連載小説
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#32.暴君の消えたアリーナ
 6月12日、とある一つのニュースがレイヴン達の間を駆け抜けた。
 ニュースの内容自体は大した事がない。単に、一人のレイヴンが戦場に倒れた事を報じる程度でしかなかったのだから。本来、ACに乗れねば社会不適応者として野垂れ死にする立場のレイヴンが一人倒れた所で、それが大々的に報じられる事はない。
 しかし、今回戦場に倒れたレイヴンの存在は極めて大きく、それ故スポーツ紙の紙面はおろか、一般紙の記事の一部に死亡記事が載るほどの存在だった。当然、その紙面がレイヴン達に与えた影響は計り知れなかった。
 何故ならそれは、レイヤード第3アリーナに8年間に渡って君臨し続けた暴君――BBの死亡記事だったからである。
 彼を破滅させた女剣士――アストライアーにも当然取材の手は及んだ。
 しかし、彼女は沈黙を守り続け、一切の情報を割る事はなかった。BBへの復讐の為アリーナに参戦した彼女が何も語らなかった事で、「誰が暴君を倒したのか」が話題となり、それを探る番組までが組まれたほどだった。
 勿論、真っ先に話題に上げられたのはアストライアーだった。その根拠となったのは、タイラントとヴィエルジュの戦い――エースが諦観していたあの戦いが、恐らくはメタルスフィアの仕業であろうが、ネットの動画投稿サイトに上げられていたのである。その為、アストライアーがBBを殺したと言う説は、決定的でこそなかったものの、有力視されていた。「決定的」に留まったのは、この件についてもアストライアーは一切コメントをしていなかったからである。度重なる取材にも、アストライアーは徹底して無言を貫き、真実を一切語ろうとはしなかった。
 結局、番組では「レイヤード第3アリーナに君臨し続けた暴君にはそれなりに敵も多かっただろうし、真犯人の特定は出来ない」と、半ば結論を投げ出す形で議論が終了してしまった。ネット上でもまた然りで、他のアリーナのトップランカーから下位ランクを低迷する無名のレイヴン、実働部隊、果てはまだ名前も公になっていない者の仕業とまで、様々な推測がなされたが、いずれも仮説・憶測の域を出なかった。
 ネットの匿名掲示板でも、BBを殺したものを推理した挙句に叩いたり、ランキングがどう変化するかを予想する書き込みが相次いだ。
 しかし最も多かったのは、やはり暴君のアリーナ支配に対する報いや因果応報、自業自得だと批判する趣旨の書き込みであった。と言うのも、BBと、ロイヤルミストに代表されるBBの取り巻き達が、ネット上での火消しに躍起になっているとの疑惑があり、不正に付いて言及があったブログや掲示板が悉く荒らされた事で、それは真実味を帯びた噂として囁かれていたのだった。
 その為かBBとその取り巻きはネット上でもかなり嫌われており、殺された暴君に対して哀悼を示す者は、少なくともアリーナファンが集う掲示板やブログの類に置いては、殆ど居なかった。
 レイヴン達の間でも、第3アリーナを牛耳る絶対的存在が消えた事で、当アリーナは確実に変容を迎えていた。絶対者が消えた事で、BBがもたらした絶対的支配体制を守ろうとし、それに縋ろうとランカーと、彼等に取って代わるべく成り上がろうとするランカー達の間に、激しい火花が散る事となったからだ。
 そして、復讐を終えたアストライアーも、Bランカーという地位ゆえ、否応無くそれに巻き込まれていたのだった。


「流石に、素早いな……」
 ヴィエルジュが天を仰ぐ先で、対戦相手であるハンターフライが操る、紺色と青紫のツートンで塗装された逆間接ACが飛び回っていた。それがランサーバグと名付けられている事も、復讐を成し遂げたあの日、エースが連れていた仲間が搭乗者である事も、アストライアーは知っている。
 ランサーバグは軽量級逆関節CLB-SOLIDをベースとし、緑色のモノアイを光らせる頭部CHD-02-TIE、軽量級EOコアMCL-SS/ORCA、軽量ながらエネルギー防御に優れる腕部MAL-GALEと、かなり軽量のフレームで構成されている。武装も、ハンドガンMWG-MG/100に投擲銃KWG-HZL50、連動ミサイルMWEM-R/24が付属した小型ミサイルCWM-S60-10と、それまでアリーナに居座っていたBB派閥ランカー達がウソの様な軽装備である。
 そのランサーバグは、マシンガンを連射すると同時にブースターで減速、左右に機体を振りながら着地すると、今度は軽妙な動きで跳ね回りながらハンドガンを連射し、EOからエネルギー弾を連射し始めた。回避に徹するも、被弾が重なりつつあるヴィエルジュの装甲が、更に削り落とされていく。レーダーがへし折られたが、強化人間である彼女にはさして影響はない。
 ただし、その代わりヴィエルジュの攻撃も殆ど当らない。剣戟は届かず、距離を取られている今となっては、ショットガンも威力を発揮し得ない。
「名前通り、ハエみたいな奴だ……」
 呟きが聞こえたのか、ハンターフライから通信が帰ってくる。彼の言葉はかなり落ち着いた感じで、節々に知的な印象が漂っていた。
「……そう怒らないでくれ、エースさんとお前には感謝してるんだ。この薄汚いアリーナに蔓延っていたガン細胞を消してくれたのだから」
「だが、エースが第2のBBにならないとは限らない」
 牽制のミサイルを放つヴィエルジュだが、敵機は空中での円を描く様な機動で、殆どのミサイルを回避してのけていた。単発のミサイルなど、逆関節タイプとは言え高機動型であるランサーバグにとっては、回避するなど雑作も無い事であったのだ。
 ならばと再度ショットガンを発砲しかかるが、散弾は全く届かない。
「だがそれでも、俺はエースさんを信じる。そして、彼がこの腐れたアリーナを立ち直らせる原動力になる筈だ!」
 刹那、ヴィエルジュに向けて4発のミサイルが繰り出された。だがアストライアーも反応は早い。ヴィエルジュを突っ切らせてランサーバグの股下を潜る。ミサイルはヴィエルジュを追ったが、床に着弾した。
「どうせあいつも同じ事だ。このアリーナは何時もそうだったのだから」
 ヴィエルジュは急旋回から、ショットガンで再び反撃を試みる。
 アストライアーはメタルスフィアから聞いていたが、そもそもBBが君臨する以前から、レイヤード第3アリーナでは幾度もランカー間の派閥抗争が続いている。その中で最も有名なのが、現在第3アリーナに君臨するトップランカーであるアキラ=カイドウから数えて5代前となるトップランカーにして、「ダイナスト(覇王)」の異名で恐れられて来た嘗てのイレギュラー――デスレナードであった。
 レイヤード第3アリーナの頂点に君臨した彼は、その後自らの力を絶対的なものとするべく、BBが行ってきたものと同様、或いはそれよりも極端な支配体制を確立し、実に16年間に渡ってアリーナに君臨、その間、自分に好意的な者を上位に置き、それ以外の自分の地位を狙うランカー達を、さらにはそのファンまでも徹底的なまでに弾圧したその姿勢から、「アリーナの私有化」「専制政治」等と批判されていた。
 そして、そんな彼の最後は無残なものだった。BBが生きていれば、恐らく戦慄していた事だろう。何故なら彼は、抑圧して来た16名ものランカーによってリンチで殺害された挙句、広場に遺体が吊るされたのである。しかも愛人の女性ランカーや彼のレイヴン仲間も、並んで惨殺された。
 それ以後、レイヤード第3アリーナでは派閥主義や実力に拠らない権力闘争が蔓延り、それがデスレナードから数えて6代目となるトップランカー、アキラ=カイドウが君臨する今に至るまで続いている。とは言え、アキラは派閥を持っていないトップランカーではあるが。
