連載小説
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#27.母
「終わったようだな」
 全てが終わった事を察し、エースから通信が入る。そして、アルカディアがヴィエルジュの眼前へと降り立った。
「ああ……全て終わった」
「全てだと?」
 エースの目から、途端に不快の色がにじみ出た。
「まだ終わったと思うな」
 どう言う事だとアストライアーは身構える。
「言う事があれば、これを見てから言うがいい」
 それだけ言うと、エースはアルカディアの頭部と上半身を、人間が振り返るように後ろへと向けた。
 その先では、エースが選定した同志であるテラが駆るスペクトルの機影があった。エースの呼集を受けるや、ヴァッサーリンゼにスキュラを任せて馳せ参じたのだった。しかし、OBも併用してセクション間連絡通路を疾走してきたにもかかわらず、現地に到着したのはBBの最期と同じになってしまった。
 その後ろに、最近第3アリーナに参戦して来たベクターが操るヒュプノスもいる。ロイヤルミストと入れ替わるようにして現れたのだ。
 そのヒュプノスと並ぶように、これまた最近第3アリーナに参戦して来た、見慣れない真っ赤なフロートACが佇んでいた。
 レイヴン名はブリッツスター。もともと第5アリーナのランカーだったが、第5アリーナのランカーが実働部隊によってほぼ全滅となった上、第5アリーナそのものを抱えるパルナシティの都市機能が失われた為、トレーネシティに移ってきたレイヴンだと、アストライアーは聞いている。
 搭乗機ハイウェイスターは、現行パーツ中では最速と謳われるフロート脚部MLR-MM/PETALに、ヴィエルジュとほぼ同型の上半身を乗せている。カラーリング以外で違うのは、コアがMCL-SS/ORCAである事と、右腕にMWG-MG/1000を携えている事ぐらいである。ただ、そのマシンガンは武装解除されており、近くの岩陰に置かれている。
 そして、その派手なカラーリング以上にアストライアーを注目させたのは、ハイウェイスターが両手で、後生大事に抱かかえている幼子の姿だった。
 紛れもなくエレノアの姿だった。
「万が一と言う事もあるからな、彼等に保護を頼んでいた」
 エースが説明する。
 やがてハイウェイスターが着地し、両手をゆっくり地面につけたに及び、虚無の影が漂い初めていたアストライアーの蒼い瞳に、何かにとり付かれたような輝きが再び灯る。
 エレノアに会える――狂おしいまでの衝動に突き動かされたアストライアーは、急ぎ愛機のコックピットから降り、走っていった。
 一方のエレノアもその姿を認め、すばやく地面に降りると、女剣士目掛け、突進するようにして駆け出した。
 やがてエレノアは、走って来たアストライアーの胸の中に飛び込むようにして、アストライアーに抱きついた。
「…ただいま」
 笑顔で挨拶をするエレノアの顔は、大分懐かしいものであったが、以前、いつもと変わらぬ無垢な笑顔だった。
 しかしよく見ると、エレノアには所々傷やアザが出来ていた。BB達に拉致された時に付けられたのか、あるいはアルカディアから仲間達に渡る時に、どこかをぶつけるなり何なりしたのだろうかと、アストライアーは思った。
 痛々しいその様子を目の当たりにし、アストライアーの瞳は、自分でも分からぬうちに熱くなっていた。
 だが、それでもエレノアは無垢な笑みを絶やさなかった。
「……どうして、笑ってるんだ?」
 声が震えていたアストライアーとは正反対に、エレノアはやはり以前と変わらない無邪気な声で、幼稚と言えば幼稚な答えを返してきた。
「だって、あたしがわらったらおかあさんもわらっていてくれるから。だからあたしはわらってるの」
 何とも単純な答えである。
 だがそれでも、自分の為にエレノアも笑顔を作るのに必死だったのだろうと察し、アストライアーの視界が不意に歪んだ。
