連載小説
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#13.Lady Blader II〜Gun&Blade mix〜
 マナ=アストライアーは、己がアリーナに完全復活するべき時を、閉ざされたコックピットの中で待ち続けていた。
 以前のアリーナは、アストライアーにとっては、ヴィエルジュと自らのコンディションを確かめる為の試運転に過ぎなかった。あの程度の相手との試合は、彼女から言わせれば「練習試合にも劣る戦い」であり、相手との圧倒的技量差ゆえ、何も感じぬままに終わる事が多い。実際ランガーとの試合はそうだった。特に駆け引きの必要もなく、ただ斬るだけで終わったのだから。
 ただし、その後のドクトルアーサーとの戦いでは、アストライアーは練習とは言え、あの段階で持ちうるスキルはその殆どを動員していた。そして全てが終わったとき、アストライアーは感じていた――自分に技量が戻っていた事を。戦いの中で、失われた力が戻っていたのである。
 故に、アストライアーは時此処に至り、最終的な復活への課程を終え、次の勝利を以って完全復活を成し遂げると、己の中で期していた。
 そして、遂にこの日――3月22日の午後3時過ぎ、女剣士の完全復活を高らかに唱える為の試合が幕を開けようとしていた。
 彼女は既に、万全のコンディションに整備されたヴィエルジュの中で、入場ゲートが開くのを待っていた。アリーナで常に見せている、殺意を多分に含んだ冷たい表情を伴って。エレノアに見せた微笑は微塵もない。その様子は、いかにしてテラと戦うかを考えているかを窺わせると共に、これから始まる試合に向け、精神統一をしている様にも思わせた。
「レディース・アンド・ジェントルメン! 大変お待たせしました。続きまして、本日の注目カード! アストライアー選手とテラ選手の試合を開始します!」
 試合内容を告げるアナウンスに続いて、入場ゲートが開かれる。まず姿を現したのは、テラが操る黄褐色の射撃戦特化型中量2脚「スペクトル」。名銃と謳われる大型レーザーライフルMWG-KARASAWA――俗称「カラサワ」を最大限に活かすべく組みげられたACである。
 その名銃を搭載する為、現行パーツ中では最軽量のコアと腕部を採用し、それ自体がレーダーと化したような頭部を有し、武装はカラサワとブレードのみ。一見すると駆け出しのレイヴンが操る、装備不十分なACに見える。
 だがその一方で、スペクトルは徹底的なまでに無駄を排した機能美を反映させていた。手にしたカラサワと同じカラーリングが施された右腕が、そんな彼の拘りを物語っている。
「続きまして、アストライアー選手の入場です!」
 アナウンスが告げられると、観客からは歓声とブーイングが上がった。そしてその歓声の中、復帰を果たしたアストライアーが操るヴィエルジュが姿を表す。
 無論その左腕には亡き父の形見であり、彼女の愛刀である大型レーザーブレードが、右腕にはショットガンが握られている。近接戦を主眼として組み上げられた、処女宮、あるいは処女そのものを意味する名前とは似ても似つかない精悍なフォルムからは、既に風格さえも漂わせている。
 そして、それは実際にフォルム面でも評価は高かった。ブレードを主武器に戦うレイヴン――いわゆるブレーダーは、アニメや映画に代表される娯楽メディアの影響もあるのだろうが、余程の者でもない限りはファンからの支持も根強い。
 ただ、アストライアー本人が決して意識していたわけではないが、ヴィエルジュの造形美を狙ったような配色やデザインは、「兵器に外見の華麗さを求めるなど邪道だ」と言う一部の狂信的な機能美主義者からは徹底的に叩かれていた。実際、敵を倒すには銃でも事足り、無理にブレードなどを使用する必要はないからだ。
それどころか、ブレードで斬りかかると言う事は、射撃武器内に自ら接近するのと同義であり、リスクは非常に大きい。最悪、後退され続けて的にされ、一太刀も浴びせられずに敗れる事すらもありうる。
 だが、熟練者が扱うブレードは、下手な銃器による射撃など足元にも及ばぬほどの破壊力を秘めているのもまた事実であった。集束されたエネルギーの刃はコアの装甲を容易く切り裂き、内部機構をズタズタに引き裂くが如くダメージを追わせ、時として一撃で戦局を引っくり返す事すらもありうる。
 そうした事情があるが故に、茨の道であるブレーダーが戦う姿を熱烈に支持し、憧れや敬意の念を抱く者も少なくはなかった。
 アストライアーとて、その例外ではなかった。
「漸くですね、アストライアー嬢」
 対峙するスペクトルから通信が入り、通信モニターにテラの顔を映し出す。落ち着いた物腰の若い青年と言った感じのテラだが、しかしその口調の中に自信をみなぎらせている。まるで賞金稼ぎを目的として、ラクに勝てるだろうという理由でアストライアーを選んだ様な、少々見下した印象がある。
「こうしてみると……やはり貴女と私は対照的な存在のように思えますね。名銃を片手に相手を射抜く銃撃手、名刃を手に荒々しく舞う戦乙女――絵になりますよ」
 かたや名銃を活かす為の機能美、かたや名剣を振るい戦う造形美。無駄のないカーキ色の直線的な上半身と、スチールブルーの曲線的で流麗なフォルム。
 一見不釣合いにも見える両者のフォルムではあるが、互いの信念が形となって表れたものと言う共通点があった。名銃と名剣、それぞれの主武器を活かす為に。
「同時に、良い機会ではありませんか? 銃と剣、どちらが勝つか…」
「負けるつもりはない」
 相変わらずアストライアーは毅然とした態度だった。その姿は以前――まだアキラと戦って破れる前の彼女と比べても遜色はない。
 事実、アストライアーはテラが如何なる理由で挑みかかって来たとしても関係のない話であった。目的を遂行する戦闘機械の様に、自分の目的を阻むから叩き潰す、ただそれだけであった。
 例え、相手がどの様な信念や境遇にあっても関係ない。エレノアとの接触で人間の暖かさが徐々に身になりつつある女戦鴉だが、それでも根幹は戦闘機械のまま、依然として、BBへの復讐と言う最終目的の為に動き続けていたのだ。
「相変らず良い目をお持ちで……」
 そして、そんな彼女が宿す冷酷な眼差しこそ、テラが求めていたものだった。自分を殺すつもり――そうでなければ面白くない。あくまでも彼女と全力で戦ってこそ意義が有る。テラはそう、信じて疑わない。
「良いでしょう。このテラがお相手いたしましょう」
 防御用フィールド越しに2機のACを取り巻く観客席では、既に恒例の観客によるカウントダウンは開始されていた。
(あの中にも……きっと居るはずだ……)
 観客席をざっと見やると、アストライアーは眼前に遠くに佇む相手を捉える。あの客席の中のどこかに、自分にエールを送っているであろう小さき存在がいる事を願って。
