行殺(はぁと)新選組りふれっしゅ 近藤勇子EX

第7幕『剣林弾雨の鳥羽伏見』(後編B・新しき世界へ)


(Aまでのあらすじ)
 鳥羽伏見の戦いが勃発した。幕府軍の方が薩長軍よりも数にまさっていたが、鳥羽方面軍は初日から惨敗を喫し、伏見方面軍も苦戦をいられていた。翌日、新政府側に錦の御旗が揚がると、賊軍となるのを恐れた幕府軍は総崩れとなって退却してしまった。淀藩も裏切り、伏見と大坂は分断された。将軍 徳川慶喜は『錦旗には逆らえぬ』と恭順を決意、夜陰に紛れて大坂城を脱出。幕府艦隊旗艦『開陽』に乗って江戸へと逃げてしまった。『一緒に逃げよ』と命ずる慶喜に逆らって大坂に残った会津藩主  松平けーこは、伏見に残る会津藩兵と新選組を救うため、自ら軍(幕府陸軍・会津・桑名・その他佐幕派諸藩連合軍)を率いて天王山に布陣した薩長(&津・淀・彦根などの裏切り藩)と一戦交えるべく、伏見目指して進撃中。
 一方その頃、伏見龍雲寺の島田誠は、最後の頭痛予知を見た。近藤勇子が罪人として斬首され、原田沙乃や土方歳江も官軍の前に死すという未来を。
 今が歴史を変えるその時だと直感した島田は、錦旗に対して砲撃を敢行する。アームストロングカモちゃん砲が火を吹き、錦旗を奉じた鼓笛隊ごと吹き飛ばした。高台寺党新撰組は薩摩を裏切ったのである。勢いに乗るカモミール・芹沢は、アームストロングカモちゃん砲で瞬時に薩摩軍の全砲台を破壊。薩摩軍は強力なアームストロング砲を奪うべく、龍雲寺に襲来するも、アームストロングカモちゃん砲の援護射撃と、近藤勇子率いる新選組の来援によりこれを撃退。興の乗った芹沢は、つい勢いで伏見の町を砲撃してしまい、伏見市街に大火災が発生する。
 島田の活躍(いや、別に島田は何もしてないが…)もあって伏見において新選組は勝利したものの、淀・鳥羽に薩長軍の主力は健在だ。伏見市街の大火災のお陰ですぐさま攻められる心配はないものの、このままでは数に劣る伏見幕府軍の敗北は必至だ。
 分離していた2つの『しんせんぐみ』は1つにまとまり『新選組』となった。そして彼らは生き残るべく独自の判断で行動を開始したのである。


 伏見の薩摩軍残党を追って行った双方の『しんせんぐみ』隊士たちが命令で次々と戻って来る。ついでにというか何というか無事だった会津藩の皆さんも新選組に合流し始めた。新選組が近藤・島田双方の人数を合わせて150名程度(島田新撰組はほとんど何もしてないので無傷。近藤新選組の方は多少の戦死者有り)、会津藩の生き残り(彼らは鎧兜に刀や槍といった古色蒼然たる装備だったにもかかわらず、真正面から薩摩藩と戦った為、損耗が一番激しかった。その上、アームストロング砲の焼夷弾が引き起こした伏見市街地の大火災に巻き込まれ、壊滅的な打撃を受けたらしい)と幕府陸軍&伝習隊の生き残り(伏見の伝習隊は伏見奉行所がアームストロング砲の砲撃で大爆発を起こした時にほぼ全滅していた。その後、幕府陸軍第7連隊と合流し伏見市街地で薩長軍との激戦を繰り広げていたが、やっぱり伏見市街の大火災に巻き込まれた)を合わせても全部で300名程度だ。伏見の薩長軍を追い払い、戻って来れないように伏見の市街地を燃え上がらせたが(カモちゃんさんの無差別砲撃のせいなのだが、結果オーライである)、いかにアームストロングカモちゃん砲が強力だとはいえ、この戦力で数千の薩長軍主力とは戦えない。しかも向こうは全軍が西洋銃隊・砲隊だし。監察(現在は偵察部隊を兼ねている)の報告では、なぜか竹田街道を守る土佐藩がこちら側に寝返ったとの事。土佐藩兵は坂本龍馬の仕入れて来た最新鋭米国製の7連発スペンサー騎兵銃(銃床に筒状弾倉を挿入する、この時代随一の連発ライフル銃)を装備した強力な部隊なので協力してくれるとありがたいのだけど、まあ、そんなにうまくもいかないだろう。そもそも薩長軍の方が圧倒的に優勢だし、錦旗も下されたのに何で今頃になって幕府側に寝返ったのか理由も不明だ。だがこれで竹田街道を通って京まで攻め上れるから、天皇に直訴して前将軍の徳川慶喜も新政府に加えるようにしてもらえば、全ては丸くおさまる・・・・のかな?

「島田クーン、準備出来たー☆」
 砲車に搭載されたあーむすとろんぐカモちゃん砲が、龍雲寺裏手の松林の中からしたまでガラゴロと下ろされて来た。長射程・正確無比な射撃制度・圧倒的な破壊力に加えて、小型・軽量・コンパクトで運搬しやすいのもアームストロング砲の特徴だ。カモちゃんさん直属の砲術隊の屈強マッチョな男どもが砲車を押したり引いたりしている。先導しながら指揮を取るのは砲術師範の阿部十郎あべのじゅうろう。砲車の上にちょこんと座ってるのは谷周子ちゃん(こっちの新撰組でも局長付近習。砲術部隊のマスコット的存在)。弾薬を運ぶ荷車も用意され、それらもカモちゃんさんの直属が引っ張っていく。で、当のカモちゃんさんは弾薬箱の上に座って丸い徳利から酒を飲んでいる。なんつーか、女王様? とその下僕たち?


「まことー、米俵をもらって来たよー」
 へー(※藤堂たいら)が配下の隊士にかせた大八車と共に現われる。米俵が積んであるが、どこから持って来たんだ?
「あとねー、お味噌と塩とお醤油と・・・・」
「待てい! どこから盗んで来た!」
「人聞きが悪いなー。火事で燃えてる家からもらってきたの」
 へーの組は輜重しちょう隊兼務なので、確かに食料の確保は重要任務だが・・・
「それは単なる火事場泥棒のよーな気がするぞ」
「大丈夫。火事で燃えてしまうから証拠は残らないよ」
「それだと、俺たちは悪人みたいだぞ」
「でも火事の原因は芹沢さんだよ」
「うむ〜。それは確かに」 それを言われると俺たちは大悪人なのかもしれん。
「どうせ燃えちゃうんだから私たちが有効利用した方がいいよね」
「それは・・・確かに・・・その通りではあるのだが・・・」
 うーむ、有効な反論を思いつかない。
「と、いうわけで、私たちは準備完了だよ」 笑顔のままでへーが報告を締めくくる。
「うむ」 俺は重々しい風に答えるしかなかった。


「龍雲寺は撤収完了どすえ。
 新選組の方にはケガ人がぎょうさん居てはるみたいやし、ウチの組は残らせてもろて治療に専念しよかと思うんやけど」
 龍雲寺からの武器弾薬の運び出しを指揮していた武田観奈かんなも報告に来る。
 新撰組の方には人的被害はなかったが、近藤さんの新選組や会津藩・伝習隊&幕府陸軍の方は銃刀創や火傷のなどケガ人が続出だ。医師の山崎雀が走り回っていたが、武田観奈は蘭方医で武田の率いる部隊は医療チームだから、確かにそっちの方がいいか。
「その方がいいだろうな。任せる」
「まかせてや」
 そう言い残すと、武田は薬箱を持ってケガ人の集められた方へと向かう。


