第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―

(渡辺 淳子)

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≪左・写真≫ 船の和室で。集まって下さった皆さんが一生懸命鶴を折ってくださっている様子です


 【 折鶴を折ろう! 証言・交流の場で折鶴を渡しましょう! 】 
と言うタイトルで航海中3度、自主企画を出しました。
 と言うのも、ブラジルにて私達の平和活動には必ずと言って良いほど折鶴がありますので、ある程度の折り紙を持って乗りました。

 第一回目の集まりには、何人の人が手伝いに来て下さるか心配でしたが、若者を含めた大勢の人が参加して下さり本当に有難く森田会長と後で、よかったねー!! と、何度も言いながら喜びあいました。


≪右・写真≫ 皆さんのご協力に感謝しつつ、森田会長も鶴を折られました


 お部屋に持って帰って折って下さったり、「レイ」に仕上げたりけっこう綺麗なものが出来上がり、皆さんのご協力に感謝し、この「レイ」が各交流の場で役にたち多いに喜ばれた事は私の喜びの一つとなりました。


≪左・写真≫ 内藤達郎さんが提供してくださいました、印象に残る一枚です


 ―― 紀元前3000年頃エジプトはファラオ王による統一国家が作られ一時的に周辺民族の侵入や外国の支配を受けたが、国内統一時代が長く続きこの間30の王朝が交替(古王国、中王国、新王国)となる。

 ナイル側下流域のメンフィスを中心に栄えた古王国では、クフ王らが自分の墓として神である王の絶大な権力を示す巨大なピラミッドを築かせたと言われている。

 都は、メフェンスからルクソールに移りその後シリアから攻めて来た遊牧民ヒクソスの侵入等により国は一時混乱した。

 ヒクソスを追放したエジプトがアジアに進出、世界帝国を建設した時代。前14世紀にはアメンホテブ4世がテル・テル・アマルナに都を定め従来の神々の崇拝を禁じて一つの神々を信仰する改革を行った。ルクソール神殿などはこの時代の反映を語る。――

(PB.船内新聞より引用)


≪右・写真≫ サファガ港よりバスで行列を組んでカルナック神殿に向かいました



 エジプト・サファガ港到着前日に歴史を学び、当日我々は数台のバスに乗り、前後を警察に守られながらナイル側東岸にあるカルナック神殿に向かいました。

 何時間も砂漠を行列になってのバス移動は壮観そのものでしたが、行けども行けども砂漠で処どころには銃を持った兵士が居る検問所があり、緑、水気はそれこそ全然見受けられませんでしたが、ある所まで来ると急に緑の生い茂った空間に辿り着きました。

 ナイル川の水をひいて作物を作っているのです。
 面白いなーと思ったのは、民家に屋根はなく(雨は殆ど降らないそうで)そのまま鉄柱が無数に空に向けて裸で突き出ているのです。それは、お金がたまったり子供が結婚する時に上に部屋を作っていくのだそうです。


≪左・写真≫ カルナック神殿(内藤達郎さん提供)。
 とにかく暑くて多くの観光客で前に進むのにも困難な状態でした。丁度わたしの前を歩いていた若い女性が倒れてびっくりしたことを思いだしました。



 カルナック神殿、それはそれはとてつもなく偉大で、大きくて、空に聳え立つ彫刻の施された沢山の石柱(私がいくら手を回して抱こうとしても届きません)には圧倒されました。そして、素晴らしい彫刻の一つ一つすべてが前人の一人一人の手で築かれた思いがひしひしと伝わって来る思いでした。

 大勢の観光客と暑さは半端ではありませんでしたが、あれだけの遺跡を見るには時間が足りなかったのが残念でした。

(執筆日 2009年4月26日)

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