連載小説
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#11.再飛翔への道標
「はいはい、こっちだよー」
「待ってくれ、そんなに急かさないでくれ。まだ体の自由が利かないんだ」
 拍手をするように、アストライアーを手招きつつゆっくりと後退して行くエレノア。当の女剣士は、そこから数メートル離れた所から、彼女をゆっくりとしたペースで追っていた。
 怪我をしている様子はないが、しかしその動作は非常に緩慢で、時折目まいを起こしたかのように左右に体が揺れ、動きが不安定になる。
「大丈夫かな、お姉さま……」
「殆どババァだな、ありゃ」
 そんなアストライアーの後方から、ゆっくりとした歩みで後を追うのは、彼女と同じアリーナに籍を置くレイヴン、ミルキーウェイとストリートエネミーであった。
「でも意外だね、お兄ちゃんがアスお姉さまのリハビリに付き合うだなんて」
「あのな、俺だって人間の端くれだぜ? 度々共闘してる人間なんだし、一応礼儀ってモンがあるだろ?」
「ほう、一応と言い切るか……」
 一瞬殺意を覚えるアストライアーだが、それもストリートエネミーなりの気遣いだろうと割り切り、殺意を表には出さなかった。


 アストライアーがこの病院に担ぎ込まれてから、今日で丁度3週間が経過した。
 その3週間の間に、強化人間化した際に不本意ながらも獲得した、常人を凌駕する治癒能力が幸いし、身体はほぼ完全に治癒されていた。最も彼女は体の大半を機械化している為、治癒よりは修理、もっと平たく言うならば自己修復と言った方が良いのだろうが。
 だが生身の部分、特に神経系は修復完了した擬体にまだ馴染めていない上、今まで寝たきりの状態だったことも手伝ってか、完全に平行感覚が狂ってしまい、この数日前、彼女が再び2本足で直立した時には、まともに歩けないような状態だったのだ。
 その間、先に男がアストライアーを刺殺しようとした件について、彼女は警察の取調べを受ける事となった。男との関係に始まり、自分の過去の行動等を色々と聞かされたのだが、レイヴンとしての行動や意趣返しへの反撃について口を割らない様にしたと言う前提で、それらの一つ一つに自分の記憶に基づく回答を下し、また当時重症人であった事から、男の傷害容疑はあったが、結局不起訴となっていた。
 男をノックアウトした直美については、監視カメラや、当時病院にいた者達からの証言で確認されていたが、結局捜査の手は及ばなかった。ベーシックID以下、彼女に繋がる情報が全く見つからなかった為だ。
 結局「回復を待って男への事情聴取を行う」まで取調べは保留となったが、男は脳挫傷の上に頚椎を損傷し、ICU(集中治療室)に担ぎ込まれた時には既に意識不明、しかも治療したとしても意識が戻るかどうかは不明とされたが、彼のその後について、アストライアーは感知しなかった。
 そうした中、彼女はリハビリも兼ねてエレノアと共に病院の敷地内を散歩しているのだ。ミルキーウェイとストリートエネミーとは、その際に遭遇した。

「しかし……こうして見ると平和なものだ」
 アストライアーは歩みを止め、晴れ渡った人口の空を見上げる。空には雲がなく、妙に青く澄み渡っていた。一見すると、とてもこのレイヤードが破綻を来たし始めているとは思えなかった。
 現在アストライアーが入院している病院は、彼女の自宅があるレイヤード第一層・第一都市区にあるが、此処にも最近になって、管理者部隊と思しき特殊MTが出現し、建造物等に被害が出るようになっている。こうした混迷に乗じてのテロ活動も、相次いでいると言う事も聞いていた。
 それでも、レイヴンによって何とか管理者部隊は撃退され、その為か此処のライフラインにはまだ致命的な被害は確認されておらず、何とか人間が生活出来る状態が保たれている。ただ、それも何時まで持つのかは不明瞭だが。
 しかし、それでもこのセクションはまだ良い方である。
 他のセクションではコンピューター・ネットワークが遮断され、電力・水道の供給等が滞り、酷い場合は都市機能が完全に絶たれ、廃墟と化した区画もある。以前、ミラージュの部隊を護るべくトラファルガーと共力し、クレスト部隊と戦ったゴーストシティもそのうちの一つである。
「……それにしても、何故管理者はこのレイヤードを破綻させようとする? 何を考えて、人類を淘汰しようとしている?」
 人類淘汰と言うのはアストライアーの一つの構想に過ぎないのだが、しかし昨今の管理者部隊の行動は、アストライアーにその事を考えさせるには十分なものだった。
「アスおねーさーん、どうしたの〜? はやくおいでよ〜」
 遠くから女剣士を呼ぶ声。その声の主は勿論エレノアである。アストライアーが考えに耽って歩みを止めている間、エレノアは既に女戦鴉の病室がある病棟の前まで行ってしまっていた。
「……まあそれはどうでも良いか」
 アストライアーはあての無い考えを中断し、再びリハビリのために歩み出した。ふらふらと不安定な動きを見せ、危なげな均衡を取りながら歩いている間、アストライアーは何度も躓き、転倒しそうになる。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫だ、この程度……」
「全然大丈夫じゃねぇだろ」
 後方をのんびり歩いていたストリートエネミーがアストライアーへと歩み寄る。だが、それ以上の事はしない。自分の足で歩む事を再び始めたのだ、彼女に手を貸してはリハビリにはならないと思っていたのだ。
 手を貸すと復帰が早まるからじゃないか、と言う考え方については度外視する。病院でその様などす黒い考えは不要だ。とは言え、多少なりともそれを危惧しても不思議はあるまい。復帰する事で、必ず彼女によって血を流す事になる者が出て来る。
 哀しいかな、レイヴンとして生きる者の宿命である。
(くそっ、やはり歩くのが辛い……こんな状態でレイヴン復帰はなるのか?)
 己への疑問が浮かぶが、強引に撤回する。
(違う、必ず復帰してやるんだ! あの下衆を――BBを抹殺する為に!!)
 ふらつく体を、アストライアーは気力と負の感情で支える。


 あの後転倒こそしなかったものの、激しく船酔いしたかのごとき挙動のアストライアーは病棟の入り口近くにまで戻って来るのに、かなりの時間を要した。
「はやくはやく〜」
 既に病棟の正面入り口まで来ていたエレノアが、アストライアーを手招きして呼び寄せる。
「逃げろ!」
「え?」
 突如として平穏な空気を破って悲鳴が響く。それに反応してエレノアが頭上を見上げると、多数のガラス片と、何か荷物みたいな物が落ちてくるのが見えた。
「危ない!!」
 エレノアが危ないと感じたアストライアーの体は反射的に、機械的に動いた。
 それも先ほどの危なっかしい動きではない。放たれた矢の如く、エレノア目掛けて猛然とダッシュしたかと思うと、エレノアを吹き飛ばす様な勢いで飛びつき、落下物の落下点からずらした。
 落下物が地面に叩きつけられたのは、その一瞬後の事だった。
「大丈夫ですか!?」
 周囲に居た看護婦や看護師、そして他の患者が、倒れているアストライアーとエレノアに駆け寄る。
「心配ない」
「だいじょうぶだよ」
 アストライアーとエレノアが立ち上がりながら周囲の人達に言う。ガラス片が掠めたのだろう、アストライアーの右頬には赤い直線が走り、そこからは血が滲み出ていた。しかし、まるで何事も無かったかのように、女戦鴉は自らの血を手で拭い取り、そのまま払った。
「大丈夫か?」
「うん、だいじょうぶだよ。ばんそうこうつければなおるとおもうし」
 アストライアーもゆっくりと立ち上がりながら、エレノアが無事だった事を確認する。
 と、ここでミルキーウェイはある事に気が付いた。
「……お姉さま?」
「何だ?」
「ちょっと歩いてみて」
 ミルキーウェイに言われるまま、先程と同じ様にして歩いてみる。
「……どうしたんだ? 正常に戻った様な気がするが」
 アストライアーの歩く姿。それは常人が歩く様と全く変わらない。先ほどの危なっかしい、ふらふらと危なげに均衡を取っていた動きがまるでウソの様である。
「ほんと!? おしばいじゃないよね!?」
「本当らしい」
「すごーい! アスおねーさんがなおった!! おいしゃさーん! アスおねーさんがなおったよー!!」
「ちょっと待てエレノア! 医者を無理に捕まえるな!」
 嬉しさのあまり、エレノアは病院内に駆け込んだかと思うと、すぐに近くを通っていた医者に話しかけた。遅れて、常人並の歩行能力を取り戻したアストライアーはすぐにエレノアを静めようとする。
「やれやれだぜ……」
 その光景を見て、苦々しい思いをしている人間が居た。ストリートエネミーである。最もそれは心の底からではないのだろうが、しかし彼は嬉しさ半分、嫌な考え半分と言う様な、何とも微妙な表情をして呟いた。
「あれ? お兄ちゃん、嬉しくないの?」
「そりゃ嬉しいさ。けどよ……依頼で敵対したり、高報酬の依頼をあいつに取られんじゃねぇかと思うと素直に喜べねぇよ」
 確かに自分より実力のあるレイヴンが現れれば、危険が伴う高報酬の依頼は、当然格下レイヴンよりはそのレイヴンに回される傾向がある。また、度々共闘している以上、敵になった時の危険度も察しが付く。弱肉強食が旨であるレイヴンの哀しき常とは言え。
 ストリートエネミーは、それを危惧すると共に、若干の嫉妬も抱いていたと言う訳だ。
「でも戦力アップにもなるよ? また依頼で一緒に戦えるわけだし」
 だがどう言おうと、アストライアーは、依頼によって任務を遂行するレイヴンである事に変わりはない。故に、以前の様に目的を同じくする戦友にもなり得る。ミルキーウェイの言う事も間違いではない。
「ちっ、良かった探しと来たか……まあ、戦力になる――すなわちあいつが出てくるイコール高報酬、んでアスが出て来た事で成功率アップって考えは俺も同じだがな」
 色々黒い発言を口にしながらも、結局はミルキーウェイに同調したストリートエネミーであった。
 一方アストライアーは、自身が普通に歩ける様になった事を主治医に伝え、実際に主治医の前で歩いて見せた。そして主治医からも、前々から身体の回復は認められていたため、「もう退院しても良いだろう」との判断が下されるに至った。
 この時に退院出来る事を喜んだエレノアだったが、退院までに色々と手続きがあった為、結局アストライアーが退院するのは、翌日の事となった。


