連載小説
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#15.ジンクス
 この日――4月7日の早朝も、特にこれと言った事件もなく、平穏なままに訪れていた。規則的な生活を送っている人間の殆どは既に起床し、一日の活動準備を進めている。
「ごちそうさまでした」
「……腹いっぱいになったか?」
「うん」
 マナ=アストライアーの周辺も、その例外ではなかった。
 今日の朝食はパスタとサラダ。パスタの方は茹で上がりさえすれば手早く食せる手軽なものだ。
 栄養価的にどうなんだと言う話もあるが、食べなければ一日の活動に支障を来たしかねない。ましてやエレノアは成長真っ盛りの幼女、目覚めたその時から、彼女の肉体は食物を欲し続けている。
 アストライアーもそれは理解しており、この十数分前までは、彼女はショットガンやブレードの代わりに、調理器具を手に、エレノアの食欲と言う敵と戦っていたのである。
「……流石にパスタばかりも考え物か」
 ここ数日のメニューを振り返り、アストライアーは呟いた。エレノアが好きだからと言う理由で、連日に渡ってパスタやスパゲッティばかりだったのである。成長期の子供の事、栄養価的観点から言って好ましい事ではなかった。
 幸い、エレノアは好き嫌いこそないものの、食のレパートリー追加及び栄養バランスの考慮が急務であると、アストライアーは察した。
「さて、ちょっとガレージまで行って来るな」
 食休みもそこそこに、アストライアーはテーブルに置かれた食器を台所の水周りへと次々に移動させながら、これからの予定を口にした。
「どうして?」
「呼ばれたんだ、前々から腐れ縁だった男にな」
 アストライアーのメールボックスに、「協力要請」という件名と「トラファルガー」と言う送信者名が付けられたメールが届いたのは、昨晩の事だった。彼は明後日、アリーナで挑戦者を迎え撃つ事となっており、それに先立つ練習試合に関して話があると言う。
 トラファルガーからのメールに記されていた文面の趣旨は大体こんなものである。そしてこれから、メールの内容についての話の為、ガレージに行くと言うのだ。
 メールの文面と署名、また併せて表示された二丁のリボルバー式拳銃と、燃える様な赤い瞳――搭乗機に記されたエンブレムから、彼女はこのメールが本人のものだと判断、召喚に応じて動く事にしたのである。
 トラファルガー自身も、ガレージのどこかで彼女の訪れを待っている事だろう。
「ね、アスおねーさん」
「何だ」
 どんな頼みごとが来るのだろうか。まあ子供の事だ、そう大したものでもないだろう――そう、決めて掛かっていた時だった。
「ついていってもいい?」
 アストライアーの顔から血の気が引いた。驚いたのは言うまでもないが、それ以上に「何故そんな危険な場所に!?」と言う気持ちが強かったのだ。
 何らかの娯楽施設なら兎も角、戦闘用のACを係留しているガレージなど、幼女が行く場所ではない。アストライアーはそう認識している。
 エレノアからすれば、自分と一緒に居たいのだろうとは、アストライアーにも薄々分かっている。しかし、まさかガレージにまでついて行くと言い出すのは、予想外だった。
「もしダメだ、と言ったら?」
 断る事を前提に、幼女に問いかけるアストライアー。最も、次に出て来る言葉は大体察しが付いていることだが。第一、外見年齢6〜7歳前後の幼女が「ダメ」と言われた所で大人しくしている筈もないだろう。
「ないちゃうよ……」
 たちまちエレノアの瞳が潤み、それを見たアストライアーはジレンマに陥った。
 エレノアを連れて行けば、同業者に付け入る隙を見せる事になりかねない。しかしエレノアを置いて行けば自分は嫌われてしまう。その上、留守を踏み込まれる可能性も否定出来ない。しかし、だからと言ってガレージに連れて行くわけにも行かない。
 このジレンマを打開出来る、何か良い方法論は無いものか。目の前の一大問題に対する結論を導き出せないまま、時間だけが流れていく。
「……」
 エレノアの瞳がさらに潤んでいる。最早選択の余地はなし、アストライアーは決断を迫られた。
 この間、時間にして僅か1分足らず。しかしアストライアーには、その1分が異様に長く感じられたはずである。


(全く、甘っちょろい感情にほだされるとは……)
 バイクを飛ばしながら、アストライアーは己の甘さを呪っていた。その理由については、彼女の後ろで小さな両腕を回し、離れないようにしているエレノアが物語っている。
 これを他のレイヴン達に見られれば果たしてどうなるか――頭の痛い問題がアストライアーに伸し掛かっていた。エレノアを人質に取られ、ろくでもない要求を告げられるかも知れない上、ガレージで事故が起こり、巻き込まれる可能性すらある。
 そしてその事故が意図的な自分を狙ってのもの、と言う事も考えられた。
 最悪の事態は考えるのも恐ろしかった。
 だからこそ、アストライアーは同業者に向ける為の拳銃や催涙スプレーの缶、父の形見である黒い刃をしたため、さらに後部に背負ったバッグの中には折り畳んだショットガンと、それに装填する12ゲージショットシェルも詰め込んだ。
 胸中には、最悪の事態を引き起こしかねない下衆どもに突きつけるべき言葉も押し込んでいる。
 常日頃から「如何なる手段をもとりかねない、社会不適応のクズ野郎」と認知した輩の寄せ集め所に身を置く彼女の事だ。戦う為の爪も牙も、逃げる為の翼すらも持たぬ子供は、彼等にとって格好の標的となりかねないと見ている。
 勿論全てのレイヴンがそう、と言うわけではないが、嘗て凄惨な過去を目の当たりにし、今また無法者達と接し続けてきた経緯がある女戦鴉が、エレノアを守る為にこうした殺人的装備を有する事になるのは必然と言えた。
 アストライアー自身、レイヴンは必要最低限、依頼や何かしらの事情があった上でのやり取り程度でのみ、彼等と関わっている。それ以上の余計な詮索は控えるべきで、必要以上の肩入れは自らの破滅に繋がると割り切っている。自身がその典型例だからだ。
「良いか、私の傍から離れるなよ」
 エレノアは頷くと、アストライアーのコートの裾を握り締め、しがみ付くようにして密着した。
 程なく、バイクはガレージへと乗り入れた。


