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□2003/12/13(Sat) TV
『Thee Michelle Gun Elephant Retrospective Day』

と題しまして、スペースシャワーTVでは今日一日中ミッシェルの特番が放送されている。

このミッシェルというロケンロールバカバンドに関してはいろいろ言いたい事があって、まあひとことでいうと
こんなバンドは二度と出てきやしないだろうという事だ。

孤独や哀しみやデカダンスや倦怠を描かせたら一流のチバという男がいて、
その男が描く風景を時には狂騒のパーティーに、時には荒れ狂う冬の海のような暗黒の音像に、
時には全てを引き受けて疾走するボニー&クライドだかイージーラーダーだかに変えながら
いつもその向こうへ、その向こうへと走らせ続けてきた3気筒エンジンの如きアベウエノクハラという連中がいて
この4人にはブランキーのような、今にもバラバラになりそうな緊迫感は無かった。むしろ安定感すらあった。

チバのセンチメントは浅井健一のそれとは違い、常に「今、ここ」とそこからの広がりに向けられたもので
抒情詩でも叙事詩でもなく、それはただ乾いていた。
酒かっくらって騒いだ後に一人で目覚めて笑い出す酔い醒めの朝や、一人で酔いつぶれて眠る夜のような乾いた情景。
「神の手は滲むピンク/舐め尽くしたドロップの気持ち」。それは言うなればこの世界そのものと、そこにぽつんと立つ自分の姿だった。
そこを突き抜けるかのように加速し重みを増していく彼らの音は、逆説的に世界の巨大さをも強烈に意識させた。
美しさも醜さも偽りなく描く事で相対的に残酷なほど世界の本質を映し出すブランキーのリアルと、
絶対的な質量をもった世界の姿そのものを映し出すミッシェルのリアル。
この2つが並び立って恐ろしいまでに冴え渡っていた90年代後半というのは、本当に幸福な時代だった。

ミッシェルは『Rodeo Tandem Beat Specter』で解散してもおかしくないと思っていた。
理由は簡単。アルバム全体、特にラスト曲「赤毛のケリー」があまりにもブランキーでミッシェルだったから。
すなわち、そこで描かれた世界の質量だけじゃなくディテールまで、全てがリアルだったからだ。
「その向こう」はもう、無かった。
こんなものを作ってしまったら、全くもってもう行き場がない気がした。

さらにもう一度だけ「その向こう」へと向かってみると、そこにはもう宇宙しかなかった。
世界の混沌とはまた違う、無限の広がりをもった虚空がそこに広がっていた。
これならこの4人で「その向こう」へ行く必然性は無い。どこでも好きなところへ行けばいい。
そんな風に、ミッシェルは解散した。

ラストのライヴは実に楽しかった。正直、センチメンタルになる暇なんて無かった。
僕も一緒に行った友達も、暴れに暴れた。まさにロケンロールパーティーだった。
終わってしまっても不思議と喪失感や悲しさは無かった。 周りを見ても泣いてる奴なんていなかった。
その辺にいた知らない男やお姉ちゃんとハイタッチして、客出しSEでいちいちみんなしてポゴダンスをやりつつ会場を後にした。
帰りには痛飲して、なんとはなしに感傷を笑い話の中に紛らせた。
近所迷惑なほどの爆音で音楽聴いて(毎度毎度すみません)、酔っ払って寝た。
ミッシェルはいつもそんな感じだった。
誰よりもヘヴィーかつセンチメンタルでありながら、それを吹っ飛ばすほどのスピードで駆け抜け、酔っ払って笑っていた。
最後までそれは変わらなかった。格好つけすぎだ。
こんなバンドは二度と出てきやしない。それはもう確実にわかっている。




