連載小説
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#23.迫る刻(とき)の中で
 人付き合いを嫌うが故、誰にも語ることはないのだが、マナ=アストライアーは現在、3つに大別される大きな悩みを抱えている。
 一つは養女・エレノア=フェルスの行方である。これはすでに幾人かに勘付かれており、ミルキーウェイに至ってはエレノアがアストライアーの傍に居ない事を指摘する位である。だが、彼女自身「個人情報を迂闊に晒す事になれば、相手に付け入る隙を与えてしまう」として、例え気の知れた同僚相手であっても、決して表沙汰にする事はなかった。
 しかしながら、ガレージで見せる一段と険しい表情、些細な事でも拳銃や黒百合を向ける精神的余裕のなさなど、随所でその影響の節々を見せている。
 もう一つは、直美から突きつけられた「強化人間が非強化人間に劣るもの」が何かと言う事だった。コレについては「絆」「驕り高ぶる精神」「人間的感情の欠如」など、冷えた頭で考え直せば幾らか思い当たる節はあったものの、そのどれもが、真人間だからと言う言い訳にはならないとの見解が、彼女の中であった。
 他の強化人間がどうだかは分からないが、少なくともそれらの欠如は、アストライアーにとって、何らかのマイナス面に作用するとは思えなかった。特に脳までも手術した結果の一つである人間的な感情の欠如は、感情に左右されないと言う事で、アストライアー自身は寧ろプラスに考えていたほどだ。
 先ほど、ヴィエルジュの整備も一通り終えたところでそれを考え直しても、結論は不変だった。
 自分と直美を分かつものは一体何なのか……そんな事を考えているうちに、ガレージの扉が大きく開かれ、ACの輸送に用いられる大型キャリアーがガレージ内へと乗り込んで来た。係員が操縦する作業用MTに誘導され、そのキャリアーはゆっくりとハンガーに向かう。
「また誰かが撃破されて戻ってきたのか?」
 ふと呟くアストライアー。撃破されるたび、あれと同型のキャリアーによって愛機がガレージに戻されていた事を思い出したのだ。
 だがそのキャリアーが、スキュラが愛機を係留していたハンガー前で停止した事で、アストライアーの顔は固まった。
 一体何があったのだと、ハンガーの主の元友人が見ているなど知る由もなく、キャリアー後方のハッチが展開され、中から中量級コアを接続した無骨な4脚がパーツが引っ張り出され、何事も無いかのようにハンガーの前に置かれた。
 そのACパーツは明らかにデルタのものだと、アストライアーには分かった。深いブルーに若干緑がかった白と言う配色と、コアと脚部しかないながらも外見的な特徴から、すぐにそれは分かった。以前、アヴァロンヒルで目の当たりにした時から外見的な様子は変化しておらず、武器腕のマシンガンやチェインガンは遺棄されたと見え、影も形も見当たらない。
 キャリアーはデルタをカーゴから引っ張り下ろすと、何事も無いように立ち去って行った。輸送してきたACの持ち主の消息が、アストライアー第3の心配事であるなど知らんとばかりに。
 アストライアーは手早く携帯端末を引っ張り出すと、記憶にあるスキュラのダイヤルを素早くタッチした。数度に渡るダイヤル音の中で、アストライアーは苛立っていた。
「あいつ、連絡もなしに一体何をやってるんだ……」
 アヴァロンヒルで一旦殴り倒してしまい、輸送ヘリ到着後も意識が戻らなかった事から病院送りとなって以来、スキュラの行方は妙として知れなかった。
 これまでに幾度も携帯端末や自宅にダイヤルしたのだが、一切反応なし。メールしても返事が全く来ない。搬送された病院に行っても面会を断られ、数日前に向かった時に至っては「すでに退院した」以外の情報を聞き出せなかった。
 自宅に来ても、施錠されている上にカーテンが閉められ、中の様子は窺えない。自宅に引き篭もっている可能性も考えられたが、アストライアーが知る限り、スキュラは外出時などには必ずカーテンを閉めている。スキュラに同居している家族がいるという話も聞いていない事から、スキュラ宅は家主不在の状態が続いていると見なしていた。
 自らを裏切ったとは言え友と見なしているレイヴンの消息が妙として知れない事で、アストライアーは心配から来る苛立ちを隠せずにいた。
 尤も、弾薬コンテナを背にしての佇まいや表情は、これまでに他の人間が幾度も見て来たものと大差はない。だが、この時アストライアーの背後に誰かが居たなら、後ろに回されたアストライアーの右手が小刻みに震え、弾薬コンテナを不規則に叩く音に気が付いただろう。
 苛立ちながらダイヤル音に耳をやるアストライアーだったが、それはすぐに強制終了させられた。
「お掛けになった電話番号は、只今使われておりません」
 電話番号を変えられたか? アストライアーは舌打ちし、今度はメールを開き「一体何をしているのか、咎める気はないから一度でも顔を出してくれ」との主旨のメールを素早くタイプし、すでに慣れ親しんだメールアドレスへと送った。
 だが数秒のうちに、アストライアーの表情はまたも固まる事となった。携帯端末の液晶画面に、破棄されたメールアドレスであるとの主旨が表示されたのだ。
「畜生」
 携帯端末を折り畳み、別に端末自体が悪い訳ではないのに端末を投げ飛ばそうとしたアストライアーだったが、すぐにそれを思いとどまった。こんな事をしても何の意味もない事は分かっていたからだ。
「スキュラ……聞こえたら顔ぐらい出してくれ……」
 心中を反映する呟きを発し、アストライアーは苛立ち紛れにガレージを後にした。
 メール着信音が鳴ったのは、そのときだった。
 スキュラからか、と期待してメールボックスを開くと、送信者欄にはアキラ=カイドウの名があった。期待させやがってと愚痴りつつも、アストライアーはメールを開いた。