「山南様、武器弾薬の補充を終わって部隊移動の準備は完了致しましたわ」
 谷三十華みそかが副長助勤を代表して報告に来る。だが、なぜここにいない山南さんなのだ? 別に局内での恋愛は自由なのだが、役職上の上官である俺を無視することはないだろうに。
「ご苦労だったね」
「うお!?」
 真後ろから声がした。振り向くと山南さんがいた。確かに山南さんは俺よりも偉い総長だけど、だからっつーて、やっぱり副長を無視すべきではないと思うのだが・・・。
「我々の方は準備は完了したみたいだね。島田君、いつでも移動できるぞ」
 と、三十華の報告を受け、山南さんが俺に報告するが、総長が副長の俺に報告するのも変な気が・・・・。まあ、いいか。新撰組はそういう柔軟でフレキシブルな組織なのだ(断じていいかげんなのではない)。ここが土方さんの作り上げた鉄の規律で縛られた新選組と違うところだ。


「近藤さん、こっちは準備完了です」
 俺は隣でニコニコとしている近藤さんに話しかけた。いちおー、俺たち高台寺党新撰組は、本家新選組に吸収合併される事になったのだが、今から隊の編成などをやり直してる時間的余裕はないので、近藤さんを総指揮官の局長として土方さんが『新選組』を俺が『新撰組』を指揮している。先ほど山南さんが土方さんに嫌みを言った通り、『しんせんぐみ』は副長が動かす組織なのだ(ちなみにカモちゃんさんもやっぱり局長)。
「トシちゃん、ウチはどう?」
「こちらは、まだ時間がかかる。ケガ人も多い」
「じゃあ、先に出発しますね」
「うん。島田くん、気をつけてね」
 近藤さんの新選組は昨日から戦いづめだ。疲労で動きも鈍い。準備に手間取るのも仕方ない。その点、俺たちの方の戦いは主にカモちゃんさんのあーむすとろんぐカモちゃん砲に任せてたので、みんな元気だ。
「近藤、お前も島田と一緒に先に行け」
 土方さんがそう言う。近藤さんが俺と一緒に行きたそうな顔をしてたんだろう。
「いいの? みんなは?」
「島田に手柄を独り占めされるのは面白くないからな」
 土方さんは、そう言ってクルリと後ろを向いた。言葉こそキツイものの、これは土方さん一流の照れ隠しだ。
「斎藤も行け。近藤の護衛だ」
 土方さんが自分の隊の準備をしている斎藤に命じた。ちょうど振り返った方に斎藤がいたのだ。
「分かりました」 短く答える斎藤。
 斎藤は一時期、高台寺に居たので洋式戦のやり方を知ってる。今は自分の隊の隊士に新撰組の予備のスナイドル銃と弾薬を装備させてる所だ。
「あーのー、俺の方の新撰組は最新装備だから、特に護衛は必要ないと思うんですけど」
「ふっ。お前が一番危ないだろう」 土方さんがうそぶく。
「もう、トシちゃんったら」 近藤さんが顔を赤らめる。
「あーうー」 俺は近藤さんの手前、否定も肯定もできない。
 そんな俺たちを斎藤とその隣の沙乃があきれたように見ている。
「戦力は多いに越した事はない。京に何が待ってるか分からんからな。
 準備のできた斎藤と原田の隊をつける」
 土方さんは冗談を言ってるようで、それでいて真面目なのか。
「うん。分かった」 近藤さんも真顔になる。「じゃあ、島田くん、行くよ」
「はい!」
「それじゃ全軍、京に向けて進撃〜☆」
 俺たちの会話が聞こえていたのか、荷車の上からカモちゃんさんが号令をかける。
 火災のせいで周囲は明るい。俺たちはそんな夜の中を京に向けて出発した。



 1月4日正午の御前会議では、優勢な薩長軍に錦旗を与え皇軍とし、仁和寺宮嘉彰親王にんなじのみやよしあきらしんのうを征夷大将軍に任命して、朝賊、徳川を討つという決定がなされた。薩摩藩士の大久保一蔵(=利通)に操られたキンノー系公家の岩倉具視が強硬に主張し、それが通った形である。薩長軍の方が数の上で圧倒的に不利だったので『錦の御旗』という切り札を切ったのだ。土佐の山内容堂や、越前の松平春嶽らの穏健派大名は、これは薩摩と徳川の私闘であるとして反対したものの、国を早く一つにまとめる為と強引に押し切られてしまった。
 だが、同日の深夜に状況が変わった。薩長軍は錦旗を得て官軍となり、錦旗の前に戦意を失った幕府軍を追い散らした。更に淀や彦根、津、紀州などの各藩が幕府を裏切り、総大将の徳川慶喜すらが、軍艦で江戸へと逃げ出した。ここまでは大久保の計算通りに運んだのだが、予想外の事が起きた。何と、会津藩主松平けーこが幕府陸軍の最精鋭部隊と佐幕派諸藩の大軍団を率いて大坂より出撃との報がもたらされたのだ。先帝の孝明天皇の信頼があつかった松平けーこがよもや錦旗に弓引くとは誰も考えていなかった為、御所はパニックに襲われた。はっきり言って、キレたけーこは恐い。しかも戦力では薩長の方が劣るのだ。更に前線では錦旗が薩摩軍によって作られた偽物だというウワサがまことしやかにささやかれているし、伏見では高台寺党の裏切りによって錦旗が砲撃され、戦火が広がり大火災が発生。その炎は昨夜の伏見奉行所炎上の比ではない。御所からでも南の夜空が赤く燃え盛っているのがはっきりと見える。
 事ここに至って土佐の山内容堂は新政府に見切りをつける事にした。所詮は烏合の衆であったかと。日本国の早期平定の為、土佐も新政府に加わったものの、薩長主導の新政府では国をまとめることなぞできぬ。力では国はまとまらぬ。それがはっきりと分かった。現に会津が公然と錦旗に対し反旗を翻した。並の決意で出来る事ではない。会津とて朝廷をないがしろにしているわけではない。むしろ尊王のこころざしあつい方だ。だが、主君は徳川家。藩祖保科正之の受けた恩をいまだ忘れずにいるのだ。敢えて朝敵の汚名を受けても、徳川を守るための捨て石となる。それが松平けーこの真意だ。主君に対する命懸けの忠節。それが武士道。容堂は松平けーこに失われつつある武士道を見た。土佐は武市半平太の土佐勤王党や坂本龍馬の海援隊、中岡慎太郎の陸援隊などのキンノー組織が有名だが、それらは身分の低い郷士ごうしの連中が殿様である容堂の考えを無視して勝手に始めた事だ。容堂は最初から親徳川派なのである。
 新政府の内部分裂を恐れた岩倉は『土佐も朝敵として征伐する』と容堂を恐喝したが、容堂は単なるバカ殿ではない。剣の腕は無外流の免許皆伝。武士道を重んじる剛の者だ。そんな脅しが効くはずもない。容堂は岩倉を一睨すると悠然と小御所から退出した。こうして新政府軍の一翼を担う土佐藩が裏切ったのである。
 竹田街道を守っていた土佐藩兵一千は、容堂の意を受け直ちに京に戻り、白川の土佐藩邸(現在の京都大学の辺りにあったらしい)を固めた。陸援隊の本部があった事でも有名な白川の土佐藩邸は大軍が駐留する設備を持った要塞の様な構造である。洛中にある河原町の土佐藩邸は、御所にも祇園にも近く地理的に便利な場所にあるのだが、守るに難い。容堂も白川藩邸に移り、今後の推移を見守ることにした。旗幟鮮明にした以上、薩長が勝った場合、土佐も賊軍となろうが、薩長軍4千に対して土佐藩は最新鋭の連発ライフル銃を装備した藩兵が1千。薩長軍は幕府軍との戦いで消耗するだろうから、薩長に戦いを挑んでも十分勝機はあると見た。その後、元々の構想通り、有力大名による議会政府を作ればそれでよい。または、キレた松平けーこが薩長軍を蹴散らし、京まで上ってくる可能性もある。その時はけーこを盟友として新政府に迎え入れればよい。どちらに転んでも土佐が次の新政府内で大きな発言力を持つのは間違いない。容堂はここまで読んで薩長主導の新政府に見切りをつけたのである。