 派閥が無い、とは言うが、ユニオンが秘密裏にキサラギの資金援助を受けていた様に、どこかの勢力やレイヴン達と関係を持っている事は大いに考えられた。
 そして、アストライアーはエースも同様の野望を企ててトップランカーに再び舞い戻ろうとしているのではと、疑念の目を向けているのだ。
 しかしながら、エースがBB抹殺を考えたのは、自身に挑戦するに値するであろう有望なランカー達をBBが抑圧して来た為であり、BBと違ってアリーナの頂点を私物化しようと言う意思はない。
 アリーナの頂点ではなく、あくまでも自身のまだ見ぬ力を追求するべく戦う彼が望んでいるものは、莫大なファイトマネーとその独占よりも、実力的に優れたランカー達の到来だった。だからこそアリーナの綱紀粛正を計画していた訳だが、しかしアストライアーは、BBとの決戦の際にその確固たるエースの意思を知ったにもかかわらず、まだ疑いの目を向けていたのである。
 他でもない、BBやデスレナードが、莫大なファイトマネーを目当てに権力闘争を展開した事実が、アストライアーに疑惑を生じさせていた。
「あの人なら、この腐れたアリーナを立ち直らせてくれるはずだ!」
「貴様……エースに利用されるだけ利用されて終わりかも知れんぞ?」
「利用? 俺は構わない! 腐れたアリーナの粛正の為、喜んで力を貸すまで!」
 アストライアーは感じていた。言っても聞かない部分は、嘗ての私と同じだなと。そして、彼がそうまで言うのなら、自分が彼に対して言うべき事は最早あるまい。
「これ以上話すだけ時間の無駄か」
 ハンターフライの意志の強さを確認すると、アストライアーは敵機着地後、連続で繰り出されるハンドガンと投擲銃、EOの連続攻撃を回避しながら、再び牽制のミサイルを放つ。だがミサイルは素直な機動でコアに向かったのが災いし、ランサーバグの驚異的跳躍力によってあっけなく回避された。
 ミサイルが外れる中、EOの多用でコンデンサが尽きかけたランサーバグが再び降下、小刻みなブースト噴射で減速しながら地上に降り立つと、ハンドガンを撃ちながら後退。ランサーバグに搭載されているのはCBT-FLEETよりも出力が劣るミラージュ製のMBT-NI/MAREではあるが、逆関節型ながらも機体重量が抑えられているこのACなら、水準クラス以上の機動性は出せ、それを長時間維持する事も難しくない。
 だが瞬間的な機動性ではヴィエルジュの方が早かった。ショットガンを撃ちつつ、ブーストダッシュで執拗に詰め寄る。
 このまま斬ろうかと思っていたアストライアーだったが、ランサーバグの左腕が上がったのを察し、即座に左へとサイドステップさせる。
 直後、炸裂弾が着弾した床が爆発した。ヴィエルジュは即座に逃れたが、右足を僅かに焼かれる。更にミサイル3本が繰り出されるが、構わずショットガンを発砲した。すると、一塊になって飛んでいたミサイルが散弾を受けて爆発した。
「ミサイルを撃ち落した!?」
 ハンターフライは驚愕した。そして急ぎランサーバグを急速後退させるが、既にヴィエルジュは抜刀体勢だった。
「喰らえ」
 このままでは斬られる――ハンターフライはブーストを止め、投擲銃を逆関節脚部の足元に向け、発砲した。轟音と爆炎と衝撃波が2機を包む。
 爆風に巻かれながらも、アストライアーはムーンライトを一閃させた。だが、手応えはない。実際、爆風が晴れたとき、ランサーバグの姿はなかった。
 何処に行ったと訝る前に、アストライアーはOBを起動、急ぎその場を離脱しに掛かった。レーダー上の赤い点に気が付いた時には、頭上からの攻撃が開始されていた。急加速したヴィエルジュだったが、ハンドガンに頭部とコア上面を穿たれ、OB発動時の熱もあってか機体温度とコックピットの気温が一気に急上昇、アストライアーの顔に汗が浮かび、パイロットスーツに汗染みが現れる。
「投擲銃を目晦ましに使ったのか……」
 距離を取って姿勢を立て直し、再び相手を正面に捉えはしたが、今度は自分が驚く番だったとアストライアーは思った。
 試合開始前のハンターフライの印象では、彼が使用する武器も、機体のフレームも貧弱で、今までのBB派閥ランカー達と真正面から戦えば、間違いなく即時粉砕されるであろう存在だと見ていた。だが今や、アストライアーは相手に対する認識を改めざるを得なかった。
 逆関節ならではのジャンプ力は勿論だが、優れたエネルギー効率と機体を考えれば有り余るエネルギー出力をフルに駆使し、上空を自在に飛び回り、時として高機動型であるヴィエルジュを出し抜き、死角から的確な一撃を見舞ってくる。全体的に見て火力は特筆するべきではないだろうが、それでも防御が脆弱なヴィエルジュにとっては痛い。「蝶の様に舞い蜂の様に刺す」と言う言葉がぴったりだ。
 これまでのランカー達と違い、軽装備で、しかも火力や強化人間能力に頼らぬ戦いを演じていると言う点が、ハンターフライを強敵として認知させていた。しかも、ハンターフライは強化人間ではない、アストライアーよりも2つ年上である程度の生身の人間なのである。
「いいザマだ!」
「そのままやっちまえ!」
「アマ! そのままさっさと負けやがれ!」
 真人間で、しかも軽装備でありながらアストライアーと互角以上に戦うこの青年レイヴンに、観客(その大半はアストライアーのアンチ)もヒートアップしており、アストライアーに向けられるヤジや罵声も大きくなっている。
 ハンターフライは即座にそれに応えた。再び降下すると、ジャンプを交えながら接近し、ハンドガンと投擲銃でヴィエルジュを削りに掛かる。回避し、当る見込みのないミサイルで牽制するが、またしてもミサイルはあっさり回避される。しかも、ハンドガンが左足の膝関節へと立て続けに命中し、関節を破壊されたヴィエルジュは足を引き摺るようになってまった。
 それでも、アストライアーはランサーバグに肉薄し、レーザーブレードを振るう。しかし、剣戟はランサーバグの頭上を掠めた。もう一度振るうが、今度は右手側へと飛び込まれて回避された。
 ランサーバグはそのままヴィエルジュの後方へと回り込むが、流石にヴィエルジュもターンブースターを装備するなどで機動性を重視したアセンブリだけあり、振り向くのは早かった。だが、放った散弾は虚しく空を裂くだけだった。
 ランサーバグは再び跳躍し、ヴィエルジュの頭上から炸裂弾を放った。砲弾は直撃こそしなかったが、ヴィエルジュを爆炎に晒すと共に、衝撃で姿勢を崩した。背後からの攻撃を危惧し、アストライアーは再びOBを起動し、距離を離す。
 逃げる敵機を、ハンターフライは深追いしなかった。と言うのも、彼はアストライアーを必ずしも撃破する必要は無いと考えており、今回の試合ではあくまでも時間切れを狙っていたのである。薄装甲のヴィエルジュを撃破しようと思えば不可能ではなかったが、薄い防御は自分も同じ事。しかも、ランサーバグのコアはEOタイプであり、瞬発力では劣る。
 そんな機体なので、攻撃を焦って逃げ遅れれば、一撃で戦闘不能と言う事も大いにありえた為、ハンターフライは回避優先の戦いを取るのみと弁えていたのだ。
「不覚……」
 近接戦を余儀無くされ、しかもそれが悉く功を奏さない事を痛感し、アストライアーは唇を噛んだ。ヴィエルジュのメインモニターには、「TIME UP」の赤い文字が表示され、試合が終了した事を告げるアラームが会場内に響き渡っていた。


 試合後、ACをアリーナのガレージへと預けたアストライアーは廊下をうろつきながら詮索していた。
 結局あの試合は、アストライアーの判定負け。ミサイルによる被弾は抑えられていた事で四肢破壊は免れたが、右足の膝関節をやられ、炸裂弾の爆発による熱とハンドガンの弾による熱で装甲を焼かれていた事が、判定に大きく響いていた。