 送信者:アキラ=カイドウ
 件名:機会は来た

 まだBBを殺そうと思っているか?
 だとしたら、もうすぐその機会が来るだろう。

 私がBBにやるべき事は全てやった。
 よって、奴はお前に譲る。
 好きに潰してやるが良い。

 追伸:
 今日午後6時までにトレーネシティ郊外の
 フランツ・ヨゼフ川まで来い。
 以前、直美が行水していた川と言えば分かるだろう。
 そこでお前に渡すものがある。


 アキラのメールには、待ち合わせ場所周辺の地図もあった。幸い、以前直美がビキニ姿で行水していた場所と言う記憶があったので、そのルートの大筋は思い出せた。
 しかしながら、こんな所に呼び出していったい何をしようと言うのだと思いながら、アストライアーはバイクに跨り、ガレージを後にした。


「よく来てくれたな」
 アストライアーはバイクを飛ばし、指定時間の26分前に現地に到着した。現場には、アキラの他に、BBの拠点だったビルで見た、アストライアーそっくりの青い髪と瞳の少女がいた。近くには移動手段と見える自家用車が駐車されている。
「何のつもりだ! 私をいきなり呼び出しておいて!」
「相変わらずの鼻息だな」
 アキラは冷たい青年の声でアストライアーに返してきた。彼女を恐れる気配も、貶すような姿勢も見当たらない。
「今の私は非常に機嫌が悪い。ストレスが溜まりまくっていてな」
「そう怒るな」
 アキラはコートの中に手を入れると、細い物を取り出し、それをアストライアーに放った。
 アストライアーはすかさずキャッチし、その物体に目を落とす。夕日を浴びる黒い刃は、アストライアーには忘れられない獲物だった。
「黒百合……?」
「私にこれを刺したまま放置していただろう?」
 アキラとの戦いで失った父の形見が戻って来たことに、アストライアーは一瞬驚いたが、すぐにそれは疑問に転じた。
「なぜ持ってきた?」
 アキラの足が止まり、機械的な右の赤い瞳だけがアストライアーに向いた。
「……直美の強い要望だ」
 つまり、アキラが来たのは直美の差し金故と言うことか。そう考えているうちに、アキラは連れと共に車に乗り込んでいた。
「どこへ行く!?」
「用事は済んだ。帰る」
「待て!」
 アストライアーはアキラを呼び止めた。
「BBをどうした?」
 アキラは車の助手席から、顔だけを向けて答えた。
「私と仲間達が受けた苦痛、悲しみ、恨みを百倍にして返し、奴のACと命以外の全てを奪ってやった。奴の傘下に納まっていた連中もまとめて廃人にしてやった。したがって、もうヤツに以前のような権勢は二度と戻らない。まだ配下にレイヴンか暴力団員の何人かは居るだろうが、お前の相手になるとは思えん。この機会を活かすかどうかはお前次第だが、ここまで生き延びたのだ。最早道は一つしかないはずだ」
 エンジンを唸らせ、アキラを乗せた車は去って行った。
「さらばだ。健闘は祈ってやろう」
 去り際に、イレギュラーは窓からそう言い残した。
 アキラが去ると、アストライアーは黒百合を手にしたまま呆然と立ち尽くしていたが、やがてバイクに戻り、フランツ・ヨゼフ川を後にした。
 だがその頃には、BB絡みよりもスキュラの事が頭を支配していた。
「スキュラ……返事ぐらいしてくれ!」


