連載小説
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#10.篭の中
 その日、彼女は愛機のコックピットの中に居た。
 いつも通りの変わらぬ風景ではあったが、しかし彼女の眼前には、既に彼女とは別の、コックピットのシートに座る人物がいる。
 短く切りそろえられた濃紺の髪。濃紺の軍用コートに身を包んだその姿には見覚えがあった。他ならぬ自分自身だからだ。顔の皮膚の一部が銀色に変色していた事を除けば。
 だがおかしい。何故自分がここに居るのか。もし目前の存在が自分だとすれば、では銀色の自分を見つめている「私」は何者なのか。
 そう感じる間に、「銀色の彼女」はACを操り、ろくに歩けない老人、何も知らずに遊んでいる子供、身ごもった女性、そういった者がいても彼女には無関係だった。とにかく目に付いた人間を片っ端から殺し、目に付いた建造物を次々に破壊している。何の抵抗も出来ぬままに、「銀色の彼女」によって、多くの存在が砕かれて行く。
「これが貴女の選択した道。貴女は生きる為に破壊し、殺さなければならない世界に足を踏み入れた」
 冷たい視線を向けて語りかけてくる「銀色の彼女」。攻撃すれば攻撃するほどに、彼女の非人間的な銀色の輝きは増し、その範囲も、劇的にクローズアップされたように広がって行く。
「貴女もいずれこうなる…私と同じようにな…」
 だが認知出来たのは此処までだった。傷付いた記録媒体の音楽の様に、彼女の意識と視界は唐突に飛んだ。


 視界が戻った時、彼女は晴れた空の下にいた。まだ年端も行かぬ少女――と言うよりは幼女を引き連れ、彼女は公園を進んでいた。
 眼前には、小さなプールのがあり、幼女と同じ年代位の子供が、何人も遊んでいた。彼女に無邪気な視線を向け「入っていい?」と聞く。
「……良いよ、遊んで来な」
 彼女の一声で、弾かれた様に噴水に突進し、水飛沫を上げて飛び込んだ幼女。気持ち良いのか、笑顔を向け、両手で水を跳ね飛ばして自分に掛けようとして来た。
 だが彼女は誰なのか。子供として彼女を産み落とした記憶もないのに、何故幼女は彼女を慕うのか――


 再び記憶が飛んだ先には、慣れ親しんだACのコックピットが広がっていた。だがコックピット内の各所からは火花が散り、ディスプレイやモニター、計器類の表示は全て砂嵐となっている。
 そればかりか、周囲には赤い飛沫が――自分の血が散らばっている。下半身が拉げ、腕も酷い怪我を負っている事は解るが、一切の痛覚が失せていた。
「……呪うなら私より、自分の無力さを呪ってくれ」
 壊れかけた通信機から流れる、無機質な青年の声。自分をこの様な有様に至らしめたのも彼だろう。しかしそこまでは解るが、その後の行動は一切出来ない。普段なら剣戟の一発でも見舞う所なのに。
 人としての機能を果たせぬ肉塊となった身体から、急激に体液が失われる感覚を認識したのを最後に、彼女の意識は三度、深遠へと飲み込まれた。


 底知れぬ闇――全ての光景が泡沫となり、過ぎ去った後に残ったものを簡潔に表現すれば、そんなものだった。
 そして彼女は一連の光景を察する。あれは幻だったのだと。此処に意識が流れ着いて以来、彼女を支配していたのは今まで見てきた記憶の繰り返しと、それに続く永遠の闇。この2つを繰り返していただけだ。
 自分の存在は認知出来る。しかしそれ以上の事は出来ない。
 と言うより、彼女は「ただ存在しているだけ」だった。自分の身体が空気となったかのように、彼女は自身が見つめて来た世界を、映写機のように、ただ再生し、それを繰り返しているだけの存在でしかなかったのだ。
 あるいは、ただ闇が広がるだけ。


 記憶の輪廻と虚無が全てだった世界に、変化が訪れたのは唐突だった。
 声から察するに女性、まだ少女――いや、まだ年端も行かない年齢の幼女と言ったところか、誰かの声がした。聞いた感じでは、まるで今にも泣き出しそうな声だった。
 だが、彼女の眼前に広がるのは闇だけ。勿論、声の出所など分からない。
 それ以前に、自分が生きているのかすらも分からない。

 ―――さん!

 再び彼女を呼ぶ声。とりあえず、どこかで聞いた声だなと言う事は分かった。だが身体があるかどうかも分からない彼女に、果たして声が聞こえるものだろうか?
 無論、此処がどこで、どう言ったものがそこに存在する、までは判らない。認知出来るのは自分の存在だけで、他は「無」が広がるばかり。

 ――アスおねーさん! おきて!! しんじゃダメだよ!!

 その呼び声で、彼女は分かった。自分がマナ=アストライアーであり、レイヴンである事を。あの時、蒼いイレギュラーを排除しようとして、恐らく殺されてこの様な事になったのだろうと。
 そして彼女を呼ぶ声は、帰りを待ち続けている幼女エレノア=フェルスの声だと言う事も。
 では、ここは死後の世界か? それとも……そんな事を意識した直後には、虚無の闇だった彼女の目の前が明るくなっていた――


