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□2004/1/10(Sat) Music

Tokyo No.1 Soul Set 『9 9/9』

チンする食事に幸せを、なんていうCMに出ている東野翠れんがとびきり可愛らしい、ということは置いといて
そのCMでぼそぼそと喋っているのがTokyo No.1 Soul Setのラッパー、というかポエトリーのBIKKEだ。

ターンテーブルとVo&G(およびその他全パート)とポエトリーリーディングのようなラップという
変則的な3人編成で活動していたこのバンドは、その肉体的なグルーヴとサンプリングの折衷の仕方において、
そしてその音世界にBIKKEのラップがかぶさることによって起こる狂ったケミストリーにおいて、
完全に唯一無二の存在だった。
彼のラップにはバックトラックの描くサウンドスケープを補強する、どころか
完全に別次元へと持っていってしまう効果があった。
夜更けのダンスパーティーは刺しつ刺されつの切迫した戦場へと変化し、
光り輝く真夏の街並みはそのままホワイトアウトを起こして白昼夢となった。
昼間の光景には夜が染み出し、日常の風景にはその崩壊のきっかけが見え隠れしていた。

すごく気持ちよくトリップさせてくれるんだけど、どこかに強烈な異物感があって
それが彼らの立つスタンス、すなわち彼らがその名前に掲げた「東京」という街の空気そのものを表現していたといえる。

同時期に登場した最高の表現者たち、すなわち
小山田圭吾も小沢健二もオリジナル・ラヴもピチカートも、
彼らが立っていた、情報が溢れかえり華やいでいるが故にシビアな東京という街における
それぞれの皮膚感覚によって優れた表現を作り上げていた。
それはまさに各々が自分たちなりの方法で世界を具現化することによって現実と相対するという作業だった。
彼らの音楽は「東京」を生きる世代(ここでいうカッコ付きの「東京」とは、地理的なものではなく
その時代を象徴するひとつのパラダイムに他ならない)
にとって実にリアルだったが故に、熱狂的に受け入れられた。
「渋谷系」なんて言われてもてはやされもしたが、表層のオシャレ感だけをなぞったフォロワーたちは
彼らの域に達することなど当然できはしなかった。

政治・経済・あまたの価値観が崩壊に向かう時代とリンクするように、彼らの立ち位置にも変化が現れた。
小山田は自らサンプリング時代のフィナーレの幕を引き、小沢は「東京」を捨て精神のより高みに向かおうとし、
オリジナル・ラヴは狂った本能を剥き出しにし、ピチカートは解散し、
少し遅れて登場したキリンジはひねくれた音作りを捨て、普遍性への意志を明確にし始めた。

そんなふうに崩壊する「東京」のど真ん中に佇んでいたソウルセットによる、その最後のドキュメントと言えるのがこのアルバム。
もはやこの中にも東京の肖像はほとんど残存してはいないが、
彼らが発する音そのものが「東京」という、どこにもたどり着けないまま浮遊を続ける街と時代を表現していたがゆえに、
この音楽はやはり「東京」の、そして「東京」が象徴するような浮遊する世代のための音楽として実にリアルだ。
あまりにも本質をついたリリックと、一音一音が雄弁に語るトラック。
少しのズレから崩壊に向かう日常と、
何かが崩壊したあとにその瓦礫の中から生まれ出でる新しい何かを暗示しながら、
「夜明け前」「隠せない明日を連れて」「Bow&Arrow」という至高のアンセム3連発でこのアルバムは終幕に向かう。
そして、それはひとつの狂騒の時代の終幕を告げる音でもあった。

このアルバムを最後にソウルセットは活動を休止した。
最近またちょこちょこステージに出たりもしているが、新しい音源を出すなんて話は聞こえて来ない。

BIKKEは現在、高野寛・斉藤哲也という最高のサウンド職人2人とともにNathalie Wiseというユニットを組んでいる。
彼のラップはソウルセットにおけるそれとは少々趣が違い、
サウンドスケープとぴったり寄り添ってひとつの完全に美しい世界を構築する。
この音についてはもっと書きたいことがあるが、とりあえず今日は措く。

ともかくも、このアルバムは最高に気持ちよく少しだけ気持ち悪い至高の一枚です。
あれからさらに逃げ場のなくなってしまった時代にも響く、リアルすぎるほどリアルなリリックと音。
小沢の『LIFE』、小山田(コーネリアス)
の『69/96』と並んで一家に一枚欲しいところです。

