連載小説
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#17.疑念混濁
「信じられん」
「私も……」
 昼間だと言うのにカーテンが閉め切られた室内を照らすラップトップPCのディスプレイを見て、ノクターンが、次いでワルキューレが呟いた。
「まあそうだろう。最初聞いた時は、俺も耳を疑った」
 部屋の主である大柄な男が声を掛ける。その横には、常に彼に随伴している金髪碧眼の男性もいた。
「だが、遂にこうして尻尾を掴む事は出来た」
 メタルスフィアから連絡を受けてから1週間に渡り、メタルスフィア本人は言うに及ばず、フィクサーを初めとしたレイヴン達と接触し、彼は確信していた。今、話題の中心にいる女剣士レイヴンが、経緯はどうあれ幼女を連れている事を。そして、真っ当な心や考えを持つ女性がそうである様に、彼女も幼女には甘くなっているのだろうと。
 彼の価値観では、それを利用しない手はなかった。所詮名高い剣豪であろうと、子供の前ではただの甘っちょろいだけの女。自分は幾らでもその弱点を突き、確実にこの世から葬るだけである。
 弱肉強食が常のレイヴン世界では、形振り構ってなどいられない。弱みを見せた者には死が待つのみと、彼は信じて疑わない。
「まさか、その子を……」
 ワルキューレは目前の主から不気味さと嫌悪感を感じ取っていた。子供を人質にするなどして、抗争に巻き込む事を、彼女は良しとしていないのである。
 だがそんな事は、エゴイズムの権化のような彼の範疇にはない。
「誰も貴様にやれとは言っていない。俺がやるまでだ」
「ですが、何も子供まで私達のする事に巻き込まなくても――」
「黙れメス豚!」
 男の鉄拳が、ワルキューレの端整な顔に叩き込まれた。
「考えるのは俺の役目だ。貴様は俺の言う事に従っていればいいだけの話だ」
「しかし、子供を人質に取るだなんて――」
 全てを言い終える前に、今度は男の脚がワルキューレの鳩尾に叩き込まれた。
「あの小娘が俺を殺るなら、殺られるまえに殺るだけだ」
「でも……」
 鳩尾を押さえ、金髪を振り乱してもがき苦しむワルキューレの顔を、厚底のブーツが襲う。
「だとしたら何だ? 貴様は甘っちょろい感情にほだされるのか? そんな半端者だから小娘ごときに負けるのだ」
 横顔を踏みつけられる中で、ワルキューレは現実に引き戻された。自分がどう考えを持っていようが、今の自分はこの暴君に従うしかない。
「……申し訳有りません、BB様」
 分かれば良いと言わんばかりに、BBは顔面をニヤ付かせながら、ワルキューレの横顔を踏みつけていたブーツをどかした。
 子供を人質に取るなど、気高い精神を持つワルキューレにとっては不本意であり、許しがたい愚行であった。ましてや、自身が認めているマナ=アストライアーの子供とあっては。
 これが万一でもアストライアーに知られたら……そう考えると、ワルキューレの嘆きと罪悪感は尽きなかった。
「まず、ノクターン」
 ワルキューレなど眼中に無いかのように、BBの鋭い眼光は、額に傷のあるオールバックの赤毛をした男性に向く。
「あの小娘と同じ依頼を受けたそうだな?」
 ノクターンは頷いた。そして、次に言い出す命令も既に定まっている事だろうと、彼は長年見て来た暴君の行動から、次に言うべき言葉も計算していた。
「あの小娘は機を見て、今度こそ消去する」
 暴君はよろしいと頷いたが、これだけではまだ足りなかった。
「今度負けたら……貴様と、貴様の妹の命は無いものと思え」
「承知している」
 ノクターンはそれだけ発すると、逃げるようにして部屋を後にした。
「さてワルキューレ……貴様にもやってもらう事がある」
 暴君は腕を組むと、静かに戦乙女へと向き直った。

 ノクターンは部屋から出るや、これまでの事を考えていた。
 今でこそアリーナの上位ランカーと言う位置付けのノクターンも、嘗てはスラム街出身の典型的下層市民であった。そして、彼もまた、成り上がる事を夢見てレイヴンとなった経緯を持っている。これを知る者は少ないが、周囲がドブネズミと卑下しているストリートエネミーと、殆ど変わらない境遇にあったのである。
 そんな彼が、レーザーブレードとオーバードブーストを駆使しての白兵戦を主眼とする戦闘スタイルに転じた背景には、ブレードを駆使して勝ち上がる事で、自分には技量があると自信を持てる様になった事、そして観客もそれに応えてくれた事からだった。それから、自分は近接戦に絶対の自信を持てる様になり、急激にランクを上げて行く事が出来た。
 BBの存在を知ったのは、それから程なくしての事だった。
 当時のノクターンにも、BBを蹴落とそうと言う意思はあった。自分の剣の腕前ならば、タイラントを、そしてファンファーレやグランドチーフと言った、重装型のACを仕留られる自信はあったのである。
 重量級ACの機動性など、近接戦の為に機動性を重視したアセンブリに調整したザインに比べれば、たかが知れている。それに飛び込んでしまえば後は自分の絶対領域となるのみ――そう、タカを括っていたのだ。
 だが試合前、ノクターンが依頼先でBBに遭遇すると、彼の考えは一変した。
 依頼先からの帰還途中に現れたBBが、唯一の肉親であった妹を人質に取り、試合での八百長を持ち掛けてきたのだ。当然、当初は八百長を拒否した彼だったが、拒否すれば妹の命はないと恫喝され、更に妹が苦しめられる様子を見るに及び、ノクターンは渋々八百長に応じた。
 しかもいざ試合となると、ザインは拡散バズーカやグレネードランチャー、更にはブレードによって完膚なきまでに叩き潰され、自身も半死半生の深手を負わされる結果になった。
 相手を完膚なきまでに叩き潰すのがBBのやり方だと言う事は、病室で意識を取り戻してすぐに悟った。手柄を立てたレイヴンは恫喝して大人しくさせ、意に従わないレイヴンは徹底的に痛めつける。搭乗ACそのままと言える、暴君の如き振る舞いで、アリーナを恐怖によって支配する事が、アリーナを牛耳る上で不可欠であり、またそれがレイヴンとしての美徳であると、BBは信じて疑わない。
 今更ではあるが――今の自分が、BBによって爪も牙も抜かれた犬に成り下がっている事に、ノクターンは気が付いた。
 それと同時に、自分が小娘と見下していたアストライアーが、そしてBBのやる事成す事を悉く粉砕しているアキラが、実に大した奴だと思えた。
 自分をブレードで打ち負かした事について、恨んだり妬いたりしていないと言えば嘘になるが、暴君の威光など全く意に介さない振る舞いが、嘗ての自分の理想に程近い存在であった事を思い出したのである。
「あの戦いが無ければ……BBが居なければ……」
 嘗ての己を回想するに及び、やりきれない思いが、幾度もノクターンの中を去就した。
 だが此処まで思い、ノクターンは我に返った。自分は何をやっているのだ、過ぎてしまった事などどうでも良い、今はボスからの命令に向き合うべきではないのかと。
 自分は既に、BBに尻尾を振らなければ生きて行く事は出来ない。そして、それはどう足掻いても抗う事など出来ず、それを考えた所で不毛な話である。ならば、BBから賜った今回の司令に対しては、余計な感情は無しで当るのみである。最も実力差を考えれば、今のアストライアーやアキラに殺し合いを吹っかけ、返り討ちにされたとしても仕方はないと、ノクターンは心に期した。
 何にせよ、ただ目の前の事と、それを果たす事のみを考える――そう己を律すると、ノクターンはミラージュからの依頼に基づき、レヒト研究所に向かうべく、ザインの元へと駆け出した。

 そんな事情が裏で展開されていたとは知るよしもなく、ガレージ襲撃事件から1週間が経過した今日も、マナ=アストライアーは戦いの準備に取り掛かっていた。
 シャワーを浴び、なおかつ何も身に着けていなかったので、アンドロイドの素体を思わせる外皮は濡れ、濃紺のショートヘアは滴を垂らしている。衣類を纏わぬ作られたままの体で、女剣士は堂々とリビングを横切っていく。その表情には羞恥心の欠片も浮かび上がらせてはいなかった。
 そんなアストライアーを、エレノアは目で追った。既に朝食を終え、それ以後アストライアーが来るまでは、手元に置かれた絵本に目を向けていた。
「アスおねーさん、じかんだいじょうぶ?」
「大丈夫だ、これから準備してもまだ間に合う」
 エレノアに返事を返す間に、アストライアーは来るべき戦いに備え、しなやか勝つ強靭な素材で形作られた漆黒のボディスーツで体を隠し、その上から同じく漆黒の金属装甲板を留め付けていく。更にその上から、携帯端末などの所持品や外付けの追加ポーチと言った細かい装備が追加される。此処でアストライアーは、AC搭乗時には基本的に必要ない筈の、拳銃や軍用ナイフ、そして愛刀「黒百合」と言った武器も取り付けていた。意趣返し等、自分の命を狙うものに対しての対策である。
 それら原始的な武器を選択した後、更に先進的な武器も選んでいた。スタンガンと、催涙スプレーを詰めた缶である。拳銃とマガジンにも手を伸ばしていた。また身に纏う武器以外にも、ショットガンと12ゲージショットシェルをジュラルミンケースに押し込んだ。
 傍目には、まるでACに乗って戦場に向かい、戦場ではACから降りて白兵戦を行うとでも言わんばかりの装備である。歩兵がその身体に纏うアーマー類と比較すると軽装だが、それでも装備一式の重量は、一般の女性からすればかなり重く感じられる事だろう。しかしサイボーグとなったこの女戦鴉には、その位の重量などは厚着程度にしか感じられない。
 そして仕上げに、父・アルタイルが生前身に着けていた濃紺のコートを羽織り、装備一式を覆い隠した。装備のせいか、女性にしてはやや肩幅が広く見えた。背丈のやや低い青少年と見間違うかのような風貌である。
「そろそろ……いくの?」
 完全武装した女戦鴉は無言で頷いた。
「でも待っていてくれ、絶対に帰って来る。貴方を一人にはさせない。だから待っているんだ」
 ドアから出ると、アストライアーはエレノアを抱きしめた。そして「行ってらっしゃ〜い」と無邪気な声と笑顔のエレノアに見送られながら、ガレージへと急いだ。

「ねえ……お嬢ちゃん?」
 自分を守り養っているレイヴンが出撃したのを見送り、部屋へと戻ろうとしたエレノアは、背後からの女性の声で動きを止めた。
 エレノアの視界の先には、アストライアーに用があって来たのだろうか、美しい青い瞳のブロンドに優しい顔立ちを持つ女性が佇んでいた。グローバルコーテックスのエンブレムが入ったジャケットを羽織っている事からも、レイヴン、あるいはその関係者である事が見て取れる。
「アストライアーさんを知らない?」
「アスおねーさん? いまおでかけしましたよ?」
「そう……出かけたのね?」
 エレノアに優しく微笑む女性に、エレノアは屈託のない笑顔を返す。
 しかし、その女の笑顔に蔭りがあったことを、エレノアは察する事が出来なかった。無論、その思考等についても。そしてその女の手には、エーテルで湿らせたハンカチが握られ、ジャケットの中には催眠ガスを詰めたスプレー缶があった事にも、エレノアは気が付かなかった。