 彼女――マナ=アストライアーが再び目を開いた時、彼女の眼前に飛び込んできたのは今にも泣き出しそうな幼女がいた。
「きがついたんだね……よかった…」
 幼女は涙を目に溜めつつも、安堵の表情を浮かべる。やけにエレノアそっくりだなと、アストライアーは思った。
 もちろんその幼女はエレノアなのだが、アストライアーはまだ、自分が生きているか死んでいるか、感覚的に良く分からなかったため、天使か何かに思えた。
 目の焦点も、まだ定まっていない。
 此処はどこなのだろうかと、アストライアーは辛うじて動く首を左右に振って様子を窺う。エレノアの顔の後ろには白い天井が見える。少なくても、天国やそれに類する場所でない事は分かった。心臓の鼓動を示す電子音も横から聞こえてくる。この事から察するに、とりあえず生きているらしいと分かった。
 グレネードランチャーで砲撃された上に柱に派手に激突しながら、良く生きていたものだと、死の淵から戻って来た女剣士は、自らの強運振りに感心した。
 此処が病院であるらしい事を確認したアストライアーの口から、安堵の息が漏れる……が、彼女はまだ此処が本当に病院かと勘ぐった。以前、目が覚めた時には強化人間手術の為の手術台に寝かされていた、と言う事が何回かあった為である。
 頭と左腕以外の全身をくまなく包帯で巻かれ、その上に入院用のガウンを羽織い、ギプスやベルト等で所々固定されていたその体を起こして周囲を見ようと思った時に、エレノアはアストライアーに抱きついてきた。
「よかったぁ……しんぱいしたんだよ? おきたらアスおねーさんがおでかけしてて、もうかえってこないとかしんぱいしていたら、こんなになっちゃったから……」
 エレノアは涙を流しつつも、笑顔で満身創痍のアストライアーを抱きしめた。
 怪我をした部分にも触れられていた為、アストライアーは痛みを感じていたが、しかしエレノアの笑顔を前にしてはそんな苦痛など全く感じなかった。
 否、痛み自体は感じていたが、もう拝めないと思っていたエレノアの笑顔を再び拝めた事が、苦痛以上に嬉しかったのだ。
 此処まで至り、一つ疑問が浮かんだ。確か自分はレイヤード深部にて撃破された筈。だとすれば、誰が此処まで運んできたのか。
 だが、その疑問はすぐに解消された。
「貴女なのか、スキュラ……?」
 幼女に抱かれる自分の視線の先で、戦友が優しく微笑んでいた事に、アストライアーは気が付いた。
「彼女――エレノアが泣きに泣いていたから、何だと思ってな……」
 スキュラはアストライアーが依頼で出撃した後、彼女の家を訪ねていた。戦友が依頼で出撃する事はスキュラには知らされており、それでいて自分には深く言わなかった為、何かあるだろうと察して友人宅へと向かったのである。
 果たして彼女の予感は的中し、来訪して早々に、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして号泣していたエレノアの姿を目撃する羽目になった。何があったのかとエレノアに聞いても大した答えは得られず、とりあえずスキュラは、戦友が使用していたPCを勝手に起動、依頼のメール一切に目を通し、レイヤード下層の遺跡に向かった事をスキュラは知った。
 すかさず彼女はエレノアに待っているよう伝えると、韋駄天の如くガレージに急行、愛機デルタを起動させ、レイヤード下層遺跡へと愛機を向かわせた。
 そして現地に到着した彼女を待っていたのは、最早荒らされた戦場でしかない遺跡と、その片隅で無残に破壊されて動かなくなったヴィエルジュの残骸だった――というのが大筋である。
 勿論、その後は救助要請などで色々と手間が掛かった。
「そうか……済まない……」
 スキュラは首を横に振った。
「気にするな。長い付き合いだ、これ位やって当然だろう。それにエレノアの泣き顔は、私としても御免だからな」
 アストライアーは思わず微笑んだ。
「ようやくお目覚めですね」
「おいおいおい、アス。デレデレだなぁ」
 落ち着いた口調と軽い口調をした、二人の若い男の声が病室に入ってくる。少し遅れて、本人も。
 一人はカーキ色のジャケットを羽織い、てっぺんから裾まで流れるような、首筋当りまで伸びる白銀の髪と、ターゴイズをはめ込んだ様な青緑色の瞳を持つ青年。落ち着いた口調の持ち主は彼であろう。
 もう一方は、ジーンズにフライトジャケットを羽織った、黒髪に茶色い瞳をした軽い印象の男性である。こちらは、アストライアーが何度か目にしていた顔であり、勿論彼の声も何度も耳にした覚えがある。
「ストリートエネミーに……テラか……」
 その姿をかつて目にした記憶のあるアストライアーは、半ば自分の悪友と化しつつあったレイヴンと、「大地」と言う名を冠したその青年――彼女と同じレイヴンの名を口にする。
 彼はアストライアーの在籍する、レイヤード第3アリーナについ最近、「半年間限定」と言う条件のもと参戦したレイヴンで、名銃と誉れ高いMWG-KARASAWA――俗称カラサワによる射撃を得意とし、その銃のみで多くのランカーを倒して来た実力者である。
 彼もアストライアーと同じく強化人間だが、それにしては落ち着いた物腰と、さっぱりとした涼しげな外見をしている事でも有名であった。ただアストライアーには、その物腰の中にも自信をみなぎらせている様に感じられた。
 エレノアは他人の姿に気が付いたのか、倒れた剣士を抱いていた腕を離し、彼女が横たわっているベッドの横に置かれた椅子に腰掛けた。
「……何時から此処にいた?」
「来たのはつい先ほどでしたが、貴女が目覚めてなかったので、ストリートエネミー氏と一緒に喫煙所にいたのですよ」
 テラの言葉に、アストライアーは今の自分の姿を恥じるかのように俯いた。
「しかし、貴女が此処に担ぎ込まれて一週間ですか。長いような短いような……最も、その間色々とありましたが」
「何だと?」
 テラの発言が事実だとすれば、アストライアーは一週間も昏倒していたらしい。
「……私が死に体だった間に何があった? 聞かせてくれ」
 情勢が日々刻々と変改していくレイヤードにおいては、一週間のブランクは大きい。その間に何が起きていたかは、例え断片的なものでも知る必要があった。
「貴女に話す義理は無いんですが……まあ良いでしょう。私も今日は試合・依頼共に入っていないので、暇潰しにはなりますしね」