「ないたらダメだよおかあさん」
 シャツの裾がアストライアーの目尻に当てられる。
「おかあさん、おうちにかえろう。かえってごはんのしたくとかしないと」
「……今何と言った?」
 アストライアーには今の言葉の一節が信じられなかった。
「おかあさん、って言ったんだけど、それがどうかしたの? それよりはやくかえろうよ、おかあさん。ね?」


 お母さん。
 再びこの言葉を聞いたアストライアーの目からは、光るものが止めどなく溢れ出し、地面に円形の染みを幾つも作った。
 アストライアーが長い間見せる事が無かった、大粒の涙だった。
 エレノアの口から出た、自分を母と慕う言葉が、復讐の為の戦いに明け暮れるあまり、人間性を棄て去り、冷徹な復讐者に成り果てた女レイヴンの、冷え切った心に突き刺さったのだ。
 いかなる状況においても、いかなる重火器を前にしても決して屈する事の無かったはずの、鋼の様なアストライアーの心が、自分を母と慕う、無垢な心を持つ少女の前に崩れ去った。
「おかあさん? どこかいたいの?」
 違う。痛いのではない。あえて表現するなら「心が痛い」といったところか。
 彼女は無垢な心を持つエレノアを、殺伐とした争いに巻き込んだ事を申し訳なく思っていた。同時に、BBを残虐極まりない殺し方をする事でしか、彼女を救えなかった自分を呪っていたのだ。
 そして、冷徹な復讐者に成り下がった自分を母と呼んでくれた事――これがアストライアーにとっては何よりも嬉しかったのだ。
 しかしそれを言い出せなかった。言おうとしても、嗚咽しか出て来ない。それに、泣いても始まらない事は頭では分かっている。
 だが、それでも………
 無垢なる幼女を抱きしめ、女戦鴉は声を上げ、涙を流し続けた。
「ああ、ないちゃダメだよおかあさん。わらわないとダメだよ?」
 エレノアが笑顔と無邪気な言葉で慰めようとしたが、アストライアーは更に大声を上げて、ただただ泣き続けるだけだった。


 エースは、先程からアルカディアのコックピット内のメインモニターを介し、この光景を無言で見詰めていた。
 この事態に介入することは兎も角、その気になれば「その甘さが命取りになる」位はエースも言う事が出来るだろう。しかし、彼はそれをしなかった。
 家族こそないエースだが、しかし彼は、アストライアーの泣く理由を自ずと理解出来ていた。それと同時に、自分に持ち得ないものを実感して泣く事を卑下するような真似をするのもどうかと思っていたのだ。
 それは「己のまだ見ぬ力」を追い求め、それ故戦い続けてきたエースにとって、自身を貶める行為にも等しいものだった。
 歴史書収集や閲覧を趣味としている彼自身、友情や家族愛を精神的な支えにしていた歴史上の人物の話を、いくつも知っている。こうした絆を支えに戦った者も居たからこそ、彼はアストライアーが泣いている事は勿論、その理由も卑下しようとはしなかった。
 人間的な弱みを突く事も容易な人種であるレイヴンの一人である彼が、当然人間の絆に付け入り、BBのように人質を取る事を考え付かない筈はない。しかし、彼はその思考を強制排除していた。
 それに今は、レイヴン以前に、血の通った一人の人間として、この光景に向き合っているに過ぎない。エースはそう、決めてかかっていた。トップランカーやレイヴンとして、それが良いかどうかは別問題である――それを前提としていながらも。
「エースさん、BB子飼いの連中は逃げました」
 若者の声とともに、紫色の軽量級逆間接がアルカディアに近づいて来る。ランサーバグと名付けられた、第3アリーナのランカーであるハンターフライが駆るACである。
 彼もまた、エースが選定した同志の一人だ。
「元締めが死んだ事に気づいたようで……」
 ハンターフライはそこで沈黙した。アルカディアの頭部が、エレノアを抱いて泣き続けているアストライアーに向いていた事に気づいたのだ。