「来てくれたか」
 女戦鴉がバイクを止めた直後、後から話しかけてきたのはトラファルガーだった。その横にはガレージのベテラン整備士、サイラス=レッシャーの姿もある。
 二人揃って作業服姿だったこと、そしてガレージに彼の愛機ダブルトリガーが係留されていたところから、二人してダブルトリガーを整備していたのだろう。
「サイラスも一緒だったか。ヴィエルジュはどうなってる」
「一応動けるようには――ん?」
 いつも通りの振る舞いを見せるアストライアーだが、サイラスは何時もの彼女と今の彼女を比較して、明らかな違和感を感じていた。やはり、エレノアの存在がその原因だった。
「その娘、エレノアとか……いや、今のは聞き流してくれ」
 アストライアーの視線が自身に向けられていた事を思い出し、トラファルガーは台詞を濁らせた。やはりと言うべきか、目前の女剣士はレーザーブレードの様な、見ただけでもバッサリと斬られそうな眼光を発している。
「トラファルガー、あの娘知ってるのか?」
「……聞くな。その方が身の為だ」
 薄汚い復讐者だが、決して愚者ではないトラファルガーは分かっていた。怒ったスズメバチの様な後輩にまとわりついているものに、危険を冒してまで触れるべきではないと。
 トラファルガーのそんな意中を知ってか知らずか、サイラスは了解と耳打ちした。
「アスの奴……主旨変えか?」
「心を入れ替えたようには見えねぇけどな」
 そして周りの人間も、女剣士に興味津々だ。厳密には、彼女にしがみ付いている幼子に興味が向けられているのだが。
「あんな可愛い子がガレージに……」
「管理者がトチ狂ったんじゃねえだろうな……」
「最近流行のエイプリルフールか?」
 何時しか、アストライアーとエレノアには、同業者や整備士、その他の面々の、遠巻きの視線による集中砲火が。
 周囲の視線を感じてか、エレノアはちょっと困った顔をしてアストライアーの後から顔を覗かせている。少なくてもアストライアーには、脅えて隠れているように感じた。
「見るな貴様等! さっさと愛機の整備でもしてろ!!」
 周囲の視線を感知し、アストライアーは怒鳴る程ではないが大声を出した。
「うるせぇぞアス!」
「ちょっと位良いだろうが!」
 アストライアーは20歳でアリーナBランクランカー、このガレージにはAランクランカーこそ居ないものの、彼女よりも年を食った連中や、ミッションで名を上げている連中も少なくない。
 とは言え、彼らは別に怒っている訳ではなく、少しからかっているのだ。だがその行為は、エレノアには少々理解に苦しむものだった。
 そして、アストライアーは彼等の反応がからかい程度である事を理解できなかった。罵声を発し、狂ったように黒百合を振り回し、部外者に突進を食らわし始めた。
 トラファルガーとサイラスが二人がかりで、彼女を止める事になったのは言うまでもない。


「で、私を呼び出してどうする気だトラファルガー?」
 野次馬達を追い払い、本来の目的を思い出したアストライアーはトラファルガーへと向き直る。流血の惨事は、彼によって未然に終わっていた。
 慣れ親しんだ顔ではあるが、深海の闇を写し取ったようなその瞳からは、相変わらずの冷たい殺意が放たれている。幾ら知人と言えど、レイヴンである以上、彼女にとっては「何時裏切るかも知れない相手」なのである。
 スキュラは例外として、の話だが。
「練習試合に付き合ってはくれないか?」
 勿論、トラファルガーが練習試合の相手にアストライアーを呼び出したのには理由がある。
「3日前、トリパノソーマから挑戦を申し込まれてな」
「……他に適当な練習相手がいるだろう」
 確かにアストライアーの言う通りである。周辺にはストリートエネミーやミルキーウェイ等、確かな腕を持つ面々は何人もいる。何も自分でなくても良いのではと言うのだ。
「確かにそうだろう。だが、トリパノソーマの戦闘スタイルを考えてくれ。お前を呼んだ理由が分かるはずだ」
 言われるに及び、アストライアーはトリパノソーマの情報を脳内で分析しだした。
 彼女の記憶が確かなら、トリパノソーマは最近相次ぐランカーの死亡により、補充ランカーとして参戦した男である。技量はアストライアーから見る限り、特筆するべき点はない。
 彼の操る中量2脚AC「キッシングバグ」は両肩に小型ロケット砲CWR-S50、右腕にグレネードライフルCWGG-GR-12、左腕にはレーザーブレードCLB-LS-2551を装備し、OBからのグレネードやブレードを武器に突撃を仕掛ける派手な戦闘スタイルを持つ。より重武装と言う印象はあるが、インファイトを得意とするヴィエルジュと、コンセプト上では似ていた。
 恐らく、トラファルガーはその当たりに着目した上で、練習試合の相手としてアストライアーを呼び出したのだろうとアストライアーは察した。同じインファイトを得意とするランカーであれば、ランクが一つでも上の相手の方が、良い練習相手になるだろうからだ。
「で、練習試合の相手として私を指名か」
「勿論。と言うより、お前でなければ駄目なんだ。是非協力して欲しい。俺からの依頼と言う形でコーテックスには話を通してある。勿論礼は出そう」
 アストライアーはインファイトの名手として名高いノクターンすら、愛剣の錆にしているほどの腕利きで、女性で強化人間とは言え、今や近接戦における腕では群を抜いている存在である。
 加えてトラファルガーとも面識が有り、今の所、裏切りやその他の個人的理由で自分に刃を向ける心配はないだろうと、彼は見ていた。
 周囲から「あの小娘の肩を持つのか」と詰られる事は必至だったが、しかし彼自身は、アストライアーの技量と戦跡を高く評価しているつもりであった。
 そう言う理由もあって、アストライアーに白羽の矢が立てられたのである。この女を練習相手とすれば、トリパノソーマなど物の数ではないだろう――トラファルガーはそう期待していた。
「しかし、随分とランクに差がある奴の挑戦を受けたんだな」
 それには相手なりの事情があるのだろうと、トラファルガーはその疑問を軽く流した。
「ともあれ了解した。で、演習場の使用手続きは?」
 アストライアーが意を告げると、古代の武将の石像にも負けぬほどの威風を有するトラファルガーの口元が緩んだ。それ見た事かと言わんばかりに。
 いや、自身の予想が当たった事を自賛しているのだろうか。ともあれ期待通りに物事が進んだのを歓迎しているのは確かである。
「既に手配してある。あとはお前が来るだけだ」
 トラファルガーは満足げに説明した。
「ヴィエルジュは整備してあるぜ、気兼ねなくやって来な」
 自分の左肩に向けられたアストライアーの視線の先で、サイラスが彼女の肩を叩いていた。