「3週間ぶりの自宅か……」
 帰宅して早々、アストライアーは息をついた。
 一番落ち着ける場所に戻って来られたのはよいが、同時に自宅が有らされていないかどうか、危惧し始めた。そうだ、自分の首を狙う何者かが目をぎらつかせているのだと、彼女は思い出した。
 不在の間に、刺客が部屋に潜入していないとも限らない。
「私がいない間、どうしていた?」
 警戒した面持ちで、久しぶりに鍵をドアに差し込み、ロックを解除。そのままドアノブに手を掛けるアストライアーだが、ドアは何かにぶつかったような鈍い音を立てるだけで、微動だにしなかった。
(ドアがロックされただと?)
 開けた筈のドアが、逆にロックされてしまっていたらしい。その原因が何かと思ったアストライアーだが、その答えはすぐにエレノアが出した。
「スキュラ、っておばちゃんがきて、ごはんとかそうじとかをやってくれてたの」
 エレノアの言葉と同時に、ロックされたドアを開錠する音と共に、アストライアー不在の間、此処に居座っていたレイヴン――スキュラがドアから顔を覗かせた。
「お帰り」
「済まんな、わざわざ」
「いや、私と貴女の仲だ。礼には及ばない」
 その姿を見ると、スキュラはバッグを背負い、更にスーツケースまでも手にした。多分、衣服やその他の物資を担ぎ込み、数日間泊り込んでいたのだろう。
 因みにスキュラが此処にいる理由は、アストライアーにあった。彼女は入院して間も無く、エレノアにもしもの事があると不味いと考え、スキュラにエレノアの保護を頼んでいたのである。
 エレノアが居る事で、自分の弱みを握られるかもしれないと考えたアストライアーは、今までエレノアの事を秘密にし、ストリートエネミー等、一部を除いてその存在を明かさなかったが、絶対の信頼を置けるスキュラにはエレノアの存在を教えていた。
 エレノアがいた事は意外だったとは、当時のスキュラの談である。最も、危険人物扱いされていた冷徹な女剣士レイヴンが子供を連れていたとあっては、大抵の人間は何かしらの反応を示すはずだ。
「それより、その荷物は?」
「衣類以下、全て私物。貴女が退院すると聞いて、もう帰るかと思って今まで荷造りしていた所」
 だがスキュラは、アストライアーと話をしつつも、近くに護衛目標たるエレノアがいると知ると、すぐさま視線を彼女に向けた。そしてエレノアの頭を軽く撫で始める。
「楽しかったよ、短い間だったけど。また何かあったら来るね」
「うん」
 にっこりと笑うエレノアの頭を撫でるスキュラも何処か嬉しそうであった。どうやら彼女も、エレノアを気に入ってしまったようだ。
「さて、そろそろ私は帰る。また役に立てるような依頼で」
「ああ、その時は頼む」
「ばいばーい」
 一通り別れを告げると、護衛任務を終えたスキュラは家主に別れを告げ、スーツケースを引っ張って帰途へと就いた。
 去っていったスキュラを見送り、3週間ぶりに自宅に入ったアストライアーはキッチンの横に積まれた、大量のゴミ袋を見て呟く。換気扇が回っていたにも拘らず、ゴミ袋周辺は異臭が立ち込めている。
「出来ればゴミを出す日を覚えておいて貰いたかった……」
 過ぎた事だから仕方ないとはいえ、スキュラに文句を垂れる。
「ごめんね。ゴミのひが分からなくって…」
「いや、気にしなくてもいい」
 多分、上の不満はスキュラに向けたものだろう。とは言え、エレノアが居る事もあるのか、アストライアーの口調はいつに無く穏やかだった。
 久しぶりに自宅に上がりこんだアストライアーは、殺虫剤のスプレー缶を片手にゴミ袋を全てベランダへと屋外追放し、徘徊していた黒光りの害虫を発見し次第スプレーで抹殺。害虫の遺体をトイレにて水洗処理した後、風呂場、寝室など自宅の様子を一通り見て回る。幸い、特に異常は無く、また危険人物の侵入を許した形跡もない。
 生ゴミだけはどうしようもなかったが、何事も無くて何よりだと、アストライアーは安心した。しかし異臭耐え難くなったのは確かな為、換気扇のスイッチを入れ、更に全ての窓を開放。更に黒光りの害虫がまた出てこないかを警戒して殺虫剤のスプレー缶をしばらく手放さなかった。
 室内の空気が正常に戻り、害虫の存在もない事を確認したアストライアーは窓を閉めてソファに座り、テレビを点ける。どうやら、アリーナの試合中継が放映されている様である。
 だがテレビに映るACを見て、アストライアーは目を疑った。忘れもしない、自分が血みどろの女剣士として歩む元凶となった、あの灰褐色のACだったからである。
「今頃あいつが試合か?」
 対戦相手は「紅蓮の破壊皇帝」の異名を持つランクB-1のランカーレイヴン、バルバロッサ。アストライアー不在の間にランクを上げ、先日、ロイヤルミストを蹴落とした男である。
 彼が操る「ブリッスルノーズ」は、大口径グレネードキャノンCWG-GNL-15にチェインガンCWC-CNG-300、ヴィエルジュもたまに装備するバズーカCWG-BZ-50と大火器を満載した、ファンの間からは「ガチタン」、つまり重火器と重装甲でガチガチに固めた機体と称されるタンクACだった。
 並大抵の攻撃では決して揺るがぬその堅固な装甲は言うに及ばず、満載された火器群による圧倒的ラッシュで幾多のレイヴンを消し炭にして来ており、第3アリーナのあらゆるランカーから警戒され、ファンの間でも、予てから「破壊者」「動く活火山」等と比喩されていたほどの、凄まじい攻撃力を有するランカーである。
 アストライアーも一度彼の試合を目撃していたのだが、その時は当時の対戦相手ワルキューレの十八番である狙撃によって削られ、後は徹底的に逃げ回られて判定負けを喫していた。それ以後も何度か阻まれ、ランクが足踏み状態だったことは覚えていた。
 このアリーナはどのランカーにも一応自由に挑めるものの、Bランクより上のランカーに挑む場合、一人ずつ撃破して勝ち上がらねばならない不文律がある。従ってBBに挑めるまでに至った以上、ワルキューレも餌食となったことは明白だった。
 ここまでの事を実況で知り、また思い出したに伴い、アストライアーが反射的に動いた。テレビ中継とは言え、しかし参考までに暴君の戦いを目にしておくべきだと判断した。相手の戦いぶりを知る事で、自ずとその戦い方も分かるだろう。アキラの時と同様、知る事で畏怖が生じる可能性もあるが……せめてそう思いたかった。
 すぐにラックから未使用のDVDを取り出し、DVDプレイヤーにセット。セットするや否や、すぐさま本体の録画ボタンを連打した。程なく「録画開始」を表す表示が出現。
(後学の為に、貴様の戦いぶりを拝見させてもらう)
 アストライアーは碇の如く、ソファに腰を下ろした。
 だが彼女はすぐに気が付いた。テレビの中の様子が、暴君と皇帝の戦いにしては様子が変だと言う事に。否、元々ビッグタイトルゆえに観客席は祭りの如く騒がしくなるのは必然だが、騒ぎ方が妙だった。
 それを裏付けるかのように、画面内が切り替わり、先程まで見られたお祭り騒ぎが嘘のように荒れ果てた闘技場を映し出していた。観客が恐怖に駆られたように叫び、外壁は客席諸共破壊されていた。BBか、或いはバルバロッサを目的にしてかは不明だが――4機のACが騒々しく上がり込んで来た。試合を中継するはずだったカメラが攻撃されたのか、映像が途切れ、テレビ画面は砂嵐となった。
「乱入者か!?」
 濃紺の瞳は、テレビの中で起こっていた動乱の様子を写し取っていたが、彼女の疑問に答える者は皆無だった。
 テレビの砂嵐が消え、再びアリーナの様子が映し出された時、アストライアーの視線の先では、バルバロッサが操るブリッスルノーズが佇んでいた。