 こう言う時には、変に口走らない方がよい。
「アストライアーにもこんな一面があったとは……」
 ベクターは驚いた顔で、そう呟いていた。
「以前、アリーナで対戦したときとは比べ物になりませんね」
 テラはそう思ったが、口には出さない。エースの逆鱗に触れる事を警戒しているのだ。
「心を捨てた女剣豪だと聞いてたけど……」
 ブリッツスターが呟く。
「……今度から見方を改めないとダメそうね」
 その方が利口だと、エースは視線で促した。
 同志だからこそ、この対応であったのだが、この光景を他者が見ていれば、彼は文句の一言も発する事を許さないであろう。
 しかし、その考えはエース自らによって中断させられる。
「そこで何をしている、野次馬!」
 エースの怒鳴り声とともに、スナイパーライフルが残骸の陰へと向けられた。
 その直後、通信モニターが切り替わった。
「いやー、あんたがお涙ちょうだい劇に関心示すってのが意外だったんだわ」
 通信モニターには、褐色の肌に白い髪、まるで別世界の住人の如く尖った耳を持つ男が映し出されていた。
 エースが知る限り、この様な姿の人間は一人しかいない。
「余計な詮索は不要だ、メタルスフィア」
 アルカディアの頭部が、自身の傍ら、いつの間にか残骸の陰に出現していた黒い車両へと向けられた。エースの戦友達も、愛機の頭部を一様に向ける。
「特殊車両まで持ち出して、何を企んでいる?」
 車両の中に居たのは、本来情報屋である筈のメタルスフィアだった。だが、その事実はエースを驚かせるには至らない。
 メタルスフィアが秘密裏にこの「シェイドカファール」を所持しており、情報収集や偵察などを目的に発進させていた事は、既知の事実だったからだ。
 シェイドカファールの表面はレーダー波を吸収する特殊な塗料で塗装されており、さらに内蔵されたECMと言った電子撹乱装備に固められ、さらに姿を消せる工学迷彩まで搭載されている始末だった。このせいで、アルカディアにかなり接近していながら、エースに気付かれなかったのだ。
 隠密性能重視の方針か、武器はせいぜい小口径の機銃程度と言う慎ましいものであったが、緊急時には機体後部のハッチと、下部の小型フロートユニットを展開し急加速、猛スピードで離脱する事も出来た。
 もちろんメタルスフィアは戦闘員ではない為、自ら情報収集や諜報に当たる以外はこれを動かす事など稀であった。
 そのメタルスフィアが、シェイドカファールを手に入れた経緯は誰も知らない。最も、ミラージュにとって弱みとなる情報を何らかの形で手に入れ、その情報をミラージュに売り渡すのと引き換えにシェイドカファールを手に入れたのだろうと、エースは推測していた。
「勘違いされちゃ困る」
 メタルスフィアの口調から、途端に軽さが消えた。
「このオレはBBとは言え、レイヴンに情報を売り渡す権利はあっても義務は無いし、服従を誓うような誓約書にサインをした覚えも無いね」
「そうだったな。だからこそ、BBの詳細な情報を、私に売る事も出来たわけだが」
「流石、分かってらっしゃる」
 エースはメタルスフィアを巧みに利用する事で、自分の、それも都合の良い情報だけを意図的にBBに流し、一方でメタルスフィアからはBB絡みの情報を仕入れる。
 もしメタルスフィアが、エースかBBのどちらに傾いていたとしても、こう言う事は出来なかっただろう。BBに傾いていれば情報を仕入れる事など到底出来ない話であり、自分に傾いていれば、今度は自分の身の安全の観点から、情報を相手に流す事は安易に出来ず、またメタルスフィア自信も信憑性を問われていた事だろう。
 今回の一連の事は、メタルスフィアが如何なるレイヴン、勿論エースに対しても靡かない姿勢だからこそ出来た事だった。
「だが今はそんな事などどうでも良い。早く此処から立ち去れ。あの娘がBBに渡った経緯を知られれば、お前は殺されるだろう」
