河井寛次郎語録Ⅲ
自解

   すべてのものは 自分の表現

 ものは向うにある。確かに今向うに見える。そもゝゝこれは何ものであらう。無数のものが向
うにある。
 そもゝゝこれは何ものであらう。これはこれ、ものはものだけとしてあるのであらうか。それは
それとして獨立した別個のものであるのだらうか。こんなものが自分以外の何ものかを現はし
てゐるとしたならば、一體このものは何であらうか。
 幸か不幸か、吾々はそんなものの中には住んではゐない。ものは向うにある。確かに今向う
にある。しかし其處にあるものは、そのものに向つてゐる自分自身とどんな關係があるのであら
うか。こんなものと自分とは全然別個のものであるのであらうか。別個なものが関係しあふ。――
さふいう事が出来るであらうか。無關係ならば關係しなくともよい筈なのに、一番關係しあふと
いふ事は一體どういふ事なのであらう。
 こちらが變ればあちらも變る。――これは一體どういふ事なのであらう。一見別個でありなが
ら、見えないものでしつかりとつながつてゐる、これはその證處でなくてはならぬ。自分自身で
現はしてゐないものなんかあるであらうか。
 誰でもものの前に立つては、そのものと同位、同量、同質、同時、同處、――さういふ自分が
其處にゐる事に氣付かない譯にはゆかない。よしそうと解らなくても、又そうでないと思つても、
事實はさうなのだから仕方がない。仕方がない吾々はそんな命なのだ。
 全自分で表現してゐる世界。自分だけでしか表現出來ない世界。その人にしか属しない世界。
意識しようと意識しまいとその人次第の世界。浅く見ようと、深く見ようと、廣く見ようと、狭く見よ
うと、それでそのまゝその人の世界。どうにもかうにもならない世界。何人も犯す事の出來ない
世界。――人はそういふ世界の住人であるとは、まあ何とした事なのであらう。これはこれ、類
似の世界の中に居りながら一々違つた獨自の世界。
 すべては自分がつくつてゐる世界。だからこそ作り放題の世界。どんなにでも作れる世界。こ
れこそ眞當の世界。――これ以外に眞當の世界が何處にあるのであらうか。
 人は縛られてなんかゐない。嘗て縛られた事があつたであらうか。縛られてゐると思ふなら
ば、それは縛つてゐる自分自身なのだ。人は昔から解放されてゐる。今更何に解放されるのだ。


   何もない 見ればある

 見えるだけの世界にしかゐない住人――吾々はしかし、見ない時には何ものもない世界に閉
じ込められる。閉じ込められる自分さへない自分なのだけれども。


   ないものはない 見るだけしかない

 この世ではこんな國土しか吾々には與へられてゐない。人は皆こんな國土の住民でしかない。
見れば何でも出て來る世界。探せば出ないものはない世界。掘れば何かが出て來るやうに、見
れば何かが現れる。


   見つくせぬものの中にゐる
   見つくせず

 人はすこししか見てゐない。多くを見ない。しかし一つを見る事はすべてを見る事だといはれる。
さうだ、まさにさうだ。しかし見つくせぬものの中に居ればこそ見る事が出來るのだ。
 しかもものは隠されてなんかゐた事がない。むき出されてころがつてゐる。
 まつくらな中にあるのは何か――人は目玉の灯をともす。
 見えないもの見える眼。聞こえないのの聞ける耳。知らないもの知つてゐる身體。


   見られないものばかりだ――見る
   されないものばからだ――する
   きめられたものはない――きめる

 見つくされたものなんか一つもない。しつくされたものなんか一つもない。見放題の可能。仕放
題の可能。すべては假定。見るのだ。するのだ。きめるのだ。
 仕事は決定。形の母――決定。これこそ人を動かす原動力。人間を生かす未完了。人間を際
限なく連れて歩くこの未完了。
 限りのない高さ――人間の登れる高さ。
 はてしのない遠さ――人間の行ける遠さ。
 何といふ深さか――人間ののぞける深さ。