 ミラージュが保有する最大の研究施設である、レヒト研究所。
 管理者へのアクセスプログラム開発、レイヤード中枢のデータを保有するデータバンクを抱えているこの巨大施設は、3大企業最大の勢力を保有するミラージュの技術力の象徴でもあった。
 この巨大施設は有事の際に備え、内部に小規模ながらも発電装置を擁し、他施設への通信網も専用回線が回され、監視カメラからセントリー・ガン(迎撃機銃)、浮遊機雷、果てはレーザー・トラップまで、内部のセキュリティにも最先端のものがふんだんに取り入れられ、そして幾人ものミラージュ専属ACやMT、そしてそのパイロット達が、この施設の為だけに24時間体制で警備に当たっている。
 コンピュータ系メーカーに端を発するコングロマリット(複合企業)であるミラージュにとって、自社技術の枠を超えた技術が投入されたこの研究所は、まさにテクノロジーの殿堂とも言うべき場所であった。
 しかし今、そこにはテクノロジーの殿堂には似つかわしくない黒煙が上がり、暮れゆく人口の空を不気味に黒く染め上げていた。総勢50名を越えるレイヴンが、施設を襲撃するユニオンと、施設を防衛するミラージュという二つの陣営に分かれ、己の愛機と共に集結・交戦しているのである。
「アストライアー急げ! 敵さんは待っててはくれないぞ!」
「だからこうして急いでいるんだろうが」
 マナ=アストライアーは、そのうちの防衛側に属していた。
 まだ少年とも言って良い、若手レイヴンのヴァイスに先行されながら、アストライアーはハンガーを駆けていた。
 既に施設にはユニオンの戦力と、それに加担するレイヴン達の侵入を許している。ACやMTが、ハンガーから出動する姿からも、それが見て取れた。そして、発進していく機は、ミラージュに雇われたレイヴンの所有ACばかり。ミラージュ専属機は既に全て発進した後だった。
 急ぐ二人は、突如として前方に現れた一人の男を見てその足を止めた。色の濃い肌に赤い頭髪、野性的な灰色の瞳。一見しただけでは誰かと思われるが、しかしアストライアーとヴァイスは、その姿がレイヤード第3アリーナのランカーレイヴン、ノクターンのものである事に気が付いていた。
「ノ、ノクターン……」
 まずい、非常に気まずい。この場からヴァイスは一刻も早く逃げ出したかった。何しろこの二人は、以前第3アリーナの試合でぶつかり合い、勝者と敗者の関係となっているからだ。その様な二人が出くわして、果たしてどんな醜い争いが展開されるか知れなかった。
「……お互い同じ依頼を受けたレイヴンだ、余計な詮索は無しにしよう」
「そうだな」
 ヴァイスの危惧など意に介さず、眼として向かい合った仇敵同士は互いの胸中と現状を察してか、それ以上の言葉を交わす事なく、愛機へと足を進ませた。戦闘状態に移行しているのだから、互いの士気に影響を与えないと言う事、そして敵を目前にしている状態で考えれば、アストライアー及びノクターンの反応は至極当然ではある。
 だが、ヴァイスにとっては全く意外な事だった。
「ま、マジか? アリーナでの負けの事は良いのか?」
 ヴァイスに呼び止められた気がしたのか、ノクターンは振り返る。
「アリーナでの敗北は過ぎた事、それはどう言おうと覆りようがない。今は目の前の依頼に対してのみ、全力を注ぐまでだ」
 そう言い残すと、ノクターンは早足で搭乗ACザインのコックピット内へと消えて行った。搭乗者をその内部に宿した、金色の洒落たひし形に刻まれた「Z」の字を描く傷を模したエンブレムを有する赤錆色の中量2脚ACが、他のACと共に開かれたゲートの向こうへと歩んで行き、やがて戦いに加わるべく、青白いブースターの噴射炎をなびかせ始めた。
「急げヴァイス! 何をやってるんだ!!」
「分かってる!」
 ヴァイスが愛機に向かう間にも、アストライアーは既にヴィエルジュのメインシステムを起動。戦闘モード移行を待たずして、次々にゲートを潜って行く。
 3つ目のゲートを超え、先行した同胞と同じ部屋で戦うかと考えながら十字路を右折すると、既に施設に侵入し、此処までたどり着いたスクータムの一団が、重々しい足音と元にヴィエルジュへと前進、バズーカを発砲しかかった。
「ヴィエルジュ、交戦!」
 OBで一挙に距離を詰め、スクータムの左腕側へと降り立つと、補助ブースターで急速旋回、間髪入れずに青白い刃を振り下ろし、眼前の敵MTを片っ端から斬り捨てる。幸先良く剣戟を決めて移動を再開した直後、斬られたスクータムは崩れ落ち、爆発した。
 前方のゲートを開くと、今度はギボンが軽快な動作で姿を現していた。その左肩には、管理者の破壊を唱える秘密組織「ユニオン」のエンブレムが貼られていた。先程のスクータムと同様だ。
「残念だが貴様等を通す訳には行かない。悪く思うな」
 接近してくるギボンを、ヴィエルジュはショットガンとムーンライトで片っ端から粉砕すると、近場のゲートを開放し、内部へと踏み込んだ。
 ヴィエルジュが室内へと入った時には、既に先客が居た。先のガレージ襲撃で病院送りになったはずのストリートエネミーが駆るスタティック・マンだった。
「……貴様、負傷したんなら大人しくしてろ!」
「うっせぇな」
 余計なお世話とばかりにストリートエネミーも返す。眼前に現れたギボンを対ACライフルで撃ち抜きながら。
「火傷ぐらいどうって事ねぇ」
 ストリートエネミーの額や両腕には、火傷の処置跡と見える包帯が巻かれていた。止血・縫合・細胞再生など数種の医療用ナノマシンを含んだ医療パッチを傷口に当て、応急的とはいえ1週間で火傷を治したのだ。その手を硬く握り、得意げにアストライアーに突き出して見せることで、彼は健在振りをアピールした。
「……簡単に死ぬなとだけ言っておく」
「当然だろ?」
 ストリートエネミーの相手も程々に、アストライアーはレーダーコンソールに眼をやる。敵機を示す赤い点と、味方機を示す緑色の点とが入り乱れている。
「しかしま、結局ミラージュの予想通りになっちまったか」
 アストライアーは無言で頷き、同意した。
 この数日前、ミラージュはユニオンがレヒト研究所を襲撃するとの情報を得ており、自社戦力の動員はもとより、予てから腕利きのレイヴンとなっていたアストライアーに「レヒト研究所を警備し、ユニオンが襲撃した際には迎撃せよ」との依頼を出していた。
 だが、レヒト研究所はACで動き回るとしてもかなりの規模であるため、ミラージュは彼女以外にも複数のレイヴンに依頼を出していた。
 ミラージュとしては、最近流行となった管理者部隊による襲撃もあるので、自社戦力を極力消費する事を避けたかった。故に、研究所防衛にレイヴンが借り出されるのは必然なのである。
 そうした背景があり、利害関係がミラージュと一致したレイヴン、ミラージュと言う企業に好意的感情を持つレイヴン、単に金稼ぎを目的に雇われたレイヴン等、思考も戦闘スタイルもバラバラな寄せ集めのレイヴン軍団がミラージュの重要拠点内に出現する事となったのである。
 そして、それは襲撃する側であるユニオンについても殆ど同じであり、両者の違いは企業と秘密結社、そして施設を襲撃する者と守る者という、立場の違いでしかなかった。
「……だがアス、何か変だと思わないか?」
「どうした?」
 ストリートエネミーが新手のステルスMTフリュークを銃撃しながら問いかける。
「こいつら、こうしてACが警備に出ていると予想している筈だろ? なのにこうしてMTでノコノコ出て来て、施設に侵入出来ても掌握なんか望めねぇ。行ったきりの、言わば特攻だ」
「ならば、何故彼等はこうして生還を期さない戦いを?」
 アストライアーはストリートエネミーへの返事もそこそこに愛機を操作、前方のギボンを斬り捨てる。
「さあな。俺に聞かれても分からん」
 スタティック・マンもフリュークをライフルで銃撃しつつ答える。透明化したボディに銃弾が叩き込まれ、穴だらけになったと思った直後には、スパークと共に光学迷彩機能を喪失したMTは崩れ落ちた。
「兎も角そんな事はどうでも良い、依頼が有るから俺達は戦う。ただそれだけを考えればいい。だろ?」
「……無論!」
 幾度と無くレイヤードを混乱に陥れ、その都度アストライアーをはじめとした者達に倒されて来た武装組織。アストライアーには、彼等は何れも、己の信念を貫く為に、周囲の者全てが犠牲になる事すら厭わない一方的な偽善を唱えている要に感じられ、今回の相手たるユニオンも、その例外とは思えなかった。管理者の破壊を望むゆえ、命を捨ててまで管理者へのアクセスプログラムを得ようと言うのは解るにしても。
 些細な面目の元で暴れ回るならず者が掲げる不毛な偽善に、また付き合わねばならないのか。アストライアーはそう考え、半ば呆れた様な表情を浮かべる。
 だが、敵対者である以上遠慮は不要であった。何の躊躇も無くブレードを振り下ろし、ショットガンを放ち、敵MTを次々に撃破する。
 部屋に転がるMTが全て鉄屑となった直後、一条のレーザーがヴィエルジュ目掛けて飛来。幸いヴィエルジュにはダメージはなく、狙いを外したレーザーは床を焼いただけだった。
「レディ・ブレーダーこと、アストライアーさんですね?」
 私の名を知っているのか。何者だと凄みを利かせて相手に問いかけた。その頭部は東以外の三方向に開けられたゲートの、北側に向けられていた。正確には、そのゲートを開けて侵入して来たACに対してだが。
「俺は第5アリーナランカーのデリカテッセン。悪いですが貴女を殺らせて貰います」
 戦闘前に自己紹介とは殊勝な奴だと感心する間もなく、デリカテッセンが操る重量級逆間接AC「ディナーベル」が、手にしたレーザーライフルを連射し出した。
 見た目からして、ディナーベルは重量級逆間接、小型および中型のミサイルとレーザーライフル、ブレードで重装備され、EOを含めた火力は比較的高い。故に、防御面が脆弱なヴィエルジュは正面から突っ込めない。
 だが重量級ゆえ、機動性には劣っていることは眼に見えて分かった。アストライアーは目前の敵ACが動く様子から、そう割り出していた。
 よって躊躇無くヴィエルジュは突撃、敵機側面に向けてOBで突撃した。レーザーライフルを何発か貰うが、ディナーベルの頭上を飛び越え、後方に降り立つと、補助ブースターで急速旋回、敵の背後を襲いに掛かった。
 デリカテッセンもアストライアーの突撃を危惧して後退と同時に旋回するが、既に青白い刃は生成され、コアの背後へと突き立てられる寸前だった。一瞬の間隙も許さず、光刃はディナーベルの後方に幾度も叩きつけられる。
 スタティック・マンが銃撃によるサポートを行う前に、ディナーベルは無残な残骸となってスタティック・マンへの方向へと飛んで行った。最初は中型ミサイルが、続いてレーザーライフルを握った右腕が。2秒ほど遅れ、下半身から切り離された上半身も吹き飛んだ。
 吹き飛ばされた上半身へと、更なる斬撃が叩き込まれ、頭部が、左腕が相次いで切り離される。
「おいおいアス、そいつ殺しちまうのか!?」
「無論」
 既に戦闘不能となったディナーベルに歩み寄り、左腕のレーザーブレードを突き立てる。また以前見たように、躊躇無くコックピットブロックを斬撃でもって叩き潰すのかと思い、ストリートエネミーは嫌な顔になる。
 ミラージュ通信士から通信が届いたのは、そんな時だった。
『E21区画で交戦していたレイヴンが撃破された。敵はAC2機、E18区画で別のレイヴンと交戦中。直ちに援護に向かってくれ』
「この区画は?」
 ミラージュ通信士は、今アストライアーが居る区画のことは気にしなくてもよいと言う。
『施設の警護より、敵をデータバンクに行かせない事を優先してくれ』
 詳細は尋ねず、虫の息となったディナーベルを放置し、アストライアーはヴィエルジュをE18区画に向けて疾走させた。遅れてスタティック・マンも移動を開始したことで、負傷したデリカテッセンは、どうにか命だけは助かった事を知るのだった。

