#18.逃走
「“標的”を殺すのに力を貸して欲しい」
そのようなメールがアストライアーに届いたのは、レヒト研究所の攻防戦から1週間が経過した5月4日の深夜だった。
差出人は、レイヤード第4アリーナに在籍するランカーレイヴンである事を文面で名乗っており、自らを「オヴィラプトル」と称していた。
メールの文面の内容は、あるレイヴンの抹殺を依頼するものであったが、それにコーテックス名義の書名は無かった。つまり、これはコーテックスを介さない私用メール、つまり非正規の依頼と言う事になる。最も、アリーナの権力闘争に端を発する暗殺の類は、総じて闇に葬られ、極秘のうちに処理されるのが常だが。
その依頼文によれば、目標のACはレイヤード第4アリーナのトップランカークラスの腕を持つレイヴン「コルブランド」で、相手が相手だけにクライアント一人では到底太刀打ち出来ないとの事で、予てより腕利きとして知られていたアストライアーに、是非協力して欲しいと言う内容だった。
しかし、当のアストライアーはと言うと、
「この“標的”とやら……まさか私ではあるまいな?」
そう、疑問を抱き続けていた。
アストライアーに対し「名剣士」やら「女剣豪」、果ては「剣の天才」と言った賞賛の言葉も付け加えての依頼だが、当の女剣士にとってはきな臭さも甚だしいメールであった。
そもそもレイヤード第3アリーナと言う所属の違いこそ有れど、彼女は同業者間では危険人物か厄介者扱いされるのが常、肯定的な視線を向ける同業者ははっきり言って少ない。テラやストリートエネミーの様な顔見知り、エースやワルキューレの様な人格者ならば兎も角、それ以外のレイヴンから賞賛されるような存在ではない事を、彼女は肌で感じるまでもなく自覚していた。
加えて、第4アリーナのトップランカークラスレイヴンをわざわざ謀殺する理由が分からなかった。少なくても、メールの文面からはそれを察する事が出来ない。何故彼を狙っているか、その動機の一つや二つぐらい書き連ねても罰は当るまい。
そればかりか、コルブランドをどうやって襲撃するかすら記述されていない。記述されているのは現地集合と言うことだけだった。
加えてその「現地」と言うのが、レイヤード第1層自然区のアヴァロンヒルに指定されていた。アストライアーが知る限り、アヴァロンヒルは残骸が転がるだけの殺風景な荒野である。
兎に角、第4アリーナの上位ランカーを謀殺するには情報量が足りない。アストライアーにとってはそう感じられた。故に、自分を謀殺する為に誘き出そうとしているのだと認識した。殺す為に誘き出すと言うのなら、余計な情報を書き連ねる理由はない。
本来なら、依頼人に余計な詮索を抱かないアストライアーだったが、同業者絡みでは自分の抹殺が背景にあって然りだと考えている。己の生存と言う観点から、詮索を辞さないのは至極当然であった。
いずれにせよ、メールが届いた翌日に、ヴィエルジュはクライアントのレイヴンと合流する為、アヴァロンヒルの丁度中央に佇む、巨大な残骸へと向けて進んでいた――謀略であろうと承知した上で。
「私を誘き出して殺す心算か……まあ大方、BBの差し金であろう事は容易に想像出来るがな」
勝利の為――即ち自分の地位を保つ為ならばいかなる手段も厭わぬあの男の事、いかなる行為をもとって然りであると、彼女は信じて疑わない。今回の依頼は、それが露骨に表れているようにも思えた。
そもそもアストライアー自身、一方的な理由で試合の出場権を停止させられる等、BBの仕業と思しき圧力をかけられた事も一度や二度ではない。
しかしアストライアーは、その程度で復讐を諦めるような女ではなかった。BBが放った刺客と思しきレイヴン達を悉く返り討ちにし、アリーナ出場権を抹消されると、今度はゲストランカーとして参戦、更には偽名を使い、搭乗機のアセンブリを変えてまで参加し、BB抹殺の機会を狙っていた事もある。
アストライアーの思考に諦めはない。アリーナに君臨する腐れた暴君にツケを支払わせるまでは、決してだ。
何度叩きのめされようが、超鋭敏な感覚器官を有する毒蛇が相手を追い詰めるかのごとく、アストライアーは憎悪と執念を以って、暴君の元へとじわじわと接近していたと感じていた。自分はその程度で折れる様な小娘ではない事を、あの慢心する男に身を以って教えてやる心算でいた。
そんな中で、女剣士の心を縛る一つの懸念があった。エレノアの、更にはスキュラの行方が妙として知れなかった事である。
スキュラは兎も角、エレノアに一体何が有っての事かは分からぬが、アストライアーからすれば、あまりにも唐突な消滅であった。当然思い当たる節はなく、部屋に鍵が掛かっていなかった事も相まって、誘拐されたのかと言う線が、彼女の中では濃厚だった。一応警察機構には通報したものの、いまだ発見には至らない。
ワルキューレのメールから、BBに拉致された可能性も否定出来なかった。
しかし、人質目当ての誘拐ならば恫喝の一つや二つがあってもおかしくない筈なのだが、現在の所、それが一切無いのはどう言う事か……それもまた、アストライアーの懸念に拍車を掛けていた。
「来てくれたようだな」
オヴィラプトルからだと分かる通信がコックピット内に響くと、アストライアーの思考は中断した。コントロールスティックを握る彼女の眼前には、依頼主のAC「エッグイーター」が佇んでいた。
愛機が輸送ヘリから切り離されると、アストライアーはクライアントのACを注視した。
エッグイーターは重量級逆間接ACで、装備はマシンガンCWG-MG-500と光波射出ブレードKLB-TLS/SOL、肩のデュアルミサイルMWM-DM24/1、エクステンションのエネルギー回復装置KEEP-MALUMと、カーキ色のカラーリングや武器を初めとした構成パーツに若干の差異こそあるが、嘗て第3アリーナに所属していたクライゼンのAC「インソムニア」と似ていた。実際、フレームは頭部MHD-MM/003、中量級コアCCM-00-STO、中量級腕部CAM-11-SOL、重量級逆間接CLB-33-NMUと、インソムニアと同一である。
クライゼンは既に落命してしまっているが、しかし彼があの時生き延びて第4アリーナに移籍・参戦していた、と思わせても不思議のないアセンブリだった。そしてオヴィラプトルのどこか辛辣な印象を感じさせる声も、どこかクライゼンを彷彿とさせ、それがアストライアーに「オヴィラプトルはクライゼンの成れの果てだろうか」と印象を抱かせた。
アヴァロンヒルに降り立ったヴィエルジュを迎えたのは、他にもいた。
中量2脚ACで、グレネードライフルとロケット、ブレードで武装した攻撃的なACがまず目に付き、程なく、その2機の近場に転がっていた、ACサイズの大型コンテナ2つに気づいた。
しかしその中でやはりアストライアーの目を引いたのが、エッグイーターの傍に佇む中量2脚AC――依頼文で抹殺する事になっているコルブランドが操る「カラドボルグ」の存在だった。戦う事はなかったアストライアーも、過去数回、その姿をテレビや紙面で見ていたから、間違いなかった。
抹殺対象と並んで立っているのはどういう事かと問う前に、グレネードライフルの銃口がヴィエルジュに向けられ、発砲。
「騙して悪いがこれも仕事なんでな」
やはり自分を最初から抹殺するつもりでいたか。アストライアーは自分の間が当たった事に、胸中で大きく頷いた。
質問を許さず、クライアントであるオヴィラプトルは通信回線の向こう側から「馬鹿な女」と罵ると、マシンガンを連射しかかった。
しかも、新たなACが放置されていたコンテナから現れ、オヴィラプトルに加勢し出した。そのうち1機は、以前トラファルガーに破れたトリパノソーマが駆るキッシングバグだと、すぐに分かった。そして、この暗殺計画の裏にある奴の名前のことも。
(BBがいよいよ私の排除に本腰を入れて来た、と言う事か……)
だが、元より覚悟の上だった。第4アリーナのランカーと結託しようがどうしようが、元から事情を察していた彼女は、動揺することなく敵機から距離を離した――緑色の重装型4脚ACがコンテナから現れ、それが下半身が4匹の犬となった女の怪物を描いたエンブレムを有していた事に気付くまでは。
「……スキュラ?」
見慣れた顔が通信モニターに浮かび上がる。頬の辺りで切り揃えられた黒いショートヘア、黒い瞳、整った顔立ち、銀縁の眼鏡を持つ、女剣士にとって無二の友と呼べる存在が。
「済まない、私もこうしなければ……」
申し訳ない、と言った表情を浮かべると、スキュラもヴィエルジュを追撃する一団に加わり、チェインガンを連射しかかる。馬鹿な、一体何故――その理由を考える前に、体を内から焼き焦がす様な激しい憎悪が全神経を駆け上ってくる。
「この……裏切り者ぉぉぉぉぉッ!!」
心底からの激怒を発し、アストライアーは荒々しくブーストペダルを踏み込んだ。均整の取れた顔を地獄の遣いの如く醜く歪ませ、剥き出しにした歯を軋ませながら、コンデンサの持つ限りブーストダッシュを続け、逃亡を図る。
しかしキッシングバグはロケットでヴィエルジュを狙う上、エッグイーターとコルブランド、そして嘗ての友が操る重量級4脚までが追撃して来ている。
4機のACから同時に攻撃されれば、ヴィエルジュの薄っぺらな装甲などあっと言う間に破砕される。戦いを挑んだ所で、敵ACの1機を両断してやるのが精一杯。以前のレヒト研究所でファイアーパロットが曝した醜態を思い出し、怒りを強引に押さえつけながら逃避行を続けた。
カラドボルグとエッグイーター、更にはキッシングバグが追走するが、キッシングバグ以外はその重装備が災いしてか、OBを用いてまで追撃するも、身軽なヴィエルジュとの距離は離れるばかり。キッシングバグはなおもしつこく食い下がってくるが、アストライアーは無視した。スモールロケットを連打されたが、これも機体を左右に振る事で難無く回避してみせる。
まだだ、もっと距離を離してからだ――アストライアーが小さく呟いた刹那、収束された赤いエネルギー弾がヴィエルジュの右手を掠めて飛び去った。
いつしか自分を追撃しているレイヴン4人に加え、全く新手のACが前方より現れていた。曲線的なフレームを持つ、灰色の重量級逆間接ACで、2問のパルスキャノンに、プラズマライフル、光波射出型ブレードと言ったエネルギー兵器で完全装備し、エンブレムには金塊を咥えたアヒルが描かれていた。
新手のレイヴンは、ダックスと呼ばれる男だった。
金にがめつい、と言うよりは金銭に異常な執着心を持つ事で知られるこの男は、儲け話にも目が無く、これまでに幾つもの職業を転々としてきた経歴を持つ。レイヴンとなった後も、依頼を選ぶ基準は、もっぱら報酬の額のみである。
これらの点はストリートエネミーと通じる点があるが、彼は弾薬費のかかる実弾兵器を一切使用せず、また修理費を抑えるためか、防御重視の戦いでダメージを最小限に押さえた戦い方を見せている。実力こそ伴わないものの、姑息な奴だとアストライアーは見ていた。
そんな金の亡者が、自分の命を狙って此処に現れた――アストライアーはその理由も察した。
BBは8年間に渡ってアリーナに君臨し続けた偉大なボスであり、その間に得た金も当然莫大なものになる。その資金力を持ってすれば、あのようなレイヴンの数名など、あっさりと傘下に引き込む事が出来る筈だ。もしかしたら小規模な企業ぐらいは買収しているだろうし、またアリーナ運営局とも癒着しているのかも知れない。それ程の存在だ。
そうでなかったとしても、ダックスはアストライアーの首に掛けられた賞金を狙って来た事は容易に察しがつく。何しろ彼は儲け話に目のない男なのだ。
だがアストライアーは、ダックスが操る「インゴット」を無視し、オーバードブーストで側面を突っ切った。再び繰り出されたプラズマがコア後方を掠めるのも無視した。
今の彼女には、斬りかかる心算はなかった。孤立無援の状態では、一太刀で相手を葬り得る刃を手にしようと、所詮多勢に無勢、数の暴力には敵わない。
