第八話「adieu」
「TYPE-HOLOFERNES、武装タイプC-21、投入します」
『了解。さっき気になったEN消費量推移の測定をお願いね』
インカムのフレキシブルアームを指先で持ち、ローゼンタールの新型標準機「TYPE-LANCEL」に搭乗するテストパイロット―マリア・シャリティに指示を送る。
クレアがオーメル・サイエンスのネクスト研究施設で働くようになってから早くも一年になろうとしていた。
医務室のベッドで目覚めてからというもの、マリアから受けた愛情に応えるかのようにクレアは貪欲とも揶揄できるほど知識を欲し、技術を欲し、経験を欲し、今ではネクストの実戦機動テストの観測官――通常、一年近くの勤務経験で務まるポストではない――まで任されるようになっていた。
恩人であり第二の母でもあるマリアの側で彼女を助けることが出来る今の状況はクレアにとって今最大の幸福である。
モニターに映る騎士のようなフォルムのネクストを見、コンソールに表示される計測データを処理しながらクレアは微かに頬を緩ませていた。
「―身体機能開発研究棟…ですか?」
休憩中、施設のカフェテリアで昼食を摂っていたクレアが有機プラスチック製のフォークを置き、顔を上げた。
「ええ、そう。私の夫…んー、もといアルバート施設主任からそう言うお達しがあってね」
紙コップに入ったコーヒーを啜り、クレアの向かい側に座っているマリアは優しい表情のまま頷いた。
身体機能開発研究棟は、クレア達が働いているネクスト総合研究棟と遠く離れたオーメル・サイエンスがリンクスの養成プログラムの実施、及び身体機能、DNAなど「生物」としてのリンクスを研究している研究棟のひとつである。
既にリンクスとして職業的な活動を行っているマリアとの関連性はあまり思い当たらない。
その珍しい――クレアからすれば不自然――な要請を聞かされ、クレアは不思議そうな表情をしてマリアを見つめた。
「というわけで、しばらく機体の調整は他の人に任せることになるの。「ノブリス・オブリージュ」も今は長期任務で他の施設へ移っているしね」
「そうですか…」
「どうしたの、そんな暗い顔して?すぐ戻ってくると思うから心配しないで」
マリアはそう言ってクレアに微笑みかけると済んだ昼食のプレートを持ち、席を離れた。
彼女はいつもの通り明るく柔らかく振舞い、心配するなと笑っている。
だが、どうしても言い得ぬ不安を払拭できない。
小さくなっていくマリアの背中を見つめながらクレアは胸の動悸を抑えることが出来なかった。
――数ヵ月後。不安は的中してしまった。
「く、クレアさっ…!」
一時的にネクスト総合研究棟に戻ってきたマリアと再会したクレアは絶句した。
マリアが元の彼女とはあまりにもかけ離れた姿に成り果ててしまっていたからだった。
「…クレアちゃん、久しぶり」
クレアはそういって微笑むが、彼女からかつての明るさに満ち溢れたエネルギーは感じられない。
華奢だった体はさらに細くなり、白雪のような白だった肌も今は死人のような白へ変貌し、姿勢は明らかに安定を保っていられなかった。
「どっ、どど、どうしたんですか!?いったい向こうで何を…!」
「ちょこっと…検査とかそういうのが続いてるだけよ。心配しないで」
気丈に振舞っているのだろうが、か細い声からは明らかに疲労の色が滲んでいる。
これで心配するなといわれるほうが無理である。当然クレアも仕事中である立場を忘れて動揺していた。
「おかしいですよ!検査って言ったって…マリアさんで行う必要性すら…!主任はいったい何を考えているんですか!?このままじゃ―」
マリアの夫である施設主任のことを話しに出すと、彼女は今にも折れそうな手でクレアの発言を制止した。
「―マリア、さん…?」
「大丈夫よ…あの人のことだから、何かあるんでしょう。なら、私はそれに応えるだけよ」
微笑んだ。
怖かった。
優しい微笑のはずなのに、大好きな人の微笑なのに、
素直に、受け止めることが出来なかった。
それから、もうクレアは彼女にかける言葉を失っていた。
担当者に連れられて去っていくマリアの背中は、元の彼女と最期に話したあの時の背中よりも小さいものだった。
―それを最期に、彼女はもう帰ってこなかった。
人生の経験の中で最も悪い、嘘のようなその報せを聞いてクレアは、気持ちの整理が出来ないまま病室へと早足で向かっていた。
大好きだった人が眠る病室が近づく。いったい、どんな顔をして会えばいいのだろう。
ふと、俯き気味だった顔を上げると目的の病室が見えてきた。
急に唇が震え始める。動悸が激しくなっていく。
なんとか自分を抑えつけようと試みると同時に、眼が病室へと足を運ぶ人影を視界の端に捉えた。
見覚えのある二人の少女、その後ろからついてく女性が一人。
彼女たちは沈痛な面持ちで病室へと入っていった。
真紅の髪の少女と大好きだったあの人と同じ群青の髪の少女。
クレアの脳内では大好きだった人の微笑みが蘇っていた。
その人は、幸せそうな声で話しながら写真立ての中の少女二人を指差している。
(最近は会えていないけど……私の大切な宝物たちよ。ふふ、可愛いでしょう?)
