3月20日(月) “ブラジルの映画会社 在ブラジル被爆者の撮影を開始”
日本に行く準備に少しずつ追われています。
森田さん家族は3月29日成田着の予定です。
私も4月1日には成田に着きますが、そのまま広島に行き、2日に東京に出てくる予定にしています。
まだ東京での4日以降の予定がどうなるかは、はっきりしていません。
今日(20日)この事務所には(二階)に10名ばかりの撮影隊が入り被爆者の撮影が始まっています。
と申しますのは此方の映画会社が、ペトロブラ石油公団にブラジル在留被爆者の被爆当時の証言を映画にしたいと申請したところ、それが認められ、最初15分の映画、もしそれが良かった場合30分の映画を製作する資金援助を受ける事が出来、ブラジル全土に住んでいる、北はアマゾンから南のリオ・グランデ・ド・スール州までブラジル在住の被爆者の証言を聴き映したいと昨日から撮影が始まりました。
昨日19日はサンパウロ市にある、ブラジル視聴覚省のシネマテッカ室で、8名の被爆者が集まり、在ブラジル被爆者協会が広島県人会から頂いていた16ミリフイルム、今まで映写機械が無いため映像として見る事が出来なかった、1970年日本映画新社製作の「ヒロシマ原爆の記録」(ナレーターは宇野重吉さん、30分)の映画を映していただき、その後その感想を述べるところから撮影が始まりました。
此のヒロシマ原爆の記録は、初めて見たのですが、私達被爆者の被爆後の9月からの治療を丹念に映像として残しているのですが、この映画の中でも語られていますが、撮影途中1945年10月中旬アメリカの命令で撮影中止となった、と語られています。
もし、あのまま撮影が続けられ、そのフイルムが全世界に公開されていたら、原子爆弾製造に何らかの世論の盛り上がりもあったのではないかと考えられます。そしてアメリカはそれらのフイルムを没収して公開する事はしませんでした。
この手元にあるフイルムを、できたらDVDに変換し、ポルトガル語でナレーションを入れ、多くの方達に観て頂きたいと考えています。
それには版権の問題とかいろいろと超えなければいけないハードルもありますが、どうにかして実現にこぎ着けたいと願っています。
(盆子原 国彦)
※1970年日本映画新社製作「ヒロシマ原爆の記録」
企画・監修=広島原爆映画製作委員会
第14回日本紹介映画コンクール銀賞 キネマ旬報ベストテン入選
なお現在、この映画のテープ販売は映像制作会社向けに限られ、一般向けの販売は行われていません(肖像権・著作権のトラブル防止のため)。
(以上、鞄本映画新社ホームページ「日本映画新社アーカイヴ」より)
(注釈=ホームページ管理者)