「とんだ茶番だな――これもお前の差し金と言うわけか、BB?」
 観客席での動乱にも、南ゲートの前に佇むブリッスルノーズの搭乗者――バルバロッサは微動だにしない。その前方数百メートル先に設けられ、今は開放されている北ゲートの前には対戦相手たる暴君がいる筈なのだが、しかしタイラントは既に姿を消していた。
 事前にこのことを察してか、或いは……バルバロッサは疑問を口にしたが、既に答えるべき相手たるBBの搭乗機はなく、代役として、4機のACがアリーナを我が物顔で跋扈していた。
「答える口もなく、か……」
 4機のACはブリッスルノーズを包囲しつつあった。見た所、中量2脚ACが2機、4脚ACとフロートACが1機ずつと言う編成だ。タイラントの圧倒的火力を以ってすれば、それらのACなど容易く吹き飛ばせるはずだ。バルバロッサとしてはそう思っていたが、そうはならなかった。
「まあ良い、今は――」
 バルバロッサの瞳に鋭さが増し、弱気なレイヴンなら睨まれただけで失神しそうな眼光が迸る。
 臨戦態勢のブリッスルノーズを前に、乱入者達も赤い機体から立ち上る、何か得体の知れない存在――覇気、あるいは重装甲超火力のACが持つ独特の威圧感――に気圧され、動きを止めた。
「――この私が次期王者に相応しい事を、この場で証明するのみだ」
 折角の対戦を無効試合にされたのは腹立たしいが、トップランカーを目指す上での試練、そして自分がアリーナの上位に君臨する新たな王者であるとプレゼンテーションするには丁度良いか。そう自分に言い聞かせ、バルバロッサはまず、中量2脚ACのうちの1機に狙いを定める。
 標的とされた機は、軽量級EOタイプコアに接続された軽量腕部にはグレネードライフルとブレードが接続され、肩には中型ロケットが積まれていたが、その重装備が災いし、機動性が平凡であるにも拘らず防御力にやや難を残している事を、彼は一瞬で見て取った。
 ブリッスルノーズはロケット砲撃を浴びながらもOBで突進、砲撃と、他のACも加わっての銃撃を、自前の分厚い装甲を頼りに強引に突っ切り、投擲銃とグレネードを相次いで発砲。
 中量2脚ACは逃げながらグレネードライフルを発砲、同時にEOまで起動してブリッスルノーズを寄せ付けまいとするが、その程度の攻撃では、移動要塞の如きタンクACを足止めする事など到底適わない。榴弾の連続射撃によって生じた爆風に飲み込まれると、たちまち同機は爆発、上半身を派手に吹き飛ばされて地面に転がった。3発のグレネードに直撃されたACはズタズタに引き裂かれ、オレンジ色と青の鮮やかな機体は消し炭のように黒く変色していた。
 最初の侵入者を葬るのと同時に、フロートACが横から切りかかろうと迫ってきた。他の2機はマシンガンでなおも銃撃を繰り返し、バルバロッサの前面モニターでは火線が雨の如く流れていく。
 だがブレードによる攻撃の方が被害が大きいだろうと察すると、バルバロッサはレーダーの右手側に赤い点があることを察しつつ、脚部内臓ブースターを吹かしてゆっくりと舞い上がった。マシンガンの格好の的にはされるが、ブレードで斬られるよりは、損害は少なく済むだろう。ダメージが不可避と言うのなら、少しでもダメージは小さい方が良い。
 直後、ブレードの切っ先がブリッスルノーズの脚部に当り、青い火花がスパークしたが、受けた損害は脚部の装甲が僅かに削り落とされる程度だった。
 ブリッスルノーズは上腕部の補助ブースターを吹かし、右手側に向かって90度の急速旋回を披露。モニターに、ブレードを振りかざすカーキ色の機体が投影された。青白い光の刃は、今にもコアや腕部を一刀両断にしようと迫って来ていた。現行最高クラスの速力を発揮しうる高出力ブースターを内蔵し、機動性に特化した反面脚部許容積載量が少ないMLR-MM/PETALだが、そのフロート脚部には中量級コアCCM-00-STOが接続されていた。だがそのしわ寄せだろう、装備はブレードとハンドガン程度と言う慎ましいものであった。
 逆を言えば、軽装である分、中量コアを装備してもなお余る速度を発揮し得る構成であった。しかしその左腕の青い光剣は、重量級コアの装甲と言えど、何度も斬られれば持たない。
「そいつは厄介だな」
 重量級コアすらも引き裂く月光の名を持つ光剣を前にしても、それを防ぐ楯を思わせるかのように、バルバロッサに動揺の色は露ほども見られない。
 それどころか、バルバロッサ相手に向けて呟いた。お前はそれでいいのかと。
「接近してくると言う事は、こちらの手の内に潜り込むと言う事と同義なのだから……」
 嘲笑か、或いは勝利を確信してか――不敵に微笑むと、バルバロッサはファイアーボタンを押し込んだ。
 呼吸も許さぬほどの間隙の間にも、爆発音に似た砲声を発し、右腕のバズーカは砲弾をフロートACのコアに叩きつけた。軽量級腕部CAL-44-EASはバズーカの一撃で吹き飛ばされ、左腕の銃と共に、立て続けに放たれた砲弾は脚部のフロートユニットを破壊した。
 4発目の砲弾で、コアを深々と抉られたフロートACは紅蓮の皇帝を前にし、くずおれた。
 2機を葬り、残るは2機――フロートACを撃破したブリッスルノーズはバズーカをもう1機の中量2脚に向けるが、発砲前に左手側からのレーザーキャノンを浴び、右腕の装甲が爛れる。右腕のマシンガンでは大したダメージは望めないと、4脚ACが連続でレーザー砲撃を仕掛けてきたことが、バルバロッサには分かった。バズーカを発砲して反撃に転じようとするも、今度は中量2脚が両肩に装備したミサイルを放ち、右腕を大きく抉り取る。
 ミサイルは内部のエネルギー供給系か、操作に関係する配線か電子基盤を破壊したのか、ブリッスルノーズの肩から下の右腕全体が操作に反応しなくなっていた事を、バルバロッサは即座に悟った。
 しかし片方の腕が死んだ事も、彼にとっては大きなハンデにはなり得ない。すぐさまOBを起動、ミサイルやレーザー砲撃を突っ切り、既に雲隠れしたタイラントが出入りした北ゲートの前まで移動すると、補助ブースターを併用しながら旋回した。レーダーから、2機のACが並んで自分を追走している事をバルバロッサは察知した。
 中量2脚ACは再び両肩のミサイルを、4脚ACはレーザーキャノンを撃ち放った。
 ブリッスルノーズの速力では回避などほぼ不可能だった。だが肩のキャノン砲は2問とも健在、まだ攻撃手段が残されている。その事実が、バルバロッサを安心させ、未だに己の中では揺るがない勝利への自信をみなぎらせていた。
 両腕は傷付いてはいるが、弾除けとしては機能するだろう。バルバロッサはグレネードランチャーの砲身を展開すると、辛うじて動く右肩を回転させ、半壊状態の右腕を前に突き出しながら、左に移動してミサイルを引き付けた。
 1秒と経たずして、バルバロッサの予想通りにミサイルが右腕に着弾、右腕を膝関節から破壊し、バズーカを床に転がした。レーザーキャノンも左腕やコアを焼き、既に満身創痍の体となっているブリッスルノーズだったが、未だにコアや脚部など、致命的な部分を守る重装甲は貫かれていない。
 愛機のコンディションを確かめると、バルバロッサは直ちに反撃に転じた。4脚ACは横跳びで回避するが、グレネードランチャーによる二度目の砲撃は左前足を捕らえていた。足の一本を失った4脚ACは着地に失敗し、左手を下にして横転した。まだ残っている2本の右足が本体を引き起こそうと、虚しく空中を引っ掻く。
 これ以上の損害を受ければ自分も危険であり、従って勝負は短期に付けねばならない。タンクAC乗りであるバルバロッサは、その事をくどいほどに叩き込まれており、損傷した相手だからと言って手加減はしない。それどころか、彼は4脚ACが足を失い、機動性を低下させたのを知ると、チェインガンによる解体処理を実行した。
 確実に倒せる相手から狙っていく――兵法論や、自然界の弱肉強食における鉄則を、バルバロッサは忘れない。その目が黒いうちは、決してだ。人間らしからぬ攻撃性だが、真のランカーレイヴンと言うものは大抵そういった人種である。
 4脚ACのパイロットもそれを分かっており、既に中破状態の愛機を死に物狂いで動かし、弾幕から逃れようとするが、羽根をもがれた昆虫の如く這い回る程度では、度重なる砲撃で蜂の巣のようにされ、コア側面を砕かれ、その動きを停止するまで続いた砲撃から逃れる事は、到底不可能だった。砲撃が終わったとき、4脚ACは全ての脚と腕を失い、黒煙を吹き上げる焼け焦げた穴だらけの残骸となっていた。
 残った中量2脚のパイロットは僚機を助けようとマシンガンを連打し、ブレードを振りかざすが、安物のブレードやマシンガンでは何れも浅く、致命傷を負わす事は出来なかった。ミサイルが来る事を予想し、ブリッスルノーズは予めデコイを射出していた為、ミサイルは使えなかった。止む無く敵機は、攻撃しながらもデコイを体当たりで破壊して行った。
「どうする? 降伏すると言うのなら命は取らずにおいてやるぞ」
 バルバロッサは通信回線を開き、敵機に降伏勧告を発するが、中量2脚ACのパイロットはまるで応じず、マシンガンを発砲しかかった。兎に角正面に立たないよう、ブリッスルノーズの右手側に回ろうとするが、バルバロッサも易々と側面を取らせるほど甘くはない。補助ブースターが生み出す旋回速度で敵機を追撃するばかりか、暫く旋回し続けると敵機をロックオンするまでに至り、小刻みにブーストを吹かしながら、チェインガンを発砲しかかった。
 しかしこのまま旋回を続けていても埒が明かない。バルバロッサは損害状況を確かめると、OBの起動準備に入った。損傷度合いを示す赤やオレンジ色の光がコンソールに浮かんでいたが、まだボディは幾分か負荷に耐えてくれそうだった。
 しかし、損害が嵩んでいるのも確かであるため、早期決着に越した事はない。
 敵側は一人だけになった事で、生き残っているパイロットも動揺しているか、あるいは相当のプレッシャーが圧し掛かってきている筈だ。それに付け込む事が出来れば、自分の勝利は動かない。例え相手が、ACを一撃で吹き飛ばせるようなレーザーをコア内部に内蔵し、今それを発砲したとしても、赤い皇帝はそれを確信し続けることだろう。
「さて、どれ位頑丈か見せて貰おう!」
 バルバロッサが自信に満ちた声を発すると同時に、コア後方のハッチが、高熱を帯びた橙色の光を噴き出した。
 OBが起動し、爆発的な瞬発力を得た巨体は右に弾かれたよう飛び出し、残り弾数が少なくなったグレネードランチャーを前に向けて展開。半ば熔けかかった、黒々とした砲身が伸びきった時、皇帝の前には――自分の旋回を続けていた、灰色の中量2脚ACがいた。OBの予備動作から前方または左手側に移動すると見たパイロットは、このまま旋回を続ければ背後を容易に取れると判断していた。
 勿論、自機にブリッスルノーズの紅い巨体が突っ込んでくる事は予想外だった。紅い戦車に衝突された敵機は後ろに弾かれ、コア後方からアリーナの床に倒れこんだ。転倒のショックでEOがコアから外れ、床に転がった。
 この機を逃すまいと、バルバロッサはファイアーボタンを押し込み、醜態を曝す敵ACの姿を爆風と業火のマントで覆い尽くした。
「まあ良くやった方ではあるが、しかし4機がかりでも私と互角に戦えんと言うのか……アキラ=カイドウとは言わんが、せめてもっと戦い甲斐のある奴と一戦交えたかったものだ……」
 エースもそう思っているに違いない――バルバロッサがそう呟いた先で、敵ACはコアから爆発、コアの破片と四肢、頭部の残骸を周囲に巻き散らした。打ち止めとなったグレネードキャノンの砲口から立ち上る硝煙は、皇帝の勝利を祝うかのようにも見えた。
 最後の1機も鉄屑に変貌すると、外部集音チャンネルを通し、彼の耳も外界の人間達の様子を知る事が出来た。既に避難完了していたと見え、観客席はもぬけのカラとなっていた。
「惜しむべきは」
 バルバロッサはコックピットハッチを開放すると、傷だらけの愛機の上に立ち上がった。
「私の戦いぶりが、誰にも認められずじまいに終わった事か」
 バルバロッサは愛機の上で苦笑した。
 外見年齢40歳前後のこの男は「髭だらけの口」を意味する機体名同様、手入れを欠かさない事を伺わせる赤い剛毛顎鬚に覆われた顎と、短く刈り込んだ赤い頭髪が特徴的な四角い顎の男性だった。
 パイロットスーツに覆われた2メートル近い長身は筋骨隆々で、今しがた4機のACを跪かせたにもかかわらず、優雅に愛機のコアの上に立ち上がった。皇帝の異名に恥じない、どこから見ても威風堂々たる五つ星のランカーレイヴンだった。
 それをバルバロッサ自身も自認していた為、この戦いぶりを見てくれる観客が居なかったのは残念だと苦笑したのである。
 もっとも、テレビの向こう側でなら、彼の戦いを見て、認めてくれた人間が居た事だろう。
 マナ=アストライアーも、そのうちの一人に入っていた。