 だが今のアストライアーには、勝敗や愛機の破損状態は大して関係なかった。第一、装甲は溶接や交換によって修理出来るレベルであり、右足の膝関節もパーツ交換で何とかなると告げられていたからだ。
 彼女は、試合後にハンターフライが言っていた事、この一点に集中していた。勝者へのインタビューに続き、アストライアーを救助しようとした人間に加わるようにしてACを接近させると、徐にこのような事を口走ったのだ。
「無駄に敵を作らない方が良い。今は俺達――無論、お前の首を狙う者がゴマンといる。その上で実働部隊もうろついている以上、敵を増やして何になるんだ?」
 その声に、アストライアーは何も考えなかった。するとハンターフライはアストライアーの意思を察してか、こう呟いたという。
「最も、お前にはお前なりの考えがあるんだろう。何の信念かは兎も角、それに基づいた行動原理があるのなら、俺からはこれ以上とやかく言わないでおく……気を悪くしたら済まない」
 ハンターフライは去り際に、次の様に述べた。アストライアーの「何故だ」と言う疑問など意に介さないとでも言うように。
「……俺は自由を風評とする以上、他人を必要以上に束縛しない主義だ。エースさんもきっと同じだろう」
 自分を破った敵対者が立ち去ってから、アストライアーはしばし茫然自失としながらも怒りをくすぶらせていたが、やがて戻って来た理性は、自分が犯した状況を顧みさせた。
 今は、前方にBBの残党とそれが送り込むであろう刺客、後方に実働部隊と、二重の敵を作っている。それを思い出しすと、その中でこれ以上敵を増やし、果たして何になろうかと、アストライアーの中の冷静さが自分を蔑み出した。
 確かに、状況を顧みれば業腹だった。実働部隊やBBの残党との戦いですら、果たして何時まで続くか、そしてどれほどの損害が出るか妙として知れず、その上エース達まで敵に回した所で、彼の周囲を取り巻くレイヴン達に捻り潰されるのは容易に想像出来る。
 いずれにしても、既に主を失ったBB派閥と、それに成り代わろうとするレイヴン達の間では血戦が勃発しており、それはやがて激しさを増し、新たな王者の君臨から暫く経つまで続く事だろう。BBの玉座を奪い取るのは誰なのか、そしてその過程で、自分の地位をひとつのステップと認識し、挑戦して来るランカーがどれほど居るか――いずれにしても、自分も血を見ずには済まないだろう。
 それに、積極的にBBの残党潰しを行った所で、エース派のレイヴン達からは「俺達の獲物を横取りするのか!?」と言われるかも知れず、その事を根に持って意趣返しに来るレイヴンがいないとも限らない。現状として、エレノアの傍に居てやるべきだと考えれば、必ずしも倒す必要のない相手まで、徒に敵に回すのは避けるべきだった。
 よって、試合や挑戦は受け、降りかかる火の粉は振り払う程度はやるが、この勢力争いについては諦観の姿勢を貫くか……アストライアーはそう決め込んだ。
 そうして、後にドクトルアーサーとの試合を挟んで日々は過ぎ、6月20日の朝を迎えた。
 その日、マナ=アストライアーはエレノアと共に朝食を終え、託児所までエレノアを送って自宅に戻るや、予てより引っ張り込んでいた朝刊の紙面を開いた。
 アイスティーを片手に朝刊を読みながら、朝の生活情報番組にチャンネルを合わせる。レイヴンには似つかわしくない穏やかな朝だが、BBを地獄に叩き落して以来、アストライアーにはこれも愉しみの一つとして受け止められるようになっていた。
 だが見出しが目に入ると、アストライアーは驚きのあまり、啜っていた紅茶を僅かばかり零し、ネイビーブルーのジャケットに染みを作ってしまった。
 その見出しには、この様な事が書かれていたのである。
<第3アリーナ上位ランカー リンチで殺害される>
 センセーショナルな見出しに続く紙面記事には、殺害されたのがロイヤルミストであった事が記述されていた。


「よおアス、まだ首と胴体は繋がってるか?」
「この通りだ、サイラス」
 新聞をたたむと、アストライアーはガレージへとバイクを飛ばしていた。まず、駐輪する間に挨拶を飛ばして来たサイラスを軽くあしらう。
「ソレは何よりだ。だが気ぃつけな、最近上位ランカーの首を狙う若造が出て来たからな。お前さんも見たろ。遂にロイヤルミストも餌食になったとよ」
 サイラスは休憩しているのか、ガレージの一区画で、積み上げられた機材をイスとテーブル代わりにして、書き損じの図面に落書きしていた。
「私は存じないが、デスレナードと同じ末路を辿ったとか何とか……」
 アストライアーは率直な感想を述べた。
 紙面によると、ロイヤルミストをリンチで殺害したのは、彼の下っ端であるはずの名のないレイヴン達だった。遺体の損傷状態は酷く、全身に切り傷や、殴打の後と見られる痣や内出血、頭蓋陥没があった。まだ検死はしていないが、内臓や動脈の破裂、肋骨骨折も疑われている。
「しかも敵ではなく、自分の駒によってな」
 全く皮肉な話だよな。サイラスはアストライアーに相槌をうった。
「ただ、それがお前に回るかが気に掛かる次第だな」
 昨日付けで怪我から復帰して来たトラファルガーが会話に加わってきた。
「お前も知っているだろう? デスレナードの後釜に居た連中の事は」
「まあな」
 デスレナードの後を受けた者達、つまり、嘗てのトップランカー達に関するその後の情報については、既にその時既にここの整備士だったサイラスよりは、当時から現役のランカーだったトラファルガーのほうが詳しかった。
 彼の曰くところによれば、デスレナードの死後、新たなトップランカーに君臨したのは、リンチの主犯である当時アリーナA-2のランカーで、意思を持つかのに相手に命中するミサイル攻撃から「魔弾の射手」と恐れらていたレイヴン「ザミエル」だった。デスレナードの片腕であった彼が何故主に反逆の刃を向けたかを知る者は殆どおらず、一説には自身がデスレナードに成り代わろうとしていたとも言われている。いずれにしても、彼は下位ランカー達を利用し、彼に刃を向け、繰上げでトップランカーの座に付く事となった。
 しかし、ザミエルの話題は、彼がトップランカーに君臨して数ヶ月のうちに、唐突に途絶えた。アリーナから彼は忽然と姿を消し、それ以後、生死も不明となったのである。
 その後を受けたのが、当時48歳という最年長のランカーレイヴン、タンホイザーだった。しかし彼がトップランカーになってから僅か3週間でクーデターが勃発、やがてそれは「アリーナ歴史上稀に見る」と評されたほどの派閥抗争にまで発展した。40人あまりのランカーが真っ二つに分かれ、タンホイザー派と、当時急激に頭角を現していたBB派との間で、激しい戦闘が繰り広げられたのである。
 最終的に、この抗争は自力で勝るBBがタンホイザーを下してトップランカーに君臨し、足掛け8年にも及ぶ長期支配体制を確立したのである。それに異を唱えていた者と言えば、後に彼を破ってトップランカーの座に君臨する事となるエースぐらいであった。
 タンホイザー自身も敗北の後、依頼で消耗した所をBBとその一派に襲撃され、落命した。他にも、これまで相当数のランカーが謀反を目論んでいた様だが、それらはBBに完膚なきまでに叩きのめされ、二度とACに乗れなくなるか、あるいは彼の周囲で極秘のうちに処理され、闇に葬られるのが常だった。
 トラファルガーによると、当時のBBは、まさに暴君の名に相応しい真の実力者だったという。だが、欲に目がくらんでか、次第にランカーの序列を仕切る様になってから堕落を初め、ついには暴力団までもが絡んで八百長まで持ちかけるようになる始末であった。