それに、敵機のアセンブリもバラバラで、またレイヴン同士の連携が取れているのかと言われると大いに疑問が残った。叩くとすれば、孤立させて1機ずつ叩くべきだった。1対1の戦いに持ち込む事が出来れば、いかに攻撃手段の乏しいヴィエルジュと言えど、勝機はある。
しかし、結局の所、アストライアーには逃げる以外の選択肢はなかった。友の裏切りや敵の嘲笑に心を痛めつけられながらも、アストライアーは持てる限りの速力を搾り出し、ひたすらに逃げた。
背後には、ロケットを連打しつつ迫るキッシングバグの機影があった。
OBで疾走して行く間に、残骸や屍が転がる荒涼とした大地は赤茶けたのっぺりとした大地に変貌し、シミュレーターの背景の如く後方へと流れ去っていく。
全く変わらないのは、背後に迫りつつあるキッシングバグの、毒々しい姿だけだった。他の4機は、既にレーダー範囲外から消えていると見え、ヴィエルジュのレーダー・グリッド上に、赤い点は一つしか確認できなかった。
此処なら良いだろうと、アストライアーはヴィエルジュを急旋回させた。そして、再びOBを起動させる。
「まずは貴様からだ」
アストライアーの殺意を察してか、キッシングバグはショットガンを発砲。アストライアーも数十分の一秒送れ、同型のショットガンを発砲する。
トリパノソーマが再びショットガンを繰り出そうとした時、ヴィエルジュのOBが咆哮、8発の散弾は虚しく空を裂いた。
相手もインファイト仕様だが、MLM-MX/066とCLM-03-SRVTの重量差とブースター出力の差ゆえ、機動性ではヴィエルジュが勝っていた。キッシングバグも即座にターンブースターで旋回し、側面を取られまいとするが、ヴィエルジュはそれを凌駕する旋回速度で、たちまち背後を取る。
あとは、背後から一方的に切り刻むのみだった。
悪く思うな――アストライアーが止めを繰り出そうとした時だった。
「どけ、バカ野郎!」
罵声と共に、通信モニターが中年の男性を、レーダー・グリッドが新たなACの反応を表示した。だが、容姿、レーダーに現れた方向などあらゆる点において、彼は先程の敵機と、その搭乗者とは一致しない。アセンブリも然りで、明らかに相手はキッシングバグと同型の2脚ACではなかった。
ただアストライアーには、彼がレイヤード第3アリーナに所属する「ハードエッジ」だと、すぐに分かった。テクニックは確かだが数々の不運によって勝利を逃し、それに伴う機体強化不足に喘いでいる、典型的な赤貧レイヴンとして知られている男だった。
「お前も死にたくなかったら早く逃げろ!!」
そのハードエッジが、眉間に皺を寄せ、目を見開き、息を荒げて叫んでいる。恐怖の表情が浮んだ顔面からは血の気が引いていた。
何に脅えているのか聞こうとしたアストライアーだったが、再びキッシングバグがショットガンを発砲した為、またも背後に回るため、神経を傾けなければならなかった。その間に、ハードエッジは搭乗機ACリバイバルのOBを起動、風を食らったかのように何処へと逃亡した。
ちょうどその時、アストライアーとトリパノソーマは、揃って戦闘行動を停止、リバイバルが現れた方角へと視線を転じた。その途端、アストライアーは呟いた――あれは何だ、と。
アヴァロンヒル上空に広がる厚い雲を引き裂いて、創世の神話に登場する巨人、または天使の如き物体が姿を現した。荘厳であると同時に、無骨で慄然とした姿をしたそれが、ヴィエルジュを察知したのだろう、圧し掛かるようにして迫ってくる。
巨体がヴィエルジュに迫るに連れ、表面が無骨な鉄の塊だと認知出来るに及び、アストライアーの恐怖心はすぐに消えた。所詮、人が作りしものだったのかと。
だが、巨大機械が翼の先端部から夥しい数のミサイルを発射し出したに及び、アストライアーの余裕は即時霧散した。キッシングバグ共々デコイを射出し、ミサイルの大半を無力化したが、3発はデコイを無視してヴィエルジュに向かった。だが、幸運にもその全てが叩き落とされた。
だが、アストライアーには己の強運に安堵する暇などない。
高機動性を誇るヴィエルジュにとって、ミサイルの一発や二発はさしたる障害ではないが、デコイが尽きた状況で20本近いミサイルを繰り出されればひとたまりもない。そう察し、アストライアーは微かな戦慄を覚えた。
追っ手達もまた、巨大な機械を視認するに及び、一様にしてその動きを止めた。
ヴィエルジュとキッシングバグは戦闘行動の一切を停止、180度旋回した後、再びOBを起動した。僅かに遅れ、他の追っ手もその巨大な姿を目撃してか、やはり転進し、急ぎ逃げ出し始めた。この巨大兵器に戦いを挑んでも勝ち目はない事を、彼等は本能的に悟ったのだ。
最早、アストライアーやらBBやらについてどうこう言っている場合ではない。望みは逃げる事のみにあった。だが、荒涼としたアヴァロンヒルに広がるのは残骸だけで、隠れられるような場所は殆どなかった。
遥か前方に卓上台地が見えてきたが、これで巨大兵器の攻撃をやり過ごせるかと言われると怪しかった。真上に定位された挙句にミサイルを撃たれないとも限らないからだ。
いち早く巨大兵器から逃れようと、ヴィエルジュは追っ手の前方に降り立つと、再びブーストをフル回転させる。追っ手の存在は、既に彼女の眼中にはなかった。
「こうなったら囮で時間を稼ぐしかないな」
「囮? そんなモン何処にあるんだよ!?」
「何、囮が無ければ作ればいいさ」
オヴィラプトルの一言に遅れ、カラドボルグはグレネードライフルを発射した。榴弾は前方に躍り出ていたヴィエルジュの脚部に着弾、装甲を大きく抉った挙句に間接部を損傷させた。
ただ砲撃される程度ならば、ヴィエルジュも回避出来ただろうが、しかし逃げる事に意識を傾けていたが為に、回避のタイミングを逃してしまった。続けて放たれた第2射撃はコア後方を捉え、OBハッチとブースターを破壊した。
「くそ、この下衆が!!」
憎悪に駆られ、アストライアーは叫んだ。しかし、オヴィラプトル達は次々にヴィエルジュを追い抜くと、脇目も振らずに逃げていく。
デルタですら、ヴィエルジュに脇目も振らずに逃げていった。
アストライアーはディスプレイを叩いた。
オヴィラプトルの仕打ちに対する怒りもそうだが、なによりもスキュラに裏切られた挙句、見捨てられた事への、やり場のない怒りからだった。
隙を見せれば裏切られるのがレイヴンの常であり、その立場にある自分が隙を見せる事に非がある――それは頭では分かっていたが、スキュラを唯一絶対の信頼を置くべき友とみなし、依頼をこなして来た彼女の中の何かが、それを認めようとはしなかったのだ。
同時に、何故彼女が自分を裏切って見捨てたのか、疑問は尽きなかった。否、自分の生存と言う見地では、自分を捨ててでも逃げ延びる事は間違ってはいないだろうし、アストライアー自身もそれを行う自信もあった。
だがアストライアーは、何時までも余計な感情に駆られている場合ではないと、即座に我に返った。この間にも、巨大兵器はヴィエルジュとの距離を詰めていたからである。
しかもヴィエルジュを敵機と判断したのか、プラズマを放つと同時に、先程と同様にして、夥しい量のミサイルを放って来た。その数は20発はあるだろうか。何れも中型ミサイルクラスのミサイルである。
だが巨大兵器のプラズマ砲が直撃し、さらに脚部も損傷しており、今や逃げられるだけの速度も発揮出来ない。
この状況で生き延びる術は――咄嗟に、アストライアーの中に動体探知センサーの事が頭に浮んだ。あの兵器がそれを用いているとは思えないが、しかし実働部隊AC同様、あれが無人だとすれば……
手元のパッドを素早く操作し、セレクターをデコイに切り替えると、ヴィエルジュは前方にありったけのデコイを放出し、直後、全てのシステムをシャットダウンさせた。ブースターのタービン・ブレードの高速回転も、ジェネレーターも完全に停止させる。あとは相手がどう出るか、賭けに出るのみ。
すかさず、巨大兵器のミサイル群はデコイに引き寄せられる。デコイが砕け散ると、ミサイルは目標を見失って迷走、次々にヴィエルジュの目前に着弾した。次々にミサイルが着弾し、生じた爆炎が火炎の津波となってヴィエルジュに押し寄せ、包み込んだ。モニターが焔の壁で埋め尽くされた直後、爆風と衝撃波に煽られたヴィエルジュは爆風の中に倒れ込んだ。
地面に突っ伏した直後、ミサイルがプラズマかは分からないが、何かがコア後方のハッチ諸共にOB機構を叩き潰した事を、アストライアーは察知した。焼かれて機能低下し、既に砂嵐だらけになっていたレーダースクリーンは、巨大な赤い点が背後に迫りつつある事を告げていた。つまり、この巨大兵器は自分に狙いを定めているであろう事をアストライアーは理解した。
そうした外界の様子を伝えた後、システムは停止。モニターもレーダースクリーンも、精密機械交じりの黒々とした壁に変化した。外界の様子が閉ざされたアストライアーだが、背後を伝う汗と、僅かに感じる振動、そして重々しい稼働音から、目前にまで迫りつつある巨大兵器の気配は分かっている。
女戦鴉は死を覚悟した。
「畜生……殺るなら殺れ!」
こうなれば、あの裏切り者どもを、そしてBBを地獄の底から呪い殺してやると強く願いつつ、アストライアーは来るべき最期の瞬間に備え、目を閉じた。
だが、最期の時は訪れない。目を硬く閉ざし、ヘッドレストに頭を預けて死を待っているのだが、何も起こらない。
それどころか、コックピットに伝わる振動と稼働音も徐々に小さくなって行き、数度の爆発を窺わせる轟音と共に消えた。
実の所、巨大兵器は動きを止めたヴィエルジュの上空を通り過ぎると、既に前方へと逃げ去ったオヴィラプトル達を追走するべく、速度を上げたのである。爆炎に包まれたヴィエルジュからの反応がない事と、システムが停止した事、そしてジェネレーターやブースターを停止させた事でエネルギー反応が消失していた事から、既に撃破したと判断したのだ。
早い話がゴミ扱いである。
「行った、か……」
辛うじて殺されずに済んだ事をアストライアーは察したが、その胸中は晴れない。
「……こんなチャチな手に引っ掛かるものなのか?」
アストライアーがした事は、動きを止め、あたかも撃破された様に見せかけ、相手の襲撃をやり過ごす――悪く言えば「死んだふり」でしかない。他所のレイヴン達が見れば嘲笑うだろうなと考えたアストライアーだったが、しかし愛機の駆動系を壊された彼女にとっては、乾坤一擲の賭けに他ならなかった。
疑問もそこそこに、恐る恐ると言った様相でコックピットハッチをゆっくりと開きながら、外の様子を見渡す。背後にあるはずの巨大な影は前方に移動し、徐々に小さくなっていた。
その行く先では、スキュラとオヴィラプトルが決死の逃走劇を繰り広げていた。
既にインゴットとキッシングバグは破壊されていた。それも凄まじい壊され方で、叩き潰されたコアは破片となって周囲に四散し、脚部はプラズマ放射によるダメージが大きかったと見え、解けたロウソクの様な有様となっていた。
デルタはまだ辛うじて逃げ続けている事をアストライアーは見て取った。両肩のチェインガンが取り外され、両腕もコアから切り離され、地面に転がっていた。速力を上げる為にカウンターウェイトを軽減した様子が見て取れた。
だが、アストライアーが助けに入る事は出来ない。ヴィエルジュのシステムはシャットダウンされ、仮に再起動させたとしても、既に戦闘に耐え得る状態ではない。加えて、動けば自分もあの巨大兵器に探知され、その後の展開は説明不要であろう。
アストライアーは自分から動くと言う、贅沢な選択肢など既に無かったのである。今この場で出来る事と言えば、せいぜいスキュラが殺されないよう祈る事ぐらいだった。
スキュラも長くは持たないだろうかと思った直後から、アストライアーの鼓膜を聞き慣れた甲高い響きが刺激し、巨大な影が彼女の後方から前方へと飛び去った。
それがAC輸送機である事は、すぐに分かった。