 中継が奇跡的にも続いており、試合ではなく事件の一部始終を垂れ流していたテレビの前で、アストライアーも「紅蓮の破壊皇帝」の戦いぶりに、何時しか関心の目を向けていた。
「……敵にも大した奴がいるものだな」
 そんな事を考えながら、しかし自分がもし彼と対峙し、その際に勝てるのかと言われると疑問符が付いた。
 いや、彼女にとってそれよりも恐ろしいのは、そのバルバロッサとBBが結託する事だった。BBに買収されていても不思議はないだろうと、彼女は疑いの目を向けていたのだ。
 ただし、その逆もまた然りであり、此処では窺わせていないにしても、水面下では暴君に対して様々な妨害工作や根回しを仕掛けていないとも限らなかった。そんな裏工作や血生臭い事件の横行するレイヤード第3リーナでこうして活躍出来る以上、同志か何かしらの協力者はいるだろう。
 いずれにしても、アストライアーとしては、戦場で敵として出くわさない事を祈るばかりであった。
「アスおねーさん?」
 考察を続けるアストライアーの顔を覗き込むエレノア。蒼い瞳に映るその姿が脳に伝わるまで、1秒ほどの時間を要した。
「……どうした?」
「しあいをどうするか、かんがえていたの?」
「あ、ああ…」
 気のない返事で回答するアストライアー。本当ならバルバロッサの戦いに関心を引かれていた、と答えたかったが……。
「ね、きょうのゆうごはんはどうしようか?」
 相変わらずの無邪気な声に、アストライアーの脳内は日常に引き戻される。自分の空気を読まないその姿勢に少々ムカつきを覚えるアストライアーだが、しかし相手はまだ幼女、それも仕方のない話だ。
「そうだな、久々に帰ってきた事だし……」
 アストライアーは気分を切り替え、エレノアと今夜の夕食の事を初めとした雑談をすることにした。後日、テラが自分に挑戦オファーを出す事も、バルバロッサの戦いぶりも、一時的に忘れた上で。


 後の事となるが、この乱入事件は死者37名、負傷者100名以上に達する推計が発表された。
 事件を企図した者が誰なのかが問い沙汰されるも、数少ない証拠となる撃破されたACのパイロットが全員落命していた事から、結局それは分からぬままとなり、この件を経ても、バルバロッサは兎も角、BBは変わらぬままにA-3の地位に居座ったまま。無論運営局からも一切の咎めはなし。この事から、順位を下げないのはおかしい、アリーナ運営局はBBと癒着しているのではと、各アリーナファンの間では黒い噂が広がっていた。今回の乱入自体、BBが仕組んだ事ではと勘繰る者も少なくなかった。
 だが、元々アストライアーにとってはその様な事は関心を抱くには値せず、性格上、本事件の黒幕がBBと考えていたがそれ以上の詮索はしなかった。やがてそれに対する関心は消えたが、消えなかったとしても、彼女はいつまでもそれに拘っている訳にもいかなかった。
 彼女の戦いもまた、間近に迫りつつあったからだ。


「全く、馬鹿馬鹿しい……」
 襲撃事件から3回日付が変わって、3月16日の正午過ぎ。
 この日、マナ=アストライアーは、冷めた視線を送ると同時に、闘技場で動く4機のACを蔑んでいた。
 4機は何れもこの第3アリーナのランカーであり、今回はバトルロイヤルと言う形式で互いに戦っていた――のろのろと動き回り、ろくに当りもしない攻撃を散発的に繰り出している様子を「戦っている」とすればの話だが。
 アストライアーにしては、この戦いぶりは三文試合も良い所だった。だが自分の控えている試合まではまだ間がある。その間、彼女は暇つぶしとして、何かしらの試合があるかと思って観客席まで来たのだが……。
「無理もないか……ブービー決定戦みたいなものとあっては」
 戦っているランカーは、何れもレイヤード第3アリーナ中でも下から数えて何番目――と言うよりは、最下位ランカーとそれよりも順位が僅かばかり上の連中を集めての試合であり、実質最弱ランカー決定戦と言うべき試合であった。
 4機の中で最もランクが高いのは、中量2脚ACスカイダンサーを操るアデューであった。アストライアーは気にも留めていなかったが、嘗ての最下位ランカーは幾らかの依頼を何とか達成したのだろう、初期機体のミサイルを外し、重い脚部を装備しただけの簡素なアセンブリは相変わらずだったが、内装系をパワーアップしたらしく、機動性は格段にアップしていた。技量は相変わらず未熟であったが、それでもブーストを多用し、OBまでも操る様子から、成長の燐片が見て取れた。しかし、それでもアストライアーから見れば稚拙である事に変わりはなかった。
 一方、アデューの一つ下に位置しているウェイクアップが搭乗する4脚ACエコーヘッドのアセンブリは相変わらずであった。本人は過去の対戦で受けたトラウマに未だに苛まれているらしく、スカイダンサーに攻められて動きが鈍っていた。この分では、本人が目論んでいる巻き返しなど望むべくもないだろう。
 その両者を横から狙うのはパスアヘッドが操る、プログレスと名付けられた重量級逆間接ACだった。しかし新型パーツと言う理由だけで無節操にパーツを組み込んだ機体は、新しいパーツで構成した事以外に何のコンセプトもない為、致命的に劣る搭乗者の腕も相まって、搭載された数々の兵器は飾りでしかなくなっていた。高性能パーツである筈のオービットキャノンや地上魚雷も、既に宝の持ち腐れと化していた。
 現在の最下位ランカーであるカリンが操るハウスキーパーは、完全に3機から無視されていた。支給されたアセンブリと大差ないハウスキーパーはのろのろと歩きながらライフルを撃つが、射程外から繰り出される攻撃は全く命中せず、最早ムダに弾を消費するだけでしかなかった。
「メイドにアリーナなど無理な話だ……さっさと屋敷に帰れ」
 今度は率直な感想が、低く冷たい声となってアストライアーから吐き出され、視線の先のピンク色のAC――ハウスキーパーに向けて飛んで行った。何の理由があってかは不明だが、カリンはメイドからアリーナランカーに転向した過去をもつ少女だったのである。
 空席ばかりとなっていたアリーナの観客席の中で、一目で与太者と分かる輩が多かったのは彼女が原因だろう。応援メッセージが書かれた幕が掲げられ、その周囲にはメイドランカーを応援する私設応援団の構成員が揃っている。その中には、何かに憑かれたように熱狂的な応援を飛ばす者もいる。
 しかしオタク達の声援とは裏腹に、試合は既に飽き飽きするような泥仕合に変質していた。適当な所でさっさと止めろと胸中で叫びながら、アストライアーは停滞した試合を見限り、アリーナ直轄のハンガーに係留された己の愛機に向けて歩み出した。
 この試合は、アストライアーにとっては耐え難いものだった。オタク達が好意で飛ばしている声援も、いまやアストライアーにとっては、放射能汚染済みの産業廃棄物にも等しかった。これ以上此処に居ると、自分の脳までもが腐れて鼻や耳から流出しそうな嫌悪感すら感じていた。
 要するに、見るに耐えなかったのである。
「カリンたんがんばれー!!」
「応援してるぞー!」
 オタク達の声援がアストライアーの鼓膜を刺激すると、彼女は足を速め、ゲートの向こうに姿を消した。試合と呼ぶもおこがましい馴れ合いをダラダラと見続けるぐらいなら、どんな過酷な依頼でも、その方がマシだった。
 マナ=アストライアーはメイド好きのオタクではなく、復讐の為、戦いに生きる道を選んだ女レイヴンなのだから。
 女剣士に見捨てられたカリンが、プログレスの地上魚雷とEOの同時射撃によって最初の脱落者となったのは、その1分後の事だった。