 しかし、アキラやアストライアーがBB派ランカーを蹴落とし、勝ち上がって来る事によって亀裂が生じた支配体制は、レイヤードの混迷に端を発する幾多の騒乱で構成レイヴンを相次いで失うことで更に崩壊の度合いが進み、BBがアストライアーに殺される事で完全に崩壊した。BBに関わった暴力団についても、アキラと直美、そしてその仲間達によって損得抜きの壊滅状態に追い込まれたことを、トラファルガーは話した。彼の話では、三百人近い暴力団員が家族諸共皆殺しにされたという噂である。
 以前BBのアジトに踏み込んだ際に見かけた惨殺体は、その暴力団員達の慣れの果てだろうかとアストライアーは考えた。
「何とも凄まじい話だったが、今回のロイヤルミストがリンチで死んだ件も同じだ。デスレナードの時とな」
 抑圧されて来たか、戦果に恵まれなかったりで目立たなかった等の理由も後押ししてか、若いレイヴンが落ち目の実力者を標的にして名を売ろうとしたケースが幾度かあったと、トラファルガーは言う。彼によれば、デスレナードのリンチ事件も、主犯はあくまでもザミエルだったが、実行犯は10代末から20代前半までの若いレイヴンだった。何れも、当時から成り上がろうと目論んでいた若手・中堅以下のレイヴンである。
 そのような背景があり、トラファルガーはアストライアーが標的にされないとも限らないと警戒しているのである。
 勿論、トラファルガーもレイヴンであり、従って同業者に必要以上の介入をする義務は無い。だが、エレノアと言う天涯孤独の少女を抱える立場ゆえ、養女込みで彼女の身を案じたくなったのだ。
 嘗ての僚機に裏切られ、復讐に身を染め、殺伐とした世界で薄汚い生き様を送ってきたトラファルガーだが、しかし彼も血の通った人の子である事に変わりは無い。赤い血も涙も流すし、他人を気遣えるぐらいの情だってある。エレノアの保護者である女剣士レイヴンを気遣うのも、真っ当な精神構造を有する彼ならば無理からぬ所であった。
「だとしたらよ、アス、お前こんなとこで呑気にしていて良いのか? お前も狙われるぞ?」
 何故ならお前も上位ランカーだ、と言う所までサイラスが言葉を続けようとした所で、テラが口を挟んで来た。それが無いとは断言出来ないが、可能性があったとしても低いのではと。
「リンチで死んだのは今まで数名ですけど、全員BB派の連中ですよ? 一方のアストライアー嬢は、いわば“アンチBB”の筆頭的存在ですから」
 アストライアーと言えば、女性ながらブレードの腕に優れている点以外にも、BBを潰そうとするランカー達の急先鋒としても有名だった。しかしその彼女が、BBの死に際して沈黙し続けた事は、すぐさま周囲の関心を買う事となり、その真意がファンの間でも度々議論となった。しかし、真相は彼女以外誰も知らない。彼女はBBの死に対して沈黙を保ち続けているからだ。
 あるパパラッチが突撃取材を試みたと言うが、その記者も「取材を拒否された」と、何かに脅えた様な口調ではあったがはっきりと証言している。この事から、アストライアーが口封じをしたとも言われているが、これもファンや同業者の憶測の域を出ない。
「ああいう人達は匿名性の高いネットだからこそ、ああやって愚痴やら何やらをぶちまけられるだけの話。世間に出れば大抵大人しくしてるか無き寝入っているかのどちらかですよ」
 テラはそう言うと、再び搭乗ACの元へと戻って行った。途中、整備士に何かの注文をつけている様子が、一同からは見て取れた。最も、今この場に居た連中がテラの姿を見て第一に思っていた事は「随分な自信だな」と言った考えが大半だっただろうが。
「……あいつ見ていたら、妙に警戒心が湧いて来たな」
 アストライアーは背筋に沸き上がってきた、身の毛のよだつような感覚を感じずにはいられなかった。そう遠くない日に、テラも自分へと銃口を向けるのではないか。そんな気がしてならなかった。
 するとアストライアーの心中を察してか、あるいは整備士に言うべき事は告げ終えたのか、テラが再び歩み寄って来ると、こんな事を言い出した。
「ご心配なく、貴女に不要な喧嘩を売る気はありません。討ち死にや斬首刑は私の趣味ではないのでしてね」
 それだけ言うと、テラの視線はアストライアーからサイラスへと移り変わる。
「しかしサイラス主任、何書いてるのですか?」
「分かってるクセに」
 テラの視線の先には、サイラスの落書きが見えた。テラを鼻の先で笑ったような息が漏れた後、トラファルガーの声が続いた。
「……多分お前も知ってるだろう?」
 トラファルガーとテラが見た限り、その落書きは、少女が一人の女性を夢に見ている様子を描いたものだった。夢の中の女性は、微笑みながら、少女の頭を優しく撫でていた。トラファルガーで無くても、アストライアーとある程度以上の付き合いを持ち、かつ人並みの感性を有するレイヴンが此処に居たら分かっただろう。この落書きがエレノア=フェルスを描いたものであることを。
 事実、落書きの中の女性は、顎の辺りまで切り揃えられた頭髪、ロングコート、黒い忍刀と言う、マナ=アストライアーを象徴するファッションを再現しており、テラもその事をすぐに理解した。
 当のアストライアーも、サイラスの絵に気が付いたのか、落書きに、次に彼の顔に視線を向ける。
「……まあ、仕事に支障がないようにな」
 アストライアーの顔面には微笑みの微粒子が見て取れたが、猛禽の如き鋭い切れ長の瞳と濃紺の瞳から放たれた冷たい眼光から、殺意の微粒子を感じ取ったサイラスであった。
 しかし、サイラスはその程度で動じる男ではない。殺意を放たぬレイヴンなどおらず、従って眼光から殺意――言うならば負の感情が感じられるのは当たり前だと、長いガレージ整備士生活の中で鍛えられた度胸と観察眼を元に、彼はそう割り切っていた。
 エレノアに見せていた、鉄を鍛えた刃のような、鋭く冷たい外見の奥底に秘められた母性の燐片――トラファルガーと同様、サイラスもまた、それが少しでも長く続けばよい、せめてアストライアーにも、エレノアにも何も起きなければ良いと感じているのかも知れない。それは周囲のレイヴン達の知る所ではないが、しかしアストライアーは、見慣れた顔をしたガレージ整備主任の胸中は、その様に感じられた事だろう。
 心ある者ならば、せめてそう信じたい筈だ、とも。
 ところがこの3日後、買い物の為にトレーネシティに来ていたアストライアーは、街頭のテレビジョンで報じられたニュース速報を目にし、更に衝撃的な現実を知る事となった。
「先程、グローバルコーテックス・レイヤード第3アリーナ運営局は、故・BB氏と癒着していたランカー全員のアリーナ出場権を抹消すると発表しました――」


 アニメや漫画、そしてゲームに登場する「パワー馬鹿」は、大抵の場合はゴリ押しするだけで脳味噌の出来は見るからに良くないような者が揃っている。レイヴンにおけるパワー馬鹿も、確かにゴリ押しを旨とする連中は多いが、実際は判断力や操縦センス、アセンブリ等、何かしらの分野において達者な人材が揃っており、一概にパワー「馬鹿」とは呼べない。
 このテラと言う男も、高出力のエネルギーライフルに全てを賭けたある種のパワー馬鹿であった。しかしこの男は回避・射撃・判断力と言った技術が高い水準で結集しており、加えて頭の出来も中々優れていた。従って、BB派ランカーの登録抹消という事件に関しても、彼の頭脳は彼なりの見解を示せていた。
「ようやく、運営局も重い腰を上げたと言った感じですね」
「全くだな。それにしても、随分と急に話が決まったものだ。今までシカトを決め込んでいたくせに」
 BB派ランカーの一掃発表の翌日、マナ=アストライアーはまたしてもガレージでテラと遭遇し、彼を相手に休憩室で談話していた。頭と右肩、左上腕に包帯が巻かれていたが、これは昨日、試合で付けられた傷であった。
 因みに、その時の対戦相手はアサイラムである。
「知らないのですか? アリーナ運営局の方でも人事で大ナタが振るわれ、かなりの数の局員がリストラされ、それを免れた人も降格や減給等の処分が相次いだそうですよ。これもBBが癒着していた事が明るみに出た結果ではあるのですが」