「なぁ、アス」
「何だ?」
「何で俺について来るんだ!?」
 先行していたヴィエルジュだったが、ディナーベルを戦闘不能にしてから1分も経たないうちに、スタティック・マンの後方に随伴するようになっていた。
「怪我人を放置しておけるか」
「そーかい。外見冷徹でも中身は何とやらってヤツか?」
「殺すぞドブネズミ」
 ストリートエネミーを罵ると、アストライアーはE18のナンバーが振られたゲートを開放した。
 E18区画は、ACにとっては十分動き回れるスペースであるが、既に交戦状態である3機のACは、何のための部屋か知れぬ場所を、縦横無尽に走り回っていた。
「良い所に来てくれたか! 頼む、あいつ等を何とかしてくれ!」
 既に室内で交戦状態だったレイヴン・ヴァッサーリンゼが、息も絶え絶えといった形相で援護を乞う。
 彼が操る青緑色のフロートAC「ウォータースプライト」は既に表面の彼方此方が傷付き、軽量級コアの薄い装甲は爛れ、焦げ付いていた。今までどれ位戦って来たかが見て取れた。
 ただし、IFFが敵機と認識しているのは、そのフロートACと戦っていた中量2脚ACの方であった。
 2機いる中量2脚のうちの一機には、ミサイル、3連ロケット、ライフル、ブレードと全距離に対応した装備が施されており、ライフルは近距離〜中距離、肩のロケットは接近戦でブレードと併用、ミサイルは中距離から遠距離戦に用いられ、それらを状況に応じて切り替えるのだろうとアストライアーは判断した。性能的にはこれと言ったウリこそないが、半面無難な持ち味を最大のウリとしている様に見えた。要するに典型的な器用貧乏ACである。
 カラーリングはオレンジを基調とし、細部を黄褐色やグレー、濃灰色で彩っており、モノアイは黄色く発光していた。その姿に、アストライアーは見覚えがあった。
「レビーか!?」
 アストライアーの声に気付き、レビーと呼ばれたパイロットも反応した。
「げぇッ、レディ・ブレーダーかよ!? しかも味方まで居るのか!?」
 室内には、さらにイエローボート駆るアパシーもいた他、誰に倒されたのか、残骸となったACが1機転がっていた。ACは損傷が酷く、一見した限りでは誰の搭乗機か分からなかった。勿論敵か味方かも判別出来ない。
「イエローボート! あいつ等を叩くぞ!」
「分かったよ」
 レビーに言われるがまま、イエローボートが操るアパシーがヴィエルジュ目掛け、バズーカを打ち放った。だが、砲弾はヴィエルジュに容易く回避される。
「あの鈍足は任せたぜ」
 アパシーを僚機に任せると、ストリートエネミーは中型ミサイルを繰り出しつつ、ヴァッサーリンゼへと通信回線を開いた。
 レビー駆る「ファイアーパロット」は、ウォータースプライトに急速接近された上、スタティック・マンの中型ミサイルもこなさねばならなくなった。その為ストリートエネミーの通信内容を気にするまでには至らなかった。
「何で当らないんだ?」
 一方イエローボートは、ヴィエルジュへとバズーカを撃ちかかったまでは良かったが、あっさり回避された挙句、側面を取られる始末だった。
「くそー、ケツまで取られるし……」
 生粋の楽天家と言う性格が、コンセプトの読めないデタラメなアセンブリに反映されているイエローボートは、その戦いぶりも「なるようになるさ」的なものだった。そして彼女は、ヴィエルジュに側面を取られても、その理由が分からず、ただその場で、重量過多のACを旋回させるのみだった。
 こんなザコの相手をするのは時間の無駄だ! アストライアーはムーンライトを一閃、アパシーの両手足とレーザー砲を次々に切り落として戦闘不能にすると、止めを刺すのも惜しいとばかりに、ファイアーパロットへと向かった。
「だぁー、あのアマ足止めにすらならんのかよ!?」
 レビーは憤ったが、ストリートエネミー達には存じない事である。
「良いか、一気に決めようぜ!」
 レビーがストリートエネミーの通信に気付いた時には、既にスタティック・マンのミサイルと、ヴィエルジュのショットガン、ウォータースプライトのマシンガンと投擲銃が一斉に放たれていた。レビーは先程傍受したストリートエネミーの指示から、自分が何をされるか一瞬で理解し、回避行動に転じた。ライフルで銃撃する暇も無ければ、ミサイルをロックオンする猶予もない。
 逆にこの時に反撃を行っても、3機からの集中攻撃を前にしては焼け石に水。従って、この場は回避が最善と判断した。
 すかさずE18区画から抜け出したファイアーパロットだが、3機はなおも追撃を仕掛けて来る。
「誰でもいい、早く助けてくれ!!」
 銃撃に曝された装甲が次々に削り落とされ、レビーは目前の死の危険に焦った。通信回線を開き、同じ依頼を受けたレイヴン達へと助けを請う。
 10秒ほどして、レビーに答えるように、E17のゲートが開いた。だがゲートから現れたのはヴァイスのAC・ファイアフライだった。
「悪く思うな!」
 ファイアフライもアストライアー達に加勢し、総勢4機による集中攻撃が、ファイアーパロットに向けて噴水の如く押し寄せてきた。
 レビーは半狂乱の体で、E16と書かれたゲート内へと逃げ込んだ。しかしコアや脚部、腕部の装甲が次々に砕かれ、縦に並んだ頭部のセンサーアイも被弾していた。
 しかも、追撃してきたウォータースプライトの投擲銃により、頭部自体も飛ばされるように破壊された。他の3機も引き続き銃撃を続けていた。
「オイ、誰か居ないのか!!」
 助けを請うファイアーパロットを、4機は執拗に追撃する。
 この時、誰か一人でも注意深く周囲に耳を傾けていたならば、一同の後方で、軽快な電子音を発してゲートが開いたことを認知出来ただろう。レーダーを見ていれば、そのゲートの方角から赤い点が向かって来たのを知る事も出来ただろう。だが、一同が聞いたのは、光弾が床やACの後方を焼く音だった。
 背後からウォータースプライトが銃撃された事で、一同は即座に新手の敵機に気が付き、攻撃を一度中止して散開した。
 気付いてみれば、ファイアフライはレーダーを吹き飛ばされ、ウォータースプライトは肩のミサイルポッドを失い、両者のOBハッチは変形していた。OB機構自体はまだ機能するものの、ハッチが開かなくなっていた為、OBが使用出来ないのと同じだった。
「しまった……」
「チッ、油断していたか……」
 ヴァイスとヴァッサーリンゼが舌打ちする中、ヴィエルジュは半ば残骸となったファイアーパロットから、新手のACへと狙いを切り替える。
 レーダー上の頭部を持つ、カーキ色をした新手のACは、右腕に装備された巨大なレーザーライフルでファイアフライを更に痛め付けていた。
 あの外見で巨大な得物を装備している奴は、アストライアーの知る限りでは、以前戦ったあいつしかいなかった。
「テラか!」
 厄介な相手が来たなと思いながらも、アストライアーはテラが駆るスペクトルへと迫る。間髪居れずにOBを起動し、距離を詰めると共にカラサワの光弾を回避。勢い余って左手側面を通過してしまったが、直ちにターンブースターで反転し、ショットガンを嘗ての対戦相手へと向ける。
 そうする間に、スペクトルは高々と跳躍し、ファイアーパロットとスタティック・マンの間に割り込んで着地。
 ストリートエネミーは至近距離に突如降り立った相手に驚き、愛機を後退させようとしたが、スペクトルは怯んだ隙に光弾を3発発射し、濃灰色の軽量級コアの厚くない装甲を焼け爛れさせた。
「くぉの野郎!」
 怒りと共に、ストリートエネミーはブレードで反撃。だが、スペクトルは軽々と跳躍、緑色の刀身は虚しく空を切った。
 瞳に映るスペクトルが、以前と比べて若干ながら差異があることをアストライアーは見て取った。全体的な構成は以前戦った時と同じながら、腕部と左腕装備が若干変化していた。
 腕部はヴィエルジュと同様の、ブレード使用の為に最適化された省エネルギー腕部だが、ブレードの苦手なテラがブレードをメインにするとは、アストライアーには考え難かった。よって彼女は、エネルギーライフルとブースト移動を多用する為、余剰エネルギー確保を目的として換装したのだと判断した。
 左腕にはキサラギ製の光波射出ブレードが装着されている。弾切れ時の保険としてしか認識されていないブレードだが、光波を射出するタイプならば無理に接近せずとも機能する。
 当然テラは、カラサワがあるならば主力武器であるそちらを使い、ブレードはあくまでも弾切れ時の保険として認知していた。
 実際スペクトルが繰り出すのは、アストライアーに敗戦した時と同様のカラサワによる射撃のみ。光波ブレードを振るう気配は無かった。
 カラサワによる銃撃が再び繰り出され、アストライアーはヴィエルジュを後退させ、同時にショットガンを発砲。愛機の損害が蓄積しつつあったヴァッサーリンゼも、牽制のデュアルミサイルを放ちつつ、ウォータースプライトを離脱させる。
 しかしアストライアーも、他の連中も、テラの眼中には無かった。
「その損害でこれ以上戦うのは危険です! 後続に任せて一度引いて下さい!」
 出るなり何を言い出すんだと、レビーは目前の味方機パイロットに食って掛かる。急に撤退を命ぜられたのだから、レビーでなくても、レイヴン達にとっては気に食わないものだ。特に攻撃的な連中にとっては。
「畜生、折角此処まで来たのにこれかよ……!」
「今は生き延びて再戦の機会を待つものです。今の怒りは、また後の為に取っておくべきだと思いますよ」
 テラの言う事はもっともだった。既に全体の装甲がくまなく砕かれ、左腕が脱落しており、最早愛機が戦闘に耐えうる状態ではなかった事は、レビー自身も解っていた。
 それだけに、一矢報いる事すらもできない事が、彼は悔しかった。
 しかし損害を考えるに、今は自分の脱出を優先するべきだった。何故なら目前の相手は、過去に何度か戦った、相手の抹殺に何の否定的論理も持たぬ、肉食昆虫の様な冷酷さを持つレイヴンであり、引き時を誤ればブレードの錆と消えるのが関の山である。
「チッ、しょうがねぇ……ファイアーパロット撤退する! 覚えてろ!」
 頭部と右腕を失い、千鳥足となったファイアーパロットはゲートを開けると、負け犬ならぬ負け鴉の遠吠えを発しながらゲートの向こうへと消えて行った。
「ではまた。リベンジは別の機会にでも……」
 味方機が退場すると、テラも愛機を急ぎ下がらせた。彼は施設内を動き回り、窮地に陥った味方機が現れる度に加勢に入り、その都度味方機を逃がしに来ているのだろうと、ストリートエネミーは見て取った。
「逃がさんぞ、待て!!」
 ヴィエルジュは逃げの姿勢へと体制を切り替えたスペクトルに追いすがろうとブーストダッシュを仕掛けるが、後一歩の所でスペクトルに止めを刺すには至らなかった。
 新手のACの攻撃を受け、それを回避せざるを得なかったのである。
「次から次へと……一体何機居るんだ!?」
 新手のACの攻撃はファイアフライにも突き刺さり、その機体からは火花が飛び散り始めた。スペクトルの銃撃をまともに喰らい続け、装甲が危険な状態になっていた。
「これ以上撃たれるととてもじゃないが持たない」
「回避を! あいつは俺が!」
 ファイアフライを庇う様に前に出たウォータースプライトが敵ACへと接近、投擲銃を発砲し、僚機を殺らせまいと敵機を追う。
 だが、敵ACの攻撃の方が早かった。ウォータースプライトの銃撃が回避されると同時に、ライフル弾が次々にファイアフライに突き刺さった。
「装甲が……くそぉッ!!」
 最後に投擲銃から炸裂弾を叩き込まれ、ファイアフライは爆発炎上した。中のヴァイスが気に掛かるが、ストリートエネミーにはその余裕すらなかった。自分にも投擲銃による攻撃が向けられ、更に別の敵機からはレーザーライフルの銃撃が繰り出されていた。
「此処じゃマズイ、隣のE15区画は広いから其処に誘き出してボコそう」
 同感とだけ返すと、アストライアーはヴィエルジュを移動させ、隣の区画に通じる通路を疾走させた。スタティック・マンも何とか後を追う事が出来た。
 ただし、敵機への銃撃を続けていたウォータースプライトは、一方の敵を追う間に、もう一方の敵機から銃撃され、コア後方のOBハッチと脚部フロートユニットを破壊された挙句、ファイアフライと同様に炸裂弾を直撃され、戦闘不能となった。
 戦場を変える間にも、アストライアーは視覚から得られた背後の敵を分析する。今自分達を追撃する敵機はいずれも軽量2脚、カラーリングは一方が黒と紫、もう一方はピンク色だった。
 色黒のACは軽量級ガンナータイプとでも言うべきアセンブリで、武器は対ACライフルに投擲銃、肩のミサイル。ファイアフライとウォータースプライトを戦闘不能に追いやったのも、このACが放った投擲銃だった。
 もう一方はレーザーライフルと軽量なブレード、ミサイルに軽量級EOと、武装が絞られがちな軽量2脚としては攻撃バリエーション豊富な印象があった。
 そのピンク色の軽量級2脚AC「ノクターナルパピヨン」は、逃げるヴィエルジュがゲートに近付くと、もう一方のAC「クリザリッド」と共にミサイルで攻撃を仕掛けてきた。
 両者には、急激に距離を詰める気配はない。まるで先行するヴィエルジュとスタティック・マンをいたぶり、追い詰めるのを楽しんでいる様な様子である。
 だがアストライアーも易々と被弾を許さない。デコイを放出し、ミサイルを愛機から逸らしながらゲートを開くと、飛び込む様にして部屋に入り込んだ。スタティック・マンもそれに続く。

