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□2004/1/28(Wed) Music

宮沢和史 『SPIRITEK』

僕の中には「世の中ではなめられてるけど本当は物凄いバンドランキング」があるんだけど
そこでビートルズと1,2を争っているのがTHE BOOMなわけで、
そのヴォーカルであるこの宮沢和史という人の音世界を探求・構築する力や
言葉や精神性に対する真摯さ、そして善人面に隠された誰よりも先鋭的な反逆の精神、などなどに、
そしてそれらをバランシングしていく奇跡のような能力に、僕はもうほとんど
崇拝と言ってもいいほどの感情を抱いているわけだ。

「星のラブレター」「中央線」「島唄」「風になりたい」「時がたてば」といった優しい名曲群(一般的なブームのイメージってこれだよな)も、
「子供らに花束を」「祝日が一日もない街」「Human Rush」「手紙」「オキナワ」などのエッジーな告発も、
「ほほえみ」「有罪」「Far East Samba」「墓標」「僕にできるすべて」などの曲に見られる深い内省も、
すべてが偽りない歌ごころの結晶として溢れ出してくるこの人のクリエイティビティは留まることを知らず、
ジャンルも国境も、時にはバンドと言う枠すら軽々と飛び越えていってしまう。

そんなわけでここ数年はソロで作品を発表する機会も増えてきた彼だが、
ヒュー・パジャム、レニーニ、アート・リンゼイと言ったもはや意味不明なほど多彩な人々とコラボレートしながら
時にアバンギャルドでもあり時にポップでもある最高の作品群を常に放ち続けている。
ヨーロッパのクラブでヒットを飛ばしながら、誰も行かないような日本のド田舎にまで歌を届けに行く。
言葉と音楽の使徒である彼にとって、両極に見えるそれらは何ひとつ矛盾しない。
彼の前にはただ無限の広がりを持った世界があり、彼の中にはそれに対する探究心があるだけだ。
自らの中から溢れ出てくる音を紡ぎ、いいものができたからあらゆる手段であらゆる人に届ける。
こんなシンプルな行動原理は変わることがないから、表層の音楽性がどんなに変わろうとも芯がぶれることはない。
だからこそ、常に信頼できる。

で、この作品はそんな彼が今までにいろんな人に提供してきた曲のセルフカバー集だ。
ある時期に集中したモチベーションを持って作られた作品ではないだけに
前作『MIYAZAWA』のような陰陽が混在した小宇宙的な印象はなく、
とにもかくにも彼の音楽のコアである「歌ごころ」が堪能できる作りとなっている。
シンプルな想いとシンプルな言葉とシンプルな音が喚起するのは、半径1メートルから無限に広がる世界への意識。
自分と隣にいる愛しい人、その間に広がる世界が乾坤へと繋がっていく感覚と言ってもいいだろうか。


水平線の向こうで海が奈落へと落下する世界を生きているようなこの時代に求められているのは、案外こんな遠近法かもしれないのだ。


□2004/1/17(Sat) Music

COOL DRIVE 「赤坂見附」

なんてタイトルの曲があるわけではなくて、まあ僕は「NEW DAY」という曲を勝手にそう名づけているわけだ。

地下鉄を降りて赤坂見附やら神保町あたりの長い階段を上っていく冬の東京のどんより曇った朝と、
去年の今ごろよく聴いていたこの曲がどうもマッチしてしまってる。

そんな類のシチュエーションは他の曲にも他の場所にもあるわけなんだけど、
ここまで強烈に地名を伴って現れる曲想というのはなかなかないなあ、とそういえば思ったりする。

 

くだらない自分やくだらない世界にうんざりしながらも、少しばかりの希望を持って毎日やってんだよ。

そう思いながら、僕は赤坂見附の階段をカツカツ上っていたんだ。
そして、この曲もそんな曲だ。
曇天と苛立ちと、おぼろげな未来とおぼろげな希望。


□2004/1/14(Wed) Book

岡崎京子 『ヘルタースケルター』

僕が知っている漫画家の中で最も鋭敏な感覚を持っていたのは、
あの大傑作『来るべき世界』を描いてしまった、実は人間不信の神様・手塚治虫を除けば
やっぱりこの人を措いて他にはいないわけだ。

彼女が一貫して表現していたのは、「我々の中に棲む得体の知れないもの」。
時にその宿主の腹を食い破っても肥大する自滅的な寄生虫のように、
我々にモチベーションを与え、そして次第に精神までも乗っ取っていく「それ」だ。
それは物へのマニア的執着であったり、美しくなることへの憧れであったり、
愛や肉欲であったり、ときには「それ」自体を希求することであったりする。