厳密には、2機のAC輸送機が、並んで飛行していたのだ。ハッチを既に開放し、アストライアーの頭上をフライバイ。あれがどこのクライアントのものかは分からなかったが、あの巨大兵器を破壊する為に雇われたレイヴンのものだろうと、すぐに彼女は察した。
だがどうやってあの巨体を止めようと言うのだ――疑問が浮かぶ間に、カーゴ内からACが2機ずつ飛び出した。距離が離れていた為に細部までは分からなかったが、一方から降り立ったのは中量2脚ACが2機。一方は青く、もう一方は白かった。
もう一方の輸送機から出撃したのは、アップルボーイが操るエスペランザだと分かったが、もう一方、銀色の重量2脚が何者なのかは分からなかった。ただし、レヒト研究所で撃破されていなかったら、その後に現れたACが、アキラと行動を共にしていたシューメーカーが駆るシルバーウルフだと気付いただろう。
青いACは接地するまでもなく上昇し、左肩に担いだグレネードランチャーを発砲。銀色の重量2脚から放たれたロケットと、エスペランザの垂直発射式ミサイルもそれに続いた。
巨大兵器も即座に反撃に転じ、白いACに20発はあろうかと言うミサイルを殺到させるが、白いACはデコイを射出すると、ミサイルの弾道コースから離れた。ミサイルはデコイに突撃し破壊した後、目標を見失って迷走した。
ACが戦闘を始めた事を察すると、輸送機は全速力で離脱して行った。
現れた4機は、裏切りが日常茶飯事のレイヴン同士であるのが嘘であるかのように、統率されたような動きで巨大兵器に波状攻撃を仕掛けていく。グレネードが、ミサイルが相次いで巨体に突き刺さり、放たれたミサイルは次々にデコイで無力化された。
レイヴン達は攻撃を、人間で言うならば首に相当するであろう、巨大兵器の頭脳部位と思しき箇所に集中させていた。時折、目標に届かなかったミサイルも現れた。
アストライアーはヴィエルジュの操縦者用ハッチに身を潜め、彼等の戦いぶりを目撃していた。何者も恐れない、奢り昂る神話上の巨人が、まるで人間との知恵比べに負けて醜態を曝すかのように、巨大兵器がダメージを蓄積させていく。当初はACでは適わないと思っていたが、それにACで挑むとは、全く大した奴等が居るものだと感心させられた。
しかしアストライアーは、各所が傷付きある巨大兵器に生じた異変をすぐに察知した。彼女の見ている前で、背部パーツの一部が爆発したように火を噴き、脱落するのかと思った直後、本体からゆっくりと離れ、飛行し始めた。
そして、切り離された背部パーツはエスペランザに向けて2連装グレネードキャノンを連射。だが、事前に動きを察していたように、エスペランザはOBでグレネード砲撃から逃れていた。
オヴィラプトルは新手のACを目撃し、しばし呆然と見詰めていたが、巨大兵器が分離したのを目撃すると、さっさと逃げ去ろうとした。だが時既に遅く、子機からのグレネード一斉射撃を浴びせられたエッグイーターはハンマーに一撃された卵の様に、一瞬にしてバラバラに砕け散った。
「切り札を繰り出したと言うわけか……」
ハッチの隙間から、アストライアーは誰にも聞こえぬ呟きを発した。
瞬時にAC1機を粉砕してのけた子機は、アストライアーとその搭乗機だったものなど全く気にする様子もなく、巨大兵器本体を護るかのように、その周囲をゆっくりと旋回するように移動し始めた。
アストライアーの目にはゆっくり動いているように見えたが、彼女はそうは思っていない。鈍足に思えるのはあの巨体で、しかも距離があるからそう見えるだけであり、実際は平均的速力しかないACでは、追いかけるのに苦労するほどの速力を発揮していた。
実際、エスペランザがブーストダッシュやOBで距離を詰めようと迫るが、距離は一向に縮まらない。
追い付けないながらも、エスペランザと銀色の重量2脚は、その子機にミサイルを見舞いだした。子機とは言え巨大なそのサイズと比較すると頼りないにも程があるミサイルだったが、それでもエンジンノズルに突き刺さって行くのが視認出来た。
勿論、子機も黙って自分を傷付けさせるほど甘くはない。各所のハッチを開放すると、内部から顔を覗かせる機銃をフル回転させ、飛来するミサイルを叩き落としていく。
一方、巨大な母機は、新手――青と白のACを執拗に狙い、プラズマキャノンによる熾烈な砲火で敵機を押し潰そうと迫っている。だが2機は、何れもそれを際どい動作で次々に回避して行く。
特に蒼いACの動き方は絶妙で、放たれた大型ミサイル群の中心をOBで突っ切り、真下に潜り込むと、急上昇から斬撃を放ち離脱、と言うヒットアンドアウェイ戦法で戦い、その近距離から大型ミサイルが放たれればそれを下部を潜って誘導、身動きの取れない巨大兵器に、逆にぶつける様子まで見せ付けていた。
白いACもそれに続き、パートナーと入れ替わりで巨大兵器にブレードを見舞い、繰り出される攻撃を悉く回避していた。その動きは実に巧みで、デコイでミサイルを無力化する事は勿論、OBを用いて機体各所の迎撃機銃をライフルで潰しているのが分かった。
その機動性も高く、クレスト中量級コア装備にも拘らず、速力はヴィエルジュよりもやや遅い程度といった所であろう。だが、これはあくまでも軽量級2脚クラスのスピードを有するヴィエルジュと比較しての話であり、中量級AC全体から見ればかなり素早い部類になる。
見たところ、汎用的なミラージュ製脚部MLM-MM/ORDERで、ブースターはヴィエルジュと同型のCBT-FLEETであろうか。全く、あのようなアセンブリでよく動かせるものだと、アストライアーは感じていた。彼女の中では、あれをマトモに操れるのはエース位のものであると認識していたからだ。
しかし、それと同時に、戦う2機のアセンブリには、妙に見覚えがある様にも思えた。距離の関係でディティールがよく分からないため、確証は持てなかったが。
しかしながら、2機のACではまだ巨大兵器を葬るには絶対的に火力不足の感があった。何れ、弾切れも考慮しなければならないだろう。
「あいつ等……これからどう戦うんだ?」
アストライアーはACと巨大兵器の死闘を見届ける事に集中していた為、アヴァロンヒル南の動きに全く気が付いていなかった。
彼女の視線の外では、事の成り行きを見守るように、新手のACが横一列に整列していた。その後方では、彼等を投下した輸送機が急ぎ離脱している。だが、アストライアーの耳には届かない。銃声や砲声、爆発音に掻き消されていたからだ。
新手のACもヴィエルジュの残骸を超えて巨大兵器へと向かって行った事で、アストライアーは一瞬だが身をすくめた。ブースター内のタービン・ブレードの咆哮が耳を劈き、巨躯が飛び去る際の風圧で、ハッチが再び閉まりかかる。
戦闘不能の女剣士など気にも留めず、新手のACも巨大兵器の攻撃に加わる。その中にアストライアーは、嘗てレイヤード第3アリーナのランカーだったブレーメンが操る逆間接ACマルチボックスの機影を見出した。
ランカー同士の軋轢に遭い、逃げるようにして第1アリーナに移籍して以来音沙汰無しだったブレーメンだが、以前見た、赤やオレンジ、灰色交じりの紫と言う派手なカラーリングと、武器腕を含めた大量のミサイルを積載する逆間接ACを操る辺りからすると、どうやら一応の結果は出せているように見えた。
その隣にはアサイラムのAC・ギガンテスの姿もあった。マルチボックスがエスペランザと銀色の重量級2脚ACを支援するかのように、垂直発射式ミサイルや多弾頭ミサイルで子機を狙い撃ちしているのに続き、ギガンテスも両肩のミサイルを乱射する。子機は迎撃装置をフル回転させ、殺到するミサイル群を叩き落そうと足掻くが、ミサイルは次から次へと突き刺さっていく。
更に、ギガンテスからグレネードキャノン砲撃を受けた子機は傾ぎ、機体の到る所から夥しい量の破片をばら撒き、急激な落下を始めた。
子機はそのまま、原形を保ったまま墜落し、一切の攻撃動作を停止した。
一方の母機には、軽量級2脚と重量級2脚が支援に向かっていた。ワルキューレの搭乗機と酷似した外見とカラーリングを有する軽量2脚と、ファンファーレが生前操っていたそれと似ていなくもない漆黒の重量級2脚。そいつらはプラズマキャノンを回避しながら、背負っていたロケット砲で母機を砲撃していた。更に、以前ヴィエルジュを大破させたゲルニカも現れ、ミサイルやデコイを散布して味方機を支援する。
ダメージは目に見えて蓄積しつつあったが、まだ、母機が落ちる気配はなかった。だがそれも、エスペランザやマルチボックス、ギガンテスが攻撃に加わるまでだった。
子機を仕留めた者達はミサイルを、ギガンテスは更に両腕のグレネードキャノンも発砲する。まだ数基の迎撃機銃は生きており、迫り来るミサイルを迎撃しようとフル回転するが、白いACの銃撃によって機銃は次々に機能停止させられていく。
夥しい量のミサイルを叩き込まれ、天使の翼をイメージした装置がへし折れ、落下した。巨大兵器の表面の傷も更に増え、少なからずダメージを受けているのが分かる。その間放たれたミサイル類は、白い中量2脚や銀色の重量2脚、そしてゲルニカが放出したデコイで悉く無力化される。
迎撃機構の弱体化を察してか、すかさずAC軍団は次々に機動兵器に接近、己が持ち得る武器を傷だらけとなった機体へと一斉に見舞い出した。巨大兵器は残っている僅かな機銃とプラズマキャノンで迎え撃ったが、所詮無駄な足掻きでしかなかった。
蒼いACは高々と跳躍し、機体上部の頭部と思しき部位に狙いを定めていた。巨大兵器が蟲の大群を振りほどこうとする人間宜しく右往左往するが、その行動を阻害出来ない。
そして、グレネードランチャーの砲身を展開すると一気に急降下、砲身を突き刺すと、内部機構へと直接榴弾を叩き込んだ。頭脳部位が首ごと破壊された巨大兵器は動作が不安定となり、千鳥足になったように左右に機体をふらつかせる。
直後、残ったAC達が一斉攻撃を行うと、巨躯の到る所から煙が噴き上がり、アヴァロンヒルに向けて傾ぐ。
その一部始終をアストライアーは目撃し、機動兵器が地に堕ちながら爆発するを無言で見詰めていた。ACであれを撃破出来るとは思ってもいなかっただけに、目前の光景にしばし我が目を疑い、夢なら醒めるだろうと思った。だが、それが紛れもない現実だと分かり、彼女は腕を組むと、目前で巨大兵器を相手に健闘したAC達に頷いた。
「全く、我ながら意外と冷静だな……」
アストライアーは己の姿に気が付き、鼻の先で笑った――ただし、無表情のまま。
巨大兵器が地に平伏したのを確認すると、もう大丈夫だろうとアストライアーは判断、開かれっぱなしだったヴィエルジュのコックピットに再び潜り込むと、起動キーを挿入し、動かぬ鉄塊となっていたヴィエルジュを再び立ち上がらせた。
全く、あの2機には大した仲間が居るものだ――そんな呟きを発しながら、女剣士はヴィエルジュを起動させる。外部集音システムや通信システムも正常に機能するようになったが、同時に各種コンソールがエラー表示を繰り出し始めた。後方のブースターが潰され、OBも使用不能。ヴィエルジュの持ち前である機動性の発揮は絶望的な状況であった。肩のレーダーも破壊されている。
他にも多数の被害があるが、その何れもが、機体後方に集中していた。
新しくパーツを買い直したのにこれか……サイラスに文句を言われるなと呟くアストライアーの耳に、起動しっぱなしだった通信システムが傍受したAC群のパイロット達が発する勝利の歓声や、安堵の息が聞こえて来た。
「有難うみんな。アップルボーイも上出来だったわ」
その声にアストライアーはハッとした。レイヴンらしからぬ優しい声、純白に灰色と赤のペイント――既に脳内に記憶されていたあるACに、その情報が照合され、程なく一致した。
「直美、なのか……あいつは?」
だとすれば、あの蒼いACは、アキラ=カイドウが操るルキファーを置いて他に居ない――アストライアーは直感した。
あの男が共に行動するとしたら、以前自分に語った様に、直美以外にはありえない。少なくても、ACに搭乗している時は直美が駆るヴァージニティーの傍に、彼は常に存在していた。
