連載小説
[TOP][目次]
#22.第3アリーナ情勢
 グローバルコーテックス管轄のACガレージは、ただACを保管しておくだけの場所とは限らない。
 実際はACを係留・整備するガレージは勿論、作業員や搭乗者用の仮眠室、同じ敷地内にはコンビニエンスストアやコインランドリー、一般乗用車用の駐車場、そしてコーテックス直轄のガレージの管理所等が設置されている。さらにはガレージと長期契約を交わした作業員の為の宿舎までも用意されている充実振りである。
 この宿舎は、宿舎内は作業員一人一人がよりプライバシーを保てるように作られている。採掘現場の労働者や企業の歩兵部隊用のそれが、何の事はないプライバシー皆無の共同宿舎であると考えれば、扱いはまさに雲泥の差といえた。
 その作業員用の共同宿舎の地下1階に、BBの刺客から逃れるため、自宅を飛び出したマナ=アストライアーが息を潜めていた。彼女は現在は殆ど使われておらず、半ば機材置き場も当然となった部屋の片隅に活動拠点を移していたのだ。
 スキュラの住居を間借りする事も出来たが、彼女はそれを避けた。親友に会うのが気まずい事に加え、迷惑が掛かるだろうと配慮したのである。
 地下室では、それまでとは比べ物にならないほど質素な生活を余儀なくされたが、慣れてしまえばそれほど気にはならなくなった。それに地下室に時折出没するゴキブリなど、自分の事しか頭に無い殺人鬼紛いのレイヴン達や、あるいはレイヴンの面を被った社会不適応者、そして管理者の実動部隊と戦って来た女戦鴉にとっては何でもなかった。この地下室で、レイヴンや管理者の部隊と比べられる様な危険は、刺客が潜んでいるかもしれない事以外に、果たして有るのだろうか?
 そんな彼女は、この地下室に(勝手に)身を潜めてから1ヶ月近い日々の間、エレノアの捜索を独自に行なう一方、アリーナの試合や依頼をこなしながら、自分の命を狙っていた40人あまりの刺客・ギャング・チンピラ・暴力団員・そしてレイヴン達を全員返り討ちにし続けてきたのである。
 それ以外の事象においては、大抵地下にとどまったままの彼女にも搭乗機の整備等で外に出て来る機会はあった。世界情勢やレイヴンの人間模様等の情報は、其処から断片的ながらも垣間見る事が出来た。
 そして今はまさにその状態であった。


「アスさーん!」
 まだ少年とも言って良い新米整備士、テリー=アルジャーノンが女剣士レイヴンを呼ぶ。キャットウォークに括り付けたハーネスに吊られて作業していたアストライアーはワイヤーを緩め、ガレージの床へと降り立つ。
 ヴィエルジュ周辺では、久々に整備士達が各種整備に奔走している様子が見られる。今日は5月30日なので、すでに整備士達のボイコットは終了し、昼過ぎからヴィエルジュの整備が再開されていた。
 アストライアーは、その手伝いをしていたのだった。
「さっき試合見てたんですが、バルバロッサさんがエースさんを破りました!!」
「そうか……」
 最近のエースはアキラに挑戦したいと語ってはいたが、バルバロッサやBBとの潰し合いを演じ、アキラに挑戦する猶予がなかった事は、ファンの間でも周知の事実となっていた。ただ、バルバロッサは挑戦の度にエースに死角を取られ、剣戟を浴びて惨敗する事も多々であり、彼とは相性最悪とも囁かれていたが……。
 勿論この対戦は、BBの意向は無視されていた。上位勢との戦いは、一人ずつ勝ち上がって行く事が不文律だったとは言え、そもそも自由にランカーに挑戦出来る以上、いきなりエースに挑む事も出来るのだから。
 ただし数日前、バルバロッサは実際にBBを蹴落としていたのを、アストライアーは偶然ながらテレビで見た。
 その戦いは両者ともグレネードを飛ばしあう壮絶な戦いとなったが、長くは続かなかった。防御面に劣るBBが、結局相手の圧倒的な攻撃力を前にして、これまで彼がそうして来たように、完膚なきまでに破壊され敗れ去ったのである。
 なぜ今になってBBが出て来たのかについて、ファンの間では疑問と疑惑が浮上したが、BBが一切のコメントをしていないため、意図は不明なままだ。ただ、試合後のインタビューで「五月蝿い」「黙れ」などといかにも焦燥したように吐き捨てた当りから、巻き返しを狙っているのではとも噂されており、アストライアーもテリーからそれを聞いた。
「いよいよ分からなくなって来たな」
 ストリートエネミーが横から呟いた。先程依頼を終えた彼は、スタティック・マンの修理をサイラスに任せて此処に来ていたのだった。
「そうだね、最近BBも大人しいし」