 そう言うと、テラはアストライアーが意識を失っていた間の出来事を、徐に話し出した。
 テラによると、アストライアーと同じくアキラを排除しに掛かったファンファーレは、アストライアーとは別の病院に担ぎ込まれるも、結局その翌日に死に、リップハンターに至っては救助隊が駆けつけた時には既に落命していた。テラが言うには、リップハンターはほぼ即死の状態だったそうだ。
 結局あの戦闘では、アストライアーを含め8人のレイヴンがアキラ達を倒そうとするも、全員が返り討ちにされ、アストライアー以外全員が落命。
 そして、ミラージュはアストライアーが目覚める前日にも、アキラを排除しようとしたがこちらにも失敗したと言う。ストリートエネミーも依頼を達成させて帰還する際、偶然アキラに遭遇したと言ったが、真偽は定かではない。
 そしてアキラはその実力を持って、アリーナでも不敗を誇るエースを打ち破り、トップランカーの地位に君臨。当然BBが黙って見ている筈がなく、何度もアキラを諜殺しようと目論んだが、結局それらは全て返り討ちにされたとの事である。
 遂にはBBとアキラの試合中、ロイヤルミスト操る「カイザー」が乱入するも、これも直美操るヴァージニティーが駆けつけた事で、逆にアリーナから追い払われたそうである。
「まあそれは良い。だが何故部外者の貴方がこうしてわざわざ私に気を使う?」
 テラの話を遮り、アストライアーはテラに質問をぶつける。
「貴女を発見したのは私ですから。一応発見した人間の安否を確認し、生きていたら生きている事を私の目で確認する。ここまでして私の仕事です」
 少し遅れて、「万が一の為に同行してくれと、テラに声を掛けた」とスキュラが付け加えた。
 それにしても生殺与奪の権利を雇い主に握られた、使い捨ての傭兵をわざわざ拾うか。アストライアーはそんな思いを浮かべるが、口には出さない。最もスキュラに声を掛けられたからとは言え、テラも死に損ないの女戦鴉をわざわざ助けにくる事に、理由があるのかどうかは分からないが。
「それはどうも、勤労者だな」
「性分です」
 警戒する様子のアストライアーだが、しかしテラはそんな彼女を気にする様子もなく、落ち着いた態度を崩さない。
「……そう言えば、確かアキラとの対戦カードが組まれていた筈……私は不戦敗になっているのか?」
 アストライアーは以前、自分に半死半生の深手を負わせたイレギュラーとの試合を控えていた事を思い出した。だが自分は依頼で撃破された挙句に意識不明だった事に加えて、今はこの状態である。
 戦う以前に、ACに乗れるかどうかの問題だ。いや、現時点では自力で動く事すらもままならない。
「ええ。貴女は不戦敗扱いになってます」
 テラが言うには、アリーナは依頼等の正当な理由がある場合に限り、アリーナ運営局にその旨を告げれば断る事が出来るが、アストライアーはそれをしなかった、と言うより彼女の代理でそれをする人間がいなかった為に、結果として不戦敗扱い、アリーナランクを一つ落とす事になったと言う訳である。
 スキュラも事後処理の為、運営局まで出向く事が出来なかったと、侘びの言葉と共に付け加えた。
「そうか……」
 結果、アストライアーは勝てない試合を回避する事になった。アリーナランクの低下と引き換えに、ではあるが。
「まあ近況報告はこれ位にしておいて」
 テラは腕時計をちらりと見た。
「私はこの辺で去る事にしましょう。貴女がアリーナに戻ってくる事を望むファンも多いでしょうし、私がリハビリの邪魔になるといけませんしね」
 病室の外に向けて歩み出したテラだが、何かを思い出したかのように足を止めた。
「そうそう、貴女が回復したのを確認し次第、挑戦状を出しますのでそのつもりでいて下さい。私からは以上。では、アリーナで会える事を願ってますよ」
 そういい残し、テラは病室の外に出る。なるほど、自分を拾ったのはこの為だったかと、今更ながらアストライアーは納得した。
 だがその3秒後、彼はまた思い出したように病室に戻ってきた。
「また忘れるところでした。貴女が生死の境をさまよっている間、そこの子――エレノアがずっと貴女に付きっ切りでしたので、彼女に例を言っておいた方が良いですよ。では、今度こそ失礼」
「お前なあ、言いたい事があるなら一度に言えよな!」
 言うだけ言うと、テラはストリートエネミーに追い出される様にして去って行った。
「で、貴様は何の用だ?」
 テラが消えた事で、アストライアーの冷たい視線は自然とストリートエネミーに向けられる。
「私を嘲いに来たのか? なら嘲え。所詮敵に反撃もロクに出来ずに倒されたクズだ。笑われ様が反論など出来ん立場、貴様を散々コケにして来た女を嘲う事に抵抗など無いだろう…」
「待てマテ、別に俺はそんなつもりはねぇよ。ただ生きてて何よりだって事を言いに来ただけさ」
 ストリートエネミーの横目がエレノアに向く。
「そのコがあんたの事、心配してたんだってな。そんなあんたを嘲う理由はねぇよ」
 ストリートエネミーの口調は少々軽いながらも、しかし何処となく気遣いともとれる口調が見え隠れしていた。
 とは言え、恐らく心からアストライアーを心配していると言うわけでもないだろう。と言うのも、ストリートエネミーの価値基準は、後にも先にも「報酬」である。スラム育ちの人間だった事もあり、人一倍成り上がろうとする意思は強いものがある。周囲のレイヴンもそれを知っており、一部の連中からは「金の亡者」「溝鼠(どぶねずみ)」呼ばわりされていた位だ。
 とは言え、依頼で度々共闘しているミルキーウェイの影響で、最近は随分と大人しくなっていた。アストライアーとスキュラの知る限り、彼が犯罪に絡んだと言う話も最近は全く聞かない。
 そんな彼だから、女剣士一人の時なら兎も角、傍らにいる幼女――エレノアと言う、アストライアーを心配している人間がいる以上、最低でも彼女に嫌な顔をされない様にしておきたかった。
 そしてこれは、幾多の犯罪に身を染めて生きて来たストリートエネミーの、人間として決して譲れない最後の一線でもあった。以前彼が「ヤクとレイプ、未成年を食い物にする行為はしない主義だ」と言っていた当りからも、それは窺える。勿論偽りがないと言う前提下での話だが。
「……お嬢ちゃんかい、エレノアっていうのは?」
「そうだよ」