「だな」
 それを理解していた以上は当然と言うべきか、エレノアが連れ去られるきっかけとなった者の正体が眼前に居る事を、エースは知っている。彼女が母と慕う女剣豪はそれを知らずに泣き続けているが、しかし我に戻った時、それを知れば間違いなくメタルスフィアは殺されるだろう。しかも損得抜きに、残酷な手段で。
 最も、エースに今回の行動を取らせるまでに至らせたのもまた、メタルスフィアなのだが。彼の基本精神として、先述の通り「特定の相手にはなびかない」と言うものがあり、それは相手がエースだろうとBBだろうと変わらない。故に彼は多くのレイヴンとコネを作り、己の保身を図つ事が出来た。
 他のリサーチャーや情報屋も、基本的にはメタルスフィアと似たスタンスである。しかし、死んだら情報がバレるぞとされていたにも拘らず、過去にリサーチャーや情報屋が何人もアストライアーに殺戮されている。その事はメタルスフィアも知っていた。
 そして、それがマナ=アストライアーが危険人物として名を売る理由の一つとなっていた。
 そんな危険人物の身内の情報をBBに売り渡したのだから、知られたら最後、待っているのは破滅か災難のどちらかだ。
 身の危険を感じて、メタルスフィアはシェイドカファールを変形させた。後方のハッチが開かれてブースターが露出、同時に機体下部からは起動したフロートユニットが展開、漆黒の装甲車は砂塵を巻き上げながら、ゆっくりと浮かび上がる。
 特定の相手になびかない存在とは言え、自分が死んでも守るであろう小さな命をぞんざいに扱った以上、此処に居る事は己の死期を早める事にも等しい。彼の手元に有る、女剣士の逆鱗に触れたばかりに殺されている同業者の情報が、その裏付けとなっていた。
 程なく、漆黒の特殊車両はその黒い体躯を地平線の彼方へとくらませた。
 エースはその様子を見送っていたが、やがて通信回線を徐に開くと、AC輸送ヘリをよこすようにと手配した。
 通信回線の先で、女性が告げた。
「すぐ其方に向かいます」
 通信先の女性が述べたとおり、アヴァロンヒルにAC輸送用ヘリが現れた。それには既に先客がおり、クレストの傑作頭部CHD-SKYEYE、EO搭載型中量級コアMCM-MX/002、消費エネルギーを軽減したクレスト製中量級腕部CAM-11-SOL、汎用的なミラージュ製中量級2脚を持つMLM-MM/ORDERで構成された、純白のACが接続されていた。
 そのACは周囲の警護の為、ヘリから一度切り離された。純白の機体にペイントされた美女のエンブレムが、エースの目に留まる。
「……あれはどう言う事?」
 白いACのパイロットは周囲を一瞥した後、納得行かない顔で、アストライアーとエレノアを指差した。
「余計な詮索は不要だブリュンヒルデ。彼女が今回の仕事の協力者だ」
 ブリュンヒルデはそれを聞き、エースが自分に明かした業務内容を回想していた。確かBBを始末すると言い、そのための協力者とは現地で合流する手筈になっている、と言っていたが……では、その協力者がアストライアーと言う事か。
 なぜあのような薄汚い女と組んだのかと、食って掛かろうとしたブリュンヒルデだったが、それを思いとどまった。自分が嫌うレイヴンの傍らに、戦場には似つかわしくない幼女が居たからだ。
「……何、あの子は?」
「アストライアーの“娘”……らしい。BBに人質にされていたようだ」
 そう言う事にしておき、自分は必要以上に口を出さない。エースはそう決めていた。
 ブリュンヒルデは信じられないとだけ呟くと、愛機の頭部を左右させ、徐に発した。
「ヘリに接続します」
「分かった」
 アヴァロンヒルを満たす女剣士の泣き声は、エースが送ってやろうと誘うまで、暫しの間響き渡った。
 いつしか人工の陽は傾き、荒野は無気味な赤に染め上げられていた。
 まるで、BBの血が染み込んだかのごとく。