 そして当然のように、その傍らには妹分のアイドルランカー・ミルキーウェイが居るわけだ。
「まああの下衆はアキラやらエースやらを蹴落とそうと頭を捻ってるんだろう。ついでに私の抹殺もな」
 昨日も暴力団員5人に襲われたが、全員返り討ちにしてやったとアストライアーは吐き捨てた。
 其処まで聞いて、ストリートエネミーは気になっていた事を徐に話した。
「アス……さっき――と言っても依頼帰りなわけだが、トレーネシティの外れで動かなくなっていたACを見つけたんだが? あれはお前の仕業か?」
「無論」
 アストライアーは、ミラージュから依頼されてトレーネシティの警備の為、町外れを巡回していた最中にACの襲撃を受けた事を話した。搭乗者の素性を知る間もなく叩き潰してしまった事も付け加えて。
「攻撃して来たから応戦した、ただそれだけの事だ」
 だが破壊されたACの姿からは、とてもではないが単なる防衛とは考え辛い部分も有った。ストリートエネミーが見た所、サイプレスが駆るテン・コマンドメンツと同一のフレームに、マシンガンMWG-MG/1000とムーンライトを携え、小型ミサイルMWM-S42/6を装備したその機体は、両腕と頭部を斬られた上にコアを叩き割られた無残な姿を曝していた。
 だが、ミラージュからは攻撃を仕掛けて来るものは排除して構わないとの御達しもあり、彼女がACを破壊した事は特に問われなかった。
「正当防衛か?」
「当たり前だ、理由云々以前に死ぬ訳にはいかないのだからな。BBとの直接対決も夢ではないと会っては尚更だ!」
 アストライアーがそう確信する理由として、BBの息が掛かっている者をはじめとする上位勢が、ロイヤルミストを除いて全員行動不能となっている事にあった。
 グランドチーフはアストライアーに敗れて自害し、ファンファーレ、ノクターンはアストライアーの眼前で落命。コルレットはアストライアーに殺されており、フライングフィックスもいつの間にかアキラに殺されていた事が判明していた。
 サイプレスはBB派という訳ではないが、最近は彼のスポンサーに名乗りを上げたクレストが危機的状態に陥っている事もあり、スポンサー権限でアリーナ出場が停止させられ、貴重な戦力として駆り出される日々を送っていると言う。管理者信仰と言う立場から、それを肯定する立場のクレストも支持・貢献していたサイプレスにとって、それはアリーナどころの事態ではなかったのだ。
 上位ランカーのうち、なぜかワルキューレだけが消息不明だった。
 最近はアリーナにすら顔を出しておらず、メタルスフィアによれば、依頼に出撃する事も、その他の何かしらの形で見かけることも殆どなくなったという。その為、この場に居並ぶレイヴンと若き整備士は揃って、ワルキューレは死んだのではないかと疑い出す有様だった。
 インパルスやストリートエネミー、トラファルガー、そしてミルキーウェイ等、Cランク以下のランカー達は健在だった者も多かったが、彼等も最近流行の実働部隊と交戦し、帰還しなかった者が相次いでいる。
 その中に、ホヅミとツクヨという師弟レイヴンがいた。
 一度引退したホズミだが、弟子であるツクヨの技量向上の為、最近になってアリーナランカーにカムバックし、戦うたびに嘗ての強さを取り戻している彼は、いまや上位ランカー復帰も目されていた。だが彼もツクヨと共に依頼に出撃して以来、帰って来る事は無かった。依頼先で実働部隊ACの襲撃を受け、クライアントであるクレストの部隊共々破滅させられたと言う。
「上位勢は動くに動けない状況だ。他のアリーナから刺客を引っ張って来る可能性が無いとは言えんが、基本的には差し向けられた奴を斬首刑に処して行けば、そのうち奴自身が動かざるを得まい」
 実働部隊とアキラによって手駒を失っているならば尚の事と、アストライアーはメタルスフィアから仕入れて来た情報を元にし、敵の情勢を備に確認していたのである。
「だが油断しない事だ、伏兵が居るかも分からんぞ?」
 トラファルガーが口を挟んできた。そんな彼の手足や額には包帯が巻かれていたが、レイヴン達も整備士もその理由は分かっていたので、今更驚くほどの事でもなかった。
 と言うのも、トラファルガーは3日前に依頼を終えて戻って来る際に実働部隊のACと遭遇、辛くも撃破して生還して来たのだが、コアにグレネードライフルを食らってしまった――と言うのが、彼が自ら話した経緯だった。
 結果として、ダブルトリガーは中破状態となり、彼自身も右足と額に火傷を負わされた上に左腕を骨折、全治一ヶ月と診断されていた。当然依頼や試合に出撃出来るものではなく、せっかく戦列復帰したばかりだと言うのに、彼はまたしても休養を余儀なくされていたのである。
