北東へ…

 さて、騎馬民族といえば、中国から輸入された習慣で「物忌み」(ものいみ)・「方違」(かたがたえ)というのがあります。これは陰陽道に由来するもので、北東を「鬼門」と呼び、鬼のいる方角、不吉な方角であるとして、北東に向かうときは、いったん別の方角に向かって(例えばまっすぐ北に行き過ぎて)一泊し、それから目的地に向かう(行き過ぎてから南東に向かう)ということが行われていました。旧家では今でもドアを北東に向けないとか、敷地の北東の隅に祠なんかを建てたりしています。
 
 なぜ北東か。この説明には諸説ありますが、騎馬民族が古代中国の北東にいたからではないか、とする説があります。なるほど、いつ襲ってくるかわからない、襲ってきたらやりたい放題荒らされる、しかも結構強いじゃないの、となると少なくとも時の支配階級にとっては、彼ら騎馬民族は鬼畜生以外の何者でもなかったと言えそうです。
 そしてその考えが日本に伝わった頃、奇しくも大和朝廷が蝦夷(今の東北地方)平定の真っ最中だったので、そのまま日本で受け入れられたのではないか、と説明します。
 
 また、井上円了の「迷信解」によると、最初に鬼門について書かれている記述は「海外経」の「東海の中に山あり。その上に大なる桃樹ありて、その枝が横にはびこり、三千里の間に亘るという。その東北に門あり。これを鬼門と名づく。万鬼の聚まるところなり」であるとしています。