第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―
(渡辺 淳子)
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≪左・写真≫ 大海原に沈みゆく夕陽(内藤達郎さま=被爆者=提供)
寄港地に着く前日には現地に上陸するにあたっての気候、注意事項の説明があり、一般乗客は前持って観光の申し込み手続きを終え、それぞれの誘導にそって当日の観光を行います。
又、我々「おりづるプロジェクトチーム」は現地での交流がある寄港地では、前持って被爆証言者を決め、グループ別か全体かの交流をし、交流後簡単な観光が実施されました。
今回の船旅では、もう一つの発見がありました。
港です。
空港と違って各港は夫々の特徴があり私達の思いをいっそうかりたててくれたものです。
なにしろ、はじめての大型客船での船旅なので各港はどうかなど想像も出来なかったのですが、23寄港地は各々特徴があり、統治国家が支配している港はそれぞれの国の特徴がよく見えました。 森田会長とよく港港の談議をしたものです。
≪右・写真≫ 森田会長がシンガポールで、蛇使いに!
シンガポールの港では思いがけずブラジルの軍艦が停泊しており、先端に靡いているブラジル国旗を見た時は本当に森田会長と喜んだものです。
早速、下船時に真っ白な制服を着た船員さんに久しぶりのポルトガル語で聞いたら、海軍学校の練習船との答えでした。その夜、船でセレモニーがあるから自分では返事できないが上官に聞いて二人を招待するが来ませんか?と言われましたが私達の出航はその前でしたので丁重におことわりしましたが、残念でした。でも結局出航が遅れたので隣の船からサンバのリズムが夜遅くまで鳴り響いていました。
≪左・写真≫ 満天の星空(内藤達郎さま提供)
乗船当時は甲板を歩き回り昼は行けども行けども大海原で海の色の何とも言えぬ青さ、何処を見ても丸い海、海、夜は手の届きそうな満天の星空を眺めて、盆子原さんに見せたいね・・・と良く言ったものです。
そうしている内に、夏祭り、老若男女の浴衣姿でおおいに盛り上がりました。
被爆者としての船内の証言、講座、ワークショップ、展示など次々に始まりました。
これらは各自が企画してPBに申請して若者達に手伝ってもらって発表します。
私は、この船で一人でもたくさんの被爆証言を聞く事が目的の一つでもありました。
≪右・写真≫ 船内で、広島女学院出身の被爆者が証言発表をする様子
在住地ブラジルで、8月に近づくと各メディアが取材に来ます、そして、私自身被爆当時2歳8ヶ月と幼かった為、証言が出来ない事でずーっと避けてきました。
どうしたら良いのか解らなかったのです。
何年か「ブラジル被爆者平和協会」の手伝いをしているうち私なりの被爆証言の意味が解ってきました、証言は自分が受けていないから出来ない、してはいけないのではなく、それに対する思いを証言してもいいのだと言う事に至りました。
それには事実を知る事は欠かせないと思っています。
103名の「ヒバクシャ地球一周証言の航海」は船の内外でお互いの自分が置かれた被爆者としての認識を一段と深めた行事であったと思います。
若い世代の被爆者としてこれからの被爆証言の担い手として平和を訴えて行く必要性を大いに感じました。
(執筆日 2009年4月5日)