 アストライアーが焦燥しているとは知らないが、しかしそれを察していたスキュラが何をしているのかを明かすには、まず彼女の自宅に赴かなければならない。アストライアーが家主不在と見ていたその家に入れたなら、一切の照明もない薄暗い室内で、独りPCに向かっているスキュラの姿が見えるはずである。
 手加減してくれたとは言え、アストライアーに殴られた事による内臓へのダメージは大きかった。内臓破裂こそなかったものの、内出血による入院生活の後、退院してからの彼女は外界に出る事無く、たまの食料調達など必要最低限の用事以外は、溜息と共に、ひたすらPCと向かい合う毎日を送っていたのである。
 引き篭もっている理由についてはいくつかある。
 まず、スキュラが自宅のアドレスをコーテックスの事務担当以外に公表していない為、コーテックスが不手際や技術的トラブルで情報漏洩でもしない限り引き篭もっていれば、同業者などから狙われるリスクは最小限で済むと考えている事が挙げられた。
 BBによって、アストライアーの観点における「悪事」の片棒を担がれ、しかも事の詳細を知ってしまった手前、迂闊に外に出れば自分は口封じの為に殺されるだろう。アストライアーからも、恐らくは良い目はされないと確信している。ひょっとしたら心配しているかも知れないが、今は自分の身の安全の方を最優先すべき潮時に来ていると、スキュラは己の内なる声に従い、閉じこもる事としたのである。
 この場合はアストライアーにいらぬ心配をかけてしまう事になり、長い付き合いのあるスキュラ自身もそれは察していた。しかし現状では、それ以上に自己保身を優先しない事には生き延びられない状況に思えてならなかった。
 それ故、入院していた頃に「面会拒否」を主治医に頼み、今も電話番号やメールアドレスの変更は言うに及ばず、あらゆる手段をもってアストライアーは勿論、2名の例外を除いた同業者との接触を避けている。
 もうひとつ理由としてあるのは、単純に、今友と会うのは気まずいからと言う事にあった。
 そして、万一遭遇した時に一体何を言えばよいのか、スキュラはディスプレイの前で悩んでいた。それを裏付けているのは、ディスプレイに表示された、テキスト編集ソフトのブラウザーに書かれた、数々の謝罪文にあった。何れも友を裏切った事への謝罪と、その止むを得ない理由や経緯などで占められている。引き篭もっている間、彼女はいつかはやらねばならない友への謝罪の事を、昼夜を分かたず考えていたのだ。
 友が本当に心配をかけているとは知る由も無いままに。
 巣穴にこもった小動物の如き生活が続いた為だろう、戦闘も運動もしていないのに、スキュラの顔からは精気が消え、目は半分空ろの状態になってしまっていた。
「こんな時、マナだったら苦しかろうが何だろうが行動あるのみって感じで、自ら状況を打開するべく血反吐を吐きながら動いているんだろうな……」
 友の様な根性、あるいは何者にも恐れない勇気が自分にあったらと思い、スキュラは溜息をついた。
 インターホンが鳴ったのは、そんな時だった。それも1回ではなく、3回立て続けに鳴り響いた。
 こんな事をするように仕向けたのはあいつだけしかいないと言う事は知っていたので、スキュラは躊躇も無く玄関に急行した。ただし、相手が誰かは分からないので一応インターホン越しに相手の素性は尋ねる。
「誰だ?」
「俺だ、俺」
 若い男性の声がインターホンから響いた。耳慣れたストリートエネミーやパイクの声ではない。二人の声と比べると、圧倒的に柔らかい印象で、落ち着いた印象があった。発声者が真面目で物静かな青年である事を、そのまま体現していた。
 スキュラがドアを開けた先では、緑がかった黒い髪を持つ、175cm程の身長と広い肩幅を度外視すればの話だが、女装したら女性と間違えそうな印象をした線の細い若者が、両手にレジ袋をぶら下げて立っていた。
 以前、レヒト研究所防衛に参加していたアストライアーだったら、ヴァッサーリンゼと言う彼のレイヴン名がすぐに思いつくだろう。その時の傷はまだ癒え切っていないが、行動に支障がない程度には回復していた。
「食い物は調達して来た」
「お疲れ」
 挨拶もそこそこに、スキュラはヴァッサーリンゼから荷物を受け取る。
「おい……」
 ヴァッサーリンゼは玄関に立ったまま、徐に口を開いた。スキュラはすでに、受け取ったレジ袋を冷蔵庫前に置き、食材を次々に引っ張り出しては入庫している。
「お前、いつまでこんな事を続ける気なんだ?」
 ヴァッサーリンゼの言葉にスキュラは手を止めた。