 女剣豪とその同僚の周囲では、退散していた野次馬達が、二人に何があったのかと呟きながら、再び集まり始めていた。
 アストライアーとエレノアは気が付かなかったが、視線を注ぐ野次馬達の中には、ミルキーウェイ、ストリートエネミー、パイク、ツヴァイハンダーと言った連中も含まれていた。
 彼等は何れも、女剣士から大分離れ、コンテナやACパーツやらの物陰で、事の成り行きを見ていた。
「あのアストライアーさんが子供を連れているなんて……」
 ツヴァイハンダーは、自分が抱いていたアストライアーのイメージとは全く異なる姿に、愕然としていた。
「こりゃ事件だぜ。そのうち実働部隊が来るかもな。おいスキュラ、あんたはどう思う?」
 パイクは目の前の珍事を正視しつつ、レーザーライフルの上からスキュラに呼びかけた。彼の愛機が右腕に携えていたライフルも、今は整備の為、装備解除されている。
「……何の事だ? 私には何も見えないが」
 スキュラは対レーザーライフルの近くに詰まれた機材の上に腰掛け、細かな部品の手入れをしている。それ故、アストライアーの事は見ていない。勿論エレノアも、だ。
「チッ、真面目さんは部品と睨めっこかい。勿体ねーぞ?」
「別に良い」
 スキュラは無関心と言った様子で、黙々と部品の手入れを進めていく。
「つまんねー奴。おいストエネ、お前はどうよ?」
 しかし、ストリートエネミーも同様にして、整備に向き合っていた。彼もまた、変にエレノアを見て、怒れる復讐鬼の反感を買うのは避けるべきだと本能的に察知、見て見ぬフリを決め込んだのだった。
「おい、ミルキーはどう思う?」
「知らないよ」
 ミルキーウェイはそう返すだけだった。
「……みんなして何だ!?」
 周囲の面々の余所余所しい対応に、パイクは首をかしげた。事前にアストライアーが口封じをした可能性はあるが、それにしては余りにもそっけない対応である。
「もっと驚いても良いんじゃないのか?」
 パイクは知らなかったが、スキュラにもストリートエネミーにも、そしてミルキーウェイにとっても、エレノアの存在は既に知るところだった。その為彼等にとっては、エレノアの事は関心外だったのであり、深く感知するべき存在ではないと見ていた。
 スキュラに至っては、「深入りして黒百合の錆にされる心算はない」とまで考えている始末である。
「あ、どっかに行きますよ」
 それを知らないツヴァイハンダーの視線の先では、二人のレイヴンとベテラン整備士、そして一人の幼女が、どこかへと歩いていく姿が見えた。
 すると、先程まで沈黙を保っていたスキュラは、腰掛けていた機材の山から降り、二人の後を追う様にして歩み始めた。
「おい、どこに行くんだあんた?」
「あの二人について行く。何か良からぬ予感がするんだ」
 スキュラが歩みだすと、パイクとツヴァイハンダーは顔を見合わせた。先程までパーツの整備にかじりついていたスキュラが、まるで異性に関心を持った青臭い少年見たいな真似をするようになったのだから。
 同時に、若者二人はエレノアに対し、より一層の興味を抱いていた。アストライアーが何故エレノアを連れて歩いているのか、そしてその幼女は、スキュラも関心を抱くような存在なのかと。
 暫くあって、遊び盛りの少年が抱くような好奇心に駆られた二人は、いっそ自分達も後を追ってみるかと、整備士達に愛機の整備を任せ、先輩レイヴンの後を追い始めた。
 だが、スキュラの姿は既に消えていた。
「スキュラ先輩……どこ行ったんですかね?」
「……探すしかねえだろ」