「READY―――GO!!」
 両者が睨み合う中、グローバルコーテックスから試合開始のサインが発せられる。


 試合開始のサインとほぼ同時に、ヴィエルジュが、再び青白いブースターの炎をなびかせ進み始めた。
(接近してくる者ほど、無防備な獲物はありませんね)
 迫る対戦相手を嘲笑うテラのように、スペクトルはカラサワの連射でヴィエルジュを迎え撃つ。操縦者の優れた射撃スキルもあり、放たれるエネルギー弾は標的に次々に着弾、そのうち2発が小型ミサイルポッドに命中し、叩き落した。
 爆発の影響でOBハッチが若干焼けたが、内部のOBにさしたる影響はないと、ヴィエルジュのコンソールが告げる。
「行けテラ! そのまま撃ち抜いてやれ!」
「アス姐、負けるなー!!」
 観客の歓声が大きくなる。此処に居るにはあまりにも幼い印象すらある一人の幼女とて、その例外ではない。
「アスおねーさーん!! まけちゃダメだよー!!」
 エレノアであった。その横ではスキュラとストリートエネミーの二人が、エレノアを挟んで両隣から戦いを見守っている。
「だあぁ、うるせー」
 試合開始直後から、エレノアの叫び声にも似たエールがストリートエネミーの鼓膜を直撃していた。彼が耳を押さえる際に髪が乱れ、眉間にシワが寄り、顔面に露骨な不快感が浮き出てくる。
「文句ならマナ――違った、アスに言ってくれ。私にエレノアの子守を頼んだのも彼女なんだからな」
 エレノアの右手側ではスキュラが佇んでいた。彼女の黒いショートヘアには乱れがなく、眼鏡の奥に見える瞳には曇りもない。ただし観客席の熱気か、あるいはエレノアの大声に気圧されているのは事実であり、額には若干の汗が浮き出ていた。
「子守役を降りてもいいんだぞ?」
「バカ言え、俺をドブネズミ言いやがる肥溜めの様な奴がうろついている中で、この子を一人にしておけねーだろ?」
 お前も同じだと返しかけたスキュラだが、エレノアの声がうるさいと感じているのは事実、この上ストリートエネミーの罵声までも聞くようなマネは止めておこうと、その動作を中止した。
「兎も角だ、エレノアが応援するって以上はアスの奴も応援してやらねーと」
 其処まで言いかけ、ストリートエネミーの言葉は遮られた。スペクトルがヴィエルジュを銃撃、コア前面の迎撃機銃を装甲諸共に焼いたのだった。
「アスおねーさぁーーん!!」
 当然、エレノアの叫びも大きくなる。ストリートエネミーには、普段は可愛く聞こえるはずのエレノアの声が、脳細胞破壊を目的とした音波兵器に感じられた。
 だが、だからと言ってエレノアを責める訳にも行かず、渋い顔でスキュラに言葉の続きを投げかけた。
「アスの応援――今はそう言う事にしようぜ」
「だな」
 同業者2名も目を向けた時、スペクトルはヴィエルジュを引き続きカラサワで狙撃していた。


「どうしました? 回避ばかりで終わりですか?」
 回避されているとは言え、スペクトルから次々に放たれる蒼い光弾は、直撃せずともヴィエルジュを痛め付けて行く。
 テラは、今回も勝利すると信じていた。いくらトップランカー候補の娘と言えど、ブレードを主軸に戦う、時代錯誤甚だしい二流のレイヴンが、自分が手にする名銃と、その性能を引き出す己のスキルに勝る事など有り得ないのだと、彼は信じて疑わなかった。
 しかしながら、先の試合でこの女剣豪と戦った、自分と同じく射撃を得意とする戦乙女は、斬らずにバズーカを使う事に対する若干の想像力の欠如か、或いは詰めの甘さからか、ヴィエルジュの接近を許し、本来有り得ない筈の敗北を喫している。
 テラとしては、彼女の二の足を踏む事は避けたかった。
 一方アストライアーは、先程からショットガンで細かいダメージを重ねつつ、エネルギー弾の回避を繰り返していた。ただしそれでも被弾は免れず、ヴィエルジュの薄い装甲は彼方此方が溶け落ち、肩に背負ったレーダーもへし折られていた。
 この時、当然アストライアーには背後に回るという選択肢もあった筈である。だがスペクトルの旋回性能が強化されているのか、側面や背後を取ろうとしても、目の前には相手の銃口があるのみ。死角が取れない上は、回避に徹するより他なかった――自分が相手の絶対領域にいる事は承知の上で。
(……だが、そろそろ良い頃か!?)
 今まで分からなかった何かが分かりでもしたのか、アストライアーは口元に微かな笑みを浮かべたのはそんな時だった。すでにパネルラインには「損害重度」を示す朱やオレンジ色の光が明滅している。
 だが女剣士は別に動じる様子もなくOBを起動、その眼前にスペクトルを見据える。後方からエネルギーをチャージする音に続き、OB移動時の重圧が掛かる。
「正面きって突進とは……被弾で呆けましたか?」
「何とでも言え」
 スペクトルは再びカラサワをヴィエルジュに向け、テラ自信もファイアーボタンに指を掛ける。正面から撃てば、普通は間違い無く当たる。テラはそう信じていたのだ。
 そう、普通ならば。
「!!」
 だがテラがファイアーボタンを押した瞬間、アストライアーはヴィエルジュのOBを停止、余剰推進力で移動しつつ、蒼い光弾を横跳びに回避していた。スペクトルの攻撃タイミングを予測し、発射の瞬間を狙っていたのだ。
 幾多の相手を葬れるだけの技量を持つレイヴンは当たり前の事だが、頭脳は相手の先手先手を打つべく素早く回転し、神経は一瞬の隙を見出せるように研ぎ澄まされている。特にブレードで幾多の相手を葬れるだけの腕を持つレイヴンともなれば、時に生死を決める一瞬の間に斬撃を放ち、至近距離から放たれた攻撃を、神業的なタイミングで回避する事さえある。
 そうしたタイミングで斬撃を放ち、立ちはだかる相手を次々と愛剣の錆にして来たアストライアーの反射神経は、何時しか大抵の攻撃はタイミングさえ合えば回避出来るほどに研ぎ澄まされていた。
 更にヴィエルジュは光弾を横跳びに回避し、ブレードを振る。剣戟は空を斬ったが、これは斬る為ではなく、FCSがブレード攻撃の際に行う姿勢・位置制御の補正と、それに基づく機体動作――俗に言う「ブレードホーミング」を利用する為で、これで上空に逃げようとする相手を追ったのだ。
 この間にも、ショットガンを放って細かいダメージを重ねていく事も忘れない。
(だが、またも真正面じゃないですか…)
 正面、かつ至近距離に躍り出た青い体躯に、再び青い光弾を撃ち込む黄土色の銃撃手。光弾がヴィエルジュに命中し、蒼い女剣士が青白い閃光に包まれる。
 だが、テラが次の瞬間に目撃したのは、銃撃を推力任せに、強引に突っ切ったヴィエルジュが、ブレードを振りかざす姿だった。
「くッ!?」
 しかし強引な突撃と、カラサワの閃光もあってタイミングが若干ずれ、当ったのは切っ先の部分だけ。続けざまに刃を振るうが、スペクトルは既にその動きを察して降下、ムーンライトの刃は数十センチの差でスペクトルの頭上を空振りする。