 最もだなと、女剣士は頷いた。8年間も同じ様なアリーナランキングが続いていたのでは観客動員数も低下するし、何よりも一部の観客は、不正などの裏事情があると疑問視するだろう。そうなればアリーナ離れが進行し、興行収入低下は避けられない。
 BBと言う重石がなくなって、ようやくと言った所かと、アストライアーは納得した。
「で、BB派ランカーが消えたと言う事は……」
「順位の方はこうなりました」
 テラはそう言うと、プリントアウトした第3アリーナの順位を引っ張り出し、アストライアーに見せた。
 プリントアウトによれば、トップランカーはアキラ=カイドウのままで、その下には再び撃破勝利でエースがA-2の地位を取り戻しており、以下、バルバロッサ、サイプレスが名を連ねていた。
 その下には最近になって参戦してきたアサイラムがおり、更に一つ下にはハンターフライが、ブリュンヒルデまでも破ってB-3ランクとなっていた。B-4ランクであるブリュンヒルデの下ではナハトファルターとドクトルアーサーがの名がある。
 暫定順位ながら、かつてはB-2ランクにまで上り詰めていたアストライアーだったが、アサイラムやハンターフライに代表される、新たにランクを上げて来た者達との試合に連敗、さらにドクトルアーサーにも敗れていた事が災いし、現在B-7ランクに落ちていた。
「……気が付けば随分ランクが落ちたな」
 アストライアーは自身をそう評すると、さらに順位を目で追っていく。
 C-1ランクにはベクター、C-2ランクにはバーチェッタがおり、この当りは特徴的な戦闘スタイルゆえ、アストライアーにも認知されている。C-5ランクのインパルスも、活躍の噂はアストライアーにも届いている。
 だが、既にCランクにはシルバーフォックスやレボリューション、ポーキュパインなど、アストライアーが今まで名前すら聞いた事がないレイヴンがランクされていた。
「こいつ等何者だ?」
「御存じではないのですか? いずれも将来が有望視されているランカー達ですよ。C-4のシルバーフォックス氏は別ですがね」
 テラが言うには、シルバーフォックスは閉鎖となった第5アリーナから移籍してきた熟練のランカーで、ミサイルとレーザーライフルを駆使しての中距離戦に定評があるとの事。既に50歳と言う年齢ではあったが、知的さを漂わせる整った顔立ちゆえに女性ファンからの支持もあるとの事だった。
 C-6ランクのレボリューションは、新進気鋭のタンク乗りで、現在積極的に上位ランカーに挑戦中であり、著しい成長を見せている。グレネードキャノン2問によるゴリ押しを得意とし、似た戦闘スタイルを有するバーチェッタをライバル視していると言う。
 そのレボリューションとほぼ同時期に参戦して来たポーキュパインは、CLL-HUESOベースの軽量2脚にマシンガンMWG-MG/350とムーンライトを積んだだけのスタイルゆえ、勝率こそあまり高くなくランクもD-2どまりであるが、凄まじいスピードと機動力から繰り出される剣戟ゆえか、注目度が高いそうである。
 C-7ランクにはストリートエネミーが、相変わらずの健在振りを見せるかのようにランクされている。その一つ下にはサンドヴァルがランクされていた。
 更にその一つ下、ランクC-9には若干18歳、レイヴンとなって半年足らずのアップルボーイが、更にC-10にはEランカーであった筈のスネークウッドがランクされていた。
「何でこいつが此処にいるんだ?」
 アップルボーイはアキラ=カイドウと共に戦い、サポート役として彼から絶対の信頼を得るまでに至ったスーパールーキーとして、アストライアーにも認知されているが、もう一方、泥仕合が日常茶飯事の下位ランカーに過ぎない筈のスネークウッドが此処にいる理由が、アストライアーには今一つピンと来なかった。
「アキラ殿や直美嬢がバックに居て、度々共闘しているうちに戦闘能力が高まったそうですよ」
 テラが疑問に答えた。彼が言うには、アキラと直美のコンビと共に何度か依頼をこなしているうちに二人から学んだ物があったらしく、二人との共闘も有って依頼を達成していたと言う。特にスネークウッドはその成果がアリーナに反映され、勝利を重ねていくうちに資金が溜まり、以前のハンドミサイルとブレード、重量級EOで構成される決定打に欠ける機体構成が、武器腕を含めた大量のミサイル系武器を満載した、重攻撃型の重量級逆間接ACに変化するまでに至ったと言う。
「知っているのか?」
「以前、直美嬢と共に依頼を受ける機会がありまして、その時に……」
 そう言う事は、見違えるように成長した様子を、テラは間近で見たと言う事だろう。
「他に、C-11ランクのスパルタン氏、D-5ランクのゲド殿も、直美嬢とご一緒でした」
「あいつらもか?」
 テラの発言は、直美に対する新たな関心にも直結した。
 それもその筈、スパルタンはACパイロットに転向してきてからまだ日の浅いレイヴンで、ゲドは武器腕の火力頼みでルーキーにしか通用しない戦い方しか出来ないと言う認識がアストライアーの中にあったのだ。その2人が、直美と一緒に戦うことで此処までランクを上げるものなのかと、アストライアーは疑問を抱いた。
「第2のイレギュラーと呼ばれるほどの存在であるにも拘らず、後輩レイヴンの育成も彼女の領域なのだろうか……? しかも、なんて事のない奴をそこまで強くするとは……」
「さあ、どうでしょうか」
 直美自身の事までは分からないとテラは言った。
「まあ、上は目まぐるしく変わってるのは分かったが……その下は相変わらずだな」
 アストライアーはランキング一覧に目を戻した。C-12にはトラファルガーがおり、以下、ミルキーウェイ、バッド・ブレイン、D-1にファレーナ、D-3にパーティプレイ、D-4にスウィートスウィーパーと言った、アストライアーにもお馴染みの顔や、BBの息が掛かっていなかったランカーが続いていた。
 ランクC-15のブリッツスターは耳慣れない存在ではあったが、BB抹殺後に現れたエースやハンターフライの仲間であると言う認識はあった。ピンクの長髪に赤いパイロットスーツ、赤い搭乗機ハイウェイスターは、アストライアーには派手さから来る若干の不快感こそあったが、女性でインファイト主体と言う事もあり、若干ながら意識はしている。
 更に下に目を向けると、D-5にはキャストダウンの名があった。アキラと戦いはしたが、一命は取り留めたらしい。
 D-6のハードエッジは最近になってアストライアーも戦う様子を見ている。未だに機体は安価だが、新規参入ラッシュの中、ようやく勝ち星に恵まれるようになったという話も聞いた。勝利者インタビューでは、ミサイルを外し、マシンガンをCWG-MG-500にグレードアップした事で全体的な火力は落ちたが、余計な装備のなくなった愛機リバイバルのエネルギー消費が低下しつつ機動性が更に向上、被弾率が激減したのが勝率向上の理由ではないか、との事である。ハードエッジ本人も、第3アリーナの綱紀粛正を好機と捉え、ここから巻き返しを狙っているらしい。
 そんなハードエッジの下には、エンディミオンと言う、没落騎士の家系ながらお家再興を生き甲斐とする母によって無理矢理レイヴンにされた少年がいた。
「ああ、こいつがそうだったのか……」
 D-8に、アストライアーはブルーネージュが今の名前に改名する理由となったスキュラの名を見た。携帯端末を取り出し、アリーナの公式ページにアクセスする。
「本当にね、嘗てのスキュラ嬢と何から何までがそっくりですよ。違うのはエクステンションやデコイの有無、それに搭乗者が中年男性である事ぐらいです」