 パイクとツヴァイハンダーがスキュラの後を追い始めた頃、ヴィエルジュとダブルトリガーは、質実剛健なモノトーンで彩られた無機質な灰色の部屋の中で、向かい合って佇んでいた。
 その無機的な暗灰色の頭部に輝く黄色のモノアイも、獲物を狙う狙撃手とも、穴倉の中に潜む怪物とも取れる色合いを放つ。その姿と、蒼白い細身の機体と黒と赤褐色の重厚なボディが、鮮やかな対照を成している。
 トラファルガーが復讐に生きる男であると知っているファン達は、そんなダブルトリガーの姿を、復讐の為に冥府から戻って来た地獄界の戦士にたとえて注目している。
 そのACは、演習施設の窓を覗き込むエレノアにも見えた。エレノアにはダブルトリガーが如何なるACなのかは分からない。だが、とりあえず彼女にとっては、それと戦う蒼白い細身のACがアストライアーのACであると判別出来れば、それで良かった。
 そして、エレノアの神経は先日、ワルキューレとアストライアーの試合を目撃した時と同じ様にして、ヴィエルジュへと集中していた。
 それだけに、エレノアは気付かなかった。彼女の後ろから、男がにじり寄っていた事、そしてその男のすぐ後ろに、ライフルを構えた女性の姿があったことを。どす黒い男の瞳には、恐らくはアストライアー個人に対してのだろう、憎悪の色が宿っている。
 エレノアの小さな身体に、男の影がじわじわと迫り、遂には重なろうとしていた。
 だがエレノアが男に気付いた直後、硬質素材と細胞組織が激しくぶつかる音、そして苦痛の呻き声を発し、男はエレノアに倒れ込んで来た。とっさに身をかわした小さい体のすぐ横を男の体が通り過ぎ、直後には床に叩き付けられた。
 男を襲ったのは、背後からの衝撃だった。エレノアの背後に近くに現れた、彼女の小さな体躯から見れば大きな人影に気がついた直後、影の持ち主は倒れ込んだ男をライフルの台尻で二度、三度と追撃。
 グローバルコーテックスの社章が入った黒いジャケットに黒いジーンズ、黒いグローブを装備した、黒い瞳とショートヘアを有し、整ったその顔立ちに眼鏡を掛けた女性がその正体だった。
 もしこの時、エレノアが幼女ではなく注意深い成人女性、そうでなくても人並みの記憶力を有するくらいにまで成長していたら気づいていただろう。その姿が、今までに何度か目にしていた女性レイヴン――スキュラのものだと言う事に。
 男に三度目の打撃を加えたスキュラはエレノアに気付いたのか、顔を彼女の方に向けてきた。
「大丈夫?」
 エレノアは無言で頷いた。正直、それ位の事しか出来なかった。目の前の物騒な光景に脅えていたのだ。だがそれを知ってか知らずか、スキュラは己の黒い瞳を再び男へと向け直した。
「さあ、痛い目に遭いたくないならさっさと消えろ!」
 更にライフルの銃口を男に突きつけ、発砲も辞さない姿勢を露わにしている。だがスキュラは銃を突きつけた時点である事に気がついた。否、銃口を突きつけても反応がない時点で、既に違和感は感じていた。
 後頭部を連打された男は、既に気絶していたのである。
「何だ? 何がどうしたんだよ!?」
「何やってんですか先輩!?」
 騒ぎを聞き付けたのだろう、パイクとツヴァイハンダーが愛機の如き機敏さで駆け寄ってきた。
「この馬鹿が襲おうとしてたんだ、この娘を」
 3人の視線は、部屋の隅で脅えたように小さくなっている幼女に向けられていた。その顔に浮かぶ表情は三者三様、ツヴァイハンダーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、パイクは興味深そうな視線を向け、スキュラは一見無表情を装っている。ただし、こんな血生臭い場所に幼女が居るものなのか、と言う疑問は三者共通だったが。
「パイク……すまないが、この馬鹿片付けてくれ。こいつで頼む」
 スキュラはなけなしの硬貨をパイクに向けて投げた。硬貨の弾道上に居たレイヴンは右手を広げ、硬貨を受け取ろうとしたが、中指に当ててバウンドさせてしまった。だが幸い、すぐに硬貨は男の手に収まった。
「はいよ。ツヴァイ、手貸せ」
 スキュラの目の前で、若手レイヴン2人は昏倒した男を引き摺って行った。
 一連の行動が過ぎると、再び静寂が訪れた。窓の外ではヴィエルジュとトラファルガー、それぞれの搭乗ACが対峙していたが、まだ戦いは始まっていない。だから静かなのである。
 その静寂の中、スキュラはエレノアに視線を向ける。幼女も自分に注がれる視線に気がついたらしく、出し抜けに口を開いた。
「……このあいだのおばちゃん?」
 これがもし同業者だったら、彼女は「おばさんと呼ばれるほど自分は老けたのか?」と嘆くか、あるいは「人を年寄り扱いするな!」と、発言者に銃弾か催涙スプレーでも浴びせかねない形相を剥き出しにて迫っていた所だろう。いくらレイヴンとは言え、スキュラも血の通った人間であり、言われて腹の立つことは幾らでも存在する。
 しかし、冷静に考えれば幼子から見た成人女性は皆「おばさん」呼ばわりされても仕方ないし、何より幼子相手に逆上するのは流石に大人気ないと、スキュラは割り切った。以前、ストリートエネミーがしたのと同じ様に。
 そんな訳で冷静さを保ちながら、どこか脅えたようなエレノアに返事を返す。
「そうだよ」
「アスおねーさんにたのまれたの?」
「そうだよ」
 ここに至り、ようやくエレノアから警戒心が消えた。とりあえず良かったと安堵した矢先、最早慣れっことなったショットガンの銃声が、彼女の鼓膜を震わせた。
「ほら、応援してあげるんだ」
 スキュラに促されるまま、エレノアは笑顔と明るい声援をセットとにし、ヴィエルジュに手を振った。