 最弱ランカー達の試合が続いているその間に、アストライアーは己のACの調整を終了し、そのコックピット内で無表情を保っていた。
 退屈な試合は、後にプログレスが残りの2機に集中攻撃されて脱落し、スカイダンサーとエコーヘッドの一騎打ちは双方弾切れとなった後、レーザーブレード1本での斬り合いを制したスカイダンサーが勝利した。だがアストライアーにとっては、それはどうでも良かった。
 今、彼女の眼前は、見慣れたアリーナ運営局直轄のガレージから、久方ぶりの戦場へと切り替わっていた。それは、先程の最弱ランカー達のお子様試合とは違う、ランカー同士の純粋な力や技、信念のぶつかり合いを目撃せんとする観客達を前にしての戦いであり、それは時として生命のやり取りにまで発展する。試合中に7人ものランカーを殺害しているこの女剣士が出てくれば、それは尚の事だった。
 だが、その前方に立っていたのは、テラが操るAC「スペクトル」ではなかった。アストライアーの病室に現れた、ハンサムとも取れる青年のあの落ち着いた口調とは違う、相手を馬鹿にし挑発する、品性の欠片もない口調は、テラのそれではなかった。その口調と声を聞く限りは、絶対そうと断言出来る。
「おい、何とか言えや嬢ちゃんよ?」
 アストライアーの眼前に居たのは、ランガーという若手のランカーが操る中量2脚AC「マンドリル」である。
 このランガーと言う男、まだアリーナにデビューして3ヶ月で、しかも18歳だという若齢でありながら、アリーナでは無敗を誇っており、試合前の挑発行為等のパフォーマンスで名を売ったが、対戦相手が何れも機動性に劣る相手ばかりで、しかもその人気が実力に因らないものとの声もあり、またその実力を疑問視する人間も少なくなかった。
 その彼が、アストライアーに挑戦状を叩きつけたのである。それは3日前――バルバロッサが謎のACを粉砕した翌日(3月13日)の事だった。
『ランガー選手はデビュー以来、これまで一度も負けた事のない新進気鋭のランカーレイヴンです。対するアストライアー選手は、長いリハビリを経て、今試合からアリーナに復帰、実戦感覚を取り戻す為、ランガー選手の挑戦を受けることに――』
 観客向けにアナウンスが流れている間も、アストライアーは挑戦者に対し、何一つ言葉を返さなかった。試合前にランガーに挑戦され、彼を持ち上げるマスコミに群がられた時ですら、彼女は沈黙を保ち続けていた。彼女から言わせれば、自身の本格的な復帰戦を飾る相手はあくまでもテラであり、この思い上がりは試し斬りの相手でしかない。
 そもそも自由参戦が可能とは言え、現在Dランクの相手とBランクのアストライアー、これほどランクが離れ過ぎている試合は早々行われない。
 だが、今回の試合においては企業がスポンサー、アリーナ運営局が試合の対戦カードについてどうこう言える立場ではない。興行収入の一部と引き換えに、スポンサーが対戦カードの決定権を持つと規定されていたからだ。
「風の噂だとめちゃんこ強暴だと聞いてたけどよ……随分とまあ静かなこったな」
 やはり、女戦鴉は何も答えない。サルのような奴を相手にするだけ此方の品性が落ちると、彼女の冷静な部分が表に出ていたのだ。
 今、アストライアーには、エレノアが観客席には居ない事が分かっていた。エレノアは今、スキュラと一緒におり、またスキュラの部屋にテレビはなく、PCも普段は「省エネ」を面目に停止している。ネット放送にも手を出さない為、自分の戦いぶりを見られると言う事は多分ないと分かっていた。よって、アストライアーは遠慮なく残忍になる事が出来た。
 ただ、ランガーの実力については不明な部分がある。最も実力がどうであれ、聴くに耐えない挑発と大口に対し、純然たる己の腕で反撃する機会は何れ訪れる。それを待てば良いだけの話だ。
「READY―――GO!!」
 女剣士の思考を遮って、試合開始のサインは告げられた。
 試合開始後も暫く続いていたランガーの挑発を無視し、アストライアーは前方の相手を見据えた。
 挑発を終えると、マンドリルはOBで肉迫しながら大型ロケットCWR-HECTOを連射しかかる。火薬が弾頭内に満載されたその一撃は、何れも高い威力を有している。回避出来なければ腕部や脚部を破損し、一大事にもなりかねなかった。
 だがマンドリルから繰り出されるのは全てがロケット、あるいは爆雷と言ったロックオンの概念がない兵器ばかり。搭乗者の技量もあってか、それらは軽量2脚にも匹敵する高機動性を有するヴィエルジュには掠りもしなかった。
 繰り出された攻撃が悉く外れるのを察知し、アストライアーは確信した――この程度のしけた攻撃で自分を殺そうとは、随分と私も甘く見られたものだと。
 ならば彼女は、それを後悔させてやるとこの場で誓った。これ以上、目の前の相手をのさばらせる必要は無い。自分から打って出るのみである。自分がこの半端者に倒される様な存在ではない事を、慢心するこの愚か者に痛いほど分からせてやれと、脳中の精密な戦闘プログラムは告げていた。
「おぃ、お前ダンマリかよ?」
 アストライアーの視線が向けられても尚、ランガーは大口を叩き続ける。
「オレが怖いか、怖くて何も言えなくなったか?」
 己の勝利と、パフォーマンス同様にヴィエルジュを捩じ伏せる事しか頭になかったランガーには分かっていなかった。奈落の闇を写し取ったその瞳に、殺意と憎悪、そして憤怒が宿っていた事を。
 鋭敏な勘を有するストリートエネミーやトラファルガーは勿論、勘のあまり良くないパイクですら、アストライアーの瞳を見れば、その鋭い殺意を感じ、背筋に鋭刃を突きつけられた様に緊張する筈だ。だが、若さを差し置いても、目の前の挑戦者は鈍かった。相手の内面から滲み出ていた殺気を感じ取れない程に鈍かった。
「……その減らず口を、すぐに黙らせてやる」
「ンだと、コラ、なめてんのかワレ――」
 ランガーが全てを口にする事は出来なかった。彼がアストライアーを更に挑発しようとした時、ヴィエルジュはレーザーブレードを一閃、敵ACの上半身と下半身を一太刀の下に切り離し、振りかぶられた左腕を、レーザーブレード発生器ごと両断していた。ランガーが気付いた時には、既にやられた後だった。
 ヴィエルジュは倒れた相手の上半身に近寄ると、右腕と両肩装備を斬り落とし、頭部を蹴りつけてコアから脱落させ、踏み潰した。コアとまだ繋がっていた左肩も切り落とすと、ヴィエルジュはマンドリルのエンブレムを地面に転がし、それも踏み潰した。ランガーが試合前、ヴィエルジュのエンブレムとアストライアーの顔写真を引き裂くパフォーマンスを真似るかのように。手にしていたショットガンは、結局一発の散弾も吐き出す事はなかった。
 この間、試合開始から30秒程の出来事であった。
 圧倒的な力の差を見せ付けられ、ランガーは狼狽していた。屈辱と挫折感と恐怖感が一体となり、まだ若い彼の胸中内で激しく渦巻いていた。大口を叩いていたにも拘らず、あまりにも無様な姿を曝した事への恥も込み上げていた。出来る事ならこの場から逃げ出したかった。
「ザコが……頭を冷やして来い」
 1分と持たずに撃沈した挑戦者を見下ろし、アストライアーはランガーには聞こえぬ呟きを発した。一部始終を目の当たりにした観客のエールは、自然と大きくなっていた。
 実力に因らず、パフォーマンスで名を売り、成り上がって来たような若造は、多くのファンから不評を買っていたのである。
 しかし直後には、相手を斬った瞬間を思い返していた。自分の身体が、脳が命じたよりも一瞬遅く動き、彼女が意図してたよりも斬撃のタイミングが遅れていた事を、アストライアーは己の勘と、研ぎ澄まされていた動体視力で感じ取っていた。今回は相手が、彼女をして「新進気鋭を気取っていただけの雑魚」だったから良かったものの、これがテラ相手だったら――
 長らく入院生活を余儀なくされた為、実戦感覚が鈍るのは避けようがなかったが、それでは負けた時の言い訳にならず、己を甘やかしているのだと周囲の人間に叩かれかねない。最もそれは対戦相手も同じ事であったが。
 その後、ランガーは観客達のブーイングが飛び交う中、無言で逃げるように退場し、アストライアーもまた、鈍っていた実戦感覚の復活が急務と考えながら、賞賛の声の中、インタビューにおいても殆ど沈黙を保ったまま退場していった。
 アストライアーの視線は既にランガーにはなく、目前に迫りつつあったテラとの戦い、そして己の実戦感覚を取り戻すことへと向けられていた。後にランガーが次々に挑戦したランカーに返り討ちにされ、ランクを急激に落とす事になっても、彼女は己に刻まれた呪詛にも似たプログラム――忌まわしき暴君の首を取る為、脇目も振らずに目の前のなすべき事に向けて突き進んでいくのみであった。


 そして、ランガーとの試合から3日後。
 ヴィエルジュは空気を振るわせる銃声、連続して走るマズルフラッシュと、ブースターの駆動音で以って、無機質なモノトーンで彩られた、コーテックス管轄の多目的演習施設を彩っていた。
 その相手役たるACが銃撃を繰り出し続けている。濃灰色に塗装され、軽量コアに中量級腕部と言う外見からは精悍な印象を受けるが、左肩にはそのイメージとは不釣合いな、派手な色合いをした、銃を持つ道化が描かれていた。
「おいアス……一体いつまでこんな事続けるんだ!?」
 銃撃を続ける濃灰色のAC「スタティック・マン」の搭乗者、ストリートエネミーが疲れた様子で通信する。そして、そんな彼の相手は他でもない、あの女剣士である。
「私が納得するまでだ。長い事戦場から離れていたからな。かなり体がなまっている……」
 スタティック・マンの銃撃やミサイル、ロケット等を回避し続けるヴィエルジュの中で、アストライアーは返答と操縦を同時にこなす。だが集中力の狂いから、ライフルは避けきれずに被弾し続けている。ただ、練習と言う事もあり、ライフルから放たれる銃弾は練習用の摸擬弾に変えられており、本来の火力はない。
「まだだ。私はまだこの程度では……」
「あんたは俺の攻撃を回避し続けてれば良いんだろうが、俺はもう疲れて気が入らないんだよ!!」
 アストライアーはまだまだ練習を続行したいらしいが、しかし長期間練習につき合わされていたストリートエネミーは疲労の色を隠せず、露骨な嫌悪感が浮き出てくる。
「畜生、報酬も無いのにやってられるか!!」
「待て! 勝手に止めるな!!」
 アストライアーの静止を求める声に耳を貸さず、ストリートエネミーは愛機もろとも演習場から出て行った。
 勝手に立ち去る練習相手の背を見送り、虚脱感に囚われたアストライアーだが、利用時間終了間近を告げるアナウンスが入った事で、愛機を演習場から立ち去らせざるを得なくなった。
 演習場はアストライアーの貸切と言うわけではない。練習試合や新たな武器の性能を試す目的で、他のレイヴンも、此処を利用しようと待っている。故に、演習場から立ち去らざるを得なくなった。
 他の連中ならともかく、演習場を管理するコーテックスから文句を言われる理由など、ないのだから。


