世界

海を臨む高台に立つ。
真南風(まはえ)は記憶になどあるはずのない、しかし確かな追憶を誘い、
全ての始まりにはただ茫漠とした海と風だけがあったのだということを思わせる。

原初から変わらぬ風の流れに乗せて人は暮らしを営み、歌を紡ぎ、そして笑い泣きもしてきた。
古来、人間は自らが拠って立つ所以を数々の神話や物語に求めたが、
今では、実際にその物語の中の世界を生きている人間はごく少数に過ぎない。

この場所にはまだ物語が脈々と流れ、受け継がれている。
それは、四方を囲む海と真南風、そして時折降るスコールが意識の底に流れる物語のディテールを想起させ、
人々に、自らが確かに「その時代」から続く現在を生きているという「経験」を可能とするからであろう。

回線の中をどれだけの情報が飛び交おうと、経験を身体化することでしか手に入らぬものは多い。
繰り返し「経験されてきた」物語の強度を信じ、その世界観の中で充足して生きる人々を、僕は愛おしいと思う。
利便や効率という神を信奉する人々の眼に、その態度が蒙昧さや観賞用のオブジェとしか映らないのだとしたら、
人類はもはや、来し方を忘れ去ったアムニージアック(記憶喪失者)でしかない。
それは我々にとっての「全ての終わり」への道に他ならないだろうが、
我々がいなくなったとしても真南風は同じように吹き、スコールは降る。
世界は我々を忘れ、また同じように時を進めていくのだろう。

吹き抜ける風を受ける。
風景はハレーションを起こし、永遠に続く反復の中にある答えのようなものを垣間見せる。
慌ててそれを記憶にとどめようとする僕を嗤う様に、
太古からの雨が近づいてくる匂いがした。

 

prev

next

top