 ショットガンの銃声は長くは続かなかった。ダブルトリガーの円柱形の頭部も、ヴィエルジュの頭部も、一様にして窓に張り付いていたエレノアへと向けられ、それに伴って銃撃は中断していた。
「エレノアとか言ったか……あの娘がいる以上、練習試合とは言え負けられなくなったな」
 幼女の名前を口にされたことで、女剣士は反射的に殺意に駆られる。
「気安く呼ぶな!!」
 ヴィエルジュが再び驀進する――が、彼女が次にした事は光波を射出する程度で、ダブルトリガーを斬りつける様子は無かった。それどころか、距離を積極的に縮める気配もなく、ただ光波射出を繰り返すだけ。
 突撃は仕掛けようとしたが、アストライアーは気が付いたのだ。これは挑発だと。このまま突っ込むのは危険と判断し、愛機の突進を急停止、同時にエネルギー波による牽制に切り替えたのである。
 刀身と同じ蒼白いエネルギー波の何発かはダブルトリガーの脚部に命中、斬り付けたような傷を刻むも、やはり分厚い装甲の前では、大したダメージには至っていない。
 しかし本命はレーザーブレードによる斬撃であり、暫くすれば否が応にも突撃してくるはず。それを迎え撃てばよいとトラファルガーは読み、光波の回避に全神経を注ぐ。
 総合的な実力ではアストライアーに及ばないトラファルガーだが、待つ事に関しては自分の方が上だ。相手はまだ若い、そのうち痺れを切らして突貫して来る筈――ベテランの勘である。
 しかし、ヴィエルジュは何時まで経っても光波を繰り出すだけ。そしてトラファルガーは、一切の攻撃を停止し、左右へと小ジャンプを繰り返し、光波を避けるのみ。
 単調ではあるが、しかしこれら一連の行動が4分近く続いた事で、流石のトラファルガーも、これでは埒が明かないと思い始めた。コレを延々と続けるのもどうかと、内心で疑問を抱いた直後だった。
 此処に至り、光波攻撃を中断したヴィエルジュがOBを起動、ダブルトリガーの側面目掛け、円を描くような機動で迫って来た。
「若い奴にしては忍耐がある方か」
 トラファルガーは呟きながら、ファイアーボタンを押し込んだ。
 ヴィエルジュが目前に迫った所で、左腕の拡散投擲銃が、右腕のショットガンが相次いで火を噴いた。ヴィエルジュのブレード光波が牽制目的だったのと同じく、これもアストライアーの反応を見るために繰り出す一手だ。
 だがヴィエルジュは二挺の銃から繰り出される散弾をすり抜けるようにして通過、大した損害もないまま、ダブルトリガーの左手側まで移動すると急停止、同時に上腕部の補助ブースターを吹かし、左手側へ急速旋回した。
 早くも側面を取ったヴィエルジュ。やはりBランカーとCランカーの戦い、一見しただけではアストライアーが有利に見えるだろう。
 しかしダブルトリガーは小刻みなジャンプを繰り返し、次々に繰り出される光波を、そして剣戟を回避し続ける。
「どうした? 一度ぐらい斬って見せろ」
「……五月蝿い」
 アストライアーは冷たく返事を返すと、再びダブルトリガーを切り刻みにかかる。しかし、次の剣戟も外れ、直撃コースから狙った次の攻撃はロケットに、その次の剣戟は投擲銃に阻まれ、届かなかった。
 やはり駄目か、こいつを斬るのは無理があるかと、アストライアーは半ば諦めかけていた。
 実のところ、アストライアーには、意外かつ不吉な戦跡があった。実は公式戦における彼との対戦カードでは、去年の年明け以後、6試合にわたって勝ち星がなかったのである。
 両腕の銃と肩のロケットと、ダブルトリガーに搭載された武器は何れも拡散系。従って至近距離における破壊力は圧倒的なものがあったが、距離を取られると弱い傾向にあった。ましてやダブルトリガーは重量2脚、ACの中では機動性が低い部類にある。それにも関わらず、である。
 だが、インファイトを旨とするアストライアーと、その愛機に対しての効果は非常に大きなものだった。つまり、アストライアーはその戦闘スタイル上、相手が最も威力を発揮出来る距離へと飛び込まねばならず、一太刀入れる事は可能にしても、それ以上の損害を負わされるのが目に見えているのだ。
 そしてそれは、彼の前に幾度も敗北を喫しているアストライアー自身も痛いほど分かっていた。だから側面を取った彼女は強引なブレード攻撃を一旦保留し、上空に舞い上がりながらのショットガンでダブルトリガーを削りに掛かる。だがダブルトリガーは小刻みなジャンプを繰り返し、散弾の直撃コースから機体をずらす。
 ならばとアストライアーはヴィエルジュを着地させ、同時にOBを起動、さらにCBT-FLEETのスロットルを引き上げ、距離を詰めようとする。
 しかしダブルトリガーは着地の瞬間を見計らい、拡散弾をシャワーの如く叩き込む。回避行動によって辛うじて直撃は免れるが、決して厚いとは言えない装甲の各所に銃創が刻まれている。
 ダブルトリガーの左手側へと飛ぶようにして、ヴィエルジュはOBで強引に離脱、直後に上腕部の補助ブースターで急速旋回し、再びダブルトリガーの側面を狙おうとする。
 しかしトラファルガーも己の搭乗機を易々と斬らせるほど甘くは無い。急速旋回を察した彼は、後退しつつ左手方向に旋回、再びヴィエルジュが視界に捉える。
 その時、ヴィエルジュは今まさにブレードを振りかざそうとしていた時だった。
 ダブルトリガーは左腕の拡散投擲銃を発砲、放たれた砲弾は本来一定距離を飛んだ後、5発の小型炸裂弾に分裂のだが、ヴィエルジュの位置は分裂距離よりも内側だった。砲弾は拡散する前にヴィエルジュに着弾、砲弾5発分のダメージがそのまま叩き付けられ、上半身が仰け反る。