 辛くも斬撃から逃れたスペクトルは、そのままアリーナに降り立った。
 スペクトルから生じた火花を目の当たりにし、観客の声とそれの重なりが生むどよめきが、更に肥大化した。
 エレノアが応援する中、剣の腕を見せつけられる様にして地面に落ちたスペクトルに、ヴィエルジュは再び空中からコアを狙ってブレードの一撃を叩き込む。この斬撃は僅かにコアを掠める程度だったが、更にショットガンの直撃弾で追撃を仕掛ける。先程の銃撃のダメージを、倍にして返すかのように。
「……これ以上、好きにはやらせません」
 やられたらやり返す、スペクトルもカラサワを発砲して反撃しようと試みるも、接近戦ではアストライアーが一枚上手だった。カラサワを発砲しかかった刹那、ヴィエルジュはショットガンを至近距離から浴びせ、再びブレードを叩き込もうと肉薄。だがスペクトルは跳躍し、いち早く頭上へと逃れると同時に前進。蒼白い刃はまたしても一瞬の差に阻まれた。
 一方のスペクトルも、ここで後退しながらカラサワで銃撃すれば、ヴィエルジュを撃破出来た事だろう。だが、それをしなかった。テラも他のレイヴン達同様にヴィエルジュの剣戟を恐れており、後退したり上空に逃れた所で、構わず自分を斬りにくるだろうと察したのである。正面に居たら斬られる、兎に角刃から逃れる事を考え、ヴィエルジュの頭上を飛び越える。
 スペクトルは既に、切っ先とは言え剣戟を叩き込まれた上、散弾でコアに少なからずダメージが来ており、徐々にコンディションは危険な状態に近付いていた。ヴィエルジュの攻撃回数が少ないとは言え、ショットガンの直撃弾を何度も浴びればダメージは馬鹿にならない。しかも、スペクトルのコアと腕部は共に軽量級、しかも現行最軽量であり、装甲は薄い。
 今度は、テラが相手の絶対領域に持ち込まれている事を悟る番であった。
 テラはセレクターに表示された残弾数に目をやる。悪い事に、残弾数は20発を下回っている。
 どうにか至近距離発射して命中精度を上げたい所だったが、先程からスペクトルが放ったカラサワは殆どが避けられている。彼からすれば「これならば避けられまい」という程の近距離から放ったつもりでも。
 ただし、それでも完全ではなく、光弾を撃ち込まれたヴィエルジュにもダメージは及んでいる。
「動きが先程とはまるで違う……まさか、彼女が狙っていたのは?」
 此処に至って、テラはようやく理解した。接近した時を除いて、先程まで殆ど攻撃せずに光弾を回避し続けていたのは、スペクトルがカラサワを放つタイミングを読む為でもあったのだと。
(わざわざ攻撃させ、隙を見出そうとは……)
 全く恐ろしい人ですよ貴女は。テラはコックピット内で、わずかながら苦笑した。
 だが、一方のアストライアー自身は、実は回避力は特筆するほどでもない。テラとの戦いで、カラサワによる銃撃を回避出来ているのにも理由があった。
 と言うのも、カラサワは火力だけで見れば正に名銃だが、半端なサイズではない銃身は、その重量も規格外と呼べるシロモノであり、ACとは言え、装備と取り回すにはかなりの難を伴うシロモノであった。もしこの戦いでテラが弾速に優れる、より軽量な実弾ライフルを使用していれば、アストライアーは回避がおぼつかず、既に撃破されていただろう。
 取り回しに難のある巨大なシロモノとは言え、それを的確に命中させられたのは、やはりテラの優れた射撃スキルがあってこそだった。
 そして、その射撃スキルの真骨頂が今、発揮されようとしていた。
「私を本気にさせましたね……」
 発射可能回数が残り少なくなった事で、テラはオーバードブーストで距離を取り、戦闘スタイルを先程までの連射から、相手の行動タイミングを読んでの狙撃に切り替えた。
 既にカラサワの残弾数は10発となっていたが、そこから放たれた2発は、OBで迫る敵機のコアの装甲を吹き飛ばした。
 次の光弾も命中し、ショットガンを右腕ごともぎ取る。
 その次の射撃も命中、今度は左足の膝間接が撃たれ、ヴィエルジュは左足を引き摺るようになった。
 しまった――脚部を失ったヴィエルジュの中で、アストライアーは損害状態を示すコンソールに目を落とす。左腕はまだ健在だが、コア前面の迎撃機銃は装甲諸共に潰され、左腕上腕部の補助ブースターは焦げ付いて使用不能にされた。膝から下の右腕は脱落していた。
 ヴィエルジュは左足を引き摺ったままブーストダッシュを続けているが、このままでは脚部が脱落し、機動性が大幅に削がれる危険を伴っていた。
(不本意だが一端下がろう、この損害では仕方ない)
 危機を察知し、アストライアーはヴィエルジュを遠距離まで移動させる。距離を離す事で、命中率を下げようとしたのである。
 だがテラもそれを黙って見逃しはしない。OBで距離を詰めに掛かると、最早残り少ないカラサワを発砲。2発放たれたうちの1発が、右のブースターを使用不能にした。
 更にもう1発の光弾がOBハッチを捉え、四方に展開するハッチのうち、左上に展開するハッチを破壊した。
「くそッ……」
 ヴィエルジュの生命線である機動力を奪われるとは何たる事だと、アストライアーは憤った。
 スペクトルは再び頭上を取っている。未だに対戦の行方は相手に圧倒的有利な状態である。敵のカラサワも最早残りは多くないはずだが、それ以前に愛機は既に満身創痍の状態である。
 発砲を停止し、テラはスペクトルを旋回させながら、既に全身を破壊されているヴィエルジュを見やった。戦闘開始前の、清涼感を通り越して冷徹なイメージを与える蒼白い体躯は、既にその見る影を失い、半ばスクラップとなっていた。
 カラサワの残弾で、勝負をつける自信は十分にあった。それだけの射撃スキルが自分には有ると、テラは自負していた。
 アストライアーは、スペクトルが自機の頭上で優雅に旋回している様子を見ていた。射撃のタイミングを見計らって勝負を付けようとしているのが分かった。そして、恐らくはその狙いが露出しているコックピットブロックに有ることも。スペクトルが射撃のタイミングを変えた際、被弾で露出してしまったのだ。
 シミュレーター等ではよくあり、またアリーナでは損害の度合を判定する為、機体の損害状況を測定したものが「AP(アーマー・ポイント)」として表示される場合もある。だが今や、APと言う数値は意味を持たない。仮にAPが9999あったとしても、コックピットを狙い撃たれればその地点でパイロットは死亡する。
 そして、女戦鴉はそれを言われるでもなく知っていた。自分が殺傷したパイロット達――その時の剣戟はコックピットブロックを狙って繰り出し、直撃させてきたのだから。これでは、APも何もあったものではない。
 だが、今はその立場が逆転していた。恐らく、テラはこのコックピットブロックを狙って止めを刺すに違いない――信じたくない話では有るが、対戦相手はそれを察し、認めざるを得なかった。
