連載小説
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番外:決戦を終えて
 管理者直属の戦闘部隊たる実働部隊との戦いを終え、アストライアーは無事に二つの依頼を完遂させた。一つは、シティガード名義の正式な依頼。もう一つは、彼女の「娘」となった小さな命が、壊れかけたその心に刻み付けた、小さな依頼。
 そして、小さな依頼の方は、今後十数年と言う長い年月の間に背負い続ける、新たな宿命となるだろうとアストライアーは認識していた。だがそれは、つい先ほどまでのどす黒いものではなく、人間として本来あるべき姿に近いものと、その位置づけがまるで違う。
 同時にレイヴンとして生きて来た中で、殺す為の刃しか、自分は持ち合わせていなかったが、これからはその血塗られた刃を、守るべき存在の為に振るう事になるだろう。
 彼女の「娘」が、笑顔を保ち続けられるように。
 そんな事を考えながら、女戦鴉マナ=アストライアーは娘――エレノア=フェルスを優しく抱いていた。小さな頭を、女性らしさが皆無となった胸へと優しく押し当て、後頭部を撫でてやりながら。
「ねぇ……おかあさん?」
 母と娘の関係となった二人が目を向け合った。 
「おふろ、さめちゃうよ?」
「ああそうだったな。じゃあ早速入る事にするよ。今日は疲れたからな……」
 BBとの決戦でも相当の気力と体力を使い、その上実働部隊と交戦して此処まで戻って来た自分を、アストライアーは思い起こしていた。
 もし自分がサイボーグではなかったなら一体どうなってだろうかと思い起こしながらも、パイロットスーツを脱いで黒のTシャツ姿になると、先程まで来ていたスーツをクローゼットに押し込み、タオルを一枚取って風呂場へと歩を進めた。


 長かった一日がようやく終わる。身体を流し、湯船に身を沈めたアストライアーは目蓋を閉じ、自分を縛っていた激戦から開放された事を悟るのだった。
 BBとの決戦、実働部隊の迎撃、そして逸脱者排除分子との交戦と今日は戦い通しだった。血と硝煙に塗れた戦いの後では、風呂に入るという日常的な光景すら神秘現象に感じられる。逆を言えば、大凡の一般人からすれば、それだけ非日常的な世界に身を投じている事の裏返しでもあった。
 いや、殺伐とした世界はいつもの事、今日踏み越えて来た二つの戦場は、今までの殺伐としただけの戦場とは大きく意味合いが違っていた。今日と今までがどう違うかを振り返ると、やはり、今日は自分の変化を実感出来た戦闘を切り抜けて来たと言う一点に尽きた。
 それもこれも、原因は自分を母と称したあの幼女にあった。
 そうした点では、アストライアーは自分の意思に関係なく、強制的に変質させられたと言える。だがその変化が、長期的に見て、果たして自分にとってプラスとなるのかと言われれば疑問符が残る。BBがした事を、他のレイヴンがしないとは断言出来ないからだ。
 しかし、その感情がアストライアーを支えて来たのもまた、紛れもない事実だった。だから、エレノア絡みの事でくだらない考えを巡らすのは無粋だと。エレノアに危害を加える物があれば、排除してやるまでの事だ。その程度で良いんじゃないかと。あの暴君を冥府の奈落へと叩き落した自分なら出来る筈だ――女戦鴉はそう割り切り、心に記した。
 その詮索を最後に、アストライアーの顔に安堵の表情が戻る。とは言え、傍目には無表情にしか見えないのだが。そのまま、胸元まで湯に浸かった彼女は目を瞑り、瞑想するかのように動きを止める。
 出し抜けに風呂場のドアが開かれるまで、それは続いた。
 ドアが開け放たれるや否や、アストライアーは反射的に警戒態勢に移る。濃紺の瞳にも、見ただけで相手を斬りそうな眼光が現れる。復讐は終わったが、戦闘生命体として刻み込まれた本能的なシステムは未だに生き続けているのだ。
「おかあさん♪」
 風呂場のドアへと向けられたアストライアーの視線の先には、身体にタオルを巻いたエレノアの姿があった。既に、先程まで来ていた服は近くの脱衣カゴ近くに、無造作に脱ぎ捨ててある。この姿を目的した女レイヴンは、ただちに警戒態勢を解いた。
「どうした?」
「いっしょにおふろに入ってもいいかなぁ?」
「…許可する」
 硬い言葉使いをしてみたが、アストライアーの表情は微かに笑っていた。相変わらずアストライアーの表情は冷たかったが、しかしエレノアはそんな母の表情を笑っているように察し、湯船に突入した。
「あったかいね」
「そうだな…」
 当然である。一応、このバスタブ内に満たされた湯は摂氏40度に保たれている。近くの給湯システムのパネルが、そう示しているのだから間違いない。
 故障してるかも知れないだろ、等と言う無粋な突っ込みはこの際不要である。
「おかあさん……」
 エレノアは母の身体を目の当たりにし、ある事に気が付いた。
「どうしたの? ケガだらけだよ……?」