「一応、アリーナの下位にもBB派のレイヴンは居るからな」
 会話に加わろうとするトラファルガーだが、テリーに制止される。真面目な彼はトラファルガーが負傷しているので、彼には自重してもわらねばと考えていたのだ。
「トラファルガーさんは休んでてください、一応負傷者なんですから」
「おっと、済まないな」
 テリーに言われるがままに、トラファルガーは下がって行く。此処で反論しなかったのは、彼の人間性の表れだろうか。テリーがトラファルガーを出口まで送りに行くために離脱すると、残っていたレイヴン達は再び向き合って言葉を交わしだした。
「そう言えばお姉さま、そのトラファルガーなんだけどさ……何でも、仇はファンファーレだったらしいよ? 詳しい事は分かんないんだけど」
 ミルキーウェイはトラファルガーが仇となるレイヴンを失ったことで、現在目標を見失いかけている事を話した。
 確かに言われて見れば、以前の彼から見て取れたどす黒さや陰険さは虚無の影に取って代われているように見え、口調にも力が抜けているような印象を、アストライアーは感じとっていた。
 常人が一見あるいは一聞したところでは分からないが、この場に居るレイヴンたちの何れもが、そのような印象を抱いていた。
「……あれ、反応が薄いよ?」
 アストライアーを初めとした周囲の面々が、彼女が期待しているであろう驚愕や動揺と言った反応をしなかった事についてだろうか、ミルキーウェイが呟いた。
「奴ならやりかねんだろう、と言うのが正直な所だ。元々、奴の素性からして怪しい部分はあった」
 アストライアーは率直な感想を述べた。寡黙な事で知られるファンファーレだが、一方では彼女や周囲のレイヴン、そしてアリーナファンからは経歴を疑われていたのだ。
「それに、そんなのに構っちゃいられねぇってのが本音だな。何せ、今は色んな点で大変な事態だぜ」
 ストリートエネミーが言うまでもなく、レイヤードは混沌としていた。
 しかしそれでも、レイヤード第3アリーナの人間模様よりは節操があるといえるかもしれない。恐喝、裏切り、八百長、謀略などは日常茶飯事、アストライアーの父と同様、試合のない所で消されたランカーも相当数いる。
 全ては、アリーナに長年君臨し続ける暴君に原因がある。最も最近はアストライアー以下、BBを蹴落とそうと目論んでいるランカーもいると言うが。
「しかしトラファルガーの言う下位のBB派レイヴンってのには、おそらくフィクサーも混ざってんじゃねぇか?」
 異議無しとアストライアーは頷いた。
「絶対そうだよ!」
 ミルキーウェイが頷き、更に続ける。
「この間の戦い見たでしょ!? アイツ、あたしたちを放置して逃げてたんだから」
「やめろ!」
 背後から男が叫んだ。一同が振り返った先では、当然と言うべきか、話題の人物であるフィクサーが居るわけだ。
「何度でも言うが、あいつに逆らって消されるのは御免だ! だが、だからといって其処のレディ・ブレーダーを敵に回し、挙句の果てにシャドーエッジと同じく斬首刑とか、トルーパーのように逃げ回った挙句に事故死ってのも真っ平御免だがな!!」
 フィクサーは知っていた。半年ほど前、BBから娘を死なせたくなければ戦えと強制され、アストライアーに挑戦させられたトルーパーが、逃げ回って持ち前の突撃を仕掛けるべくチャンスを待つべく逃げ回った末、ショットガン被弾に端を発する愛機ヴァイパーのトラブルで、試合中に落命した事を。
 直接の原因は、OBの連発によって高温化していた機体から流出していた燃料がOB機構内へと侵入、高温に曝された事で発火し、爆発を誘発した事が事故調査から分かっていた。だが、それがヴィエルジュの剣戟から逃れる為、OBを連発しなければならなかった事を如実に語っていた。
 既にこの時から、アストライアーはレディ・ブレーダーとして成長を続けていたのだ。
 そしてその後にアストライアーに戦いを挑んだシャドーエッジだが、こちらは愛機クラッシュボーンの背後を取られた挙句、斬首刑に処されている。スクラップ化した機体からシャドーエッジは救出されると同時に病院に搬送されるも、既に高熱による深刻な脱水症状と火傷により、身体の水分バランスを崩していた彼が意識を取り戻す事はなかった。
「お前もやめておいた方が良い。あいつに喧嘩を売らない方が――」
 身のためだと続けようとした所で、アストライアーが投擲したドライバーがフィクサーの左頬を掠め飛んだ。ドライバーは彼の背後のコンテナに、矢の如く突き刺さった。