 マナ=アストライアーの命運は、相手の掌の上にあった。


「なにやってんの! このままじゃやられちゃうよ!!」
 半壊状態のヴィエルジュを目の当たりにし、エレノアは最早パニック寸前になっていた。スキュラやストリートエネミーにすがり、何とかならないのかと揺さぶる。
 だが、既にストリートエネミーもスキュラもエレノアは眼中になかった。彼等は、アストライアーの破綻した人間性は兎も角、その腕は認めているつもりだった。だが、そのアストライアーを此処まで痛めつけられる奴が、しかもこのアリーナの外に居たという現実が、二人を釘付けにしていた。
 ストリートエネミーとしては、商売敵にもなりえる相手が復活をアピールする事と、その商売敵と共に暮らしている幼女の事も有り、複雑な気持ちで観戦せざるを得なかったが、そんな考えはテラの戦いぶりを見た途端、軽く吹き飛ばされてしまった。何しろ、二人とも互いに卓越したスキルを出し合い、自分が同じ状況に置かれた時にどのような末路になるのか知れぬ戦いを演じていたのだ。
 勿論、射撃スキルと回避スキル、その他の技量とではそれぞれにおいて観点が異なる事は彼も心得ているつもりだった。だが、それを忘れていた。
 あのまま倒されれば、最悪アストライアーの死すら有り得るという現実が、それを覆っていた。
 それは現在、挑戦者に追い詰められていた当の女剣士も同じ事であり、カラサワの銃口が冷たく光る中、アストライアーは自分が置かれた絶体絶命の状況をどう打開するか、出来の劣る頭脳をフル回転させて生存の希望を見出そうとしていた。
 その間にも、無情にカラサワが光弾を吐き出した。蒼白い高出力エネルギー弾は頭頂部に撃ち込まれ、装甲を焼いたが、耐久性に定評の有るミラージュ製頭部MHD-RE/005を完全破壊するまでには至らなかった。
 テラは舌打ちし、今度こそコックピットブロックを狙い撃つべくカラサワを向けた。ヴィエルジュは片足を引き摺りながらもブーストで浮かび上がったり、OBを起動準備して射線より逃れようとしている。耳慣れた唸りが、彼の鼓膜にも届いていた。
 では進路先を狙おうと、テラは予想される進路の先――ヴィエルジュの左手側、彼から見れば右側にカラサワを向ける。
 OBが発動したその瞬間、テラはファイアーボタンを押し込んだ。保身を考えるであろうと、彼はアストライアーが機体の左側に露出したコックピットを庇うだろうと読んだのである。
 だがヴィエルジュは予想に反し、スペクトルの左手側へとOBで移動していた。必中の筈の射撃が無駄弾となってしまったが、それで動じるテラではない。相手が右に逃れたとあれば、今度はそれを追撃して撃ち込むまでだ。
 スペクトルもOBを起動し、ヴィエルジュを追撃すると同時に上昇、再び頭上を取った。
「さあ、チェックメイトです!」
 スペクトルが発砲した。その瞬間、ヴィエルジュは上半身を大きく捻り、右半身を敵機に向けて曝した。放たれた光弾は、残っていた右肩を完全に吹き飛ばした。
 最早、自分の身を守るものは左手ぐらいなものだが、これを傷つけるわけには行かなかった。現在相手を撃破し、勝つ可能性を唯一残しているのはこの左腕のブレードだけなのだ。
 しかし、アストライアーが圧倒されていたのも事実だった。彼女が予想していた以上に、テラは手強い相手だった。潔く破滅と向かい合い、戦って死ぬのだろうか――冗談じゃない、エレノアがいる前で自分の死に様を曝すなど、出来るはずはなかった。
 だが、アストライアーは妙な感覚を覚えていた。愛機の右肩を吹き飛ばした一発を最後に、スペクトルからの銃撃は止まっている事に気が付いたのである。
 彼女は知らなかったが、この時、スペクトルのコックピット・コンソール上では、カラサワに固定されたセレクターが紅い表示に切り替わっていた――名銃との呼び声高いレーザーライフルが、遂に沈黙したのである。
(……ですが、このまま逃げ切れれば判定で勝てますね。冷静に考えるんですよ)
 幸い、スペクトルは相当手酷いダメージを受けているとは言え、ヴィエルジュほど損害は酷くない。左腕の装甲は殆ど傷付いておらず、最も被害の大きかったコア前面部だが、コックピットブロックが露出するほどの損害には至っていない。更に、ブースターやOBも無傷である。
 よって、此処はこのまま逃げるのが上策とテラは判断した――これ以上損害を与えず、しかし自分も損害は負わない。実に良い勝ち方ではないか。しかもギャラリー(観客)には、ただ撃破するだけで勝つのではないと、自分は腕が立つ上にクレバーなレイヴンであるとアピール出来る利点も有るのだ。
 高慢ともいえるが、しかし自分の本懐たるスキルを最大限にアピール出来る場所は、此処が一番だ。多くの人間が、この試合を見ているのだから。
 加えて、テラ自身もブレードを扱う事が苦手と自覚している。攻撃手段を残す手負いのブレーダー相手とは言え、剣の心得がない自分が、押っ取り刀を手にわざわざ斬り込んで行くリスクを犯す必要はない。
 最早無用の長物となった右腕のカラサワを捨て、スペクトルはOBで距離を離した。手負いで、しかもブレードしか攻撃手段のない相手に近寄る理由は、最早なかった。


 目前のスペクトルが、既に半壊状態の自分を前にカラサワを捨てて離脱する光景を、アストライアーは無言のまま見詰めていた。
 カラサワがなくなった以上、このままブレード勝負に持ち込めばアストライアーにも勝機はある。だが、それには二つの問題をクリアしなければならなかった。
 一つは露出したコックピットブロック。一応間に合わせの装甲で覆われているものの、ブレード光波を叩き込まれたら最後、中の自分諸共崩壊する事を、アストライアーは察していた。接近する為には、此処への攻撃を何としても防がねばならなかったが、ロックオン出来ない代物が早々当たる事もない、従って最低限の機動でも何とかならない事もないだろうと、彼女は結論付けた。
 残る問題は失われつつある機動性だった。最高出力ブースターCBT-FLEETはコア後部に2基一組で装備されてはいれるものの、既に右のブースターは沈黙、左足も間接部を狙い撃たれ、足を引き摺る有様。脚部の補助ブースターはまだ辛うじて作動するが、出力が安定しない。
 そう言えば、先程オーバードブーストハッチをやられたが……OBそのものは動くだろうか? アストライアーは期待を寄せながら、OBの起動体勢に入る。もしOB破損していたら相手に追いつくのはほぼ絶望的だ。スペクトルにも同型の、しかもベストコンディションといえる状態のOBがあるからだ。
 当然、ヴィエルジュが距離を詰めればスペクトルもOBで距離を離そうと動くのが容易に想像できる。こうなれば、制限時間一杯逃げ回られ、判定負けに持ち込まれるのは明白である。破損したOBが何処まで持つか分からない上、相手のOBはエネルギーと燃料さえあれば気兼ねなく発動できるからだ。