 E15と記されたゲートを開いた先には、室内の両脇に柱が立ち並ぶ、一見した限りでは何に用いられているのか不明瞭な空間だった。南北と東側の3箇所にゲートがあり、ヴィエルジュはマップに表示された包囲を示すNの文字が自分の正面のゲートに向いていたことから、南側のゲートから入ったのだと理解した。
 室内には先客が居た。ミルキーウェイが操るAC「ネージュ」と、フィクサーが操るアインハンダーだった。
「お兄ちゃんにお姉さま! 助けに来てくれたんだね!!」
「あ、あれは……」
 フィクサーの脳裏にヴィエルジュの姿がクローズアップされる。それと同時に、アリーナでヴィエルジュに散々に叩きのめされ、心に傷を負うまでに至った、嘗ての敗北の記憶も。
「う……うわあぁぁぁぁぁ!!」
 フィクサーはヴィエルジュを見るや否や、たちまち戦意を喪失、ネージュに背を向けると、恐怖ゆえの奇声を発しながら北側のゲートをこじ開けて逃亡した。ヴィエルジュは自分を倒しに来たのではなく、敵に終われて此処まで来たのだと言う事に、彼は気が付かなかった。
「ミルキー! コイツ何とかしろ!!」
 自分を助けに来た割には形相が変――ミルキーがそう感じる間にも、兄及びお姉さまと慕う二人を追撃してきたクリザリッドもゲートから出現、高々と跳躍すると、眼下のスタティック・マンを銃撃しかかった。ストリートエネミーは辛うじて銃撃を回避しているが、投擲銃による爆撃で、愛機の爪先が破損しかかる。
「もぉっ! もうちょっと夢見させてよぉ!!」
 ミルキーウェイはむくれたような口調でクリザリッドにミサイルとEOの同時攻撃を浴びせかかった。アストライアーが聞いた限り、その口調から、白馬の王子さながらに自分を助けに来たことを期待していたようだった。最も、そんな彼女と交戦していたアインハンダーは既に逃亡してしまったが。
 一方クリザリッドは、繰り出されるエネルギー弾を次々に回避、続いて室内に入って来たノクターナルパピヨンがデコイを放出した事でミサイルも無力化された。
「おお、助かったぜ」
 ノクターナルパピヨンのコックピット内では、通信モニターにビロード色の頭髪と瞳を持つ男性が映し出された。クリザリッドのパイロット、ナハトファルターの声と姿である。
 今度こそと、ネージュからは第2射となるミサイルが飛来。だがこれも、ノクターナルパピヨンのデコイで容易く無力化させられる。
「つるぺたは邪魔!」
 ノクターナルパピヨンの搭乗者にして、ナハトファルターの妹――ファレーナのその一言が、ミルキーウェイの逆鱗に触れた。
「五月蝿い、こんの魔乳害虫!!」
 嫉妬をうかがわせる怒号と共に、ネージュはハンドガンとEOによる同時攻撃を繰り出した。
 魔乳害虫と言うのは、ノクターナルパピヨンの搭乗者・ファレーナを形容しての言葉だ。ビロード色のストレートロングヘアと同色の瞳を持ち、豊満な体形からか母性的印象の強い彼女だが、その胸の膨らみもひときわ目立っており、まるで熟れた果実の様な印象を見る者に与えた。そしてそれが、蛾を意味するレイヴン名と相まって、ファレーナに魔乳害虫と言う異名を与えていた。
 ミルキーウェイはそんな彼女の胸と、イマイチ発達していない自分の胸を比較し、また他者からもそれを比較された事からコンプレックスを抱いており、一方でファレーナがレイヤード第3アリーナに参戦し、ランクを上げつつあった点も相まって、激しい嫉妬心を抱くまでに至っていた。
 この両者、レイヤード第3アリーナでも互いをライバル視しており、ミルキーウェイはCランク、ファレーナはまだDランクと言う位置に居るが、ランクの開きなど関係なく、ほぼ互角の試合を演じていた。
 しかし今、ノクターナルパピヨンが一切の攻撃を停止、空中に飛び上がっての優美な円運動を披露すると、ネージュが繰り出す銃撃は悉く外れていく。
「そんなに頭に血が上ってたら、また負けちゃうわよ?」
「うるさいっ!!」
 ミルキーウェイは怒りに任せてミサイルを放ったが、これも自由落下によっていとも簡単に振り切られ、壁に着弾してしまう。
「このつるぺたは任せて、お兄ちゃんはその二人をお願い」
「へいへい」
「つるぺた言うなーっ!!」
 二人の若い女の声と、その兄である男の声が飛び交った次の瞬間には、ネージュとノクターナルパピヨンは共にEOを起動し、幾筋のエネルギー弾を飛び交わさせた。
 ミルキーウェイとEOや銃を撃ち合い、激しく戦い合うファレーナとは対照的に、その兄であるナハトファルターが駆るクリザリッドは、柱に隠れながらの銃撃と言う非常に消極的な行動を繰り返す為、ヴィエルジュが繰り出すショットガンは勿論、ミサイルも殆ど命中しない。
 ヴィエルジュは追跡を試みるも、柱が障害物となって行く手を阻み、距離は思うように縮まらない。
 アストライアーは段々苛立って来た。血の気の多いレイヴンなら間違いなく業を煮やして突撃していた所だろうが、アストライアーは相手の未知の部分を警戒する事も含め、何度も剣戟を思い止まった。
 とは言え、柱に隠れての回避に終始する相手に苛立っていたのは間違いなかった。
「あーあ、かったるいぜ」
 そんなアストライアーなど知らずか、或いは最初からアストライアーを苛立たせるのが目的なのか、ナハトファルターはACを動かしながら、倦怠感たっぷりの欠伸をしていた。
 搭乗者はアンニュイだが、クリザリッドは柱から柱へと飛び移り、ショットガンとライフルの銃撃から巧みに逃れている。アストライアーは愛機を柱の影へと移動させ、クリザリッドを追撃するが、目前の敵ACは柱に沿って上昇し、今度は天井近くの鉄骨から投擲銃を発射してヴィエルジュを翻弄する。
 アストライアーがそれを察し、咄嗟にブーストを停止した為、放たれた炸裂弾はヴィエルジュの頭上を掠め飛び、背後の壁に着弾した。
「貴様……戦う気があるのか!?」
「ないね」
 ナハトファルターは当然のように言い放つ。
「オレの目的は時間稼ぎさ。あんたの様な危険物を一秒でも長く足止めさせる為にな」
 ふざけるな、その手には乗らんとアストライアーは北側のゲートに向けて愛機をダッシュさせた。真剣勝負を良しとせず、ひたすら逃げ回る事で勝ちを得ようとする、この様な歪んだ根性の持ち主に、いつまでも関わってはいられない。
 それに加え、ナハトファルターの判断も戦略的(ユニオンがデータバンクを押える、と言う今回の敵の目的を遂行する上で)には間違ってはおらず、アストライアーとしても、この様な者に関わってる暇が有ればこそ、迫っている他の敵を叩き潰すべきだった。此処で足止めを食らったばかりに、アクセスプログラムの奪取を阻止出来なかったのでは、戦線に立った意味がない。
「ストリートエネミー、こんな奴放置して行くぞ!」
「……ファレーナ!」
 兄からの通達に応じ、ファレーナは愛機のEOを起動、脱出しようとするヴィエルジュにエネルギー弾のラッシュを仕掛けた。同時にクリザリッドも投擲銃を発砲して追撃。エネルギー弾の連射を浴び、コア後方の装甲とOBハッチを焼かれたヴィエルジュは、これはまずいと即座にゲートから離れた。
 直後、炸裂弾がヴィエルジュ目掛け飛来したが、すかさず彼女はゲートから離れた事で、炸裂弾はゲート前に着弾。ゲートから電子的な音と火花が散り、直後には周辺の電子的な光が消えた。
「あんたの相手はこのあたしよ、魔乳害虫!」
 EOからの攻撃でエネルギーを消費し、ミサイルでヴィエルジュを狙い撃とうとしたノクターナルパピヨンだが、ネージュから放たれたミサイルを回避する為に、ヴィエルジュからは狙いを外した。
 再び、2機の軽量級ACが向かい合い、ハンドガン銃撃とレーザーライフル銃撃、搭乗者同士の罵声を飛ばしあう。その中で、ヴィエルジュはすかさずゲートに舞い戻り、硬く閉ざされたゲートにアクセスを試みた。
 しかし、榴弾の爆発と衝撃とでゲートが故障したのか、硬く閉ざされた扉からは何の反応もなかった。
「ハッハッハ、これで移動出来まい」
 勝ち誇ったように、気障な笑いを発するナハトファルター。その笑い声に混じり、銃声と対ACライフルの火線がヴィエルジュ目掛けて迸る。
「チッ、小賢しい真似を……」
「誉められたと思ってやるよ」
 回避行動を取らねば大損害は避けられず、先程回避行動を取った事でゲートは閉鎖。それがナハトファルターの意図とは違う結果かは分からないが、してやられた事を知り、アストライアーは唇を噛んだ。
「お前は一体何なんだよ!?」
「誰だって良いじゃねぇか。強いて言うならな、アリーナが変わる事を待ち望んでいる、アス姐のファンさ」
 ストリートエネミーに返答しながらも、ナハトファルターはクリザリッドを手足の如く操り、銃撃を回避しまくる。
 アストライアーは数を減らす好機と見て、ノクターナルパピヨンへと向かおうとしたが、クリザリッドは投擲銃を発砲、ヴィエルジュに発砲しかかった。今度の炸裂弾はコアに着弾、コアの左脇付近を抉る様に破壊していた。
「戦いの最中は相手から目を離すもんじゃないってパパから教わらなかったのか? やれやれ、そんなんでよくB-3ランクまで上がって来られたなー」
「貴様……」
 怒りが込み上げ、クリザリッドに斬り掛かろうとしたアストライアーだが、それを堪えた。ナハトファルターを斬るとしたら、もっと損害を与えてからだ。しかし、障害物の影に隠れての攻撃を繰り返している間は、斬りかかれるぐらいの損害を与える事はおろか、被弾すら難しいと言う点も認めざるを得なかった。
 アストライアーを嘲笑う間にも、ナハトファルターは妹の操るACへと視線を向ける。ネージュとの交戦で大分ダメージは蓄積しているが、まだ助けに入らずとも大丈夫だろうと、彼には分かった。
 そして、今は妹に加勢するべきではないとも判断した。ここで彼女に加勢した所で、自分の獲物を横取りするのかと言われるだけだろうと、ナハトファルターは思っていた。
「この野郎、真面目に戦え!」
「嫌だね。オレはマトモな戦いってのが馬鹿らしく思える性質なんだ」
 銃撃を繰り返すスタティック・マンを嘲笑うかのように、ナハトファルターはスタティック・マンには殆ど攻撃を行わず、常に相手との間に障害物が位置するように愛機を動かすのみ。その間繰り出される攻撃は、小型ミサイルや対ACライフルを、散発的に繰り返す程度だった。
「チッ、このクソッタレめ……」
「へー、つるぺたアイドルの尻に敷かれた溝鼠(ドブネズミ)の口からクソッタレだ何て単語が出るとは意外ですなぁ」
「ふざけるな!」
 鼻に付く台詞を前にして逆上しかかるストリートエネミーだが、スタティック・マンの頭上を炸裂弾が飛び去り、床で爆発と衝撃波を引き起こすと、すぐさまストリートエネミーは自らに忍耐を課し、落ち着きを取り戻した。この当り、まだファレーナとの罵声合戦を続けているミルキーウェイとは対照的だ。
 しかしながら、レイヤード第3アリーナの新たな兄弟ランカーとして注目され始めたこの兄妹は、揃って人の神経を逆撫でするのがお得意なようだ。そしてアストライアーには、それも勝利を確実にする為の手段として映っていた。冷静な判断を欠いた相手なら、多少火力が劣っていたとしても勝てる見込みは十分にある。
 アストライアーは相手の心理に付け入って戦うタイプのレイヴンではないので、そうした策略は駆使しないのだが、それでも分かっていた。この飄々とした男は、見た目とは裏腹に、相手を監視カメラの如く見詰め、事前に蓄えたであろう情報を元に、目前の相手を精密機械群の如く分析し、確実に事を運ぶ事だろう。アストライアーはそう見ていた。
 実際、ストリートエネミーがクリザリッドを追う中、ヴィエルジュは何回かノクターナルパピヨンへと攻撃の矛先を向けるが、その度にクリザリッドはミサイルや投擲銃で、狙いを分散させたヴィエルジュを確実に削り、ファレーナへの攻撃を許さなかった。投擲銃で何度も銃撃されれば装甲が持たない。従って、アストライアーはノクターナルパピヨンへの攻撃を、諦めざるを得なかった。
 恐らく、彼はいかなる事態であろうとも冷静に相手を観察し、付け入る隙を虎視眈々と狙っている。単に技量だけで見るならば自分が勝っているとアストライアーは確信しているが、しかしナハトファルターの厄介な所は、常に周囲への認識を欠かさず、しかもそれでいて頭も回る点にある事も認識していた。
 それを裏付けるかのように、ナハトファルターは戦闘中に何度も通信士を呼び出し、状況確認を行わせていた。
「あいつはまだ来ないのか?」
「ミラージュのACと雇われランカーに梃子摺っていたが、今そっちに向かっている」
 同時に、クリザリッドのマップには彼が代名詞で呼んでいたACの現在位置が表示された。味方である事を示すグリーンの表示は、自分と妹がいる部屋に向けて進んでいた。
 味方機が居た所で、ナハトファルターが幾度も餌食にして来たゴロツキまがいのレイヴン同士と言う間柄では戦果を横取りするのかと、味方同士が疑心暗鬼となる事も珍しくない。したがって、そろそろ退くべき潮時だろうと判断、ナハトファルターは柱の影から躍り出ると、ECMメーカーを放出した。
 スタティック・マンとヴィエルジュのレーダーが砂嵐となり、ロックオンが途切れたその隙に、クリザリッドは南側のゲートに向けてブーストダッシュする。
「待て! 逃げるのか!?」
「イエース」
 コメディ番組の様な間の抜けた台詞を発し、ナハトファルターは愛機をゲートに向けて走らせる。アストライアーの視線の先、通信モニターに映し出されていた、ビロード色の頭髪と瞳を有するその笑顔が、妙に清々しく見えた。
 ヴィエルジュは体当たりでECMメーカーを木っ端微塵にしたが、既にクリザリッドからは相当距離を離されていた。
「この場はとりあえずオレの負けと言う事にしておく。あんたにはこれから更に勝ち続けた暁に、是非アリーナでやって貰いたい事があるからな。じゃあな、オレは帰るぜ!」
 ナハトファルターを逃がすまいと2機のACは銃を向ける。私にやって貰いたい事とは何だ、BBの抹殺か――アストライアーの疑問は、目前の敵ACが離脱すると判断し、灰色の僚機が攻撃に移行するに当って消失した。
 だがクリザリッドは再びECMメーカーを射出。レーダーに砂嵐が混じり、ロックオンが唐突に途切れる。ミサイルを発射しようとしていたスタティック・マンは止む無く武器をロケットに切り替え砲撃、ヴィエルジュもショットガンを目視射撃するが、高機動ACに分類されるクリザリッドは狂ったピエロの様に、上下左右に跳ね回りながら南側のゲートへと急行する。
「ファレーナ、そのつるぺたは放置してさっさと帰るぞ!」
「はーい」
「うるさいっ!!」
 これ以上何かを言われると発狂しそうなミルキーウェイを無視し、さっさと逃げた兄に続き、ファレーナも愛機をバックさせながらの撤退を開始する。だが嫉妬心に燃える彼女がそれを許さなかった。
「逃げるな、この魔乳害虫!」
 怒りの声と同時に、ネージュから連動ミサイルが付いた小型ミサイルが次々に飛び出す。だがノクターナルパピヨンは円を描くような機動を描き、ミサイルを回避。
「怒ってると冷静な判断できないよ? それにしてもイヤねぇ、つるぺたちゃんのジェラシーって♪ でも其処がカワイイわ♪」
「ムキぃぃぃぃ〜〜〜〜ッ!!」
 脳内が熱暴走したミルキーウェイはそのままネージュをゲートに突っ込ませ、既にゲートを潜っていたノクターナルパピヨンの跡を追い出した。深追いするなとストリートエネミーから呼びかけられたが、嫉妬に駆られた妹分に、忠告は届かなかった。
「嫉妬ってのは末恐ろしいな、マジで」
 お前が言うかと、アストライアーは胸中で呟いた。
「それより、追いかけなくて良いのか?」
 ストリートエネミーは首を横に振った。
「此処で敵を食い止めないと駄目だろ」
 敵機がいなくなったのを確認すると、ストリートエネミーはリアルタイムで更新されているマップを表示する。
 レヒト研究所の全景を記したマップの上に、ACを示す赤や緑色の反応が表示されるが、緑色のマップが徐々にその数を減らしたり、データバンクに程近い場所まで後退しているのが確認された。同時に、赤い点は徐々にデータバンクへと迫っている。
 最も、そうなっているのは東の一区画だけで、他の区画には緑色の点しか見当たらない。この事からストリートエネミーには、ユニオン側が、東からの一転突破を図っている様に見えた。
「ミラージュの軍はどうなってるんだ?」
 アストライアーは通信士に問いかけた。
「本社とその周辺から救援部隊が向っている。到着予定は、最短で12分後」
 実働部隊によって減少している貴重な戦力を繰り出してまで、ミラージュは此処を守ろうとしている。ならば、それまで何とか持たせて持たせなければと思ったアストライアーだが、しかしクリザリッドとの戦いは、ヴィエルジュの旗色を予想以上に悪くしていた。銃創だらけのACで、後どれ位戦えるのか、アストライアーには分からなかった。
 こんな時、スキュラが居たら――そう思ったアストライアーだが、スキュラには自分の不在の間、エレノアの保護を頼んでいる。エレノアの事を考えると、戦力として借り出すのは忍びないとアストライアーは思っていた。
 だが、通信士がかなりの深刻さを感じさせる、焦りの色が漂う口調で状況を知らせた為、アストライアーは即座に思考を切り替えた。
『アストライアー、ストリートエネミー! ルキファーとヴァージニティーがE15区画に接近!』
 ついてないなと、ストリートエネミーの嘆きが聞こえて来た。
「ノクターンはどうなったんだ!? 確か奴もアキラの足止めに――」
 動作停止状態にあった北側のゲートが吹き飛ばされ、通話は出し抜けに中断された。続いて、金属が荒々しく引き裂かれる重々しい音が響く。レーダー上の赤い点から、何かしらの敵対機が居るのは分かるが、燃え盛る炎に遮られ、室内の様子は分からない。
 程なくして、何かが室内に吹っ飛んできて、ヴィエルジュの足元で停止した。それが、何かしらのACから引き千切られたMHD-RE/008である事は、すぐに分かった。
 赤錆色に塗装されたそれに気付いた直後、次々にACのパーツが室内に吹っ飛んできた。まずショットガンを握った右腕が、ついで脚の片方が。
「なぁ……ノクターンはどうなったんだ……?」
 ストリートエネミーに答えるように、今度は爆発と共にAC本体が室内に入って来た。随所が焦げたり熔けたりしていたが、薄紫色がアクセントになっている赤錆色のカラーリングと、「Z」の切込みが入った菱型のエンブレムから、それがノクターンのAC・ザインであると、二人には分かった。
 だがザインはノクターン共々死んでいた。コアを叩き潰され、四肢を切り落とされた無残な姿となって。
 アストライアーとストリートエネミーは、ザインの残骸をあらためると、絶句したまま、吹き飛んだ北側ゲートへと目をやった。
 室内は炎が凄まじく、中の様子はまるで分からない。
 しかもスプリンクラーが作動してか、火が消えたのは良かったが、今度は凄まじい水蒸気と煙が室内を満たした。
 二人は互いのレーダーコンソールをチラッと見るが、ルキファーかヴァージニティーを示していたと思われる赤い点は、唐突に消失していた。
「……どこに消えた!?」
「分からん」
 ECMメーカーでも使ったのか、部屋から出たか、或いは何かがレーダーを遮っているか――ヴィエルジュが室内に踏み込もうとした直後だった。
 南ゲートが空けられ、二人は一瞬敵かと咄嗟に身構えた。しかし純白と桃色の鮮やかなペイントが施された軽量級ACを見るに及び、警戒心を緩めた。
「くっそー、あんの魔乳害虫めーっ! 今度見かけたら毒盛ってやるーっ!」
 その口調からすると取り逃がしたかと、アストライアーは推測した。
 ミルキーウェイはファレーナへの恨みつらみを呟いていたが、ザインの残骸に気が付くと、途端にその表情を強張らせた。
「これ……どういう事?」
「さあ……隣で何かがあったんだとは思うが――」
 ストリートエネミーの言葉を、突然の砲撃が遮った。
 反射的にストリートエネミーは操縦桿を握り、ゲートから逃れようとしたが、直後には砲撃がコアと右腕の繋ぎ目に直撃した。
 油断していたか! アストライアーは舌打ちしながら、直ちにゲートから離れた。
 その直後、ヴィエルジュの居た場所に純白のACが現れ、蒼白いレーザーブレードを薙ぎ払う。ヴィエルジュは間一髪で剣戟を逃れたが、スタティック・マンは振り抜かれた剣戟を食らい、床に倒れたた。
 女の舌打ちを、アストライアーは聞き逃さなかった。間髪入れずにレーザーブレードを振りかざしたが、蒼いACがヴィエルジュと純白のACに割って入り、剣戟を受け止めると、ヴィエルジュを押し返した。
 一方、純白のACは、最早動けないスタティック・マンの残骸をズタズタに切り裂いていた。その様子が、アストライアーの中で、ザインの最期と重なる。ザインを無残な姿にしたのも、こいつなのだろうか?
「……アストライアーさんの方は仕留め損なった」
「まあ良い」
 女性の声と、機械的で中性的な声。以前耳にした、忘れようもない声だった。ミルキーウェイがわけの分からないまま、ヒステリックに兄を呼ぶ声が響いているが、それでもあの声は分かる。
 目の前に居るのは、以前にも目の当たりにした、女神か悪魔かも分からぬ女性と、レイヤードの誰もが恐れるイレギュラーレイヴンだったのだから。
「お兄ちゃんを返せぇぇぇぇっ!!」
 怒りと共に、ミルキーウェイは壊しそうな勢いでファイアーボタンをパンチした。間髪入れず、連動ミサイルも含めた6発のミサイルが放たれたが、ヴァージニティーは高々と飛びあがり、華麗な空中舞踊を見せ付けるようにミサイルを裁ききった。
 続けざまに再びミサイルが放たれるが、またも1発も命中しなかった。
 ネージュがヴァージニティーと戦う間、アストライアーはルキファーの動きを無心で見つめ、大した効果はないだろうと呟きつつも、牽制の小型ミサイルを繰り出した。しかし敵機は、ミサイルの存在を気にも留めず、ミラージュのエンブレムが張られたスクータムを切り刻んでいた。
 ルキファーのカラーリングは以前と同様、群青色の体躯から鮮血が流れ出したようなカラーリングをしていた。だがアセンブリは大きく異なり、コアはOB機能を内蔵した中量級コアに、腕部はクレスト製の、現行最軽量のものに換装されている。
 武装の方も、右腕にパルスライフルを握り、左肩に携行型グレネードランチャー、右肩にチェインガンを担いでいる。それは、エースが駆るアルカディアの性能バランスを、より平均的にしたような印象があった。
「……そこをどけ」
 そのルキファーは、ミラージュのMT部隊をいとも簡単に全滅させるや、ヴィエルジュに向き直った。そして、即座にチェインガンを撃ちかかる。
 勿論アストライアーも退く気はなく、返答代わりにとショットガンを発砲した。
「話の分からん奴め……」
 排除するしかないかとアキラは呟き、携行型グレネードを前に倒し、ヴィエルジュを頭上から砲撃しかかった。
 回避しながらも、アストライアーは、アキラが他のレイヴンか何かを呼んでいたように聞こえたが、砲撃が立て続けに二度、三度と頭上を掠め、レーダーをへし折るに及び、回避行動に専念しなければ危険と察知、すぐに距離を離しにかかった。
 ヴィエルジュが後退するのを見届けると、アキラは即座にルキファーを東ゲートへ向かわせた。ゲートの向こうはE06区画に通じており、そこからデータバンクのあるE03からは大した距離はない。
 此処を突破されれば、データを奪われかねない――使命感が、反射的にアストライアーを動かした。直ちにOBを起動し、ゲートを開きかかったルキファーの側面を狙う。
 即座にムーンライトを振りかざし、ルキファーを斬り付ける――筈だった。
「くッ!?」
 ヴィエルジュの刃は、ルキファーの刃に遮られていた。
 馬鹿がと罵る声に続き、ルキファーはブレードを押さえたまま、右手側へと身体を捻り、剣戟を受け流す。そして、体勢を立て直す瞬間も許さずにチェインガンを発砲。
 レーダーを完全に破壊され、牽制のミサイルポッドをOBハッチ諸共失ったアストライアーは、室内の柱の影に身を潜めるべく、柱に向けて突進した。
 部屋の両端には柱が左右に8本ずつ、合計16本立ち並んでいた。柱は2本が密着して一本になっており、鉄筋コンクリートで固められた中にはエネルギー供給パイプが通っていた。有益に使えれば障害物として機能するだろう。にもかかわらず、今までの戦闘でその存在が全く考慮されなかったのは、室内があまりに広い事と、柱が室内中央ではなく、おおむね長方形をした室内の壁際に配置されていた事、そして目前の敵の対処に専念し、そこまで意識が回らなかった事が理由だった。
 壁際とは言え、柱と壁の差はAC1機が通れるほどの幅はあり、逃げ込んだからと言って行動を制限されるほどでも無かった。
 うまく用いれば、つい数分前、ナハトファルターが自分のショットガンを防御した様に、武器を無駄撃ちさせ、撃ち止めに追い込めるくらいの事は出来るかも知れなかった。以前の対戦では忘れていた筈の畏怖の念が発露し、結果として障害物が多いフィールドの特性を生かす事無く敗れたが、今回はそうは行かない。女剣士は愛機を柱に潜ませ、敵の次なる行動を待とうとした。
 そのまま、南ゲートを横切ろうとした時だった。
「やれ!」
 アキラが叫んだ。
 何だと思った直後には、ゲートが爆発し、何かがヴィエルジュの後ろを抉った。横殴りの衝撃により、ヴィエルジュは激しく吹き飛ばされる。
 口の中に血の味を覚えながらも、アストライアーは大破状態の愛機を急速旋回させる。
 壊れかけたメインモニターには、大破した南ゲートから、赤茶けたタンクACが姿を現す様子が映し出されていた。そのタンクACは噴火する火山のエンブレムを持ち、マシンガンと拡散投擲銃を携え、その肩には特殊弾倉ミサイルが接続されている。
 その姿から、アストライアーは即座に正体を割り出した。元MTパイロットと言う過去を持ち、つい最近第3アリーナに参戦して来たスパルタンが駆る「テンペスト」だった。
 同時にもう1機、逆間接ACらしきものが室内に入って来たようだが、メインモニターの砂嵐が酷くなっている事もあり、詳しい事までは分からない。
 テンペストが担いでいる特殊弾倉ミサイルのランチャーは開かれ、うっすらと蒸気を発していた。恐らく、分裂前の特殊弾倉か、吹っ飛んだゲートの破片がヴィエルジュに直撃したのだろうと、彼女はすぐに分かった。
 スパルタンも半壊状態のヴィエルジュに気付いてか、止めを刺そうとマシンガンを向ける。最早ブースターが破壊され、マトモに動かない状態だが、ヴィエルジュは震える腕部に握られたショットガンを向け、柱の隅へと逃げ込む。
 だが彼女は、赤と灰色、濃灰色に塗装された軽量級逆間接に行く手を阻まれた。壊れかけたメインモニターに映る、アンテナの様な頭部と腕部一体型の拡散レーザーから、ゲドのAC「ゲルニカ」だと分かった。
 テンペストと共に入って来たACの正体はこいつか――そう確信した直後、ヴィエルジュに拡散レーザーが雨霰と叩き付けられた。
 愛機が破壊される中でアストライアーは悟った――自分を屠る為、この2人をゲートの反対側に待機させ、機を見て攻撃させるよう仕向けたのだと。先の台詞も、それで納得出来た。
「くそっ、また……か……」
 またしても、己の無力さと注意力の欠如をまざまざと突きつけられた女戦鴉。敵の行動を知っており、それだけ自分が有利だった。そして地形を利用して戦える筈だったが、それを活かせずに墓穴を掘るとは。しかし、それを自覚出来る前に彼女の意識は消え、糸の切れた操り人形さながらに、身体からは一切の力が失われた。
「お、お姉さまー!」
 ミルキーウェイは、金属の引き裂かれる音と吹き飛んだ青白い装甲を目の当たりにし――即座に、アストライアーが殺された事を悟った。
 アストライアーを失った事で、ミルキーウェイからは一瞬で戦意が消えた。即座に距離を離そうと後退するが、それも壁に当るまでだった。
「このぐらいで良いだろう」
 ゲドはヴィエルジュが動かなくなると、エネルギー消費のインターバルも兼ね、ヴィエルジュから離れた。
「アキラ、多少傷が付くのは仕方ないが、あの女も潰そう」
 スパルタンはそう言うと、搭乗機のマシンガンをネージュへと向けた。アキラは興味が無いのか、好きにしろと返すのみ。
「だが、退却戦に使う分の弾は残しておけ」
「分かってるさ、先輩」
 スパルタンと同年代ながらも、より老けた印象を持つ顔立ちのゲドが忠告する。
 武器腕で一方的で相手を叩きのめす、派手ながらも低レベルな相手にしか通じない戦法ゆえ、下位に低迷するゲドだが、それはアリーナでの話。依頼における彼は、愛機ゲルニカの主兵装・武器腕拡散レーザーを最大限に活かせる閉所での依頼を主に受け、時として上位ランカーとも互角に戦う技術を持つことは、同業者の間では結構知られている。
 その事実が、ミルキーウェイの混乱に更なる拍車を掛けていた。
「ひぃー! い、イヤです!! 降参、降参します!!」
 精神的に既に追い詰められていた事もあり、ミルキーウェイはあっさりと白旗を揚げてしまった。
 兄と慕うレイヴンが、そして自分が身を置くアリーナでも名の知れた腕利きの女剣士が、こうして相次いで叩き潰されたのだ。こんな相手と自分が戦っても勝機は無いと、ミルキーウェイは本能的に察していた。
 ましてや相手はイレギュラー、しかも数の暴力までも前にして、一人のランカーに過ぎないミルキーウェイの勝率は絶望的と言っても良かった。
 ネージュが追い詰められる中、新手のACが東側のゲートを開いて出現。マシンガン、ミサイル、ロケット、レーザーブレードで武装した、白銀の体毛を持つ狼をエンブレムとした銀色の重量2脚ACだった。
 シルバーウルフと言う名を持つそのACは、撃破されたヴィエルジュの残骸を一瞥すると、ヴァージニティーとルキファーの方を見据え、そのまま動きを止めた。
「ここで……何があったんですか?」
「シューメーカーか……これを見て分かれ」
 シューメーカーと呼ばれた銀色のACの搭乗者と、アキラの間で会話がなされる。
 ミルキーウェイが聞いた所では、シューメーカーはストリートエネミーと同年代の若い男性と言った所であった。その彼と、敵対していたアストライアーに向けて放たれた台詞とを比較すると、アキラの口調には相変わらず冷たさを多分に感じさせたが、それでも口調から感じられる棘は大分減っていた。
 だが彼の事は意に介さず、ヴァージニティーとルキファーが、そしてゲルニカとテンペストが、揃ってネージュとの距離を詰めていく。シルバーウルフは邪魔にならないよう、壁際で静止した。
「こ、降参します! 降参! だから殺さないで! お願い、お願いだからー!!」
 これ以上脅すと失禁しそうな表情のミルキーウェイだが、敵機が前進を止める気配はない。
「い、イヤ――! 死にたくないよ――っ! 助けて――! うわぁ―――ん!!」
 遂にミルキーウェイは泣き出してしまった。
 ゲルニカとテンペストは泣き声を聞くや停止したが、直美はともかく機械的――もとい非人間的なアキラは、なおもACを前進させる。
 それまで、ストリートエネミーを初めとし、他のレイヴンに守って貰いながら依頼をこなして来たミルキーウェイ。それ故、レイヴンの中にあって死とは比較的縁遠かったのだが、この時、彼女はそれまで縁遠いものと思っていた死を、間近に感じていた。少女を冥府へと誘うべく、死神がヴァージニティーないしルキファーの姿で具現化され、今まさに彼女の直前まで到達し、そこで停止した。
 冥府の王が、地獄への片道切符を手に、自分を手招きしている――ミルキーウェイの脳裏に、恐怖ゆえのイメージが浮かんでいた。
「……どいてくれる?」
 直美の声が、ネージュのコックピット内に響く。その声は戦闘中とは打って変わり、母親が泣きじゃくる子供を慰める様な、優しい声だった。
「あなたのACがゲートを塞いで、次の部屋に進めないの。どいてもらえる?」
「……え?」
「ゲートを通りたいけど、あなたのACが邪魔で通れないの。どいてもらえる?」
「ひぃ、どきます! どきますっ!!」
 すっかり恐慌状態に陥ったミルキーウェイは、慌ててネージュを右に移動させた。
 だが、それでも5機のACは部屋の中で止まったままだった。移動しない敵機に、彼女は、未だに恐怖を感じていた。もしかしたら自分を殺すのではないか、と。そう考えると彼女はもうダメだった。
 と、再び直美から通信。
「あ、そうそう。あの2人に伝言をお願いできる? 生きていたらで良いから」
 あの2人と言うのは、どうやらストリートエネミーとアストライアーの事らしい。ミルキーウェイはそう判断した。
「は、はひぃ、伝言でも何でも言いますから殺さないで……!!」
「大丈夫。身の安全は約束するから」
「はひぃ……」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で怯えるミルキーウェイ。だが直美はそんな彼女を見て微笑んでいる。一応、本人はコレで敵意が無い事を示しているつもりであった。
 直美に殺意はないのだが、未だにネージュのコックピット内で脅えるミルキーウェイは、その笑顔が嘘かも知れないと疑っていた。
 勿論、直美にはそんな事など毛頭ないのだが、しかしミルキーウェイが直美について知っている事はあまりにも少な過ぎる。故に、如何なることを――究極的には自身の殺傷をしかねないと危惧していた。