 しかしアストライアーは強引にブレードを振り下ろしにかかる。だが既に相手は回避行動に移っており、刀身は1メートルの差で届かなかった。
「チッ……」
 何とか一発返したいアストライアーだが、ダブルトリガーは反撃を許さない。3連ロケット砲でヴィエルジュを砲撃し、同時にEOも起動させる。
 一連の攻撃の前に、アストライアーはヴィエルジュを一度後退させる事にした。
 後退に転じたヴィエルジュだが、アストライアーは即座にそれが間違っていたと察知した。ダブルトリガーが3連ロケットを発砲、更にEOまで起動してヴィエルジュを狙いだしたのである。
「迂闊!」
 意識の中で舌打ちし、アストライアーは反射的にOBを起動、同時に高々と跳躍し、相手の背後へフライバイを試みた。おかげで銃撃からは逃れたが、加速までの間にエネルギー弾が脚部周辺に刺さり、3連ロケットの何発かを更に被弾する羽目となった。
「振り切った方がダメージは少なかったか……」
 アストライアーは憤ったが、後の祭りである。
 演習場の端まで離脱し、ヴィエルジュの表面は銃創があちらこちらに刻まれていたが、幸いにも、まだ機能停止に至るような損傷には見えなかった。
 しかし、これまでのトラファルガー相手の戦いの中で味わった敗北経験が、アストライアーを必要以上に慎重にし、本来あるべき戦闘能力を発揮させてくれない。
 やはり、私には勝てないのか。BBへの復讐を誓ったはずなのに、Cランカー相手に苦戦するとは……敗れた面々が、地獄から嘲笑している様子が、アストライアーの脳裏に浮んだ。
 女剣士がジンクスに苦しむ間に、ダブルトリガーは小刻みなジャンプを繰り返し、じりじりと距離を詰めていた。
 本来なら一気に距離を詰めて攻撃したいが、トラファルガーもまた、アストライアーの戦いぶりから、強引な攻撃は避けるべきと判断していたのだ。
「どうした? お前の腕はそんな程度ではあるまい?」
 まさか、勝負を諦めたのか? いや、あの女剣士に限ってそれはあるまい――トラファルガーの疑念は、直後に確信へと変わり、彼は自身の想像が当たった事に少々ほくそ笑んだ。
「そうだ、やはりお前はそうでなくては」
 円柱形をした頭部の先では、蒼白い剣士が再び立ち上がっていた。
「しかし、まるで試合に来ているみたいだな……」
 練習試合とは言え、既にアリーナで戦った時の再現である。だがトラファルガーは、それで良いと思っている。
 ダブルトリガーは再び、右腕の散弾銃を女剣士に向け2回発砲したが、距離が200も離れていては、命中してもたいした損害など望むべくもない。
 しかしこれはあくまでも牽制、相手を動かす為のものだ。
 アストライアーにとって鬼門とは言え、トラファルガーにとっても、アストライアーは最大限の警戒を払うべき存在だった。何故なら彼の脳内にあるレディ・ブレーダーは、少々荒削りで攻撃的、かつ無鉄砲な一面があるのは否めないものの、雌豹の俊敏さと、毒蛇の牙と執念を有する女レイヴンであった。
 彼女相手に無理に突っ込めば、間違いなく側面を取られ、腕を愛銃諸共失う事になりかねない。アストライアーは突撃してくるような相手には滅法強く、特にすれ違いざまの斬撃を加えようと言うのなら間違いなく痛烈な反撃が待っている。
 実際、ノクターンは切られて激昂し、冷静さを失って負けているのだ。
 彼のような無様な負け方だけは喫するべきではないと己を律し、トラファルガーは3連ロケットの狙いを定める。
 しかしその先で、ヴィエルジュは既にOBで離脱を始めていた。OBで開けられるほどの距離となると、拡散武器を幾ら放った所で、与えられるダメージなど毛ほどのものでしかない。
 それどころか、無駄に弾を浪費するだけだった。総弾数が決して多いとは言えないショットガンや拡散投擲銃、3連ロケットを無駄に使う訳には行かない。
「やはり軽々しく接近しては来ない、か」
 発砲を止め、距離350まで後退したヴィエルジュを視線で追い、溜息を吐き出す。だがトラファルガーにはその程度の事など予想済みだ。第一、装甲の薄いACで正面から強引に斬り込んだ所で、両腕の銃の前に蜂の巣になるのがオチだ。
 そしてそれは、アストライアー自身も十分分かっている筈だ。第一、アストライアーは無鉄砲でこそあるが、決して愚かではない。
 少なくともトラファルガーと、彼の戦いを目にしているスキュラの瞳にはそう映っている。
 その女剣士を相手にするのだ、慎重さも必要だが、しかし大胆にもならねばならない。少なくとも今の戦いを続けている限りでは、ヴィエルジュは離脱したまま、中々攻めては来ないだろう。
 それは相手の主力武器を封じる事が出来ると言う観点からは望ましい事であったが、しかし同時に、ショットガンや拡散投擲銃といった主力武器も、決定打とはならなくなる事をも意味していた。
 アリーナでは時間制限が有るし、訓練施設でも利用時間の問題があるので、このまま時間切れを狙うと言う手も使える。しかし、折角練習自体の相手にアストライアーを起用したのだ。次の試合の相手がインファイト主体と見て起用しながら、相手に主力武器を使わせないと言うのも考え物だった。
 確かに、アストライアーの近接戦スキルは脅威である。しかし今は、彼女を通して近接戦、特にブレード対策をするべき時だ。
 まだダブルトリガーにもさしたる損害はない。今、自分が此処にいる理由を踏まえると、相手を自分の懐まで誘き出すのも一つかと、トラファルガーは決めた。
「さあ来て見ろ、チャンスをくれてやる」
 挑発的なトラファルガーの台詞の直後、ダブルトリガーはヴィエルジュに背を向けた。