 しかも、相手は大柄なエネルギーライフルを投棄し、機動性を高めている。重量的にもかなりの余裕がある上、稼働の為にエネルギーを消費する代物が無い。
 この点が、ヴィエルジュを更に不利にしていたのである。
「頼む、動け……!」
 祈るようなアストライアーの呟きの中、耳慣れたエネルギー集束音が響き渡る。まだオーバードブーストが生きていることに、アストライアーは内心安堵した。
 ヴィエルジュは息を吹き返し、試合開始前よりも出力が落ちたとは言え高速でスペクトルを追撃し出した。その推力を生み出していたのは3機のOBノズルで、4方向に展開するOB機構のうち、左上のノズルは完全に機能停止していた。
 アストライアーは片方だけ機能していたブースターで方向制御を行い、スペクトルに迫った。だがテラもその動きを察しており、即座にゲート前から愛機を移動させた。ヴィエルジュとは違い、スペクトルのOBは4つとも正常に機能するし、ブースターも健在である。
 だが頭上に逃げる訳には行かなかった。常にブースターを吹かす為、効率化されているとは言えコンデンサ容量への負担は依然としてあり、何よりも地上にいた方が空中に逃げるよりも移動速度は速まる。スペクトルは地上をOBで疾走し、アリーナの外周を回るように距離を離す。
 逃がしてなるものかと、ヴィエルジュは連続して左腕を振るい、スペクトルに向けて光波を射出した。
 だがロックオンも出来ないシロモノを、OB移動中のスペクトルに向けて叩き付けるのは、このアリーナにおいて名うてのロケット使いで知られていたファンファーレと言えど難しい事だった。よって、これはまぐれ当たりを期待する以外に手はないと、アストライアーは察していた。
 だが、もし命中させられたなら、その一撃で軽量なパーツを落とす事も出来るだろうし、上手く行けばブースターや脚部を穿ち、相手の機動力を奪う事だって出来る。
 当るかどうかの段階で、既に万に一つの可能性ではあったのだが、僅かな可能性を信じ、アストライアーは愛機の腕が千切れ飛びそうなほどにムーンライトを振るい続け、蒼白い光波を飛ばし続けた。
 自分の視界の前を三日月の様な光波が横切る光景を、テラはメインモニター越しに見詰めていた。だが上に逃れれば別段影響はないと判断し、テラは愛機のブースト出力を上げた。このまま逃げ切れれば勝利は動かない。
 だがスペクトルが上空へと逃れようとした矢先、コアの後方左手側から蒼白い光が一閃し、彼が抱いていた勝利への期待を裏切ってしまった。ヴィエルジュの光波が命中し、周辺部を焼いたのだ。20回近くに渡って射出した光波のうち、命中したのはこの一発だけだった。
 まぐれ当たり、と後に評価されても仕方ない光波だが、その光波は左のブースターと左半分のOBを損傷させていた。OBの出力が低下し、スペクトルは以前の様な速力を発揮出来なくなっていた。
 しかしテラは、それでも相手から逃れようと、まだ機能する右側のブースターを吹かし続けていた。
「逃げようと言うのか!? そうはさせん!!」
 アストライアーは吠えると、OB起動スイッチを指で再びパンチした。エネルギーチャージが開始されると同時に、ブースターで浮かび上がる。しかしブースターが片方損傷した状態では、上昇性能などたかが知れていた。だが、アストライアーにとってはそれでよかった。
 浮上した所で再びOBが起動したが、アストライアーはそれを即座に停止させた。余剰出力のみで推進し、ブースターで機体高度を維持しながらスペクトルの前方へと向けて突進させる。ヴィエルジュの高度は徐々に低下していくが、余剰推進力により、スペクトルとの距離は縮まって行く。
 しかしアストライアーは大きくなるスペクトルの姿を確認し、再度OBの起動体勢に入った。放熱が間に合わず、機体内部に危険なほどの熱量が蓄積され、コックピットにも機体温度が危険域に差し掛かった事を告げる警告アラームが響く。完全機密構造のコックピットがサウナの様な熱気で満たされ、アストライアーの顔面に尋常ならざるほどの汗を浮かび上がらせる。
 だが熱も警告も、既にこの女戦鴉の視界や脳内にはなかった。彼女の視界はごく狭い範囲に限られ、その中にあるのは、スペクトル一機だけ。
 再びOBが起動、今度はコンデンサに蓄積されたエネルギーをギリギリまで使用する。モニター横に記されたコンデンサゲージの容量が赤いエリアにまで達し、エネルギー切れの危険を警告する。悲鳴を上げるコンデンサに応じ、ようやくOBを停止した時、ヴィエルジュはスペクトルの正面に、右手側を向ける格好となって降り立っていた。
 この時、テラは眼前の相手にブレード光波を叩き込み、永遠に沈黙させる事も出来ただろう。だが、テラはそれを忘れていた。手負いの鴉となった自分の目の前に、ヴィエルジュが降り立った事で畏怖し、離脱を考えるのみだったのだ。
 再びOBハッチにエネルギーを蓄積させ、一刻も早くこの場から逃れようとするテラだが、ヴィエルジュの方が早かった。急速旋回に続いて3度目のOBを起動したと分かった時、その左腕からは既にブレードが生成され、スペクトルのコアに向けて振り下ろされていた。
 ヴィエルジュが視界から消えた時、蒼白い閃光が迸った。ほぼ同時にコックピットが揺さぶられ、緑の光で彩られていたパネルラインの色が、一斉に赤やオレンジ色に変化する。
「チッ、外したか……」
 通話機能だけが機能している通信回線からアストライアーの舌打ちが聞こえた。外したとはどう言う事なのだろうか。今の一撃でアンテナ型の頭部が吹き飛び、頭部とコアの接続部とその周辺部が悉く破壊され、コンデンサも損傷した。
 更に始末の悪い事に、機体後部のOBハッチは斬撃を直撃させられたらしく4つとも破損、使用不能の状態となった。さらに左のブースターも損傷し、最早逃げる事すらままならなくなってしまった。
 スペクトルにとっては最悪の事態である。
 それほどの損害を追わせておいて、何の基準を持って斬撃を外したというのだろうか? テラはその判断に迷ったが、そんな事も言っていられない。機動性を失った以上、アストライアーは間違いなく自分を仕留めに掛かるだろう。時間切れまで逃げ回れる可能性が絶たれた事を、テラは悟った。
「まさか……こんなはずでは……」
 こうなった以上、止むを得ない――スペクトルは残された唯一の武器たるブレードだけで、蒼白いACを迎え撃つ事を余儀なくされた。
 大概の相手はカラサワが弾切れする前に倒す事が出来たテラが、ブレードで戦うと言う、驚天動地の前兆現象さながらの見慣れない光景に、観客はどよめいた。
 しかし、テラは此処である致命的な事を思い出していた。
(この私が……ブレードで戦えと?)