「毎回毎回うるさい野郎だ」
 アストライアーの口調が見る間に荒くなり、殺意が露骨に表れる。
「いっその事、BBの前に貴様を斬ってやろうか!?」
 目前の女剣士の殺意が本気であると本能的に悟り、フィクサーは恐怖ゆえの奇声を発して逃げて行った。
「おいおいアス、またマジになって殺らんでも良いだろうに」
「黙れ」
 鋭刃の様な視線に当てられ、ストリートエネミーは背筋を流れる体液が氷水のように冷たくなっているのを感じた。
「オーケーオーケー、黙っとくから物騒なものはしまっててくれや」
 何とかなだめようとするストリートエネミーを睨みつけながら、アストライアーはまたハーネスを伝い、クモの様にヴィエルジュの側面を登ると、再びもとの場所に取り付いて作業を再開した。
 エレノアが消えて以来、アストライアーはまた以前同様の情緒不安定な戦闘機械に戻っていたことを周囲のレイヴン達は感じ取っていた。整備士のジョークに拳銃を突きつける等、その表情に余裕が無く、以前にも増して表情は険しいものとなっていた。
「お姉さま、どーしちゃったんだろ?」
 最近のアストライアーの変貌振りの背景にエレノア不在があることを、ミルキーウェイは知らなかった。
「最近色々有るからな。スキュラがアスの奴を始末しに来るわ、刺客が来るわ、依頼先で僚機に裏切られるわ、直美にボコられるわ、アリーナでブリュンヒルデに負けるわで」
「エレノアが居ない事も関係してるのかなぁ? 最近ガレージに来てないし」
「多分な」
 ストリートエネミーが珍しく、真剣な顔をして言った。理由についてまでは分からないにしても、エレノア不在と言う事実に、ストリートエネミーは薄々勘付いていたのだ。
「それにしても、まさかアスが中堅ランカーのブリュンヒルデに負けちまうとはなぁ……」
「そーだよね」
 義兄妹レイヴンの会話の中心人物となっていたブリュンヒルデは、レイヤード第3アリーナの女性ランカーで、現在はランクC-3に位置している。
 性格は非常に活動的かつ攻撃的とされるが、相手との正面向かっての撃ち合いや、純粋な技量勝負を好む正々堂々とした性格の持ち主として知られており、その素性は丁寧に振舞っていても現れるようで、戦闘開始時に穏やかな口調だったのが、次第にテンションの高い歌手の様な口調に変わる、と言った事も多々である。
 その事もあり、同じく地上の神話に登場するオーディンと呼ばれる大神の侍女である戦乙女にレイヴン名が由来している事から、度々ワルキューレとの引き合いに出されていた。
 素性は基本的には温和で、自分より幼い者、弱い者に対しては無条件で優しいと言うが、その一方で冷徹になりきれない所があり、依頼先で敵ACを追い詰めながら逃してしまうという失態を犯していると、ストリートエネミーは聞いた覚えがある。
「でもさ、同じくBB嫌ってんだから、アスお姉さまと手組めば良いのにって思うんだけど」
「いや、性格上無理だろ」
 ブリュンヒルデはレイヴンの中にあって珍しく正義感が強い女性で、それ故BBに代表される露骨なアウトロー臭を漂わせている同業者に対し、激しく敵意を抱いている事でも知られていた。目的の為に立ち塞がる存在を悉く抹殺して来たアストライアーも、例外ではなかったのである。
 そして、ストリートエネミーとミルキーウェイはそんな彼女の試合を観戦していた。
 当初はアストライアーが勝つかと思いきや、始まってみれば斬りかかろうとしたヴィエルジュはEOやパルスライフルによるエネルギー弾攻勢に曝され、トドメにグレネードで砲撃され敗戦と言う結果になった。ただしアストライアーも黙ってやられた訳ではなく、ブリュンヒルデが駆るフロイラインの両腕と右足を切り落とし、直撃こそしなかったが、コアに剣戟とショットガン銃撃を見舞っていた。
「最悪、俺と同じ目に遭っちまうかも知れねぇしよ」
 そして、アストライアーが敗北する少し前には、ストリートエネミーがブリュンヒルデと試合した事があった。だが彼は繰り出される攻撃を回避するのに手一杯の状態となり、攻撃するどころではなかった。
 終わってみれば撃破こそ免れたものの、終始攻められっ放しの一方的なワンサイドゲームとなり、パルスライフルとEOの連打で削られ、放たれたミサイルを捌き切れず、挙句携行型グレネードを被弾する始末。
「第一、あの女はレイヴンを心底嫌っているからな」