何故、彼等が此処にいる――巨大兵器を連携で撃破した事に対する関心は、完全に消え去っていた。
かたや機械的で中性的な美青年、かたや長身の美女。レイヴンである事以外に共通点など何一つ無い様に見えるこの二人――アキラと直美は、ただの見掛け倒しとはいえない強靭さをみなぎらせており、今回もそれをいかんなく披露していた。自分と同じように、両者とも必要とあれば人殺しも厭わないだろう。仮に、未だに優しい笑みを浮かべていたとしても。
だが少なくても、レイヴンである事以外は全く知らない。
それどころか、別世界から迷い出したような印象は、彼等がもしかしたらレイヴンではないのではと言う印象すら与えている。
同時にアストライアーは、この両者から言い知れぬ、何かを感じていた。二人は人間、もしくはそれに起源を発する存在である事はわかっているが、それにしては明らかに異質な存在だった。それだけでもアストライアーにとっては、レイヴン界においてのイレギュラー的要素と映っていた。
それはアストライアーにとっての恐怖に近かったが、同時にささやかな好奇心も含まれていた。彼等の正体を知りたい――そんな事を問われれば、恐らく彼女が否定する事はないだろう。
そんなアストライアーがヴィエルジュを再起動させ、ブースターが使えぬまま歩み寄ろうとしている事には気にも留めず、直美とアキラは作戦領域に展開していた仲間達を引き連れてアヴァロンヒルを南下、風で舞い散る砂塵の向こうへと、その姿をくらませた。
「いったい……貴様等は何者なんだ?」
呟くアストライアーだったが、イレギュラーへの知的好奇心は辛うじて生還したデルタを見た途端に消えた。
アストライアーは辛うじて大破を免れたデルタのコックピットブロックに通じるハッチが開いている事を察し、重々しく地面を踏みしめながら、外へと這い出そうとしている親友の下へと向かった。
コックピットブロックから這い出たスキュラは、ヴィエルジュの残骸と、其処から歩み出しているアストライアーの姿に気が付いた。だが、スキュラは逃げようとも、抵抗しようともしなかった。
彼女は途方に暮れており、一切の気力が失せたその姿は、これから親友が与える裁きを受け入れようとしているようにも見えた。
言うよりも早く、アストライアーはスキュラの胸倉を掴むと、力任せに自分へと引き寄せた。
「どう言う事だ? 聞かせろ!」
眼と向かって放たれたそれは、嘗てスキュラに向けた事のない荒々しい口調だった。
スキュラはその裏には様々な混乱――自分が親友の命を狙おうとした事、エレノアがいなくなった事等の事象が絡んでいる事を察したていた。
「やはりあの下衆か!? あの下衆の差し金か!?」
無言でスキュラは頷いた。その顔には沈鬱が漂い、瞳からは知性を窺わせる輝きが消えていた。
「そうか……」
アストライアーはそれ以上、尋ねようとはしなかった。
一方のスキュラは、エレノアがいなくなった理由を知っていたが、それを言う事は出来なかった。
厳密には言うべきかどうかは考えていたのだが、言ったら最後、その時が自分の命日ともなりかねない事を危惧していたのだ。勿論、彼女に戦友との殺し合いを演じさせるように脚本を用意した存在があって。
だが、スキュラはそれを戦友に語ろうとはしなかった。仮に知らされたとして、それがアストライアーにとってプラスになるのかと言われると、必ずしもそうとは言い切れない事をスキュラは知っていたのである。
一度人間性が破綻し、今も憎悪に基づく歪な自我を有するアストライアーが、エレノアの事を知れば、激昂し、冷静な判断を欠く事は目に見えている。そうなれば撃破される可能性も高い。近接戦を主体とする彼女なら尚更だ。
長い付き合いの中で、戦友のそんな事情を察しているからこそ、スキュラは必要以上の事は口にしない方針を固めていた。
一方のアストライアーも、スキュラと敵対していた事については考えない事とした。
自分を殺す為に本腰を入れたあの男のする事、親友同士を相対させる事は想像に難くないと察していた。加えて、そんな親友もまた、BBによって自分の傘下となる事を――本人の意図は別として――余儀なくされていた。日ごろの関係があるとは言え、そんなスキュラを咎める理由はない。
とは言え、今回自分を裏切った代償は支払わせる心算だった。
「歯食いしばれ!」
アストライアーの鉄拳が、スキュラの鳩尾(みぞおち)に深々と突き刺さった。軽金属に覆われた籠手のような、文字通りの鉄拳に、強化人間のパワーが合わさった打撃は、一撃で骨を砕き、内臓を破壊しかねない強烈なものだった。
勿論、相手が友人である為、それなりに手加減はしている。だがスキュラにとってその一撃は、目を大きく見開き、驚愕と苦痛に開いた口から舌を棒状に突き出させるほどの衝撃を伴った。
スキュラがよろめくと、アストライアーは黒百合を脳天に叩き込んだ。しかし黒百合は鞘に収められたまま、所有者の戦友の頭を打ち据えるのみ。当然、流血はその一滴もない。
「貴女に免じて……殺すのは勘弁してやる。だが、暫く死んだ様な状態にはなってもらう」
体重が落下した再の風圧で砂埃を舞い上げながら、意識を失ったスキュラは地面に倒れた。黒い頭髪が花を咲かせたように地面に広がり、眼鏡が顔からずり落ちる。
戦友が倒れると、アストライアーはヴィエルジュに戻り、輸送ヘリの手配を行った。
「失敗したようだな……」
携帯端末を折りたたみ、懐にしまう巨漢の横から、見慣れた金髪碧眼の男が声をかける。男の威圧する様な視線に見抜かれ、彼はたちまち沈黙した。
「申し訳ない」
「全く、オヴィラプトルめ、あの女を動員してまで失敗するとは……口先だけの役立たずめが」
「Dランカーに任せても無駄と言う事の証明にはなった、と言うのが唯一の収穫か。第4アリーナの上位ランカーを有効活用出来なかったのだから」
二人の男からは、オヴィラプトルと、彼と共に襲撃へ向かったレイヴン達への哀悼は一切述べられなかった。
「それでだ……BB、あの女はどうする?」
自らの命を狙う女レイヴンの事を聞かれると、巨漢は溜息を漏らした。
今更ながら、BBはアストライアー抹殺の困難さを、まざまざと思い知ったのである。同時に、アキラやエースと言った厄介者がのさばっている中で、あの女にこれ以上好き勝手されると非常に面倒な事になるとも見ていた。
「……容疑でもかけて、企業の治安部隊なりシティガードなりにでも動いてもらうのか?」
「何を言う、ロイヤルミスト」
BBは男を睨みながら提案に反論した。
「何処の企業もシティガードも実働部隊でボロボロだ。此処で俺が介入した所で、期待するほどの動きは出来ん。俺に火の粉が飛んで来ないとも限らん」
シティガードを買収出来る位の資金はあるだろうとロイヤルミストは反論するが、それすらもBBは肯定的しなかった。
「アキラを止める為とは言え、余計に金をばら撒き過ぎた。ミラージュを買収して、奴をイレギュラー認定させたまでは良かったがな……」
BBの意は別として、ミラージュとしては、ユニオンと言う叛乱分子の存在がレイヤードにおいて危険な存在であると言う事は認知しており、それがアキラと言うレイヴンの力と結び付く事は、彼等にとってもレイヤードの安定、ひいては自分達の存亡に関わる事にも直結しかねなかった。
こうした背景があり、BBは、ユニオンがアキラに破壊活動でもさせる気だとミラージュに介入し、アキラをイレギュラーと認定させ、抹殺させようとした。
全てはBBの計画通りだったが、実動部隊が現れた事で、目論みは大きく狂った。
ミラージュが多大な損害を受けたばかりか、同社専属及び雇われレイヴンは実動部隊に蹴散らされた挙句、アキラに止めを刺される形で駆逐された。
BBも傘下のレイヴン達を繰り出し、偽の依頼で釣るなどして謀殺を図ったが、皮肉な事に、BBの介入でアキラは更に力を高めてしまい、遂にはアリーナでBBを、彼の差し金で乱入したAC諸共蹴落とすばかりか、真に「イレギュラー」足り得る存在となってしまったのである。
そしてアストライアーの腕もまた、既にBBにとっては警戒の対象であった。強化人間とは言え、父親に叩き込まれた彼女の技量は確かだった。以前、自分を打ち負かしたアルタイルと同等、或いはそれ以上の技量を有しているであろう事も、その戦いぶりから察する事が出来た。
以前、ガレージを襲撃した際に味わった彼女の剣戟がその根拠であった。
その女剣豪に、これ以上自分がヘタに戦力を送り込んだ所でどうなるか――首尾良く暗殺出来ればそれで良いが、アストライアーの更なる成長に繋がる可能性もあった。
「まああの小娘の性格上、アキラと結託する事は無いだろうが……それにしてもアキラを蹴落とすのに余計な力を注いだか」
「また手配するか?」
「手配だと?」
BBの眉がつり上がった。
「残っている二流・三流のクズどもを動員しろと言うのか?」
有力な駒の多くを失ったBBには、余剰戦力と言えるレイヴンはいない。要求水準を落とせばまだ何人ものレイヴンが傘下に残っているが、レイヴンランクがDやEと言った面々ばかりであり、BBの眼鏡に適うような者は見当たらない。腕利きのレイヴン達は次々に倒れ、戦闘経験の足りない奴ばかりがBB傘下に残ってしまったのだ。
資金力で新たなレイヴンを引き入れる事も不可能ではないが、これ以上の介入は逆に己の首を絞めるだけであった。流石にBB戦に限ってACが何度も乱入した来た事で、ファンも離れてしまい、更に彼の息が掛かっている運営局も、彼からの介入を受け入れる事に難色を示している。既にパンク寸前の状態であった運営局に圧力を掛ければ、資金源の破綻も有り得る。
「兎に角、まずはあの小娘だ。アキラとエース、バルバロッサよりもあの小娘の方が危険度は高い」
アストライアーとは違い、今現在BBの上にいるランカー達は、何れも自身に対する認知は希薄であることを彼は察していた。
アキラは現在、実働部隊の存在があって表立った行動は出来ず、エースとバルバロッサは互いに潰し合いを繰り広げ、ランクの入れ替わりを何度も展開している。しかし、あの三人とは違い、アストライアーの行動目的は純粋にBBへの復讐であり、これまで彼が幾度アリーナ運営局を介して圧力を掛けてもなお、岩の隙間から這い出る毒蛇の様に自分を付け狙っている。
これからバルバロッサやエース、そしてアキラを蹴落とそうと言う時に、あの小娘の存在は頭痛の種となるのは必至。近々手を打たねばなるまいが、しかし予想外の事態によって多くの手札を失っている。そうなれば、あまりやりたくはない話だが――再び自分が動かねばならないだろう事もBBは察した。
勿論、今度は好き勝手はさせない心算であり、既に彼はその為のシナリオも描いていた。
密談が続く中、BBは出入り口のドア付近に立つブロンドの女性に視線を向ける。
「ワルキューレ、あの小娘は?」
「ぐっすり寝てる」
だが今、BBにとっても有利な要素が一つあった。そして、それは今ワルキューレの手中にあり、彼の意のままに用いる事が出来る。当初は手を焼くかと危惧していたが、ワルキューレがいとも簡単に落ち着かせた事で、その心配も取り越し苦労で済んだ。
あとは、暴君が如何にして扱うかに掛かっていた。
「分かっていると思うが、あの小娘は丁重に扱え。これから必要になるからな」
ワルキューレは無表情で頷いた。無論、本人も忌み嫌っている事であるではあったが、私情は表に出さなかった。
同様にして、ロイヤルミストもまた無表情を保っていた。彼はBBからの注文に難色を示してはいたものの、ランクの安泰と引き換えに彼への絶対的忠誠を約束していた現実がある為、主君からの要望に答えるべく、注文伝票を手に部屋から退出した。
だが、部屋を出た直後から、ロイヤルミストは精神的副音声による罵詈雑言を吐き連ね出した。
「パワーに身を任せ続けた暴君である貴様が、一体何時から、そんな悩めるほど上等な脳味噌を手に入れたんだ? だが全ては遅過ぎる。奇跡でも起きない限り、貴様の様な薄汚いパワー馬鹿はもうじきお仕舞いだ。と言うか、何時から俺が貴様と運命共同体になったと思っているんだ!?