□2003/12/11(Thu) Music

Amalia Rodrigues 『The Art Of Amaria Rodrigues』

僕は子供の頃に「大航海時代」というコンピューターゲームにはまっていた。
まあ読んで字のごとく、大航海時代をテーマとしたゲームだ。
15〜16世紀、ヨーロッパ各国は香辛料や黄金、さらには未知の文物や新たな交易路を求め多くの船を送り出した。
今と違って目で見るもの、手に触れるものだけが「存在する」時代。男たちはまだ見ぬ世界に思いを馳せ、夢とロマンを求めて海に出た。
それによってヨーロッパに富と知識が集中し、奴隷貿易や産業革命や植民地支配の遠因を作っていくんだけどそれはまた別の話。
僕はゲームによってそんな時代を疑似体験し、ものの見事にはまっていたのだ。

このゲームは自分の分身たる艦隊提督およびその提督と絡む人物にのみキャラ設定がなされていて、
その他の一般船員は「人数」というデータ上の数値でしか表されない。
それゆえ、ちょっと病気になったといってはバタバタ死に、ワニや機嫌を損ねた原住民やイスラム艦隊に襲われては死に、
さらには水も食糧もなくなると、律儀にも次の日から次々と勝手に飢え死にしていく。
ずいぶんとひどい話ではあるが、何しろ医学も食糧の保存法も発展途上であった頃の過酷な航海、
実際にこのような状況であった事は想像に難くない。
男たちに夢とロマンをくれる大海原は、一旦出てしまうとほとんどの者が生きては帰れない恐ろしい場所でもあったのだ。
世界一周を成し遂げたマガリャネス(マゼラン)の艦隊も、フィリピンで殺された本人も含めてほとんど全滅に近い状態で帰還している。

ゲームでは単なる数値にされてしまっているこれらの名もなき船員たちにも、実際はそれぞれの人生がある。
大航海時代の一翼を担ったポルトガルの首都であるリスボンの港から船が出港する出口には「ベレンの塔」という建物があって、
そこに作られた「発見のモニュメント」には、ポルトガルの航海者が為した様々な「発見」が記されている。
中には「日本発見」などと書かれていたりもして、てめえらが勝手にやってくるずいぶん前から存在していたそれぞれの文化に対する
勝手な優越感と独善性を示すものだとしても(無邪気な好奇心の賜物かもしれないが、それは時として最悪の自己満足である)有名だが、
ともかくポルトガルの航海者たちはここから次々と船出をしていった。
港に残って待つ恋人や妻や子供たちを残して夢とロマンを追い求め、多くの者たちは二度と帰ってこなかった。
帰ってきたら結婚しようなんて言っていた者もいたかもしれない。 まだ見ぬ我が子の顔を見ることを楽しみにしていた父親も。
かくして、港には賑わいの陰に隠れた悲しみが常に漂う事になる。

船旅をしたことのある人はおわかりだろうが、ただでさえ海と港の別れは絶対的な寂しさを感じさせる。陸にいるもの同士の別れとは違うのだ。
それは、全てを飲み込む海という絶対的なものに隔てられているというその実感に他ならない。
ましてや、愛するものと死によって分かたれたものたちの悲しみはいかばかりか。
数多の人々が通り過ぎる港や港町にはそんな様々な出会いと別れがあり、そのたびに悲しみは少しずつ、澱のように溜まっていく。

そんな港町・リスボンで生まれた「ファド」という音楽がある。
「fad」=英語の「fate」。すなわち「運命」である。
ポルトガルの人達は幾多の別れの悲しみを運命だと思い、ある種の諦観を持って生きてきたとも言える。
それゆえに、別れの悲しみや永遠に失われたものへの「saudade(サウダージ=郷愁)」を歌うファドは「ポルトガルの心」と呼ばれる。
今でも夜になると家々から、酒場から、人生の悲しみをそっと包み込み浄化するかのようなファドの歌声が聞こえてくるという。
悲しみを運命として必死に受け入れてきたポルトガルの人々の心が、ファドの歌詞には痛いほどに表現されている。