 テラは嘆いた。この世で私にとって不幸な事が有れば、それは剣が下手なガンナーが、押っ取り刀でブレーダー――それも名剣を携えた剣豪と渡り合う事態になる事だ。
 勝敗は、この地点で決したも同然であった。何せ相手は、ブレードの扱いに長けたノクターンでさえも打ち負かすほどの腕の持ち主。ブレードの扱いが不得意なテラが斬りに行ったところで、九部九里結果の見えている話である。アストライアーの強気な微笑が見えてきそうだと、テラは悔しい思いで、現在置かれている自分の危機的状態を実感していた。
 先程まで有利に試合を展開していただけに、尚更である。
 かくして、形勢は逆転した。
「良し行け、アス姐!」
「カラサワ無くなったから勝てるぞ!!」
「テラ! あんな女に負けんな!!」
 観客の声援がさらに大きくなった。此処までくるともはや音響兵器級である。
 アストライアーはすぐにヴィエルジュのOBを起動、スペクトル目掛けてまたも突撃する。だが突撃してもブレードを振り下ろす事はなく、相手の前面で速力こそ劣るものの複雑な機動を披露し、テラを撹乱する。更に、蒼白い光波も射出した。
 幸いにも光波は外れたが、逃げる事もままならないスペクトルもブレードで反撃するが、その切っ先すら当たらない。
 こんなはずではと、テラは目の前の現実がまだ信じられない。なおもブレードを一心不乱に振り回し、ヴィエルジュを斬りつけようとするが、明らかに速力不足の相手に翻弄されるその姿には、悪足掻き以上の意味は成さなかった。
「諦めろ、勝敗は決した!!」
 テラは、ヴィエルジュが右手側に飛び去ったのを見た。
 次の瞬間、スペクトルは先程、相手を痛めつけた名銃と同じカラーリングが施された右腕を吹き飛ばされた。テラがそれに気付いた時には、ヴィエルジュは右手側から2度目の斬撃を叩き込んだ後だった。
 それは、今までに傷付けられた分を何倍にもして返したかのような凄まじいものだった。コアの後ろ半分を叩き潰されたスペクトルは派手な爆発を起こしてその場に崩れ落ち、テラは己の身体が熱と衝撃の中で揉みくちゃにされるのを感じていた。だが、既に恐怖は彼の中から消えていた。
 直後には、意識は斬撃によって吹き飛ばされたからである。
『試合終了!! テラ選手戦闘不能につき、アストライアー選手の勝利です!!』
「うぉぉぉぉ!! 流石だぜアストライアー!!」
「あの銃使って負けた!?」
「絶対反則だ、違法改造か何かをやらかしてるに違いない!」
 観戦席の歓声とブーイングが更に大きくなった。心臓の弱い者なら、この音量だけでも失神しそうなほどの声である。
「アスおねーさんが……かった? やったぁ〜!!」
 アナウンスと歓声の内容でアストライアーの勝利に気付き、しばし呆然としていたエレノアも目を開けて喜んだ。
「アスの奴、取り越し苦労でよかったぜ」
 アストライアーの戦いの行く末を見詰めていたストリートエネミーも、溜息と共に、張り詰めていた神経を緩ませた。だが観客の大歓声とどよめきの中では、到底落ち着けるものではなかったが。
「ミルキーとトラファルガーにも見せてやりたかったな」
 スキュラもそれは同意見だったが、二人にはそれが出来なかった。そして彼等は、その理由も知っていた。
「二人とも次の試合の準備で今頃奔走してるだろうからな……」
 トラファルガーとミルキーウェイは、この戦い、アストライアーとテラの試合後、互いに激突する事になっていた。その準備のため、今回の死闘を見届けるという事は叶わなかった。ミルキーウェイが不平不満をぶちまける様子を、スキュラもストリートエネミーも、互いの脳内に思い描いていた。
「しっかし、全く心臓に悪い展開だったぜ」
 ストリートエネミーが胸を撫で下ろす。終わってみれば、ヴィエルジュは満身創痍どころか、スクラップも同然の状態であった。
「そうだな。だが良いのか? 依頼内容によってはお前と敵対する羽目になるかも知れない相手だぞ?」
 スキュラは現実的な意見を飛ばした。勿論それはストリートエネミーとて同じであったが、今の彼は違った回答が出来た。
「そーかも知れんだろうけどな……エレノアが居るだろ?」
 ストリートエネミーも負ける気はない、それは当たり前の事であるが、しかしアストライアーと下手に敵対したり傷付けたりして、エレノアを泣かせたくはないというのである。
「俺は子供は泣かせない主義なんでね。それだけは絶対に譲れねぇ」
 成る程とスキュラは頷いた。その上で、更に質問を吹っかけてみる事にした。
「じゃお前に懐くミルキーウェイはどう説明するつもりなんだ?」
「ああ、アレは体がでかいだけの“おこちゃま”なんでな」
 スキュラは同業者の答えに口を緩ませ、微笑した。


「アスおねーさん♪」
「エレノアか。観戦しに来ていたのか…」
 試合後、アリーナの廊下を歩くアストライアーの前の曲がり角から、エレノアがいつも通りの微笑を引っさげて現れる。だがその両脇に、スキュラとストリートエネミーの姿はなかった。
「しあい、スゴかったよ♪」
「まあ、そうだろう」
 笑顔には笑顔。相変わらず冷たい印象のアストライアーの顔立ちだが、彼女はそれを若干綻ばせた。
「そう言えば、あの二人は?」
 ストリートエネミーとスキュラは休憩所で待っていると、エレノアは返した。あえてエレノアの傍を離れたのは、自分と水入らずで過ごさせるか、あるいは子守にうんざりしたか疲れたか、それとも「アスの試合が終わったから、こっちも終わりだ」と言う事で早々と自分に追い返したのか、アストライアーは動機を考えていた。
「やるな。やはりアルタイルの娘だ……」
 だがその思考は、若い男の声が介入した事で霧散した。
 声のする方向に2人が向き直ると、以前、エレノアと共にアストライアー対ワルキューレの試合を観戦した若者が立っていた。
「あ、このあいだのおにいさん」
「誰だ?」
「このあいだ、アスおねーさんがわるきゅーれだっけかな……しあいしたよね? そのときにいっしょだったの」
「そうか…」
「なんか『エース』っていってたんだけど……にてないよね?」