 テラが言う通り、携帯端末のランカー紹介ページには、スキュラのAC・デルタの姿が映し出されていたが、若干機体の青みが強くなっている事以外は、嘗てのブルーネージュの機体と全体的な印象はそっくりである。エクステンションがなくインサイドにデコイMWI-DD/10を積んでいる点に置いて差異はあるが、機体名を含めここまで似るものなのだろうかと、アストライアーは唸った。
 D-9のイエローボートはレヒト研究所の攻防戦でアストライアーに撃破されたが、生き残る事が出来たようだ。また、D-10にハニームーンの名を見て、少し前にミルキーウェイと一緒に居たあいつかと、すぐに認識出来た。
 ウィルス性の風邪を悪化させた為にまだ復帰出来ずに居るヴァッサーリンゼはその下のD-11ランクに、アストライアーと2度共闘したブラスがD-12に居た。最近見かけなくなったパイクはD-13に後退し、D-14には戦列復帰したヴァイスが名を連ねている。
 ランガーはアストライアーとの対戦以降、キャリア不足を徹底的に叩かれて連敗が続いており、D-15にまでランクが落ちていた。
 Eランクを見ると、アストライアーと2度共闘したグローライト、ミルキーウェイの仲間の一人サニーメイプル、新規参入ランカーに負け続けているパイロン、最近になって少しずつ成長を見せているアデュー、相変わらずのスピードマニアであるカスケード、勝利は二の次で、観客を楽しませる戦いを指向するパラノイアとパラドクス、相変わらず過去のトラウマを払拭出来ていないウェイクアップ、相変わらず新しいパーツを無節操に積み込んで機体をデタラメにしているプログレスと続き、最下位は相変わらずのメイドレイヴン・カリンとなっていた。
「消えたランカーが多いな」
 アストライアーが見た限りでは、ワルキューレ、ミダス、OX、サンダーハウス、バイソン、サバーバンキング、フィクサーと言った面々の名が消えていた。
「サバーバンキング殿は第1アリーナに移籍しました。ミダス嬢はBB派閥に加担した事でアキラ殿と敵対、彼の側に立っていたバーチェッタ殿に撃破され、搬送先の病院で息を引き取りました」
「元恋人に殺されたのか……」
 疎遠になってしまったとは言え、皮肉なものだとアストライアーは溜息をついた。
「その2名以外はアリーナ追放か?」
「その通りです。そして、アキラ殿と直美嬢、そしてその2人に加担する若手レイヴンにより、グランドチーフ以下BB派閥のレイヴンは殆どが殺されました」
 BB子飼いの者で生き残っているのは先述の追放ランカー達ぐらいのものだと、テラは付け加えた。
「事情は分かったが、そう言うお前は何故アリーナから消えた?」
 アストライアーが見た限りでは、「半年間限定」と言う条件付きとは言えアリーナに参戦していたテラの名が順位の中にない。
「ゲスト参戦者はランキングには記載されないのですよ」
「ああ、そうだったな。単純な事を忘れていた」
 その時、アストライアーの背後から矢が飛んで来た。彼女に向けて飛来したそれは、殺気を感じて咄嗟に首を傾けた標的の右頬を掠め飛び、コンクリートの柱に命中した。
 刺さった矢を良く見ると、鏃の代わりに吸盤が据え付けられ、紙が括りつけられている。
「こんな所で世間話ですか?」
 相変わらずの嫌味がかった口調と共に、ドクトルアーサーが姿を現した。アストライアーと似ていなくもない青い頭髪のメイドを従えて。その右手に競技用クロスボウが握られていることに、アストライアーは即座に気が付いた。
「……会って早々上等だな。何のつもりだ、狂科学者」
「何、日頃世話になっている強化人間の方々へのお歳暮ですよ」
 アストライアーが目を三角にして睨んでいたのだが、それでもドクトルアーサーはいつもの姿勢、まるで悪戯っ子がそのまま成長したような姿勢のままであった。
 だがそれも、セドナが横から鉄拳を見舞い、アーサーを沈黙させるまでしか続かなかった。
「ご主人様が失礼な事をしてしまった様で……お許し下さい」
 首をアストライアー立ちに向けながら、セドナは顎を一撃されて呻いているアーサーにもう一度鉄拳制裁を見舞う。
「で、何故そうまでする?」
「以前も申し上げた筈です、私はアーサー博士に仕える身、従って主人にプラスとなる事なら何でも行い、マイナスとなる事は斬り捨てなければなりません――例えそれが、主人の痛みを伴う事になるとしても」
 確かに、評判を落とす真似があればそれは是正せざるを得まい。だがメイドとは言え其処までやるかとアストライアーは思い至った。とは言え、それを口には出さない。
「だが、試合前にやる必要もあるまい」
 アストライアーは広げられたチケットを一瞥してセドナへ一声掛けた。先程の矢に巻きつけられていた紙を広げたものである。
「そうだぞ姉さん……人を試合前に負傷させるおつもりか?」
「暴走を止めた、と言ってもらいたいものですね。大体、どこにお歳暮と称して矢文を送るお方がいらっしゃるんですか?」
「ちょっとしたユーモアってモノですよ。大体、鏃の代わりにゴム製吸盤使ってるんだし」
「性質の悪いユーモアも大概にして下さい」
 セドナからのお叱りの声を貰いながらもアーサーは立ち上がり、衣服に付いた土や埃を払う。その姿はパイロットスーツ姿で、擬体のメンテナンスの折、研究室で見た白衣姿ではなかった。
「で、このチケットに貴様の名があるのだが?」
「ああ、僕の試合だから。此処にいる僕はスペンサー財団の科学者・アーサー=オズウェル=スペンサーではなく、ランカーレイヴン“ドクトルアーサー”なのだから」
 だが、アストライアーと同様のランカーレイヴンとは言え、ドクトルアーサーは本物のレイヴンとは言えなかった。いくら腕の立つランカーとは言え、彼の本業はあくまでも科学者。そして過去、科学者や学術者がレイヴンとなる事も有ったが、昔からそのような起源を有するレイヴンは、レイヴンのなかでも異質な連中であると相場は決まっていた。
 そしてアストライアーとテラの両名には、その理由も大体解っていた。
 科学者等、学術レイヴンが、戦闘や報酬の目的とするのが「知識の探求」の延長上の理由であるのに対し、普通のレイヴン達のそれは、単なる報酬、戦闘の中において己を高める事、復讐、生きる事を実感する為等。他にあてのない状況下でレイヴンとなる無法者も少なくない。要するに、科学者連中がレイヴンをやる理由が、普通のレイヴンではあまり考えられず、理解に苦しむであろう内容なのである。
 そしてその異端レイヴンのなかにおいても、ドクトルアーサー――本名アーサー=オズウェル=スペンサーのそれは、他とは一線を駕す程に異質なものだった。元々彼はレイヤードでも医療関係に多大な出資を行っている慈善団体として有名なスペンサー財団の出身で、家の継承権がないと言う事で好き勝手に研究やレイヴン活動をしているのである。
「……チケットか? それも貴様の試合の」
「そういうこと」
 得意げな顔をする科学者レイヴンであった。相手に楽勝出来るほどの自信でもあるのだろうか。
「じゃ、また機会があったら会いましょう。最も直ぐに僕の姿は目にするんじゃないかなーとは思いますけどね」
 そう言うと、ドクトルアーサーはお抱えのメイドを従えて立ち去った。その場に残されたアストライアーとテラは後姿を見送り、次いで視線を手元のチケットへと向けた。
「これ……まさかなとは思うが」
「私達に実力の程をアピールしたいのでしょうね。あるいは貴女に対する無言の宣戦布告かと」
 アストライアーとテラは揃って顔を見合わせた。今回の相手であるランカーもまた、BBが消えた事を皮切りに参戦し、急激にランクを上げて来たやり手なのである。
 その相手と言うのは、現在ランクC-3に位置しているオークランドであった。彼はエネルギー兵器を主力とした重量級逆間接AC「ハイパーキウイ」を操り、近接戦から遠距離の狙撃まで幅広く戦う事の出来る、良く言えば多芸、悪く言えば器用貧乏なランカーである。当の本人は陽気な性格と言われるが、アストライアーが彼の姿を見た事はない。