 輸送ヘリから下ろされ、ガレージから久方ぶりの自宅に戻ったアストライアーは、マンションのベランダで夜空を見上げながら、自分がレイヴンとなった日から今日までの事を思い浮かべていた。
 父がBBに挑戦し、そのことでBBは彼女の家族を皆殺しにし、やがて父もBBに抹殺され、少女、つまりアストライアーは父の形見と共にレイヴンとなった。
 しかし失敗続き、そしてついに瀕死になりサイボーグ化しなければ生きられない状態となりながらも、今日まで戦い続けてきた。勿論、BBに命を狙われた事など一度や二度ではない。
 そして今日も今日でエレノアが人質に取られ、まさかエースに助けられたとは。
 復讐を果たせたから良いものの、結局、自分の身の回りは無茶苦茶だなと、彼女は振り返った。
 屍山血河を築きながら進んで来たレイヴン人生だが、その中においても嬉しい事はあった。
 他でもない、孤児であるはずのエレノアが、自身を母と呼んだことだ。
 だがそれを振り返るたびに、彼女は胸中に不快感を抱えた。自分は彼女に何をしてきたのだ、彼女に何ができるのかと、女剣士は自らの内から、疑念が黒い虫の如く這い出し、自身に囁きかける光景を思い描いていた。
 実際、彼女はエレノアに、何もしてやっていないような気がしてならなかった。
 それどころか、彼女を心配させたのみならず、殺伐とした戦い――それも最低最悪の、悪夢の如き戦いに巻き込んでしまった。これでは彼女に申し訳が立たない。
「おかあさーん、おふろあいたよー」
 彼女を母と慕うエレノアの声だが、その声も今のアストライアーにとっては苦悩の種でしかならなかった。人の心を半ば捨て、自分の暗黒面をまざまざと思い知らされる、イバラの様な存在であった。
 呼んでもアストライアーが来ない為か、エレノアがベランダまでアストライアーを呼びに来た。
「おかあさん、どうしたの? おふろさめちゃうよ?」
 エレノアが声をかけるも、アストライアーは顔を背けたまま凍りついたように動かなくなっていた。短く切り揃えられた濃紺色の頭髪が、夜風になびく。
「……一つ聞いてもいいか?」
 アストライアーはふと、エレノアに尋ねた。
「私は……どうしたら貴女を幸せに出来るんだ?」
 深刻な表情をしたアストライアーとは対照的に、エレノアは無垢な笑顔を浮かべて答える。
「あたし、いまはしあわせだとおもうよ」
「何故だ?」
 アストライアーは驚きを隠せなかった。レイヴンたる自分に付いて回ったが為に、ガレージ襲撃の巻き添えとなったり、誘拐されたりしたのに幸せと言える事が、彼女の頭にはなかったのだ。
「だってあたし、おとうさんもおかあさんも、おうちもなかったから……でもいまはおかあさんがこうしてやさしくしてくれるし、ごはんつくってくれるし、おうちにすんでいられるから。それだけでもあたしはしあわせだよ」
 アストライアーは衝撃を受けたかのように、無表情のまま固まっていた。
「でもどうしてそんなこときくの?」
 アストライアーの顔を覗き込みながらエレノアは言った。しかしアストライアーは目を合わそうとせず、俯いたまま口を開いた。
「いや……私はレイヴンだが、貴女にあんな事をしたBBみたいな奴も私と同じ世界にいる。それとの戦いに貴女を巻き込んでしまった……」
「んー、なにやらむずかしそうだね」
「元来レイヴンは自由を認められている。そのため、貴女を拉致したBBの様に、目的の為には手段を選ばぬ下劣な輩もいる。だが……」
 アストライアーの声が震える。
「レイヴン全体がそういう奴ではない。勿論、私の周りにはロクでもない奴が山ほどいるが、それでも人間の心を捨てていない者も私の周囲にはいる……」
 その代表例も、アストライアーは知っている。ストリートエネミーやミルキーウェイが真っ先に頭に浮かんだほか、最近ではすっかり見なくなってしまったがスキュラもそれに該当する。
「で、おかあさんはなにがいいたいのかな?」