もうこの際だ。さっさとアストライアーとか言うのに斬首されてしまえ。いや、貴様が散々コケにしたアキラにやられて逝ね、この低脳のチキン野郎が」
この他にも百の悪口と千の嫌味語が脳内にて放たれたが、ロイヤルミストはそれを億尾にも出さず、注文伝票を手にエレベータへ乗り込んだ。
そのようなメールがアストライアーに届いたのは、レヒト研究所の攻防戦から1週間が経過した5月4日の深夜だった。
差出人は、レイヤード第4アリーナに在籍するランカーレイヴンである事を文面で名乗っており、自らを「オヴィラプトル」と称していた。
メールの文面の内容は、あるレイヴンの抹殺を依頼するものであったが、それにコーテックス名義の書名は無かった。つまり、これはコーテックスを介さない私用メール、つまり非正規の依頼と言う事になる。最も、アリーナの権力闘争に端を発する暗殺の類は、総じて闇に葬られ、極秘のうちに処理されるのが常だが。
その依頼文によれば、目標のACはレイヤード第4アリーナのトップランカークラスの腕を持つレイヴン「コルブランド」で、相手が相手だけにクライアント一人では到底太刀打ち出来ないとの事で、予てより腕利きとして知られていたアストライアーに、是非協力して欲しいと言う内容だった。
しかし、当のアストライアーはと言うと、
「この“標的”とやら……まさか私ではあるまいな?」
そう、疑問を抱き続けていた。
アストライアーに対し「名剣士」やら「女剣豪」、果ては「剣の天才」と言った賞賛の言葉も付け加えての依頼だが、当の女剣士にとってはきな臭さも甚だしいメールであった。
そもそもレイヤード第3アリーナと言う所属の違いこそ有れど、彼女は同業者間では危険人物か厄介者扱いされるのが常、肯定的な視線を向ける同業者ははっきり言って少ない。テラやストリートエネミーの様な顔見知り、エースやワルキューレの様な人格者ならば兎も角、それ以外のレイヴンから賞賛されるような存在ではない事を、彼女は肌で感じるまでもなく自覚していた。
加えて、第4アリーナのトップランカークラスレイヴンをわざわざ謀殺する理由が分からなかった。少なくても、メールの文面からはそれを察する事が出来ない。何故彼を狙っているか、その動機の一つや二つぐらい書き連ねても罰は当るまい。
そればかりか、コルブランドをどうやって襲撃するかすら記述されていない。記述されているのは現地集合と言うことだけだった。
加えてその「現地」と言うのが、レイヤード第1層自然区のアヴァロンヒルに指定されていた。アストライアーが知る限り、アヴァロンヒルは残骸が転がるだけの殺風景な荒野である。
兎に角、第4アリーナの上位ランカーを謀殺するには情報量が足りない。アストライアーにとってはそう感じられた。故に、自分を謀殺する為に誘き出そうとしているのだと認識した。殺す為に誘き出すと言うのなら、余計な情報を書き連ねる理由はない。
本来なら、依頼人に余計な詮索を抱かないアストライアーだったが、同業者絡みでは自分の抹殺が背景にあって然りだと考えている。己の生存と言う観点から、詮索を辞さないのは至極当然であった。
いずれにせよ、メールが届いた翌日に、ヴィエルジュはクライアントのレイヴンと合流する為、アヴァロンヒルの丁度中央に佇む、巨大な残骸へと向けて進んでいた――謀略であろうと承知した上で。
「私を誘き出して殺す心算か……まあ大方、BBの差し金であろう事は容易に想像出来るがな」
勝利の為――即ち自分の地位を保つ為ならばいかなる手段も厭わぬあの男の事、いかなる行為をもとって然りであると、彼女は信じて疑わない。今回の依頼は、それが露骨に表れているようにも思えた。
そもそもアストライアー自身、一方的な理由で試合の出場権を停止させられる等、BBの仕業と思しき圧力をかけられた事も一度や二度ではない。
しかしアストライアーは、その程度で復讐を諦めるような女ではなかった。BBが放った刺客と思しきレイヴン達を悉く返り討ちにし、アリーナ出場権を抹消されると、今度はゲストランカーとして参戦、更には偽名を使い、搭乗機のアセンブリを変えてまで参加し、BB抹殺の機会を狙っていた事もある。
アストライアーの思考に諦めはない。アリーナに君臨する腐れた暴君にツケを支払わせるまでは、決してだ。
何度叩きのめされようが、超鋭敏な感覚器官を有する毒蛇が相手を追い詰めるかのごとく、アストライアーは憎悪と執念を以って、暴君の元へとじわじわと接近していたと感じていた。自分はその程度で折れる様な小娘ではない事を、あの慢心する男に身を以って教えてやる心算でいた。
そんな中で、女剣士の心を縛る一つの懸念があった。エレノアの、更にはスキュラの行方が妙として知れなかった事である。
スキュラは兎も角、エレノアに一体何が有っての事かは分からぬが、アストライアーからすれば、あまりにも唐突な消滅であった。当然思い当たる節はなく、部屋に鍵が掛かっていなかった事も相まって、誘拐されたのかと言う線が、彼女の中では濃厚だった。一応警察機構には通報したものの、いまだ発見には至らない。
ワルキューレのメールから、BBに拉致された可能性も否定出来なかった。
しかし、人質目当ての誘拐ならば恫喝の一つや二つがあってもおかしくない筈なのだが、現在の所、それが一切無いのはどう言う事か……それもまた、アストライアーの懸念に拍車を掛けていた。
「来てくれたようだな」
オヴィラプトルからだと分かる通信がコックピット内に響くと、アストライアーの思考は中断した。コントロールスティックを握る彼女の眼前には、依頼主のAC「エッグイーター」が佇んでいた。
愛機が輸送ヘリから切り離されると、アストライアーはクライアントのACを注視した。
エッグイーターは重量級逆間接ACで、装備はマシンガンCWG-MG-500と光波射出ブレードKLB-TLS/SOL、肩のデュアルミサイルMWM-DM24/1、エクステンションのエネルギー回復装置KEEP-MALUMと、カーキ色のカラーリングや武器を初めとした構成パーツに若干の差異こそあるが、嘗て第3アリーナに所属していたクライゼンのAC「インソムニア」と似ていた。実際、フレームは頭部MHD-MM/003、中量級コアCCM-00-STO、中量級腕部CAM-11-SOL、重量級逆間接CLB-33-NMUと、インソムニアと同一である。
クライゼンは既に落命してしまっているが、しかし彼があの時生き延びて第4アリーナに移籍・参戦していた、と思わせても不思議のないアセンブリだった。そしてオヴィラプトルのどこか辛辣な印象を感じさせる声も、どこかクライゼンを彷彿とさせ、それがアストライアーに「オヴィラプトルはクライゼンの成れの果てだろうか」と印象を抱かせた。
アヴァロンヒルに降り立ったヴィエルジュを迎えたのは、他にもいた。
中量2脚ACで、グレネードライフルとロケット、ブレードで武装した攻撃的なACがまず目に付き、程なく、その2機の近場に転がっていた、ACサイズの大型コンテナ2つに気づいた。
しかしその中でやはりアストライアーの目を引いたのが、エッグイーターの傍に佇む中量2脚AC――依頼文で抹殺する事になっているコルブランドが操る「カラドボルグ」の存在だった。戦う事はなかったアストライアーも、過去数回、その姿をテレビや紙面で見ていたから、間違いなかった。
抹殺対象と並んで立っているのはどういう事かと問う前に、グレネードライフルの銃口がヴィエルジュに向けられ、発砲。
「騙して悪いがこれも仕事なんでな」
やはり自分を最初から抹殺するつもりでいたか。アストライアーは自分の間が当たった事に、胸中で大きく頷いた。
質問を許さず、クライアントであるオヴィラプトルは通信回線の向こう側から「馬鹿な女」と罵ると、マシンガンを連射しかかった。
しかも、新たなACが放置されていたコンテナから現れ、オヴィラプトルに加勢し出した。そのうち1機は、以前トラファルガーに破れたトリパノソーマが駆るキッシングバグだと、すぐに分かった。そして、この暗殺計画の裏にある奴の名前のことも。
(BBがいよいよ私の排除に本腰を入れて来た、と言う事か……)
だが、元より覚悟の上だった。第4アリーナのランカーと結託しようがどうしようが、元から事情を察していた彼女は、動揺することなく敵機から距離を離した――緑色の重装型4脚ACがコンテナから現れ、それが下半身が4匹の犬となった女の怪物を描いたエンブレムを有していた事に気付くまでは。
「……スキュラ?」
見慣れた顔が通信モニターに浮かび上がる。頬の辺りで切り揃えられた黒いショートヘア、黒い瞳、整った顔立ち、銀縁の眼鏡を持つ、女剣士にとって無二の友と呼べる存在が。
「済まない、私もこうしなければ……」
申し訳ない、と言った表情を浮かべると、スキュラもヴィエルジュを追撃する一団に加わり、チェインガンを連射しかかる。馬鹿な、一体何故――その理由を考える前に、体を内から焼き焦がす様な激しい憎悪が全神経を駆け上ってくる。
「この……裏切り者ぉぉぉぉぉッ!!」
心底からの激怒を発し、アストライアーは荒々しくブーストペダルを踏み込んだ。均整の取れた顔を地獄の遣いの如く醜く歪ませ、剥き出しにした歯を軋ませながら、コンデンサの持つ限りブーストダッシュを続け、逃亡を図る。
しかしキッシングバグはロケットでヴィエルジュを狙う上、エッグイーターとコルブランド、そして嘗ての友が操る重量級4脚までが追撃して来ている。
4機のACから同時に攻撃されれば、ヴィエルジュの薄っぺらな装甲などあっと言う間に破砕される。戦いを挑んだ所で、敵ACの1機を両断してやるのが精一杯。以前のレヒト研究所でファイアーパロットが曝した醜態を思い出し、怒りを強引に押さえつけながら逃避行を続けた。
カラドボルグとエッグイーター、更にはキッシングバグが追走するが、キッシングバグ以外はその重装備が災いしてか、OBを用いてまで追撃するも、身軽なヴィエルジュとの距離は離れるばかり。キッシングバグはなおもしつこく食い下がってくるが、アストライアーは無視した。スモールロケットを連打されたが、これも機体を左右に振る事で難無く回避してみせる。
まだだ、もっと距離を離してからだ――アストライアーが小さく呟いた刹那、収束された赤いエネルギー弾がヴィエルジュの右手を掠めて飛び去った。
いつしか自分を追撃しているレイヴン4人に加え、全く新手のACが前方より現れていた。曲線的なフレームを持つ、灰色の重量級逆間接ACで、2問のパルスキャノンに、プラズマライフル、光波射出型ブレードと言ったエネルギー兵器で完全装備し、エンブレムには金塊を咥えたアヒルが描かれていた。
新手のレイヴンは、ダックスと呼ばれる男だった。
金にがめつい、と言うよりは金銭に異常な執着心を持つ事で知られるこの男は、儲け話にも目が無く、これまでに幾つもの職業を転々としてきた経歴を持つ。レイヴンとなった後も、依頼を選ぶ基準は、もっぱら報酬の額のみである。
これらの点はストリートエネミーと通じる点があるが、彼は弾薬費のかかる実弾兵器を一切使用せず、また修理費を抑えるためか、防御重視の戦いでダメージを最小限に押さえた戦い方を見せている。実力こそ伴わないものの、姑息な奴だとアストライアーは見ていた。
そんな金の亡者が、自分の命を狙って此処に現れた――アストライアーはその理由も察した。
BBは8年間に渡ってアリーナに君臨し続けた偉大なボスであり、その間に得た金も当然莫大なものになる。その資金力を持ってすれば、あのようなレイヴンの数名など、あっさりと傘下に引き込む事が出来る筈だ。もしかしたら小規模な企業ぐらいは買収しているだろうし、またアリーナ運営局とも癒着しているのかも知れない。それ程の存在だ。
そうでなかったとしても、ダックスはアストライアーの首に掛けられた賞金を狙って来た事は容易に察しがつく。何しろ彼は儲け話に目のない男なのだ。
だがアストライアーは、ダックスが操る「インゴット」を無視し、オーバードブーストで側面を突っ切った。再び繰り出されたプラズマがコア後方を掠めるのも無視した。
今の彼女には、斬りかかる心算はなかった。孤立無援の状態では、一太刀で相手を葬り得る刃を手にしようと、所詮多勢に無勢、数の暴力には敵わない。