「アキラさん! やばいですよ!」
 まだ少年とも言っていいほどに若い男性の声と共に、紅色と緑色の中量2脚ACが、ライフルを連射しながら、後ろ向きで室内に入って来た。教科書通りの平々凡々な構成とカラーリング、そして帯と小さな翼で装飾された林檎のエンブレムが特徴的な中量級2脚ACである。
 そのAC――アップルボーイが操るエスペランザの火線の先では、ミラージュの社章が張られたMTギボンがショットガンを放っていた。ユニオンが操るタイプとは異なり、機体は無機質なグレーで塗装されているが、その機体はライフル銃撃によって焔と爆発で赤いペイントが施され、その直後には黒く焼け焦げた鉄屑と化した。
「バルバロッサさん達から連絡! 彼方此方のゲートがロックされた為、助けには向かえないそうです!」
「ツイてねぇな、全く……」
 半分ボロボロになりながらも、ナハトファルター駆るクリザリッドと、ファレーナ駆るノクターナルパピヨンも、エスペランザに続いて室内に入り込んで来た。
「分断されたか……」
 溜息交じりでゲドが呟いた。
 破壊皇帝の異名を持つバルバロッサと、その傘下のレイヴン達が退路を受け持っていると知った時は、非常に心強く感じられたが、それが望めないとなると苦しい事になる。
「ブリッスルノーズと通信は出来るか?」
「ダメです」
「妨害が激し過ぎて無理!」
 アップルボーイとファレーナから相次いで返答を受け、ゲドはいよいよ旗色が悪くなったなと実感した。
「ただ、向こうでもオレ達に合流しようって動きはある」
 通信不能となりながらも、それ以前に何度もオペレーターを呼び出して状況報告させていたナハトファルターは、アキラ達を突入させ、退路を受け持ったバルバロッサの方でも、ゲートの破壊等で分断状態から脱しようとする動きがある事を察知していた。
 とは言え、この間に各個撃破されるかも知れないとの危惧はあった。無論、彼も彼なりに、この危機を脱しようと、頭脳をフル回転させている。
 しかし今は、他の連中を集めるのが最善の策かも知れない。
「生き延びた連中に声を掛けて見る。近場の連中になら、通じるかも知れねぇ」
 アキラは任せるとだけ言い、ネージュの前で停止したままのヴァージニティーへと視線を向けた。
 暫くすると、ナハトファルターの呼びかけに応じてか、ユニオンのMTが、1機、または複数で部屋へと集まり出した。
 それから少し遅れ、ゲルニカとテンペストが爆破したゲートからグナーが現れ、ルキファーとヴァージニティーの間に降り立った。同時に、ミラージュに追いやられたギボン2機と、アサイラムが駆るギガンテスも室内に踏み込んで来た。
「面倒な事になったわ」
「計画を練り直した方が良いんじゃねぇか?」
 愚痴るパイロット2機を乗せたACに遅れ、ミラージュのACをレーザーライフルで沈黙させながら、スペクトルも部屋へと逃げ込んで来る。
「他の連中は?」
 もっと他にいたはずではと、ゲドは尋ねた。
「確かにいます。ですが……」
 テラが言うには、他のACは脚部損壊等で戦闘に耐え得る状態ではないものばかりで、ナハトファルターの通信に応じて移動したACは皆、ミラージュ部隊に制圧されたと言う。
「……結局、集まったのはこの面々だけか」
 ナハトファルターは集まった面々を見渡す。
 アキラと直美、アップルボーイ、シューメーカー、ワルキューレ、スパルタン、ゲド、アサイラム、テラ、そして自分と妹――計11人と、その搭乗機11機と何機かのMTで、あとどれ位戦えるものか、ナハトファルターは頭を捻った。
「私とお兄ちゃんとでひとっ走りしますよ」
「駄目!」
 ファレーナが名乗り出るが、ミルキーウェイへの伝言を終えた直美は、それを即座に却下した。
「此処は敵の渦中、こんな時に単独行動をした所で、イエローボートさん達と同じ目に遭う」
 元々戦力で劣るユニオン側は、少ない戦力での状況打開策として集団戦法を実行、データバンクに程近いこの場所まで切り込んで来た。しかし、ミラージュがセキュリティシステムを最大レベルにまで引き上げた事で、各所のゲートは封鎖、砲台が全て起動する事態になっている。
 直美はそれを弁えていからこそ、伝令を許可しなかった。
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
 スパルタンが焦り出した。アップルボーイも伝令が出来ない事で、同様に焦りの色を見せ始める。
 しかし、直美はあくまでも冷静だった。
「此処からは、隊を二つに分けて進む。データバンクに突入する隊と、足止めする隊に。そしてデータバンク突入隊がさっさと事を終えたら、全戦力で退却に転じる」
 直美の意図は、足止め隊が敵を押さえている間に、データバンク突入隊が守備戦力を手早く蹴散らし、データベースへのアクセス要員を送り込む。データを奪取すると、今度は全戦力で取って返し、敵戦力を強行突破すると言うものである。
「オイオイ、戦力分散はやめとけって言っといてそれか?」
 即座にスパルタンが異を唱える。
「代案は!?」
 きつい口調の直美に睨まれ、スパルタンは視線を逸らして口をつぐんだ。ミルキーウェイに見せた優しい顔は完全に消えうせ、仲間を率いる女傑の顔がそれに取って代わられている。
 そして、彼女の最優先課題は目標の達成と、その為に戦力の低下を避ける事。それは仲間の生存にも直結する。だからこそ、直美は妥協は許すなと己を律していた。口調が男性的になっているのも、その現れと言えた。
「……一時的に分かれるだけよ」
「事が終わったらすぐに集団に戻る。お前達はそれまで追っ手を食い止めてくれれば良い」
 アキラが注訳を入れると、スパルタンも渋々だが了承した。
 他のレイヴンも、この状態では他に手がないだろうと判断、ワルキューレ以外の全員が作戦を了承した。
「でも……この作戦にも問題があるわ」
 ワルキューレが言うには、突入のタイミングと敵戦力の展開如何によっては、足止め隊が壊滅してしまう危険性も孕んでいるという。
「確かに」
「そうなるだろうな」
 アキラも直美も、それには同意している。だが、その程度は範疇の中である。
 問題は、誰が足止め役に回るか――重量級ACである事と、損害がかさんでいない事から、自分が名乗り出るべきか。シューメーカーがそう、覚悟を決め込んだときだった。
「だから足止め役は、言いだしっぺのわたしが引き受ける」
「何だって!?」
 シューメーカーは勿論、周囲の人間達は揃って驚いた。作戦立案役の彼女が足止めにまわるとは、誰も思っていなかったのだ。
「ちょっと待って」
 ワルキューレが直美を止める。また何か文句をつけて反対するのかと、周囲のレイヴン達は誰もが思った。
 だが、ワルキューレからの回答は意外なものだった。
「直美さん一人だけ、討ち死になんかさせません。私もご一緒しますよ」
 ワルキューレの顔が憂いを帯びていた事が気になったが、しかし直美は、この申し出を微笑んで受けた。
「冗談じゃないぜ、女ばかりに足止め任せてられるか! 俺も足止めに回る!」
「私も。このカラサワが、相手の威圧に役立つかも知れませんから」
 ワルキューレに続き、アサイラムとテラも足止め役を買って出た。
「アキラ! 新手だ!」
 俺も足止めに回ると付け加え、スパルタンはテンペストをゲート前まで移動させる。直後、残されていた特殊弾倉ミサイルを通路に射出し、逃げ場の無い状況下にあったミラージュのAC1機を大破に追い込んだ。
 時間と選択の余地はなさそうだ――直美は、全てのACへと通信回線を開いた。
「撃て!」
 号令を発すると、直美はヴァージニティーを操って新手のACを銃撃し始める。グナー、ゲルニカ、スペクトル、ギガンテスらも、各々の武器を放ってミラージュ部隊を迎え撃つ。
「アップルボーイ、シューメーカー、私に続け!」
「了解」
「エスペランザ了解、後ろをカバーします」
 ルキファーを追い、シルバーウルフとエスペランザもゲートを通過する。クリザリッドとファレーナも、既に中破状態ではあったが、それでもルキファーの後を追った。
「全機、死に急ぐな! 生き残る事だけ考えろ!」
 人数が減れば攻撃力も減り、敵地の突破もままならなくなる。そう言う点でも生き延びろと、直美は仲間たちを鼓舞し、自ら先頭に立ってミラージュのAC部隊を迎え撃つ。
 他のレイヴン達も、ブレーン的存在である直美を死なせまいと後に続き、時折部屋へと引き下がりながら、ミラージュ部隊を足止めする。
 レイヴン達は、裏表定まらぬ世界に生きている人種とは思えぬほどの一体感で足止めに回っていたため、誰も気が付かなかった。
 戦闘中はクールと言われるワルキューレが、先頭で戦うヴァージニティーに、そしてヴィエルジュの残骸に目を向けるたびに、悲しげな表情を浮べていたと言う事に。
 ワルキューレはその都度、何を考えているのだと己を律し、スナイパーライフルやロケットによる射撃を繰り出すが、しかしヴァージニティーとヴィエルジュを見ては襲い来る愁いを、完全に拭う事は出来なかった。