 レイヴンは自由を風評としているが、その実は社会不適応者やならず者と、掃き溜めの様な連中ばかりだ。少なくともアリーナを牛耳るBBとその派閥の面々、復讐を面目とした破壊と殺戮に身を染めたアストライアー、下位ランカーを恫喝するフィクサー、犯罪者上がりのストリートエネミー(最近、めっきり大人しくなっているが)等と、彼等が犇いているレイヤード第3アリーナにおいてはそうと言わざるを得ない。
 そんなブリュンヒルデだから、もし依頼先で敵として出くわしたら間違いなく殺されていたなと、ストリートエネミーは内心戦慄していた。
 そして、悪運と言うものはかくも当ってしまうものだろうか――翌日のアリーナは一触即発の空気となっていた。


 この日見られた一触即発の空気の原因は、アリーナの裏で、アストライアーがブリュンヒルデと偶然遭遇した事に起因していた。だが両者とも、価値観や思考の食い違いから互いの相手を激しく嫌悪しており、繁殖期の獣のように、会うなりいがみ合いを開始していた。
 そして、女物のスーツに身を包んだ銀髪の女性と濃紺の髪と瞳を有する女剣士が睨みあう姿を、ストリートエネミーは目撃してしまった。
 偶発的に、そして本人の意思とは無関係に。
「誰の許しを得てこんな薄汚い所にいるのよ?」
「野暮用だ。貴様こそ何がしたいんだ? BBを嫌うなら、私に構わずあの下衆を仕留めに行けばいいものを」
「あなたも奴と同じよ。憎悪に駆られて殺すだけの嫌な臭いのする奴と言う点ではね」
「……BBの前に殺すぞ」
 アストライアーは拳銃を抜き出し、黒い刃を相手の白い肌に突き立てる。
「侮辱ってものが分かるのね、だったら少しは弁えたらどう? その凶暴さが忌み嫌われる理由だって事を」
 ブリュンヒルデも電光石火の速さで拳銃を抜き出すと、アストライアーの顎に突き付けた。
 ストリートエネミーから見れば、ブリュンヒルデは嫌味にも程がある相手だった。同時に、その顔立ちはとてもではないがレイヴンとは思い難いほどの美しい顔立ちであった。その顔から、口で言うほどでもないほどの穏やかさの微粒子も漂わせているのだが、吐き出される言葉はまるで包丁のように心を抉ってくる。何とも困った奴、勿体無い奴だと彼は胸中で嘆いた。
 周囲の空気が張り詰め、重く圧し掛かる。ストリートエネミーは押し黙り、ミルキーウェイは何とかならないのかと間誤付くばかり。
 だが、緊張は破られた。
「此処に居ましたか」
 駆け込んできたのはテラだった。どうもブリュンヒルデに用があるらしい。
「エース殿が呼んでましたよ、貴女に用があると」
 テラに言われ、ブリュンヒルデは拳銃を下げると足早に其処を去った。
「……次はこの程度では済まさないわ、覚えておく事ね」
「邪魔をするな」
 やれやれだと、義兄妹レイヴンは揃って胸を撫で下ろした。同時にストリートエネミーは、次に二人が出合った時はどちらかが死ぬ事になるだろうと察した。
 安堵のあまり、二人は揃ってふらっと倒れ掛かったが、あわてて姿勢を元に戻した。
「全く血の気の多い奴だ」
「いやいや、あんたも同じだろーが」
 ストリートエネミーに突っ込むアストライアーの横で、テラは頷き、続けた。
「でもあの人、レイヴンは勿論ニホン人も嫌いですからね。その末裔であるアストライアー嬢に敵意を剥き出しにするのも必然と言うべきでしょう」
 実の所、アストライアーには、ブリュンヒルデが忌み嫌う民族の血が若干ではあるが混じっている。だがレイヤードの中においては、民族の差など如何ほどの意味も持たない。同じ言語を公用語とし、同じ法の下で生きる事を余儀なくされているのだから。
「ニホンかよ……あんな糞溜めみたいな国……」
「その名を出すのは止めろ。本気で腹が立って来る」
 大破壊前に極東の島国で栄え、古代においては黄金の国とも目されていたその国だったが、政治家達の腐敗によって規律は乱れ、社会レベルでのモラル低下による犯罪件数の増加、一方的な民衆からの搾取によって社会活力衰退を招いている事を、ストリートエネミーは聞いた事がある。
 末期となると女は勿論、幼女さえもが対象となる性的メディアが公然と氾濫するような有様であり、アストライアーはそのことで不快感を露わにしていた。
 なぜなら、所謂児童ポルノと呼ばれる存在は勿論、子供を食い物とする行為の一切は、アストライアーにとって、激怒と憎悪の対象でしかなかったからだ。それが半ば公然となっていたと知ってからは、尚更の事だった。
 そのほかにもさまざまな要因はあったが、いずれにせよ、嘗て黄金の国と呼ばれ、サムライと言うストイックな価値観を持つ戦士発祥の国としても知られていたその国は、役人の腐敗と暴走によって急激な機能不全を引き起こし、惑星規模での大災厄を待たずして崩壊。無法者が世界各地から流れ込んで来る腐敗と堕落の国へと変貌し、その後の惑星規模の大規模破壊を経て、歴史の狭間へと消えていった。