このアルバムは「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスの名演集。
のっぴきならない現実の中で、聖域のようにキラキラと輝く美しき記憶。
そんな過ぎ去ったものたちへの愛情の純粋さゆえに、必然的に悲しみを帯びてしまう歌声。
その、神聖なまでの美しさ。



□2003/12/9(Tue) Music

Grapevine 『イデアの水槽』

カップのバニラアイスにほんの少しだけコーヒーをかけて食べると、甘さと苦さが程よく調和しててうまい。
禍福はあざなえる縄の如し、というが人生においてもビターな瞬間とスウィート、というかまあ幸せな瞬間が同居していて、
それらの絶妙なバランスの上に僕らは歩みを重ねている。
往々にしてなんだかコーヒーをかけすぎたような気分で暮らしてる僕のような人間でも、たまに味わうささやかな甘さに心が安らいだりもする。

ブランキーもミッシェルもいなくなった日本の音楽シーンで僕が最も信頼しているこのグレイプバインも、コーヒーかけすぎた人たちなんだと思う。
前作も前々作も、ていうかデビューした時点ですでにこの人達はそれをモチベーションとしていた。
その間に色んな道程をたどり、徐々に幅を広げて「風待ち」や「想うということ」みたいな優しい曲も書くようになった。
けれどその根っこにあったのはやっぱり「空に届きそうで/また手を伸ばして/やめて(中略)
あの向こうへと/精一杯息をして/いつのまにか/もう僕らには/見えやしない」 と歌った「アナザーワールド」の世界だ。
他の曲で彼らが見せる皮肉たっぷりの歌詞も、ニセ江戸っ子みたいな言い回しも、ふざけ半分で作ったかのような歌でさえも、
このバンドのボーカルである田中和将という男の心の奥底に広がる果てしないブルーの海を覆いつくせはしなかった。

タングステンフィルムという特殊なフィルムで晴天の日の風景なんかを撮ると全てがブルーがかっていたりするんだけど、
きっとこの人の目が見るのはそんな風景なんだろうと思う。


個人的には最高傑作かもしれないと思っているこのアルバムにも、深いブルーが広がっている。
顕著な所では時代の空気を切り取ったバイン式黙示録のような「豚の皿」や、
心の深層に広がるブルーの海に浮き沈みしてるうちに現れては消えていく想いの断片をただ書き連ねたかのような「SEA」がそれだ。
孤独や悲しみや苛立ちはより先鋭化し、切り口は多様化しながらもその表現せんとするところがぶれる事はない。

「ぼくらなら」「会いにいく」「公園まで」の3曲が、このアルバムを救ってしまっている。
人間はいつまでも自己完結した孤独のうちに暮らすことはできない。できるんだけど、きっと病んでくる。
基本的に他者、それも自らを真に愛し理解してくれる存在を常に希求してしまうという、動物としては少々効率の悪い存在である我々は
こぎれいに自己完結した世界を抜けて、誰かに会いに行く事ができる。
そうして手に入れた、往々にして平凡で退屈に見え、 時には嫌な事もあるけれど本人にとっては満たされた幸福な時間を過ごす事ができる。
そして、それら全てへの愛を感じる事ができる。そのことを歌う事だってできる。

そんなささやかな甘さが、コーヒーをかけすぎたようなこのアルバムの中で本当に大切なものに思えてくる。
本人も実に口が悪くて根暗で「お前らアホみたいに人生楽しんでんじゃねえよ」なんて平気で言ってしまうバイン田中は、
無意識のうちにいつもこうやってバランスをとっているのだろう。
他のアルバムにもこういう風に全てを救ってしまうような名曲が何曲か入っていて、 基本的に甘党のくせにいつもコーヒーをかけすぎてしまう僕は
このバンドの作り出す音像、すなわち全てを飲み込み沈めてしまうような冥いブルーの海と、
そこに落ちては消える一片の雪のささやかな、しかし何よりも温かい輝きの両方をこよなく愛している。