 山内容堂の退出直後、御所に凶報がもたらされた。伏見を守る薩長軍が全滅したのである。そして土佐藩が竹田街道から引き上げた為、伏見の新選組が竹田街道を攻め上って来ているらしい。この知らせを聞くや否や、尾張の徳川慶勝や越前の松平春嶽らの大名も手勢を引き連れ、さっさと各藩邸に戻ってしまった。
 いわゆる『玉を奪う』とは長州のキンノーどもが使い始めた言葉である。実際、京の町に火を放ち混乱に乗じて玉体(※天皇の事)を奪い長州に連れ去る、というクーデターが計画された(※『池田屋事件』で新選組によって未然に防がれた)事もある。これがまさに『玉を奪う』の実例である。更に長州は先の『蛤御門の変(※禁門の変とも言う)』では軍勢を京に差し向け御所に向かって大砲を撃った。そういう前例があるため、新選組が御所に攻め込み、天皇を奪おうとしていると彼らは判断したのである(その判断は半分ぐらい正しい)。

 大久保は、すぐさま軍勢を京に戻し新選組を防ごうとしたのだが、天王山では既に激戦が始まっていた。前線の西郷からは『東軍の攻勢が激しく持ちこたえるのがやっと』との返事である。キレた松平けーこが裏切り者は許さんとばかりに、凄まじい勢いで攻め立てているのだ。淀や彦根、津藩は裏切った負い目もあり、士気は低い。薩長の主力がようやく戦況を支えているものの、物量に勝る幕府軍は新型の4ポンド山砲や6ポンド山砲の砲弾を雨霰あめあられと撃ち込んで来る。夜陰に紛れて四方八方から敵陣に斬り込みをかけるのは会津や桑名の侍たちだ。何しろ勢いがあるため、じりじりと押している。

 この事態に困ったのが公家達である。新政府軍とは言っても実態は薩長軍なのである。その頼みのつなの薩長軍は天王山で幕府軍と激戦の最中。その間に伏見の新選組が天皇を奪わんと向かって来ている。
 公卿たちは小御所や隣の学問所に詰めていたのだが、新政府の議定を務める各藩の藩主たちは手勢を引き連れ自分たちの屋敷に戻ってしまったので御所を守るのは薩摩と長州の少数の兵だけだ。公卿たちは自分の身を案じた。薩長側についていたと新選組に知れれば、真っ先に斬り殺されるだろうことは想像に難くない(新選組は京においてそういう集団であると認識されていた)。

「薩摩の軍は何をしとるんや!」
「そもそも、徳川の方が圧倒的に大軍やったのに、初日にちょっと勝っただけの薩長に錦旗を与えたのが間違いやったのや。時期尚早やし、読みが甘かったんや!」
「無学な下々の者に御旗の持つ意味が分からんかったのかもしれませんなあ」
「特に新選組と言えば、無学な荒くれ者の集団で、聞けば頭領の近藤とやらは百姓の出とか」
「何を呑気のんきな! その新選組が攻めて来るのでおじゃる」
「今からでも遅うないから、慶喜を議定に迎えればどないやろ」
「すでに慶喜はんは大坂にあらしまへん」
「そやったら、どないして松平けーこをなだめるのや?」
「あのおなごはキレたら手がつけられぬと聞いておるぞ」
「それよりも新選組や。御所に攻め込まれたらひとたまりもないわな」
「せめて主上おかみだけはお守りせねば」
「ここは落ち延びていただきましょ」
 勝ってるときは勢いがよいが、負けているとどうにもならない。そもそも朝廷には武力がないのである。

 もはや一刻の猶予もない。以前からの計画の通り、天皇は比叡山に還幸してもらう。公家たちも御所の周囲に立ち並ぶ屋敷を引き払い、ほぼ身一つで京を脱出した。



 敵を警戒しながらの進軍なので速度は上がらない。特に東九条(※現在のJR京都駅の真南辺り)の町中に入ってからは、どこに敵が潜んでいるかもしれないので俺たちは慎重に進んだ。・・・・が俺たちは敵と出くわさなかった。どうやら土佐藩が引き上げたというのは本当らしい。なぜ薩長が竹田街道を放置したのかは不明だが、それが俺たちには幸いしている。時刻は明け方に近い。京の町では普通に店が開き始めた。戦い慣れしているというか・・・・すぐ近くで戦争が行われているのに、京の人間はタフだ。
「近藤さん」 言わずとも俺の考えてる事ぐらい近藤さんも分かる。
「うん。敵はいないみたい。島田くん、御所に急ごう」
「はい」
「全軍に命令。速歩で前進!」
 俺たちは御所目指して烏丸からすま通りを北上する。


 日が昇り始めた頃、俺たちは御所に到着。下立売御門しもだちうりごもんを通り過ぎ蛤御門はまぐりごもんまで来た。御所の中は公卿の屋敷が立ち並び、さながら迷路だ。下立売御門から入ったら確実に迷う。俺たち新選組は、4年前の蛤御門の変の時、蛤御門を通って御所に入りお花畠おはなばたけを守ったから(あの時は結局敵は来なかった)、土地勘がある。つーかお花畠の真正面が禁裏の建礼門で、蛤御門からは真っすぐ行った所だ。
 しかし、御所は閑散としており人の気配がない。
「あれ? 留守かな?」
「そんなわけないじゃない!」 沙乃からつっこまれた。冗談だったのに。
「すいませーん。誰か居ませんか〜」
 近藤さんが声を大きくして呼びかけるが返事がない。
みかどを探しましょう」
 俺たちの目的は天皇に対する直訴だ。相手がいないでは話にならない。
「駄目だよ、島田くん。あたしたちは官位がないから禁裏には入れないよ」
「そういう場合じゃないと思うんですけど・・・」
「うむ。非常時だから致し方あるまい」 山南さんが俺に同意する。
「じゃあ、みんな、ふすまとか破っちゃ駄目だからね。高いんだからね。切腹だからね」
 山南さんの指揮で、御所の捜索に当たる人間は草鞋わらじを脱いで、更に足を拭いて禁裏の建物に上がる。本来なら俺達のような身分の人間が入れるような場所ではない。
「ここは僕に任せて、島田君は市中の捜索を指揮してくれ。
 この様子だと、おそらく御所は空っぽだ」
「どういう事です?」
「御所を守っているはずの薩長の兵が居なかった。
 ということは帝は連中に拉致された可能性がある」
「大変じゃないですか!」
「うむ、大変だ」 と頷く山南さん。落ち着いている場合ではないと思うのだが。
 山南さんの読みと違って天皇が御所のどこかに隠れている可能性は否定できないので、必要最低限の隊士を残して、他は市中に出ることにする。
「各隊、分かれて市中を捜索するぞ。谷さん(※三十華みそかの事)と沙乃は西の市中を、へーと鈴木(※鈴木美樹みき:伊東甲子の妹)は東の寺社を、万沙代さんの監察は情報収集をお願いします」
「俺と斎藤で北をあたる。 斎藤、行くぞ!」
「うん、分かった」 斎藤が短く答える。