「まあ、常日頃メンテナンスしてくれている礼も有りますから、有難く受け取っておきましょう。話の続きはその後にでも」
「そうだな」
 アストライアーも同意すると、二人は裏口から抜け出ると、アリーナの一般客用ゲートへと回り込んだ。


「アスか? テラも一緒のようだな?」
 観客席に向かう途中、アストライアーは男の声に呼び止められた。それに応じて彼女が視線を変えると、声の主が判明した。怪我から復帰し、先日の試合から再びアリーナに戻って来たトラファルガーである。見慣れた存在である犯罪者上がりの若者と、その義妹的存在のアイドルランカーも一緒だった。
「こんな所で油売っているのか?」
「オイオイ、人聞きが悪いな」
 聞いてみると、依頼は勿論挑戦状も無かったトラファルガーは、ストリートエネミーやミルキーウェイと共に、新手のランカー達の戦いをダラダラと眺めて暇をつぶしていたのだと言う。
 トラファルガーの近くの空席に、アストライアーとテラは腰を下ろす様に勧められる。言われるがまま、二人は腰を下ろした。
「実際見てみると、面白い事になってるぞ」
 トラファルガーが言うには、今までお馴染みの顔ぶれだった者が挑戦者達によって次々に蹴落とされ、変わりの面々が次々に這い上がってくる事が多くなり、自分がこれを実感するのは御免だが、観客の視線で見ると実に興味深いと言う。
 その横ではストリートエネミーが、自分も下克上を目論んでいる事を窺わせるニヤ付いた顔を浮かべているが、アストライアーには気が付かなかった。彼女の視線は、アリーナの東西ゲートを背にして佇む2機のACに向けられていた。周囲では、観客達が一体となってカウントダウンを進めている。
 アストライアーもその事は分かっていたが、神経の殆どを目前のACへと傾けていた為、指して気にする素振りは見せない。
 今、彼女の目の前で東ゲートの前に佇むのは、細身のコアと手足を持ち、2門のキャノンを背負い、高機動高火力をウリとする赤錆色の4脚ACで、エンブレムには簡素化された脳髄をバックに、図式化された落雷が、それに突き刺さるように描かれている。
 ドクトルアーサーが操るブレインクラッシュであると、すぐに分かった。
 そして西ゲートには、レーザーライフルMWG-XCB/75に垂直ミサイルCWM-VM36-4、チェインガンCWG-CNG-300を背負った、見るからに重装備の逆間接ACがどっしりと構えている。
 それがランカーAC・ハイパーキウイの姿だった。
 2機はすでに、互いに手にした武器を相手へと向けている。アストライアーは一瞬で訪れるであろう試合開始のサインに備え、猛禽類を思わせる視線をさらに鋭く尖らせる。
「READY……GO!」
 戦いが始まった。同時に、レイヴン達の持つ眼光が戦場へと向けられる。
 サインが告げられると同時に、いきなりハイパーキウイがレーザーライフルを発砲した。ランカーレイヴン達から“クイック・ドロウ”と呼ばれる技法で、開幕と同時に遠距離から弾速と射程に優れる武器を放つ事で、先制の一撃を狙うというものだ。
 だが、その一撃は外れ、ブレインクラッシュはOBで距離を詰めに掛かる。しかし、200mほど離れた所で急停止し、今度はバックし始めた。
 相手もそれに気付いているのか否か、3発の垂直ミサイルを飛ばしてブレインクラッシュを狙いに掛かる。赤錆色の4脚ACはOBを起動するまでもなく、全速力でブーストを吹かして前進、垂直ミサイルを振り切る。
 ハイパーキウイは敵機の動きに気付き、待っていたかのようにレーザーライフルを連射し出す。エネルギー防御スクリーン発生区画の多い4脚ACとは言え、軽装甲のブレインクラッシュは装甲の彼方此方を焼かれる。
 だが、それがどうしたと一喝するが如く、ブレインクラッシュもブーストダッシュしながらの携行型グレネードで反撃する。轟音と共に飛び出した3発の榴弾のうち、着弾したのは左肩に命中した1発だけ。しかもハイパーキウイもそれを察してか、全速力で離脱しに掛かる。後退しながらチェインガンを撃ち放っている所を見ると、搭乗者のオークランドは強化人間である事が窺える。
 しかし機動性で勝るブレインクラッシュはOBで距離を詰めると、一瞬のうちにOBを解除、同時にブーストを吹かし、推進力と慣性を維持しながら機体の向きを変えながら着地、更に上腕部のターンブースターを吹かして急速旋回、敵の背後を取った。チェインガンをもろに叩き込まれた右腕をマシンガン諸共失ったが、この程度の損失は、大してハンデにはならない。
 急速旋回しながら、ブレインクラッシュは重量逆間接の背後から一斉攻撃を仕掛けた。グレネードランチャーとチェインガンを、投擲銃も交えて敵機の至る所に見舞う。ハイパーキウイは逃れようとしたが、砲弾を次々に見舞われ、機体全体をくまなく破壊される。
 最後に、携行型グレネードキャノンの一撃をコアに見舞うと同時に、投擲銃を脚部に叩き込む。連続攻撃を浴びせられ、焦げてズタボロとなったハイパーキウイはアリーナドームの床に倒れた。BランカーとCランカーの格の違いを見せ付けられるかのように。
「チッ、勝ちやがったか」
 周囲の観客がどよめく中、ストリートエネミーが悪態をついた。以前、毒を吐かれた挙句に無視された事を根に持っているのだろうか。
「今回は下克上はなかったみたいだな。だが彼はまだ良い、スネークウッドあたりに負けたとなると気の毒だぞ」
 トラファルガーが呟いた。
「……俺みたいにな」
 アストライアーはその時依頼に出ていた為、その様子は知らないと発した。だがゲートウェイに破れたことで、スネークウッドが直美かアキラかは存じぬながらも、その二人によって鍛えられた結果、今まで見ていた彼とは全く別のランカーに成長した事を察するに至った。
 トラファルガーが言うには、ゲートウェイは終始ミサイル攻撃を繰り返し続け、ダブルトリガーに対して徹底的な遠距離戦を仕掛けたと言う。ミサイル迎撃装置を装備していたダブルトリガーだったが、武器腕のミサイルと背中のミサイルを合わせると、ゲートウェイに積み込まれたミサイルは優に120発を超える。それだけ莫大な量のミサイルは迎撃装置だけで裁ききれるものではなく、しかもダブルトリガーの主力武器であるショットガンと拡散投擲銃、3連ロケットは集弾性低下により、最早決定打とはならなかった。
 終わってみれば、トラファルガーは連動ミサイルを付けた多弾頭ミサイル、武器腕の熱量ミサイルを立て続けに叩き込まれて完敗。EOや集弾性の低下した攻撃で、ゲートウェイのコア前面と脚部の装甲を僅かに削り取るのがやっとだった。
「最近新参者が増えたからなー。アスだって負けたろ、サイプレスやらハンターフライやらブリュンヒルデやらに。こないだだってアサイラムに叩き潰されちまうしよ」
 自分の惨敗の記憶を誘うストリートエネミーの発言を、アストライアーはうるさいの一声で強制停止させた。
 アストライアーもハンターフライ戦後、連敗の辛酸を味わわされていたのだった。
 ストリートエネミーが言うアサイラムとの試合では、相手のAC「ギガンテス」が機動性の低い重量2脚ACであることから、アストライアーは有効と思える剣戟を躊躇もなく仕掛けたが、ギガンテスは側面で体当たりを仕掛けてヴィエルジュを弾き、ジャンプから再度斬りかかるヴィエルジュを重量級EOで迎撃した。
 3度目の斬撃で今度こそ一撃を食らわそうとヴィエルジュが肉薄し、側面に回りこんでブレードを振るったが、その時既に、アサイラムはヴィエルジュの動きを掴んでいた。側面から斬りつけられるだろうと察したアサイラムはギガンテスを軽く後退させてヴィエルジュを通し、剣戟を繰り出す相手を自らの眼前へと導く。ムーンライトが空を斬った瞬間、両腕が変化したグレネードキャノンから、ヴィエルジュにとって致死的な一撃を、それも至近距離から放った。