□2003/12/2(Tue) Book

山本夏彦 『最後の波の音』

僕には心の師匠と呼べる人がけっこういるんだけど、その中でもトップクラスに位置するのがこの山本夏彦だ。
この人の姿勢は常に一貫していて、大まかな事を何か書こうとすると結局各作品よりもパーソナリティに焦点をあてることになってしまう。
なのでどれをタイトルに持ってきてもよかったけれど、 とりあえず遺作となったこれを持ってきた。また遺作か。

この人は自ら創業した出版社のタコ社長として、またフランス文学を深く学んだものとして、
世の中の森羅万象に深い洞察力を発揮し、それを素晴らしく平易な短文にまとめる名人。
まあ、ありていに言ってしまえば辛口コラムニストだ。
古き良き大正生まれの気骨というだけではない、人間というものに対する深い洞察力を持った彼のコラムは
時に辛辣でありながら、思わず読者をにやりとさせるようなウィットにも富んでいて非常に面白い。
というか、なんか微笑ましいのだ。

「何用あって月世界へ」だの「自分の内なる他人」だの「茶の間の正義」だのといった素晴らしくドンピシャな単語を
彼はポンポンと生み出していった。生来のコピーライター、いや彼の言葉を借りれば「コピー屋」だったんだろう。
とにかく、彼は虚飾や背伸びや独善や薄甘い正義を嫌った。
物事の本質を理解するのに邪魔でしかないそれらを皮をむいていくように排し、少しでも本質に近づこうとする試み。
それが彼の場合、こういうコラムだったんだろう。

「ものの表裏は、常に同時に存在している。
表を説いて裏に及び、さてこれは同時にあるという以外に、言葉は用いようがないではないか。

及ばずながら私が、字句を明瞭に、話をさっさと運ぶのは、曰く言いがたい何ものかに肉薄するためである。
いわゆる『聖人君子』に、いくら難じられても、そこに新発見がないかぎり、私は動揺しない。」

この一節で充分だろう。誠実な人とはこういう人の事を言うんだ。
この人に比べて、世の中には誠実で善良なふりして独善的で浅ましい言説を撒き散らす人がどんなに多いことか。
もしかしたら自分もそうかも知れないがな。そこまで考えろ、とこの爺さんは笑顔で語りかける。師は死してなお、なかなかに厳しい。



□2003/12/1(Mon) Music

Johnny Cash 『American W:The Man Comes Around』

最近音楽のことばっかりだな。少し控えようと思っても、書きたいことは山ほど出てくる。

ジョニー・キャッシュという人は、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。
この人はカントリーのゴッドファーザーと呼んでも差し支えない人で、もう50年近く第一線で活躍してきた。
カントリー自体が日本人になじみのないジャンルではあるけれど、アメリカではまさに「国民的音楽」だ。
世界中でロカビリーを流行らせたり、カントリーの殿堂とロックの殿堂の両方に殿堂入りしたり、
世の中がまだ牧歌的だった
頃から一人で死や麻薬や地獄について歌ったりしてたのもこの人だ。
その精神の暗き淵を表すかのように、いつも黒い服ばかり着ていた。別名「黒服の男」。
ボブ・ディランのデビュー時から彼とは仲がよくて、デュエットもしたりしている。
ディランの『Nashville Skyline』を持っている人は、裏ジャケに書かれてるいかした詩の作者だと言えばわかってくれるだろうか。

で、このアルバム。アメリカンというレーベルでの4枚目だからこのタイトル。身も蓋もない。
プロデュースはリック・ルービン。
ロックファンならこれだけで「おお」と思わなきゃダメだろう。全編、編成はアコースティック。
まずは、フィルム・ノワールを髣髴とさせるジャケットやブックレットのアートワークが素晴らしい。
軽快なカントリー・ナンバーで始まったと思ったら、いきなりNine Inch Nails「Hurt」のどす黒いカヴァー。
これが、原曲よりよかったりする。自らの精神の深淵を覗き込むような歌声と、痛いほどに張り詰めたピアノ。
他にも、歌詞ではちっとも橋を明日に架けていないのに何故あんな邦題になったのかわからない「Bridge Over Troubled Water」や