「島田君も副長が板についてきたな」 と山南さん。
「島田くん、トシちゃんみたい」 とその横の近藤さん。
 だからどーしてあなたがたはそう呑気のんきなのですか・・・。

「ねえ、山南くん、アタシは?」
 皆が島田の指示で走りだし、あるいは御殿に上がって天皇の捜索に入ったのだが、芹沢率いる局長直属の砲術隊はポツンと取り残されたままだ。本来なら局長が一番偉いのだが、新撰組では副長の島田か、あるいは総長の山南が指示を出すと慣例で決まってしまっているのだ。
「淀の薩長の本隊が戻って来たときに備えて御所の守りを固める。
 芹沢君はあーむすとろんぐ砲をお花畠に据えていつでも撃てるように準備を進めてくれたまえ」
「りょーかい。阿部クン、行くよ!」
 カモミール・芹沢は、あーむすとろんぐカモちゃん砲を準備すべくお花畠へ向かう。



 俺たちは御所を出て、そのまま北へ向かった。
「ところで島田、何で僕たちが北なの?」
 駆けながら斎藤が訊いてくる。
「俺たちは南から来た。だから敵は北に逃げる」
 俺は、どうだ! とばかりに斎藤を見る。冴えてるぞ、俺。
「それだけ?」
 ズバッと言い返された。そうあっさり言われると自信がなくなるじゃないか。
「京の寺に隠れるか、京を脱出するかのどっちかだと思ったんだがなあ」
「じゃあ、比叡山だよ!」
 俺のつぶやきに、突然思いついたかのように声を上げる斎藤。
「なにゆえ?」
「昔から天皇が京から逃げ出すときには比叡山延暦寺に行くんだ」
「そうなのか?」
「木曽義仲が京に攻めて来た時、後白河法皇は比叡山に隠れたんだよ」
「後白河法皇は天皇じゃないじゃん。安徳天皇は平家と一緒に福原にのがれたんだぞ」
「島田、そのツッコミはマニアックすぎるよ・・・」
「でも比叡山ってのは有り得る線だな。行ってみよう」
「比叡山は京の北東、一乗寺の方だね」
「よし、そっちに向かおう」
 俺たちは進路を東に変更する。



 そんなこんなで走ってると、黒塗りの輿こしを担いだ一団に追いついた。黒服の兵が守っている所を見てもあからさまに怪しい。
「あれか!」
 向こうもこっちに気付いた。何人かが俺たちを足止めすべく反転して向かってくる。
「チェストーーー!!!」
 猿叫を上げて斬りかかって来た。示現流の上段蜻蛉の構え。ということは薩摩兵。大当たりだ。
「島田、まかせて!」
 斎藤が刀を抜くと、刀身を寝かせて、そのまま突進して突きに行った。必殺技の牙突だ。速さと速さの勝負。だが、刺突に突進を加える斎藤の牙突の方が圧倒的に速い。相手が刀を振り下ろす間に懐に飛び込み、強烈な刺突を見舞う。黒服の薩摩兵は刃で背中まで貫かれ、そのまま体ごと吹っ飛ばされる。
 戦術の鬼才、土方歳江の考案した片手平刺突ひらづきは、片手で持った刀を寝かせて相手の肋骨の間に刃を入れ、確実に相手を殺す必殺技だ。しかし、一対一なら良いのだが、刀が相手に刺さり死に剣となるので多数の敵と戦うのには向かない。斎藤の牙突は片手平刺突に、強靭な脚力による突進力を加え、相手を殺すと同時に吹っ飛ばし、そのまま刀を抜いて死角を作らない改良型の技なのだ。
 だが残りの薩摩兵は少し離れた所で銃を構え始めた。これはまずい。いかに斎藤が速くとも牙突を仕掛けるには距離が有り過ぎる。
「斎藤、伏せろ!」 俺の声に斎藤がその場に伏せる。
 そのかんに俺はたもとのレミントンを抜いていた。敵は斎藤が倒れたので目標を失った。重いので取り回しが遅いのがライフル銃の欠点。すぐに目標を変える事もできない。俺は斎藤が地面に転がると同時に安全装置セイフティを外して両手の拳銃を正面に向けて連発でぶっ放した。両手で12発。ライフル銃は連射できないがリボルバーは違う。それに下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるもんだ。斎藤を狙っていた薩摩兵がバタバタその場に倒れる。
 仲間がられたのを見て、次の薩摩兵が壁とならんと反転して向かって来る。これぞまさに薩摩の捨て奸すてがまり。関ヶ原を敵中突破した薩摩武士の魂。味方を逃がすために捨て身で盾となるのだ。
 が、その間に新撰組隊士の方もスナイドル銃の準備が出来ていた。猛訓練の結果、数秒で弾を込めて発射体勢に持って来れるようになってるのだ。
「構えー! ー!」
 パパパパーン。俺の号令で前方に一斉射撃が加えられる。戻って来た薩摩兵のみならず、輿を囲む一団もバタバタと倒れる。・・・・輿こしの中の人物に当たってないといいな。もしも天皇を殺してたら、切腹じゃ済まないよな、多分。
「斎藤、無事か?」
 倒れている斎藤に声をかけた。俺の掛け声と同時に倒れしたので、銃弾は全部斎藤の頭上を飛び越えている。
「うん、僕は無事だけど・・・」
「けど?」
 俺は斎藤を引き起こした。そのまま輿に向かって走りながら会話を続ける。
「いや、刀の時代は終わったのかもしれないなって」
 死屍累々と転がる薩摩兵を見て斎藤が感慨深く嘆息をつく。
「そうでもないんじゃないか?」
「どうして?」
「確かに遠距離では銃の方が有利だが、間合いが近いと刀の方が速い」
 ライフル銃は装填に時間がかかるので相手が近いと弾を込めて狙う間もなく斬られてしまう。
「でも島田は18金のピストルじゃないか」
 ピストルは近距離向けで、しかも装填してあればすぐに射て、連射も利くのだが、
「安心しろ。俺は適当に射ってるだけだ」
「適当って・・・」
「俺の腕だと狙った方が当たらないということが分かってきたからな。
 最近では、敢えて狙わないようにしている」
「そんな、いいかげんな・・・・」
「大丈夫。狙わなかったらちゃんと当たるから」
「そんな馬鹿な〜!」
 斎藤と馬鹿な話をしながらも俺たちは打ち捨てられた輿へと向かっていた。輿を守っていた薩長兵はスナイドル銃の一斉射撃でやられたか、逃げ出したかのどっちかだ。周囲を平隊士達が警戒する中を俺と斎藤が輿に近づく。
「ねえ、島田」
「何だ?」
「島田はみかどの顔を知ってるの?」
「俺が知るわけないだろ」
 文字通り雲の上の人である。斎藤に言われるまで気付かなかったが、影武者だったとしても俺たちには分からないわけだ・・・いや、誰も顔を知らない人間の影武者って意味がないような気がするな。
「じゃあどうやって帝だって分かるのさ?」
「さあ?」
 斎藤に答えつつ俺は輿の塗戸を開いた。俺の横ではもしもの時に備えて斎藤が刀を構えている。
「・・・・」
 十二単じゅうにひとえに長い黒髪の子供が輿の中で震えている。
「貴人の娘さんだったのかな?」 と斎藤。
「なんだ、こいつ、えい!」 俺はそいつを輿から引き出すと蹴飛ばした。
「島田!?」 俺の行為に斎藤が目を丸くしている。
「このガキ、女装してやがる」
「は?」
「おかまに用はない!」
 俺は更にそいつを蹴飛ばす。そいつはゴロゴロと道端まで転がって行った。
「女装って、島田、どうして男だって分かったの?」
「見れば分かるだろう」
「分かんないよ」
「まだまだ修行が足りないな、斎藤」
「何の修行だよ(泣)」
「しかし、こっちがおとりだったとすると、本物はどこに・・・。
 おい、ガキ! 帝はどこに行った?」
 俺の問いに女装したガキはふるふると首を横に振る。
「利用されてただけで知らないんだよ。僕が敵なら偽者の子供には情報を教えないよ」
「それはそうだな。と、するとどこに・・・」
「ひょっとして二段構えなんじゃないかな?」
「二段構え?」
「本物の後ろに偽者がいて、先に偽者が見つかったら、その先に本物はいないと思うじゃないか」
「おおっ! 斎藤、冴えてるなー」
 確かに斎藤の言うとおり、あきらかに偽者と分かる偽者を見つけたら、そっち方面はおとりと考えるのが普通だ。現に凡庸な指揮官である俺はそう考えた。自分で凡庸と言うのも情けないが、考えるのは山南さんの役目だからなあ。俺は考えるのは苦手だ。
「よし、俺たちはこのまま比叡山を目指すぞ。進めー」
 俺の号令で、隊士たちが再び隊列を組んで走りだす。後には薩摩兵の死体と輿と女装した子供がぽつんと残された。