それに、敵機のアセンブリもバラバラで、またレイヴン同士の連携が取れているのかと言われると大いに疑問が残った。叩くとすれば、孤立させて1機ずつ叩くべきだった。1対1の戦いに持ち込む事が出来れば、いかに攻撃手段の乏しいヴィエルジュと言えど、勝機はある。
しかし、結局の所、アストライアーには逃げる以外の選択肢はなかった。友の裏切りや敵の嘲笑に心を痛めつけられながらも、アストライアーは持てる限りの速力を搾り出し、ひたすらに逃げた。
背後には、ロケットを連打しつつ迫るキッシングバグの機影があった。
OBで疾走して行く間に、残骸や屍が転がる荒涼とした大地は赤茶けたのっぺりとした大地に変貌し、シミュレーターの背景の如く後方へと流れ去っていく。
全く変わらないのは、背後に迫りつつあるキッシングバグの、毒々しい姿だけだった。他の4機は、既にレーダー範囲外から消えていると見え、ヴィエルジュのレーダー・グリッド上に、赤い点は一つしか確認できなかった。
此処なら良いだろうと、アストライアーはヴィエルジュを急旋回させた。そして、再びOBを起動させる。
「まずは貴様からだ」
アストライアーの殺意を察してか、キッシングバグはショットガンを発砲。アストライアーも数十分の一秒送れ、同型のショットガンを発砲する。
トリパノソーマが再びショットガンを繰り出そうとした時、ヴィエルジュのOBが咆哮、8発の散弾は虚しく空を裂いた。
相手もインファイト仕様だが、MLM-MX/066とCLM-03-SRVTの重量差とブースター出力の差ゆえ、機動性ではヴィエルジュが勝っていた。キッシングバグも即座にターンブースターで旋回し、側面を取られまいとするが、ヴィエルジュはそれを凌駕する旋回速度で、たちまち背後を取る。
あとは、背後から一方的に切り刻むのみだった。
悪く思うな――アストライアーが止めを繰り出そうとした時だった。
「どけ、バカ野郎!」
罵声と共に、通信モニターが中年の男性を、レーダー・グリッドが新たなACの反応を表示した。だが、容姿、レーダーに現れた方向などあらゆる点において、彼は先程の敵機と、その搭乗者とは一致しない。アセンブリも然りで、明らかに相手はキッシングバグと同型の2脚ACではなかった。
ただアストライアーには、彼がレイヤード第3アリーナに所属する「ハードエッジ」だと、すぐに分かった。テクニックは確かだが数々の不運によって勝利を逃し、それに伴う機体強化不足に喘いでいる、典型的な赤貧レイヴンとして知られている男だった。
「お前も死にたくなかったら早く逃げろ!!」
そのハードエッジが、眉間に皺を寄せ、目を見開き、息を荒げて叫んでいる。恐怖の表情が浮んだ顔面からは血の気が引いていた。
何に脅えているのか聞こうとしたアストライアーだったが、再びキッシングバグがショットガンを発砲した為、またも背後に回るため、神経を傾けなければならなかった。その間に、ハードエッジは搭乗機ACリバイバルのOBを起動、風を食らったかのように何処へと逃亡した。
ちょうどその時、アストライアーとトリパノソーマは、揃って戦闘行動を停止、リバイバルが現れた方角へと視線を転じた。その途端、アストライアーは呟いた――あれは何だ、と。
アヴァロンヒル上空に広がる厚い雲を引き裂いて、創世の神話に登場する巨人、または天使の如き物体が姿を現した。荘厳であると同時に、無骨で慄然とした姿をしたそれが、ヴィエルジュを察知したのだろう、圧し掛かるようにして迫ってくる。
巨体がヴィエルジュに迫るに連れ、表面が無骨な鉄の塊だと認知出来るに及び、アストライアーの恐怖心はすぐに消えた。所詮、人が作りしものだったのかと。
だが、巨大機械が翼の先端部から夥しい数のミサイルを発射し出したに及び、アストライアーの余裕は即時霧散した。キッシングバグ共々デコイを射出し、ミサイルの大半を無力化したが、3発はデコイを無視してヴィエルジュに向かった。だが、幸運にもその全てが叩き落とされた。
だが、アストライアーには己の強運に安堵する暇などない。
高機動性を誇るヴィエルジュにとって、ミサイルの一発や二発はさしたる障害ではないが、デコイが尽きた状況で20本近いミサイルを繰り出されればひとたまりもない。そう察し、アストライアーは微かな戦慄を覚えた。
追っ手達もまた、巨大な機械を視認するに及び、一様にしてその動きを止めた。
ヴィエルジュとキッシングバグは戦闘行動の一切を停止、180度旋回した後、再びOBを起動した。僅かに遅れ、他の追っ手もその巨大な姿を目撃してか、やはり転進し、急ぎ逃げ出し始めた。この巨大兵器に戦いを挑んでも勝ち目はない事を、彼等は本能的に悟ったのだ。
最早、アストライアーやらBBやらについてどうこう言っている場合ではない。望みは逃げる事のみにあった。だが、荒涼としたアヴァロンヒルに広がるのは残骸だけで、隠れられるような場所は殆どなかった。
遥か前方に卓上台地が見えてきたが、これで巨大兵器の攻撃をやり過ごせるかと言われると怪しかった。真上に定位された挙句にミサイルを撃たれないとも限らないからだ。
いち早く巨大兵器から逃れようと、ヴィエルジュは追っ手の前方に降り立つと、再びブーストをフル回転させる。追っ手の存在は、既に彼女の眼中にはなかった。
「こうなったら囮で時間を稼ぐしかないな」
「囮? そんなモン何処にあるんだよ!?」
「何、囮が無ければ作ればいいさ」
オヴィラプトルの一言に遅れ、カラドボルグはグレネードライフルを発射した。榴弾は前方に躍り出ていたヴィエルジュの脚部に着弾、装甲を大きく抉った挙句に間接部を損傷させた。
ただ砲撃される程度ならば、ヴィエルジュも回避出来ただろうが、しかし逃げる事に意識を傾けていたが為に、回避のタイミングを逃してしまった。続けて放たれた第2射撃はコア後方を捉え、OBハッチとブースターを破壊した。
「くそ、この下衆が!!」
憎悪に駆られ、アストライアーは叫んだ。しかし、オヴィラプトル達は次々にヴィエルジュを追い抜くと、脇目も振らずに逃げていく。
デルタですら、ヴィエルジュに脇目も振らずに逃げていった。
アストライアーはディスプレイを叩いた。
オヴィラプトルの仕打ちに対する怒りもそうだが、なによりもスキュラに裏切られた挙句、見捨てられた事への、やり場のない怒りからだった。
隙を見せれば裏切られるのがレイヴンの常であり、その立場にある自分が隙を見せる事に非がある――それは頭では分かっていたが、スキュラを唯一絶対の信頼を置くべき友とみなし、依頼をこなして来た彼女の中の何かが、それを認めようとはしなかったのだ。
同時に、何故彼女が自分を裏切って見捨てたのか、疑問は尽きなかった。否、自分の生存と言う見地では、自分を捨ててでも逃げ延びる事は間違ってはいないだろうし、アストライアー自身もそれを行う自信もあった。
だがアストライアーは、何時までも余計な感情に駆られている場合ではないと、即座に我に返った。この間にも、巨大兵器はヴィエルジュとの距離を詰めていたからである。
しかもヴィエルジュを敵機と判断したのか、プラズマを放つと同時に、先程と同様にして、夥しい量のミサイルを放って来た。その数は20発はあるだろうか。何れも中型ミサイルクラスのミサイルである。
だが巨大兵器のプラズマ砲が直撃し、さらに脚部も損傷しており、今や逃げられるだけの速度も発揮出来ない。
この状況で生き延びる術は――咄嗟に、アストライアーの中に動体探知センサーの事が頭に浮んだ。あの兵器がそれを用いているとは思えないが、しかし実働部隊AC同様、あれが無人だとすれば……
手元のパッドを素早く操作し、セレクターをデコイに切り替えると、ヴィエルジュは前方にありったけのデコイを放出し、直後、全てのシステムをシャットダウンさせた。ブースターのタービン・ブレードの高速回転も、ジェネレーターも完全に停止させる。あとは相手がどう出るか、賭けに出るのみ。
すかさず、巨大兵器のミサイル群はデコイに引き寄せられる。デコイが砕け散ると、ミサイルは目標を見失って迷走、次々にヴィエルジュの目前に着弾した。次々にミサイルが着弾し、生じた爆炎が火炎の津波となってヴィエルジュに押し寄せ、包み込んだ。モニターが焔の壁で埋め尽くされた直後、爆風と衝撃波に煽られたヴィエルジュは爆風の中に倒れ込んだ。
地面に突っ伏した直後、ミサイルがプラズマかは分からないが、何かがコア後方のハッチ諸共にOB機構を叩き潰した事を、アストライアーは察知した。焼かれて機能低下し、既に砂嵐だらけになっていたレーダースクリーンは、巨大な赤い点が背後に迫りつつある事を告げていた。つまり、この巨大兵器は自分に狙いを定めているであろう事をアストライアーは理解した。
そうした外界の様子を伝えた後、システムは停止。モニターもレーダースクリーンも、精密機械交じりの黒々とした壁に変化した。外界の様子が閉ざされたアストライアーだが、背後を伝う汗と、僅かに感じる振動、そして重々しい稼働音から、目前にまで迫りつつある巨大兵器の気配は分かっている。
女戦鴉は死を覚悟した。
「畜生……殺るなら殺れ!」
こうなれば、あの裏切り者どもを、そしてBBを地獄の底から呪い殺してやると強く願いつつ、アストライアーは来るべき最期の瞬間に備え、目を閉じた。
だが、最期の時は訪れない。目を硬く閉ざし、ヘッドレストに頭を預けて死を待っているのだが、何も起こらない。
それどころか、コックピットに伝わる振動と稼働音も徐々に小さくなって行き、数度の爆発を窺わせる轟音と共に消えた。
実の所、巨大兵器は動きを止めたヴィエルジュの上空を通り過ぎると、既に前方へと逃げ去ったオヴィラプトル達を追走するべく、速度を上げたのである。爆炎に包まれたヴィエルジュからの反応がない事と、システムが停止した事、そしてジェネレーターやブースターを停止させた事でエネルギー反応が消失していた事から、既に撃破したと判断したのだ。
早い話がゴミ扱いである。
「行った、か……」
辛うじて殺されずに済んだ事をアストライアーは察したが、その胸中は晴れない。
「……こんなチャチな手に引っ掛かるものなのか?」
アストライアーがした事は、動きを止め、あたかも撃破された様に見せかけ、相手の襲撃をやり過ごす――悪く言えば「死んだふり」でしかない。他所のレイヴン達が見れば嘲笑うだろうなと考えたアストライアーだったが、しかし愛機の駆動系を壊された彼女にとっては、乾坤一擲の賭けに他ならなかった。
疑問もそこそこに、恐る恐ると言った様相でコックピットハッチをゆっくりと開きながら、外の様子を見渡す。背後にあるはずの巨大な影は前方に移動し、徐々に小さくなっていた。
その行く先では、スキュラとオヴィラプトルが決死の逃走劇を繰り広げていた。
既にインゴットとキッシングバグは破壊されていた。それも凄まじい壊され方で、叩き潰されたコアは破片となって周囲に四散し、脚部はプラズマ放射によるダメージが大きかったと見え、解けたロウソクの様な有様となっていた。
デルタはまだ辛うじて逃げ続けている事をアストライアーは見て取った。両肩のチェインガンが取り外され、両腕もコアから切り離され、地面に転がっていた。速力を上げる為にカウンターウェイトを軽減した様子が見て取れた。
だが、アストライアーが助けに入る事は出来ない。ヴィエルジュのシステムはシャットダウンされ、仮に再起動させたとしても、既に戦闘に耐え得る状態ではない。加えて、動けば自分もあの巨大兵器に探知され、その後の展開は説明不要であろう。
アストライアーは自分から動くと言う、贅沢な選択肢など既に無かったのである。今この場で出来る事と言えば、せいぜいスキュラが殺されないよう祈る事ぐらいだった。
スキュラも長くは持たないだろうかと思った直後から、アストライアーの鼓膜を聞き慣れた甲高い響きが刺激し、巨大な影が彼女の後方から前方へと飛び去った。
それがAC輸送機である事は、すぐに分かった。
厳密には、2機のAC輸送機が、並んで飛行していたのだ。ハッチを既に開放し、アストライアーの頭上をフライバイ。あれがどこのクライアントのものかは分からなかったが、あの巨大兵器を破壊する為に雇われたレイヴンのものだろうと、すぐに彼女は察した。