 ストリートエネミーが言っている事は決して嘘ではなかった。ニホンは、まさに肥溜めのような場所だったのである。だからブリュンヒルデも、腐敗と堕落の国となった場所の人間を忌み嫌っていたのである。
 最もレイヤード内においては、退廃した時代のイメージだけが先走りしており、それが反面教師となっている感が否めないと言うのもまた事実ではあったのだが。
「まあ、かく言う私もそう言う糞溜めの末裔なのだがな」
 毒づくアストライアーを横目に、ストリートエネミーは気を不味くしたかと肩をすくめた。
「だけどな、そんなのは別に問題じゃねぇ」
 ストリートエネミーはアストライアーの声に動じる事も無く、悠長な言葉を返し続けた。
「本当に問題なのはどう生きるか、そして負けるならどう負けるかだ。お前とは言わんが、どうせ負けるんだったら少ない損失で負けたほうがプラスになるわい」
 そうか、とだけアストライアーは呟き、ついつい余計なことを考えてしまったなと、溜息をついた。
 その隣では、ミルキーウェイが不満げな顔を義兄へと向けてきた。
「むー、何でお兄ちゃんはそう淡白なのよぉ」
「淡白じゃないぜ。俺は由緒正しい正統派アウトローレイヴンに相応しく、俺達を裏切らない金の為に動いてんだからな。今は何かとトラブルが多い、従って稼ぎ時だしな。簡単にくたばる訳にはいかねぇ」
「貴方の場合、金という概念だけでは説明し切れないでしょうね。ミルキーウェイ嬢も居る事ですし」
 テラに突っ込まれ、ストリートエネミーは補足した。
「金だけじゃねえってーと……じゃあ俺は、要求充足教の女教徒であるミルキーに追われ、なけなしの資金を集める為に危険な世界を渡る、万年金欠病のド貧乏ランカーってとこか」
 実働部隊も相変わらず跳梁しているし、アリーナでは辛気臭い派閥抗争に巻き込まれるとも限らない。こうした背景もあり、ただでさえ血生臭く殺伐としたレイヴン界全体が、いつにも増して張り詰めた空気に満ちている。先程はブリュンヒルデとアストライアーが殺し合いを演じるかも知れず、昨日もコーテックスの死傷者名簿にフィクサーが追加される所だった。
 そんな中で連日依頼やら何やらをこなしているのだから、パンクしない方が不思議だなと、ストリートエネミーは自分を振り返った。
「何であたしなの?」
「お前が強請り過ぎなんだよバカ!」
 最近になってミルキーウェイに引っ付かれている事の多いストリートエネミーは、日々ショッピングやレストランでの食べ歩き等でミルキーに金をせびられ、ファイトマネーや成功報酬も着実に稼げているにも拘らず、金銭問題が重く圧し掛かっていた。
「うぅ……そーやってお兄ちゃんは人のせいにするんだね!?」
「いや、待てって」
 子供のように涙で潤んだ瞳がストリートエネミーに向く。その瞳を目の当たりにした彼からは、思わず攻撃意識が消滅していた。子供に弱い彼の性だろう。ただし、目前のお子様の身体は成人していたのだが。
「おにーちゃんのバカぁ!」
 半泣きで手を駄々っ子のように振り回してドツくアイドルレイヴンであった。
「うむ、大き過ぎる愛は時に人を破滅に導くものなのですね」
「貴様も気取るな」
「……相変わらず突っ込みキツイですね」
 辛辣な性格に文句があるならBBに言えと、アストライアーは付け加えた。
「そのBBも、一体今何を考えているか……御存知でしたか? 彼子飼いのランカー達が、相当数アキラに葬られてしまったそうですよ」
「そんな事を聞いた覚えがある」
 アキラを蹴落とそうと様々な謀略を巡らせ、各所のアリーナから有力ランカーを資金力任せに引き抜く等の根回しを行なってきたBBだが、しかし既に彼の持ち駒が、殆ど失われていた事をアストライアーは感じていた。
 そして、アストライアーの方もBB子飼いと思われるランカーや、彼が送り込んで来た刺客の類は相当数葬って来ていた。此処1週間の間、どこへ行こうと彼女は何かしらの襲撃を受けている。今日はまだ刺客の類は現れていないが、これとていつ遭遇するとも知れないし、また別のランカーを金で引き入れる可能性が非常に高い。
 何しろ奴はアリーナを長年牛耳り続ける暴君、恐らくはアリーナのファイトマネーの流れすらも牛耳っているかも知れぬ男なのである。
「何と言うか……アリーナランカーの抗争が表面化してますね。不毛な小競り合いは他所でやってもらいたいものです」
「全くな」
 抗争の間にも、アリーナのランカーの顔触れは入れ替わっていた。