 やはり山南の予想通り、禁裏の捜索は空振りだった。御所はもぬけの殻で、人っ子一人残ってない。
「近藤ぉーーー」 御所に土方の声が響いた。
 島田たちに遅れること半刻。何とか全軍をまとめて伏見を出発したのだが、土方隊(&会津藩・伝習隊)は近藤たちの予想より早く御所に到着した。途中の敵は先行する島田たちがやっつけたはずなので土方たちは可能な限り急いで御所に馳せ参じたのだ。
「あ、トシちゃん」
 近藤たちは御所の庭に天幕テントを張って陣にしていた。さすがに御所の建物に入るのは気が引けたので捜索が終わり次第、建物から出て庭に天幕を張ったのだ。島田の新撰組はハイカラな洋風装備なので、防水帆布ターポリン製の組立式のテントも持っていたのだ。こういう装備は蘭学者の武田観奈が大坂の町(兵庫が外国船に対して開港したので外国製品が手に入る)で見つけて来て、総長山南敬助の許可の下、買い揃えられたのである。ちなみに勘定書はいつも副長の島田に回る。
「近藤・・・なんだ、この三角は?」
「組立式の陣幕なんだって。布で出来てるのに雨風を防ぐんだよ」
「軽くて持ち運びに便利だ。小屋掛けするよりも手間はかからないから、まさに戦場向けだな」
 山南が天幕から出て来た。
「状況は?」
「あたしたちが到着した時には御所には誰もいなかったし、帝もまだ見つからないの」
「隊士のほとんどを市中の捜索に出した。だが、京は広い。見つかるかどうか微妙な所だ」
 土方の問いに近藤と山南が次々に答える。
「ふむ・・・計算が狂ったか」
 まさか御所が空っぽだとは思わなかった。薩長の主力は淀に集結しているから、虚を突いた形になったのだが、連中は御所を死守すると思っていたのに、まさか逃げたとは・・・。
「どうしよう、トシちゃん」
「薩長の本隊が京に戻って来たらひとたまりもないな」
「二条城に水戸藩がいるからアタシが話をつけて来ようか?」
 新選組本隊到着の音声を聞き付けて、お花畠の方から谷周子を伴って芹沢がやって来た。どうやら待機に飽きたようだ。
 確かに二条城は堀を備えた本格的な城なので、守り易くはあるが、どこからも増援が来ない状況で籠城してもその先に勝利はない。逃げるというのは論外だ。敵前逃亡は士道不覚悟だからだ。
「捜索隊を出すべきではなかったかな?」
 山南が首を捻る。本拠地を移動させるにしても彼らには連絡の取りようもない。
「いや、玉は何としても押さえるべきだ。あとは運か・・・」

 パパパパパーン。花火のような乾いた破裂音が遠くから響いてきた。銃声だ。
「音は北東だね。銃は2種類。スナイドル銃と・・・ピストルかな?」
 芹沢が耳を澄ます。こと銃砲に関しては芹沢はその道の専門家エキスパートだ。
「島田くん!」 近藤がはっ、としたように叫ぶ。
「どうやら島田君が見つけたようだな」 山南もうなずく。北は島田隊の担当だ。
「トシちゃん、あとをよろしく! アラタちゃん、周子ちゃん、行くよ!」
 言うなり、近藤は走りだした。
「そうこなくちゃ」
「はいですぅ」
 永倉の率いる新選組一番隊・二番隊、及び近習の谷周子が近藤を追う。
「近藤! 総大将が軽々しく・・・」
 土方が止める間もなく、またしても近藤たちは、あっと言う間に見えなくなる。普段はおっとりしているのに、どうしてこういう時だけ素早いのか・・・・。
「どうするの、歳江ちゃん?」 芹沢が訊く。
「勇子までが出て行っては、ここを放棄できないな。
 御所の守りを固めよう。薩長が来てもこちらに帝があれば攻め込めない」
 逡巡する土方を前に山南が提案する。
「理屈ではそうだが・・・」
 錦の御旗を掲げた官軍が御所に攻め込むのは本末転倒だ。山南がそう言ってるのは土方にも理解できた。しかし肝心の天皇が見つからないでは・・・いや、逆に守りを固めれば、連中はここに天皇がいると錯覚するかもしれない。
「よし。御所九門の守りを固める。会津の佐川さん、林さんに連絡を取れ。伝習隊と第7連隊の指揮官にもだ」 土方が脇に控える隊士に次々と命じる。
「観奈の隊士を屋根に上らせよう。灯火信号で芹沢君がいつでも撃てるようにする」
 これは油小路の戦い(第6幕後編を参照の事)で島田たちが土方を苦しめた戦法だ。信号用のカンテラで着弾修正を行い、弾道射撃での命中率を飛躍的に高めるのだ。元々、二階屋が多くて見通しが悪い京都の町中で砲撃戦を行うため山南が考案したものだ。屋根に隊士を上らせて信号を伝達し、大砲はその指示に従い撃つのである。
「そっちは、山南、お前にまかせる」
「心得た」
「じゃ、アタシはカモちゃん砲のところに戻る〜」
 芹沢は、再びお花畠へと戻って行った。



