よくそんな台詞をぬけぬけと吐けるな! 知らんとは言わせんぞ!」
「いや、本当に知らぬのだ」
 続いて、アキラは衝撃的なことを口走った。周囲のレイヴン達――いや、この場に合わせた人間全てを沈黙させるには十分過ぎる一言を。
「……何故なら、私はレイヤードの人間ではないからだ」
 誰もが沈黙し絶句した。同時に誰もが、アキラの言っている事が本当なのかと疑念を抱いた。
「レイヤードの人間ではない!? 何を言っている?」
「試しに後で基本台帳ネットワークとか、住民管理データバンクなどにアクセスしてみれば良いわ。多分どこからも、わたしとアキラのデータは見つからないと思うから」
「既に俺はアクセスしたが、『データ未発見』の連続だった」
 既にロイヤルミストにアクセスされていたと知った直美は微笑んだ。それ見た事かといわんばかりに。だがロイヤルミストが、まだそれを信じようとしないのは明らかだった。彼はまだ、アキラと直美がレイヤードの住人で、何らかの方法で身分を隠している程度に過ぎないと考えていたのだ。
 あまりにも現実離れした一言と、己のプライド、そして相手への懐疑心とで半分錯乱状態となりつつあったロイヤルミストを他所に、アストライアーと同行していたブルーネージュが問いかける。
「君達がレイヤードの人間ではないとしたら……地上の人間か!?」
「そう思ってくれれば良い」
 アキラの言っている事が事実だとするならば、どうやってレイヤードに入り込んでいたかが気になる所であった。レイヤードは管理者による絶対的支配体制の下、地上に通じる移民時代のゲートは硬く閉ざされ、現在までそれが開かれたと言う話は殆ど聞かない。
 最も、開かれた所でそこに寄り付こうと言う人間は皆無だった。地上へのゲートが開いた所で、出て行ったとしても意味は無い。地上は汚染された死の大地になっている―――レイヤードの人々は、それを信じて疑わなかった。何故なら、自分達が暮らす世界よりも千メートル上の世界を、死に絶えた大地に変貌させた大厄災を引き起こしたのは、他でもない、自分達の先祖たる人類だったからだ。
 そんな中で、アストライアーの脳裏には、かつて起こった「ある事件」が浮かんでいた。
「……思い出した。何ヶ月か前に地上へのゲート近くで、ユニオンによる爆破騒ぎがあったが」
 親友のその一言で、ブルーネージュは事態を察し、他のレイヴンたちもそれを思い出してか、一斉に視線をアキラと直美に向ける。レイヴン達の視線の先で、銀髪の戦士が徐に口を開いた。
「その“まさか”とは言っておく……他に考えられるか?」
 その場に居たレイヤードのレイヴン全員が、再び沈黙した。
「では何故此処に!?」
「地上でわたし達が活動していた頃に、ユニオンのエージェントを名乗る人から依頼を持ちかけられたの。『複合地下都市(勿論レイヤードの事)に侵入し、AI管理機構を破壊して欲しい』って――」
 直美はその際、レイヤードから脱出する人間を送り出したり迎え入れたりするブローカーを介し、ゲートを一時的にハッキングして貰い、開いた所を侵入したとも付け加えた。