 BB子飼いだった有力なランカー達はアキラに屠られ、その他のレイヴンは主に実働部隊によって負傷したり、帰らぬ人となるケースが続出している。
 長らくアリーナに居座っていた馴染みの面々は次々に姿を消し、今まで名前を知らなかった無名のランカーばかりが補充されて来る。大抵はアストライアーから見れば雑魚であったが、アップルボーイやスパルタン、サンドヴァルやアサイラムと言った注目株が増えて来ているのもまた事実であった。
 果たしてランカーレイヴン中の何人が、この動乱の時代を生き延びる事が出来るのだろうか。それ以前にエネルギー炉を破壊されるなどして、レイヤードごと人類は破滅してしまうのだろうか? そうなればアリーナも終わりだ。
 神の如き戦力を持つ管理者の実働部隊ならば、すぐにそうする事も出来るだろう。だが何故それをしないのか……アストライアーは疑問に思った。
 いや、管理者はアリーナの派閥抗争には関係ないかと、直ぐに考えを訂正した。
「ただ、此処でBBがいなくなると……このアリーナはどうなるんでしょうかね?」
「分からん」
 アストライアーにとって、BBを殺した後の事など今はどうでも良かった。今はただ、BBを闇に滅し、地獄の業火の中へと叩き落す事だけを考えるのみだった。家族を殺し、自分をこのような目に遭わせた元凶を葬り去る事が、今の彼女を支配していた。そして、その時が間近に迫っているかも知れないことも……。
 だが一方で、エレノアの不在と言う問題が、彼女の心と精神を縛っていた。既に行方が知れなくなって1ヶ月近くが経過するが、その間全く音沙汰がなかったのだ。一体どこがどうなっているのか、彼女は心配でならなかった。BBとの決着も夢ではない中で、この迷いをどうにかしなければならないだろう。
 だが、そうは言っても……。
 アストライアーはBBへの復讐とエレノア不在による不安とで板ばさみとなっていた。翌日も、その翌日も。ただしチンピラに狙われていた時、それは煙のように霧散することとなったのだが。


 そうして撃破スコアをまた一つ更新し、依頼から戻って来たアストライアーは異様な光景に気が付いた。
「何やってるんだ?」
 作業を終えたサイラス以下整備士軍団は勿論、ストリートエネミーやテラといった同業者達までが、砂糖に群がるアリ宜しくテレビの前に集合していたのだ。
「エースとBBの試合なんですよ」
 疑問に答えたのはテラだった。もともとACを置いていたガレージが実働部隊によって壊滅させられて閉鎖となり、逃げるようにして此処の空きハンガーに愛機を係留させてもらっていたのである。
 またもエースとBBの試合かとアストライアーは呟いた。最近、エースはアキラやバルバロッサとの戦いを希望しているものの、いまだに王者奪回を目論むBBとの試合ばかりで、先日のバルバロッサ戦でやっと他のランカーと試合できたという有様なのだ。
「品性だけでなく、性懲りまで無い奴だな」
「ええ、性根はその前に腐ってたんでしょうけどね」
 テラは嘲笑した。
「ですが今後、彼への対策を練る為、見ない手は無いでしょう。彼への復讐を前提とする貴女なら、尚更の事ですよ」
「己を知り敵を知る、か。確かに一理あるな」
 アストライアーもレイヴンと整備士、その他の面々からなる人込みに突入し、今度こそはと暴君の戦いぶりを目の当たりにしようと争奪戦に参加した。


 アリーナの時計は間も無く午後8時を回ろうとしているが、かつてアリーナの頂点に君臨した者同士の戦いを一目見るべく集まった観客からは、音響兵器と呼んでも差し支えないレベルの歓声が上がり続けていた。
「Ladies and Gentlemen!! 大変長らくお待たせしました。本日の最終試合にしてメインイベント、エース対BBの試合を開始します!!」
 その歓声の中、黒地と黄褐色に彩られた中量2脚「アルカディア」と、灰褐色の重量級逆間接「タイラント」は対峙していた。
「性懲りも無くまた来たか。貴様の三文試合に付き合うのは最早飽きたぞ」
「ならばさっさと俺に負ける事だ。此処の頂点に立つのは俺なのだからな」
 呆れた声のエースと、殺気のこもった声のBB。純粋に高みを目指す者と、自己顕示欲剥き出しでそれに挑む者の構図は、その内面的様相も全く正反対だった。
「力を弁えろ。貴様の実力はもう知れている」
 最早、BBの声には耳も貸さないと言った素振りのエースは何を思ったのか、愛機アルカディアの右腕に装備されたスナイパーライフル、肩のチェインガンと携行型グレネードランチャー、エクステンションのミサイル迎撃装置を次々に武装解除した。残っている武装はブレードのみ。