 近藤たちは御所から銃声の聞こえた北東の方角へと走っていた。幸いにして、御所より北側は町並みもまばらな一本道なので迷うことはない。しばらく走ると事件の起こった現場らしき所にたどり着いた。
 地面に転がる薩摩兵の死体。打ち捨てられた豪華な塗り輿こし
「島田君は?」
 見たところ、島田・斎藤隊の人間は残ってないようだ。一体どこへ行ったのか?
「はぅ。ゆーこ姉様、子供がいるですぅ」
 全員で散開して現場を捜索していたのだが、谷周子が路地に隠れるように震えている子供を発見した。子供と言っても周子と同じぐらいの年齢としだ。
「どうしたの、ボク?」
 近藤が腰を落とし、子供の目線になって尋ねると、子供はヒシッと近藤に抱き着いてきた。
「ゆーちゃん、こいつの他はみんな死んでるよ」
 永倉の言葉に、近藤の腕の中の子供がビクッと震えて、泣き始めた。
「うんうん、恐かったんだね。よしよし」
 あやすように背中をぽんぽんと叩く。
「アラタちゃん、駄目じゃない。小さい子を恐がらせちゃ」
「あ、わりいわりい」
「島田くんたちは?」
「足跡からすると、先へ向かったみたいだぜ」
「ゆーこ姉様、どうするですか?」
「うーん、この子をこのまま放ってもおけないし・・・・」
「じゃあ、アタイが島田を追うから、ゆーちゃんは一旦、御所に戻りなよ」
「うん、分かった。アラタちゃん、気をつけてね」
「おう。まかせといてよ。
 二番隊行くぞ〜。一番隊はゆーちゃんを護衛して御所まで戻れ〜」

 ここで近藤たちは隊を半分に割り、一番隊は近藤の護衛で御所へ引き返し、二番隊はそのまま島田たちを追いかける事にした。
「坊や、おウチはどこ?」
 近藤の問いにも子供はふるふると首を横に振るだけだ。
「きっと、御所のどこかですぅ」 御所には公家の邸も林立しているのだ。
 子供は綾錦の着物を着ていた。女物だったのは追っ手の目をごまかす為だろう。昔から貴族が逃げるときによく使う手だ。
「そうだね。じゃあ、御所に戻るよ」
「はいですぅ」
 いくら敵とはいえ、薩摩兵の死体をそのまま打ち捨てるのは忍びないので、近所の寺に隊士を走らせて金をやって埋葬を頼んだ。また、子供が乗ってたとおぼしき立派な輿はもったいないので隊士たちが担いで御所まで持って帰る事にした。



「ただいま〜」
 近藤が徒歩で戻ってきた。御所の中は土方隊や会津藩、伝習隊、幕府陸軍などが合流したので、さながら野営地のようになっている。おそれ多くて御所の建物を使えないため、天幕を張り、たき火を焚いているのだ。
「早かったな。島田はどうした?」
「アラタちゃんが追いかけてる」
「では、みかどは?」
「島田くんが追いかけてるみたい」
「・・・その子供は?」
 土方の視線が近藤のすそにしがみついている子供に止まった。
「薩長に誘拐されたのを島田くんたちが助けたんだと思うの」
「ふむ」
 実はこの子供は本物の明治天皇睦仁むつひと陛下なのだが、この場にいる誰もその事を知らないのである。下々の者が天皇の顔を知ってるはずもないので、まあ、当然と言えば当然なのだが。

「お雑煮が出来たよ〜」
 藤堂たいらがお椀を持って現われる。
「あ、へーちゃん」
「おやっさん(井上源三郎の事)の隊と交替で戻って来た。
 今、町に出ているのはウチの隊士で、島田の方の隊士が待機中だ」
 腹が減ってはいくさが出来ぬので、給食部隊を兼ねてる藤堂の部隊が早速調理を始めたのだ。しかも忘れがちだが、まだ1月5日。1月2日から戦ってたので、ろくに正月らしい正月を取ってないのだ。そういうわけで藤堂は雑煮を作ったのである。
「キミも食べる?」
 近藤が訊くと、少年はコクコクとうなずいた。藤堂がお椀を渡す。
「全員分作ったからたくさんあるからね」
 藤堂の言葉に少年はコクコクとうなずく。

「・・・・・」 少年が何か言った。
「えっ、なに?」
御身おみを征夷大将軍に任ずる」 少年は真剣な表情で確かにそう言った。
「ふっ、坊主、なかなか人を見る目があるぞ」 と土方。
「ありがとー。お姉さん、がんばるからね」
 近藤や土方はこれを子供の言葉と受け取った。時々子供はこういう事を言う。決して冗談などではなく真剣なのだ。大人の真似をしているのだろうか、この子もどこかの公家の子供らしいし、そういうのを見聞きしていたのだろう。
 幼い天皇にしてみれば、よく分からない内に祭り上げられ、そここうしている内にいくさが始まり、御所から逃げ落ちる事になり、護衛の薩摩兵が皆殺しにされ、蹴飛ばされ、もう何が何やら。優しいお姉さんの近藤が自分を救いに来たかのように見えたとしても何ら不思議なことはない。幼い天皇にとって、小御所で小難しい意見を戦わせる大名や公卿らなどより、御所の庭で野営している近藤たちの方が粗野だが『いい人たち』に見えたのである。御所から悪い奴らを追い払って守ってると(なぜ建物に入らないのかは彼にとっても不思議ではあったが)。



 1月5日、お昼頃。
 お昼ご飯は豚汁とおむすび、たくあん。
 御所は新選組と会津藩、桑名藩、伝習隊、幕府陸軍第7連隊などの伏見勢が守っていたが、ここに土佐藩の山内容堂が軍勢を率いてやって来た。土佐も新政府側だったので、門で通せ、通さぬの押し問答があったのだが、幸いなことに、土佐の後藤象二郎と近藤が顔見知りだったので土佐藩も御所の守りにつくことになった。土佐藩は乾退助(=板垣退助)の率いる精鋭が千名。御所の南に陣を敷き、淀からやって来るであろう薩長軍に備えた。更には越前の松平春嶽、宇和島の伊達宗城ら徳川寄りの大名たちも手勢を率いて参内して来た。一旦は逃げたものの、新選組による御所の無血制圧を聞きつけ馳せ参じたのだ。彼らは民主的な新政府成立を目指しており、何が何でも徳川家を滅ぼして新しい世の中を作ろうとしている薩長とは一線を画していたのだ。
 現場の土方にはそういう事は分からず、単に上様に敵対した腰抜け裏切り大名として追い返そうとしたのだが、局長の近藤は当時、政治的な事に奔走していたため、その辺りの事情に精通していたので事なきを得たのである。
 そして、先帝の孝明天皇の補佐役であった中川宮朝彦親王や、前関白の近衛忠煕ら幕府寄りの公家達も参内し始めた。


 京の都では、新選組や各藩兵による天皇の大捜索が行われていたが、こちらは成果なし。御所に集う大名・公家は焦った。天皇がいなければ、天皇を中心とする新政府にならないのである。万が一長州や薩摩本国に連れ去さられてたりすると、大変やっかいな事になる。(※実はこの時、明治天皇は御所の新選組野営地にいて、一緒に豚汁を食べてたりする)


 午後には、松平けーこちゃん様の率いる幕府軍精鋭が奔流となって天王山を突破、更に淀を抜かんと快進撃を続けていた。行動派の山内容堂は乗り遅れるまいと自ら土佐軍を率いて淀へと出撃、薩長軍は南の幕府軍、北の土佐軍に挟み撃ちにされ、もうすぐ全滅する運命にあった。