だがどうやってあの巨体を止めようと言うのだ――疑問が浮かぶ間に、カーゴ内からACが2機ずつ飛び出した。距離が離れていた為に細部までは分からなかったが、一方から降り立ったのは中量2脚ACが2機。一方は青く、もう一方は白かった。
もう一方の輸送機から出撃したのは、アップルボーイが操るエスペランザだと分かったが、もう一方、銀色の重量2脚が何者なのかは分からなかった。ただし、レヒト研究所で撃破されていなかったら、その後に現れたACが、アキラと行動を共にしていたシューメーカーが駆るシルバーウルフだと気付いただろう。
青いACは接地するまでもなく上昇し、左肩に担いだグレネードランチャーを発砲。銀色の重量2脚から放たれたロケットと、エスペランザの垂直発射式ミサイルもそれに続いた。
巨大兵器も即座に反撃に転じ、白いACに20発はあろうかと言うミサイルを殺到させるが、白いACはデコイを射出すると、ミサイルの弾道コースから離れた。ミサイルはデコイに突撃し破壊した後、目標を見失って迷走した。
ACが戦闘を始めた事を察すると、輸送機は全速力で離脱して行った。
現れた4機は、裏切りが日常茶飯事のレイヴン同士であるのが嘘であるかのように、統率されたような動きで巨大兵器に波状攻撃を仕掛けていく。グレネードが、ミサイルが相次いで巨体に突き刺さり、放たれたミサイルは次々にデコイで無力化された。
レイヴン達は攻撃を、人間で言うならば首に相当するであろう、巨大兵器の頭脳部位と思しき箇所に集中させていた。時折、目標に届かなかったミサイルも現れた。
アストライアーはヴィエルジュの操縦者用ハッチに身を潜め、彼等の戦いぶりを目撃していた。何者も恐れない、奢り昂る神話上の巨人が、まるで人間との知恵比べに負けて醜態を曝すかのように、巨大兵器がダメージを蓄積させていく。当初はACでは適わないと思っていたが、それにACで挑むとは、全く大した奴等が居るものだと感心させられた。
しかしアストライアーは、各所が傷付きある巨大兵器に生じた異変をすぐに察知した。彼女の見ている前で、背部パーツの一部が爆発したように火を噴き、脱落するのかと思った直後、本体からゆっくりと離れ、飛行し始めた。
そして、切り離された背部パーツはエスペランザに向けて2連装グレネードキャノンを連射。だが、事前に動きを察していたように、エスペランザはOBでグレネード砲撃から逃れていた。
オヴィラプトルは新手のACを目撃し、しばし呆然と見詰めていたが、巨大兵器が分離したのを目撃すると、さっさと逃げ去ろうとした。だが時既に遅く、子機からのグレネード一斉射撃を浴びせられたエッグイーターはハンマーに一撃された卵の様に、一瞬にしてバラバラに砕け散った。
「切り札を繰り出したと言うわけか……」
ハッチの隙間から、アストライアーは誰にも聞こえぬ呟きを発した。
瞬時にAC1機を粉砕してのけた子機は、アストライアーとその搭乗機だったものなど全く気にする様子もなく、巨大兵器本体を護るかのように、その周囲をゆっくりと旋回するように移動し始めた。
アストライアーの目にはゆっくり動いているように見えたが、彼女はそうは思っていない。鈍足に思えるのはあの巨体で、しかも距離があるからそう見えるだけであり、実際は平均的速力しかないACでは、追いかけるのに苦労するほどの速力を発揮していた。
実際、エスペランザがブーストダッシュやOBで距離を詰めようと迫るが、距離は一向に縮まらない。
追い付けないながらも、エスペランザと銀色の重量2脚は、その子機にミサイルを見舞いだした。子機とは言え巨大なそのサイズと比較すると頼りないにも程があるミサイルだったが、それでもエンジンノズルに突き刺さって行くのが視認出来た。
勿論、子機も黙って自分を傷付けさせるほど甘くはない。各所のハッチを開放すると、内部から顔を覗かせる機銃をフル回転させ、飛来するミサイルを叩き落としていく。
一方、巨大な母機は、新手――青と白のACを執拗に狙い、プラズマキャノンによる熾烈な砲火で敵機を押し潰そうと迫っている。だが2機は、何れもそれを際どい動作で次々に回避して行く。
特に蒼いACの動き方は絶妙で、放たれた大型ミサイル群の中心をOBで突っ切り、真下に潜り込むと、急上昇から斬撃を放ち離脱、と言うヒットアンドアウェイ戦法で戦い、その近距離から大型ミサイルが放たれればそれを下部を潜って誘導、身動きの取れない巨大兵器に、逆にぶつける様子まで見せ付けていた。
白いACもそれに続き、パートナーと入れ替わりで巨大兵器にブレードを見舞い、繰り出される攻撃を悉く回避していた。その動きは実に巧みで、デコイでミサイルを無力化する事は勿論、OBを用いて機体各所の迎撃機銃をライフルで潰しているのが分かった。
その機動性も高く、クレスト中量級コア装備にも拘らず、速力はヴィエルジュよりもやや遅い程度といった所であろう。だが、これはあくまでも軽量級2脚クラスのスピードを有するヴィエルジュと比較しての話であり、中量級AC全体から見ればかなり素早い部類になる。
見たところ、汎用的なミラージュ製脚部MLM-MM/ORDERで、ブースターはヴィエルジュと同型のCBT-FLEETであろうか。全く、あのようなアセンブリでよく動かせるものだと、アストライアーは感じていた。彼女の中では、あれをマトモに操れるのはエース位のものであると認識していたからだ。
しかし、それと同時に、戦う2機のアセンブリには、妙に見覚えがある様にも思えた。距離の関係でディティールがよく分からないため、確証は持てなかったが。
しかしながら、2機のACではまだ巨大兵器を葬るには絶対的に火力不足の感があった。何れ、弾切れも考慮しなければならないだろう。
「あいつ等……これからどう戦うんだ?」
アストライアーはACと巨大兵器の死闘を見届ける事に集中していた為、アヴァロンヒル南の動きに全く気が付いていなかった。
彼女の視線の外では、事の成り行きを見守るように、新手のACが横一列に整列していた。その後方では、彼等を投下した輸送機が急ぎ離脱している。だが、アストライアーの耳には届かない。銃声や砲声、爆発音に掻き消されていたからだ。
新手のACもヴィエルジュの残骸を超えて巨大兵器へと向かって行った事で、アストライアーは一瞬だが身をすくめた。ブースター内のタービン・ブレードの咆哮が耳を劈き、巨躯が飛び去る際の風圧で、ハッチが再び閉まりかかる。
戦闘不能の女剣士など気にも留めず、新手のACも巨大兵器の攻撃に加わる。その中にアストライアーは、嘗てレイヤード第3アリーナのランカーだったブレーメンが操る逆間接ACマルチボックスの機影を見出した。
ランカー同士の軋轢に遭い、逃げるようにして第1アリーナに移籍して以来音沙汰無しだったブレーメンだが、以前見た、赤やオレンジ、灰色交じりの紫と言う派手なカラーリングと、武器腕を含めた大量のミサイルを積載する逆間接ACを操る辺りからすると、どうやら一応の結果は出せているように見えた。
その隣にはアサイラムのAC・ギガンテスの姿もあった。マルチボックスがエスペランザと銀色の重量級2脚ACを支援するかのように、垂直発射式ミサイルや多弾頭ミサイルで子機を狙い撃ちしているのに続き、ギガンテスも両肩のミサイルを乱射する。子機は迎撃装置をフル回転させ、殺到するミサイル群を叩き落そうと足掻くが、ミサイルは次から次へと突き刺さっていく。
更に、ギガンテスからグレネードキャノン砲撃を受けた子機は傾ぎ、機体の到る所から夥しい量の破片をばら撒き、急激な落下を始めた。
子機はそのまま、原形を保ったまま墜落し、一切の攻撃動作を停止した。
一方の母機には、軽量級2脚と重量級2脚が支援に向かっていた。ワルキューレの搭乗機と酷似した外見とカラーリングを有する軽量2脚と、ファンファーレが生前操っていたそれと似ていなくもない漆黒の重量級2脚。そいつらはプラズマキャノンを回避しながら、背負っていたロケット砲で母機を砲撃していた。更に、以前ヴィエルジュを大破させたゲルニカも現れ、ミサイルやデコイを散布して味方機を支援する。
ダメージは目に見えて蓄積しつつあったが、まだ、母機が落ちる気配はなかった。だがそれも、エスペランザやマルチボックス、ギガンテスが攻撃に加わるまでだった。
子機を仕留めた者達はミサイルを、ギガンテスは更に両腕のグレネードキャノンも発砲する。まだ数基の迎撃機銃は生きており、迫り来るミサイルを迎撃しようとフル回転するが、白いACの銃撃によって機銃は次々に機能停止させられていく。
夥しい量のミサイルを叩き込まれ、天使の翼をイメージした装置がへし折れ、落下した。巨大兵器の表面の傷も更に増え、少なからずダメージを受けているのが分かる。その間放たれたミサイル類は、白い中量2脚や銀色の重量2脚、そしてゲルニカが放出したデコイで悉く無力化される。
迎撃機構の弱体化を察してか、すかさずAC軍団は次々に機動兵器に接近、己が持ち得る武器を傷だらけとなった機体へと一斉に見舞い出した。巨大兵器は残っている僅かな機銃とプラズマキャノンで迎え撃ったが、所詮無駄な足掻きでしかなかった。
蒼いACは高々と跳躍し、機体上部の頭部と思しき部位に狙いを定めていた。巨大兵器が蟲の大群を振りほどこうとする人間宜しく右往左往するが、その行動を阻害出来ない。
そして、グレネードランチャーの砲身を展開すると一気に急降下、砲身を突き刺すと、内部機構へと直接榴弾を叩き込んだ。頭脳部位が首ごと破壊された巨大兵器は動作が不安定となり、千鳥足になったように左右に機体をふらつかせる。
直後、残ったAC達が一斉攻撃を行うと、巨躯の到る所から煙が噴き上がり、アヴァロンヒルに向けて傾ぐ。
その一部始終をアストライアーは目撃し、機動兵器が地に堕ちながら爆発するを無言で見詰めていた。ACであれを撃破出来るとは思ってもいなかっただけに、目前の光景にしばし我が目を疑い、夢なら醒めるだろうと思った。だが、それが紛れもない現実だと分かり、彼女は腕を組むと、目前で巨大兵器を相手に健闘したAC達に頷いた。
「全く、我ながら意外と冷静だな……」
アストライアーは己の姿に気が付き、鼻の先で笑った――ただし、無表情のまま。
巨大兵器が地に平伏したのを確認すると、もう大丈夫だろうとアストライアーは判断、開かれっぱなしだったヴィエルジュのコックピットに再び潜り込むと、起動キーを挿入し、動かぬ鉄塊となっていたヴィエルジュを再び立ち上がらせた。
全く、あの2機には大した仲間が居るものだ――そんな呟きを発しながら、女剣士はヴィエルジュを起動させる。外部集音システムや通信システムも正常に機能するようになったが、同時に各種コンソールがエラー表示を繰り出し始めた。後方のブースターが潰され、OBも使用不能。ヴィエルジュの持ち前である機動性の発揮は絶望的な状況であった。肩のレーダーも破壊されている。
他にも多数の被害があるが、その何れもが、機体後方に集中していた。
新しくパーツを買い直したのにこれか……サイラスに文句を言われるなと呟くアストライアーの耳に、起動しっぱなしだった通信システムが傍受したAC群のパイロット達が発する勝利の歓声や、安堵の息が聞こえて来た。
「有難うみんな。アップルボーイも上出来だったわ」
その声にアストライアーはハッとした。レイヴンらしからぬ優しい声、純白に灰色と赤のペイント――既に脳内に記憶されていたあるACに、その情報が照合され、程なく一致した。
「直美、なのか……あいつは?」
だとすれば、あの蒼いACは、アキラ=カイドウが操るルキファーを置いて他に居ない――アストライアーは直感した。
あの男が共に行動するとしたら、以前自分に語った様に、直美以外にはありえない。少なくても、ACに搭乗している時は直美が駆るヴァージニティーの傍に、彼は常に存在していた。
何故、彼等が此処にいる――巨大兵器を連携で撃破した事に対する関心は、完全に消え去っていた。