 ストリートエネミーがエレノアの名を口にした事で、アストライアーは電極を突き立てられたように反応、その数秒後には、それは殺意と警戒心を伴う疑心へと変質していた。だが、悔しい事に、現時点で自分が何も手を打てない。
 一方、ストリートエネミーとてエレノアを知らなかった訳ではない。以前ブティックで彼女を目撃しているし、アストライアーにも依頼やアリーナ等で出会った際に、エレノアについて問いかけた事もあった。だがアストライアーは性格上、それについては深くは答えなかったのだが。
「アスのご近所さんか?」
「ううん、アスおねーさんといっしょのおうちにいるの」
「マジで!? ……何でまたアスの家で?」
「あたし、おうちがなかったんだけど、アスおねーさんがいっしょにいていいよっていってくれたの。それからは、アスおねーさんのおうちがあたしのおうちなの」
「そりゃ良かったなぁ」
 動けないながらも攻撃態勢に移行していたアストライアーを無視し、ストリートエネミーとエレノアはいつの間にか会話を始めていた。
 こうして見ると、ストリートエネミーも多少ガラの悪い若者と言う外見的印象こそ有れど、何処にでも良そうな気の良い青年の様である。とても幾多の犯罪に身を染めてきた男とは考えにくい。
 しかし、それでもアストライアーは彼に疑いの視線を向け続けている。やはり、彼の経歴を知る以上、疑いを拭う事は出来ないのだ。
 ましてや、それがレイヴンだと言うのだから尚更である。いつ何時、自分やエレノアに刃を向けてくるか分からないのだ。ミルキーウェイと共に行動する様になってからは随分大人しくなったとは言うが、見えていない所で善からぬ事をしている可能性が無いとは言い切れない。
 はっきり言って、アストライアーの中のストリートエネミーは、例え素性がまともな人間であったとしても、信頼するには値しない男なのである。それ以前に、彼女にとって、同じレイヴンは一部の例外を除けば、疑念の目を向けて然りなのである。何しろ、昨日の友が今日の敵となり、明日には宿敵となる事など、レイヴン界では日常茶飯事なのだ。
 そんなストリートエネミーは、エレノアと暫く話をした後、少々分かれ惜しそうな素振りを見せながら出口へと歩いて行った。
「あれ? おじちゃんかえっちゃうの?」
「ごめんな、おじちゃん用事があるんだ。次来る時はおばちゃんの方も連れて来るからな。変なオジサンとかについて行ったら駄目だぜ。いいか、おじちゃんと約束だからな!」
「うん、やくそくするよ!」
 満面の笑みを浮かべたエレノア。その顔に、ストリートエネミーの表情は自然に緩んだ。
 外見年齢20代前半のストリートエネミーは、「おじちゃん」呼ばわりされる事を許していた。その程度でキレるのは大人気ないと、彼は思っていたのだ。それと別に、エレノアほどの幼女となれば、目上の人間は大抵「おじちゃん」呼ばわりされるのが常だと、彼は割り切っていたのである。
「よしよし、いい子だ。じゃ、また来るからな」
 小悪党の視線がアストライアーへと切り替わった。
「アス、このコと仲良くやれ。くれぐれも泣かせんなよ。管理者が許しても、俺は許さんぞ」
 アストライアーにとっては意外な事に、ストリートエネミーは、それ以上は言わずに病室から去って行った。去り際に、軽く敬礼みたいな事をして行ったが、その意味は分からない。
 ついでに言えば、「おばちゃん」と言うのは恐らくミルキーウェイの事を指しているのではないかと、アストライアーは察した。それ以前に、ミルキーウェイ以外の女性と一緒にいる様子を、アストライアーは見た覚えがなかった。勿論、自分は別としての話であるが。
 アストライアーは女だったのか等、無粋な突っ込みは無用である。
「アスおねーさん……」
 再びエレノアがアストライアーに寄り添う。
「あのおじちゃんたちってアスおねーさんとおなじアリーナのひとだったの?」
「ああ……」
 どうやらストリートエネミーとテラの事を聞いていると思われたが、アストライアーは気の抜けた様な返事しか出せなかった。
「ねえ、そんなげんきのないこえはダメだよ。もっとげんきだしてよ!」
 そう言うと、エレノアは再びアストライアーに抱きついた。
「でもよかったぁ……アスおねーさんがいきていて……」
 衝動的ではあったが、アストライアーも辛うじて動かせる状態の左腕でエレノアを抱きしめる。その際、エレノアの首筋にアストライアーの手が触れた。
「……アスおねーさん」
「何?」
 アストライアーに首筋を触られた際に何か違和感を感じたのか、エレノアはアストライアーの顔や体をぺたぺたと触ったのち、ふと呟いた。
「からだ……つめたいよ?」
 体の殆どを機械化されたアストライアー、と言っても彼女の体は大半が作り物という事で、義手義足ならぬ「義体」と言ったほうが良いのだろうが、しかしその体からは人間的な温もりは消えていた。
「貴女の頬……温かい…」
 アストライアーもエレノアの頬に手を触れて囁いた。スキュラはそんな二人を、微笑して見ているのみ。アストライアーに似合わないと毒づく事も、二人に言葉をかける事もなかった。
 この時、アストライアーは僅かながら心地良い感覚を覚えていた。エレノアと接する事で、今までに何度も感じていた、あの感覚が。
 しかし、後になってそれを思い出そうとしても、思い出すことは出来なかった。それは気のせいだったのかも知れない。
 それでも彼女は、エレノアと一緒に居られる事で、満たされた様な気分を感じていたのは確かであった。
 せめて、この時が少しでも長く続けば――そう思った所で、女剣士の脳裏を不吉な光景が過ぎった。
「エレノア……」
「うん?」
「もう帰るんだ」
 すぐさまエレノアを遠ざけようとするアストライアーを前に、幼女の頭に「?」がいくつも発生した。これでは駄目かと判断したアストライアーは、すかさず次の台詞を吐き出す。
「第一もう遅い。子供は家に帰る時間だ。済まないスキュラ、エレの事を宜しく頼む」
 スキュラは少々疑問に思ったものの、無言で頷くと、エレノアの手に触れて彼女を誘った。
「ねえエレノア、どこかで美味しい物でも食べに行かないかい?」
「え、でもアスおねーさんが……」
「私は良い、行け。行くんだ」
 アストライアーの態度が妙だと察しつつ、スキュラはエレノアを連れて病室を後にした。幸い、エレノアには嫌がる様子はなく、あれ食べたいこれ食べたいといった言葉をスキュラに浴びせている。