 意識を取り戻したアストライアーは、まずは自分の強運ぶりに安堵するとともに嘲笑した。本来ならゲドに殺されていた所だが、こうして生きて帰ったのは、神の慈悲か、或いは悪魔による拷問の一つなのかと。
 いずれにせよ、彼女は医務室のベッドの上に横たわらされていたと、すぐに分かった。
 直ちに自己診断システムを起動、自分の身体に異常があるかどうかを確かめるとともに、擬体の各種動作チェックを行う。
 だが異常を示すサインは即座に表示された。視界の右側に表示された自身のCGモデルの右腕や胸部の所々が赤く変色。負傷している様子が分かった。
「目が覚めたみたいだな」
 横から、撃破された筈のストリートエネミーが声を掛けてきた。その傍にはミルキーウェイが椅子に腰掛けている。その周囲では数名の医療スタッフが、患者達の面倒を見ていた。
「無事だったのか?」
「まあな」
「うん……殺されるかと思った……」
 スタティック・マンがズタズタにされたと言うのに、ストリートエネミーは軽い火傷で済んでいた。
「死んだかと思ったぞ」
「そりゃそうだろう。最も、コアがやられてたら死んでたな」
 直美かアキラかは知らんが、ともあれアレを敵にしてよく死ななかったなと、ストリートエネミーは呟いた。
「とりあえず、俺等揃って、悪運が強かったって事だな。あと、そこでくたばってる奴も」
 ストリートエネミーは微笑むと、奥のベッドを親指で指し示した。
 奥のベッドにはヴァイスとヴァッサーリンゼが、体の彼方此方に包帯を巻かれた姿で倒れていた。両者の心電図の具合からすると、撃破されながらも一命を取り留めた様子が分かった。
 他にも一人、全身が包帯で巻かれた男がベッドに寝かせられていた。顔が包帯で完全に隠れており、誰なのかは分からない。
「何にしろ、またも死に掛けながらも生還とはな……」
 自分に気付いた看護婦に返事をしつつ、アストライアーは自分の悪運の強さに改めて安堵した。またエレノアに会える可能性が失われていないからと言うのも理由にはあるが、また復讐の機会が得られた事が、彼女にとっては幸運だった。
「お目覚めのようですな、マナ=アストライアー君」
 医務室の入り口からした声に反応し、アストライアーは振り返った。
 入り口に立っていた男は、見るからにミラージュの軍人と言う外見だった。がっしりとした体をパイロットスーツに包み、ミラージュ専属ACパイロットの証である、ミラージュの社章をバックに剣を掲げる騎士のワッペンをつけている。
 彼を知らなければ、アストライアーは何者かと警戒していた事だろう。だが、大尉の階級章の上にあるラルフ=グローサーの名を知っていた彼女に、その様子はない。
「グローサーさんか!? ……どうもお久しぶりです」
「久しぶりだな。変わりはないか?」
「ガレージが襲撃されたりで、周囲が物騒になっていますよ……」
「ああ、ニュースで見たよ」
 自分とその周囲にいる連中との対応の差を肌で感じ、ストリートエネミーはアストライアーを小突いて尋ねた。
「……知り合いか?」
「アストライアー君とは、レイヴン試験の時に担当官となって以来だ」
「そうですね。あの時は色々とお世話に」
「いや、感謝なら君の父上にした方が良い。彼が居なかったら、私は君の事を、気にも留めなかっただろうからな」
 ラルフとアストライアーは、昔を思い出して談話を始めた。ミルキーウェイは、その横で、意外とも言えるアストライアーの態度を見て驚いていた。
「意外……お姉さまが敬語を使っているよ」
「使って悪いか?」
「ううん、そんな事無いけど……それよりその人誰?」
 ミルキーウェイの態度に、アストライアーは殺気を覚えた。状況が状況なら、黒百合を抜刀しかねない。
 最も、殺意は覚えるも、流石にそこまでする事は無いだろうと、当の女剣士は思っていた。だが、彼女が無表情だったため、周囲の面々が胸中を察する事は出来なかった。
「まあ落ち着きたまえ。こうして生きているだけ何よりだ。依頼内容を満たせなかったから報酬は出せないが……」
「何だと!?」
 アストライアーとストリートエネミーの顔つきが変わった。
「どう言う事ですか!? 説明を!」
 アストライアーに経緯を求められたラルフは、彼女を一瞥すると、少々難色を示しながらも、医務室の空いた椅子に腰を下ろし、呟いた。
「……まあ、戦闘の経緯は知るべきか」

