第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―
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≪ ピース・ボートによる被爆者世界一周証言の旅に参加して・・・。その二 ≫
(森田 隆)
ピース・ボートのおりづるプロジェクトは船内で多くの講座を実施しました。
ブラジルの森田と韓国の郭さんの「ヒバクが繫ぐ数奇な人生」と題して座談会も実施されました。
≪左・写真≫ 被爆者、一般乗客、若い人が一緒になって原爆詩の朗読をした時の様子です
私達、老齢の被爆者をサポートする若い女性の美しい姿を見ました。
それは、船内の午後のお茶の時間、デッキで熱心に絵を描いている娘さん、何を書いているか近寄る・・・泣きながら描いているのは、原爆の日 防火用水に群がり死亡した被爆者が描いたあの絵です。
私と渡辺さんは感動し、黙って彼女にコーヒーとケーキを渡し下がりました、この交流の意味が判りました!
≪右・写真≫ インド・コーチンで交流が行われました。会場入り口です
船は予定より遅れてインドのコーチン港に着きました、此の国は核兵器保持国です。
一般国民の声を知りたいと思っていました。
コーチン市主催の平和集会に私達被爆者は会場に入りました。
市民と同席で大きな期待を持ちましたが言葉の壁で対話が出来ません。
市民は核について理解無く ヒロシマ・ナガサキの出来事は63年前の昔話の事・・・。
放射能の説明に長い時間が掛かりました。
≪左・写真≫ インドでは、会場内で5つのグループに分かれて交流しました。そのうちの1グループの様子です
私は現地の報道陣に ヒバクシャ代表として被爆体験を伝え 核の恐ろしさと核兵器の廃滅 平和への希望を述べました。
又 「白い花」と言う被爆劇を現地の人が上演 盛り上がりましたが、まだまだ ピース・ボートの必要性が必要と感じました。
式の進行が悪く韓国のヒバクシャは此処でお別れました、このインド滞在10時間 短い滞在で残念でした。
コーチンより乗船のダンサー、エダ・ウズバカーさんの お腹で踊る姿は素晴らしいと思いました。
(執筆日 2009年4月11日)