「正直、俺はお前の同期と言う事もあるから、腕やキャリアの面も含め、気にならないと言えば嘘になる。だが、こんなモグラみたいな生活してる事に意味が有るのか?」
 ヴァッサーリンゼの記憶にある限りでは、スキュラは同じ頃にレイヴン試験を通過した人間で、やはりアストライアーとも同期である。
 ヴァッサーリンゼ自身は依頼遂行を第一としている上、ターゲットの早期撃破よりも、いかに手早く相手を無力化し、任務をこなす事を重点においている為、レイヴンの中においては比較的血の気の薄い部類になるが、それでも必要とあれば臆する事無く相手に立ち向かって行ける覚悟を持っている。
 しかしながら、同期である筈なのに、スキュラは戦い慣れした腕利きとしてクライアントからの信頼を集め、アストライアーに至ってはレディ・ブレーダーの二つ名と、友すらも平気で殺す攻撃性故に誰からも恐れられる存在となっている。
 世間一般的なイメージの、粗暴・貪欲・強欲なレイヴンならば嫉妬や憎しみに駆られるであろう境遇なのだが、根が真面目なヴァッサーリンゼは、寧ろ二人の出世や成長を歓迎する傾向にあった。自分はまだ若く、それ故まだまだ成長する土壌があり、先を行く者達の動きから自分にプラスとなりうる何かを見出す事が出来ると、彼は信じて止まない。
 それだけに、最近のスキュラの卑屈さには、ヴァッサーリンゼ自身も苛立ちを覚えていた。自身が認める存在であるはずの彼女が、自宅にこもり、自分に買い物を頼む以外は殆ど外に出ない有様であり続ける事が、見ていて歯がゆかったのだ。
「アストライアーに会うのが、そんなに苦痛なのか?」
「当たり前だ」
 スキュラは俯いて続けた。
「私は彼女を裏切ったんだ。彼女に会う資格なんか……」
「アレックス」
 スキュラの手が止まった。
 それもこれも、ヴァッサーリンゼが、アストライアーにすら隠していた自分の本名で呼んだ為だ。この名で呼んだ以上、何かあると身体が反応したのだ。
「ヒロイズムは止めてくれ。BBに脅されていたんじゃ仕方ない事だろ。寧ろ、BBに組したのに、アストライアーに殺されなかった事を喜ぶべきなんじゃないのか?」
 確かに、言われてみればその通りかも知れないとスキュラは思った。ファナティックを始め、僚機ですら顔色一つ変えずに殺して来たアストライアーである。そんな彼女と敵対していたのだから、普通なら殺されていても全く不思議は無い所だ。
 それでも殺されなかったと言う事は、アストライアーの優しさゆえだろうか――スキュラはそう、考えた。
「アストライアーに会って、泣きたいと思えば泣け。謝りたいと思うなら謝って来い。今まで二人で幾多のミッションをこなして来たんだろう? それ位の存在なら、向こうも自ずとお前を理解してくれると思う」
 その言葉を最後に、しばし沈黙がスキュラ宅を支配した。
「……悪いな、余計な事を口走っちまった。忘れてくれ」
 やがて、ヴァッサーリンゼは気まずいと思ったのか、そそくさと帰途に就いて行った。
 だが、彼の意見は決して無駄ではなかった。
 友人が帰った後、スキュラはレイヴン試験を通過して以来の事を思い出していた。アストライアーが人格破綻する前から、自分は度々アストライアーのサポートに回り、どこか危なっかしかった少女時代の彼女の依頼を成功に導いてきた。
 アストライアーがいつしか強化人間となり、排他的な孤高の女剣豪レイヴンとなって腕を急激に上げつつ復讐を追い求める存在となっても、スキュラはアストライアーと共に行動し続ける事が多かった。
 そしてある日、ガレージで偶然愛機を整備中のアストライアーが、当時からすでに整備班長だったサイラスと、こんな話をしていたのを思い出した。
「また、スキュラって奴と組んだのか?」
「ああ」
「それほど馬が合うのか?」
「馬が合うかって問題ではない……彼女は、この世で唯一信頼に値する友と言っても良い。それぐらいの存在だ」
 遠くから聞いていたのだが、アストライアー自身がそう言ったのだ。この時発された一言一句は、自分の空耳の産物ではないとスキュラは断言出来た。
 それはつまり、建前かどうかは抜きにしても、アストライアーがスキュラと言うレイヴンをどれ程信用しているか、と言う事の証でもあった。単に信頼に値する同業者であれば、トラファルガーを初めとしてあと数名は居るだろうが、友といわれた者は、知る限りでは自分だけだった。
 そう思うと、今まで会わなかったのが申し訳なく思えた。
「まさか……下位のレイヴンから、重要な事を教えられるとは……」
 回想が終わり、スキュラは意を決した。
「もうちょっとしたら、マナのところに謝りに行こう……」
 そう、覚悟を固めた。