早すぎたオルタナであるイーグルスの「Desperado」などなど、 名曲カヴァーとオリジナルを取り混ぜた構成。
なかでも圧巻は、最も地味と言えば地味な「In My Life」。もちろんビートルズのアレ。
この曲をちゃんと聴いた事がない人は、歌詞カードを読みながらじっくりと聴いてみるといい。
過ぎ去ったものへの愛惜と「今」への最大限の愛情に、胸が詰まりそうになるんだ。
キラキラしたコーラスではなく渋いバリトンでカヴァーされたこのシンプルな佳曲の中に、キャッシュというおっさんの人生が見え隠れする。
いろいろあった。いいことも辛いこともあった。けれど、今は全てが幸福だったと言える。
我々も歳食ったあとに、こういう風に過ぎ去りし日々を振り返る事ができるだろうか。

ラストはヴェラ・リンの「We'll Meet Again」。

愛する人にしばしの別れを告げる非常に美しい歌なんだけれども、究極の人間嫌いであるキューブリックは
その監督作『博士の異常な愛情』の中で、 人類に対する強烈な皮肉としてこの歌を鳴らしていた。
9月11日にあの「Twin Death」を見てしまったキャッシュは、果たしてどっちのつもりでこの歌を選んだのか。

「また会いましょう、いつ、どこでなんてわからないけれど。いつか、晴れた日に」

ノスタルジックなクラリネットとフィドルに乗せてそう歌った彼は、このアルバムを置き土産にこの世を去った。
キャッシュというおっさんの人生の出来すぎなくらい美しく豊かな結晶、それがここにあると思う。

誰か大切な人がいる人には、ぜひ聴いてほしい。国内盤は出てないけど。
レコード会社は何を考えてんだ。


□2003/11/30(Sun) Music

TRICERATOPS 『The Great Skelton's Music Guide Book』

Space Shower TVの番組を観てたら、久しぶりにトライセラトップスが出ていた。
僕はこのバンドのマイケルジャクソンとKISSが大好きなボーカルであり、和田誠と平野レミの息子である和田唱という人が好きだ。
なんというか、古きよきロックンロール小僧なんだな。
中学生の頃には雨戸締め切って、一人ノリノリで「Purple Haze」とか弾いてたに違いない。
そういう愛すべきカン違いから、だいたいの音楽ってのは始まるんだな。
だから、昔から一人突っ込みばかりしてた僕には音楽は無理だったんだ。
部屋は密室ではなかったし雨戸もなかったから、照れが入ってしまったんだろな。だから楽器は下手なままだ。

このトライセラトップスは、7年ほど前に登場した頃から「リフ命、グルーヴ命」だった。
これもまた、古きよきロックンロールの王道だ。
僕は人生の嘆き節であったブルースをロックンロールに変えたものはリフとグルーヴであったと信じていて、
それはすなわち「ダンスミュージック化」だと思っている。
踊るブルース。浮世の辛い事はひとまず忘れて、場を満たすグルーヴに身を預けるということの快感。
それはのっぴきならない現実をより素晴らしい何かに昇華する力を持っていたが故に、皆を虜にしたんだろう。

