第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―

(渡辺 淳子)

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≪左・写真≫ 船長ディナーパーティで、通訳さんを通じて船長さんと話しているところです。


 乗船当時はやはり知らない人同士で皆さんと仲良くなる為、まずは挨拶から始め、食事の時間に同席した人との会話がもっとも知り合いになれるチャンスで、そこからじょじょにきっかけが出来た様に思います。
 横浜港出航1ヶ月も経った頃、船長主催のおりづるプロジェクトチームへのディナーパーティがあり、皆さん和気藹々とした中で終始楽しい時間を過ごしました。

≪右・写真≫ 船内にてトルコの民族舞踊が披露され、男女とも煌びやかな衣装で激しい動きの素敵な踊りでした


 ―― ヨーロッパとアジアの中継地点に位置するトルコは、かつて、東欧から来たアフリカ西アジアにまたがる広大なオスマン帝国の中心として栄えていました。北は黒海、南は地中海に面しています。その中でクサダシはヨーロッパの人々が多く訪れる人口6万5700人のトルコのエーゲ海有数のリゾート地で土産物屋やレストランがあります。周辺にはプリエネ、ミレト、デイデイムなどいくつもの遺跡が点在し、エフェス遺跡も近く、移動手段も、町を循環運転するドルムシュ(バス)があり4色のルートで行き先が別れており、近くには美しいビーチがあります。

 第一世界大戦の敗北により帝国は解体され、トルコの父(アタテウルク)として現在も国民に敬愛されているムスタッファ・ケマルのもと、イスラム世界初・政権分離を目指す国、トルコ共和国を建国しました。この国はヨーロッパとアジアの接点であった為その領有を巡る歴史に翻弄されたのが良く解ります。1960年代からEU加盟を目標としていますが、現在はクルド人問題、ドイツを中心に増え続けるトルコ系移民の問題など様々な問題が障害となっています。――

(船内新聞より引用)



≪左・写真=内藤達郎さん提供≫ アルテミン神殿



 まず、トルコのクサダシ港に着岸時、少なくとも私達は変わった建物や港の様子のきれいな事に驚きました。下船しバスで移動するその道中は本当にきれいに整備されて、丘にさしかかって目前に見えてきた海の何とも言えない色は、澄み渡った空の色とマッチしてこれ以上はどう言って良いか解らない程感激に浸っていました。

 エフェソス遺跡は、とてつもなく広く街全体がそのままタイムスリップしたみたいな感覚に浸りました。アルテミス神殿は紀元後2世紀頃建てられたもので、下水道、浴場、お墓、大劇場など、中でも驚いたのは、その当時にはもう水洗トイレがあったと言うことです。いかに当時のローマ帝国の影響が大きかったかが伺われます。観光案内人が通訳をとうして説明されるのを聞きながら歩き、自分が遥か昔の人が生活をしていたその同じ場所に居る事に身震いを覚えました。

 私達がその地に着いたと同時に不思議にも丁度、大司教の集団(中でも位の高そうな立派なヒゲを伸ばした司教を囲む様にして歩かれていた姿は今もハッキリと眼にうかびます。)が皆さん黒い服を纏いメディアの人達と共に来られ終始私達と後先になりながら見学(?)をされていました。こう言う方の写真を撮っても良いのかなーと思いながら2,3枚撮ったら私のデジカメは壊れてしましました!


≪右・写真≫ トルコイズミルでケバブをやいて売っている店先にて


※ トルコの食べ物について

◆ トルココーヒー・・・コーヒーかす(コーヒーを出したかす)と一緒に小さいカップに入れて出てきます、うわずみだけ飲み、カップ底に残ったカスを皿に伏せ、それを観て占うのだそうです。ためしに飲んだ後ウエイトレスに聞いてみたら、笑いながら僕は良く解らないがきっと良い航海になるよ!といってくれました。・・・・・

◆ ドルマ・・・ピーマンやトマトに挽肉、米、を入れ煮込んだ物
◆ ケバブ・・・巨大な肉の塊(羊、鶏、)を鉄串に刺してあぶり薄く削いでサンドイッチにしたりして食べます。
◆ ドンドルマ・・・餅のような歯ごたえのある「伸びるアイスクリーム」があります。

 私達は、寄港地前に最小限必要な現地の言葉を印刷した物を持って降り現地の人との交流や買い物に役立てます。



≪左・写真≫ BAK・トルコ平和活動連合の人達との交流の様子です


 急遽、予定外のトルコ・イズミルに寄港が決まったにも関わらず、平和活動に関心が高いデイキリ市長訪問で平和市長会議への署名を頂き、参加者との交流をしました。

 次の日、「BAK」と言う「トルコで平和活動をしている全国連合」メンバーとの交流、記者会見があり多くのメディアが参加し、中でも日本は唯一の被爆国なのに原発がある事や沢山の質問がありました。

≪右・写真≫ トルコ・イズミルで船が着岸していた港では、このような景色が延々と続いています。
 約3週間この地に留まっていましたが、このへんで、散歩したり買い物したりして過ごしました



 イズミルでは船の欠陥で出航が許可されず約三週間の滞在になり現地の人との親密さが深まりました。船が着岸していた場所はエーゲ海を望み海岸沿いは広々ときれいに整備され、延々と続く海岸はレストラン、カフェなど、ちょっと行くと市場、バザールと結構時間をつぶすには良い環境にありました。

 ある時友達と時計塔(ギリシャ占領下にトルコ人が蜂起した場所として街のシンボルになっています)に行こうとして見つからず、レストランに入り食事をして店員に手まね足まねで聞くと、私達が食事を済ませた後連れて行ってあげると言われ、目的地まで親切に同行して下さいました。本当に有難くて嬉しくて何度もお礼を言って一緒に写真を撮りました。又、この時別れ際に危ないから私達のバックを自分の前におきなさいと注意して下さいました。途中で馬車に乗って(パカパカと心地よい響きに嬉しくなり、通りがかりの人が手をふってくれたのにこっちも手を振ればまるで皇族になった気分だね!と言いながら)違うルートを散策し、心が温かく楽しく帰船しました!


 森田会長は、ニューヨーク代表団4人の一人に選ばれてこの地より出発されました。ズボンのアイロンかけ、荷造りを手伝いながらまるで奥さんのごとくだね・・・・・・・と、2人ごとを言っては笑いあっていました。


 いよいよイズミル出航が決まった前日朝早くに情報が入り、沢山の制服を着た軍隊が居るとの事で私達仲間で早速下船し出かけました。陸軍、海軍、空軍、騎馬隊、など制服姿の兵隊さんが沢山行進しておられました。その格好良さに私達はしばし見とれ、兵隊さん達と一緒に写真を撮りたかったのですが、駄目と言われ、遠くからならOKでした。

 今日はすべて独立記念日の予行練習で翌日が本番でした、残念でしたが素敵な場面をみる事が出来トルコは私の中に沢山の思い出をくださいました。

≪左・写真=内藤達郎さん提供≫ トルコじゅうたんの工場を見学しました、そこでは直売もしています、素晴らしいのがありますが高価すぎて手がでません。
 見学の後、トルコ名産の温かいリンゴ茶を頂きすごーくおいしかったです。

(執筆日 2009年5月10日)

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