 これが、当時聞いた覚えのあるアキラと直美の、最も衝撃的な(そして、恐らくは二人にとって最も重要な)背景であった。聞いた当時は衝撃的な事実であったが、しかし今までに目にしたアキラと直美の、この世界の住人とは思えぬ印象を考えれば、地上から現れたと言う彼らの話も、納得が行かない訳ではなかった。
 しかしながら、既に地上の人間にはレイヤードの存在は知られていたのだろうかとアストライアーは考えた。レイヤードを脱出した人間がいる事はこれで分かったが、しかし脱出する事で何のメリットがあるとは思えなかった事から、脱出した人間が極少である事は知れなかった筈。
 それに幾ら地上に人間が居るとは言え、レイヤードを脱出してすぐ先に街が広がっているわけでもないだろう。そして地上に脱出したユニオンの人間がどこに行ったのか、そしてアキラと直美が居を構えていたと言う地上の都市の位置などは、その話の中からは察する事が出来なかった。
 ここまで考え、アストライアーはアキラと直美が、地上に存在する未知のバクテリアやウィルス、あるいは毒素を持ち込んでいるのではと警戒しだしたのだ。機械であるアキラはバクテリア程度には感染しないだろうし、地上から来たという直美はそれに対して耐性を持っている事は明白だろうが、レイヤードと言う閉ざされた世界の人間はそうも行かない筈だ。どれ位前かは覚えていないが、地下遺跡において、休眠状態だった地上のバクテリアに感染して黄熱病で倒れた人間が出た事で、一時期「呪いだ」と騒がれたと言う話を聞いていた事も、その根拠となっていた。
 しかし、直美とアキラと長らく行動を共にしていた事で知られるアップルボーイやシューメーカー、スネークウッドと言った人間が平気で振舞っている辺り、それは考えすぎかとアストライアーは思い至った。
 アストライアーが詮索に耽る中で、クルーは理解と予想を超えた話に思考が麻痺していたが、その隣に居るシューメーカーとアップルボーイの両名は、特に驚いた様子も見せなかった。
「……驚かないのか?」
「既に僕達は知ってるので」
 アップルボーイとシューメーカーは、これまでに何度もあのイレギュラーと共闘する機会があり、その時に知ったのだと言う。
「当初は嘘かな、とは思ってたんですけど」
 それはそうだろうとアストライアーは返す。イレギュラーと言う地点で疑問と疑念と疑惑を抱かれる立場の上、地上から来た人間と言う地点でおおよその人間の理解の範囲は超えているだろう。しかもユニオンが地上に脱出しているとまでも言うのだから、最早理解の範疇からは逸脱し過ぎている。二人の言う事を認める、認めない以前の問題だ。全てが地下に閉ざされ、管理されているレイヤード内においては、頭がオカシイ、危険思想を抱えていると一方的な烙印を押されるのも無理はない。
 その時、コックピットから後ろを振り返り、操縦士が大声で言った。
「もうすぐトレーネシティ上空だ」
 アキラの傷口の応急手当――彼は機械だから応急修理と読んだ方が妥当だろうか――が済んだのか、直美がアストライアーに向いた。
「そろそろあなたのホームタウンね。降りる準備を」
 アストライアーは了解し、急ぎヴィエルジュへと駆け出す。
「……また、会えると良いわね」
 去り際に聞こえた直美の呟きは、アストライアーにまでは届かなかった。
 程なく輸送機後部のハッチが開放され、ヴィエルジュが依頼に出撃する時と同様にしてハッチから飛び出す。眼下にはトレーネシティの町並みが広がり、黄昏時の地上では車のヘッドライトとテールライトが行き交う。そこに降り立たないよう、ヴィエルジュは減速しながらゆっくりとビルの上へと降り立つ。頭上では、ヴィエルジュを投下した輸送機が速力を上げ、この場を離脱していく。
「直美……アキラ……」
 アストライアーは去り行く輸送機に向けて、発した。
「この世界を――貴様等はどうしたいんだ?」
 当然ながらその疑問に答える者は誰もいない。先程自分と、その愛機を投下した輸送機の機影は次第に小さくなり、やがて消えた。しかしアストライアーは、あの謎多きイレギュラーと戦場で再会する事はそう遠い事ではないかも知れないと感じていた。あの二人が何を以って、管理者を敵に回す道を選んだのか、そして無法者でしかないはずのレイヴン達をいかにして従えたのか、関心は尽きない。
 だが、それを知るのが恐ろしく感じられるのも事実だった。嘗て、アキラの行動を目の当たりにし、それに基づいて対処をした筈だが、結果としてそれが再び敗戦に繋がった――敵を知る事で、逆に新たな恐怖を感じ、それが更なる失敗に連鎖するのではないかと、女剣士は疑い、畏怖していた。
 アストライアーは自分の中で、イレギュラーへの些細な好奇心と底知れぬ恐怖心とが、秤の上で微妙なバランスでの均衡を取っているなと感じていた。果たしてそれがどちらに傾くのか、そして傾いた先で、イレギュラーは一体何をするのだろうか。
 兎に角、あのイレギュラーについて彼女が知っている事はあまりにも少なかった。二人の素性や、居を構えていると言う地上の都市はもちろん、地上の今の状態すら、現時点では明らかになっていないのだから。
12/04/28 15:00更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 今回は何のことはないVIP救出、エグザイル戦に続いて、アキラと直美さんの正体が断片的に語られるエピソードです。そして第6話の「地上へのゲートうんぬん」の真相でもあります。
 つまり、あの2人はこの時にレイヤードに来た訳ですね。
 ちなみにレイヤードを脱出した人間は本作独自の設定です。ただ脱出したから何という突っ込みはなしで…(それかい)

 思えば、初披露からこの伏線回収するのにどんだけかかったんだか……(汗)

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まろやか投稿小説 Ver1.50