 あのトラファルガーが、自分に背を向けるとは。予想外の行動に我が目を疑うアストライアーだが、すぐにその現実は疑念を呼び、疑念は瞬く間に悪寒へと変質していた。
 このまま相手に詰め寄って剣戟を見舞う事は容易い。だが、いかにも斬ってくれと言っているようなあの行動、トラファルガーの事だから何かしらの意図が無い訳がない。
 と言うよりは、これは明らかに挑発だ。従ってこれに乗った所で、相手の腕の一本でも斬り落とせるのか、はたまた射撃場の的にされるのか。
 アストライアーはヴィエルジュを停止させたまま、判断に迷っていた。
(こう言うとき、先に動くと負けかねない……だがどう動くんだ、ここから?)
 動くか否かを高速で打算するが、アストライアーの頭脳からは、有効と思える打開策は見出せなかった。
「こう言う時、父はどう動いたのだろうか……」
 アストライアーは、遠き日の父親の記憶を回想していた。


 記憶の中の父は、アルタイルと言うレイヴンになり、まだルーキーでしかない自分に稽古を付けていた。
 その時の彼女は、現在のヴィエルジュとは違い、支給されたままのアセンブリのACを駆っていた。それも文句を垂れながら。
 しかし、それも無理のない話であろう。アストライアーが「父さんと同じスタイルで」と言った事が原因で、彼女のACからはブレード以外の一切の装備が外されていたのだから。
 そしてそれは、アルタイルのAC・アクィラも同じ事であった。
 アストライアーが逃げようとすると、アクィラは容赦なくOBで詰め寄り、問答無用でブレードを振るって来た。普段の優しい父親からは想像も出来ないほどの、苛烈なスパルタ教育である。
「いいか……」
 娘が泣き言を垂れる中、アルタイルは徐に叫んだ。
「戦いと言うものは、臆した者に敗北が訪れるものだ!」
 攻めねば負ける――ブレードを主力とするACを駆る手前、身体に染み付いていたスタンスである。だがそれは、素人も同然のアストライアーには分からなかった。
「お前が逃げ回るのは良いだろう。だが攻めて来い!」
 そう言うと、アクィラは唐突に停止した。
「俺はこの場から動かん、一発ぐらい俺を斬って見せろ」
「え……?」
「どうした? 一発ぐらい斬って見せろ!」
「いい……の?」
「早く来い!!」
 アルタイルが目を三角にして、これ以上待たせるとお前が斬られるぞと怒鳴り出したので、戸惑いながらもアストライアーは距離を詰めた。
 そして、良いのかと思いつつ、CLB-LS-1551の刀身を叩き付けた。
 が、アクィラもレーザーブレードを一閃、剣戟を弾いた。
「どうした? 俺が教えてやったのに、一発も当てられないのか?」
 そして、更に心を抉る一言が。
「ザコ、だな」
 この一言でアストライアーは逆上、アルタイルが笑いながら剣戟を弾こうとも構わず、結局1回も斬れなかったとも知らず、我武者羅にレーザーブレードを振り続けた……。


「臆した、か……この私が」
 アストライアーは回想も程々にして我に返り、もうこのまま留まる心算はないと意を決した。
 再び操縦桿を強く握り締め、OBを起動させて目前の敵へと突撃を仕掛ける。
 ダブルトリガーには、まだ動く気配はない。このまま後から斬りつけようと、ヴィエルジュはなおも距離を詰める。
(悪く思うな!)
 そして、ムーンライトを振り下ろうとした時だった。
 ダブルトリガーが突如としてブーストを吹かし、バックし始めた。
 アストライアーからすれば、このまま相手が動かない、最低でも少し前進する位なら当ると計算し、剣戟を繰り出す心算だった。
 だがダブルトリガーがブーストダッシュしたため、剣戟のタイミングが狂った。急遽、コンマ1秒ほど剣戟のタイミングを早めたが、殆どコア同士が密着し、ヴィエルジュの左腕がコアに挟まれる形になり、刀身が届かない。
「それ位予想出来なかったのか?」
 回想か、或いは振り切ったはずの疑問が、判断のタイミングを若干謝ってしまったのだろうか。アストライアーは後悔と若干の羞恥心からか、唇を噛んだ。
「練習試合とは言え、今回も勝たせてもらう。悪く思うな」
 黒き翼を有する親しい悪魔が、両腕の銃を蒼白い女剣士へと向け、直後にはシャワーの如き散弾の雨が、エネルギーEOの連射と合わさってヴィエルジュへと襲い掛かった。飛沫が飛び散るようにして、砕かれた装甲交じりの火花が飛び散る。
「だが、ただでは負けん!」
 負けじとヴィエルジュもターンブースターで急速旋回し、右腕のバズーカを発砲し、ダブルトリガーの装甲を抉って行く。
 最早、両者の戦いは各々の攻撃をまともにぶつけ合う正面決戦に変貌していた。両者とも、互いの攻撃をまともに浴び、装甲が砕け、火花が飛び散り、砲弾と散弾が激しく飛び交おうとも構わず、互いの愛機を激しく左右に切り返す。
 正面対決は熾烈を極め、双方の腕が砕けて吹き飛ぶほどの攻撃が続いたが、しかし長くは続かなかった。銃撃の中、急速接近したヴィエルジュがムーンライトを一閃、それが戦いの終止符となった。
 ヴィエルジュの斬撃はダブルトリガーを捕らえていた。だがダブルトリガーが最後の抵抗として放った両腕中による一斉射撃は、ヴィエルジュのコアに直撃し、短いが熾烈な戦いの中で傷付いていた薄い装甲を突き破り、内部機構に達していた。
 内部機構を打ち抜かれたヴィエルジュも、ダブルトリガーが演習施設の床に倒れこむのと同時に、片膝を突いてその場に停止した。