 二人が病室から消えると、額から珠のような汗が噴き出してた女戦鴉はうなだれた。
 この時、アストライアーには恐怖心が宿っていた。人間性が欠落した彼女だが、アキラと直美に殺されかけたあの時にも、この様な感情を体験した記憶がある。
 エレノアと共に居られれば良い、と思ったあまり、BBがエレノアを人質に取った挙句殺す様や、BBへの復讐のあまりに人間性を破綻させ、遂には暴走した自分が、泣き叫ぶエレノアに黒百合を突き立てる地獄絵図を連想してしまった。こういう事が起こらなければ良い――そう思うあまりに。そしてそれが、自身からエレノアを遠ざけようと働きかけたのだ。
 当然、エレノアがそれを知る由はなかった。


 エレノアを追い出したその晩、最早見慣れた夢がアストライアーを迎えていた。
 コックピットの中の自分。ヴィエルジュを操っての破壊行動を繰り返す、眼前のもう一人の自分。殺戮を重ねるごとに、輝きと範囲、そして機械部分が増していく銀色の肌。最早聞き慣れた台詞。何度見ていても、胸糞が悪い夢ではあった。
 そして、その見慣れたシーンに、彼女にとって最悪の光景が追加されていた。赤く染め上げられたアスファルトの中に、彼女は見たのだ。
 自分を母と慕う幼女――エレノアの姿があった事を。銃撃により、原形を殆ど留めていなかったが。それがエレノアだと分かるのは、辛うじて原形を留めていた顔からだった。
「貴様……」
 身を焦がしつくさんばかりに、怒りのエネルギーが駆け上がってくる。しかしもう一人の自分は冷たいまま。
「力のない者は所詮屠られるのみ。貴女がどう思おうが、結局それは貴女の無力さを曝け出すだけだ」
 反論出来なかった。全く持ってその通りだった。それを分かっていたからこそ、更なる怒りが湧き上がって来る。
 人間性の全く感じられない言葉に遅れ、女剣士は頬に激しい痛みを感じた。一体何と思い、彼女は痛みが走った部分に手を置いた。
 だがそう思った直後、アストライアーの首からは眼前にいるもう一人のアストライアーと同じ様に、無数のコードらしいものが、赤黒い血と共に飛び出し、彼女の頬に次々に突き刺さった。
 いつもと同じ、あの幕切れだった。


 意識を取り戻した彼女は、すぐに周囲を見渡し、そこが自分が入院している病院のベッドの上だと言う事を確認する。頬や首も触り、こちらにも異常が無い事を確かめた。
「まただ……また、あの夢………」
 レイヴンになって、何度も見た悪夢。忘れようとしても、忘れた頃に、また思い出した様に蘇ってくる。
 外はまだ日が昇りきっておらず、うっすらと暗さが残る。
 自分が眠っている右手側では、エレノアがすうすうと気持ち良さそうな寝息を立てて眠っている。意識が戻って以来、彼女はこうして毎日アストライアーを見舞って、傍らに居てくれていた。
「エレ…」
 アストライアーはそんなエレノアの顔に、まだ包帯に覆われている左手を伸ばす。
 だが、エレノアの頬を優しく撫でた自分の左手を見て、アストライアーは我が目を疑うと同時に、背骨を根元から引っこ抜かれた様な感覚に襲われた。
 今エレノアの頬に触れている手は、確かにアストライアーの左手だが、その手を覆っている包帯が無く、さらに何故かACの腕部パーツの様にメカニカルな物になっていた。
 否、その腕は彼女の愛機の腕部であるMAL-RE/REXになっており、さらに愛用品のMLB-MOONLIGHTまで接続されている。
 何時こんな風になったのかと疑念を抱く事も許さず、左腕がいきなり駆動音を立てて動き出したかと思うと、アストライアーの体もそれに連動してベッドから飛び跳ねるようにして起き上がった。本人の意思とは無関係に。
「何だ!? 一体何が…!!」
 自分の体が、脳から発せられる命令に全く反応しない。あまりの事態に女剣士は当惑した。そして自分の体の変容振りも、彼女の当惑に拍車を掛けた。
 自分の体はかつての人間の体を模して作られた「儀体」ではなく、何から何まで全てがACのパーツ、それも自分の愛機であるヴィエルジュの外装パーツになっていたのだ。
 上腕部にはターンブースターまで装備され、肩にはミサイルポッドとレーダー、右腕には愛用のショットガンも握られている。青白く塗装された配色もあいまって、彼女は、今の自分の体が紛れも無く、ヴィエルジュのアセンブリ通りの姿であった事を悟った。
 AC用のパーツを無理矢理人間用に仕立て上げ、それを身に纏ったような姿――ACを擬人化したイラストを立体化した姿といえば、今の姿がそうなるのだろうか。
 だがACと化したアストライアーは、突如として部屋中にショットガンを乱射し始める。勿論、本人の意思とは無関係に。
「よせ!! 止めろ!!」
 アストライアーは止めようとするも、全く止まらない。さらにミサイルを放ち、ムーンライトを振るい部屋中の設備を次々に破壊していく。
 患者や看護婦がいても、全くお構いなしに攻撃を繰り返す。当然、犠牲者の生き死には問わず。
 遅れて警備員がやって来て、彼女を止めようとでも言うのか、いきなり拳銃を発砲。だが、それも無駄な事で、その警備員達ですら、ショットガンの一撃で粉砕。病院の一区画にはたちまち血と瓦礫、肉片などが散乱し、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「エレノア……エレノアは……」
 心配が幼女に向くと、AC化したアストライアーの体は本人の意思に反して、眠たそうに起きるエレノアに向き直った。少し遅れ、散弾銃の銃口も。勿論、彼女自身もこの行動は望んでいない。彼女の体だけが勝手に取った行動である。
「ん〜〜、なんなの? うるさくてねむれないよぉ……」
 寝ぼけているのか、エレノアはまだこの事態に気が付いていないようだ。だが手にした得物は、今にも散弾を吐き出そうとしている。
「よせ! 止めろ! 止めろおおおおッ!!」
 エレノアを傷つけまいと、勝手に動く自分を律する女戦鴉。その刹那の後、銃声と共に眼前が真っ赤に染まった。


