3月29日(月) “モジ市の原爆展で被爆体験を話す/ 4月、盆子原理事がピースボートに乗船します”
昨日森田会長と、私と、アンドレー、映画監督のロベルト氏と、モジ・ダス・クルーゼス市の、原爆展に行ってきました。
この原爆展は、モジ日本語教職員会 主催、モジ市 後援で、26日から開催され、28日は、午前と、午後と2回にわけて、二人で被爆体験をお話ししてきました。
聴衆は2回を合計して800名。市役所の講堂が一杯になるほどの人出でした。
モジ市の人口は約40万人、その内日系人は5〜6%と言われて、町中に日系人の名前の付いた、レストランテ、自動車修理工場、農機具、農薬販売店などの看板が目につきます。
モジ市はとなり町のスザーノ市とならんで、サンパウロ市の食料庫と言われるぐらいの、新鮮な野菜、果樹の生産地で、今は柿収穫の真っ最中で、お土産にきれいな干し柿を頂きました。
私は今回被爆者として日本にお住まいの9名の被爆者、都合10名でピースボートに乗り世界22か国で被爆体験の話ををする事になりました。
4月9日にブラジルを発ち、16日に横浜港で船に乗り、7月25日横浜港に帰ってきます。
今回は時間的に恵まれ、2年に一度9月、10月に行われる、南米巡回医師団によるヒバクシャ健康診断にも間に合うので、帰国次第そのお手伝いが出来ると思います。
と言うことで今回のピースボートの募集に応募し行くことになりました。
船では私が住んでいるブラジルのこと、そして今進めています竹植林のことなども話したいと考えています。
(盆子原 国彦)