 騒々しくなっていたのは、何も演習場だけとは限らなかった。
 当の演習場を見下ろす窓から、いまや継母的存在となった女レイヴンと、その相手が戦う様子を見下ろしていたエレノアも、やかましさと言う点に関しては負けていない。
 特に、スキュラと、後からやって来たストリートエネミーと、ミルキーウェイ、更にはパイクとツヴァイハンダーには、そう思えた。
 特に、互いが互いの攻撃をまともに浴びる戦いとなると、エレノアの叫ぶようなエールが大きくなっていたのだ様子を目の当たりにしていては、尚更と言える。
 しかしヴィエルジュが倒れた時、エレノアは急に静かになった。
「……おい、どうしたんだ?」
 ストリートエネミーが呼ぶが、エレノアは茫然自失となったまま、倒れたヴィエルジュを見下ろすだけだった。
 スキュラは携帯端末を取り出し、急ぎ内線をダイヤルした。
「第2演習場BブロックのAC2機戦闘不能。回収及び救助を要請する! 至急だ!」
 演習場のゲートが開け放たれ、レスキュー車と回収用MTが入ってくると、演習場とその周辺は、また騒々しくなった。
「エレノア! 来るんだ!」
 スキュラはエレノアを引っ張るようにし、急いで演習場へと向かって行った。
「ねぇ……どうする?」
「……俺らも一度撤収しよう」
「何事も無いと良いんですけど……」
 残っていた4人のレイヴンは、ガレージにあるそれぞれの持ち場へと引き上げていった。
 しかし、この場に居合わせた面々は、少なくともアストライアーがエレノアにとっては必要な存在なのだなとは、おぼろげながらも理解した。
 同時に、アストライアーが秘密にしていた理由も、自分達がそれを見た事も多言しないほうが身の為だろうなと感じていた。
 子供を連れているとは言え、アストライアーが凶暴で攻撃的な人物である事に変わりはなく、子供を連れている事を公言したばかりに殺されないとも限らないのだから。
「全く、俺達も気が楽じゃねぇ」
 ストリートエネミーはそう、胸中で嘆いた。


「やれやれ、また派手に傷作って来たな」
 一連の戦いが終わった後、アストライアーは演習施設近くの休憩所に居た。幸いにも、彼女もトラファルガーも火傷程度で済んでいた。
 しかしアストライアーの右腕と右足には、パイロットスーツの上から包帯が巻かれていた。
「アスおねーさん……だいじょうぶ?」
「大丈夫だ、大したケガじゃない」
 そしてアストライアーの傍らには、当然のようにエレノアがしがみ付いていた。因みにアストライアーの怪我は右半身に集中していた為、痛くならないようにと左側に寄り添わせていた。
「アス……」
 スキュラの視線に気がついた女剣士が、トラファルガーの声に気が付き、彼に面を向けた。
「お前、その子はどうしたんだ? 何があった?」
 アストライアーはトラファルガーから顔を背けた。
 正直、幾ら彼が信頼出来る相手であろうとも、レイヴンである以上は理由を話したくなかった。自身の弱みに繋がる事、そして何より、エレノアを盾に何かを要求される事を恐れているのだ。
 だが、トラファルガーには話しても別に問題はないだろうと、アストライアーは思っていた。そして、エレノアの事を話さなければ、彼との関係に軋みが生じてしまう可能性があるとも察した。
「話せば長くなるが……」
 エレノアが孤児だったこと、自身が居を構えるマンションの前で倒れていて、それがきっかけで保護する事になった事――簡潔ではあったが、アストライアーが口にした話の主旨はこんなものであった。
「そうか……」
 そして、話を聞いたトラファルガーもそれ以上の介入は不要と判断し、話は此処で終わらせた方が無難だと察した。個人的な事と、公の事とは基本的に別だからだ。
 公私混同が原因でしないで済むミスを犯したり、あるいは家族を人質に取られる事も有り得る。トラファルガーは自分の周囲で入れ替わっていくレイヴン達を見て、その当りは充分に弁えていた。
「あのぉー」
 トラファルガーが引き下がると同時に、エレノアがアストライアーを呼んだ。
「アスおねーさんってかったの? まけちゃったの?」
「アレは引き分けって言うんだ」
 とりあえず、重苦しい空気を打開出来たのだからよい事か。アストライアーとエレノアのやり取りを見て、そんな事を感じるトラファルガーだった。
「そうなの?」
「そういうものなんだ」
 アストライアーは自分が負けたとは億尾にも出さなかった。エレノアに「弱い人」と見なされ、それが元で何かがあると厄介だと見ていたのだ。
 とは言え、多少なりとも苦手意識のある相手に悪戦苦闘を演じたゆえ、勝った気にもなれなかった。
「誰にでもジンクスってのはあるんだ」
「じんくす? じんくすってなに?」
「まぁ……コレが苦手とか、そんなものだな」
 別に関心を抱いてもらうわけでもないのに、会話に割って入ったスキュラの口調も優しくなっていた。
「……成る程、誰しも子供には甘くなるものだからな。レイヴンも例外にあらず、か」
 トラファルガーはその呟きを残し、休憩所を後にした。


 後日行なわれたトラファルガーとトリパノソーマの試合は、接近してくるトリパノソーマ機キッシングバグに対し、散弾の引き撃ちに徹したトラファルガーが有利に試合を展開。
 最終的に、ロケットによる砲撃を何度か受けたものの、グレネードライフルは勿論、剣戟も受ける事無く、トラファルガーは無事に勝利を収める事が出来た。
「私の傷も無駄ではなかったようだな」
 トラファルガーとトリパノソーマの試合をテレビ中継で目にしたアストライアーは、そう呟いたという。
14/10/16 14:30更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 人間と呼べるのか微妙なやつこそ居れど、レイヴンも基本的には血の通った人間またはそれが起源。当然、様々な感情がぶつかり合って戦っていれば人間模様だって形成されて当然。
 怨恨や反目、ライバル意識というものが、断片的ながらもアリーナランカーのプロフィールに出ているのが原作なのは言わずもがな。

 そんな中で「アス姐にジンクスってあるのか?」とふと思い付いたのが、第15話執筆の始まりだったりします。
 それがやがて「トラファルガーとアス姐は相性悪いんじゃ?」などと考えが飛躍、加えてレイヴンなのだから「友とも戦う可能性はあるだろう」と言う事で、恐らく、多くの二次創作において(多分)敵対する可能性の低いトラファルガーと戦う形になりました。
 そして今回、そのトラファルガーの描写で相当頭を回す事となりました。アス姐が動くに当り、彼女の事をよく知る人物である彼がどう反応するのか、そしてアストライアーもジンクス持ちの彼にどう反応するか、等で相当悩みました。

 そう言えば現役時代も、アリーナでトラファルガーにムーンライトで斬りかかるも、返り討ちにされた事があります(爆)

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まろやか投稿小説 Ver1.50