「あ、お疲れ様でーす♪」
 訓練施設の一区画に設けられた休憩室に来たアストライアーに話しかけて着たのはミルキーウェイだった。
 コーテックスの管轄するガレージや訓練施設などでは、こうした休憩室が設けられており、レイヴンやオペレーター、メカニック等コーテックス関係者のちょっとした憩いの場となっている。此処もまた、そうした場所の一つである。
「あれ? お兄ちゃんは?」
「練習に付き合いきれず、勝手に立ち去った」
「あらら……でもお兄ちゃんが逃げるのも無理ないと思うよ? だってお姉さま、私たちをいきなり捕まえて弾避けの練習とか、ブレードの練習台にするんだもん。それも長時間」
 実際、アストライアーは自分にとって強敵となりうる相手との試合の前には、ストリートエネミーや、今目前に居るミルキーウェイを相手に練習を重ねていた。そして彼女も昨日、アストライアーのリハビリに付き合わされて疲労困憊にされていた。
 その理由については、一昨日のアリーナの中継に端を発していた。
 その日はレイヤード第3アリーナから、テラとノクターンの試合を中継していた。ショットガンや3連ロケットを連射しながら迫るノクターン機ザインだったが、テラは持ち前の射撃スキルと距離の調整を持ってスペクトルを操り、やがてザインが斬りかかるべく距離を詰めると、スペクトルは巧みに前後移動を繰り返し、ブレードを空振りした所にレーザーライフルの射撃を浴びせて勝利している。
 試合後、勝利者インタビューの中で、テラは次のメッセージを残していた。黒煙を吹き上げていたザインを指差しながら。
「見てますか? 次は貴女がああなる番ですよ、アストライアー嬢?」
 自宅のテレビで試合中継を目撃していたアストライアーは、その一言で同タイプの戦闘スタイルを持つランカーに挑戦した意味を理解した――全てはあの一言の為だろう。
「やるじゃないか、掃き溜めにしては」
 テレビの前で、アストライアーは中指を立て、その後首を掻っ切るジェスチャーを披露した。
 それから48時間あまり後、アストライアーはミルキーウェイやストリートエネミーと言った顔見知り連中を捕まえ、テラとの試合に備えての練習台としていた、と言うのが事の次第だ。
「でも貴女も射撃とかの練習になるだろ? そう考えれば…」
「お姉さまは平気で言うけど、お兄ちゃんと私はCランカー、そしてお姉さまはBランカーでしかも強化人間。私たちが戦っても練習どころじゃないよ。昨日なんてザクザク斬られるし」
 アストライアーとミルキーウェイが痴話喧嘩をしている間に、ストリートエネミーは休憩室のソファーにどっかりと座り込んだ。汗の量や顔色から、リハビリとは名ばかりの一方的な操縦で相当疲労したことが見て取れる。
「おいおい、喧嘩は止めろよな。疲れてる時にまで聞きたくねぇ」
「あ、ごめん…」
 疲労困憊となったストリートエネミーの声に、ミルキーウェイは沈黙した。
 アストライアーは休憩室の自販機の前に立ち、呟きながら小銭を自販機に入れ、おもむろにボタンを押した。直後、自販機の受け取り口にスポーツドリンクのボトルが落ちる。アストライアーはそれを拾い上げ、見詰めていたが、それをストリートエネミーに投げて寄越した。
「お、アスにしては珍しく気が利くじゃねーか」
 ストリートエネミーは右腕を突き出すようにしてスポーツドリンクを受け取ると、栓を空けてそれを一気に飲み干した。
「しかし、私の理に敵うだけの練習相手は居ないものか…」
「だったら相手ぐらい探せ! 俺とミルキーを疲労させといてまだ満足してねぇのか!? 大体だな、俺は強化人間じゃねぇんだし――」
 清涼飲料水のボトルから口を離し、再びストリートエネミーが怒鳴り出した。まだ自分達を引っ張り出すのかと捉えかねない発言が、相当気に障ったらしい。一方的な練習でストレスを溜めていた事が分かる。
「分かった、黙る」
 昨日今日と続けざまに2人のレイヴンを疲労させながらも、まだアストライアーは自分の状態に納得出来なかった。
 否、アストライアーは腕的にはすでに以前の状態を取り戻していると言っても良かったのだが、しかし名銃一丁で多くのランカーを打ち負かしたテラとの対戦が控える中、まだ回避能力を初めとし、機体制御が不十分だと感じていたのだ。
「何の話をしてるんですかね?」
 明日の試合をどうするか考えるアストライアーだが、その思考は若い男性の声に遮られた。
 話しかけて来た声の主は、短く切り揃えられた黒髪に黒い瞳、細身体型の身体にパイロットスーツを纏い、その上には研究者風の白衣を纏っている。
 外見年齢は25歳前後に見えるが、場数を踏まえたかのような落ち着き様から、実年齢は相当のものであろう雰囲気を抱かせる。
「貴方か……久しぶりだな」
 声の主は、アストライアーにとっては見慣れた人間であるのだろう、彼女は警戒心を抱くも、すぐに警戒態勢を緩めた。
「久しぶりですな、マナ=アストライアー。以前のミッションでよく生還出来たもので」
「要らぬ気遣いだ、ドクトルアーサー」
 研究者風の男――ドクトルアーサーが、アストライアー達の会話に割り込んでくる。
「知り合い?」
「私を強化人間にした奴だ」
 アストライアーは口にした。今の自分を形作った者の名を。ただしドクトルアーサーから言わせれば、それは止むを得ない事だったという。
「あの時のあんたはボロボロで、すぐにでも処置を施さねば死ぬような状態だったし、あのまま野垂れ死なすと言うわけにも行かんでしょうしな。第一あんたは“借金”と言う名の戦略兵器で、僕の経済に相当の打撃を与えていたんですから」
「アスお姉さまがボロボロ……どういう状態だったの?」
「それはもう凄まじいものでしたよ。両手両足は複雑骨折、肋骨もへし折れ、さらに火傷に……」
「うげ、気持ちわりぃな」
 ストリートエネミーがあからさまな不快感を示し、ミルキーウェイが「もうやめてよ」と目で訴えていたので、ドクトルアーサーはこれ以上詳しく語らない事にした。しかしながら彼の話しぶりは、科学者のそれと言うよりは、まるで学生がそのまま研究者になったような人間のそれであった。
 平たく言ってしまえば、外見は兎も角、傍目には研究者には思えないような喋りぶりであると言った所であろう。
「……まあ、常人なら3回は死ねる状態でしたよ。ですがこういう人間が居るから、僕の研究もはかどると言うものですがね」
「ちょっと待て、何だその言い草?」
「僕は主に医療用のナノマシンを自作、研究していまして……とだけ言って置きますかね」
 ドクトルアーサーは本来ナノテク工学者で、彼の研究成果であるナノマシンは医療分野での幅広い応用が期待され、その筋では注目を集めていた。人間の身体能力を、薬品無しで治療・強化出来るほどその研究は進んでいたらしく、実際に障害者への手術の際、彼に協力が求められる場合が多かった。
 だが、それでも自作ナノマシンの成果に満足出来なかったのか、あるいはデータが不十分だった為だろうか、彼は時折戦場に赴き、負傷した人間を探しては自らの研究所に搬送し、ナノマシンを投与して治療、実際は自作ナノマシンのデータ収集をしているのである。アストライアーもその被験者の一人で、彼女はアーサーの元に搬送されたのが縁で、借金を肩代わりして貰う事となった――返済出来なかった場合、生体実験の被検体になるという条件付きで。そして、アストライアーはその実験で強化人間とされたのであった。
 彼のレイヴン稼業は被検体探しと研究資金稼ぎ、更にはストレス発散等も兼ねているらしい。
「ですがそれはあくまで科学者としての僕。今の僕はレイヴンであって――」
「あーはいはい、学者さんは良いですよねぇ、理屈が吐けて」
 半ば呆れ気味で、話など殆ど聞いていない様なストリートエネミーだったが、その態度がドクトルアーサーの逆鱗に触れた。彼の目つきが鋭くなり、言葉にも力が入る。
「僕もあんたみたいな人が羨ましいですよ。全てを力で捩じ伏せ、物事の基準を金でしか考えられない下品な思考がね!」
「…どういう意味だ!?」
「それ位自分に聞いてみれば? まあ、どうせ金で物事を判断する程度だから、正常な判断も出来ないんじゃないんですか?」
 激昂したストリートエネミーは歯を剥き出しにし、ソファを吹き飛ばすかのような勢いで立ち上がるが、すぐにアストライアーとミルキーウェイの腕が両者の間に伸び、両肩を抑えられた。
「さて……あんた、練習台を探していたそうだな?」
 脳内が熱暴走しているレイヴンを無視して、話題を出すドクトルアーサー。彼が関心を示しているのは、あくまでもアストライアーだけであった。
「お前! 人を無視して話を進めるな!」
「お兄ちゃん!」
 すぐにストリートエネミーを止めるミルキーウェイ。それを横目に、アストライアーはドクトルアーサーと会話を続ける。無視されているストリートエネミーが何やら剣幕を発しているが、両者は全く気にしていない。
「そうだが? 一応そこの2人が付き合ってくれたが、どうも2人とも疲労状態でな」
 科学者レイヴンの次なる一言が、アストライアーの鼓膜と神経を大きく揺さぶった。
「でしたら、僕が練習相手になってやりましょうかね?」
「……いいのか?」
「そこの人たちはCランク。で、僕はBランク。練習相手として不足は無いでしょう。そして何より、あんたの次の相手はガンナー(銃撃主体で戦うレイヴンの総称)のテラ。僕も同じくガンナーだし、練習相手にはなるかも知れませんよ」
 ドクトルアーサーは現在、アストライアー達が参戦しているレイヤード第3アリーナのB-7に位置している。レイヴンになる前は民間人だったアストライアーは兎も角、現在進行形の非戦闘員でもある人間が、ここまでランクを上げるのは珍しい事だった。
 ただし、いくら本業が科学者とは言え、コーテックスにレイヴンとして登録されている地点で、非戦闘員と断言出来ないのも事実だが。
「Bランカーか――そうと決まれば!」
 アストライアーは待ってましたと言わんばかりに、ガレージへと駆け出した。当然ながら、横のストリートエネミーは眼中に無い。彼女の眼前にあるのは、己の要求を満たしうるだけの、目の前に突如として現れた敵のみであった。
 相変わらず血の気の多い女だな等と呟きつつ、ドクトルアーサーも遅れてガレージへと歩を進める。
 最も此処に留れば、自分の後ろで凄まじい剣幕を発する男と同じ扱いをされるかも知れないから、さっさと此処から離れた方が良いと、彼の脳は命じていた。事実、周囲にはいつの間にか野次馬が集まり始めている。
 そうなれば長居は無用、科学者レイヴンも己の愛機の元へと向かう。女剣士が蒼い機体と共に待っている以上、こいつ等と関わって彼女を待たせるのも考え物だ。それに何より、金でしか物事の基準を考えられない、この下劣な男と同じ扱いをされかねない。それは知識人たる彼のプライドが許さなかった。
「オイ! コラ! 人を無視して行くな!!」
「ほらお兄ちゃん、どーどー、どーどーどーどーどー♪」
「俺は馬じゃねぇ!!」
 ストリートエネミーとミルキーウェイを野次馬の中に残し、ドクトルアーサーも被験者と相対すべく歩を早めた。


