第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―
(渡辺 淳子)
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≪右・写真≫
モナリザ号船内中央レセプション前にて、クリスマスツリーの前で森田会長です
世界の先住民族 約3億人・・・・・今回のクルーズで如何に世界で先住民族が先進国のしたで虐げられているか凄く勉強になりました。
これまでは、その方達の現実についてこれほど身近に考えた事はありませんでした。
タヒチのペパーテ港(12月18日)から乗船された4組6名の水先案内人から学んだ事を書かせて頂きます。
写真家である遠藤秀一さん・・・地球温暖化によって沈み行く南の島・ツバルの現状についての講座では温暖化の恐ろしさを身近に感じました。
現在ツバル(9つの島からなる総面積26平方キロ)で、人が住んでいるのは8つの島で、1978年10月、イギリスから独立する際に8つの部族で力を合わせて国を立ち上げていこうと言う意味を込めて、TU(立ち上がる)VALU(8つ)と言う国名をつけました。
地球温暖化の影響から、海面が上昇し様々な問題が起きて、数十年後には水の中に沈んでしまうと言われている人口約一万人のこの島を救う事ができるのは今しかないと力説されています。
アイヌ民族である計良智子さんとご主人の光範さんはNGO「ヤイユーカラの森」の代表・・・奪われて来たアイヌ文化伝承、民族の復権、世界の先住民族との交流活動を行っておられます。
明治維新以来、政府は彼らが住んでいた蝦夷地(えぞち)を北海道と呼び改め、一方的に日本の一部としアイヌの人達を「平民」として戸籍を作成し国家に編入。その一方で「旧土人」と呼び、今なお、北海道に暮らす彼らへの差別は続いています。
計良さん夫妻はこのアイヌ問題に取り組み、北海道の大地でアイヌと和人とが、共に敬いあい、助けあって、真に心豊かな生活を築き上げる為の知恵と力を養う場として創立されたNGO「ヤイユーカラの森」の代表です。
トナカイ、シシャモ、オットセイ、稚内、富良野、札幌などはアイヌ語に語源を持つ言葉だそうです。
智子さんは、ニュージランドに上陸した際、原住民マオリ族との交流にアイヌの服装で参加されたのは印象的でした。
キャスリン・サリバンさんとパートナーのケビン・レイさん・・・ニューヨーク在住、国連のための軍縮教育家であり、今や約120兆円に上る世界の総軍事費や武器・核兵器の現状と問題について教育する活動を行って、幅広い対象を相手に軍縮を訴える!
その中でも若者の心を掴んで離さない参加型ワークショップは絶大な人気があり聴覚を刺激する事から、自然と軍縮問題を考える様になっています。
おりづる国連代表団のコーディネーターでもありました。
「グレート・ターニング」世界は今、大きく変わっている!と言うキャスリンさん。
我々はその真っ只中にいますが、日々の生活におわれて気付くことが出来ないでいる。その為の講座とワークショップで私達は(若者を交え)グループごとになって、20年後に核廃絶が達成され、その日にタイムスリップしたという前提で、記事を書き発表しました。
それ以来、森田会長は、その日を自分の目で見る為、それまでは頑張る・・・と言われています!
