この話は掲載するか迷いました。というのもこの話、下手すると清水寺から訴えられかねないネタなのです。
思い切って何かをすることを“清水の舞台から飛び降りるつもりで”といいます。この有名な言葉のおかげで、清水の舞台は金閣寺とならぶ京都屈指の名所になりました。というか、“清水の舞台”は清水寺そのものよりも有名です。この言葉を単純に、“高いところから飛び降りる”というのが由来だと思っている人はたくさんいます。
しかし、8世紀頃(清水寺の創建は778年。舞台は当然それ以降)の高層建築には、例えば現存木造建築物では最も高い57メートルを誇る東寺五重塔は826年に竣工していますし、奈良に行けば世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿がすでに存在していました。また、日本最古の五重塔である法隆寺五重塔も31.5メートルの高さがありますから、確かに清水の舞台は高層建築であるとはいえ、当時としても決してずば抜けた高さというわけではないのです。
では清水の舞台から飛び降りることがどうして“腹をくくる”という意味になるのでしょうか。
葬儀の際、火葬が主流になったのは明治に入ってからのことで、それ以前は土葬が主流でした。さらに平安の頃は土葬もしない、いわゆる風葬というのが普通でした。確かに古墳のように、土葬という概念がなかったわけではありませんが、そういうのはごく一部の有力者だけがやっていたにすぎません。
そして、清水寺のあたりは当時は鳥辺野と呼ばれ、墓地ないし死体処理場でした。しかし風葬は土葬などとは違い、いわば死体をそのままほったらかしにするわけですから、時がたてば当然腐敗して悪臭を放ちます。そこで出てくるのが清水の舞台で、高いところから死体を放り投げてしまえば死臭が届かないというわけで、あの舞台から死体を放り投げていたのです。
つまり、清水の舞台から飛び降りたのは死体であって、そこから転じて“死んだ気になって”という意味になったのです。
なお、清水寺の名誉のためにも補足しておきますが、現代では罰当たりとも思える風葬も当時としては一般的な埋葬方法です。というより、一般庶民は大宝令により土葬を禁じられていたため、庶民は風葬にするか川に流す水葬にする以外になかったのです。また、改築などをしていく過程で風葬された死体なども移葬されているはずですから、舞台下の参詣路を掘り起こすと骸骨がごろごろ、ということもないはずです。
また、舞台は何も死体処理のためだけに使われたのではなく、本来舞などをするためのものであり、裏の用途として死体処理にも使われたというにすぎません。