「どうしました!?」
 再び正常に戻ったアストライアーの視界に、先程、ショットガンの銃撃で肉片と化した筈の看護婦が出現した。どうやら、今までの光景は夢だったらしい。
 最も冷静に考えれば、現実には自分がACになる等といった事はまず起こり得ない事なのだが。しかし、女剣士の顔面を濡らす尋常ではないほどの汗が、夢の中で思考や理性が働かなかった事、理性をも凌ぐ恐怖が彼女を支配していた事を物語っていた。
「どうしました? さっきから何か魘されていたみたいですが?」
「いや……別に……」
 レイヴンとなって以来、思い出すように度々見る悪夢。それが何故か、エレノアと親しくなっていく度に、見る機会が増しているように思えた。
「すごい汗……今拭きますね」
 アストライアーの額からは、尋常じゃないほどの汗が流れている。強化人間になっても、通常の人間と身体的な機能は変わらないように作られた擬体ゆえ、汗が出るのだ。ただ厳密には汗ではなく、擬体冷却用の液体なのだが。
「アスおねーさん……だいじょうぶ?」
 そして傍らには、先程の夢の中にて、やはりショットガンの一撃で肉片と化したはずのエレノアが顔を出したのだった。
「来るな! 止めろ!!」
「ねえ、どうしたの!?」
 だが、アストライアーは突如エレノアを遠ざけようとした。まるで狂ったように両腕を振り払い、傍らのエレノアを強引に引き剥がそうとする。言葉にも刺々しさが露骨なまでに見られる様になっていた。
「下がれ! 近寄るな!」
 ここ数日、アストライアーはエレノアが身の回りの世話をしようとするたびに、何故かこうして拒否するようになっていた。
「アストライアーさん! 落ち着いてください!!」
 看護婦が何とか落ち着かせようとするが、それでもアストライアーは、我武者羅に、無茶苦茶に、周囲にある物を狂った様に振り回す。遂にはエレノアに向けて枕が飛ぶ始末だ。幸い、枕はエレノアの左側頭部を掠めて飛び、彼女には当たらなかったが、周囲を通り掛った患者たちが、一体何があったのかとざわめいている。
「ちょっと……もういいよ、そんなに言うんだったら……」
 せっかく見舞いに来たと言うのに、エレノアは逃げるように病室を出て行くしかなかった。
 その際、逃げて行く幼女とすれ違った女性が、アストライアーと自身へと視線を向け、幼女を追い始めていた事に、誰も気が付かなかった。


「アスおねーさん、どうしちゃったのかな……」
 所変わって、此処は病院の屋上。と言っても、人工芝が生え、自動販売機やベンチなどが設置されているため、殆ど公園の様な場所になっている。
 此処ではリハビリをしたり、あるいは見舞いに来た人が、患者を待つ為の待合室代わりに使用する機会の多い場所でもある。高所恐怖症の人には辛いだろうが。
 そこを囲むようにして設置された、転落防止用の鉄柵にエレノアは寄りかかった。
「……なんで、あんなふうになっちゃったの?」
 自分に今まで優しく接してくれたアストライアーが、最近急に冷たくなった事を呟くエレノア。その顔からはいつもの明るさは消え、変わりに寂しげな表情が浮かび上がっている。そして口からはアストライアーを心配する台詞が断続的に吐き出される。
「ねえお嬢ちゃん、どうかしたの?」
 一人の女性の声で、エレノアが反射的に声のした方向に向き直ったのはそんな時だった。
 幼女の視線の先には、外見年齢20代前半から半ばほどの、可愛いと言うよりは綺麗な女性が立っていた。
 空色の澄んだ瞳、ウェストのあたりまで届く、緑がかった漆黒のストレートヘアー。周囲の男性と比べても大差ない位の長身という、男女問わず道行く人々が振り返っても不思議はないルックスの持ち主は、左肩にグローバルコーテックスの社章が入ったジャケットを羽織っている。
 アストライアーがもし此処に居たならば、彼女をレイヴン、もしくはコーテックスの関係者と推測するだろう。
「お嬢ちゃん……さっきからアスさんって言ってたけど、それってマナ=アストライアーさんの事?」
「うん……」
 エレノアは気の抜けた返事しか出来なかった。だが女性はそれを察したのか、すかさず口を開いた。
「彼女の事で悩んでるのね。もしわたしで良かったら相談に乗ってあげようか?」
「え? いいの?」
 女性は頷いた。その事が不思議に思えたのか、なぜと尋ねるエレノアだが、女性は一言返し、それ以上は言わなかった。何故なら、その一言で済む程度の疑問だったからだ。
「実はわたしもレイヴンなの。あの人――マナ=アストライアーさんと同じくね」
「おばちゃんもレイヴンなんだ……じゃあ、おばちゃん、おなまえは?」
「お、おばちゃん……」
 女性は一瞬ふらついたようなリアクションを示したが、すぐに姿勢を正し、エレノアに向いた。
「おばちゃんじゃないわよ、おねえさん、よ」
 優しくエレノアを叱る女性だが、別に彼女は心から怒っている訳ではない。憤慨したらエレノアの泣き顔が出現するのは想像に難くなく、そうなれば周囲の人間から白い目で見られかねない。たとえ、彼女がエレノアの保護者として認識されないにしても。
 しかしながら、この二人が並んでいれば、周囲の人間は親子か何かと、真っ先に連想するだろう。そうなれば「この親は何やってるんだ」から始まり、最悪の場合、幼児虐待を疑われた挙句警察沙汰にまで発展する可能性もあった。
「ごめんなさい、おねえさん」
「良いのよ」
 女性は笑顔で答えるだけだった。
「で、おねえさんのおなまえは?」
「わたし? わたしは………」
 自分の名前を明かす女性だが、レイヴンの名をあまり知らないエレノアは、その女性のレイヴン名を聞いた所で「ふーん」位しか言えなかった。
「さて、本題に入ろうか。お嬢ちゃんの悩みって何かな?」
「あのね、アスおねーさんのことでなんだけど……」
 その後しばらくの間、女性は不安がるエレノアの質問に、いくつも応じて答えてやっていた。無垢な幼女を前に、自分の持ち得る回答の中で常に最善のものを選べと、彼女の良心が告げていたのだ。
 答えなければ、きっとエレノアを更に苦悩させる結果となるだろうとの懸念を抱えた上で。
「……それで、エレノアちゃんはアストライアーさんが冷たくなったから心配しているわけなのね」
「そうなの。今まではやさしかったのに…」
 エレノアの名は、質問を聞かされる前に聞き出していた。従って、目前の見ず知らずの女性が、自分の名前を知っていることに、エレノアは何も感じてはいない。
「でも、お嬢ちゃんの頼みごとは今まで聞いてもらってたんでしょ?」
 エレノアはうなずく事しか出来なかった。
 エレノアから聞いた事、そして今までの自分の記憶に持ち得る限りを合成し、女性はマナ=アストライアーの人となりを推測していた。
 彼女の知る限り、マナ=アストライアーはレイヤード第3アリーナでも指折りの技量(少なくてもブレードの腕に関しては)を有する女性レイヴンであり、目的を果たす為ならば仲間の殺傷すら厭わない、凍て付いた心を有する戦闘的な、しかし彼女から言わせれば、「何者にも動じない、勇敢で強い」女性だった。
 その一方で、嘗ては普通の少女だった事を、女性はすでに知っていた。当然、その少女が非人間的な戦闘マシーンと化した理由も。
 しかし話を聞く限り、レディ・ブレーダーと恐れられているこのレイヴンにも人間らしさが垣間見られる事が分かった。他でもない、エレノアがその証明であった。
「……じゃあ、兎に角エレノアちゃんの思っていることを言ってみたら? あの人、昔は普通の人だったそうだし、あなたの言っている事が本当だとしたら、きっとエレノアちゃんの話を聞いてくれると思うから……」
 少しおいて、女性は苦笑した。
「ごめんね、こんな事ぐらいしか言えなくて……」
「ううん、ありがとう。おねえさんがいったようにやってみるね」
 そう言うと、エレノアは屋上から去っていった。その際、彼女のズボンのポケットから何かが落ちた。
「あ、ちょっとエレノアちゃーん! 落し物!」
 彼女の呼び止めは、エレノアの耳には入らなかった。
 女性はエレノアが落とした何かを拾ってみる。全体的形状は三日月形で、材質は不明だが、手触りだけで考えるならば何かの無機物、強いて言うならば何かの石を削りだして作ったような感じであった。三日月の上には小さな穴が開けられ、紐が通されている。
「ペンダント……みたいね。随分古ぼけているけど……ともあれ届けてあげなくちゃ」
 病棟の中に戻って行ったエレノアを追いかけようと、女性は歩み出したが、すぐにその歩みは止まった。彼女の携帯端末がメール受信を知らせる通知音を発したのである。
 反射的に、彼女は手にしていたバッグから携帯端末を取り出し、メールに目を向ける。その内容を簡略的に言うと「ACがまずい事になった。休みの最中に悪いがちょっと来てくれ」といった内容である。
「タイミング悪くパートナーからお呼び出し。さて、どうしようかしら……」
 そう呟きつつ、女性は拾ったペンダントを胸ポケットの中にしまい、帰っていく他の見舞いの人々と同じくエレベーターに乗り、そのまま自分を呼び出した者の元へと向かった。