キャスリンさんの水パ(水先案内人パートナー)にはどうしても参加したいと思い森田さんと二人で参加しました。
“ひろねえ(おりづるのメンバー)” や 船内家族の娘達にも手伝ってもらい、講座のお手伝い、一緒に食事したり、談話したり、ケビンさんの音楽を聴いたり一緒に歌ったりしました。
≪左・写真≫
キャスリン・サリバンさん(前列中央)とポイ(毛糸で作られた、踊りの時に使う道具)を持って踊っているところです
一番大変だったのは、講座の前の宣伝ビラ作りとたくさんの人達に来て頂く為、お願いしたりして体にくっ付けて船内を歩いた事です。
又、本当に良かったと満足している事は、話のちょっとしたきっかけで、“ひろねえ”が「詩」を作り、“ケビンさん”が、それに曲を作られ素敵な歌が出来上がり、キャスリンさんの講座で発表したことです。
テイバ・マルタさんはニュージランドの先住民族マオリで・・・「アオテアロア」とはマオリ語で「白い雲のたなびく地」と言う意味でニュージランドの別称です。
1000年以上前に、伝説の島からカヌーでたどり着き、この地に住み着いたポリネシア系の先住民族マオリは自然や先祖を大切にする社会を作り上げて来ました。
1769年に英国人ジェイムス・クックが到来後、本格的な植民地化が開始されました。
その為、先住民族マオリが営んできた伝統的な暮らしは急激な変化を迎え、1840年イギリス政府とマオリ族間で結ばれた「ワイタンギ条約」終結後マオリの土地は激減し、「褐色の肌をした白人」にしようとする動きが始まり、マオリ族から土地や言語を奪っていきます。
その後、文化復興運動・権利回復運動が盛んになり、1987年にマオリ語を公用語とするなど、日本や欧米諸国に比べ「先住民族が保障されている」と言われているアオテアロア!
先祖が暮らして来た土地は、人間が所有するものではなく、人間を養い、また人間が守らなければならないもの、生まれた子供の胎盤を木の下に埋める事で、人と土地が一つになり遠い所に引越ししても、いつまでも自分の土地につながり、死んだ時はそこに帰ると言う・・・・・
ワイタンギ条約・・・とは、クック到来後、大勢のヨーロッパ人が入り便利な道具を手に入れる事になった反面、様々な災厄、病が蔓延しさらに部族間の抗争やヨーロッパ人との間で土地をめぐるいざこざが絶え間なく起こり、この目的を収める目的で締結されました。
英国との間で締結したこの条約で、マオリ酋長の主権が英国女王に委譲されること、マオリの土地や財産を保証すること、マオリが英国民としての権利を得ることを定めた条約です。
しかし、マオリ戦争と言われる土地関係の紛争が幾度も起こります。
近年ニュージランド政府はマオリ語を公用語のひとつに指定するなどの政策をとって来ました。
(以上まで、一部船内新聞より引用)
テイバ・マルタさんは船内の講座で、上陸当日に行われるセレモニーの為のマオリの踊りと歌(マオリ語)を船中で教えて下さいました。
≪右・写真=内藤達郎さん提供≫
セレモニー(儀式)の様子です
マオリの民族衣装で顔には独特の化粧を施しての歓迎のセレモニーは迫力満点!!!
これは、島を訪れる異国人に対して、味方か敵かを見定めるセレモニー・・・又、威嚇の踊り、喜びのダンスなど、実に緊張したひと時でした。
ニュージランドのオークランド入港は丁度クリスマスの日にも関わらず、マオリの人達は快く私達を受け入れてくださり、「ホンギ」と言うオデコと鼻をお互いにくっつけて挨拶をし、毛糸で「ポイ」と言う道具(踊りの時に使う)を全員で作り、それを持ってマオリの人達と一緒に踊ったり、ゲームをしたり、前の日から作って下さった美味しい食事など頂き、あっと言う間に時間が過ぎて行き、船に戻ってからも余韻が覚めやらぬままでした。
≪左・写真=内藤達郎さん提供≫
オークランド港の夜景です
人口よりも羊の数が多く自然に恵まれているオークランドと言う所を私達は見て、幾多の歴史を経て自分たちのルーツをしっかり見据えて頑張っている原住民族がこの地にも居られる事を心に留め置かねばと思いました。
そして、英国と言う国の事も・・・
その日まで何度も時差の為時計を早めたり、戻したりして来ましたが、12月21日は「日付変更線」を通過し、22日と言う日は消滅し、いっきに23日となり、日本時間と同じになりました。
仲間の一人は、
“1日、無くなるのは如何しても納得がいかぬ!”
と言い、何時間かこの事について談議しあったものです。
(執筆日 2009年11月17日)