第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―

(渡辺 淳子)

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 いっきに突っ走った15日間が終わり、2008年11月15日の朝、新しい船、モナリザ号に乗船する。


 その地、スペインのラスパルマス・船が着岸したグランカナリア島、に位置するテルデ市にヒロシマ・ナガサキ広場と言う所がある!

 そこには日本の憲法9条の全文を刻んだ碑が置かれている。


 グランカナリア島は、太平洋の軍事的要衛として位置付けられているが、スペインがNATO(北大西洋条約機構)に加盟した時、テルデ市だけは、それに異議を唱え、市議会で「非核地帯」を宣言した。

 このヒロシマ・ナガサキ広場と憲法9条の碑は、そのシンボルとして建設された。


≪右・写真≫
 ヒロシマ・ナガサキ広場の憲法9条の碑の前で森田会長




―― スペイン内戦について! ――

 1931年に成立したスペインの共和政府は、大土地所有制度の解体などの農地改革、初等及び中等教育の充実、宗教の自由、国家と教会の分離などを定めた宗教改革を進めた。
 しかしこれらの政策は、教会、地主、軍部などの反発を生む。

 そして1936年、フランコ将軍らの蜂起により、スペイン内戦が勃発する。

 のちに「国際内戦」呼ばれた様に、地理的にはスペイン国内の戦いでありながら、フランコ将軍側にはイタリア、ドイツのファシスト政権、そして人民政府側にはソ連が援助を行い国際社会を巻き込んでの争いとなった。

 また、世界中から数万人もの人々が国際旅団に参加し、共和国政府を支援したと言われる。
 作家、アーネスト・ヘミングウエイの「誰がために鐘はなる」は、このときの体験をもとに執筆されたものだ。

※ 以上、ピースボート『船内新聞』より引用



 残念ながら、ヴェネズエラ代表団4人はヒロシマ・ナガサキ広場にある、憲法9条の碑はみる事は出来なかったけれど、今回の航海がなければこの様な碑がある事も知らなかったはずで、もう一つの発見です!


 11月21日洋上大運動会『スポフェス☆63〜つながろうpiece』が行われました。

 緑組(3、7、11月生まれ)、
 黒組(1,4,8生まれ)、
 青組(2,9,12月生まれ)、
 黄組(5,6,10月生まれ)、
の4チームに分かれての競争が壮烈に競われました。

 森田会長、渡辺はマタマタ同じ緑組で頑張りました。


≪左・写真≫
 船上大運動会、黒組と緑組の玉入れ競争



 当日は自分の組みの色で服装を統一しての大会で、優勝チームには、波へい(居酒屋)ドリンク・10万円の賞金があり、獲得する為に各組おおいに盛り上がりました。

 玉おくりリレー、二人三脚で風船割りリレー、玉入れ、輪くぐりリレー、障害物競走、応援合戦、ひっぱりヒモ、豆くわせリレー、借り物(人)競争、大縄跳び、バットリレー、ムカデ競争、縄引き、など有り、残念ながら総合優勝はならず10万円のドリンクは獲得出来ませんでした。
 しかし、応援合戦賞、と 団旗賞 は私達緑組が獲得でした。

 抜ける様な青い空、大海原の真ん中での大運動会、森田会長共々、久しぶりに若き時代にもどりおおいにはしゃいで、楽しみました。
 そして、この日は非常に暑かった!



 船に合流して、新しい船室に箱詰めされた私の引越し荷物の整理をしていたら、2日後、ヴェネズエラ代表団の報告・発表会を行なうと言う急な話に我々4人は慌ててPBスタッフと打ち合わせを行い、現地で買い求めた民族衣装で臨みました。


≪右・写真≫
 ヴェネズエラ代表団の船内にての発表の様子



 ごり君(船中では殆どの人があだ名で呼び合っていました)の撮ったスライドを交えて各自が話すと言う役割で進行し沢山の人達が聞きに来てくださり感無量でした。

 その間中、森田会長は私の為に写真を沢山撮って下さいました。感謝です!

※ ヴェネズエラ・エクワドルでのメデイア、交流での質問は大体次の様な事でした。

◆原爆被害について
  どうやって生き残ったのですか?
  黒い雨とは何ですか? どれくらい降ったのですか?
  現在、被爆者はどれくらいいますか?
  これまで原爆が原因で無くなったかたは広島、長崎でどれくらいいますか?
  原爆投下時の事をイメージで教えて下さい。
  当時、被爆した妊婦の赤ちゃんには影響がありましたか?
  投下された爆弾が「原爆」である事をいつ知りましたか?

◆後障害について
  放射線が人体に与える影響を教えて下さい。
  次世代(子供、孫)への影響はありますか?

◆差別について
  その後、社会的な差別はうけましたか?
  日本政府が被爆者を差別していると思いますか?

◆保障について
  日本政府は、被爆者への補償をどの様にしてきましたか?
  原爆を投下したアメリカに対して補償を求めましたか?

◆継承・教育について
  被爆者に対して、日本国民の意識は高いですか?
  世界の人々が、十分に核兵器の事を知っていると思いますか?
  ホロコーストと比べて、原爆への理解は足りないと思いますか?
  日本では、被爆の経験をどの様に記憶していますか?

◆原子力発電について
  核の平和利用(原子力発電)についてどう思いますか?
  原子力発電がある世界を平和だと思いますか?

◆その他
  原爆を投下したアメリカに対してどのように思っていますか?
  どうすれば核廃絶が出来るのですか?
  被爆したことによって、その後の人生で得たものは何ですか?
  被爆アオギリについて教えて下さい。 

(執筆日 2009年8月2日)

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