 かくして、先程ストリートエネミーとアストライアーが練習試合をしていたものとは別の演習室に、2機のACが立つ事となった。そのうちの一機はアストライアー操るヴィエルジュ、もう一機は赤褐色と濃灰で彩られた4脚ACである。冷徹な印象を醸し出す、白みがかったスチールブルーの機体配色と、錆び付いた様な退廃的な色の異形が、演習場の照明に照らされ、鮮やかな対照を成していた。
「さて、そろそろ始めますか。準備は!?」
「いつでも良い」
 アストライアーの正面に立つ赤錆色の4脚AC「ブレインクラッシュ」から通信が入る。
 軽量級コアを採用した為に防御力に難を抱えているものの、携行型グレネードランチャーCWG-GNS-15、チェインガンCWG-CNG-300、装弾数と威力を両立させたクレスト製マシンガンCWG-MG-500、炸裂弾射出型の投擲銃KWG-HZL50を装備。それらの火器をフル回転させての高い攻撃性能と水準クラスの機動性を両立させたこのACが、ドクトルアーサーの愛機である。
「では早速」
 ブレインクラッシュの左肩に装備された携行型グレネードランチャーから、轟音と共に榴弾が吐き出される。砲弾はヴィエルジュの左の補助ブースターを掠めて飛び去り、演習場の壁にクレーターを刻んだ。
 本来なら前の練習と同様模擬弾を使うのだが、しかし今回はアストライアーの希望により、実弾を使用しての、実戦形式の練習である。申請すれば、この様に演習施設でも実弾の使用は許可される。
 ちなみに、この場合はアリーナと同様、コックピットはアリーナの観客席を守るシールドと同じ物で防御されている。とは言え、お子様試合的な練習試合とは訳が違う。実弾を使用しての実戦形式の練習試合、下手をすれば命に関わりかねない。
 だが、それだけ気が引き締まり、手抜きも無くなる事から、実弾を使用しての演習に拘るランカーレイヴンも居る。アストライアーはそうしたレイヴンであるとは言えないが、身の危険に敢えて身を曝す事で、実戦感覚を取り戻すついでに、気も引き締めようと言う狙いはあった。
 アストライアーも喰らってなるものかとOBを起動し、距離を取ろうとする。
 だがブレインクラッシュもOBを起動し急加速、更にマシンガンを連射しつつ、ヴィエルジュとの距離を維持する。
「ちっ、面倒な……」
「面倒? ガンナー相手に戦うんでしたら文句言わずに回避して下さい。斬り込む前に蜂の巣にされても良いって言うなら話は別ですけど」
 科学者レイヴンの吐き捨てるような嫌味と同時に、ブレインクラッシュから再びグレネード弾が放たれる。咄嗟の回避行動により、榴弾は右足ギリギリを掠めて床を穿った。爆風がヴィエルジュを包み、視界がオレンジ色の光に染め上げられる中、今度はチェインガンが火を噴いた。
「この程度なら…!」
 少し飛び上がり、円を描くようにしてチェインガンの弾幕を回避するヴィエルジュ。何発かはスチールブルーの装甲に黒い穴を穿つが、発射された弾の殆どは左右に流れて行く。
「ほう、流石はサイプレスを倒しただけあります。ですが僕を一緒にしてもらっては困りますよ?」
 アーサーは武器のセレクターをマシンガンに切り替え、距離を離そうと後退するヴィエルジュ目掛けて、再びOBで急接近した。
 ならば此方もと、アストライアーがOB起動スイッチを押そうとした時、ブレインクラッシュの左腕に装備された銃から弾が放たれた。放たれた弾は放物線を描いて蒼白いACの足元に着弾、グレネードでも炸裂したかの様な激しい衝撃と爆風を発生させた。
 衝撃でヴィエルジュは吹き飛ばされ、中のアストライアーは揺さぶられた挙句、OB起動スイッチから指を離してしまった。更に鉛弾の連射攻撃と更なる榴弾が追い討ちを掛ける。榴弾は外れたが、鉛弾のシャワーによって蒼白い装甲の所々に穴が穿たれた。機体温度が急激に高まり、コックピット内がサウナの如き酷暑に曝される。アストライアーの顔は噴出して来た冷却水に覆われた。
「流石に、一筋縄ではいかんか……」
 右手で汗を拭うと、通信モニターにはドクトルアーサーの顔が映し出された。元々が科学者と言うこともあり、その顔は死と向き合う医者のようにも見えた。最も、今の彼は生命を救う立場から、生命を奪う存在へと変質してはいたのだが。
「手加減してたら練習じゃなくなります。と言う事で僕はあんたを殺すつもりで攻撃してますが?」
「殺す気か……上等!」
 着地したヴィエルジュは、蒼白い燐光を放つ、ゴーグルの様なセンサーアイを異形のパートナーに向けた。
 刹那、マシンガンは再び大量の弾丸を吐き出した。ヴィエルジュは横跳びで回避し、直後に再びOBハッチを展開する。ドクトルアーサーもそうはさせるかと、前進と同時に投擲銃を発砲、ヴィエルジュを焼き尽くそうと迫り出した。
 だが、今回はヴィエルジュが早かった。OBでブレインクラッシュの左手側へと突進すると、直後に補助ブースターを吹かして急速旋回、ショットガンの銃身を突き出した。
 しかし旋回した直後には、ブレインクラッシュはヴィエルジュに追随して高速旋回し、携行型グレネードキャノンの砲身を女剣士へと向けていた。その上腕部には、ヴィエルジュと同様の補助ブースターが接続されていた。ヴィエルジュの通信モニターで、ドクトルアーサーは勝ち誇ったように、不敵な微笑みを浮かべる。
 直後、爆発するような砲声が演習場の空気を激しく震わせた。


 砲撃の瞬間、ドクトルアーサーはこの距離ならば命中率に劣るグレネードでも直撃は難しくないと確信していた。ある程度狙いが定まっていれば、3m程の距離から砲撃すればどこに命中しても不思議はなく、自分の一撃を受けた相手にとっては大損害となる。被験者が死ぬ可能性もあるが、元々彼はその心算で攻撃を繰り出している。どうせアストライアーが死んだとしても、代わりはまだ幾人も居るので、実験上における支障はない。
 ドクトルアーサーは次の砲撃が、ヴィエルジュにとって致命的打撃になると予想する。どれだけ装甲があろうとも、コックピットを狙い撃たれればその地点で搭乗者は死出の旅路に赴くが、何よりも軽装甲のヴィエルジュがグレネードをまともに喰らえばどこかが壊れる筈。それが望めずとも、着弾の衝撃で動きを止め、続く別の銃器による射撃で止めを刺す事も出来る。
 投擲銃とグレネードランチャーを交互に放ち、衝撃でハメ殺すのも悪くない――両者が睨み合う僅かな間に、ドクトルアーサーは次の攻撃パターンを選択していた。
 だが砲撃寸前、ヴィエルジュはショットガンを発砲した。拡散したショットシェルがブレインクラッシュのコックピットモニターを一瞬さえぎり、コア表面を引き裂いたが、それよりもマズルフラッシュで視界を遮った事が大きな効果だった。
 視界が遮られた事で砲撃のタイミングが一瞬遅れ、砲撃が放たれた時には、既にヴィエルジュはブレインクラッシュの前方から、右側面へと回っていた。
(斬りに来るだろうな、この後)
 チャンスを潰されたが、その悔しさを律し、ドクトルアーサーはアストライアーの行動を察すると、即座に地に付いた4本の脚を折り曲げ、高々と愛機を跳躍させた。
 刹那、蒼白い光が、先程までブレインクラッシュの居た場所を目にも留まらぬ速度で通過した。自分の予想が当たった事に、科学者レイヴンは胸中で大きく頷いた。
 やはり、光の正体はヴィエルジュ――厳密にはその主力武器であるレーザーブレードの光波だった。
 標的を逃したアストライアーは舌打ちするが、頭上でブレインクラッシュが自分を見下ろす様子が、視線を上に向けるでもなく分かっていた。そして、恐らく次に仕掛けてくる行動も。
 ブレードを振りぬいた左腕を戻す間もなく、ヴィエルジュは全速力で前進、ブレインクラッシュの脚を潜ろうとスパートをかけた。逃げる寸前、ショットガンで先程の砲撃のお返しをする事も忘れない。
 直後、頭上から聞き慣れた轟音が鳴り響いた。
「グレネードと……投擲銃か」
 アストライアーの予測を裏付けるかのように、ヴィエルジュがブレードを空振りした場所には、大小二つのクレーターが、並んで発生していた。
 互いの距離が離れると、ブレインクラッシュは着地して、ヴィエルジュはその場で旋回し、再び互いの正面に相手を見据えた。
「ようやく、あんたらしくなって来ましたね」
「まあな」
 その後、約10秒ほどの沈黙の中で睨み合った後、両機は再びOBを起動、互いに右腕武器を発砲しながら、互いの距離を急速に詰め出した。


 その演習所を一望出来る高さにある窓から、演習の様子を見ている一組の男女が居た。先程までアストライアーに引っ張り回されていた男と、その妹分である。
「よくやるよな、あいつら…」
「Bランカー同士だもん、しょうがないよ」
 ストリートエネミーは、蒼白い2脚と錆色の4脚が激しく上下左右へと動き回ったり、あるいはワルツを踊るかの様に距離を離したり、縮めたりする様子を見てつぶやく。
「どうしたのお兄ちゃん? 浮かない顔して?」
「あの赤いのに乗ってる奴……ドクトルアーサーとか言ってたな。俺に毒を吐きやがったあの野郎がああやって、俺を差し置いてアスと練習試合しているってのが気にくわねぇ」
「でも2人ともBランカー、お兄ちゃんが戦って勝てると思う?」
 ミルキーウェイの問いに、ストリートエネミーは答えを詰まらせた。自分が「勝てる」と自信を持って言えるほどの相手とは思えなかったのだ。今見た限りでも、ドクトルアーサーの腕はアストライアーにも引けを取らなかった。
 その男が操るブレインクラッシュに戦いを挑んだ所で、連射兵器の一斉攻撃で蜂の巣にされるか、あるいはグレネードの一撃で吹き飛ばされるのがオチか。
 ドクトルアーサーには随分と言われたが、しかしストリートエネミーも、決して馬鹿と呼べるような出来の悪い脳味噌を持っている男ではない。頭の出来はお世辞にも良いとはいえないが、CランクとBランクのランカーではモノが違う事は理解している。
「も、もちろん勝てるぞ、俺が本気になれば…」
「申し訳ありませんが、私のご主人様は強いのですよ」
 本気になればあんなのどうって事は無い、そう言おうとしたのだが、しかしその言葉は横からの女性の声に遮られる。「ご主人様」と言う代名詞から察するに、ドクトルアーサーが雇った誰かだろう。
「何ぃ!?」
 2人が声のした方向を向く。そこには青いショートヘアーにメガネを掛け、整備士達が見に付ける灰色の作業服を纏った女性が立っていた。女性の顔立ちは整っており、知的な印象を漂わせていた。
「誰だ、お前は?」
「セドナ=アルフィニアと申します。AC『ブレインクラッシュ』の搭乗者――ドクトルアーサー様にお仕えしている者です」
 ドクトルアーサーに仕えていると言うセドナだが、しかしストリートエネミーにはどうしてもふざけている様にしか見えなかった。何しろ口調がメイドのそれで、しかし格好は作業服。
「オイオイ、ここはコーテックスの演習施設だぜ、ジョークなら他所でやってくれよな」
「いえ、ご主人様から有事の際に備えて待機するよう命じられてますので」
 セドナの口調は妙に落ち着いていた。見た目にこそ若さがあるが、この女も実年齢は相当のものなのか、あるいはまた別の理由があっての話か。
 しかし女を、しかもそれが結構な美人を連れている事もあって、ストリートエネミーはドクトルアーサーへの怒りを更に募らせた。
「ますます気に食わないぜ……あの男」
「でもこう言う人と組まなきゃいけない時もあるよ?」
 そう言いながら、兄と慕うレイヴンの視線が自分ではなくセドナに向いていた事を、ミルキーウェイは察していた。
「もしかしてお兄ちゃん、セドナさんがキレイだとか思ってんじゃないでしょーね!?」
「バカ、そんな事考えて――」
 言うより早く、ミルキーウェイのパンチがストリートエネミーの左頬に叩き込まれた。
「な、何すんだよ!!」
「目は口ほどにものを言う、って教わらなかったの? もう、お兄ちゃんのバカーっ!!」
「ちょ、おま……止め……」
 ミルキーウェイにゲシゲシと蹴られるストリートエネミーを横に、セドナが持っていた通信機は着信音を発していた。
「はい」
『姉さんか? アーサーだ』
「ご主人様でしたか。どんなご用でしょうか?」
『弾を撃ち尽くした。整備室に来て弾薬補充を手伝ってくれ』
 セドナは承知したと伝え、近くの2人から逃れるように階段を駆け下りて行った。