 深刻な表情のアストライアーとは正反対に、エレノアの声は相変わらず無邪気さが見受けられた。
 いつもならアストライアーは、この無邪気な声には微笑み混じりで答えていたが、流石に自分の運命とも取れる出来事の後である今回は違っていた。
 勿論、エレノアも今日のアストライアーはいつもと違うことを肌で感じていたが、それでも彼女はいつもと変わらぬ声で答えていた。
 ただこれは、幼女には難しすぎるであろう内容の話を、途中から聞くのを放棄していたから、と言うのもあるだろう。
 アストライアーもそんなエレノアの空気を知っていたのかは不明だが、やがてこう答えた。
「だから……」
 後に言いたい言葉は浮かんでいるのだが、なかなか次の言葉が出ない。結局、次の言葉が出るまで1分近くを要してしまった。
 だが、その言葉は切実だった。
「私を恨んだり……嫌ったりしないでくれ……エレノアに嫌われるのが、一番辛く、悲しい。それだけは……嫌だ……」
 アストライアーが重い口調で話し終えると、すぐにエレノアも口を開いた。
「だいじょうぶだよ」
 やはりその声はいつもの無邪気な声だった。
 それが意図的なものか、あるいはそうでないか、アストライアーは考えたが、すぐに思考を中断した。幼女相手にそれほどの疑問は考え過ぎというのもあるが、何より、エレノアがアストライアーの背中に両腕を回した事で、意識を否応なく、その事に傾けさせられたのだ。
 同時にアストライアーは、暖かく、心地よい感覚を覚えた。
「あたし……おかあさんのこと、だいすきだから♪」
 自分を慕う無垢な言葉に、アストライアーは再び嬉しく思った。
「エレノア……」
 濃紺の瞳が再び熱くなった。
「……ありがとう」
 アストライアーも感情に身を任せ、エレノアを抱きしめた。
 その瞬間、幼女と女剣豪は、互いをかけがえのない家族と認識し、互いの親が、嘗て自分達にしたであろう行為を分け合っていた。
 そして、エレノアを抱く中で、アストライアーは実感していた。
 自分にも母性があったのだと。
 それがいつから宿っていたのか、あるいは前々から備わっていて、今回の件で思い出しただけだったのかまでは分からない。だがそれは重要な事ではない。
 エレノアが自身を愛し、自身もまたエレノアを愛しむ事が出来る――この点こそが重要だった。
 戦闘マシーンとなった自分でも、それが出来たのだ。
 狂おしいまでの母性に身を任せ、アストライアーは我が子の頭を優しく撫でた。エレノアも母に答える様に、頬を摺り寄せた。
「おかあさん……」
「何だ?」
 じゃれ付きながら、エレノアがポツリと呟いた。
「なんだか、あったかいね」
「そうだな……」
 エレノアが笑いかけてきたので、アストライアーも思わず微笑んだ。しかも、初対面の人でも分かるような、冷たいながらも優しい笑顔で。
 エレノアを抱いていて、自分が穏やかな気分になっている事を、アストライアーは感じていた。
 出来れば、この時間がずっと続いてくれれば良い――アストライアーはそう思って、偶然ながら窓の外を見た。
 アストライアーの目には外の夜景、それもかなり広い地域の夜景が見えていたのだが、遠くが紅く染まっていた。さらに砲声や爆発音らしき轟音が、風の音に混じって聞こえてくる。
 何かが戦っていると察した直後、アストライアーの中で何かが不気味に脈打ち始めた。
 戦いはまだ続いている。何か、強大な力を持っている存在が、遠くに見えるトレーネシティの町並みを、阿鼻叫喚の地獄絵図と変えるべく動いている。レイヴンの勘が、せっかく芽生えたばかりの母性を圧する勢いで、彼女にそう囁いている。
 直後、起動させていたPCがメールの受信を告げる音を響かせた。
 アストライアーはエレノアへと回していた腕を戻すと、PCに直行、メールを開いた。


 送信者:グローバルコーテックス
 件名:緊急かつ重大な依頼