 アストライアーの顔をうかがいつつ話しかけるエレノアだが、すぐに彼女は異変に気がつく。自分の周囲ではない、眼前にイレギュラーな事態があったのである。
「あれ? アスおねーさんどうしたの? こおっちゃったみたいなかおをしちゃって?」
 その為だろう、アストライアーは先程から凍った様に無表情になっていた。一方、眼前に立つ青年は首を左右に振り、周囲を見渡している。彼が人目を気にしている事は想像に難くない。
「……どうやら周囲に人間はいない様だな。見せても大丈夫だろう」
 そう言うと、青年は首の後ろに手を回した。
 すると、黒い長髪のかつらが外れ、その下から本来の姿である白銀のセミロングヘアが現れる。さらに、青年が目に手を入れると、黒かった瞳が緑色に変色した。コンタクトレンズの様な物が付いているが、それにしては色黒である。それで瞳の色を変えていたのだろう。
 エレノアは驚いた。その姿は、エレノアがかつて街頭のテレビで見たと言う、エースの姿だった。目の前の若者が、レイヤード第3アリーナのトップに変身した事に信じられなかったのだ。
 アストライアーもそれは同様だった。まるでアキラのそれを思わせる、吹雪を形にした様な美しい銀髪。翡翠色の瞳には知性を感じさせる輝きが宿ると同時に、比類なき実力を持つ事を窺わせる、鋭い眼光も併せ持っていた。
「わざわざ変装してまで試合を観戦か?」
「人の上を行く存在たるトップランカーが、そう人前にやたらと姿を見せるものではない」
 確かに、人前に姿を滅多に晒さないことで、相手に自分の詳細をつかませないと共に、推測・推論に頼るしかないと言う不安や神秘性も相手に抱かせる事が出来るだろう。だがアストライアーはそこまで深読みしなかった。
「……そのお前が何故、私の前にこうして現れた?」
 彼女の疑問は、率直な所に向けられていた。
「お前には期待しているからだ」
「……どう言う事だ?」
「このアリーナは長年、BBに牛耳られている。その為に私を満足させるほどのレイヴンが中々現れないのはお前も察しが付くはずだ。無論私の相手も、あの腐れた人の形をしただけの肉の塊と、それに媚び諂(へつら)うランカーばかりだった。そんな中でお前の父親―――アルタイルは違っていた。私は彼との戦いの中に、まだ見ぬ自分の力の燐片を見たような気がするのだ」
 前々からBBがこのアリーナを牛耳っている事を、父の言葉から確信していたアストライアーは、エースの言葉から、このアリーナの実情を再確認させられた。
 だがBB絡みの話はあくまで自分の話。エースの話はまだ終わっていない。アストライアーはエースに話の続きを聞き出さんと迫る。
「で、何が言いたい?」
「その、アルタイルの娘であるお前ならば、私に理想を見せてくれるかも知れない。そう思っているのだ。ましてやお前は女性、しかもブレードの使い手。この世界では珍しい人間だからな……最も、それが無ければお前もあの腐れた肉の塊と同じ、姑息な破壊活動に明け暮れるゴミでしかないのだが」
「あの下衆と一緒にするな!」
 自分が忌み嫌う相手と同じ扱いとは。それを察した女剣士の頭には一瞬で血が上り、逆上。エースの胸倉を掴みかかり、その手に黒百合を握り締める。だが、黒百合はエースの常人離れした力に押さえつけられ、全く振りあがらない。
「ゴミでなければ抜き身の鈍(なまくら)だ。第一、お前はその娘までも血で汚す気か?」
 切りかかる女剣士などその眼中に無いかの如く、エースは平然と佇んでいる。それだけに、彼の言葉はある種の挑発にも聞こえた。
 だがそれを考える前に、エレノアを意識したアストライアーの動きが止まる。事実、エレノアはエースの足元にすがり付くようにし、自分が慕う女レイヴンを助けようとしている。
 しかしその力が、アストライアーと同じ“人ならざる人間”であるエースを揺るがす事は到底無理な話である。故にエースはアストライアーの腕を押さえつけたまま、言葉を続けた。幼い娘の力など、所詮はその程度でしかない。
「だとしたらお前は、その娘すらも守れぬ輩だと、自分で声高に宣言した事になるぞ」
 アストライアーの動きが鈍った。其処まで考えていなかった彼女は、ようやく言われてそれに気が付いたのだ。
「所詮お前も他人を傷付けるだけの、抜き身の刃でしかないのか? しかもその娘すら血に染めるとは……女は愚か、生命体としても最低の部類だな。ゴキブリですら、自らが産んだ卵はケースで包んで保護すると聞いているぞ」
 遂にゴキブリ以下とまで言われたか。しかし此処まで言われては、最早反撃の余地は無い。エースを掴んでいた手を、アストライアーは開放した。寄ってくるエレノアが、エースが放つ覇気か先程の一幕で脅えたのか、女剣士の後ろに隠れるようにしてエースを見ている。
「……最も、その娘はお前が人間として決して譲れぬ、最後の一線なのだろうが。せめてその娘ぐらいは守ってやれ」
「言われるまでも無い」
 無意識のうちに、今しがた忘れかけていた一言が反射的に出た。そして、エースに対する疑念も同時に。
「だが何故私に拘る? 理想を見たいと言うならばアキラと再戦する事が手っ取り早い手段だろう。実際、奴と戦った時にも理想の燐片を見たと言っていた筈だが?」
 アキラとの戦いの中で、追い求めていた理想の一部を垣間見た気がしたとエースは語っていたらしい。アストライアーはそれを直接は知らないが、そう語っていた事を、同業者間の談話から垣間見ていた。
「無論。お前の父親もそれは同じ。私と戦った歳、彼は素晴らしい戦いを演ていた。依頼で共に戦う機会もあり、その時に幾度も彼とは言葉を交わした。あのような優れた人間性を持ち、それでいて技量も優れた彼と、是非もう一度戦いたい――そう思っていた時にあのゴミが彼を抹殺してしまったからな……」
 エースは顔を俯けながら、最早叶う事のない理想を言葉にしていく。アストライアーには、その姿はどこか物寂しげに見えた。
「まあ、私があの粗大ゴミの処理ばかりでアキラと戦えない、と言うのもあるが」
 アストライアーはここ数回のエースの対戦相手を思い出す。彼女の記憶にある中では、エースの対戦相手は全てBBだった。負けても負けてもオファーを出し続けたのだろうか?