 しかし、結果を先に言ってしまえば、一週間後に当たる6月9日を過ぎてもなお、スキュラは友に謝罪する事が出来なかった。
 と言っても、アストライアーが殺されたわけではない。この日の時点では、アストライアーは確かに生存し、依頼にも顔を出している。健康上大きな問題点があるわけでも、撃破して負傷したと言う事もなかった。
 問題はスキュラの方にあった。
 概要だけ述べてしまうと、スキュラは体調を崩して寝込み、翌日には激しい頭痛と腹痛、下痢に嘔吐、そして39度近い高熱を発して行動不能に陥ったのである。
 放射能や化学物質などによる汚染ではない。単なるウィルス性の風邪である。
「謝りに行こうとした矢先にこの体たらくとは……」
 召喚されたヴァッサーリンゼに看病される横で、スキュラは唇を噛み締めた。
「焦る必要はない、兎に角休んでくれ。アストライアーなら大丈夫だ」
 強化人間の上、レディ・ブレーダーの二つ名で恐れられたレイヴンなのだから簡単に死ぬような奴ではない。だから安心して休めと、ヴァッサーリンゼは口走った。
「とにかく何か腹に入れろ。粥ぐらいは作れるが?」
「パスだ……食べられない……」
 悪いことに、ウィルスはスキュラの腹まで侵していたようで、彼女は何かを口に入れると吐いてしまう始末だった。
「とにかく何か腹に入れないとダメだぞ」
「しかし……」
 そこまで言い、スキュラは突如起床するとよろよろとトイレに入って行った。それと入れ替わるように、インターホンが三回鳴る。
 ヴァッサーリンゼは急ぎ玄関に向かい、来訪者を出迎えた。
 ドアの向こう側では、首筋当りまで伸びる白銀の髪と、ターゴイズをはめ込んだ様な青緑色の瞳を持つ青年が立っていた。搭乗機と同じく、左肩に描かれた爆発寸前の地球というエンブレムが、カーキ色のジャケットに見られる。
「テラ、薬はあったか?」
「一応ありましたけどね……」
 テラは乗り気でない顔をして答えた。
「果たしてご希望に沿うかどうか……」
「とにかく上がってくれ」
 テラは片手に処方箋の袋を持ち、もう片手にスポーツドリンクやジュース、ゼリーなどの半固形物食を満載した袋を提げてスキュラ宅に上がった。彼もまた、スキュラの体調不良によって召喚されたのだった。
「そう言えばスキュラ嬢は?」
「トイレ」
 ヴァッサーリンゼが吐き捨てる様に言った。テラもそれ以上の深入りはしなかった。
「いっそ下痢止めでも飲ませようか?」
「ダメですよ。あの手のウィルスは腹で増えるんですよ? 下痢止めなんか飲ませたら腹にウィルスが留まる事になりますよ」
 止めるのは良くない、辛くても兎に角出させろとテラは言った。しかもその間にもスキュラはトイレで胸の悪くなる様な声を上げている。もう吐く物なんてないだろと思いながらも、ヴァッサーリンゼはとりあえず水枕となった氷枕の中を交換し始めた。
「こんな時にアストライアー嬢がいれば良いのですがね……」
「全くだ。連絡付かないのは仕方ないとしても、何してるんだろうか?」
「BBの手先相手に大立ち回り、なんて事になってるかも知れませんよ。あの女傑が、そう簡単に死ぬようなレイヴンだとは思えません」
 そうだと良いんだけどなと、ヴァッサーリンゼはテラに返した。