 その途上、女性は再びアストライアーの病室をチラッと見た。病室のベッドで眠りに就いていたが、その顔からは汗が噴き出し、唇から垣間見える歯は硬く食いしばられていた。悪夢か、それとも苦痛か――恐らく前者だろうと女性は想像し、そのまま帰途に就いた。
 その途上、廊下の角からアストライアーの病室を睨んでいた男が見えた。見るからに挙動不審な痩せぎすの男は、女性の存在に気が付くと、廊下の向こうへと消えて行った。
 アストライアーをストーキングしていた、過剰思考を有するファンか、あるいは彼女の命を狙う者か何かだと女性は思った。しかし、分かっていても彼女にはそれを止める事は出来なかった。既に男を見失っている上、パートナーからの呼び出しもあったからだ。
 相方を待たせ過ぎると気まずいものがあった。
「どれだけ危ない橋を渡ってきたのかしら、アストライアーさんは……」
 男が消えると、女性はうなされるアストライアーを一目し、早足でエレベーターの扉の向こうへと消えて行った。


 その夜、エレノアはまたもアストライアーの病室を訪ねた。
 後ろからはもう一人の来訪者も居たが、こちらはエレノアが病室に消えた後も、病室の外で待機しつづけ、室内に近付く素振りは見せなかった。
「何故だ……何故来た?」
 以前と同じく、エレノアには居て欲しくない気分を露骨に出す女戦鴉に、エレノアは意を決したように質問をぶつける。
「ねえアスおねーさん……どうしてあたしをおいだすの?」
 アストライアーは顔を俯けたまま、何も答えなかった。答えに窮しているのか、あるいはその沈黙が答えなのか。泣き出しそうな顔ではあるが、それはエレノアも同じ事だ。
「……あたしがきらいなの?」
「いや……違う……」
 瞳を潤ませるエレノアを前に、アストライアーは首を横に降る。
「もう知ってると思うが、私は……もう人間ではない…」
「だからなに?」
 エレノアがさらに女剣士へと近寄った。
「もしかしたら、私は貴女を殺してしまうかも知れないんだ……」
 深刻な表情のアストライアー。だがエレノアは笑みを浮かべ、アストライアーをじろじろと見ているのみ。まるで「そんな事言わないであたしと一緒に遊ぼうよ」とでも目で訴えている様である。先程の潤んだ瞳は何処に行ったのだろうか。
「……聞いてるのか?」
「うん、ちゃんときいているよ」
 無邪気なセリフだが、本当に話を聞いているのかとアストライアーは勘繰った。
「でもさぁ、くらいはおはなしはイヤなの。アスおねーさんのおはなしってすっごいこわいし、おはなししてるときのおかおもこわいし。あたしがおねーさんになってたら、ぜんぜんだいじょうぶになるとおもうけどね」
 そう言いながら、エレノアはアストライアーの横に回り、密着した。これがもしアニメならば「ぺたっ」と言う擬音で表現される効果音が聞こえて来そうだ。
「でも、なんであたしをおいだすの?」
 俯くアストライアーだが、エレノアは彼女の顔を覗き込んで来る。
「ねえ、おしえて?」
「……嫌だと言ったら?」
「ないちゃうよ……?」
 エレノアの瞳には涙が溜まっている。これ以上ヘタな事を口走ると、彼女の瞳からは濁流のごとく涙が溢れ出てきてしまう事だろう。
「分かった分かった、話すから泣くな。本当は話すまいと思っていたがな……」
 観念したアストライアーは重々しい口調ではあったが、言葉を続ける。
 自分とエレノアが親しくなってくるにつれ、精神に異常を来たしてエレノアを傷つけるかも知れないと不安になる事と、その様な悪夢に度々うなされる事。
 同時に、自身が何故こうなってしまったかも話した。
 レイヴンにはなったものの、幾度と無く依頼で撃破され続け、負傷を重ね、遂にサイボーグにならなければ生きられない状態にまでなった事、戦っているうちに人間性を失い、依頼主の命令一つで戦友ですら殺す様な状態になった事を。
「これが私の本性だ。私は他人を傷つけ、殺すことでしか意味を成さない、半ば人間を捨てた鴉だ。だから貴女が居ると……」
「でもね」
 エレノアが言葉を遮り、話しかけてきた。
「あたしのしってるアスおねーさんはそんなこわい人じゃないよ。あたしがさびしくなったときとか、いつもこうしておはなしをしてくれるし、ちゃんとごはんもつくってくれるし、そうじやおかたづけもきちんとやってくれるんだもん」
「……」
 エレノアはアストライアーの本当の素顔を、まるで自慢話をするかの様に話す。アストライアーは自分の気が付かなかった――否、冷徹な女性レイヴンとして生きて行く間に忘れていた自分の姿に、言葉を返す事が出来なかった。
「そんな人が、あたしをしなせたりなんかしない。あたしをぶったりもしない。あたしはアスおねーさんのことをそうしんじているの。ダメかなぁ?」
「いや……」
 さしものアストライアーも、ここまで言われれば否定出来なかった。最もアストライアーは、性格上それを否定する事は簡単だが、その後が厄介だろう。
 その直後、アストライアーを押し倒すかのような勢いでエレノアが抱きついて来た。苦痛が全身を駆け回ったが、女剣士は耐えた。耐えねばならないだろうと覚悟もしていた。
「アスおねーさんはあたしをケガさせたりなんかしない人なんだよ。ね?」
 エレノアがそう言い終えると、アストライアーは再び口を開いた。その顔はエレノアが何度も見て来た優しい顔だった。
「……分かった。何とかしてみる」
 ちなみにアストライアーは、この時、自分が復讐の為にレイヴンになったと言う事は言わなかった。復讐の為にレイヴンになった、と言って、嫌な顔させたくはないという配慮からだ。ただしそれは、エレノアが復讐と言う単語を知っていると前提した上での事だが。
 とは言え、エレノアの励ましで、女剣士は自分に自信が持てたような気がした。
「あ……あれ?」
 アストライアーが自信を取り戻した横で、突如、エレノアが思い出したようにズボンのポケットをまさぐり始めた。
「ない! ペンダントがないよ!!」
「ペンダント? ちょっと待て……三日月みたいな奴か?」
 ペンダントと聞いて、アストライアーはエレノアに出会ってから今日までの事を回想していた。確かアストライアーがエレノアを拾ったあの日、彼女の首には確かに三日月を思わせる形状の蒼白いペンダントが付けられていた。
「そうだよ! ……あぁどこにいっちゃったんだろ…あたしのたからものだったのに………」
「宝物?」
「あれ……あたしがうまれたときからもってたものなの!!」
 生まれた時がいつかは分からない上に、エレノアが赤子だった頃の事を知っている人間がいるのかどうかは疑問だが、それ程の間、所持してきたのだから彼女の思い入れと言うのは確かに大きいだろう。
「待ってろ、今探しに……」
 ベッドから立ち上がろうとしたアストライアーだが、すぐさま彼女の体が悲鳴を上げた。まだ、彼女の身体はまともに動けるまでには回復していなかったのだ。
「ああ、うごいちゃダメだよっておいしゃさんがいってたよ!?」
「いや……宝物だろ、だから何とか…」
 ベッドから起き上がろうとするアストライアーを、エレノアは止めようとする。エレノアはあのペンダントを諦めたかは兎も角として、アストライアーからしてみれば探してやりたかった。何しろ、生まれた時から持っていたというエレノアにとって思い入れのある品だ、思い出も相当だろう。
 家を持たない彼女にとって、あれはどれ程の物か……それを察したアストライアーとしては、失う事で彼女が嫌な顔をされるのかと思うと耐えられなかった。
 だがまだ寝たきり状態を強いられるほどの重症人の身体は、気力で支えられるような物でもなかった。アストライアーはベッドから起き上がろうとするも、結局、ベッドから転がり落ち、無様な呻き声を発して床にに転がるだけで終わった。
 その姿に、多くのレイヴンの畏怖の対象となった女剣豪の面影は見る影も無かった。BB以下、彼女に恨みを抱いている連中がこの姿を見たら、嬉々とした表情で殺しているであろう。
「だ、だいじょーぶ!?」
 アストライアーの苦悶の悲鳴と、エレノアの叫びに呼応する様にして、宿直の看護婦と医者が来た。絶対安静なのに何で動いたのかと言う、看護婦のお叱りの声とセットで。
 更にベッドから落ちた際に落ち方が悪かったのか、治りかけていたキズが再び開いてしまい、結果として彼女の退院は少し伸びる事となってしまった。
 そして周囲の患者や病室も、アストライアーに何があったのかと、しばし騒然となったと言う。
 それだけに、誰も気付かなかった。昼間にアストライアーの病室を見詰めていた痩せぎすの男が、逃げる様にエレベーターに乗り込んで行った事を。


 一連の出来事が嵐の如く過ぎ去ったその晩、アストライアーは再び夢を見た。
 視線の先に居るのは、肌が銀色の自分。
 肌が銀色のアストライアーは、以前と同様、自分に顔を向けたまま、己のACを操って無差別殺戮を行っている。今まで、彼女が幾度も目にした、あの悪夢での光景である。
「これが貴女の選択した道。貴女は生きる為に破壊し、殺さなければならない世界に足を踏み入れた」
 そして最早彼女にとって慣れっことなったセリフ。直後に機械化していく銀色の彼女。
「貴女もいずれこうなる…私と同じようにな…」
 今までは、アストライアーはこの言葉にただ従い、機械のようになって行くだけだった。だが、今はアストライアーはこう答える事が出来た。
「人の運命を勝手に決めるな!」
 銀色のアストライアーが一瞬戸惑う。だがアストライアーは銀色の自分に眼線を向けながら前に回りこむと、銀色の自分の胸倉を激しく掴みかかり、強い口調で言い放った。壊れていた自分の心の中に刻まれた、あの一言を。
「私は……貴様とは違う! 私は貴様のようにはならない! そうエレノアと約束したのだからな!!」
「エレノア……?」
 銀色のアストライアーは呟くと同時に、猛烈な光を放ち始めた。アストライアーはそのあまりの眩しさに反射的に目を背ける。
「エレノア……エレノアぁぁぁぁ!!」
 発光するアストライアーは狂ったようにエレノアの名を連続で口走る。同時に、硬い果実がひび割れる様な音が響き始め、コックピット内がサウナ室の様に暑くなる。
 悲鳴と光の海の中で、銀色の自分は泣いている様に思えた。それは苦痛か、あるいは良心の呵責なのだろうか。
 だがアストライアーがそこまで疑問を抱く前に、断末魔の叫びのような声がコックピット内に迸った。同時に、発光するアストライアーは自らの体内で、激しいまでの爆発を引き起こした。
 爆発でコックピットは弾け飛び、アストライアーはコックピットの外に吹き飛ばされた。自分が今どのような状況なのか、それを察する間も無く、彼女は脳天を地面に叩きつけられた様な感覚と共に視界を消失させた。
 全く、何度こんな夢を見ればいいんだと、彼女は意識が消える前に悪態をついた。