 この一撃でヴィエルジュはコアの右側面を右腕諸共抉られるほどの損害を負わされ、横殴りに倒された。大方のファンの予想を覆し、女剣豪レイヴンは一撃で敗北したのである。
 それ以前からアサイラムは、一見ゴリ押しタイプの戦法を得意とするように見え、実は敵との距離や行動を読む技巧を持つと目され、的確なタイミングで一撃必殺の攻撃を放って勝利する戦いでファンの支持を獲得するまでに至っていた。そして、それを見誤った事がアストライアーの敗因だった。
「貴様とてそれは同じだろう」
 アストライアーが反撃に転じると、ストリートエネミーも渋面を浮かべる。彼も嘗てアサイラムに挑戦を申し込まれ、グレネードキャノンの2連射であっさり制圧されていたのである。
「……兎に角、最近新規参戦ラッシュだしね。あと、他の下位ランカーも随分とランク上げてきたし」
 先程から義兄と女剣士の会話を諦観するのみだったミルキーウェイも会話に加わってくる。一見アリーナの情勢とは全く無縁に見える無邪気な彼女だが、しかしアリーナの激動は彼女も巻き込んでいる様子が、次の台詞で垣間見えた。
「あんの魔乳害虫めぇ〜! 今度組んだらボッコボコにしてやるーっ!」
 ミルキーウェイがヒステリックに叫ぶ。何を憤ってるんだとアストライアーは呟いたが、トラファルガーに補足される。
「お前は依頼だから分からなかったと思うが……ファレーナに負けたんだと」
 成る程なと、アストライアーはそれで全てを理解した。自分を散々おちょくっていた相手に負けたのだから憤るのも無理はない。しかし気になる点としては、ファレーナは現在もDランクとCランクを行き来している状態で、先にアストライアーがテラから見せてもらったメモによると、ミルキーウェイはC-13、ファレーナはD-1に位置している。ミルキーウェイに勝ったのだから、それなりに順位は上がっているはずだった。
 恐らくミルキーウェイが試合に臨んでいた時にファレーナが負け、ポイントの差で何とかミルキーウェイが勝っているのが現状だろうと、アストライアーは察した。
「明日は我が身か……今までの戦いが通じない奴が何人も出て来ているからな……」
 実際、BB派閥のランカー達が一掃された事で、戦力に空白が生じて数々のランカーが参戦している。それだけに、トラファルガーも従来のダブルトリガーでは対応しきれず、アセンブリ変更の必要性を痛感していた。
「この間もサンドヴァルと依頼先で遭遇したんだが、アイツも侮れんぞ」
 トラファルガーが言うには、サンドヴァルに遭遇し、プラズマキャノンやレーザーキャノンの砲撃を仕掛けられたが、辛くも逃げ帰ってくる事が出来たという。
 そんなサンドヴァルが無類の戦車マニアであり、戦車の素晴らしさを知らしめる為にレイヴンとなった事は、ファンの間でも有名である。アリーナに参戦したのはつい最近の事だが、既にそのキャラクターと、タンク以外の脚部に一切の関心を示さないことから、周囲からはオタクやイロモノの類として認知されている。だがタンク脚部にプラズマキャノン、レーザーキャノンを積み込んでの遠距離砲撃戦には定評があり、そして接近されれば武器腕バズーカの一斉発射で相手を粉砕するなど、既にアリーナでも侮りがたい存在として注目されていたのだった。
「サンドヴァル? ケツ取ればあれは問題ねぇだろ」
 だがそんな彼の愛機・バタイユを、ストリートエネミーはあっさり制圧している。接近戦時に武器腕バズーカを使うとは言え、所詮タンクはタンク。背後や側面を突けば全く怖くないと言うのだ。アストライアーもそれに同意した。
「確かに近接戦が出来れば問題無さそうですが、私はそれが出来なくなってしまいましてね……」
 テラはサンドヴァルと戦った事は無いというが、しかし銃撃メインの彼は――アストライアーとの試合でも明らかになった事だが――近接戦が大の苦手で、特に彼女に負けて以来、ブレードを握る事が出来なくなってしまったと言う。これも全てアストライアーのせい、ブレードを握るたびに自分の不甲斐無さをまざまざと実感させられるとまでも付け加えて。
 そうした事情があり、正面から撃ち合うことは避けたいものだと率直な感想を述べたのだが、アストライアーの敵意に満ちた視線を感じ、テラはすかさず彼女に向いた。
「……まあ、アストライアー嬢に負けたからこそ、スペクトルの改良に着手し、相手から逃げられるようになったのも事実なのですがね」
 恨んでるな、相当。アストライアーはテラの不気味な笑みからそう判断した。そのうち本当に自分に銃を向けるのではないだろうかとすら感じられる。
「……変な真似したらその場で切り刻むからな」
 アストライアーが物騒な口調で、物騒な台詞を紡ぎ出した。どうやらアストライアーとテラの第2ラウンドが、いずれ展開される事だろう――周囲のレイヴン達はそう察した。
 いずれにしても、現在のアリーナはBBが君臨していた時代のそれからは思いも付かないほどの激動の状態である。レイヴン達にとっては成り上がるチャンスとなる一方、没落するきっかけとなる可能性がある。それは結局当人次第ではあるのだが、それだけでは決して片付ける事など出来ない事象が渦巻いているのも事実だった。
 実際、エース以外にも派閥を組んでいるレイヴンが居ないとも否定出来ない。スネークウッドやアップルボーイが、アキラや直美をバックに実力をつけてきた事もその裏づけとなっている。
 トラファルガーはその情勢下において、果たして自分がどうなるのかを考えていた。BB派の連中同様、運命の女神に見放されるのか、或いは悪魔か何かが自分を拾うかのか。
 目的となる復讐の相手はこのアリーナから既に消えており、しかも既に他界している事が明らかになった。自分の目的が失われた事は、最早認めざるを得ない。ならば復讐に染まり、全てを捧げてきた自分が、アストライアーを初めとする有力な連中が犇く中で、どこまで歩む事が出来るのか試してみるのも悪くない。トラファルガーはそう、心に記した。
「……これから面白くなりそうだな」
 悲喜交々が交差するアリーナランカー達の事を考え、トラファルガーはこれから彼等と自分を待っているであろう展開と、自分の目前にある現実を見据え、胸中に宿っていた万感の思いを体現するように静かに呟いた。
16/05/21 13:08更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 今回の基本的な描写は、第22話「第3アリーナ情勢」と同じくアリーナランカー主体ですが、今回はBBが死んだ後の話と言う事で、様子を大幅に変更しました。
 まず、原作中でもお馴染みのランカー達が一掃され(爆)、一方でオリジナルのランカー達が次々に台頭、特に上位勢はエースなど一部除いてオリジナルのランカー達と言う有様となってしまいました。

 また、劇中で記述されたレボリューション、シルバーフォックス、ポーキュパインの3名はAC3サイレントラインからの登場――と言うより、それ以前の姿として出しています。

 それにしても、アリーナの有様がまるで仁義なき戦いみたいな有様になってる気がしないでもない(汗)。さらに言えば、スネークウッドと言う何でもないのがなぜか上位ランカーになってるし(爆)。
 原作じゃ地味なブラスが作中でパーソナルを与えられて動く姿と言い、自分でやっといてなんですが、ホント何やってんでしょう、執筆時の私は(苦笑)。

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まろやか投稿小説 Ver1.50