視界が潤んだ。
耐えられなくなって、病室にたどり着く前に崩れ落ちた。
「……マリアさん……貴女の笑顔が…見たい…。もう一度…優しく微笑む貴女と…また…!」
その願いは適う事無く、リンクス、マリア・シャリティは静かに旅立った。
『了解。さっき気になったEN消費量推移の測定をお願いね』
インカムのフレキシブルアームを指先で持ち、ローゼンタールの新型標準機「TYPE-LANCEL」に搭乗するテストパイロット―マリア・シャリティに指示を送る。
クレアがオーメル・サイエンスのネクスト研究施設で働くようになってから早くも一年になろうとしていた。
医務室のベッドで目覚めてからというもの、マリアから受けた愛情に応えるかのようにクレアは貪欲とも揶揄できるほど知識を欲し、技術を欲し、経験を欲し、今ではネクストの実戦機動テストの観測官――通常、一年近くの勤務経験で務まるポストではない――まで任されるようになっていた。
恩人であり第二の母でもあるマリアの側で彼女を助けることが出来る今の状況はクレアにとって今最大の幸福である。
モニターに映る騎士のようなフォルムのネクストを見、コンソールに表示される計測データを処理しながらクレアは微かに頬を緩ませていた。
「―身体機能開発研究棟…ですか?」
休憩中、施設のカフェテリアで昼食を摂っていたクレアが有機プラスチック製のフォークを置き、顔を上げた。
「ええ、そう。私の夫…んー、もといアルバート施設主任からそう言うお達しがあってね」
紙コップに入ったコーヒーを啜り、クレアの向かい側に座っているマリアは優しい表情のまま頷いた。
身体機能開発研究棟は、クレア達が働いているネクスト総合研究棟と遠く離れたオーメル・サイエンスがリンクスの養成プログラムの実施、及び身体機能、DNAなど「生物」としてのリンクスを研究している研究棟のひとつである。
既にリンクスとして職業的な活動を行っているマリアとの関連性はあまり思い当たらない。
その珍しい――クレアからすれば不自然――な要請を聞かされ、クレアは不思議そうな表情をしてマリアを見つめた。
「というわけで、しばらく機体の調整は他の人に任せることになるの。「ノブリス・オブリージュ」も今は長期任務で他の施設へ移っているしね」
「そうですか…」
「どうしたの、そんな暗い顔して?すぐ戻ってくると思うから心配しないで」
マリアはそう言ってクレアに微笑みかけると済んだ昼食のプレートを持ち、席を離れた。
彼女はいつもの通り明るく柔らかく振舞い、心配するなと笑っている。
だが、どうしても言い得ぬ不安を払拭できない。
小さくなっていくマリアの背中を見つめながらクレアは胸の動悸を抑えることが出来なかった。
――数ヵ月後。不安は的中してしまった。
「く、クレアさっ…!」
一時的にネクスト総合研究棟に戻ってきたマリアと再会したクレアは絶句した。
マリアが元の彼女とはあまりにもかけ離れた姿に成り果ててしまっていたからだった。
「…クレアちゃん、久しぶり」
クレアはそういって微笑むが、彼女からかつての明るさに満ち溢れたエネルギーは感じられない。
華奢だった体はさらに細くなり、白雪のような白だった肌も今は死人のような白へ変貌し、姿勢は明らかに安定を保っていられなかった。
「どっ、どど、どうしたんですか!?いったい向こうで何を…!」
「ちょこっと…検査とかそういうのが続いてるだけよ。心配しないで」
気丈に振舞っているのだろうが、か細い声からは明らかに疲労の色が滲んでいる。
これで心配するなといわれるほうが無理である。当然クレアも仕事中である立場を忘れて動揺していた。
「おかしいですよ!検査って言ったって…マリアさんで行う必要性すら…!主任はいったい何を考えているんですか!?このままじゃ―」
マリアの夫である施設主任のことを話しに出すと、彼女は今にも折れそうな手でクレアの発言を制止した。
「―マリア、さん…?」
「大丈夫よ…あの人のことだから、何かあるんでしょう。なら、私はそれに応えるだけよ」
微笑んだ。
怖かった。
優しい微笑のはずなのに、大好きな人の微笑なのに、
素直に、受け止めることが出来なかった。
それから、もうクレアは彼女にかける言葉を失っていた。
担当者に連れられて去っていくマリアの背中は、元の彼女と最期に話したあの時の背中よりも小さいものだった。
―それを最期に、彼女はもう帰ってこなかった。
人生の経験の中で最も悪い、嘘のようなその報せを聞いてクレアは、気持ちの整理が出来ないまま病室へと早足で向かっていた。
大好きだった人が眠る病室が近づく。いったい、どんな顔をして会えばいいのだろう。
ふと、俯き気味だった顔を上げると目的の病室が見えてきた。
急に唇が震え始める。動悸が激しくなっていく。
なんとか自分を抑えつけようと試みると同時に、眼が病室へと足を運ぶ人影を視界の端に捉えた。
見覚えのある二人の少女、その後ろからついてく女性が一人。
彼女たちは沈痛な面持ちで病室へと入っていった。
真紅の髪の少女と大好きだったあの人と同じ群青の髪の少女。
クレアの脳内では大好きだった人の微笑みが蘇っていた。
その人は、幸せそうな声で話しながら写真立ての中の少女二人を指差している。
(最近は会えていないけど……私の大切な宝物たちよ。ふふ、可愛いでしょう?)
視界が潤んだ。
耐えられなくなって、病室にたどり着く前に崩れ落ちた。
「……マリアさん……貴女の笑顔が…見たい…。もう一度…優しく微笑む貴女と…また…!」
その願いは適う事無く、リンクス、マリア・シャリティは静かに旅立った。
10/02/27 14:10更新 / セーフティハマー