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aiko 「アンドロメダ」

これはもう2003年に出たシングルの中でも五指に数えられるほどの名曲だと思う。


□2004/1/6(Tue) Music

Aimee Man 『Lost In Space』

昨年から「エイミー・マンの去年出たアルバムを買おう買おう」と思ってるうちに
もう「おととし出たアルバム」になってることに気づいて愕然として、ようやくこの間買った。

この人といえばやっぱり『マグノリア』のサウンドトラックに提供した曲が有名なんだけど、
一枚のアルバムとして流れのある作品を聴いてもその印象はぼやけることがない。
安易な着地点を拒否する誠実さはむしろ各々の曲の輪郭をクリアにし、
やがて聴くもののパーソナリティの中に浸透していく。
それは声高に叫ばれるunityよりも、はるかに多くの人間の深奥で共振する。

90年代初めに小沢健二が発したような、
もはや暗黒なんだかバラ色なんだかすらわかりゃしない狂騒と混乱の時代を生き抜くための音。
それは、ただ混迷の色合いだけが増した21世紀にはこういう形をとって現れるのかもしれない。

不吉なおとぎ話のように、優しいレクイエムのように、憂鬱な子守唄のように、
愛することの悲しみのように、花を植えるために振るうときの刃物のように、
荒れ果てた世界をやわらかに包む歌ごころ。



□2003/12/29(Mon) Movie

Jim Jarmusch 『Night On Earth(邦題:ナイト・オン・ザ・プラネット)』

夜の街の匂い。
それは昼間の喧騒や熱気が醸し出す華やかで少し浮ついたものとは違って、
その中を泳ぐそれぞれの人生が放つ、生身の匂いだ。

酒の力を借りようが借りまいが、夜になると現れ出でるさまざまな感情。
夜の闇に自らの鏡像として映る弱さや情けなさや優しさや悲しみといったそれらは、
どんな地位も名誉も照れ隠しも、その他全ての虚飾を人から否応無く剥ぎ取っていく。
その後に残るのは、実にちっぽけでしみったれているが故にまた愛おしくなってしまうような、
もう毎日アップアップしながら必死こいて生きている一つ一つの人生だ。

ジム・ジャームッシュが描くのも、そんなしみったれた人生を送る人々の姿。
それも、そもそも剥ぎ取られるべき虚飾などもともと何も持ち合わせていないような、
「社会」の裏庭でネズミのようにひっそりと生きる人々の姿だ。

LA、NY、パリ、ローマ、そしてヘルシンキ。
同時刻におけるこれら5都市の夜の闇を、同時に疾走する5台のタクシー。
この映画は、そんな5台のタクシーにまつわる人々が織り成す5編の物語だ。
さまざまな行きずりの人々がやって来てはまた去っていくだけのタクシーという「場」は、
望もうが望むまいが有為転変を繰り返しては予期せぬ方向に転がっていく、それぞれの人生を際立たせる。
根本的に全てが無常であるこの世界のメタファーとも言える、そんなタクシーで生まれる束の間の関係性の中で

そこにまつわる全ての人の人生模様が、暖かく、時にはコミカルに描き出される。

全ての因果関係を描こうとして冗長になってしまうのではなく、
画面上にはあくまで「タクシーに乗っている間の出来事」しか映さないという、できそうでできない演出が憎い。
1編が約20分という短さも、各々の登場人物が背負ってきたものをブレることなく伝えるにはいい。

夕方から夜へと移り変わるLAで始まった物語は、
時差の関係で最も早くやって来るヘルシンキの白い黎明とともに幕を閉じる。
動き出す世界と、その中で動かざるを得ない人生と、
そこで繰り広げられる、古今東西変わらない悲喜こもごもを感じさせながら。

劇中で全ての音楽を手がけるのは、ジャームッシュの盟友でもあるトム・ウェイツ。
ウェイツもジャームッシュ同様、「もう一つの世界」を描き続けてきた男だ。
「God's Away On Business」なんて痛烈に歌いながら、そんなろくでもない運命に翻弄される
ちっぽけな人々への優しい眼差しは一貫して変わらない。
この作品でも憂鬱なワルツと、疲れきったアルトサックスと、そして美しき記憶への優しい挽歌が全てを包む。




LA編に出てくる、まだ子供みたいな顔したウィノナ・ライダーがそりゃもうものすごく可愛らしくて
それだけでも観る価値はあるんだけど、LA編が終わってもちゃんと最後まで観てください。