 これは、トレーネシティ・ガード及びミラージュの要望により、トレーネシティとその周辺都市在住の全レイヴンに送信しています。
 トレーネシティに現れた、管理者部隊所属と思しき兵器群を迎撃してください。

 このままでは、我がコーテックスの被害も計り知れません。
 ランクを問わず、出撃可能なレイヴンは可及的速やかに出撃願います。

 依頼主:グローバルコーテックス
     ミラージュ
     トレーネシティ・ガード
 依頼内容:管理者部隊兵器群の迎撃
 成功報酬:撃破数より算出
 敵戦力:実働部隊所属兵器群多数
    (詳細不明、ACの存在多数確認)


 遂に来たかと、アストライアーはため息をついた。最初の実働部隊襲来事件の事を知って以来、BBへの復讐の影で恐れてきた事が、遂に現実のものになろうとしていたのだ。
 このままではトレーネシティが壊滅し、ひいては此処にも実働部隊の手が伸びてくるだろう。そうなれば、エレノアを死なせる事にもなる。
 愛する娘に、そんな真似はさせてはならない。アストライアーは母親の顔をかなぐり捨て、レイヴンの顔を剥き出しにした。
「すまない。緊急の依頼が入ってな。どうやら出撃しなければいけない様だ」
「そう……」
 どこか暗い表情を浮かべるエレノアをよそに、アストライアーはパイロットスーツに着替えなおす。すまないと思いながらも。
 だが、彼女の心配をよそに、エレノアは顔を上げた。その顔はいつものエレノアの笑顔だった。
「じゃあ、あたしからもおねがいするね」
「何?」
 エレノアはアストライアーの手を取り、言った。
「……ぜったいかえってきてね。いい、これはあたしからの“いらい”だよ!」
 しばしの沈黙。そしてアストライアーは微笑を交えて答える。
「分かった。その依頼、受諾した!」
 戦闘準備を完了させたアストライアーは、最後にお馴染みのロングコートを羽織ると、エレノアをもう一度抱きしめた。
 エレノアが自分を慕い、愛してくれていた――だからもう、復讐心で戦うのはあれっきりにしよう。自分はたった一人だけでも、自分を母と慕う小さな家族の為に戦う。あの無垢な笑みを絶やさないためにも、自分はエレノアの為、必ず帰ってくる。女剣士は新たなる信念を、壊れかけた心に刻み付けた。
 激戦を前に、女剣士マナ=アストライアーの戦う目的は激変した。
 最早彼女は、血に塗れ、ただ復讐の為に戦う殺戮マシーンではない。彼女は闇に覆われた自分に光を照らしてくれた、愛すべき家族の為に戦う。
 そして、それを身を以って知らしめる時が早速訪れたのだ。たとえ管理者の部隊であろうと、我が娘を殺させる様な真似はさせてはならない!
「がんばってね、おかあさん!!」
 エレノアに見送られ、新生マナ=アストライアーは玄関のドアを蹴破るように飛び出して行った。
15/02/21 15:53更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 アストライアーが「お母さん」の一言で泣き崩れる展開に「え!?」と思ったお方も多いでしょう。
 言いたい事は色々ありますが、あえて深くは語りません。

 とにかく、今回は、エレノアたん(いい加減「たん」はやめろ)とアス姐が本当に「親子」になるお話――これに尽きます。
 そしてBBが死んだ事で、此処からアス姐の戦う目標が変化します。
 もう彼女は復讐に生きる、単なる冷徹な戦闘マシーンではなくなったのです。彼女は自分を愛し、本来の優しさを思い出させてくれた、愛しき娘の為に戦うのです!!(言い過ぎ)

 アストライアーよ、もう一度立ち上がれ。
 貴女が愛し、貴女を愛する娘のために。そして貴女自身のために。

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まろやか投稿小説 Ver1.50