要するに、大体において日常のいたるところに転がっている全ての欲望だといってもいいだろう。
すなわち、カタストロフのきっかけはどこにでも転がっているということだ。

経済的な発展もひとまずのどんづまりを迎えたあとで、気づけば自分を取り巻く関係性の中での
自己確認性を個人も社会も見失っていた時代。
それまで至上の価値としてきた近代的進歩史観というものに対する疑問は噴出し、
ポストモダンであるとかスモール・イズ・ビューティフルであるとか色々な言説が溢れたけれども
それらの全てはやっぱり近代的価値観の範疇における一種の自己撞着の賜物でしかなかった。
なぜなら、その時すでに我々の存在に対する時間的理由付けというものは崩壊しており
(それが近代の宿命であるが故に、人はそれを「進歩」と呼んできたのだが)
全ての議論はそういった不安定性を自明のものとして端から省略していたからである。
それが不安定なものである、ということ自体が我々の生きてきた価値観の必然であり、
その事を「進歩」と呼んできた我々は誰もそんなことに自覚的になってはいなかった。
もしくは全てを持っているが故に何も持っていないという、そのことを考えるのが怖かっただけなのか。

それを『pink』でさっさと提示してしまった岡崎京子は、
『リバーズ・エッジ』で、ここにいる意味もどこかに行く意味も見出しえないという
どんづまりの「いま、ここ」の空気を明確に、そして残酷に描ききってしまった。
どこに行けばいいのかもわからないが故に我々の中の「それ」は容易に巨大化し、我々を食い破る。
そんなことをここまでクリアに描いている漫画は初めてだった。
単行本を買ったはずなんだけどどっかに行ってしまったので
再発版を買ったらその表紙の写真をホンマタカシが撮っていて、
彼が一貫して撮ってきたテーマをその何年も前にすでに明確な表現にしていたこの人の凄さを
改めて痛感した記憶がある。

で、この『ヘルタースケルター』はそんな彼女の表現の極北に位置するものといってもいいだろう。
読んだ当時は「ついにここまできたか」と思ってしまったもんだ。
95年から96年にかけて雑誌に連載されていたものなんだけど、早く単行本で読みたくて仕方がなかった。

と思っていたら連載終了(というか、第1部終了らしい)直後に、岡崎京子は交通事故に遭った。
その真の姿を見たものを生かしてはおかないというギリシア神話の怪物・メドゥーサのように、
時として神は鋭敏すぎる表現者をさっさと殺してしまおうとする。
この世界の真の姿を見てしまったものは、この世界に殺される。

なんだけど、彼女は生き残った。
一時はほぼ再起不能になりながら、今もちゃんと生きている。
最近はようやく車椅子に乗って、簡単な本が読めるまでに回復したらしい。
会話も、ゆっくりではあるができるようになってきているという。

彼女は生きている。
つまり、いつになるかは知れないが、また彼女の作品を読むことができるかも知れないということだ。
その時、彼女の感覚は何を捉えて何を放つのか。
それに触れられる日を、意固地になって待ちたいと思う。

僕が「他の何を読まなくてもいいから手塚治虫と岡崎京子だけは読んどけ」と言うのは、こんな理由による。
例えば、あまりにも早すぎたこの作品(結局、単行本化されたのは遅れに遅れて去年のことだ)。
この当時の彼女に見えていたものは、今だって何ひとつ変わってはいない。


□2004/1/11(Sun) Music

MUSE 「Feeling Good」

ミューズの音をはじめて聴いたのはもう4・5年前だったか。
第一印象も何も、ともかく僕は大爆笑してしまったわけだ。
ペリー・ファレルとタメを張るくらいに現実からの跳躍を見せるVo.マシュー・ベラミーの歌声。
時代錯誤なまでにドラマチックな展開を見せる、ゴシックなバンドサウンド。
バックに時たま入る、「しゃらーん」とか「パキーン」とか「ぴゅいーん」みたいな、頭悪そうなエフェクト。
プログレとバロック音楽とクラシックメタルの乱交だ。
なんだけど、装飾過多という感じはしない。
むしろ、鋭敏すぎる彼らの感覚が捉えたものを何ひとつまじりっけ無く叩きつけてくる感じだ。
やたらとトラウマだの不幸だのを売り物にする一連のへヴィロック・バンドたちなんかよりも遥かに破壊力を持った、
穢れなき天使の抱いた殺意のような音楽。
こういう冗談みたいに美しい誇大妄想はバッハやハイドンやワグナー、
もしくはツェッペリンやクリムゾンやクイーンなんかで聴くものであって、まさかリアルタイムで聴けるとは思わなかった。
嬉しかった。

基本的に彼らの描く世界観というのは非常に大げさかつ叙情的で、
すなわちある種の創世記や黙示録のような広がりを持っている。
極端な静と極端な動によって構成されながら、その世界観は常に一貫している。
最新アルバム『Absolution』のジャケットに広がる終末のあとのような、
もしくはそこから再び「始める」ために世界に飛び散るアルカディアの葉を見ているかのような風景。
彼らの頭の中には、常にそういった表裏一体不可分の始まりと終わりや生と死があるのだろう。
片方だけを見ようとしてもそれは欺瞞であることを、この孤独な音楽は知っている。

そんな両極端が混在した世界観を掻き鳴らし続ける彼らが、この曲では珍しく等身大だ。
音としてはまあいつもどおり非常に大げさなんだけど、
こういうシンプルな感情をシンプルな言葉で歌うことは結構珍しい。
とはいえ、それは字面とは裏腹の感情なわけだが。


たまには
無責任で薄っぺらい、耳障りのいいポジティビティばかりが氾濫するテレビやラジオを消して、
こういう非常に異形な、しかし真摯な魂の独白に耳を傾けてみるのもいい。