 話によれば、アキラと直美はアストライアー達を叩き潰した後、データバンク前で戦力を結集、足止め役を残してデータバンクへと突入すると、データを奪っていったと言う。
「何のデータを奪ったの?」
「やめろ」
 アストライアーはミルキーウェイを制止した。自分たちレイヴンは勿論、自社戦力を繰り出してまで守ろうとしたのだから、機密事項に値するデータなのだろうと見ていたのだ。そしてアストライアーは、それに触れるべきではないと考えている。
 ミルキーウェイもアストライアーの思考を察してか、それ以上は何も言わなかった。
 ラルフはそれを横目にしながらも、特に気にするでもなく語り続けた。
「我々が駆けつけた時には、彼等は既に退却を開始していたよ」
 ラルフ率いるミラージュのAC部隊は、此処の入り口付近で2人と遭遇し、交戦状態となったという。
 彼等はマシンガンやライフル、ミサイル等で一斉攻撃を仕掛けたにも拘らず、ヴァージニティーとルキファーは逃げるだけで、反撃の一つも返さなかった。
 しかも交戦の最中、ユニオンのMTが再び出現。高濃度のECMや煙幕弾、閃光弾を広範囲に渡って散布、ミラージュに属するACやMT、その他戦力の電子系統を混乱させ、搭乗者の視界を奪い、一時的ながらも戦力を奪った。
 逆襲して来る気か――ラルフと部下達は円陣を組み、煙幕の中からの奇襲に備えた。だが、ルキファーとヴァージニティーは、残っていたユニオンの戦力と、それに加担して戦ったレイヴン達が駆るACと共に行方をくらませた。
 その時直美が、彼等の通信モニターを介して伝えた言葉を、ラルフは覚えていた。
「『ごめんなさい。あなたたちには同情するけど、行かなければならないから』と言っていたな。あの時の直美は妙に申し訳無さそうな印象だったが、しかし確かな覚悟と優しさを漂わせていた。何だったんだろうな、アレは……」
 3人は、事の経緯を無言で聞いているだけだった。
「ちょっと待て。他のレイヴン連中は? 俺達と同じ依頼を受けた奴があと何人かいた筈だが。他の連中もこうして他の医務室にでもいるのか?」
 ストリートエネミーが思い出した様に口走るが、ラルフが首を振る事はなかった。
「……我が社側で生き残っていたレイヴンは、この部屋にいる者だけだ」
「うそ……」
「マジかよ……」
 被った損害の大きさに、3人は言葉を失った。
 敵機の搭乗員のうち、負傷した者は医務室行きとなり、負傷してなかった者は拘束され、今頃は取調べを受けているであろうと、ラルフは付け加えた。
「でも何で?」
 ミルキーウェイの問いに、ラルフは顔を少々俯きながらも口を開く。
「どうやら『悪足掻きし過ぎた』らしい」
 あの2機がデータバンクに向かおうとしても、しつこく後ろから追撃する等の行動をとって来た為、止むを得ず始末した、と言う事だろう。ストリートエネミーはそう察した。
「そう言えば……お兄ちゃんとお姉さまに伝言を頼まれてたの。当の直美から」
 ミルキーウェイは、先の話に脳神経を傾けていていた為に忘れかけていた伝言を思い出し、自分の記憶力を頼りに言葉にする。
「『あなた達には消えてもらっては困るの。後になれば、あなた達の力が必要になる場面が想像できるから。あなた達は報酬しだいで依頼を請ける存在だから、当然味方になる可能性もある。その時が来たら、味方として会いましょう……まあ、何だかんだ言っても、あまり殺したくはないんだけど』だって。どう思う?」
 幼稚だ――その場に居合わせたAC乗り達が抱いた率直な感想は、そんな程度のものだった。
「何が言いたいんだ……?」
「俺にもさっぱり分からん」
 アストライアーもストリートエネミーも、首を傾げた。ただ、ラルフは話の内容が分かったのか、おもむろに口を開いた。
「アキラと直美はユニオンが主なクライアントだからな……もしかしたら、あの2人は管理者に何かしらの干渉――これは私の推測だが、恐らくは破壊行為を行おうとしているのだろう。だが、もう君達もご存知の様に、各地で実働部隊が動いているからな……管理者部隊に対する切り札として、君達を殺さなかったのかも知れない」
「良くそんな事が思い浮かぶな」
 ストリートエネミーは感心したとも呆れたとも言えない、気の抜けた返事をするばかりだった。
「だが一理あるかも知れん」
 アストライアーも続く。レイヴンは報酬を第一として依頼を遂行する存在であり、全てが管理者によって管理されているレイヤードでは数少ない、自由を認められた存在であり、当然依頼を選択する権利があるのだと。
「じゃあ、私たちって実働部隊に対する切り札ってこと?」
 ミルキーウェイが不意に問いかける。
 だが、ラルフもアストライアーも、そしてストリートエネミーも、歯切れの良い返事は出来なかった。
 彼等にとって、直美やアキラは未知の部分が多過ぎる。ゆえに、彼等の意図について、推測は出来ても断言までは出来なかったのだ。
「まあそんな事はともあれ、生きていればそれで良いだろ。それにそんなことを気にしていたってしょうがねーよ、所詮大半のレイヴンの依頼の基準は金なんだし」
 ストリートエネミーは別の事を考えていたらしい。
「だよね……」
「正論だな」
 先程から歯切れの良い返事が出来ずにいたアストライアーと、疑問が頭から離れなかったミルキーウェイは現実に引き戻された。
「さて、そろそろ……」
「隊に戻られるのですか?」
 椅子を立ったラルフは頷いた。
「何れ、また」
 アストライアーは旧師が医務室を出るまで、その姿を見送った。