 レディ・ブレーダーの二つ名を持ち、その刃の元に多くのレイヴンを倒して来た女性レイヴン、マナ=アストライアー――その体からは、乳房や臍、その他男性が期待するような物は一切廃されており、上半身はかろうじて人間の皮膚が見て取れるものの、整備用のパネルラインは皮膚に覆われていない。
 下半身に至っては、かろうじて女性のボディラインは形作られているとわかるものの、錆止め・抗菌加工済みの金属が剥き出しになっていた。
 そして、その細い身体には、銃弾や刃物、火傷等による傷跡と、外科手術の痛々しい縫合痕などが、隙間が無いほどに並んでいた。
 傷の状態は千差万別であった。時が流れて痕跡程度しか残っていないものや、あるいはつい最近つけられて瘡蓋に覆われた傷口もある。皮下組織を焼いた程度の火傷もあれば、内部の人工組織や金属骨格にまで達する深さの傷もある。
 整形技術が進み、顔の整形は勿論の事、傷もほぼ痕跡無く残さず消せるほどになったが、彼女はあえて、醜い傷跡を無数に残した、この姿のままでいる事を望んだ。勿論それには、過去の戒めと、既にこの世界の存在ではなくなったBBへの憎しみを忘れない様に、と言う意味が込められている。
 同時に、その無数の傷は、レイヴンとなった彼女がどれだけ激しい戦闘を繰り広げてきたかと言う事を、幾千の言葉よりも雄弁に語っていた。
 幾度か整形したらしく、顔には傷は一つも無かったが、その顔ですら、幾度となく傷付いた事があり、最早その回数すらも覚えていない。
「いたく……ないの?」
「別に何ともない……済まない、心配掛けて」
「ううん、あたしのためにがんばったからついたキズもあるんだよね?」
 あたしの為、エレノアは勝手にそう解釈したが、エレノアに出会ってからの依頼遂行中に付いた傷も相当数ある。そう考えれば、あながち間違いでもない。ただ、それでも大半の傷は、既にその前から彼女に刻まれていたものだが。
 アストライアーもそう考えていたが、上記の考察に加えてエレノアがそう解釈しているのだから余計な詮索は不要と判断、それ以上の反論はしなかった。ただし、肯定もしなかったが。
「でも……こわくなかったの?」
「確かに、真っ当な神経の奴なら怖いだろう。でも私は別に怖くなかった。恐怖を忘れられるコツみたいなものがあったんだ」
「へー。どんななの?」
「『死ぬより辛い事を見て来たんだ』と心に決めるんだ。その覚悟があれば、死の恐怖に動ずる事などなかったからな……」
 死を前提としていれば、その後に何が来ても恐れる事はなかったとアストライアーは言う。だがおおよそ、彼女が言う「真っ当な神経」の持ち主が言う事だとは思えない。
 実際レイヴンでも、ブレーダーとして歩んで行く者は稀な存在だった。ブレードが届くほどのインファイトは、即ち大概の武器を被弾してしまうと言う事にも等しい。ひどい場合は機体はほぼ無傷でありながら、コックピットのみを破壊されるケースすらある。だからブレーダーとして生きている連中は、大抵「誇りやプライド」あるいは「生きていることを実感する為」に剣を振るう者が殆どだ。
 中には汎用型のACで、状況を見て刃を振るうというレイヴンも少なからず存在しているが、純粋に近接戦を主軸とするレイヴンは少なく、特に女性レイヴンにそうした者は殆ど見られない。
 それを考えながら、アストライアーは周囲の女性レイヴンを振り返った。
 ワルキューレとミルキーウェイは接近されればブレード攻撃に応じるものの、前者はあくまでもスナイパーライフルによる正確な狙撃を旨とし、後者はミサイル攻撃が得意なガンナーレイヴンである。
 スキュラに至ってはブレードが大の苦手と言う有様だ。恐らく彼女は、死ぬまでレーザーブレードとは無縁だろう。勿論、アストライアーが手にしている得物は別として。
 だがそれを全く知る由もないエレノアは、またも怪訝な顔をして育ての親を見上げていた。
「ああ済まない、貴女には難し過ぎる話だったな……」
 幼女にも本気の説明を行うその姿は、自身の長所とすべきか、あるいは短所とすべきか。アストライアーは判断に迷った。
「……体、洗ってやろうか」
「うん!」
 都合よく別の話題に切り替えるあたり、つくづく自分は汚い奴だなと実感させられた。だが同時に、アストライアーはそんな自分を心ならずとも可笑しく感じられた。
 だがエレノアの返事が明るかったのをアストライアーは聞き逃さなかった。アストライアーには、“娘”の顔がとても眩しく見えた。
 アストライアーはそばにあったスポンジを掴み、ボディソープをスポンジ生地に染み込ませる。いずれも、その辺のコンビニエンスストアで容易に手に入る代物だ。それを娘の身体に軽く押し当て、擦る。その体の所々には瘡蓋が出来ていたのに目が行き、彼女の手は不意に止まる。
 体中に出来た瘡蓋の中には、自分、もしくはその周囲に絡むトラブルが元で付けられたものもあるだろう。自分に付けられた傷は如何ほどの痛みにならずとも、エレノアに付いた傷を見ると、アストライアーは自分にその痛みが伝播したような苦痛(しかし、肉体は全く苦痛を感じない)に麻痺したような感覚を覚えた。