かたや機械的で中性的な美青年、かたや長身の美女。レイヴンである事以外に共通点など何一つ無い様に見えるこの二人――アキラと直美は、ただの見掛け倒しとはいえない強靭さをみなぎらせており、今回もそれをいかんなく披露していた。自分と同じように、両者とも必要とあれば人殺しも厭わないだろう。仮に、未だに優しい笑みを浮かべていたとしても。
だが少なくても、レイヴンである事以外は全く知らない。
それどころか、別世界から迷い出したような印象は、彼等がもしかしたらレイヴンではないのではと言う印象すら与えている。
同時にアストライアーは、この両者から言い知れぬ、何かを感じていた。二人は人間、もしくはそれに起源を発する存在である事はわかっているが、それにしては明らかに異質な存在だった。それだけでもアストライアーにとっては、レイヴン界においてのイレギュラー的要素と映っていた。
それはアストライアーにとっての恐怖に近かったが、同時にささやかな好奇心も含まれていた。彼等の正体を知りたい――そんな事を問われれば、恐らく彼女が否定する事はないだろう。
そんなアストライアーがヴィエルジュを再起動させ、ブースターが使えぬまま歩み寄ろうとしている事には気にも留めず、直美とアキラは作戦領域に展開していた仲間達を引き連れてアヴァロンヒルを南下、風で舞い散る砂塵の向こうへと、その姿をくらませた。
「いったい……貴様等は何者なんだ?」
呟くアストライアーだったが、イレギュラーへの知的好奇心は辛うじて生還したデルタを見た途端に消えた。
アストライアーは辛うじて大破を免れたデルタのコックピットブロックに通じるハッチが開いている事を察し、重々しく地面を踏みしめながら、外へと這い出そうとしている親友の下へと向かった。
コックピットブロックから這い出たスキュラは、ヴィエルジュの残骸と、其処から歩み出しているアストライアーの姿に気が付いた。だが、スキュラは逃げようとも、抵抗しようともしなかった。
彼女は途方に暮れており、一切の気力が失せたその姿は、これから親友が与える裁きを受け入れようとしているようにも見えた。
言うよりも早く、アストライアーはスキュラの胸倉を掴むと、力任せに自分へと引き寄せた。
「どう言う事だ? 聞かせろ!」
眼と向かって放たれたそれは、嘗てスキュラに向けた事のない荒々しい口調だった。
スキュラはその裏には様々な混乱――自分が親友の命を狙おうとした事、エレノアがいなくなった事等の事象が絡んでいる事を察したていた。
「やはりあの下衆か!? あの下衆の差し金か!?」
無言でスキュラは頷いた。その顔には沈鬱が漂い、瞳からは知性を窺わせる輝きが消えていた。
「そうか……」
アストライアーはそれ以上、尋ねようとはしなかった。
一方のスキュラは、エレノアがいなくなった理由を知っていたが、それを言う事は出来なかった。
厳密には言うべきかどうかは考えていたのだが、言ったら最後、その時が自分の命日ともなりかねない事を危惧していたのだ。勿論、彼女に戦友との殺し合いを演じさせるように脚本を用意した存在があって。
だが、スキュラはそれを戦友に語ろうとはしなかった。仮に知らされたとして、それがアストライアーにとってプラスになるのかと言われると、必ずしもそうとは言い切れない事をスキュラは知っていたのである。
一度人間性が破綻し、今も憎悪に基づく歪な自我を有するアストライアーが、エレノアの事を知れば、激昂し、冷静な判断を欠く事は目に見えている。そうなれば撃破される可能性も高い。近接戦を主体とする彼女なら尚更だ。
長い付き合いの中で、戦友のそんな事情を察しているからこそ、スキュラは必要以上の事は口にしない方針を固めていた。
一方のアストライアーも、スキュラと敵対していた事については考えない事とした。
自分を殺す為に本腰を入れたあの男のする事、親友同士を相対させる事は想像に難くないと察していた。加えて、そんな親友もまた、BBによって自分の傘下となる事を――本人の意図は別として――余儀なくされていた。日ごろの関係があるとは言え、そんなスキュラを咎める理由はない。
とは言え、今回自分を裏切った代償は支払わせる心算だった。
「歯食いしばれ!」
アストライアーの鉄拳が、スキュラの鳩尾(みぞおち)に深々と突き刺さった。軽金属に覆われた籠手のような、文字通りの鉄拳に、強化人間のパワーが合わさった打撃は、一撃で骨を砕き、内臓を破壊しかねない強烈なものだった。
勿論、相手が友人である為、それなりに手加減はしている。だがスキュラにとってその一撃は、目を大きく見開き、驚愕と苦痛に開いた口から舌を棒状に突き出させるほどの衝撃を伴った。
スキュラがよろめくと、アストライアーは黒百合を脳天に叩き込んだ。しかし黒百合は鞘に収められたまま、所有者の戦友の頭を打ち据えるのみ。当然、流血はその一滴もない。
「貴女に免じて……殺すのは勘弁してやる。だが、暫く死んだ様な状態にはなってもらう」
体重が落下した再の風圧で砂埃を舞い上げながら、意識を失ったスキュラは地面に倒れた。黒い頭髪が花を咲かせたように地面に広がり、眼鏡が顔からずり落ちる。
戦友が倒れると、アストライアーはヴィエルジュに戻り、輸送ヘリの手配を行った。
「失敗したようだな……」
携帯端末を折りたたみ、懐にしまう巨漢の横から、見慣れた金髪碧眼の男が声をかける。男の威圧する様な視線に見抜かれ、彼はたちまち沈黙した。
「申し訳ない」
「全く、オヴィラプトルめ、あの女を動員してまで失敗するとは……口先だけの役立たずめが」
「Dランカーに任せても無駄と言う事の証明にはなった、と言うのが唯一の収穫か。第4アリーナの上位ランカーを有効活用出来なかったのだから」
二人の男からは、オヴィラプトルと、彼と共に襲撃へ向かったレイヴン達への哀悼は一切述べられなかった。
「それでだ……BB、あの女はどうする?」
自らの命を狙う女レイヴンの事を聞かれると、巨漢は溜息を漏らした。
今更ながら、BBはアストライアー抹殺の困難さを、まざまざと思い知ったのである。同時に、アキラやエースと言った厄介者がのさばっている中で、あの女にこれ以上好き勝手されると非常に面倒な事になるとも見ていた。
「……容疑でもかけて、企業の治安部隊なりシティガードなりにでも動いてもらうのか?」
「何を言う、ロイヤルミスト」
BBは男を睨みながら提案に反論した。
「何処の企業もシティガードも実働部隊でボロボロだ。此処で俺が介入した所で、期待するほどの動きは出来ん。俺に火の粉が飛んで来ないとも限らん」
シティガードを買収出来る位の資金はあるだろうとロイヤルミストは反論するが、それすらもBBは肯定的しなかった。
「アキラを止める為とは言え、余計に金をばら撒き過ぎた。ミラージュを買収して、奴をイレギュラー認定させたまでは良かったがな……」
BBの意は別として、ミラージュとしては、ユニオンと言う叛乱分子の存在がレイヤードにおいて危険な存在であると言う事は認知しており、それがアキラと言うレイヴンの力と結び付く事は、彼等にとってもレイヤードの安定、ひいては自分達の存亡に関わる事にも直結しかねなかった。
こうした背景があり、BBは、ユニオンがアキラに破壊活動でもさせる気だとミラージュに介入し、アキラをイレギュラーと認定させ、抹殺させようとした。
全てはBBの計画通りだったが、実動部隊が現れた事で、目論みは大きく狂った。
ミラージュが多大な損害を受けたばかりか、同社専属及び雇われレイヴンは実動部隊に蹴散らされた挙句、アキラに止めを刺される形で駆逐された。
BBも傘下のレイヴン達を繰り出し、偽の依頼で釣るなどして謀殺を図ったが、皮肉な事に、BBの介入でアキラは更に力を高めてしまい、遂にはアリーナでBBを、彼の差し金で乱入したAC諸共蹴落とすばかりか、真に「イレギュラー」足り得る存在となってしまったのである。
そしてアストライアーの腕もまた、既にBBにとっては警戒の対象であった。強化人間とは言え、父親に叩き込まれた彼女の技量は確かだった。以前、自分を打ち負かしたアルタイルと同等、或いはそれ以上の技量を有しているであろう事も、その戦いぶりから察する事が出来た。
以前、ガレージを襲撃した際に味わった彼女の剣戟がその根拠であった。
その女剣豪に、これ以上自分がヘタに戦力を送り込んだ所でどうなるか――首尾良く暗殺出来ればそれで良いが、アストライアーの更なる成長に繋がる可能性もあった。
「まああの小娘の性格上、アキラと結託する事は無いだろうが……それにしてもアキラを蹴落とすのに余計な力を注いだか」
「また手配するか?」
「手配だと?」
BBの眉がつり上がった。
「残っている二流・三流のクズどもを動員しろと言うのか?」
有力な駒の多くを失ったBBには、余剰戦力と言えるレイヴンはいない。要求水準を落とせばまだ何人ものレイヴンが傘下に残っているが、レイヴンランクがDやEと言った面々ばかりであり、BBの眼鏡に適うような者は見当たらない。腕利きのレイヴン達は次々に倒れ、戦闘経験の足りない奴ばかりがBB傘下に残ってしまったのだ。
資金力で新たなレイヴンを引き入れる事も不可能ではないが、これ以上の介入は逆に己の首を絞めるだけであった。流石にBB戦に限ってACが何度も乱入した来た事で、ファンも離れてしまい、更に彼の息が掛かっている運営局も、彼からの介入を受け入れる事に難色を示している。既にパンク寸前の状態であった運営局に圧力を掛ければ、資金源の破綻も有り得る。
「兎に角、まずはあの小娘だ。アキラとエース、バルバロッサよりもあの小娘の方が危険度は高い」
アストライアーとは違い、今現在BBの上にいるランカー達は、何れも自身に対する認知は希薄であることを彼は察していた。
アキラは現在、実働部隊の存在があって表立った行動は出来ず、エースとバルバロッサは互いに潰し合いを繰り広げ、ランクの入れ替わりを何度も展開している。しかし、あの三人とは違い、アストライアーの行動目的は純粋にBBへの復讐であり、これまで彼が幾度アリーナ運営局を介して圧力を掛けてもなお、岩の隙間から這い出る毒蛇の様に自分を付け狙っている。
これからバルバロッサやエース、そしてアキラを蹴落とそうと言う時に、あの小娘の存在は頭痛の種となるのは必至。近々手を打たねばなるまいが、しかし予想外の事態によって多くの手札を失っている。そうなれば、あまりやりたくはない話だが――再び自分が動かねばならないだろう事もBBは察した。
勿論、今度は好き勝手はさせない心算であり、既に彼はその為のシナリオも描いていた。
密談が続く中、BBは出入り口のドア付近に立つブロンドの女性に視線を向ける。
「ワルキューレ、あの小娘は?」
「ぐっすり寝てる」
だが今、BBにとっても有利な要素が一つあった。そして、それは今ワルキューレの手中にあり、彼の意のままに用いる事が出来る。当初は手を焼くかと危惧していたが、ワルキューレがいとも簡単に落ち着かせた事で、その心配も取り越し苦労で済んだ。
あとは、暴君が如何にして扱うかに掛かっていた。
「分かっていると思うが、あの小娘は丁重に扱え。これから必要になるからな」
ワルキューレは無表情で頷いた。無論、本人も忌み嫌っている事であるではあったが、私情は表に出さなかった。
同様にして、ロイヤルミストもまた無表情を保っていた。彼はBBからの注文に難色を示してはいたものの、ランクの安泰と引き換えに彼への絶対的忠誠を約束していた現実がある為、主君からの要望に答えるべく、注文伝票を手に部屋から退出した。
だが、部屋を出た直後から、ロイヤルミストは精神的副音声による罵詈雑言を吐き連ね出した。
「パワーに身を任せ続けた暴君である貴様が、一体何時から、そんな悩めるほど上等な脳味噌を手に入れたんだ? だが全ては遅過ぎる。奇跡でも起きない限り、貴様の様な薄汚いパワー馬鹿はもうじきお仕舞いだ。と言うか、何時から俺が貴様と運命共同体になったと思っているんだ!?
もうこの際だ。さっさとアストライアーとか言うのに斬首されてしまえ。いや、貴様が散々コケにしたアキラにやられて逝ね、この低脳のチキン野郎が」
この他にも百の悪口と千の嫌味語が脳内にて放たれたが、ロイヤルミストはそれを億尾にも出さず、注文伝票を手にエレベータへ乗り込んだ。
14/10/16 16:34更新 / ラインガイスト