そのうちに世の中がどんどん細分化し、またロックの裾野が広がっていくにつれて
ひたすら音をいじる連中や、早弾き命で技巧を磨いていく連中や、非常に科学的な実験精神でもってゴチックな美を構築した連中や、
靴のつま先だけを見つめながら轟音でギターを弾く連中や、ひたすらにマッチョでうんざりするような音の塊をぶつけてくる連中などなど
いろんなロックミュージックが出てきた。いいのものもたくさんあるし、ゴミみたいなものもその100倍くらいある。
で、細分化していくにつれてロックには作者の精神が色濃く投影されていくようになる。
この過程については、20世紀最高のポップバンドであり最高の実験音楽家集団(こちらはあまり一般的な認識ではないと思う)である
ザ・ビートルズというバンドを頭から尻尾まで聴いてみればすぐにわかる。
それはすなわち、万人向けのダンスミュージックという機能を放棄して「芸術」を指向していった結果なんだろう。
最高のグルーヴを生み出したレッドツェッペリンというロックバンドは同時に芸術的な様式美においても群を抜いていて、
このバンド以降しばらくは、ロックンロールにグルーヴはなかった気がする。
いや、もちろんあったんだけどそれらは自意識というか精神に負けていたんだろう。
新たな黒人音楽として台頭した、ファンクやレゲエにお株を奪われっぱなしだった。
ボウイもヴェルヴェッツもディランもPILも、クラッシュでさえそうだ。
その始まりからして「死」であったニュー・オーダーの繰り出した、さっぱり踊れない暗黒のハウスがその極みにあった。
マイケル・ジャクソンのようなカン違い的ポップさは、はっきり言って「阿呆」扱いされがちがった。

80年代の終わり頃になると、アシッドハウスだとかマッドチェスターというムーヴメントが起こった。いわゆるレイヴの走りだった。
この辺からストーンローゼズやプライマルスクリームが現れ、ロックにグルーヴを取り戻した。
アメリカでは様式志向の極みとも言えるメタルが、崩壊寸前にガンズ・アンド・ローゼスという最後の徒花を咲かせていた。
ケミカルブラザーズやアンダーワールドなどのようにあえて自意識を葬り去り再び全ての人のためのグルーヴを作り出した、
真の意味での「ダンス・ミュージック」も次々現れた。

90年代には日本でも、伝統的にメロディー重視だったポップ・ミュージックの世界にグルーヴやリズムの感覚がどんどん入ってきた。
小山田圭吾と小沢健二という最高の皮肉屋で最高の音楽翻訳家でもある2人によって、アシッドやヒップホップが身近になった。
アンダーグラウンドの世界ではヒップホップが台頭し始め、スチャダラパーやソウルセットが現れた。
そうこうするうちにイーストエンドが血迷って作ったお茶の間ヒップホップがバカ売れしたり、さんぴんCAMPが開催されたりした。
最終的には幸か不幸かドラゴンアッシュによってヒップホップは一気にメジャーになり、阿呆みたいなブームを巻き起こした。
残念ながら、日本の音楽シーンにグルーヴやリズムに対する意識を植え付けたのはロックンロールではなくヒップホップだったと思う。
ロックンロールなんて、ブランキーやルースターズが好きな連中だけのものだった。それはポップではなかった。スターは出なかった。
ロックの本質を音楽性じゃなく本能だけで表現していたエレカシは、さっぱり売れなくて契約切られた後に歌もの路線で復活しやがった。
今ではその狂った本能をより洗練して、最高のロックバンドになっているけれど。

で、ようやトライセラトップスのことを書ける。
こいつらは臆面もなく「ほれ踊れ」と言わんばかりに古きよきリフ主体のロックンロールを書き、ロックスター志向をガンガン鳴らし始めた。
けれど、単なる懐古趣味じゃない。3ピースのみで演奏されるそのロックンロールは最高にポップだった。
スウィートなラブソングばかりで大した事は歌っちゃいないけれど、最高に愛すべき小僧どもだった。迷いは全く無かった。
本気で「俺たち最高」と思ってたんだろう、マイケルのように。
このアルバムを出した後は皆が通る道を通るかのように迷い始め、歌ものにシフトしたり音を作りこんだりしていた時期があった。
でも、今はもう迷いは無いようだった。再びバカでポップでスウィートなロックンロールを鳴らしはじめた。

なんだかいろんな音楽を聴きすぎて疲れた時には、これを聴いてみるといい。
特にかつて雨戸を締め切って名曲のコピーをしていたような人たちは。
かつての自分がそうであったようなロックンロール小僧たちが、自身満々な笑みを浮かべて「どうよ?」と問いかけてくる。