 1月5日、夕刻。薩長軍は淀城に立てこもっていたが、幕府軍の砲撃により炎上。兵力の劣る薩長軍がついに壊滅。会津藩主松平けーこ、弟の桑名藩主松平定敬、応援に出た土佐藩の山内容堂らが馬を並べて威風堂々と京の町に入って来た。
 天皇はいまだ捜索中で、御所の中では対策協議が始まっていたが、松平けーこは新選組や伏見から新選組に同行していた会津の家臣をねぎらうべく、新選組の野営地へとおもむいていた。身分の低い彼らは御所の建物の外で野営中なのだ。

「あ、けーこちゃん様」 近藤が松平けーこに気付いた。
 近藤の声に新選組隊士一同がその場に片膝をついてかしこまる。何しろ相手は会津藩の殿様で、新選組のスポンサーである。
「うむ、皆の者、くるしゅうない。比度こたびの件、誠に大儀であった。
 つーか、でかした!」
「ははっ!」 お褒めの言葉に一同は頭を下げる。
 ここでけーこは近藤の隣でちょこんと頭を下げている子供に気付いた。粗末な身なりの子供だ(※男の十二単じゅうにひとえは変なので、着替えさせられた)。
「ゆーこの子供?」
「ち、違います、中将様。この子は薩摩にさらわれそうになってたのを助けたんです」
「ふーん、そこな子供、おもてをあげい」
 近藤から小突かれて少年が顔を上げる。
「なんだ、全然ゆーこと似てないじゃ・・・・ん?」
 けーこは近藤をからかおうと思っていたのだが、言葉が途中で止まる。

「み、みかど!」

 驚きのあまり、けーこは半げん(≒1m)ほど跳び退すさってしまった。
「ご無事で何より」 その場に土下座するけーこ。

「みかど? この子が? まーた、また。けーこちゃんも冗談がキツいんだからぁ☆」
 と、芹沢が声をかけるが、けーこは土下座したままだ。
「・・・・ひょっとして、マジ?」 芹沢の顔を冷や汗が流れる。
「帝の御前ごぜんだ。無礼だぞ、芹沢」
 けーこの叱責にハッとなった一同が、少年に対し土下座する。特に近藤や土方らは、この子供が天皇だとは露ほどにも思ってなかったため驚きも一入ひとしおだ。
 少年天皇は、世界が変わってしまった事を内心なげいた。近藤たちと一緒にいた一日はとても楽しいものだったのだ。誰も自分を特別扱いせず、普通に接していた。それが、今、この瞬間になくなってしまった。
「陛下、ご無事で何よりでした。ささ、こちらへ」
 けーこが少年天皇の手を取り、御殿へと導こうとする。

「そういえば、あの子供、さっき近藤を征夷大将軍にするとか言ってなかったか?」
 土方が平伏したまま、隣の近藤にそっと小声で言った。
「うむ、余はそのように命じた」
 土方の呟きを聞き付けた天皇が、その言葉を肯定する。
「・・・!」 これには松平けーこが絶句した。
 将軍職は源氏の子孫が継ぐものと決まっているし、そもそも近藤は百姓の出である。あるが、天皇の命令となれば、それは勅命なのである。
「そ、その件に関しましては、後程・・・」 けーこは冷や汗をかきながら、天皇を殿上人の集まる御殿へといざなった。



 そして、天皇とけーこちゃん様がいなくなってしばらく経っても新選組は放心したように土下座したままだった。
「トシちゃん、どうしよう!」
「とりあえず、京の捜索に出した隊士を呼び戻そう」
 真顔でそう答える土方はもちろん錯乱している。
「そうじゃなくて!」
「アタシ、帝をダッコしてお酒を飲ませちゃったよ。あはははは」
 芹沢が乾いた笑い声をあげる。
「それにあんな服を着せたし、食べ物だってあたしたちと同じ普通の物をすすめちゃったし」
 近藤は恥ずかしさのあまり、一回り小さくなっている。
「私たち全員切腹かなぁ〜」 藤堂平は目に縦線状態だ。
 知らなかったとはいえ、天皇を普通の子供と同じに扱ったという事実は一同の上に重くのしかかった。



「お〜、みんななんで土下座なんかしてんだぁ?」
 ハンマーを担いだ永倉アラタと斎藤の組が帰って来た。彼らは比叡山まで行き、空振りで帰って来たのだ。
「あ、アラタちゃん、おかえり〜」
「ゆーちゃん、比叡山にはみかどは居なかったよ」
「まあ、それはそうだろうな」 と土方が答えた。
「なんでい、別の場所で見つかったのかよ」
「いや」
「トシさんの言うことはさっぱり分かんないよ」
「アラタちゃん、実はかくかくしかじかなの」 近藤が簡潔に事のあらましを説明する。
「ありゃ、あのガキが帝だったのか!」
「そうみたい」
「あ、そうそう。これゆーちゃんのだろ?」
 アラタが隊服のダンダラ羽織りのたもとから金の懐中時計を取り出した。
「帰りにあの輿の所で拾ったんだ。蓋の裏側にゆーちゃんが彫ってあったよ」
 アラタから手渡された懐中時計の蓋を開けると、確かに近藤の姿が彫ってある。時計は落ちたときの衝撃で中の機械が壊れたのか、針は動いてなかった。
「これ、島田くんのだ」
 近藤は、高台寺で逢瀬していたとき、島田がこの特注の時計を自慢していたのを思い出した。
「島田? 魁さんが何でゆーちゃんの彫刻を時計に?」
「ふむ、奴も中々女を見る目があるが・・・何ゆえ私ではないのだ?」
 と首を傾げるのは土方。島田魁は監察で土方の直属なのである。
「あ、そういえば島田くんはどうしたの?」
 斎藤と島田は一緒に御所を出たのに、戻って来たのは永倉と斎藤だけだ。
「魁さんはアタイたちと一緒に行ってないぜ」
「そーじゃなくて。斎藤くん、島田くんは?」
「島田さんは副長の方にいたから、ぼくが出発したときにはまだ京に着いてなかったんじゃないですか?」
「だから魁さんじゃなくて、誠くんの方。島田誠くん」
「島田誠?」
「そんな奴、ウチに居たかあ?」
「初耳だな」
「ちょっと、トシちゃん、何言ってるのよ。島田くんを忘れちゃったの?」
「島田魁は監察で私の直属だ。島田誠などという奴は知らん」
 冗談を言っている風ではない。近藤は恐ろしくなった。
「カーモさん、山南さん!」
 島田誠は高台寺党新撰組の副長だった。この2人が知らぬはずはない。
「ウチにも島田誠って人はいないよ」
「だって、副長じゃない!」
「新撰組の副長は僕だ。島田誠という人の事は知らないな」
「沙乃ちゃん! へーちゃん!」
「沙乃も知らない〜」
「私も魁さんしか知らないよ」
「そんな、なんで・・・みんな、島田くんは仲間じゃないの!」
 近藤はもう半狂乱だ。不思議なことに近藤以外のみんなが島田の事を忘れている。というか、島田誠が最初から居なかったみたいに振る舞ってる。
「近藤、戦いづめだったから、少し疲れたんだろう」
「うん、ゆーこちゃん、休んだ方がいいよ」
 おかしいのはみんなの方なのに、近藤の方が狂人扱いされている。
「だって、みんなおかしいよ! 島田くんは朝までちゃんといたんだよ!」
「近藤、少し休め。局長がそんなでは皆の士気にかかわる」
「・・・・」
 近藤は後退あとずさった。今ここで休んだら自分まで島田誠を忘れてしまいそうな、そんな恐怖に襲われた。

