4月2日(金) “ピースボート、リオ〜ブエノス〜モンテビデオの航海に乗船した6日間”
「第68回ピースボート地球一周の旅」で、ラテンアメリカ通過。
ブラジル(リオデジャネイロ)2010年2月8日から、アルゼンチン(ブエノスアイレス)2月12日、ウルグアイ(モンテビデオ)2月13日までの区間に、森田隆会長と渡辺は又また乗船する事になりました。
思いがけなく乗船の招待に私達は本当に喜びと期待で一杯でした。
オセアニック号(38772トン、全長238.4メートル、全幅29.4メートル、乗客定員1550人、11階)で、当、乗船者は約500人で、前回乗ったモナリザ号より一回りも大きな船で船中は結構ひっそりとして居る印象を受けました。
《右・写真》 オセアニック号の最上階にあるプール
【2月7日 リオデジャネイロ】
2月7日、一路飛行機でリオデジャネイロに飛び、ホテルにチェックイン!
ピースボートのスタッフ二人と、ポル・ドハイベッター氏(平和市長会議代表)との夕食を、丁度カーニバルを間近にひかえたコパカバーナ海岸でとりました。
とにかく暑かったので近くにスーパーがあるとの事で水を買いに行きましたが途中、女装した男性が5、6人でサンバを踊っているのを見てカーニバルが待ちどうしい「カリオカッ子」の様子が伺えました。
【2月8日 リオデジャネイロ】
翌日、オセアニック号に乗船し、何人かのスタッフとは懐かしい再会となりました。
まずはチェックイン。
慣れたごとく持って来た服などをロッカーにいれ大体かたづいた後、船内の案内をして頂き、ただただ広くて大きいのにびっくり、前回のモナリザ号と全然様子が違いました。
《左・写真》オセアニック号船内のピースボートセンター前にて
その日の午後、は、リオデジャネイロ市の国際関係発展次官のワンダリー・マリスさん、国際関係コンサルタントのケイティ・アンジェロ・ピエロッツィさん、平和市長会議代表のポル・ドハイベッターさん、「世界行進」(World
March)のメンバーらと面会しました。
《右・写真》リオ市役所での面会
ピースボートからは、日高慎介68回クルーズディレクター、大阿久裕子さん、マリア・アントニア・ペレズさんが参加。
そして、森田会長と渡辺が被爆証言をしました。
この事は、ラテンアメリカでの「平和市長会議」と「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の加盟拡大と、今年5月に行なわれる、ニューヨーク国連での「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」、さらには、「核の無い世界」への実現に向けての重要な第一歩となりました。
【2月9〜11日 オセアニック号での航海】
次の朝、キリスト像を山頂に臨み、朝日に輝くリオ港湾を見ながらの出港は心に残る思い出となりました。
《左・写真》 リオ港にて
リオ出港後、ブエノスアイレスまでの3日間は、救命胴衣を身につけての避難訓練に始まり、事務局スタッフとの顔逢わせ、水先案内人紹介企画で、リオから乗船された音楽家の八木啓代さんと共に3人の紹介が有りました。
その後の水パ募集で、我々のところに約20人が集まりびっくり!
《右・写真》我々の手伝い(水先き案内人パートナー)に集まってくださった人達と
通訳さんとのランチミーテング、森田、渡辺の被爆証言、若者とのしゃべり場、第63回クルーズのエリカさんとゴリ君のドキュメントの上映、船内企画の特別ゲストや、若者との交流での質疑応答で沢山の質問があり、とうとう3度、場所と時間を設けて夜遅くまで話し合った事は実に良かったと思いました。
《左・写真》 交流の場にて
《右・写真》交流の場にて
私達二人の為に毎日、「こどもたちのそら」と言う歌を、ダンスと手話で練習してブエノスアイレスに着く前夜「語り継ぐ&おりづる発表」と題して若者達がプレゼントしてくれました。
《左・写真》「語ってくれてありがとう! 〜ヒバク証言と今後〜」と題してのメーセージとおりづるダンスの発表後に皆で写真を撮りました。
その席にて、この3日間に私達の証言を聞き、話し合った感想を何人かが語ってくれました。
それを聞きながら、短い時間であったけれども、私達の思いが確実に受け継がれた事を心より感じ、ただただ、聞きながら涙が出てどうしょうも有りませんでした。
そして森田会長と手を取り合って嬉し泣きをしました。
【2月12日 ブエノスアイレス】
《右・写真》ブエノスアイレス市役所にて
12日の「ブエノスアイレス立法部門・宮殿」でのイベントは急遽 希望者が同行出来る事となり、沢山の若者を含めた人達が参加されました。
イベント終了後は宮殿内の見学がありましたが、暑さの為、森田会長は体調を崩され、日射病との事で皆とは別行動で船に帰りました。
その間心配してずーっと付き添って下さった68回クルーズディレクターの日高慎介さん、大阿久裕子さん、フランク冬馬さんには本当にご心配、ご迷惑をお掛けしました。
《左・写真》森田会長とブエノスアイレス市役所内にて
その夜、キャビンに居ると一人の若者からの連絡で話がどうしても聞きたいと言われ、途中で偶然に出会った孝岡(乗船者)さんと3人で夜遅くまで話しこみました。
昼のイベントに参加し、どうしても話がしたいとの事でした。
残念ながら最後の晩と言う事で彼とはそれきりでしたが、もう一人若者が本気で接してくれた事を心より嬉しく思いました。
【2月13日 モンテビデオ】
そして、最後のウルグアイ(モンテビデオ)は入港が遅れて結局、モンテビデオ市長代理の方と沢山のメディアが乗船しての平和市長会議のイベントとなりました。
《左・写真》モンテビデオ市長代理=左から3人目=と
《右・写真》翌日、地元の新聞に掲載された会見の模様。左から、渡辺、モンテビデオ市長代理、森田会長
この5日間と言う日々は、我々二人にとって実に中身の濃い充実したものとなりました。
特に、 我々が一番望んでいる「話せるうちに若者に伝えたい、そして それを伝え続けて欲しい!」と言う思いが確実に伝わったと実感した事です。
そして、この航海中、我々のアルゼンチン映像作家・ロベルトさんが同行し船酔いと格闘しながら取材を続けて下さいました。
私と森田会長は前回と同じく船酔いは全然ありませんでした。
下船する朝、森田さんと甲板を散策していると、何時も一番前に居て二人の話を聞いて涙を流していた子が 追っかけて来て、最高のプレゼントを届けてくれました。
それは、次のアルバムです。最高の宝物です!!!
そして、この様なチャンスを与えて下さった ピースボートに感謝致します。
2010年4月2日
渡辺淳子
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