 弾切れしたブレインクラッシュが補給作業を受けている間、アストライアーは愛機ヴィエルジュと共に、短いが熾烈な戦いによって抉られ傷付いた演習施設に残っていた。
 弾切れとは言え、練習試合の最中に勝手に立ち去るとは何事かと憤るレイヴンも少なくないが、アストライアーは一時離脱を許した。
 それにブレインクラッシュの弾薬補給は自費で賄っている為、それにどうこう言う気はなかった。ただしアストライアーの方も、弾薬費は自腹と言う事になっているのだが。
 アストライアーはヴィエルジュのコックピットハッチやOBハッチ、今は何も入っていないがインサイドカーゴを開放し、内部に蓄積していた熱を強制排出した。現在までにグレネードの直撃は辛うじて避けられているものの、爆風によって多大な熱を送り込まれ、内部機構は確実に疲弊しつつあった。
 以前のランガー戦前に新規に購入したパーツだが、テラと戦う前に一度オーバーホールする事になるだろう――そんな事をぼんやりと考えながら、アストライアーは相手が再び現れるのを待った。
 戦闘再開に備え、パイロットハッチや、放熱を終えた各所のハッチがゆっくりと閉じられる。
 そうやって10分ほど待った後、ゲートから再びブレインクラッシュが姿を現した。そして入場して早々、小刻みなジャンプを繰り返しながら、チェインガンを連射しかかった。
 すかさずアストライアーは戦闘モードに移行、小刻みなジャンプで弾幕をすり抜け、機体を左右に振りながらのOBで距離を詰めると、ブレインクラッシュに向けてブレードを振り下ろした。だがブレインクラッシュは飛び上がり、そのままブーストで上昇して蒼い刃から逃れた。
 女剣士をやり過ごし、地上へと向かう4脚ACだが、その左手側が僅かに青く光った。補助ブースターで旋回して確認すると、ブレードを振り切ったヴィエルジュの姿が。FCSによるブレードの補正を頼りに向かったもの、ブレードが届く距離に僅かに届かず、空振りしたのである。
 すかさずブレインクラッシュはマシンガンを発砲した。今度はヴィエルジュが上空に舞い上がり、踊る様にマシンガンの弾を回避して行く。だがそれでも何発かは脚や腕に当り、装甲の破片を散らしていた。
「インターバルを経ても、大して変わってないんだな」
「まあな。最も、多少調子が狂っていても不思議はないのだろうが」
 大抵全力勝負の最中にインターバルが入ってしまうと、折角身について来た調子が狂ってしまう、と言う者もいる。そう考えると、まだ戦いの感覚は自分に染み付いているなとアストライアーは思っていた。
「あんた、そう言えばキャノンを積んでいないんだな?」
 ヴィエルジュの両肩は、支給されたアセンブリのACも装備している軽量なレーダーと、牽制用の小型ミサイルで塞がっている。
「私には不要だ」
 愛機にはキャノン系武器を積載するのが当たり前の強化人間だが、アストライアーはキャノン系武器の装備を「足枷」として頑なに拒んでいた。
 実弾系のキャノンは総じて重く、エネルギー系のキャノンも同様の理由に加え、発射の際にエネルギーを喰うことから、ブースト移動を多用するヴィエルジュとの相性は悪い事を、アストライアーは理解していた。パルスキャノンなら軽く、発射時のエネルギーも少な目だが、今度は稼働に多くのエネルギーを割かねばならない為、これも装備対象とはならなかった。
 だが、それがヴィエルジュの攻撃性を形作るファクターとなっていた。中量級ACとしては軽量のボディは軽量2脚にも匹敵する速力と機動性を有し、エネルギー消費を抑えたボディはブーストの連続使用を可能とし、レーザーブレードを連続で振るっても息切れする事はない。
 本来なら、これぐらいの軽装であれば軽量2脚でも十分積める積載量である。しかし、アストライアーは防御スクリーンの発生区画や出力、装甲による総合的な防御力を無視していなかった為、中量2脚を使用して少々の被弾なら耐えられる程度に調整していた。
 だが、それでも中量2脚としては防御が脆弱であるのは否めない。
「加えてキャノンは総じて当て辛い。当るか当らないかもはっきりしないモノを、機動力を割いてまで積む気はない」
 ブレインクラッシュが放った榴弾を際どい所で回避しつつ、アストライアーは続けた。
「エネルギーは移動に回す。そして機動性を高めた上で相手を斬る、ただそれだけだ」
 ブレーダー(ブレードを主力とするレイヴンの総称)を謳いながらキャノンを積むのは相手を仕留められない者のする事。強化人間の能力は、ブレード光波射出やエネルギー供給強化等、あくまでも移動やブレード攻撃関連に用いる。
 これら、徹底的なまでのストイックぶりが、目の前の女剣士を形作っている事を、科学者レイヴンは感じていた。
 そして、そうして剣豪スタイルで戦う事が、アルタイルがBBより勝っていると証明する事にも繋がっているのだろう。アーサーは詳細こそわからぬものの、科学者の勘でそう見て取った。
「成る程」
 頷いた後、ドクトルアーサーはマシンガンと投擲銃の連射で自らの言葉を一度遮った。
「時代錯誤も相手を選べ、ってか?」
「貴様の毒舌も相手を選べ」
 ヴィエルジュは持ち前の機動性で素早く距離を広げた。それよりも機動性は劣るが、決して遅いACではないブレインクラッシュは執拗に追いかけ、チェインガンを連射しかかる。
 この後も、再び、2機のACは距離を広げ、縮める事を繰り返しながらの銃撃戦を繰り広げた。時折、ヴィエルジュのレーザーブレードが振り下ろされる事もあった。


 練習はこの後、互いに1回ずつ修理と弾薬補給を受けながら続けられた。榴弾や散弾が飛び交い、蒼白い光刃が空を斬るこの練習はエースとBBが一度にやって来たような激しい物となっていたが、長くは続かなかった。
 先程から練習の様子を見ていたストリートエネミーとミルキーウェイは、疲労からかそろって椅子の上で眠ってしまい、セドナはなおも整備用ガレージに程近い窓から練習の様子を見ている。
「また弾切れか……補給にしに戻る」
 ブレインクラッシュの武器コンソールには「弾切れ」を示す紅い光が連続して灯る。アストライアーとの練習中、幾度も起こった現象である。
 一方、ヴィエルジュも機体の彼方此方から火花を散らし、アストライアーの眼前にあるコンソールパネルには「損害重度」を示す紅い文字が並んでいる。
 傷付いた相手ACを一目し、科学者レイヴンは一言告げた。
「いや、これ位にしておきましょうか」
「そうだな……良い運動になった」
「お互いにね」
 練習で回避力でもついたのか、息を荒げながらもどこか満足げな表情を浮かべていたアストライアー。一方のドクトルアーサーは、どこか不満や疑問を感じた様な表情ではあったが、その胸中を口にすることはしなかった。ここで言った所で、どうにもならないからだ。
「あ、もうこんな時間か。じゃ、とりあえずテラとの試合頑張って」
 充実感に浸るアストライアーとその愛機を置いていくようにして、赤錆色の機体は演習施設の出入口に向けて進む。
「待て、何処へ?」
「悪いですが、色々と僕も予定があるんですよ。日々ブレード振ってるあんたと違って、クソ面倒な学会論文や、頭の固い学者連中とも戦わねばならないんでね」
 ブレインクラッシュはアーサーの吐き捨てる様なセリフと共に引き上げていった。相変わらず、その言葉の随所には尊大さや嫌味さが感じられたが、それが女戦鴉の逆鱗に触れる事はなかった。
 演習施設に残っていたアストライアーも、しばし考えていたかの様に沈黙していたが、やがて、彼女も多少の満足感を抱くと同時に、如何にテラと戦うかを考えながら立ち去っていった。
14/10/16 13:21更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 ホントに肥大化した今作、実は元々別の物語だった3つのエピソードを一つにしたものです。
 まず第1部は退院、第2部で一応AC操縦のリハビリを行い、第3部は実戦形式の練習を行うと、段階的に区別しています。

 と言うか実はこの話、本当は「アストライアーのアイデンティティの再確認」がテーマとなっています。
 なぜそうしたかと言うと、とある強化人間のお方とアス姐が重なる部分が随所に見て取れ、そこから彼女との差異を明確にしたいと一考し、当初テラとのバトルを予定していたのですが、予定を大幅に変更、彼女の人間性を知るドクトルアーサーとの戦いを通しながら、アス姐の現段階の人間性を最提示する展開となりました。
 特に戦闘関連、ことに愛機のアセンブリ面においては両者の戦闘シーンを幾度も見比べ、どこに差異を見出すかについても連日考えてました。
 結果としては、「高機動戦・近接戦に重きを置き、ブレードと機動力を主力として相手を仕留める故、キャノン系武器は必要としないストイックなAC」である点を記述し、第1部でも「強さはもとより、冷徹な仮面の下に人間性が見え隠れする」点でアス姐のキャラクター性を改めて記述と言う形に落ち着きました。

■ヴィエルジュは強化人間・主役らしからぬAC?
 これは工房キャラに限った事ではないのですが、「強化人間=キャノン系武器搭載」と言う図式がもう定番化していた中で、主人公AC、とりわけ強化人間が操るACだと結構な確率で中量2脚ACのキャノン装備機か、あるいはやはり中量2脚の汎用機が来る様に思えます。

 ヴィエルジュを上記のようなストイックなアセンブリにしたのも、そうした流れにモノ申す的な一部分がありました。
 中量2脚ACでキャノン装備・汎用機と言うのがよくある強化人間や主人公を、あえてレーダー搭載の剣豪機と言うアセンブリにする事で、アセンブリ如何で魅せられる余地があるのではないか……
 そんな考えを、ヴィエルジュのアセンブリに込めています。結果としては、アセンブリ如何で主人公を幾らでも個性付けられる事の再確認になりましたが。

■そして今回最も怖いのが
 何を隠そう、文字数です。
 今回は分割なしでまとめられるのを良いことにやった結果、文字数が3万字オーバーと言うとてつもない事に……いくら何でも書き過ぎですorz

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