 土方が目で永倉に合図を送った。
「ゆーちゃん、ごめん!」
 永倉のハンマーが振り下ろされた。ゴン! 近藤の目から火花が飛ぶ。そして何も分からなくなった。



 翌朝、目が覚めても近藤は島田の事を覚えていた。頭にはたんこぶができている。手に握った金時計だけが島田の名残なごりだ。
 夢だったのかと思ったが、そうではなかった。やはり島田の事は誰ひとりとして覚えておらず、最初からいなかった事にされていた。伊東甲子は土方の計略で沙乃が暗殺し、高台寺党は芹沢が立ち上げ、山南がその補佐をした事になっていた。
「島田くん・・・」 近藤は動かないその時計を握り締めた。




(あとがき)
 新選組完全勝利! ようやくここまで書けました。
 しかし、世の中は人の繋がりですな。近衛様が『肥前のお嬢様』を書かなかったら、私のカモちゃんさんがアームストロング砲を使うことはなかっただろうし、米倉さとや様が谷3姉妹のイラストを描かなかったら、谷3姉妹は出なかっただろうし。椎名ひなた様が『新選組銃隊始末』を書かなかったら、島田たちがスナイドル銃を装備することもなかっただろうし。あと『その時歴史が動いた』。この番組からは多大なる影響を受けました。『秘録・幻の明治新政府/維新を変えた激動の27日間』を見なかったら、御所や大久保利通、松平春嶽らの政治的な動きを知らないままだったろうし。『幕末勇者伝 蒼き龍馬、走る!』(中岡融司 著)を読まなかったら、山内容堂は登場しなかったかもしれんです。近藤勇子EXを書き始めた当初は、こうなるとは思いもしなかったですよ。
 今回、比叡山に逃げた天皇を島田が追いかけますが、これは丸っきり私の創作ではなく、実際に鳥羽伏見の戦いが始まった時、公家たちは天皇を比叡山に逃がそうとしました。そのような計画があったみたいです。越前藩主松平春嶽の残した日記に書いてあります。
 ラストで島田が居なくなりますが、島田を殺すことにするか、最初から居なかった事にするかで長いこと悩んでたのですが、最初から居なかった事にする事にしました。まあ、これが歴史に介入した島田に対して下された時間の審判ですな。そもそも歴史上の新選組には島田誠なる人物は存在しないし、モデルとなったと思われる島田魁という人物が居るし。ちょうど都合よく島田にはきれいサッパリ消えてもらいました。
 このラストシーンの直後で『Long for only lover−戦地に向かいし貴女を想い−』が流れると丁度良い感じです。行殺のエンディングですね。

 さて、エンディングが流れてエンドクレジットが流れて近藤勇子の墓石が映ってもEXにはシーンが続くのですよ。当然のように! 私はハッピーエンドが好きなので、このままで終わらせはしません。ここまでは歴史を歪めて鳥羽伏見での新選組完全勝利の物語でした。ここから真の明治維新を始めねば・・・・あ、明治維新の知識がほとんどない〜。さあ、また勉強するか・・・・。


 近藤勇子を征夷大将軍にという天皇の言葉に、大名や公家たちは大変驚いたものの、今回の戦いで最も功績の大きい、会津藩主松平けーこと弟の桑名藩主松平定敬が、これを強力に推し、更に土佐の山内容堂もこれに賛同したため、近藤勇子は、何と征夷大将軍に任命されてしまった。征夷大将軍の仕事は夷狄を打ち払い、天皇に代わってまつりごとを行うこと。新選組の近藤勇子が将軍になると、会津や桑名、土佐の発言力が増す。かつての家臣に頭を下げることになりはするものの、どうせお飾りの将軍なので構わないと彼らは判断したらしい。
 前将軍の徳川慶喜は、全ての事件が終わった頃、江戸に到着。事の次第を聞き、大変悔しがったそうだが、もはや後の祭り。戦場から全味方を残して逃げ出したという事実だけが残ったので、幕府贔屓びいきの江戸っ子も『だから豚一公は・・・・』と呆れてしまった(元々徳川慶喜は評判が良くなかった)。これに対して、幕府を守るために朝敵の汚名を物ともせずに戦った会津藩の松平けーこの人気はうなぎ登りで、御所に一番乗りし、天皇と御所を守って征夷大将軍に任じられた近藤勇子の人気も高まった。百姓の出だったので、旗本たちからは嘲笑されたが、今太閤(豊臣秀吉と同じく百姓から頂点に登り詰めたから)と評判になった。この豊臣秀吉の逸話は、意図的に松平けーこが流したらしい。徳川慶喜は隠居し、徳川家は御三家の田安家から養子をもらい、徳川家達いえさとに継がせた。この徳川家も新将軍近藤勇子を支持。日和見していた各藩も、京の新政府に恭順。ちなみに三日天下で終わった薩長の新政府と区別するため、ちまたでは、明治新選組政府と呼ばれる事が多い。また天皇に対する忠誠を示すため、新選組隊旗の『誠』の一字を染め抜いた旗が日本国の国旗として制定されてしまった(これは近藤が主張した事なのだが、どーでもいい事なのであっさりと承認された)。また、勝てば官軍という言葉もこのときに生まれた。最終的に勝った方が正義なのである。
 薩摩の島津久光はいち早く逃げ延びた大久保・西郷らを見つけだして処刑し、今回の件は彼らの暴走であったと主張。土佐には土佐勤王党などの同様の事があったので、薩摩討伐を強く主張することもできず、島津久光は新政府入りを許された(薩摩は変わり身が早いのだ)。
 で、結局、悪いのは長州という事になり、長州藩は改易。毛利家とその家臣団は遥か北の蝦夷地に流された。後に彼らは蝦夷地に新しい国を独立させるというクーデターに出るのだが、榎本武揚が率いる強力な海軍力の前にあっさりと壊滅。

 このような大きな歴史の流れがあったのだが、近藤勇子は、自分の腕と人徳で新選組局長にまでなった人物である。征夷大将軍に祭り上げられてそれで終わりではなかった。明治天皇の信頼篤い近藤勇子は次々と改革案を打ち出した。一つ目が身分制度の廃止である。自ら百姓出身である近藤は、家柄だけの無能な武士達が威張っているのが許せなかった。全国的に学問と武術の試験を行い、落ちた者は容赦なく武士身分を剥奪させた。また、身分の世襲制を廃止。『実力第一』のスローガンの元、人事改革がどんどん行われた。これに不満を持つ元武士達は、蝦夷地の毛利を頼った。だが武士身分を剥奪されたのは能無しの名ばかりの武士達だったので、箱館戦争の際には足手まといにしかならなかったらしい。 逆に能力のあるものは家柄・身分にとらわれず、新政府がどしどし採用した。『有為の士、もって国に尽くすべし』である。元々新選組がそういう組織だった。要はそのスケールを大きくしただけだ。この制度により、埋もれていた人材が次々と新政府に参入。新政府はより強固になった。
 こうして新生日本は、近藤勇子率いる明治新選組政府の下で大きく飛躍したのである。


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