   自分で作つてゐる自分
   自分で選んでゐる自分

 自分で自分を規定してゐる自分。自分をそれだけの自分と限定してゐる自分。自分といふの
は自分が作つてゐる場所の譯なのだ。だからこそ作り放題の場所。どんなにでも作れる場所。
 ない場所に立つてゐない自分。これ以外に吾等の場所が何處にあるのであらうか。どんな自
分を作らう。どんな自分を選ぼう。
 人は皆自分である以前の自分を――誰にも與へられてゐるこの自分を持つ。これこそ病む事
のない自分。苦しむ事のない自分。老いる事のない自分。濁さうとしても濁せない自分。いつも
生き生きとした眞新しい自分。取り去るものもない代わりに附け足す事もいらない自分。學ばな
いでも知つてゐる自分。行かなくても到り得てゐる自分。
 起きてゐる時には寝てゐる自分。寢てる時には起きてゐる自分。


   どんな自分が見付かるか自分

 人はぼんやりしてゐようが、はつきりしてゐようが、吾等の氣付かない自分はいつも何處かに
ゐる自分を見たがつてゐる。無数の自分を見たがつてゐる。嘗て見たこともない自分に會ひたが
つてゐる。さうした以外に吾等の歩く場所はない。


   向うの自分が呼んでゐる自分
   知らない自分が待つてゐる自分
   何處かに居るのだ未だ見ぬ自分

 いのちは歩く。刻々歩く。はてしもなく歩く。――こんな處にゐたのか自分。
 驚きといふのは、喜びといふのは、見知らぬ自分に出會つた自分。――さふいう自分を見付け
た以外の何ものでもない。到る處にゐない事のない自分。無數の自分。見つくす事のない自分。


   どこかに自分がゐるのだ――出て歩く

 人は目的を持つて出かける事がある。持たないでも出かける事もある。しかしそんな事は問題
ではない。ぼんやりしてゐようが、はつきりしてゐようが、しん底には何處に自分がゐるかを見た
いのだ。――さふした以外に吾々は歩かない。


   新しい自分が見たいのだ――仕事する

 昨日の自分には人は皆用がない。繰り返しなんかには用がない。いくら繰り返しをやつてゐる
と思つても、その繰り返しの中にいつも繰り返さないゐ自分を見ようとしてゐるのだ。どんな強ひ
られた仕事であつても、次々により新しい自分を見ようとして引きずられてゐるのだ。これ以外に
人を動かす動力があるであらうか。


   仕事が見付けた自分
   自分をさがしてゐる仕事

 自分が見付けた仕事。自分がさがしてゐる仕事――しかしゝゝゝ人は知らない自分を知らない
自分で見付けることは出來ない。見つけてもらへばこそ見付かるのだ。


   仕事が仕事をしてゐる仕事

 する自分。される仕事。するものもされるものもない仕事。仕事は仕事を吸い込み、仕事を吐
き出す。


   私はあなた
   私以外に見えないあなた

 他人といふ言葉がある。人は自分からすれば別の人だといへる。さうだ、それに違ひない。し
かし自分で現してゐない人といふものがあるであらうか。

   あなた    わたし
       の蕾の    中に咲く
   わたし    あなた


   焚いてゐる人が 燃えてゐる火

 人が焚いている火に、ひとりで燃えてゐる火があるであらうか。笑ってゐる火。怒つてゐる
火。黙つてゐる火。しやべつてゐる火。冷たい火。熱い火。
 人は塵芥を豚肉にしたり、肥料を米にしたりする。肉や米――人は至る處で自分をばけさす。


   もの買つて來る 自分買つて來る

 もしか自分以外のものを買つて來た人があつたなら、自分はその人を見たい。人は言ふであ
らう。嫌ひだつたけれど仕方がなかつたから買つたのだ。こんなものは自分のものでも何でもな
いのだと。しかしその人は、仕方がないといふ自分以外の何を買つて來たのであろう。
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