 レヒト研究所の攻防戦から2日後。この日も環境制御システムの不調か、天候はよろしくなかった。
 その中で、マナ=アストライアーは、大破したヴィエルジェの修理をどうするか考えながら、とりあえずは自宅に戻る事が出来た。彼女の予定通りならば、エレノアはスキュラと共にいる筈だった。雑多な考えも、自分を待ってくれているエレノアを見れば吹っ飛んでしまうだろう――そう期待し、ドアノブを引いた。
 だがその直後、アストライアーの顔と背筋が凍り付いた。
 ミッションや試合を終え、戻って来たアストライアーを迎えてくれる筈のエレノアが、何故かいなかった。それだけならば疑問に思うことはない、遊びたい盛りの子供なのだから。
 だが、スキュラの姿までもが消えていたに及び、彼女は言い知れぬ不安に駆り立てられた。
「エレノア! どこだ!?」
 室内を見て回るが、何処にも人影はない。
 室内には荒らされた様子がなく、しかも生活の様子すらも感じさせていない所が、更にアストライアーを不安にさせていた。
「スキュラ共々、どこかに遊びに行ったのか……?」
 ならばと、即座に懐から携帯端末を取り出し、スキュラの番号に合わせる。遊びに行っている、または何らかの理由でスキュラの家にでも行っているのなら、連絡は付くはずだった。
 携帯端末がダイヤル音を鳴らす間に、アストライアーは状況や連絡事項を確認すべくPCを起動、メールボックスを確認する。
「またあの女からメールか……今度は何だ?」
 件名から、何かろくでもない事でもあるのかと思いつつ、携帯端末を片手にメールを開く。


 送信者:ワルキューレ
 件名:近況

 まずは、ご無事で何より。
 あなたと敵対する事がなかったのは、
 救いだったと言えたわ。

 でも、既にBBがあなたの事を嗅ぎ回っている。
 くれぐれも気をつけて。

 あなたは「関係無い」で済ませてしまうでしょうけど、
 あなたが倒れた時、悲しく思う人間が居る事を
 忘れないで欲しい。

 ……生きて再会出来る事を祈っているわ。


 BBに自分の周囲を嗅ぎ回られている事に恐怖を感じながらも、アストライアーはメールの受信日時に目をやる。日付は昨日を示していた。
 ちなみに今回のレヒト研究所警護の為に、アストライアーは5日前から自宅を留守にしていた。その間に何があったのか――想像するだけで、言語を絶する嫌悪感と不快感、そして動揺が、自分の中に湧き上がってくるのを感じた。
 まさかと思い、アストライアーは反射的にデスクから立ち上がり、家のあちこちを再び見て回る。幸い荒らされた様子は無かったが、しかし彼女の胸中には、心配事が怒涛の如く溢れ出てくる。
 スキュラの携帯端末に、通話が全く繋がらないのも、彼女の心配と不安、混乱に拍車を掛けていた。
 スキュラの、そしてエレノアの身に何かあったのではないか――感情を押さえ込み、何とか平静さを取り繕うとしたアストライアーだが、心配ゆえの、胸が張り裂けそうな痛みと不快感は抑える事が出来なかった。
 しかも、エレノアがBBかその下っ端、あるいは他の何者か誘拐されたのではないかと、嫌な考えは閉じた扉の隙間から這い出る虫の様に、際限なくアストライアーの胸中に湧いて出て来る。
 だが、今の自分に出来る事と言えば――警察機構にエレノアとスキュラの事を通報するのが関の山だろう。
 しかしながら、自分が、そしてエレノアが苦しんでいるかも知れないのに、何も出来ないもどかしさが、アストライアーの心を激しく苦しめた。
12/09/22 12:45更新 / ラインガイスト
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■作者メッセージ
 気が付けば3万8千字も書き連ねる事となった今回の元ネタは、ユニオンをクライアントとするクレスト中央データバンク襲撃ミッション。ストーリー中盤で多くのレイヴンと同時に進行したアレです(分からなかったら想像で楽しんで下さい(ぇ)。
 今回はミラージュのデータバンクが襲撃される事となり、その為に多くのレイヴンがまたしても駆り出され――とまあそんな感じです。
 そうした展開を考えるにあたり、研究所のイメージは原作とはかなりかけ離れてしまう事となったのですが。

 アキラや直美と再度激突する事のが今回の重要点ですが、しかし前回の戦いぶりを知っているが故に、アス姐はまたしても敗戦。
 アストライアーとしては、アキラに付け入る隙を見出したは良いのですが、結局それがまた敗北の要因となってしまったと言う、何とも皮肉な結末ですが、アレは「相手を知っている事が必ずしも勝利に繋がるわけではない」、むしろ「知っていたが為に負ける事もある」と言う事を此処に盛り込みました。

 さて、エレノアたんが消えた理由については――もう大体察しが付いているものかと思われますがいかがか。

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まろやか投稿小説 Ver1.50