第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―

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≪ ピース・ボートによる被爆者世界一周証言の旅に参加して・・・。その一 ≫

ブラジル被爆者平和協会  会長   森田 隆

 私と協会渡辺淳子理事は 昨年9月7日より今年1月13日まで約四ヶ月間 地球一周 被爆者証言の百二十九日間の船旅をして参りました。85歳の私がこの船旅に耐えられるか不安でしたが渡辺さん始め 同船の若い皆さんの助けを頂き 無事務めを終える事が出来ました、感謝の気持で一杯です。

 そもそも今回のピース・ボート 被爆者百人招待世界一周証言の旅はピース・ボート25週年記念事業として 初めての行事で最後の大仕事と言われていました。 横浜港出港も予定より遅れ 前途多難と思われました。


≪右・写真≫ 左から=森本順子さん(被爆者、絵本作家、オーストラリア在住)、郭貴勲さん(前 韓国原爆被害者協会会長)、渡辺、森田


 私は 韓国の被爆者 郭貴勲氏との再会に胸をはずませていました、彼とは在外被爆者の同志で横浜よりの同船を共に喜び合いました。

 今回のスタップの指導者、川崎哲氏初め 皆さんの心遣いが嬉しい旅でした。

≪左・写真≫ 港に着岸する前には、このような船が水先案内として我々の船に来ます


 最初の寄港地ベトナム、ダナンに着き 戦時中、アメリカ軍が行った無差別枯れ葉剤散布による被害状況に私達被爆者一同胸を痛めました。証言をする会場を埋めたベトナムの二・三世の無残な姿に涙が止まらず、私は彼らの手をとり励まし力づけました。 

 場所が変り、私は元副大統領が出席された日本とベトナム交流35周年記念式典にての証言挨拶で、この事実を式場の全員に伝え 戦争の愚かを世界の国々に伝える事を約束しました。

 戦争の被害は原子爆弾に限らず、枯れ葉剤散布、劣化ウラン弾等次々と開発される大量破壊兵器の恐ろしさを私達は知りました。この地球一周 ヒバクシャ証言の船旅で感じた最大の事は世界の人々がその事実をあまりにも知らない事です。証言の必要を思いました。

 64年前の原爆の放射能で現在でも続き犠牲者が出ている事実を伝え 今 広島・長崎の原子爆弾の一千倍以上の威力である核兵器は人類の敵 地球の滅亡を訴えました。

 ベトナムの戦争被害者6名と通訳の方1名が次の寄港地シンガポールまで同船して彼らと共に楽しい一時を持ちました。ピースボートの暖かい配慮に感謝しました。


≪右・写真≫ ベトナムからシンガポールまで3人の付き添いの方と3人の枯葉剤被害者が乗船して我々と交流しました。
 写真は森田、渡辺と、枯葉剤被害者3人です

(執筆日 2009年3月29日)

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