 エレノアは、そんなアストライアーの顔を怪訝な面持ちで見ていた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない……」
 自分に何かあるとエレノアにも何かが起きてしまうのだろうか。そんな事を考えながらも、アストライアーはエレノアの身体をブラシングする。
「さあ、次は背中を向け」
 エレノアの前では変な真似は出来ないか。そんな事を考えながらアストライアーはエレノアの身体を洗ってやる。それを終え、泡を流してやるとエレノアが問いかけて来た。それが問いかけではなくお願いに近いものだとは直ぐに分かった。
「ね、おかあさんあらっていい?」
 アストライアーは驚いた。顔立ちこそ無表情のままだが驚いた。
 こういう時、父や母、そして他の妻子有るレイヴン達は一体如何なる対応を取っていたのだろうか……だが、当然ながらそれについて助言してくれる存在など、この場にはいない。自分は今どう対応を取るべきなのか、アストライアーは判断に迷った。
 だが其処まで考え、アストライアーは何を考えているのだと己を嘲笑した。相手は子供、素直になれないで自分は一体何をしようと言うのか、と。
 子供を騙すのは簡単だろうが、その理由が思いつかず、しかも自分はそうした騙しで立ち回れるほど頭の出来がいい存在でもない。それに何より、先程エレノアがらみで余計な考えをめぐらすのはどうかと、自分で決めたではないか。
 そうなれば、此処は好意に甘えるのが一番なのかも知れない。折角エレノアがやってやりたいと言うのだから、同じ事をしようと言う相手が薄汚いレイヴン以下無法者達でもないと有れば、別に断る理由も無い。受ける理由も無いが、それが断る理由にはなりえない。
 アストライアーは自分と、目の前の小さな存在に頷くと、エレノアに、傷だらけとなった擬体を向けた。エレノアは小さな手にスポンジを握り、頼りないほどに弱い力ながらも母の身体を擦ると同時に「ごしごし」と擬音まで口に出し始める。
 その行為が続いている間、アストライアーは、自分にこびり付いていた血生臭い一面も、禍々しい古傷も、少しだけだが消えて行くような気がしていた。


 浴室から出たアストライアーは、寝間着に着替えたエレノアを自室のベッドに横たえると、自分はPCに向かった。
 ディスプレイは点けられていた為、可愛らしい寝顔がディスプレイの光に照らされ、暗い室内にライトアップされていた。
 暗がりの中で、アストライアーはそのディスプレイとにらみ合っていた。厳密には、メールボックス内に送り込まれていた、今回の依頼に対する礼状や収支報告書等に。
 メールボックスには、ブラスからの礼状も届いていた。「あの時剣戟を防いでくれなかったらどうなってたか」との恐れと、「この礼は必ずする」と言う誓いの文を載せて。
 一通りの文面に目を通し終えると、メールボックスを閉じた。デスクから外れた女戦鴉は、ベッドに横たえられたエレノアへとその体を向けた。
 すうすうと心地良さそうな寝息と笑っているような寝顔が、闇夜を写し取ったディープブルーの網膜に刻まれる。
「ふにゃ……おかあさん……」
 寝言だ。どんな夢を見ているのだろうか。そして寝言から、アストライアーは夢の中でも自分が傍らにいるのだろうとは察する事が出来た。
 その夢の中の自分は一体どのような姿をしているのだろうか。現実と同じくレイヴンなのだろうか。それとも、もっと人間的な優しさに満ちた女性となって振舞っているのだろうか。もし人間的な優しさを有していたとして、“彼女”は一体何をしているのだろうか? アストライアーに知る術は無かった。
 その夢がどんな内容であれ、そして自分が夢の中で如何なる姿になっていようと、アストライアーは我が子をそっと抱き、頭を撫でてやりながら願った。
 己が前の小さき命に良い夢を、と。
11/05/28 12:49更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 第28話の後日談です。
 今までの激戦から少しかけ離れた、穏やかな回にしようというところから始まって、この形になりました。
 一応入浴シーンもありますが、そこはやはりアス姐なので、戦闘の爪痕が生々しく残る身体に色気の無い描写と、色気は削ぎ落としています。
 エレノアたんの描写は第28話後劇準拠で、あとは作者が幼少時代、亡き母にした事をそのままさせました。
 子を持つ親御さんは我が子からこんな事を言われたら、一体どう思うのでしょうか……。

 ここまでの劇中での激戦、新作「ラス潰(ぇ)」の破天荒ぶり、さらに東北関東の大地震と言い、キツイ展開が続いた中で、作者にとっては清涼剤になってくれました。

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まろやか投稿小説 Ver1.50