『おおっとエース選手、ブレード以外の全武装をパージ! どうやら今回はブレード一本で戦うようです! 元王者の剣舞、これは見逃せません!』
 実況の間に、アルカディアはブレードから青白い刃を生成。それをタイラントの前に突き出して見せ、次いで外部の人間にも聞こえるように、スピーカーのボリュームを最大まで上げた上で吐き棄てた。
「貴様など、最早まともに戦うに値しない。が、貴様のその執拗なまでの薄汚い姿勢に一応の敬意を表し、剣戟のみで捌いてやる」
 突如見せたエースの挑発行為だが、観客はそれを見てどよめき、数秒のうちに、それは歓声に変わった。
「ふざけやがって……!」
 このやり取りの間に、試合前のカウントダウンはすでに開始されていた。
「READY――GO!!」
 試合開始と同時に、アルカディアはOBを発動させてタイラントに突進。
「貴様から来るとは、こちらから仕掛ける手間が省けたぞ!」
 そしてタイラントはグレネードランチャーから榴弾を撃ち出す。それはアルカディアに直撃し、耐久力に劣る上半身の軽量フレームを高熱と衝撃で激しく痛め付ける。
「火力に勝る相手に正面から近付くとは、無策もいい所だな、エースよ?」
 だが、アルカディアは爆風を突っ切り突撃。砲撃からコアを庇ったのか、その右腕が肘関節から消失していた。
「その台詞、そっくり返す」
 BBの舌打ちからコンマ数秒遅れ、タイラントは再びグレネードランチャーから次々に榴弾を放つも、アルカディアはOBでの急接近と同時に左右へと激しく切り返し、砲撃の狙いを次々に外す。
「パワーだけで勝てると思ったか!」
 やがてアルカディアはタイラントの至近距離まで接近、すれ違う瞬間、ブレードを一閃させた。コアの迎撃機銃が、装甲諸共削ぎ落とされる。
 タイラントも旋回、拡散バズーカやグレネードランチャーで迎撃するも、その過剰装備が災いして機動性が著しく低く、身軽になったアルカディアに一撃を叩き込めない。
 苦し紛れの醜態を呈す暴君だが、それでもエースは全く容赦しない。側面に回り込んだかと思うと、立て続けに青白い刃を叩き付ける。右腕、右肩の3連ロケット砲が次々に切り落とされ、続いて上空に舞い上がり、今度波及効果から止めの一撃を叩き込まれると、タイラントはあっけなく爆発し、その場に崩れ落ちた。
『試合終了! エース選手の勝利です!! BB選手、またしてもリベンジはなりませんでした!!』
 この間、試合開始から僅か30秒足らず。剣舞と早業に観客が、ガレージのテレビの前に集まったレイヴンと整備士達がどよめく中でも、アストライアーは全く表情を崩す事無く考えていた。エースならばBBをあっさり倒せるはずなのに、何故これ見よがしにブレードだけで戦ったのか?
 テラとトラファルガーはその横顔を一瞥し、BBと対峙した時に、如何にして戦うかを考えていたのだろうと察した。アストライアーの胸中など知らないままに。
 そして女剣士の事など知る由もなく、エースはコックピット内で静かに呟いた。
「見ていたか、アルタイルの娘よ……次はお前が、ヤツをこうする番だ」
 エースがムーンライトのみで戦った理由。それは戦闘スタイルが同じアストライアーを、最大限意識した為だった。彼女ならこれ位の事は出来るだろうと確信した上で。
 しかし観客はそれについて全く知る由もなく、ただただ、元トップランカーが見せた並外れた剣の腕前を前に、驚愕の歓声を発するのみだった。
11/02/17 10:59更新 / ラインガイスト
前へ 次へ

■作者メッセージ
 第22話は「アリーナの此処までの勢力関係のおさらいをやっても良いのではなかろうか」言うところから執筆を始めました。
 BBに牛耳られている中でのアリーナの勢力図、人間模様等とそれに関係してのストーリー、世界背景の補筆みたいな感じです。

 フィクサー絡みの話が度々登場していますが、彼はゲーム中でこそ下位ランカー(勿論プレイヤーの事)を恫喝していましたが、第16話で描写された事を踏まえ、「BB一派の言いなりになるしか選択肢がなかった気の弱い奴」として描写しています。
 実力もポテンシャルも確かなものがありますが、しかしBBに立ち向かうだけの勇気がなかった――そんな所です。

 また、此処でブリュンヒルデを登場させ、今後の展開に向けてちょっとした準備をしています。
 後々彼女もストーリーに大きく関わるのですが、それについてはまだここでは書けず。今後のストーリー待ちと言う事にさせて下さい(ぇ)。

TOP | 目次

まろやか投稿小説 Ver1.50