 再び意識が戻った時、マナ=アストライアーは自分の病室のベッドの上に横たわっていた。昨晩の騒然とした空気がまるでウソの様に、病室は静まり返っている。
 閉ざされたカーテンの隙間からは人工の朝日が、優しい色合いの光を投げかけていた。
 ここは現実か、あるいは夢幻か。
 傷に軽く手を触れると、痛覚が神経を奔る。そして、痛みを確かに感じた事で、彼女は現実に引き戻された事を知った。
 悪夢を目の当たりにしながらも、アストライアーは自身が不思議と落ち着いている事を知った。今までに見られた発汗も見受けられない。
 そんな女戦鴉の目に、自分の横ですうすうと心地よい寝息を立てて眠っているエレノアの姿が映った。
 そっと囁くと、アストライアーはまだ眠っているエレノアを抱き寄せた。
「う〜〜〜ん……あ…あすおねーさんどうしたのぉ……?」
 まだ寝ぼけていた模様のエレノアだが、アストライアーにとってはそんな事などどうでも良かった。自分の悪夢を打ち砕くきっかけとなった幼女を、兎に角抱いてやりたくて仕方が無かった。
「有難う、エレノア……」
「なぁに? かんしゃ? あたしかんしゃされることしたのぉ?」
「ああ。貴女には感謝……」
 誰かの視線を感じ、アストライアーはエレノアを抱いていた腕を放し、この病室唯一の出入り口に目を向ける。見た所、痩せ型といった感じの男性が、アストライアー達の下へと歩み寄ってきた。
 見た所、白衣に身を包んだこの男に素性を問う前に、彼は軍用ナイフを握った右手を、アストライアー目掛けて伸ばした。すんでの所でアストライアーはエレノアを突き飛ばし、自身も状態を大きく捻り、ナイフの刃から逃れた。銀色の刀身はベッドのシーツを切り裂いた。
「貴様、何の真似だ!」
「このままショバに出て貰っては彼の為にならん、此処で死んで貰う」
 また意趣返しかと思ったが、「彼」と言う三人称が出てきた事から、男は自分の抹殺を依頼された暗殺者か何かだろうか。彼とは誰だと疑問を吐き出す前に、女戦鴉は目前の男の正体を分析していた。
「ダメ! やめて! アスおねーさんをいじめるなぁ!!」
「何だ、このガキ!」
 果敢に男を止めに掛かるエレノアだが、抵抗虚しく男にあっさりと突き飛ばされる。
 エレノアの小さな体が病室の壁に叩き付けられる様子を目にして、アストライアーは怒りに満ちた咆哮にも似た吼え声を発し、エレノアを助けようと、まだ骨格の繋がらない手足を緩慢に動かす。だが、まだ病み上がりの身体が動いた所で結果は明らか。それを自分で分かっているが故に、彼女の胸中では余計に憤怒と憎悪の焔が渦巻いていた。
 身動きもままならぬ体に、男は死の一撃を突き立てようと迫る。
 だがナイフを振り上げた直後、男は背後からの膝蹴りで脳天を一撃され、第三者の体重を乗せたまま床へと叩き付けられた。立ち上がる事も許さず、二度、三度と足技が叩き込まれ、男は昏倒。病室の床に長々と伸びた。
「貴女……は?」
 自ら叩きのめした男が動きを止めた事を確認し、女性はアストライアーに向き直った。
 ウエストまで届く程の、緑がかった流れるような黒い髪。空色の瞳。男性並みに高い身長。道行く人が振り返るような美しいスタイルをした、とても男を一人で叩きのめせる様には思い難い女性である。
 優しい微笑が宿っていたその顔立ちは、昨日、自分の相談に乗ってくれた女性のものである事は、エレノアには分かった。
「ん……あ…なおみおねえさん? どおしたの?」
 顔をしかめながらも、エレノアはその女性の名を口にした。現時点で室内に居る者の中で、彼女の名前を知っているのは、昨日彼女と話をしたエレノアだけである。
「貴様……まさかあの時の……」
 エレノアは別に名を知った所でどうにかなるものではなかったが、しかしその名を耳にしたアストライアーの脳裏には、アキラに撃破され、生死を彷徨う事になったあの日の記憶が蘇った。あの時、撃破目標だった彼と行動を共にし、自分を追い込んだ女性――直美の事も。
「いかにも」
 女性はそれを微笑と共に肯定した。
「何をしに来た? 私を軽蔑しに来たのか? だったら好きに愚痴でも文句でも吐くが良い。誹謗中傷されるのはもう慣れている」
「他人を罵っても面白くないわ。それより、わたしはあなたの横にいる子に用があるの」
 直美はアストライアーを一蹴すると、ベッドまで歩み寄った。直後、胸のポケットから、蒼い三日月状のペンダントを取り出す。昨日、エレノアがこの病院の屋上で落として行ったペンダントであった。
「はい。昨日落として行った物だよね?」
「あ…それあたしのペンダント……みつけてくれたんだ…」
 緊張感漂うアストライアーの傍らで、エレノアは落としたペンダントを直美の手から拾い上げる。
「なおみおねえさんありがとう。ペンダントみつけてくれて」
「どういたしまして。でも落とさないようにちゃんと首に掛けなさいね」
 微笑みながらエレノアに話しかける直美。その声は以前耳にした声とは全く違う印象の、まるで母親が娘をあやす様な優しい声だった。レイヴンとしては全く以って似つかわしくないが、女性としては非常に印象深い声である。
「……それじゃ、お姉さんは帰るね」
 エレノアに別れを告げ、直美は病室から立ち去ろうとするが、思い出した様にふと足を止めた。
「……どうした? 何かあるのか?」
「あなたに言い忘れていた事が」
 青い瞳に映る直美の顔は微笑んでいた。男も女も関係なく惑わす妖女とも、生ある存在を見守る天使や女神とも取れる、非常に穏やかな笑みであった。
「……エレノアちゃんを大事にしてね」
 エレノアの名を何処で知ったのかと、アストライアーは早くも疑いに掛かった。エレノアが屋上で直美と出会っていた事を、彼女は知らなかったのだ。
 だが何れにせよ、アストライアーの意は明らかだった。復讐の事は関係ないと言えば嘘になるが、しかしエレノアは、たとえ慢心相違の身体に代えても守る。守り通してやると彼女は決意を新たにしていた。
 一方の直美もそれを察してか、アストライアーの瞳に、通信モニターや写真等で目にした彼女の瞳に宿っている金属的な輝きとは、どこか違う輝きを見て取った。
「素敵な瞳ね」
 再び微笑が浮かぶ。
「それじゃ、縁があったらまた会いましょう」
 直美は踵を返すと、アストライアー達の前から消える様にして立ち去った。入れ替わりで警備員や周囲の人間が集まり出し、やがて警察が駆け付けると、周囲は昨晩と同様に騒然となった。


 この日以来、自分の暗黒面が消えた様な気がしたのか、以前の落ち着きを取り戻したアストライアーは、エレノアを拒む事はなくなり、二人の関係は再び和やかなものに戻って行くのであった。
14/10/16 12:33更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 今回はエレノアたん(「たん」はやめろ)と生還したアストライアーがより親密になるというお話であります。
 今回初登場したテラの口調がやけに落ち着いているな、とお思いの方もいるでしょうが、あれはプロフィールの「射撃に絶対の自信がある」とあった為、落ち着いた物腰の奥に自信をみなぎらせている風にしたかった為こうなりました。
 劇中(もとい悪夢の中)、アストライアーが擬人化ACになっているのは数年前に結構見られた、絵版での擬人化ACを見て思いついたネタです。でも実際は「人ならざるもの」を、あれで端的に演出したりしますが……。
 更に言えば、非現実的な状態では感覚とかそういうものは多少ぼかしたと言うか、あまり意識した描写はしていません。
 と言うか、その辺はあまり意識していなかったりします。
 私も交通事故やキノコ中毒で入院する機会はあったのですが、その時意識不明になった経験がないので、アス姐のような超現実的・不可思議状態を体験した事がないので、その辺は推測に頼るしかないのです。
 その為、そのあたりを書くのは非常に困難なのです(汗)。

 タイトルは「入院している為レイヴンとして活動できない」「アストライアーは以前から見ている悪夢に囚われている」という、境遇を篭の中の鳥に見立てて付けています。

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まろやか投稿小説 Ver1.50