 ところが、実際はそうとも言えなかった。
 スキュラが体調を崩す2日前の事だが、ロイヤルミストの元にBBが姿を現した。だがその姿からは覇気がなくなり、顔面からは生気が消えて頬がこけたようになり、虚無の影が随所に見て取れた。
 足取り一つとっても、以前の様な重々しい響きの中に窺える尊大さを伴う質量がなく、どこか空ろな印象すらある。兎も角、以前の様な力強さは、ロイヤルミストの瞳からは全く感じ取れない。
「……何があった?」
 たまらず聞き返したロイヤルミストに、BBは無言のまま、睨み付けるような視線を返すのみ。明らかに不機嫌な様子が見て取れた。
 連日に渡る戦いの中で、傘下のレイヴンを悉く失った事は、すでにロイヤルミストも知っている。BB自身にも殆ど覇気がなくなった今、蹴落とすなら好機かも知れない。
 元々ロイヤルミスト自身、BBには心から仕えているわけではなく、自分が得意とする防御を無視した突進型のスタイルと、自身の腕を考慮するに及び、強大な火力を有するBB相手では実力での打倒が難しいと判断、逆に挑んだ所で、他のランカーがそうだったように再起不能にまで追いやられる事を危惧し、打倒の機会を待ってBBの下に付く事を選んだに過ぎない。
 彼が牛耳るアリーナで頂点を目指す為には、仕方のない事だと思って。
 だが、今や暴君の威信は地に落ちた。アキラか実働部隊かは分からないが、傘下のレイヴンの殆どを失い、遂にはBB自身もアキラに敗れたのだ。ロイヤルミストはその全てを知っている訳ではないが、あらゆる点における完全敗北を喫したであろう事は想像に難くなかった。
 そのBBは、ソファに腰を下ろすと、徐にこう呟いた。
「アキラはもう良い、あの小娘だ」
「……良いのか?」
 率直な疑問がロイヤルミストの口から出た。意地汚くアキラを狙っていたBBらしくないなとも、彼は思った。
「殺す機会ならまだ幾らかあるかと」
「やめろ!」
 不快感たっぷりにBBが叫んだ。
 その時の顔は、ロイヤルミストにとってはいい意味で一生忘れられないものとなったに違いない。その時のBBの顔は血の気が引き、恐怖に歪んでいた。アキラがBBに、トラウマになるような事をしでかしたのかと思い立ったが、とりあえず口には出さない事とした。
 しかし、そうでなければ、あのBBがはっきりとした恐怖を表に出してまで、アキラの排除を断念する事は考えられない。
「分かった分かった、俺が行ってあの小娘を叩きのめして来る」
 アリーナで潰すとだけ次げ、腹心はその場を去った。まだ、裏切るには早いかも知れないと、ロイヤルミストは見たのである。実際、次の彼の対戦カードではアストライアーとの試合である。同じ突進型のスタイルを持つ相手、しかも20歳の相手と、外見こそ20代後半だが既に不惑を過ぎた自分とではキャリアに大きな開きがある。勝利への自信はあった。
 ロイヤルミストは愛機を整備するべく、自身のガレージへと向かったが、一方では、そろそろ「自分の考え」も実行に移すべきかと考えていた。
 アリーナの頂点に立つ事を望む彼には、それを果たさずしてBB共々心中する気などなかったのだから。
14/11/22 11:20更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 第23話において、「番外:ある日のガレージの片隅」以来久々に文字数が1万字を割るかと思ったら、結局加筆修正の過程で1万字超えてしまいました(苦笑)。
 思えばBBが本格的に動き出して以来、アキラが登場したり裏切りにあったり、下水道に逃げたり(笑)と随分慌しい展開が続きましたが、ようやく一区切りが見えてきた感じがします。
 まあ本作は人間模様メインなので、刺客襲撃とかそう言う所は最小限に抑えてしまいましたが(爆)。だってそれは人間模様とはまた別の所にありますから……と言いうと、じゃあ第16話以後、今まで書き連ねてきたあのハードな展開は一体なんだったんだって話が(滅)。

 そして、まだ回収し切れていない複線も多数あるので、おそらく話はまだ広がって行くのは確実ですが、ともかく、ストーリーの区切りとなるBBへの復讐戦は確実に近付いています。

 次あたりに、いよいよBBとの直接対決が来ると思います。
 いよいよ復讐劇も終焉が近いですね。


■CAUTION!!
 今回、テラがスキュラの風邪治療で「兎に角出すこと」とか言ってますが、ああやって治る保障は出来ません。
 医師の診察を受けた上で、適切な指示にしたがって治療を!

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まろやか投稿小説 Ver1.50