「で、父と同じ戦闘スタイルで此処まで勝ち上がって来た私と戦うことで、私の父が見せたという理想を、再確認したいという事か?」
「……それはお前の解釈次第だ」
 エースは一歩下がり、アストライアーに向きながら続けた。
「ただ、お前に注目していると言うのは確かだ。私の中のお前を『姑息な破壊活動をするだけの、反吐の出る連中』と一緒にしないで欲しいものだ」
 エースは深くを語ろうとはしなかった。そう答える間にも、彼は再び黒いコンタクトレンズのような物を眼下にはめ込み、黒髪の青年へと変貌を遂げていた。
「どこに行く?」
「何、焦らずとも何れ会えるだろう。その時まで生きろ、アルタイルの娘よ……」
 エースは言うだけ言った後、元の黒髪の青年の姿に戻り、アストライアーとエレノアの前から姿を消した。
 私のささやかな期待を裏切るなと、念を押した上で。


 アストライアー達と別れたエースが向かったのは、アリーナドーム内の天井に通じる梯子だった。
 此処では試合が良く見えると言う事で、エースを初めとする一部のレイヴン達が此処でアリーナランカーの試合を観戦しているのだ。ちょっとした穴場、と言った程度の位置付けである。
「いらっしゃい。そこのあなた、元王者のご来場よ、道を開けなさい」
 既に階段に陣取っていた女性が、エースに気付いて発した。光沢のあるライトグレーの頭髪にターゴイズブルーの瞳を持ったその外見はワルキューレと似通っている部分もあるが、頭髪は胸元の辺りで切り揃えられていた。水色のパイロットスーツに包まれた彼女の顔立ちは、ワルキューレと比べて5〜6歳は若く、アストライアーと同い年と言う印象があった。
 その彼女が、階段に陣取る他のレイヴンに道を開けさせる。折角陣取っていた場所をどけと言われて不機嫌にもなろうというものだが、しかしエースが彼等の横を通る事に、異を唱える者は誰一人としていない。
 何故なら、ここに居るレイヴン達の全員が、エースの派閥に属している者達だからである。
「随分来るのが遅かったわね。何があったのかしら?」
「深く突っ込んで何になる……?」
 エースのどこか満足げな口調から、女レイヴンは彼が事前に何をしたかを察する。
「……“アルタイルの娘”とでも会って来たの?」
「まあ、そんな所だ。結論としては悪くなかったが」
 本来の姿たる銀髪の戦鴉へと変身すると、エースは階段の手すりに寄りかかり、トラファルガーとミルキーウェイの試合が行われているグラウンドに目を向け、言葉を続けた。彼の近くでは、レイヴン達が、どちらが勝つかを賭けていた。
「あの娘、もうあの腐れた肉の塊も倒せる程だろう……そしてもう少し生き延びられれば、私の横に立てる腕になっても不思議はあるまい。だが……」
「だが……何?」
 エースは軽く咳払いをした後、言葉を続けた。
「奴が黙って見ていないはずだ。自分の地位を保つ為なら手段を選ばぬあのゴミの事だ、必ずあの娘を殺しに来るだろう。果たしてあの娘に、それを生き延びられる腕と運があるのか……」
 女レイヴンの目に映るエースの瞳は、アストライアーに対する期待に光りながらも、どこか哀れみが漂っていた。
 エースはそれを察してか、顔を向けて話しかける。
「ブリュンヒルデよ……お前がアルタイルの娘を忌み嫌っている事は、無論承知している。お前は元々優しく、正義感もあるし、それを自ずと証明出来る技量もあった。だが、それ故にお前は一度BBに追われた事があったが」
「だから何? あの女と手を組めっての? 冗談じゃないわ、あんな人間崩れと組むなんて!」
 ブリュンヒルデには何故、エースがアストライアーに関心を抱くかが理解出来なかった。
 彼女から見れば、エースに与している面々を初めとしたレイヴン以外は、一部を除いた殆どが、同じような存在に見えていた。強欲で破壊的で、絆や愛を卑下するものとしか考えられず、目先の私利私欲や相手への憎悪しか頭にない人間崩れの外道達。
 ブリュンヒルデは、そうした存在が何よりも嫌いだった。
 そしてその正義感が災いし、彼女はBB本人の誘いに「付き合ってられない」と冷たく言い放った事を、エースは知っている。結果、彼女はBB一派の反感を買って追われる身となり、エースを頼る事で何とか命脈を保っている状態となったのである。
「あの女は仲間ですら平気で殺すのよ? そんなのとどうして一緒に戦えると言うの?」
「誰もアルタイルの娘と組めとは言っていない。ただ……」
 エースの言葉がブリュンヒルデを遮った。
「あの娘が何処まで戦えるか、そして私と相対した時に何が起こるのか……私はそれを期待しているだけだ」
 長年戦い続ける中で己の理想を追っていたが、しかし周囲には姑息な戦いに明け暮れ、しかも己の理想を満たし得ないほどの小物ばかり。そんな奴等に関心を抱くのは退屈でしかない。ましてやBBの様な者は以ての外である。
 だから、所謂レイヴンらしくない者であっても、己が目をかけた者、そして己を慕う者や注目している者にはそれなりの対応をする。
 アストライアーは知らなかったが、エースはそうした気高さを併せ持つ誇り高き戦士であった。
14/10/16 13:56更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 テラとアストライアーの試合。そしてエースの正体(今まで変装していた事が分かる)、新キャラ・ブリュンヒルデなど色々な要素を詰め込んだ感があります。
 ムーンライトとカラサワと言う、ACシリーズを代表する名武器同士の対決だけに、執筆にテンションが上がった一方、変な事は書けないなと言うプレッシャーの中で執筆に臨んだ作品でした。
 人によっては「こんなのアリエネェ」と思うでしょうが、それは忘れて下さい(コラ)

 AC3レディブレーダーは、プロットの段階どころか執筆中(時として完成後すら)も修正が何度も入る難モノですが、今回は出だしからシメまでキレイに決まった、私の作品の中ではかなり稀な「いい子」だったりします(笑)。
 逆に、第9話などアキラや直美さんが出て来る回は悪童もいいところで、何回も修正入れたくなります(爆)。
 まあ、あの二人だけは劇中や原作の世界観を半ば無視しているので、仕方ないと言えば仕方ない所ではあるのですが……。

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まろやか投稿小説 Ver1.50